コンピューター化社会の将来
コンピューターの一般的な浸透がいよいよ本格化してきた。以前は会社繁栄のお守り的な性格がなかったともいえなくないコンピューター化されたOA機器も、確実に実用段階に入っている。中規模の印刷所でもコンピューター植字の装置を導入し、実際に使いはじめている。ワープロで打たれた手紙や広告が目立つようになってきたし、対談の速記や学生のレポートにもワープロを使用したものがある。筆圧が強くて原稿を書くのが苦痛だった作家が、ワープロを使ってみてはじめて原稿を書く悦びを知ったという詰も聞かされた。
こうしてみると、コンピューターの浸透というものはよいことずくめであり、コンピューターを使うと創造性を失うとか、労働がコンピューター化されると失業者が増大するとかいうのは、テクノロジーの転換期につきものの時代錯誤的な危惧だったのではないかという思いがしてくるかもしれない。しかし、コンピューター批判というものは、もっと根源的な批判であったはずで、それは単に時代の支配的な潮流に苦言を呈することにとどまるものではなかった。それは、たとえば自動車の進透が六〇年続いた今の時点でようやく顕在化してきたような事態をコンピュータ一に対していまここで考えておくことであり、今後ますます支配的な動向とは別の方途(オルタナティブ)を想定してみることであったはずだ。
昨年のクリスマスの時期にボーナスでパソコンを買う人が少なからずいたらしい。知人や友人からも、子供にせがまれてTVゲームを買いに行ったら、あと三万円出せばパソコンが買えると言われて、四、五万円のパソコンを買ったという話を幾度かきかされた。このパソコンは、本体にキーボードの付いた最も簡単なもので、これを家庭用のテレビに接続すれば、ゲームや情報処理に使うことができる。
TVゲームの代わりにパソコンを買ったという人の言い分は、パソコンの本体を買ってゲーム用のソフトを用意すればTVゲームができるうえに、プログラムレコーダー(普通のカセットレコーダーでもよい)やプリンターを買いたせぱ、これだけでコンピューター操作を家庭で試すことができるというわけである。「とにかく、これだけコンピューターが普及してくると、少しはその使い方を知っとかないとね」と一人の知人は語ったが、こうしたパソコンの購入者の多くは、コンピュターが急速に進透しはじめた最近の状況に何らかのあせりを感じているように思われる。コンピューターの操作技術を知っていないと、社会からとり残される――というよりも職場で落ちこぼれる――という不安がいま人々のあいだで少しずつ深まっているようにみえる。
これは、ひじょうに日本特有の社会現象ではないだろうか? 六〇年代に車が一般化しはじめたときにも似た現象がみられた。人々は、車の免許ぐらいはもっていないとこれからは一人前ではないというので、別に車をもつ予定がない者でもこぞって運転免許の取得のために教習所に通いはじめた。実際に、新入社員を受け入れる会社のなかには、運転免許を持っているか否かを――それが必ずしも必要ではない場合でも――採用する人物の判断基準にするところも出てきた。車の免許をもっていなくてはというあせりは、単に人々の小心さから出てきたものではなく、そのような強迫観念をあおる実際の社会的要素にも由来するわけで、これは、コンピューター習得の強迫観念についても同様である。目木の社会には、たえず未来に不安をいだかせ、未来を何らかの形で先どりしないではいられない要素があるようだ。それは、結局、この国の政治形態から来るものなのであろう。そうした不安と取り越し苦労を惹起させることによって人を効率よく働かせたり、社会を統合したりする政治形態が出来あがっているのであろう。
新しい技術が導入されることによって生じる不安は、その現場だけでたくさんである。『ウォール・ストリート・ジャーナル』(一九八一一年四月二日号)によると、アメリカでは一九八○年にコンピューターの端末機だけ(従ってパソコンやワードプロセッサーは含まない)で約三〇〇万台あったのが、一九八五年までにはその四倍に逃するだろうと予測されているが、現在さまぎまな職場でコンピューターに対する適応不安症が生じているという。職場でコンピューターを使いはじめた人がいだく不安は、使い方を誤ってコンピューターを壊してしまいはしないか、あるいは他の人が入れたプログラムを消去してしまいはしないかというものが多いらしい。コンピューターに適応する早さにも一般に年齢差や性差があり、五十歳以上の人が大抵コンピューターを敬遠しがちなのに対して、三十代以下の人々は比較的早く適応する。が、最も早くコンピューターに順応するのは二十代の女性で、一般に女性は男性ほどコンピューターへの順応に不安をいだかないという。
