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2005年 08月 31日
●『春の雪』を見た
三島由紀夫の原作とは、その「古典的」雰囲気のみをまねた「大作」。それなりにがんばっているが、原作にある「同性愛」的な要素が完全に「異性愛」のドラマに翻案されている。原作の政治性もそぎおとされているが、まあ、階級分化が進みつつあり、事実上の「貴族」階級が生まれつつある今日、彼らにとっては、娘の結婚も重要な事業であることを描いている部分は、面白く見れるのではないか?
今月はこれで打ち止め。サーバー問題に時間を取られ、あまりたくさんの映画を見れなかった。
深夜、テリー・ギリアムの旧作『12モンキーズ』をDVDで再見。『ブラザー・グリム』(2005-08-19)は、ここからの流れで見られるべきだ。
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2005年 08月 30日
●ウェブサイトの引越しで
大災害でもないのに、1日以上も止まる回線とのおつきあいはごめんだというわけで、昨日から本格的にanarchyサイトの「引越し」を始めた。10年も続けたサイトを変えるのは、サーチエンジンへのヒットを捨てることになるのではないかという懸念があったが、最近のサーチエンジンはすごい。昨日「"anarchy.k2.tku.ac.jp"」で検索して5000以上あった件数が、href="https://utopos.jp/about_jp.html"jp へリダイレクトするように設定したら、たちまち数百に減り、昨日はゼロだった「anarchy.translocal.jp」サイトが、数件ながらヒットするようになった。この分なら数ヶ月で旧サイトの利用者が新サイトに移行するだろう。
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■2005年 08月 29日
●けったいな話
『ブラザー・グリム』(2005-08-19)についてある雑誌の編集者と称する人から芸能人との対談の依頼があった。対談は好きなので引き受けて、いざ打ち合わせの段階になって、どうも変な方に話が向かっているので、「わたしはグリム童話の専門家じゃありませんぜ」と言うと、相手はドッキリ。どうやら、この人は、グリムの「専門家」とお笑い芸人とを組み合わせて、テレビのバラエティ番組風の対談を構成しようと思っていたらしい。訊いてみると、この映画もまだ見ていないという。わたしのことは、映画会社から紹介されたという。最近の活字の世界には、こんな編修者もいるのかと驚く。だいたい、電話で話が来たのも変だった。いまどき、実のある仕事の話の99%はメールで来る。しかも、電話で「コナカワさんですか?」と来た。このごろは、いいかげんな電話ばかりなので、電話が鳴っても出ないのだが、運悪く取ってしまったのが運のつき。レストランでもホテルでも、予約客のことはネットでまず調べるのが原則らしいが、この人はそんなことも知らないらしい。ひょっとして、検索しても出てこないのかと思い、いまYahooに「粉川哲夫」と入れたら、45,300件のデータがあると出た。あほかいな。
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■2005年 08月 28日
●食の場は映画におとらず奇なり
千駄ヶ谷のあるイタリア料理店でシェフの身の上話をききながら、食を楽しむ。イサキのカルッパチョ、まダコとズッキーニの娼婦風スパゲッティ、スズキの香草焼き。これには、下に薄く切ったナスとズッキーニが敷き詰めてあり、まこも筍がそえてあった。ワインは、『モンドヴィーノ』(2005-07-29_1)で批判されていたのとは逆の南イタリアのもの。要するに、最初とっつきにくいが、飲みはじめるとかぎりなく友好的になるというやつ。デザートは、あっさりとレモンとブラッドオレンジのジェラート。・・・なんて、実は家で「龍口春雨海鮮」をすすっていたりして。
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■2005年 08月 27日
●アタマ来る1日
1995年以来開設しているanarchy.k2.tku.ac.jpサイトが、例年の設備チェックのための停電で1日ストップするというので、自動復帰のセッティングをしたが、時間が来ても復帰しない。すわっ、こいつはまた国分寺までいかにゃあなるめぇと思っていたら、予定より4時間もして復帰した。世界にはネットを利用できないところもあるのだから、「文明」に寝そべるわけではないが、そうでないことが出来る条件のなかであえて「停電」などさせ、ネットを止めるというのは納得がいかない。怒ったわたしは、この日をかぎりに、10年つづいたanarchy.k2.tku.ac.jpサイトをやめることにした。ここにリンクをはっている方は、ただちに、href="https://utopos.jp/about_jp.html"jpにリンクを書き替えてください。以前よりも良好な接続ができると思います。
