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粉川哲夫の「雑日記」


テロリズムを内包した国家としてのアメリカ (2002/11/27)

最近さっぱりアメリカのことを書かないねと言われる。たしかにそうだ。「アメリカとは一線を画する」ニューヨークについてもあまり書かない。そのかわり、おりにふれて、ネットラジオのほうで、アメリカからの直接の声を流してはいる。

ひとつには、アメリカがつまらなくなったからであり、ひどくなったからである。しかし、ではそれを書けばよいではないかと言われるかもしれないが、そのひどさが、ちょうど、わたしがアメリカへの関心を失い、憎悪さえしていた1960年代と同じ程度にひどくなり、とてもそのためにエネルギーをついやす気が起きなくなっているからである。

それに、こうした動向は、すでに1980年代に始まっていたことであって、それが止められなかったのはなぜかということには関心があるが、この動向自体は驚きではない。すでにわたしは、『図書新聞』の1986年8月16日号で、レーガン政権によるリビア攻撃に関して、「テロリズムは、遅くとも一九七三年の第四次中東戦争以来、『国家テロリズム』への道を邁進して来た。テロリズムは、むしろアメリカにとって好都合な外交手段になりはじめた。」と書いている。

しかし、批評活動というのは、同じことでも飽きずにくり返し語り、暴露し、分析し、世に知らしめる実践なのだから、わたしは、いま批評家を失格しているのにちがいない。その点で、最近読んだ『グラウンド・ゼロからの出発』(光文社)のダグラス・ラミスは偉大である。彼が、大学と東京に見切りをつけ、沖縄に移住してしまったのも敬服にあたいする。

10分の1だけサイボーグになる記 (2001/11/01)

眼の手術をした話をそのプロセスを記録した映像とともに報告しようと思った。が、それから10カ月近くたつのに一向に記録を載せないのは、理由がある。この話を知人にしたら、わたしよりもっと深刻な手術をした彼が、「そういうのは不謹慎だし、病人や被治療者の気持ちを逆なでする」という注意を受けた。自分の体とはいえ、それはすでにつねに社会化されているわけだから、たしかに、それは、身体へのある種の陵辱かもしれない。そういう権利は、その身体の「持ち主」にもないのかもしれない。というわけで、この報告は、やめることにする。(2002-09-09)

8月15日に思う (2001/08/15)