いずれにしても、この種の不安は、個人的にあるいは組織的に解決可能なものであり、日本でもコンピューターの現場にいる人々は、日々直面しているはずのものである。それはそれなりに深刻な問題をはらんでもいる。ところが、日本ではこのうえに、さしあたりコンピューターとは縁のない人々がコンピューターの浸透に不安をいだく風潮が付け加えられるのだ。実際間題として、いま四、五万円を出して、将来のためと思ってコソピューター操作の練習をしてみても、そんな練習は、本格的にコンピューターが浸透した段階では、あまり役に立たないだろう。最近松下電器から「音声認識パナボイスJM1600」という装置が発売されたが、肉声を聞き取って反応するこのような装置が今後ますます一般化することはきわめて明白である。
この定価二二万円程の装置は、音声と文字・記号とを対応させて記憶させることができ、最大四二秒間の音声入力に対して最大三六桁のアルファベット、数字、記号を組み合わせられる。しかも、入力された数字は、電子的に合成された女性の声で出力することができるので、たとえば人の名前の音声(たとえば「イトー」)とその電話番号とを組み合わせてインプットすると、その人の電話番号を知りたいときには、ノートを開いたりキーを押したりしなくても、ただこの装置に向かって声を出すだけで、その番号を伝える"女性"の声が返ってくるのである。
現在の段階では、この装置はまだ高度の情報処理には向かないが、これを現在のワープロに接続して音声認識のワープロとして使うこともできるし、パソコンに接続してある程度の情報処理を口頭で指示することもできる。従っでこのような装置がもっと発達した場合には、BASICなどのコンピューター言語を習得する必要がなくなるだけではなく、キーボードの文字盤の配列をおぼえる必要すらなくなるはずである。
その意味では、今後のコンピューターの発達と浸透に対しては、適応不安をいだくよりも適応の楽観主義を決めこむ方が現実的なわけであるが、現状はその反対なのである。そのため、コンピューターが浸透したときに生じてくる問題について考える余裕はなくなってしまい、そんな問題はたなあげにしてとにかく現状に適応し、コンピューターの発達と浸透という動向を無批判に支持することになる。これは、考えてみると、コンピューター業界や社会のコンピューター化を推進している政治体側にとっては好都合なことではないか。いまコンピューターを直接必要としていない人々が、泰然自若としてコンピューターに関心を示さず、むしろコンピューターが一種の"自然"と化すような時点をのんびり待っているとしたら、コンピューターはなかなか普及しないだろう。事態が本格化してからようやく腰をあげる人々ばかりだったら、政治はやりにくいだろう。あせりをつくり出すことは、政治と経済の初歩的な管理技法である。
しかし、そのような政治と経済に立脚して発展をとげてきた消費社会が終末に達する兆候も見えはじめている。それは、電子化された情報化社会が、これまでの大量生産と大量消費とは別の社会を作り出す可能性をもっているからであるが、そうした可能性の一端はすでにいろいろな形で現われている。
別に予言者でなくても、第三次世界大戦が起こらずに現在の休制が維持された場合に、今後の一〇年間に世界中が衛星通信のネットワークで重層的に統合され、各家々が光ファイバーなどのケーブルで情報のネットワークを組み、人々がコンピューター機器の操作をそれほど抵抗なく行なうようになることは想像に難くない。これ自体は消費社会の終末ではないが、その場合、そうして出来上がったパイプラインのなかに何を通すか、何が流通するかが、いまのところ全くわからないという点に分かれ目がひそんでいる。今日のニュー・メディア政策は、パイプラインさえ通せぱあとは何とかなるという楽天主義と、情報のパイプラインを通すことがコミュニケーションを向上させるという単純な情報論にもとづいている。しかし、情報は天然ガスや石油ではない。それはそのつど新たに創造され、生産されなければ枯れてしまうのである。
