「シネマノート」  「雑日記」


2006年 05月 31日

●検察と世論の目線

成田に着き、電車のホームでキオスクを見回したら、いや、記憶があやしいので、電車に乗って中吊り広告でか・・「村上逮捕近い」といった文字を見た。村上とは、言わずと知れた村上ファンドの村上世彰氏のことだ。
この間、氏の「世間的」な評判は落下の一途をたどってきた。ここで言う「世間」というのは、半分以上はマスコミが創造する気分のようなもののことである。
「株主価値を上げる」と宣言し、株の売買をドラマティックに展開する村上のやり方は、アメリカ的な視点から見ると、投資ファンドとしては「あたりまえ」のように見える。しかし、阪神・阪急問題にからんで、星野仙一が、「村上は何で捕まらないんだ」とテレビで放言していた。つまり、村上世彰=悪い奴というイメージが、この間に日本の社会的気分になりつつあるのだ。この分では、本当に村上の逮捕は近いのだろう。
そういえば、佐藤優は、『国家の罠』のなかで、「検察は基本的に世論の目線で動く。小泉政権誕生後の世論はワイドショーと週刊誌で動くので、このレベルの『正義』を実現することが検察にとっては死活的に重要になる」と言っていた。鋭い。
が、ということは、日本の検察は、ある種の国家宗教的な機関であって、近代国家的な「正義」とは無関係ということになる。これでも、鈴木孝夫さん、日本人が日本を愛せなくても、仕方がないんじゃないですかねぇ。


2006年 05月 30日

●内的独白の空間としての機内

【トロント→成田】
その昔、ニューヨークで知り合ったウルフ・ハイデブラントが、ゼミに遊びに来ないかというので行っていたとき、学生たちに向かって、「来週は会議で休みになるので、その分の授業料は返却します」というのを聞いた。休講というと大喜びする日本の学生に慣れていたわたしには驚きだった。
そんな記憶がいつもどこかにあるのか、わたしは、いま、休講はほとんどしない。教授会には意固地になって出ないが、講義やゼミは意固地になってもやる。まあ、やりたいからやるということなのだが、今回も、木曜のゼミと講義に合わせて、帰ってくることにした。時差のため、1日損をする。今日トロントを出ても、着くのは、31日夕方だ。
空港で『ターミナル』の主人公のように人工的なノマド生活をするのが嫌いではないわたしは、いつも、けっこう早く空港に行く。この日も、7時に近くのホテルでいつもよりはおしゃれな朝食を食べ、少し散歩して、タクシーで空港に向かった。
トロントは、外見では、えらく景気がよさそうだ。新しいビルが建ち、いまもどんどん建つ気配である。でも、と帰りの飛行機で隣の席にいたトロント大学の日本人留学生は、「トロントよりニューヨークで仕事がしたい」と言った。この人は、日本の大学を出たあと、独力で金をため、トロント大に留学したという。日本の大学にいたときから、留学を考えていたというから、しっかりしている。いま、わたしのゼミにいる学生で、そんな確たる目的を持っている者が何人いるだろう。先日の自己紹介で見るかぎり、そんな人は皆無だった。
今回、なぜか、行きも帰りも、隣の席の人と話をすることになったが、近年は、機内では、瞑想にふけりつづけることが多い。色々な文章が浮かんできて、それをそのまま録字してくれたら、面白い小説やエッセーが出来るだろうと思うくらい、色々な文章も内的独白のように浮かんでくる。
先日、512日間東京拘置所に拘留された佐藤優氏の『国家の罠』(新潮社)を読んで思ったが、外から見ると「孤独」と「孤立」のように見える状況に耐えることの出来る人というのは、内部でいくつもの「人格」が対話や葛藤を続けており、淋しいなどという寂寥感には襲われないのだろう。言うなれば、心のなかでパーティをやれるかどうかの問題だ。わたしは、拘置所や刑務所ではどうかはわからないが、心のなかではいつもパーティたけなわだ。