今日は終戦記念日だ。「終戦」と言ったら「敗戦」ですよと苦言を呈されたことがあるが、戦争を勝敗という観点から問題にするのは、戦争遂行者にとってであって、戦争など徹底的に避けて行こうと思っている者には、勝敗などどうでもいい。戦争に不本意にまきこまれる者にとっては、戦争が起こされたことと、それがとりあえず終わったことだけが問題になりうる。
終戦は喜ぶべきことだし、終戦記念日は祝うべき日であるはずだが、この日に日本の各地で祝いの宴が開かれるという話は聞かない。逆に、黙祷や祈りを戦死者にささげるという「おごそかな」儀式や儀礼がくりかえされてきた。その雰囲気は、依然、「敗戦」を伝える「玉音放送」を聴いて泣き崩れた涙の流れのなかにあり、解放の喜びをかみしめるたぐいのものではない。
わたしの場合、8月15日は、毎年、祝いの日であった。「おめでとう」という言葉を聞かない年はなかった。というのも、この日がわたしの誕生日だったからである。
面白いことに、わたしの近親者の父も同じ日の生まれだった。が、彼は、終戦の年、中国東北部旧牡丹江省でソ連軍の急襲を受けて「戦死」した(戦後9年たって、「戦死」として整理された)。あと4日たてば彼の誕生日であった。そのため、彼の遺族にとっては、1945年をさかいにして、8月15日の意味が変わる。それは、解放を祝う日でないだけでなく、それまでの家族の祝いが奪われた日となった。
死者は、どのみち誕生日を祝うことを奪われるが、戦死者は、それが人為的に奪われる。寿命、天命をまっとうした者の場合、生の諸条件を奪われることにかわりがないとしても、本人も遺族も剥奪の無念さをやりくりすることはできる。だが、人為的に殺害された戦死者にとって、剥奪の無念さは、死者本人だけでなく、その遺族のなかにより強く根を張る。 戦争は大量殺人を合法化し、それがあたかも「自然」過程であったかのごとくよそおう。死者をとむらい、まつることは、残された無念さに決着をつける事後処置的韜晦である。それは、遺族の観念よりも感性にうったえなければならないから、遺族たちが依拠する原信仰を参照せざるをえない。
ところが、日清日露以後の近代戦を遂行した国家体制は、そうした原信仰の参照を組織的に合理化しようとした。全国各地から動員され、戦死した兵士は、やっかいな原信仰に依拠していた。というのも、それは、彼らの出身地、祖先の土地、故郷と密接な関係を持っていたからである。そうしたそれぞれ異なる場所との関係を無視して「とむらえる」方法の発明、それが近代戦を「円滑」に推進する者たちに課せられた課題だった。が、実行されたのは、日本でそれまで(そしていまも)脈々とつづいている原信仰を姑息なやり方で単純化する安易な処置であった。
ここで言う「原信仰」とは、フッサールの「原信憑[ウアドクサ]」を拡大したものであり、われわれが、個々に身体のなかで無意識につかんでいる――つかんでしまっている――イデオシンクラシー、癖、思い込み、慣習、型等々のことである。それは、歴史が変わっても一朝一夕には変わらないし、原信仰を無視した無理な社会変革は、必ずその復讐を受ける。 日本人(人種ではなく、日本という場所に生まれ、日本語をしゃべり、育った者)の原信仰は、場所への執着である。それは、代々継承されることによって祖先崇拝(民俗学で言う「祖霊崇拝」)となる。先祖代々の土地への執着、先祖の墓のある土地への愛着、郷土愛・・・は、すべてそのヴァリエイションであり、そうした場所性が喪失しつつある現代の日本でつづいている一個建て住宅への執着も、屈折した形でこの流れを引き継いでいる。また、海外生活者が、永住権はとっても、日本国籍を捨てようとしないよく知られた傾向も、このことと関係がある。
神道、仏教、キリスト教、その他の日本に根づいた宗教は、すべてこの土地信仰とおりあいをつけることによって定着できた。さもなければ、日本では、何も根づくことができない。このことは、自我とその超観念化された「魂」への執着を原信仰とする海外の諸宗教とは決定的に異なる。
日本の政治体制のプロトタイプをなす天皇制は、こうした祖霊信仰的原信仰をたくみに利用することによって根をはることができた。地域地域に拠点を持つ「社」を天皇が「遊行」してネットワークしていくこと(折口信夫の「たまふり」)、天皇が各地をまわって地の魂を自分の身体に入れていくことによって天皇は「みこともち」になり、「社」は「神社」となる。神社とは、天皇によってネットワーク化された土地・祖霊信仰の拠点である。
しかしながら、近代戦の拡大のなかで作られた靖国神社は、こうした本来の神社とは異なる、極度に合理化されたシステムであることに注意する必要がある。靖国神社は氏子を持たない。つまり土地・祖霊との関係を無視する。そこに「まつられ」ている「霊」は、その意味では「地迷って」いるのであり、帰るべき故郷から剥奪されている。だから、靖国にまつられている大半の死者は、その故郷に墓を持ち、靖国には、靖国側が言う「霊」や「魂」をあずけているにすぎない。