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■2005年 08月 26日
●シネマノートに専念
『パープル・バタフライ』を見に行こうと思ったが、評判がイマイチなのと、anarchy.k2.tku.ac.jpサイトが27日に止まるための処置に手間取ったりして、出そびれ、デスクワークに専念することにする。たまたま海外から幾分重要なメールが届き、返事をとりいそぎ書く。以後、途中まで書きかけたシネマノートの、『ブラザー・グリム』、『大停電の夜に』、『スクラップ・ヘブン』、『灯台守の恋』の4本を仕上げる。
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■2005年 08月 25日
●『親切なクムジャさん』を見なかった
夕方から『親切なクムジャさん』の試写に行くはずだったが、テレビでしきりに台風直撃のニュースをやっているのを口実に行くのをやめる。銀座だから電車が止まってもどうということはないが、韓国映画にやや食傷気味であるために心理的な逃げが働いたこともたしか。このところゆっくり眠る時間がなく、少し休養したいということもあった。とはいえ、映像中毒はおさえがたく、くだらぬテレビとDVDを数本堕観。
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■2005年 08月 24日
●『灯台守の恋』を見た
ラブストーリーだが、2味ぐらい辛味が混ぜてある。現代から1963年のアルジェリア戦争の時代を回顧する形式が示唆的。ブルターニュ地方の島のしかも海中の灯台(孤立の孤立)が舞台になる。フランスからみれば、点的存在。そこによそ者への差別と愛国心が凝集されている。そこへまぎれこんだ一人の青年。アルジェリア戦争に深く傷つけられ、灯台守になろうとやってきた。いささかも抽象的な描き方をせずに、にもかかわらず、その具体的なものから反戦や愛や社会についての思いを深めていく気にさせるような作品。
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■2005年 08月 23日
●『スクラップ・ヘブン』を見た
その語の本来の意味での「フリーター」を演じるオダギリジョーが抜群にいい。警察のデスクワークにうんざりしている警察官らしからぬ警察官の加瀬亮もわるくない。が、栗山千明の演じる役が中途半端。栗山としては本領を発揮できなかったのだろうが、彼女もそろそろ髪をばっさり切ってイメージチェンジしたほうがいい。『ベルリン、僕らの革命』と似たところがあるが、前半はいいテンポ。後半、むりやり結論を出そうとして失敗したような感じ――と、久しぶりに会場で会った三田格に言ったら、「不発に終わるところがいまらしい」のだと言われた。ま、そういえば、ホリエモンの終わり方は、いつもそうだ。ということは、勝たないようでいて、元はちゃんと取るということ? そして、今度の選挙でもそういう感じになるのかな?
山下大厚さんから、先日のホリエモンの記述について、彼はトランスローカルをわかっていないのではというメール。うん、そのラディカルな意味には目をつぶっている。しかし、状況の空気の変化を読み取る才は抜群だから、トランスローカリズムの形はちゃんとおさえているのだと思う。
ついでに筆がすべるが、マスメディアが伝えるいまの状況は、実に「明快」だという点で、現実とは乖離している。現実は複雑で、単純化できないもの。だから、ゲームやスポーツなどのエンタメがある。小泉は、政治をエンタメにすることによって、操作しやすいものにした。いずれ、「あいまいでダメな日本」をなつかしむ日が来るかも知れない。
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■2005年 08月 22日
●『ビューティフル・ボーイ』と『大停電の夜に』を見た
自己批判の舌の乾かぬうちにまた映画三昧の駄日記を書く。『大停電の夜に』は、日本でもようやくあらわれた「大人」のエンターテインメント。といっても、挨拶でブリリアントな相沢友子が言ったように、東京が大停電になってハラハラドキドキのエンタメ・ドラマが展開するわけではない。『ラブ・アクチュアリー』(2004-01-07)にも似た、若年から老年までの男と女の誰もがつかのま心を洗われるようなエンターテインメント。脚本も音楽もキャスティングも文句なし。というとわたしらしくないと言われるかもしれないが、電光の停止した東京の陰影を映像的に創造し、そういう「舞台」でしか起こらないドラマを組み立てたおしゃれなスタイルが魅力。
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■2005年 08月 21日
●今日も試写はなかったが、政界は動いた