2006年 05月 29日

●送信機ワークショップ

【トロント】
ワークショップの道具と部品をつめたバッグを持って地下鉄の駅に行ったら、シャッターが閉まっていた。タクシーに乗ろうと思ったが、まだ8時すぎで、ワークショップ開始の9時には大分時間があるので、歩いて行く。Ryerson大学についてわかったのは、地下鉄のストがあり、地下鉄は動いていないということだった。
教室のような場所で準備を始めたら、Darrenが、小さなテレビとDVDプレイヤーを持ってきた。え、これ?! わたしは、送信機を作るワークショップに、なぜそんなことをするのかという話とこれまでのマイクロラジオ活動の経緯をDVDで見せるレクチャー的な時間を加えたいとあらかじめ知らせておいた。しかし、彼は、10人限定の少人数なのだから、これで十分と思ったらしい。とたんに、わたしのなかでやる気が失せていく。この感じ、わかる人にはわかると思うが、こういうのって、本当に気力を減衰させられるのだ。
でも、しかたがないかと思い、とにかく、映るかどうかだけは確かめないとと、作ってきたDVDをプレイヤーに装填した。ちゃんとチャプターが映り、まあ、これでやるかと思い、チャプターを選ぼうとしたら、リモコンがない。「リモコンは?」とDarrenに訊くと、「家に忘れてきてしまった」という。え~!? そんなレベルの準備なの?!と急に腹が立ってきた。「これは、この日のために用意したドキュメントなんですよ」というわたしの強い口調に、彼は、あわて、どこかへ消えた。
結局、大学と話がついたとのことで、会場を昨日の大ホールに移すことになる。そこなら、大きなスクリーンとAV装置が完備しているからだ。最初からそこにすればよかったのだが、正式には、昨日までしか借りていなかったらしい。
昼食をはさんで午前と午後との2回行なった送信機ワークショップは、何度もやってきたことで、わたしには新鮮味がなかったが、参加者は、それぞれ異なるので、それなりの面白さは味わえる。Anna Flitzが、「こういうのを作ったの」と送信機を見せた。彼女は、金曜の晩にはヨーゼフ・ボイス風(?)のパフォーマンスをやり、その後のセッションでも必ず質問に立つという目立ちたがりやの女性。
見ると、それは、わたしが10年まえにInter/Accessでやったワークショップのときのモデルとそっくりだ。が、彼女が持っているのは、Rob Kozinukのワークショップで作ったもの。すでにわたしも聞いていたし、ロブ自身からも知らされていたが、彼は、1992年にわたしがWestern Frontでやった送信機ワークショップに参加して以来、すっかりそれにはまってしまい、以後、身なりを女装に変え(これはわたしの影響ではない)、送信機ワークショップをやっているという。(この話は、以下のサイトに詳しく書かれていることを知った)。
わたしの方は、10数年まえとはずいぶん回路を変え、コンセプトも替えているのだが、プロトタイプを守り続けている人物がいるというのは、驚きだ。しかしですねぇ、インターネットの時代、マイクロテクノロジーの時代には、1マイル四方飛ぶ送信機(Kozinukのはそれ)でも「大きすぎる」というわたしのいまのコンセプトも理解してほしいものだ。
http://www.peak.sfu.ca/the-peak/2005-1/issue6/fe-pirate.html