そのよそおいに反して、靖国神社は、極度にヘーゲル主義的なシステムであり、土地や祖霊よりも「魂」への執着を原信仰としている。が、そのような原信仰は日本では希薄なために靖国はつねに乖離と矛盾をはらまざるをえなかった。靖国神社が、戦死者を「とむらう」場所として論理矛盾を起こさないのは、全国各地の祖霊をその身に常住的に含み込んだフルタイムの「みこともち」としての天皇がそこに常駐するかぎりにおいてである。事実、国家神道は、天皇をそのような存在として規定し、天皇の自我を靖国神社という場に直結する絶対神とみなした。
しかし、天皇は、伝統的にも事実的にも、ネットワーカであって神=超自我ではない。靖国神社が一宗教法人となって以後、天皇裕仁・明仁が靖国参拝を行なわないのは、それが単に「英霊」をまつる神社であるからだけではなく、天皇の本来の機能とは異なる場所であるからだ、と解釈する必要がある。氏子を持たない神社に天皇が行く必要はないのである。このような異論は、本来、天皇家や神社の側から出されるべきだが、靖国が問題になるときも、このような批判が出ることがないのは不思議である。 毎年、8月15日が近づくと、閣僚の靖国参拝をめぐる議論が再燃する。今年は、小泉首相の参拝の是非をめぐって議論がわいた。小泉は、韓国や中国の批判のまえに、当初の宣言をひるがえし、日をずらすという文字通り姑息なやりかたで参拝を実行したが、靖国の持つ、日本人の原信仰からはずれた側面への意識はもとより、そのよそおいとは裏腹のこうした近代合理主義的な側面を逆手に取って参拝を正当化することもできなかった。
靖国は廃絶されるべきだと思うが、それは、靖国が侵略戦争の象徴であるからではない。そういうものは、他にも多々ある。問題は、それが、神社としても、国家による戦死者のとむらいの技法としても欺瞞にみちているからである。そもそも、戦死者はそれぞれの生を剥奪されたのであり、「合祀」などという十把一からげの方法でいやされるはずがない。まして、そこには、擬制的とはいえ戦死者の祖霊をネットワークするネットワーカーを欠落させた戦後の靖国は、内実ともに形骸化しているからである。
時代は、もはや近代ではなく、脱近代の入口をくぐり つつある。兵士たちが「お国のために」死んだとされる「お国」は、もはや存在しないし、もともと存在しなかった。日本人は、権力階級の観念のなかにしかなかった国家を現実の国家と思い込まされて、その「国のために」働き、殺されたのである。だから、そういう「お国」といまの日本とのあいだに断絶をもうけずに、一億総懺悔的な「反省」の儀式をくりかえしていても意味がない。
もはや近代への固執も前近代への回帰ももはや不可能である。ここでは、前近代から通常惰性的にひきづって来た土地・祖霊に執着する原信仰も、それを観念的に合理化した非場所的な、破産した人工的「原信仰」も、有効性を持たない。一体、いまわれわれの生活のどこに「拠点」(ホーム)があるというのか? ホームはホームページのなかにしかなく、われわれは、基本的にホームレスであというのが現実である。拠点がない以上、それを独占的にネットワークする天皇の機能も意味をなさない。拠点的なものがあるとしても、それは、つねに位置が動的に変化する結節点(ノード)としてでしかない。そしてそれらのノードをたがいに結節するのは、天皇のような独占的な一者ではなく、無数のわれわれ自身にほかならない。
日本ではことされ見えにくい現象だとしても、ホームに執着せず、ホームはサイバースペースにあればよいではないかとする世代が生まれつつある。その原信仰は、場所につなぎとめられる安心感や落ち着きとともにあるようには見えない。むしろ、ボーダーを踏み越える離脱の感覚や経験のなかで、新しい原信仰がつかみとられているように思う。

火吹き (Fire Breathing) (2000/03/27)

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1年半ほど前、野戦の月(旧・風の旅団)の桜井大造にたきつけられて火吹きに魅了された(1998年のデビュー映像)。以後、機会があると火吹きを試みている。先日、宮前正樹・三枝泰之・大榎淳の合同送別会(みんな東京を離れるという)があったが、宮前君の体調が悪いというので、元気づけに火吹きを演った(写真:前田敏行)。火は、電波と似て、どこか力をつけるようなところがあるからである。電波にくらべると、瞬発的で、忘れるのも早いが、一瞬は元気が出る。
ところで、先ほど、ウェブで火吹きについてどんなことが書かれているかを調べてみたら、意外にその危険性を指摘しているものが多いので驚いた。すべてのサイトが、そのやり方について細かな説明をしているにもかかわらず、「絶対に真似をしないこと」といった但し書きをしている。口にオイルを含むので、その毒性(発ガン等)や火傷・火災の危険性も指摘されている。そう言われると、あの室内(ゲートシティホール)で演った火吹きは、相当な危険性をはらんでいたことになる。今後は気をつけよう。