田中康夫が新党を作った。彼は、日本では、トランスローカリズムの傾向を表明している政治家だ。彼がやっているのは、地方の自律や「復権」などではない。ところで鈴木宗男は、北海道の「独立」への密かな志向を先取りされて、失墜させられた。エネルギーの自立を示唆した田中角栄もだった。しかし、独立も古いのだ。各ノード、「ツボ」が浮き彫りになりながら、ボーダーをこえてつながりあい、そのノードのいずれもが、必要なときには「中心」になれるようなシステム。こんなものは、決して新しくはないし、世界は(無意識レベルでは)それで動いているのだが、自覚するものが少ないので、ロスばかりしている。
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■2005年 08月 20日
●こんな「日記」を書いていても・・・
試写がないので、この「シネマノート日記」を最初から読みなおしてみた。つまらない。こんなものを書いている意識がわからない。選挙ネタが日替わりで楽しませてくれるいま現在の状況で、こんな「日誌」は意味がない。
小泉はエゲつないという意見があるが、要するに、日本の政治がようやく20世紀流にたどりついたというにすぎない。商売の世界では競争、リストラ、ヌケガケがあたりまえなのに、「政治」は、まるでそんなことをしていないかのようなフリをしてきた。それが変わらざるをえなくなったところに、日本の政治・経済システムが直面している状況がある。
それにしても、日本は、「地方」は、マスメディアによっていかようにもコントロールできる関数なのだということを、今回の「刺客」戦術が明らかにした。それは、昔からそうだったのですがね。
しかし、いまちがうのは、人工的な「地方」性が形をなしてきて、そういうヴァーチャルな「地方」性を生み出せない者は、地方で権力を持てないということだ。
堀江氏は、トランスローカリズムを知っているだろうから、広島で「田舎」っぽくやっている。しかし、広島をバカにしてはいけない。尾道のジャズ喫茶を知っているか? 料理もうまい店がたくさんあるぞ。『時をかける少女』のころの大林宣彦は、(いまは評価しないが)、ヴァーチャルな「地方」性を創造したが、早すぎたので、そのトランスローカルな特質が理解されなかった。はたして、堀江氏は、そういう広島6区のトランスローカリズムをつかめるか?
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■2005年 08月 19日
●『この胸いっぱいの愛を』を見た
何度かピエトロ・マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」の一節が流れる。上映前の会場内でも。この映画の長所と短所は、このメロディーの長短につきている。それを「月並み」と思うか、「いい感じ」と思うかだ。構成はなかなか面白い。4人のエピソードは、それぞれに「心あたたまる」。が、塩田明彦には、もう少し「病的」なものを期待する。
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■2005年 08月 18日
●『ブラザー・グリム』を見た
テリー・ギリアム、久々の新作。深い陰影と奥行きのある映像。グリム兄弟に注目した慧眼。時代は、ナポレオン支配下のヨーロッパ 1810年代。場所は、グリム兄弟の生きた同時代と彼等がまとめた童話の民話的世界とがシュールに混交する。兄弟が収集した物語は、キリスト教が侵略する以前の民話的世界に基づいており、そうしてみると、グリム兄弟の念頭には、つねに脱キリスト主義があったのだなとあらためて思う。
朝日ホールのスクリーンは小さくてひどいので、もう一度、大きなスクリーンで見たい。
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■2005年 08月 17日
●またまたIRIX-SGIサーバーとのおつきあい
8月27日にhref="https://utopos.jp/about_jp.html"jpのサーバーが「停電」のため停止するというので、その日のためのミラー・サーバーを立上げつつある。先日完成したはずなのだが、どうもFedoraCore4_Linuxはうざったくて、またぞろ、一旦は縁を切るつもりにしたO2とIndyを引っ張りだしてきて、OSの再インストールをする。目下、仮の状態で稼動中。href="https://utopos.jp/about_jp.html"jp
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2005年 08月 16日
●新幹線の窓から垂直アンテナを見た
数日、味覚の「標準値」を維持するための旅をした。列車の窓も「映画」だとわたしは思うので、窓外の映像について書いてみたい欲望にかられないでもないが、紙幅がない。なぜかわからないが、急にマルチプルの垂直アンテナがビルの屋上に増えたような気がした。WiFiだろうか?