2006年 05月 28日

●未来のラジオ

【トロント】
土地勘がついたので、午前8時すぎ、ホテルから歩いてRyerson大学の会場へ。昨夜はホテルの地下にあるクラブスペースだったが、今日は、大スクリーンと照明装置のあるイヴェントホール。
9時からJoe Multisの「Radio, networks, ether art」というセッションが始まる。これは、本人がネットで登場し、延々としゃべるネット「講演」。ときどきスクリーンに顔が映る。ストリーミングで送っているのだ。が、そのうち、会場にラジオが配られ、ノイズ音が流れ始めた。わたしが受け取ったラジオは、ヘッドフォン端子から2個のスピーカーがついており、すのスピーカーにプラスチックの円筒がホーンのようについている。
そこで、わたしは、その2つのスピーカーを持って、方向を変えたり、両方を近づけたりしてみる。流れてくる音の具合で、なかなか面白い音になる。会場のいくつかにそういう音場ができるのが面白い。
午後のセッションでは、Kathyが、「あなたのあどだと精彩を欠くおそれがあるから」といい、先にやらせてくれと言い、それに従う。わたしとしては、インターミッションでセッティングし、機材を安定させてプレゼンに臨みたかったが、そう言われてはしかたがない。が、案の定、彼女のプレゼン(これまでやってきたことの紹介)のあと、コンピュータをモニターを接続するとき、トラぶった。
放送だから、もたもたで音が途切れるのはまずいらしく、Darrenが「機材のセッティングをしているのでしばらくお待ちください」というようなことをマイクに向かって言っている。なら、わたしもラジオらしくしようと、なぜもたついているかを近くのマイクに向かってしゃべりながら、セッティングを急ぐ。「このコンピュータ(SONY VAIO-U1)は、小さくて軽いのが取り柄ですが、パワーがなく、プロジェクターによって、ファイルの出方がえらく遅れたりするのです・・・」。
リブートしたら、何とか動きだしたので、アクセントをつけようと、最初に、以前、カールステン・ニコライとカイ・グレーンの要請で作った「2099年へのメッセージ」ファイルを再生する。自分は、2099年の「いま」わたしは「108歳」で、身体にさまざまな装置をつけてサイボーグ状態で生きている・・・という皮肉なメッセージである。
まあ、これが受けて、すんなりと本題の「自由ラジオからミニFMをへてラジオアートへ」というプレゼンに進んだ。それは、すべて新鮮に受けとめられたが、ヨーロッパとくらべると、観客の反応がイマイチという印象を受けた。
終わって、バタバタとテーブルがセットされ、さあそこに座って、ということになったので、目を白黒させていると、少し時間が押したので、インターミッションなしで、次の「未来のラジオ」のセッションへ行くという。これは、パネルディスカッションで、出演は、わたしのほかには、CBSのプロデューさのNeil Sandell、Ryerson大学の学生でさまざまなメディア活動をしているというCharlotte Scottで、 司会は、ロンドンのレゾナンスFMの創立に関わったというサウンドアーティストのMagz Hall。
しかし、デジタルラジオや5.1サラウンドなどの最近流行のラジオテクノロジーを使って何するかにするという彼や彼女らの話を聞いているうちに、腹が立ってきて、「今日のテーマは、〈ラジオの未来〉じゃなくて、〈未来のラジオ〉でしょう?」と混ぜ返してしまう。
それならば、新しいテクノロジーが出ても、依然つづいている「テクニッシャンとアーティストとの分業体制」、「〈送り手〉と〈受け手〉の分割」、「どのみち〈キャスト〉でしかないラジオ」等々をどう超えるか、ネットラジオに見られるような「地理性をこえたコミュニティ」の出現などを問題にしなければどうしようもない。だんだん話しがエスカレートし、未来の「ラジオ」は、radioという概念をradiationにまで拡大して考え、宇宙の電磁波からICタグや脳はまでをも含めて考えないとダメなのではないか・・・と主張する。
おそらく、パネルの人たちには顰蹙ものだったろうが、観客には受けた。終わってからNadeneとDarrenがかけよってきて、「よかった、来年も必ず来てください」と言ったから、そう悪くはなかったと思う。これが、日本だと、解釈が難しいのだが、カナダやアメリカの人は、こういうとき、「慇懃無礼」なことは言わない。


2006年 05月 27日

●放送としてのフェスティヴァル

【トロント】
Deep Wirelessは、パフォーマンス公演、コンフェランス風の会議、ワークショップから成っている。毎年開かれ、今年が4回目である。
テーマは、サウンドアートやラジオアートなのだが、ヨーロッパでわたしが経験したこの種のフェスティヴァルにくらべると、エレクトロニックスへの依存度が低い。ラジオアートといっても、送信機を使ったものは、ほとんどない。
が、その代わり、昨日もそうだったが、フェスティバルのすべての過程を全部ブッ通しでネット放送するところがユニークだ。放送は、「トランスミッション・アート」をテーマにしているのでは有名なfree103point9が行なった。会議もパフォーマンスも、放送するということに従属して行なわれ、すべてが「トランスミッション・アート」化される。
午前中は、ロンドンから来たMaagz Hallが「ラジオ・アート」とは何かを、free103point9のMatt MikasらがミニFMから始まった彼等の活動を編年的に紹介した。
昼は、例によって、別室の大きなテーブルにサンドウィッチや飲みものが盛大に並び、みなが歓談しながら、すごす。
午後から、Andora McCartenyのサウンドスケープ・ワークショップがあり、録音機を持って、参加者たちが道の向かい側の公園(?)に行った。こちらは、若干「宗教」がかった要素があり、わたしはパスした。
早めにホテルに帰って、明日の準備をする。明日は、わたし自身のプレゼンのあと、トークにも参加しなければならない。
今回、プレゼンでは、HTML形式を使い、そのなかで、marqueeタグを使って文字を表示しようと計画した。これは、かつてはInternetExploreでしか動かなかったが、最近はそうでもないことを知った。試してみたら、Firefoxでも大丈夫だった。(いかし、これがあとで裏目に出る)。
このごろ、プレゼンに関しては、現地に着いてから準備することが多い。ネット環境が充実してきたので、必要なデータを取る場合でも、簡単だし、常用しているコンピュータのデータを全部HDにコピーしてくるので、それが可能なのだ。
しかし、問題は、手持ちのコンピュータだ。軽いので手放さないVAIO-U1は、パワー不足でいらいらする。が、軽さには勝てないので、いまだにこれを使って行なう。この遅いマシーンを生かすために、色々な工夫をした。プレイヤーや内蔵のHDに入れたDVDデータはぷつぷつ途切れるが、このデータを外部HDに入れ、それをiLinkでつないでやると、まあまあ使える。