その意味では、いまの政治と経済が不安をおぼえて当然なのは、むしろ情報の創造性や生産性の現場であって、ハードウェアヘの順応の困難ではない。しかし、情報の創造性や生産性というものは、消費主義的な社会で考えられているものとはちがうし、とくに"生産性"と言う場合、その相違をはっきり区別する必要がある。今日、"生産性"というと、それは、何かを再生産することができる力能や蓄積量を指す。情報の"生産性"という場合でもその意味で使われることが多く、従って情報は、その情報量が多量に蓄積されていればいるほど"生産性"が高いということになる。しかし、情報のネットワークが社会のすみずみまで行きわたった場合、生産された情報は即使用されうるし、またそのためのネットワークであるから、蓄積された情報は第二次的な生産性しかもたないのである。いわば、人間の神経組織が露出した形になる情報ネットワーク
社会では、脳細胞の瞬間的な、新たなひらめきこそが生産性なのであり、プールされた情報の回転は、文字通りの浪費でしかなくなるのである。
これは、消費主義の社会では理解しにくいことかもしれない。というのは、消費主義の社会では、使用しないものを蓄積し回転させることが普通であり、消費されるものの大半は、使えないものであるからだ。消費主義の社会では、食品は食べられ(使用され)るために生産されるのではなく、また本は読まれ(使用され)るために生産されるのではなく、むしろ貨幣と交換され、そうした交換の度合を高めるためにだけ生産されるのである。交換されることだけが、大規模に大量に交換されることだけが問題だから、貨幣と交換されたもの(つまり購入されたもの)そのものがどう使われるかは重要ではない。消費社会における商品が、生産関係から自由であることができ、消費者の"創意"によって全く独白の機能をはたす可能性があるのもこのためだが、消費社会は――自己保身のため――みずからそのような逆説的な可能性をも締め出すことに成功した。それは、消費杜会が高度化するにつれて、あるいはテクノロジーが高度化するにつれて、電子化された情報というものが新たな商品として生産され、流通されるようになったからである。
電子化された情報が物品に対してもっている優位は、それが光速度で伝達され、流通される点である。それゆえ、これほど効率の高い商品はない。しかし、それは蓄積することはできるが、本来、物品が蓄積されるのとはちがい、発生期の状態で保存される。それが再生されるときはつねに新しいのであって、電子化された情報は本来、古さというものを知らない。従って、電子化された情報は、使用されるだけ生産することが可能であり、ここでは、消費社会で通用しているような消費概念はあてはまらなくなるだろう。おもしろいことに、これは、消費という概念の古典的な用法への回帰なのである。マルクスは、『経済学批判』の有名な個所で、「使用価他は、使用に関してのみ価値をもち、ただ消費の過程においてのみ実現される」と言い、にもかかわらず、現実にはそのような関係がなりたっていないということを近代の経済関係のなかであばき出してゆく。
消費社会とは、使用に関して一切価値をもたないものを生産する社会であり、消費が使用価値から切りはなされて、消費のための消費というよりも、虚構としてしか消費が成りたたないような社会である。が、電子化された情報は、使用されないときにはまだ生産されないも同然であって、使用と切りはなしてはいかなる価値ももちえない。アルヴィン・トフラーは、『第三の波』 のなかでハイテク社会における消費者を"プロシューマー"(生産=消費者)と名付けたが、それは電子化された情報を消費する考に最もよくあてはまる。
トフラーはこの概念をもっと広い意味で使っているが、その場合この"プロシューマー"はトフラーが言うほど優雅ではなく、むしろ搾取される者である場合が多い点に注意する必要がある。なるほどトフラーも言うように、育児をしたり、食事を作ったり、服を縫ったりすることは"プロシューミング"ではある。が、現実にこれらのことを自発的な、創造的な愉しみとして行なっている人は少なく、できるならば誰かに代わってもらいたい労苦として行なっている。
今日はまだ依然として金銭と何かとを(従って金銭と労働とを)交換する交換経済の時代にあるので、非交換経済は"タダ働き"という消極的な性格をおびる。ここでは、どんなに挑発的に"タダ働き"をしても、それは誰かが金を浮かせることに寄与してしまう。実際、家婦の家事労働はそのようにして家計を助け、夫(および家婦)の収入をカバーするわけであるが、その分は彼や彼女を雇用する者の負担を最終的に浮かせることになるのである。これは、金銭の体系というものが存在せず、労働と金銭とが交換されるシステムが存在しなければ、決して起ここりえない矛盾である。また、何でもが金銭に換算(交換)される、度合が、希薄ならば問題になりにくい矛盾である。