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2005年 08月 12日
●『マウス・ハント』(ch.10)を見た
試写には行かず、雨に濡れながら雷(最高のマルチメディア!)を1時間ほど鑑賞し、今日の映像体験はこれで終わりにしようと思っていたら、たまたまつけたテレビでゴア・ヴァービンスキーの旧作に出会う。「子供向き」のイメージがあって、敬遠していたが、全くそうではない。この人の作品は、『ザ・メキシカン』(ノート→2001-03-29)からしか見ていなかったので新鮮だった。『ザ・リング』(同→2002-11-05)ではわからなかったが、『パイレーツ・オブ・カリビアン』(同→2003-07-24)で存分に発揮されたブラックユーモアとスラプスティックの鋭いセンスが、それ以上に刺激的に表現されている。1匹のネズミに翻弄される、金持ちの御曹司の兄弟は、バカなことをやるすべての者にアレゴライズできる。
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■2005年 08月 11日
●『ランド・オブ・プレンティ』を見た
アメリカのレヴューでけっこうきつい評価が出ていたのでどうなのかと思っていたら、傑作であるばかりか、アメリカに対してこれほど暖かい映画は少ないのではないかと思わせるような作品だった。ただし、この「アメリカ」は、国家としてのアメリカではなく、ましてブッシュの一党がクーデターしたアメリカ国家ではない。「わたしのホームは国ではなく、人々だ」というセリフが出てくるが、まさにさまざまな人々のいる場としてのアメリカである。迷わず推薦できる一作。
終わって大江戸線で六本木から新宿へ。家路へ帰る人とは逆の方向へ。
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■2005年 08月 10日
●『釣りバカ日誌16』を見た
盛況であったが、なぜか老人が多かった。映画が後半にさしかかったころ、突然、どかからともなく「サロンパス」の臭い。肩が張ってスプレーしたのかもしれないが、わたしにはガス「テロ」に感じられた。臭いは、ガーンと気分を変える力をもっているからね。
映画は、いつもよりも「バカ」さ加減が強い。毎回その時代の空気を取り入れるパターンだから、佐世保と米国海軍を出したのには今日的意味があるのかもしれないが、騒ぎ過ぎでそういう要素は吹っ飛んでしまった。映画出演が久しぶりの尾崎紀世彦が、なかなかしぶい味の父親を演じていた。
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■2005年 08月 09日
●『容疑者 室井慎次』を見た
「造反有理」の時代が終わり、「造反無理」で「訴訟有理」の時代に突入しつつあるいまの日本の空気をたくみにつかんでいる。映画では「訴訟有理」の法律オタク弁護士は最期に敗北するが、映画の外の状況はなんでも訴訟、訴訟である。先週の記者会見で挨拶を求められた田中麗奈が、いきなり涙し、つまってしまった理由がわかった。それは、彼女が自分でも「これだ!」と思える演技をし、そのシーンを思い出したのだろう。
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■2005年 08月 08日
●『風の前奏曲』を見た
木琴に似たタイの伝統的な楽器「ラナート」の奏者の話。タイと名前が変わる以前の「シャム王朝」時代へのノスタルジアでもあるが、「巨匠」ナロンリット・トーサガー(主人公の宿敵役)のすごい演奏を見るだけでもわるくない。
終わって、半蔵門の東宝東和会館から、気の向くまま坂を下ったら、靖国神社のまえに出てしまった。こんちくしょう。素通りし、市ヶ谷駅へ。
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■2005年 08月 07日
●7月分の書き残したシネマノートを2本書いた
原稿にそえる写真をビデオからキャプチャーしていて朝になってしまった。少し眠ったが、すぐに夕方になり、亀戸まで寿司を食べに行く。「づけ」が基本で手のかかるいい仕事をしているが、今日はちょっと味が濃すぎた。気候が暑いのでそうしたのだろう。銘柄をおぼえないので、ただ「辛口を」と言ったら、けっこう甘いのが出た。なんかタイミングがよくない。
帰りの電車のなかで正体なく眠ってしまい、寝不足は吹き飛ぶ。夜中までに、放置しておいた『有限会社ひきもどし』と『チャーリーとチョコレート工場』のノートを書く。
また地震で、今年は大きなのが来そうな予感。そうか、小泉はそれをあてにしているのか。
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■2005年 08月 06日
●『荒野のストレンジャー』(DVD)を見て靖国と広島・長崎を思う