2006年 05月 26日

●トロントへ、そしてトロントで

【成田→トロント】
午後の便でトロントへ向かう。機内の隣の席の男が、「この席はいいねぇ」と話しかけてきた。「この席」というのは、非常口のそばの脚を伸ばせる席のことだ。この席を取れるかどうかは、チェックイン・カウンターでのちょっとしたコミュニケーションで決まる。この日は幸い、すんなりと取れた。その男も、旅慣れており、今回は、2日東京に滞在しただけで、モントリオールに帰るという。
せっかくリラックスできる席なので、ジン・トニックをもらって、すぐに眠りにつく。が、しばらくして、「異状」な明るさに目を覚ますと、隣の男がMacBookで仕事をしているのだった。ちらりと見えた画面は、MRIのシミュレーションソフト。ということは、この人は「ラディオロジスト」なのか? そういえば、飛行機が離陸するとき、耳に装着したのは、MRIのチェンバーで患者が着けるノイズキャンセラーのように見える。
で、食事の時間になって、世間話が始まり、「ひょっとしていまのは、IMI?」と訊くと、やはりそうで、彼は、MRIのソフトウェアーを作っている会社のプレジデントなのだった。面白かったのは、脳の部位のマッピングの話で、マイクロな送信機をいくつも並べて、そこに手を近づけ、リアクタンスを変えるわたしのパフォーマンスが、MRIの原理と一脈通じるところがあることがわかったことだった。
前述のノイズキャンセラーは、患者用のものだったが、掛けさせてもらうと、飛行機の振動が全く消え、しかも、いきなり呼びかけたときは、ちゃんと聞えるのだった。センサーが音の選別をするらしい。
【トロント】
日本からトロントに来ると、時差の関係で、1日得をする。カナダは、まだアメリカのような狂った検問はなく、すんなりと外へ。約束とおり、J君が迎えに来てくれ、ホテルに直行。30分待ってもらい、着替えをして、また彼の車でKing Street WestのDrake Hotelへ。車中から見える風景が、だんだんボヘミアン風になった。このホテルの周辺は、いまアーティストたちが好んで住む場所になっているらしい。ご多分にもれず、このホテルも、いまのオーナーが2001年に改造するまでは、売春婦やドラッグの売人だらけのスラムだったらしい。
すでにオープニングが始まっており、主催者のNadeneやDarrenに会い、あとはビールを飲みながら、Deep Wireless 2006フェスティヴァルの面々と話す。
日本に何度も来たことがあるというTrever Wishartの5.1サラウンド・システムを使ったボイスパフォーマンスは、浪花節、文楽、謡曲等々が入り混じった「唸り」で構成されていた。そういうパフォーマンスがあったのち、インターミッションで交流が行なわれるという形式。わたしは、明日、いっしょにセッションを組むKathy Kennedyのパフォーマンスを見て、そこを辞すことにした。
http://www.naisa.ca/RWB/


2006年 05月 25日

●専任教師はもういらない

いま、コンピュータを立ち上げて、モニターをまえにして、大学の授業なみの学習をすることは可能である。リモート・エデュケーション(遠隔教育)のプログラムもたくさんあるが、そんなものに金を払って契約しなくても、いまや、ネットは、知の宝庫である。
しかし、学校は、フェイス・トゥー・フェイスの場なのだから、単に知識を身につけるだけでなく、エモーショナルな刺激や触発の場であるべきだ――というのが、わたしの年来の学校観だった。
だが――である。フェイス・トゥー・フェイスの関係になっても、相手を生身の人間と思わないような感覚が習慣化してきたときには、そういう考えを改めなければならない。むろん、全員が、そして四六時中そういう状態だとは言わない。が、そういう傾向が目立ってきたとき、学校=フェイス・トゥー・フェイスの場という考えは成り立たない。
とはいえ、学校が、ネットのようなヴァーチャル(ほかでも書いたが、これは、「仮想の」という意味ではなく、「手段は違が、実質的に同じ」という意味)な場ではなく、あくまでフェイス・トゥー・フェイスの身体的な場だとするならば、身体を刺激するような場にしないかぎり、学校の存在意義はない。
その点で、慣れきった教員・学生関係は、もはや、まるで、スクリーンのなかの俳優を見ているより以下の希薄なリアリティに陥っている。では、それをつかの間なりとも乗り切る方法は何か? 一つの方法は、「教師」らしからぬゲストを呼ぶことだと思う。
もう、ゼミであれ、講義であれ、外からの「マレビト」を招き入れなければ、身体がアンドロイド化してしまうようなところに来てしまった。まあ、そんな考えもあって、今日は、ゼミと講義の時間に、映画・音楽評論家の今野雄二氏を招いた。今野さんには、何度も来てもらっているが、彼はいつも、大学の講義とは違う、言うなれば、ラジオ番組のDJ風の軽快なノリを維持しながら、かつそこいらの大学教授の足元にも及ばない知的レベルの高い講義をしてくれる。ちなみに、この日、あとで学生の感想を聞いたら、わたしなどいらないかのような、今野雄二礼讃が大半だった。