アナール学派の人々が指摘するまでもなく、経済はアンダーグラウンドな経済なしには成りたたなかった。金銭化されない経済の流れがつねに経済の底流を流れている。そして、それは、歴史上、必ずしも強側された労働にではなく、自発的な労働にもとづく自律経済のなかにもあった。しかし、サービス社会が亢進し、それまで無料で提供されてきたサービスまでも金銭と交換されるようになるにつれて、事情が変わった。いま、日本はすでにそうしたサービス社会の後期、つまり、「ポスト・サービス社会」に入っているが、ここでは目ざましを有料で行なう会社まである。手元にあるチラシにのっている"モーニングコール"サービスを行なう会社は、入会金二千円に毎月五千円を支払うと、毎日一回モーニングコールをかけてくれ、「確実なお目ざめ」を保証してくれるという。このような商売が成立しているとすると、会社に行く夫を起こす妻や、通学する子供を定時に起こす母親は、そんなことをとてもタダでやる気にはならなくなるだろう。実際、今日の社会では、すべての労働が金銭と交換されうる傾向が亢進する一方で、依然として経済システムの底辺になっている"タダ働き"がそうした傾向との矛盾として問題化しているのである。
こうした矛盾は、サービス労働の最も高度化した一形態である電子情報労働においてピークに達する。現在のところ、電子情報労働の価値は、その影響力の大きさで測られる。人と人とのあいだに新しい情報の回路を大規模に作り出すことができる情報労働が高く評価される。しかし、情報回路がいくら大規模に増殖したとしても、それは必ずしも金銭交換を保証しはしない。あるテレビ番組を五千万人の人が見たとしても、それで何かが売れるという保証はない。それはたかだか、そうして出来た情報回路を金銭の流通回路にすり変える可能性を与えるにすぎない。
ニュー・メディア政策のなかには、そこで金銭を電子情報化し、金銭の流通回路と情報の回路とを統合し、情報の生産・消費が即金銭交換であるようなシステムを完成しようとするねらいが潜在しているが、情報の生産と消費は、本来、一回的なものであり、一万円がいつも一万円であるようなわけにはゆかない。かくして、ニュー・メディアのプロジェクトによって張りめぐらされるメディア一ネットワークは、金融業務の情報の流通には常時使用されるにしても、非金銭的な情報
の流通に対しては待機の姿勢をとらざるをえなくなる。パイプラインを開いて、高価値な情報が流れるのを待つわけである。
しかし、物品ならば売りつけて終わりにすることができるが、情報は何らかの形で解読され、認識されなければ情報の意味をなさない。言い換えれば、情報の流通には当初何らかの"タダ働き"が必要とされるのであり、それを億劫にするならば、情報は物品と変わりがない。後期消費社会は、まさに情報を物品として売買しているのであるが、これは完全な末期症状である。消費社会以後の情報化社会では、むしろ"タダ働き"の勧めこそが政治の重要課題になるのであり、そうした"タダ働き"のなかで情報がかぎりなく解読され、認識されることによって情報の流れが持続するようになるわけである。しかし、これは現在の消費システムにとってはディレンマであり、それ自身を否定しなければ実現不可能なことである。そこで、ニュー・メディア政策と平行して出てくるものが、"タダ働き"の"尊さ"を強調するような精神主義教育なのであり、今後そのようなものが浮上してくる兆候もすでに出ている。が、これは、金銭経済を止揚させ"タダ働き"を陽のあたる場所に引き出すものではなく、逆に、現在の秩序を温存したまま、電子情報化という不可避の動向に中途半端に対応しようとするものである。
おそらく、教育は、本来、"タグ働き"の最も能動的な場であるはずなのだろう。が、教育は、文化産業ないしは情報産業であるだけではなく、幼稚園に入ったら小学校を、小学校では中学校を・・・そして大学ではアダルト・スクールやカルチャー・センターを先取りし、そこへ進むことにあせりをおぼえるという依然消費社会に特有の論理を生涯にわたってつちかう場になっている。ただし、おもしろいことに、いま、電子情報化が亢進する状況のなかで、教育が"タダ働き"の場としての本来の姿をとりもどす可能性が露出しはじめている。