朝方ベットに入るまえに眠り薬りのつもりでさんざん見古した作品 を見る。が、この日は普段とはちがう思いが浮かび、最期まで見てしまう。西部劇にも「御霊(ごりょう)信仰」のようなものがあるらしい。ならず者集団に鞭でなぶり殺しにされた保安官の墓碑には名が書かれていなかった。墓碑銘のない死者は安らぐことができないという。その保安官(の霊)が町にあらわれ、そのならず者たちに復讐する。靖国は、戦争で(どのみち)非業の死をとげた者たちをとむらうための「御霊信仰」の場所だ。が、靖国は墓地ではない。墓地だとしたら「墓碑銘のない墓地」である。ということは、ここにまつられている霊は、この映画の「流れ者」のように忽然と姿をあらわして復讐を行使するかもしれない。映画のなかの復讐劇はスカっとさせるかもしれないが、復讐という名の戦争のあとには死屍累々の荒野がのこるだけ。まして、原爆の死者の無念さは復讐や儀式的な追悼でははらされない。
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■2005年 08月 05日
●『愛をつづる詩』を見た
午前3時ごろまで逡巡したが、書きはじめたら恍惚のノリで6時には原稿を完成。少し眠って、夕方、六本木へ試写を見に行く。10月公開のための「内覧」なので、少し早すぎるが、サリー・ポッターの監督作品には興味があったので、見た。う~ん。わたし自身のなかでも評価がわかれそうな作品。わたしとは階級のちがう白人女性と、少しはわたしとも接点がなくもないアラブ人との愛の物語だが、個を描くよりも、白人対非キリスト教徒との関係のメタファーとして描いているところがインテレクチュアル。それが、掃除婦の女性の目で相対化されてもいるのだが、よくもわるくも「知的」すぎる。
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■2005年 08月 04日
●原稿三昧(の予定)
6000字ほどの原稿の締め切りがとうに過ぎたが、なかなかその気分にならない。今日はそのぎりぎりのぎりぎりらしいので、試写を自粛し、専念しようと決心したが、いざコンピュータのまえにすわると別のことをしてしまう。サーバー管理やプログラミングに手を出したら最期だから、それはしかと自粛するが、つまらぬ片付け仕事をしたりする。そのうち冷蔵庫からビールを出して飲んだりして、時間がどんどんたっていく。書くのは嫌いではないので、書き始めると、文字通り「三昧」の境地に遊べるのだが、そこにいたるまでがやっかいなのだ。「シネマノート」でも、7月に見て気に入った作品なのにまだ書ききれていないのがある。
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■2005年 08月 03日
●『真夜中のピアニスト』を見た
父親の関係で不動産業会社で働く28歳の青年が、亡き母から受け継いだピアノの才能をもう一度開かせようとする。家賃を滞納した借り手(多くは難民的な外来者)を暴力的に追い出すような仕事への疑問。中国人ピアニストとの出会い。ロシアマフィアと父親のトラブル。フィルムノワール風のタッチで甘さをおさえ、最期にちらりとロマンを味あわせるが、辛口の味は失わない。多民族的なフランス社会のリアリティが基底にある。フランス映画らしい感触。20代の終わりから30代にかけての過渡期の「ビルドゥングスロマン」でもある。
anarchyウエブサイトの技術問題、ほぼ解決したが、調べてみたら、何と3481もリンクが張られているのだった。なお、この「シネマノート」も1481のリンクが張られている。
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■2005年 08月 02日
●『ランド・オブ・ザ・デッド』を見た
ゾンビ映画の真打ジョージ・ロメオの新作。ゾンビが少し「進化」して「人間」にもどり、人間のほうがますます「ゾンビ」化するという設定が皮肉。ゾンビを逃れた「安全地帯」を作っても、それは、超階級化/ゲットー化を生み、ゾンビの攻撃によってよりも内部の抗争によって混乱が深まる。これは、武装によってしか「安全」を維持できない(と思っている)アメリカへの揶揄。それほど大掛かりな作品ではないが、なかなか面白い。
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■2005年 08月 01日
●『奥様は魔女』を見た
才人ノーラ・エフロンの新作。1960~70年代に流行った同名のテレビドラマを下敷きに小イキな作品に仕上げる。フツーでない環境で育った魔女がフツーを願望し、フツーの「アメリカ女」になろうとする。これは、軽いコメディーの体裁を取りながら、いまの時代へのエフロンのおし隠した批判にもなっている。ブッシュに代表されるアメリカはフツーでない者を排除するからだ。エフロンは、往年のウディ・アレンを思わせるユーモアの味を出すようになった。夜、赤坂でイタリア料理。
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