2006年 05月 24日

●『初恋』にあぶれて

相性の悪い映画というものがある。試写に行きたいと思うのだが、その日時が毎回こちらにとって都合の悪い日ばかりなのである。『初恋』は、内覧のときから案内をもらっていたし、関心のある映画だったが、不運なタイミングでずるずると日がたった。今日はもう最後の試写に近いので、ちょっと微妙な状態に陥っている準備仕事をままよと放擲して地下鉄に飛び乗った。
30分まえについたが、「いま席を確認しているので、お待ちください」とか言われて、列をつくらされた。わたしのまえは3人ぐらいだったので、大丈夫なのかと思って待った。そのうち、列は長くなり、最初から「満員」ですと断られ、帰っていく人の姿も見るようになった。なら、わしらは大丈夫なんだ、と思いながら、ひたすら待った。
ところがだ。上映の時間がまじかになってから、会社の人が、「ご説明があります」というスピーチを始めた。わたしのすぐそばだったので、「入れないってことですか?」と訊くと、「ええ」と元気がない。座席の状況なんて、見回せばわかるのだから、時間いっぱい待たせる手はない。最初に見極めてくれれば、タクシーを飛ばして他の試写に行けたからだ。
こういう場合、たいてい、タレントなんかが電話予約を取っていて、その人が上映まぎわに飛び込んでくる可能性があるので、こういう処置をすることがある。しかし、それにしても、20人ぐらいの列だったから、「団体」で予約が入っていたのだろうか?
とはいえ、めちゃめちゃ忙しいとき、偶然パッと時間が空くのは、幸運である。そのまま仕事場に舞い戻り、放擲した仕事をするのもいいと思ったが、ちょっとビールを飲みたくなり、通りがかりのインド料理屋に入る。まだ夕食には早すぎるので、料理をテイクアウトすることにする。今夜は根をつめないとと思っているのだが、昨日見た『マッチポイント』のウディ・アレンによると、人生は運だそうだから、どうなるか。


2006年 05月 23日

●心配事をおして『マッチポイント』を見た

トロントのラジオの集まりの準備が全然できていない状態で、あれこれメールの返事などを打っていると、植草さんからメール。なんと、ゲストシリーズにご来校をお願いしていた木村威夫氏が体調不良で無理という。先日も、88歳の映画現役世界最高齢だからねぇなどと話していたのだったが、これは大変。
パフォーマンス系、音楽系で急場に強い知り合いはかなりいるのだが、映画で予定されていた枠だから、やはり映画でと思い、逡巡のすえ6月30日に出演をお願いしている納富貴久男氏に泣きつく。ゲストに頼んじゃうんだから、ずうずうしいよなぁ。
ウッディ・アレンの新作『マッチポイント』の内覧試写の時間がせまり、ままよと、答えの出ない状態で六本木へ。が、待ち時間に納富さんに電話したら、特殊メイクの織田 尚さんに内諾をとってくれた。さすがは電光石火の納富さん。
アレンが新境地を開いた(要するにマンネリと二番煎じを脱した)というので期待したが、いまひとつ勢いがない。とはいえ、スカーレット・ヨハンソンは、明らかにこれまでの彼女からは想像できなかったキャラクターを演じて猛烈。
「シネマノート」の原稿は完成していないが、その一部の「ノート」は、こんな感じ――「これまでのアレンの映画の多くと決定的に違うのは、ユダヤ的要素が出て来ないこと。プロテスタントの教会での結婚式が2度出てくるように、登場人物たちは、みな非ユダヤ人である。逆に言えば、アレンは、全体をユダヤ人の目から相対化し、冷ややかに見ていると言ってもいい」。
http://anarchy.translocal.jp/TKU/shintai/