教室で教師がしゃべっているときに、それを無視するかのような態度で出入りする学生がふえていることは、教師からも学生からもしばしば指摘されている。が、このような状況を作り出したのは、学生のモラルの低下のためでも、また教師の教授能力の低下のためでもなく、むしろ教室にマイクとスピーカーが導入され、いまや教室が電子メディア的環境となり、それらが作動していないときですらわれわれの意識のなかにそのような関係が記憶として植えつけられてしまっているからである。しかもその場合、この電子メディア的環境は一方的で中途半端なものであり、電子装置は教師が学生に情報を物品のように一方的に送りつける機能しかはたしていないので、この環境は、決して場所的なものとはならず、教師と学生との距離を一層ひろげてしまう。講義は、学生にとっては遠くにいても、あとからでも聞けるものとして映じるようになり、教師にとってはカラオケのような自己完結的なナルシシズム行為となってゆく。場所的な一回性は見失われ、両者が出会う機会は無限にひきのぱされてゆく。教師と学生とのあいだのコミュニケイションはますます断絶してゆく。これは、一時的にマイクとスピーカーの装置を使うのをやめてみたところで決して改善されはしない。というのも、電子メディアの非本来的な使われ方は、いまや社会環境としてわれわれの身体に深く刻みこまれてしまったからである。
こうした教室の情報論的困難は、たとえば講義を完全に見世物風にして、授業料制度の代わりに学生がそのつど"見物料"を支払うようにしたところで、一向に解決されないだろう。問題は、単に情報の伝達の仕方や分配方法の問題ではなく、情報を売買するということ白身のなかにあるからである。情報産業は、情報を売買するが、こうして売買された情報は使用され、消費されるとはかぎらない。今日の教室の問題は、情報が(授業料という前払金で)買われても、それがほ
どんど使用されない、消費されないということのなかにある。これは、使用できないものが教室で売られているからでもあるが、それ以上に、本来、電子化された情報は、売買の――つまり金銭交換の――チャンネルをとびこえて生産と消費とが直接緒びつく可能性をもっているからである。
今日の教室の矛盾は、学生が情報を物品として購入する単なる購買者ではなく、情報処理労働者であるにもかかわらず、それがもっぱら受動的な購買者(「消費」をしない消費者)の位置にとじこめられている点にある。もっとも、すべての労働が賃労働と化すというのがこの社会(ポスト・サービス社会)の論理だとしたら、教師が"送信"する情級を学生がちゃんと"受信"し、解読・認識する情報処理労働を提供するとしたら、学生は、授業料を支払う代わりに、賃金を学校から払ってもらわなければならないだろう。しかも、学校はこうした労働を試験や単位によって威嚇し、強制するのだから、学生の労働は「強制労働」だということになってしまう。しかし、このことは、"よく勉強する"学生にとってはまさに現実であり、彼や彼女らは情報処理の「強制労働キャンプ」のなかにいる。とくに、"受験戦争"にまきこまれている学生は、そのような所で側く労働考以外の何者でもない。
明らかに、今日の教育制度は、こうした矛盾のうえに成り立っており、その矛盾はますます深まっている。が、わたし自身が多少関わりのある大学教育に関して言えば、授業料をいっそう値上げし、教師はなるべく非常勤講師をふやすようにせざるをえない現在の私立大学では、その分だけ学生の労働は"タダ働き"どころか、自分で金を払って働く"モチ出し労働"になり、また常勤の一〇分の一以下という薄給で働いている非常勤講師の労働は物価の上昇とともにますます"タグ働き"に近くなるわけだから、連続的に、大学が"タダ働き"の場となる度合は亢進しているのである。
この逆説的な状況を活かさないかぎり、現実に即した変革は起こりえないだろう。ワルター・ベンヤミンは、いまから七〇年もまえに発表した一文「学生の生活」のなかで、「講義という制度では教師集団と学生集団が巨大な隠れんぼをしていて、おたがいにすれちがうだけで、顔を見あわせることがまるでない」と言い、それはゼミでも変わりがないと述べている(丘澤静也訳『教育としての遊び』晶文社)が、このことは、日本の現在の大学のみならず教育機関全般にあてはまる傾