2006年 05月 22日

●インターネットメディア論

「インターネット文化論」というのを持たされそうになり、「文化論」はかんべんしてくれませんかと注文を出し、名前を変えてもらった定例の講義。とにかくもう「論」はいいよ。
そこで毎回「論」を異化することをやっている。今日は、ストリーミングのライブ放送を逆手に取る。「教室」に学生が入ると、大きなスクリーンにリアルプレイヤーの画面が映っている。「インターネットメディア論」の文字が見えるが、右下に「LIVE」とある。実は、ちゃんと外部からも見ることのできるストリーミングのライブをやっているのだが、その「放送」は、すぐ隣の部屋からなのだ。「教室」のコンピュータで受けて、スクリーンとPAに流している。
ベルが鳴ると、画面にわたしが登場する。「今日は風邪で出講できない」ことを言い、「遠隔授業」と称し、つまらない講義がはじまる。そして、10分後、まだわたしの映像が映っているスクリーンのまえに生身のわたしが登場する。ストリーミングの2分あまりのディレイ効果で、まだ映像が映っているので、その「被写体」とヴァーチャルな映像とが並存する。唖然とする学生。
電子メディアにだまされるなとか言って、ここでやめてもいいのだが、染み付いた教師根性で、ここから、ヴァーチャル・リアリティの話などに行く。が、ぐたぐた話しても学生が寝てしまうので、近年のCG技術を見せつける映像を少し見せ、そのあとフリーのソフトを使って、「被写体」などなくても簡単に表情たっぷりにおしゃべりをしてみせる映像が出来てしまうことを実演する。
でも、あとで短文の感想を書いてもらったら、「メディアは恐い」というのが50%以上もあった。「恐い」なんて言わないで、「わたしもやってみよう!」という気持ちになってほしかったんですがね。


2006年 05月 19日

●童心にもどるということ

今日のゲストシリーズでは、水嶋一江さんとストリングラフィのグループが来てくれた。糸電話から発展し、会場を大きな「楽器」にしてしまう彼女らの演奏は、聴く者の心を解放する。感想を聞くと、学生たちは、「楽しかった」という言葉を吐く。
インターミッションのとき、廊下で子供がふざけてじゃれあっているような声がしたので、見ると、子供ではなく、大人の学生が3,4人で戯れているのだった。
心が解放されると童心にもどるのか? でも、童心とは、はしゃぐことだけなのか?
2006年 05月 18日

●『タッチ・オブ・スパイス』を見直して

ゼミで『タッチ・オブ・スパイス』の「メインディッシュ」までも見た。この映画については、「シネマノート」で絶賛したことがあるが、今回見ながら、冒頭の、乳房のアップが映り、赤ん坊がくわえようとしているとことへ、ひつつまみの塩と思われるものが乳房の上にふりかけられるシーンが、妙に不思議だった。これが塩なら、この子は、母乳恐怖症になりはしないか? これは、ギリシャかトルコの習慣ないし儀式の一つなのか? 当初見たときは、このしぐさは、主人公が、乳を飲むときから、味覚に敏感にさせるてきたということを示唆するだけかと思ったが、それだけではないような気がした。
「映画文化論」という講義で、先週の話を受けてアメリカと暴力の話をしようとして、映画とは「ムービー」だから「動き」だよねという話になり、バスター・キートンに触れる。どうせなら、わたしの好きな『セブンチャンス』を見せてしまおうと、ビデオを回す。ところが、それに安っぽいピアノの伴奏がついているので、ストップし、手持ちのCDを探したら、ジャングル系のものがあったので、ビデオのサウンドを停めて、このCDをかぶせてみたら、意外にピッたし。こういうときって、不思議なもので、キートンが動きを止めたときにも、ちゃんと合ってしまう。学生は、キートンのことを知らず、「ジャッキー・チェンよりすごいアクション俳優がいたんですね」と。
http://cinemanote.jp/2004-11.html#2004-11-18


2006年 05月 17日

●『紙屋悦子の青春』と『ダ・ヴィンチ・コード』を見た

老人にメイキャップした原田知世と永瀬正敏が延々と退屈な会話を交わすので、これは・・・と思っていたら、ぐいぐいと黒木ワールドに引き込む。主要な舞台となる1945年の民家の内部は、舞台美術監督の木村威夫のこだわりが徹底している。
終わって地下鉄に飛び乗り、マリオンの朝日ホールに行ったら、意外に列は短かった。朝日ホールの「わびしい」スクリーンで見たせいか、『ダ・ヴィンチ・コード』は、小説から表象される世界よりも、ひとまわり規模が小さくなったような気がした。


2006年 05月 16日

●『トリック』を見た

銀座で『トリック』を見て、すこしがっかりしながら、お茶の水のホテルに向う。藤枝晃雄、柏木博両氏との雑誌鼎談。藤枝さんの毒舌に誘導されて、アート界をくさしてしまったが、美術館の「アート」はもう終わったと思っているわたしには、藤枝さんの批判も善良な親心のように聞こえる。