向である。一体、この「巨大な隠れんぼ」を、どのようにして終わりにすることができるのだろうか? 一つの手がかりは、学校のような遅れた情報環境のなかにも、近年ある種の"ニュー・メディア"が少しずつ浸透しはじめていることである。このニュー・メディアは、むろん、金銭交換の効率をもっと高めようとするためのものであるが、これが"タグ働き"を極端に能動化させるためのものとして用いられるとき、新たな可能性が生ずずるのではないだろうか? といっても、それは、学生にコンピューターを操作させるといったことからではなく、むしろ教師が日頃使用しているワイヤレス・マイクを学生に手渡して勝手にしゃべらせるといったごく素朴な方向転換から生ずるはずである。
「電子封建主義」のアメリカ
アメリカの公共サービスの状況は依然ひどいという。ロワー・クラスの失業率は高く、浮浪者
の数もふえ、現地の新聞のなかには二九三〇年代の再来か?」などという見出しの記箏もあっ
た。ニューヨiクからやってきた友人の話だと、ニューヨークの公共サービスはあいかわらず批
思で、皿賂は汚く、地下鉄はとても乗れたものではないという。
「Fトレインといえば、ニューヨークでは一番ま」な線だったでしょう。ところが、このFトレ
インの冷"がこわれちゃってるのよ。AトレインやBトレインは、もともと冷"がっいてないか
わりに、大井に扇風機があるし、恋もあいてるんだけれど、Fトレインははじめっからエアコン
ディショニングの車禰だから扇風機はついていないし、恋もあかないの。それで真夏に冷房がっ
かないんだから、どんなものか想像できるけ」
ニューヨーク文化には、悪口を斗・]うことが重要な部分をしめているので、ちゃきちゃきのニュ
ーヨーカーからこうしたニューヨークの悪口をきいても驚きはしない。わたし自身は、昨年ニュ
ーヨークを再訪してみて、街が全体としてキレイになってきたように思えたが、地下鉄の車輌の
状態はそう変わってはいなかった。電気が全然つかない車輌や半分しかあかないドアーなんかは
決してめずらしくはない。前もって何のアナウンスもなしに別の線に入り、駅に全然とまらずに
大迂回するなどということもよくある。地下鉄の遅れや運休がひどくて定時に□的地に着くこと
があてにならないので、最近は通勤用の私営バスが出来たという話も聞いた。家賃も、この数年
間に、場所のよいところでは二倍近くになり、たとえばグリニッジ・ヴィレッジでは、一部屋だ
けのストゥディオでも最低九〇〇ドルはするようだ。
レーガンが、社会福祉関係の費用を削減し、貧民の生活や医療対策がますますひどくなったこ
とはよく知られている。ロワー・クラスがいっそうブラストレイションを蓄積させており、その
かたわらで、ミドル・クラスの連中はひじょうな危機感を感じているようだ。暴動でもおきれぱ、
完全に別世界を作って白術しているスーパー・リッチとはちがって、ミドル・クラスはまっ先に
襲撃の対象になると思っているからである。が、その恋味では、ミドル・クラスがコミュニティ
の維持に力をいれるのも、また不動産屋が家賃をどんどんっりあげるのも、ミドル・クラスの自
衛手段なのかもしれない。つまり、コミニニアィ運動は、ミドル・クラスの文化的結束をかため、
家貨をつりあげることは、高い家賃を払えない老を排除し、経済的に同レベルの者だけを地域に
水めるのである。
役人されることへの恐怖と侵入噺を排除しようとする潜作的欲求は、近年のアメリカ映画のな
かにもあらわれている。たとえば、ジョン・カーペンター慌督の『遊足からの物体X』は、一〇
万年まえに異娃から地球に飛んできた宇市船が地殻の変醐で巾概大陸の氷原に浮上し、そこから
発掘された"もの"(この映画の原魍)が息をふきかえして次々に棚測基地の隊員たちをおそう
という設定だ。単に異足や火次元の何ものかが人問をおそうというテーマは決して新しくなく、
ジョン・カーペンターn身、『ザ・フォッグ』で試みており、この映画も、ジヨソ・W・キャン
ベルhのSF『影が行く』の映蘭化であるわけだが、『遊足からの物体X』のおもしろさは、こ
の"もの"は、接触するだけで犬にでも人間にでも同化し、外兄上はもとと同じ姿をとりながら、
それが突如としておそろしい姿に変身して人㈹や軸物をおそい、期殖してゆくことだ。"もの"が
仲…の体内にいつ侵入しているかはわからないのだから、隊ハたちはいままで自分の仰…や棚友
だった者たちを不信の口で見なければならなくなる。
n分の身近に家族や親友の頗をした怪物や非人…がいるという設定は、ポール・シュレーダー
耽仔の『キャット・ピープル』にもあった。この映画では、仰沽時代に豹から人問に変身した猟
炊が人…礼金のなかにおり、その考は、人聞には気づかれないが、い族n士では通じるものがあ
るといづことになっている。この祁族に賦する竹が、人㎜と仕的にまじわると、豹に変身してし
まい、人…を一人殺さないともとにもどれない。この映山をみたとき、わたしは、まず今日のア
メリカ礼八ムを思った。シュレーダーは、『ハード・コアの夜』で、アメリカの地方郡市の典独的
な中流家庭の崩壊を痛烈に描いたが、『キャット・ピープル』では、アメリカのミドル・クラス
のあいだで全般化しているナルシシズム、他人への不信、異性と親しくなることへの恐怖といっ
た症候群をひじょうに寓意的に描いているようにみえる。猫族の"人問"は、人問とセックスす
るとたちまち凶暴な豹に変身してしまうのだから、その異性関係は、一方が他方を殺すか、ある
いは人㎜と豹という緬族の異なる コミュニケイションの成立しない 関係のままでいるし
かない。とすれば、殺しあうのでなければ、一方が他方を概に入れて飼育する以外にないわけで、
ハ化関係は完全な隷胴の関係になる。だから、殺されたり、支舳したり、従属したりしたくなけ
れば、一人でいるか同性同士が締びつくしかないということになる。これは、-下アメリカで進
行しつつある新しいセリバシーとホモセクシュアリティとの錯綜した関係に対応する。
ガブリエル・ブラウンによると、アメリカではいま、「ゆき過ぎた性革命に対する批判」から
「性のψ休息"」、性を鮒れた小活を求める「新しいセリバシー」の運動が巡みつつあるという。人
人は、「"性のビジネス"によってしかけら・れたワナ」に気付きはじめ、 「あがの他人どうしがベ
ッドを共にするというありふれた光災に匁微されるような、感情的栄雄失調をおこしているセッ
クスを人…関係の八木にしたくない」と思うようになった(山小正門訳『セリバシー』諦淡礼)。アメリ
カではn本とちがって、一つの忠洲や文化が、なだれをうったようにひろまることはないから、
この"新しいセリバシー"も、アメリカの一部(とりわけミドル・クラス)で起こりはじめた一
つの傾向。だと考えなければならないが、こうした傾向が生ずる背景には、興性関係が締^は支配
と従属、サドとマゾの関係に陥らざるをえないことへの恐怖、不信、不安が横たわっている。
そういえば、アーサー・ヒラー榊督の『メイキングニフブ』は、目下アメリカのミドル・クラ
スのあいだでわずかに公認されつつあるホモセクシュアリティをとりあげてはいるものの、ホモ
セクシュアルベの認識を変えた社会均背景への概点が全く欠如しているために、ホモセクシュア
ルも単にライフ・スタイルの一つにすぎないものとしてあっかわれている。人間には、本性的に
ホモ志向とヘテロ志向とがあって、どちらもそれはそれなりにいいじゃないのと言うわけだが、
これではなせ歴史上ホモセクシュアルがマイナーな位雌におかれてきたのか、そしていまになっ
てなぜそれがわずかに復権してきたのか、といったことがわからなくなってしまうだろう。とは
いえ、この映雨の雅場人物たちが、この物語の仮空の延長線上で今後どうなるかを想像してみる
と、魅力的な共がいながらn性を愛するようになり、いまではニューヨークで同性の伴侶をみつ
けて生活をしている医師ザック(マイケル・オソトーキン)、夫と別れ再婚した妻クレア(ケイト・ジャク
ソン)、ザックの最初の恋人となるが、永続的な関係はまっぴらごめんだというゲイの小説家バー
ト(ハリー・ハムリン)の三人のうち、ザックとクレアは大して変わらないだろうが、バートは、ひ
ょっとするとセリベイトになるかもしれない。彼がゲイであるのは、彼が単に男とのセックスを
求めているからではなく、むしろセックスをしているときにすら孤独でいたいからであるように
みえる。
現在、アメリカのミドル・クラスの人々がある種の孤独感をいだいていることは明らかである。
それは、社会的には、スーパー・リッチとプアーの両端に階級が孤立していることからくる、ミト
ル・クラスの不安と強迫概念のいりまじった孤立感であり、個人的には、異性から、さらにはn
性から自由を犯されることを嫌い、他人に〔発的に距離をおくことからくる孤立感であるが、そ
の根は社会的なものの方にある。ところが、今〔のアメリカ映蘭は、こうした孤立感や孤立を、
ことごとく治療のきかない宿命的なものとしてとらえている。『遊星からの物体X』には、"もの"
におかされているかどうかを調べるためにカート・ラッセルが他の隊員たちの血液をとり、バー
ナーで熱したワイヤーをそこにさしこむ踏み絵的なくだりがある。まさに、登場人物の一人が、、H