2006年 05月 15日

●The Master of videophone

「インターネットメディア論」という講義では、毎回、技術的な実験か実演を入れることにしている。今週は、インターネット通信の原理を考えるために、ひと昔まえの「テレビ電話」(videophone)を使うことにした。となると、「テレビ電話の巨匠」に登場ねがう必要がある。カナダのハンク・ブルである。彼とは、15年近くも色々なコラボレイションをしたきたが、彼は、インターネット以前に、スロースキャンテレビやテレビ電話を使ってマルチメディア実験をやってきた。
メールをすると、テレビ電話なんて、「地下室の奥深くにしまい込んでしまった」という返事をよこしたが、電話をすると、「いま見つけてきた」とこの日のセッションを快諾してくれた。
ところが、決まってからが大変。テレビ電話は国際電話でやるわけだが、それには大学の許可がいる。教室の内線は、国際電話をかけられないようにしてある。それを変更するには、業社に頼まなければならないが、あいにく「工事中で」と断られる。自分のところの電話を使うのに、いちいち業社に依存しなければならないというのが解せないので、担当部署に文句を言うと、1時間後には解決した。官僚主義とは闘ってみるものである。
電話の声を教室内のPAに流し、大スクリーンにテレビ電話の画面が映る。「既存のテレビやラジオはコミュニケーションとは無縁です。コミュニケーションはワン・ウェイではなくて、つねにツゥー・ウェイだからです」というハンクの声が流れ、わたしがそれを通訳していると、そのあいだに「ピッピロピロピロ」というなつかしい音を出しながら、ヴァンクーヴァーから映像が流れてくる。さすがハンクの手際とタイミングが見事。
ハンクのリモート出演のあと、2台のテレビ電話を無線でつなぎ、WiFiやワイヤレスLANの仕組みを実感させる実演などをする。これは、インターネットの仕組みを知るだけでなく、「送り手/受け手」というコミュニケーション/通信概念がいかにまちがっているか、コミュニケーションは「シンクロ」(同調)や「カプリング」や「レゾナンス」なのだということを知ってもらうためでもある。


2006年 05月 12日

●谷垣健治デーは『マスター・オブ・サンダー』の試写から始まった

谷垣健治さんの第1回監督作品『マスター・オブ・サンダー』の試写の初日が10時にあるので、銀座へ。会場でお会いした谷垣氏が、「粉川さんは厳しいから、今回はおおらかな気持ちで見てください」と言われたので、どうなのかなと思ったら、なかなかの力作なのでびっくりした。いまの若者の感覚をよくつかんでいるし、「鬼門」が開き、攻撃と復讐が常態になってしまった今の時代に何が必要かを示唆しているようなとことまである。
映画のあと、国分寺に直行したが、時間があるので、寿司をつまんだあと、駅で谷垣さんと植草さんを出迎える。今日は、谷垣さんがわたしのゲスト講座に来てくださる日なのだ。
若さ、香港映画で積んだキャリア、アクションをまじえた説得力のあるお話に、学生たちはすっかり魅了され、あっという間に180分がすぎる。インタヴュー・コーナーでの植草さんも、上機嫌で、めずらしい話を引き出してくれる。あとで、一人の学生が、「(この講座の)ゲストの人たちは、みんな大学に入るころには、自分がやりたいことが決まっているんですね」と感慨深げに言う。これは、いま、そうでない学生がいかにたくさんいるかを示唆する。たまたま、わたしのところが、そういう連中の「駆け込み寺」であるにすぎないのかもしれないが。


2006年 05月 11日

●アヴァンギャルドより大衆路線?

今年のゼミは「映画の現象学」という、まるで映画の学校のゼミのような体裁になったが、やっていることは、映像を見て、意見を言い合うといった程度のことである。こちらが驚かされる意見が出ることはめったにないので、いずれ見ようと思って買っておいたDVDやアーティスト自身から謹呈された映像などを上映することが多い。しかし、逆に誰でもが見ているであろう映像を大画面と好音質で見たらどうなるかということに興味があって、今日は、ジョエル・シューマカー/アンドリュー・ロイド・ウェバーの『オペラ座の怪人』を頭から40分ほど見て、議論することにした。しかし、驚いたことに、すでに見ているのは、一人だけで、あとはみな初見なのだった。おかげで、「怪人」という訳はまちがいで、「ファントム=幽霊」であり、この話は、『ファウスト』、『聊斎志異』、『雨月物語』、『怪談牡丹灯篭』に通じ、クリスチーヌはファザコンなのだ・・・といったわたしの「解説」は、暖簾に腕押しだった。が、とはいえ、エンタテインメントのパワー抜群の『オペラ座の怪人』。マニアックな映像より、手ごたえははるかにあった。次週からこの線で行こう。
「映画文化論」という講義では、たまたまこの間に入れ込んで見ることになった『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』を論じる。細かいショットや関係資料(映像・音)をチャプター化し、DVDにしたのだが、90分という時間はあっという間にすぎ、その3分の2ぐらいしか使えなかった。
学生の去った教室で、来週の月曜の講義のための回線テスト。ラトヴィアのリガの友人がストリーミングでつきあってくれるというので、Skypeで連絡を取り合いながら、テストをする。が、あまりかんばしくない。リガでエンコーディングした映像・音をロッテルダムのV2のサーバーに送っているのだが、リガ=ロッテルダム間の回線状態がよくないので、映像がフリーズし、音が途切れる。代案を考えなければならなくなりそう。


2006年 05月 10日

●『さよなら、僕らの夏』と『花よりもなほ』を見た

いじめはどこでも、いつの時代にもあるわけだが、アメリカ映画のなかで近年、いじめ意識が高まっているような気がする。が、問題は、ちょっとした逸脱行為が「テロ」につながる行為として過剰に規制されるのと同じように、まだ「いじめ」とは断定できない行為をそう断定し、過剰ないじめアレルギーを強めているようなところもある。『さよなら、僕らの夏』のドラマは、いじめ慣れしていない子供たちの不幸ともとれる。
『花よりもなほ』は、試写の回数が残り少なくなったこともあり、会場は満席。いずれ詳しく書くが、『誰も知らない』よりももっと「遊び」ながら、それよりもっとスケールの大きな問題をあつかっている。なかなかの作品だと思う。


2006年 05月 09日

●『ライヤー・ケーキ』を見た

渋谷で植草信和さんから谷垣健治さんを紹介され、12日の打ち合わせ。そちらの方は「勢い」でということで相互に安心。以後、ジャッキー・チェンや香港アクション映画の話。成城大での「講義」の記録ビデオを見た植草氏が、「すごいですねぇ」と言いながらビデオを返したので、強引に、「わたしにも」と借り出す。(あとで見たが、実にパフォーマティヴな「講義」だった)。
途中で失礼して地下鉄でソニー試写室へ。『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』や『スナッチ』のプロヂューサー、マシュー・ヴォーンの初監督作品。芸達者な役者を的確に配置し、知的な緊張で最後まで飽きさせない。


2006年 05月 04日

●連休は長編を再見

29日から長期連休に突入したとたん、気がゆるんだのか、風邪をひいてしまった。そんなわけで、まだ試写のあった5月1、2の両日とも、外出を自粛。コンピュータ仕事に疲れると、無意識に、ふだんは見ない長時間のビデオやDVDに手が伸びる。
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』は、その昔、試写で見てコメントを書いたが、それは法外な短縮版だった。ようやく、3時間半あまりのディレクターズ・カットなるものをDVDで見たのが5年まえ。しかし、以後、3時間半の映像を通して見る機会はほとんどなかった。風邪の恩徳。
しかし、見るたびにこの映画の謎は深まるばかり。それが、レオーネの韜晦でそうなっているのではないところが面白い。その意味では、この映画はすごい作品だと思う。
たとえば、オープニング・クレジットからオープニングシーンのあいだ、つまりダーレーン・フリューゲルがアパートに入ってくるシーンで、部屋のなかからかすかに「ゴッド・ブレス・アメリカ」が聞こえてくる。それは、ケイト・スミスが1943年に初めて吹き込んだヒットソングだ。ところが、このシーンは、映画では1933年に設定されている。これは、しばしば、レオーネがレコードの選定をあやまったのだと解釈されて済まされるが、全体をつぶさに見ると、この映画には、このような「謎」がたくさん埋め込まれていて、ミステイクというような解釈では割り切れないのである。そもそも、全体が、アヘンを吸ったヌードルス(デニーロ)の「邯鄲の夢」と解釈することも可能で、夢なら、時間性が「でたらめ」でもかまわない。しかし、それも単純すぎる解釈だ。
今回の再見で一つ発見したのは、「35年」後にヌードルスがニューヨークにもどってくるシーンで、おそらく「サウス・フェリー」と思われる駅の構内でちらりと映る「絵」(ないしは写真)の「謎」だ。それは、一見、アルフレッド・スティーグリッツの写真に見えるのだが、よく見ると違う。
じゃあ、誰の写真か? と思い、ニューヨークの知り合いにその部分をスチルにキャプチャーして送り、問い合わせてみた。みんな、最初は、アルフレッド・スティーグリッツの名を挙げた。しかし、すぐに「待て」というメールが到着。どうも写真ではなさそうだというのである。
一見、時代を象徴するような「よく知られた」絵をさりげなく飾っているようでいて、そうではない。脚本から撮影まで10数年かかっているだけに、ディテールは半端ではないねぇ。