ったように、こんなインチキなやり方で人の命が決定されてはたまったものではないが、映画で
は、"もの"に侵入された老の血液は熱線にふれるとたちまち怪物に姿を変えるのである。『キャ
ット・ピープル』でも、人㎜と洲放とを区別するものは血であった。これは、孤立者や人分子は
焼き殺されねばならない、生きては他者と共存できないという発想であり、そういう発想をアメ
リガのミドル・クラスが自虐的・パラノイア的にうっせきさせているとしたら、それは、いささ
か末世的であろう。
シドニー・J・フュリー監督の『エンティティ』にも、今日のアメリカ社会の変化に対応する
いくつかのテーマを発見することができる。実託にもとづくというこの物語の主人公カーラ・モ
ーラソ(バ!バラ・ハーシー)は、 ミドル・クラスではなく、むしろロワー・クラスに属している。
彼女には、一六歳のときに結婚して生まれた長男と、蚊初の夫の死後別の男とのあいだに川火た
二人の子供がおり、いまは生活保稚を受けながら彼らを女手一つでそだてている。そのカーラが、
金く姿の見えない"存在物"に強姦されるといった不可解な出来事につきまとわれた末、精神科
医にかかるのだが、彼女にひじょうに岡怖的な若い医師シュナイダーマン(ロン・シルバー)の説明
は、アメリカ人がこれまでさんざんきかされてきたフロイト理論である。シュナイダーマンと彼
の上司たちの説明では、カーラの父は聖職者で彼女にセックスを罪悪視させ、その一方で彼女に
女を意識していた。そのため彼女は、父に犯されるという強迫観念を潜在意識のなかに蓄秩させ
てきたが、それが、失業という危機的状況のなかで三人の子供を育てなければならない、つまり
家族を維持しなければならないという班態にいたって顕在化し、その家族を破壊するおそれのあ
る自由なセックスを自己抑圧し、強姦されるという妄想となって現われたのだという。しかし、
そうした分析をあざわらうかのように"エンティティ"は彼女をくりかえしおそい、彼女が助け
を求めて訪ねていった友達の家のなかまでめちゃめちゃに破壊してしまう。
この映画でおもしろいのは、こうした"エンティティ"が実際に存在するのか、この物沽が…犬
際に起こったのかどうかではなく、数十年間にわたってアメリカ人の"民間借仰"として機能し
てきたフロイト的精神分析が全く役に立たない出来箏が家族間魎との関連で物誌られていること
である。。すでにアメリカ映画では、ブライアゾニア・ハルマの『殺しのドレス』のように、精神
分析医のうさんくささをあつかったものが少なくなく、精神分析そのものに対する疑㎜も…川でき
てはいる。それは、これまでの精神分析が核家族の温存装置として機能してきたことと無脚係で
はなく、核家族が崩壊し、片親欲族や独身者が急増してきた段階では、祉会的病理の治療は、父
親-子-母測の三角関係を基礎とするフロイト派的精神分析のわくにはまりきらないのである。
その意味で、カーラの布作に関心をもち、研究班を組織して"エンティティ"の実体をとらえ
ようとするパワー・サイコ回シストと精神分析学者シュナイダーマンとの確執がおもしろい。パ
フー・サイコロシストと精神分析学老とのちがいは、後者が人問の本質を"精神"や"内面"に
求めるのに対して、前者はそのようなものを一切認めず、いささかテイヤール・ド・シャルダン
に似たやり方で、人問を含むあらゆる存在物をパワー・エネルギーの凝集したものと考える点だ。
人間は、たしかにそうしたパワーの凝朱度が高いエンティティかもしれないが、しかし人問も一
つのエンティティであって、他のものと切りはなされた特権的なものではないというわけである。
従って、既存の存在若が突如として従来以上のパワーを身につけてしまうこともあるわけだし、
"念力"や"洞察力"のようなものも、みなパワーの凝集度の問題となる。
これは、ひじょうに唯物的な考え方であるから、原題の『ジ・エンティティ』を『電体』と訳
すのは正しくないし、問魍のエンティティー性的エネルギーのエンティティ を調べようと
する「パワー・サイコ,シスト」を字幕のように「超心理学者」と訳すのは誤りなのだ。彼らは、
エンティティが「}」ではなく"存在物"であるからこそ、カメラや旭子装附を使ってその存在
をとらえようとするのである。そういえば、ウッディ・アレンの『サマー・ティト』にも、発則
家アンドリュー(ウッデイ・アレン)が作ったあやしげな装耐で「π媒」を呼びよせるシーンがあっ
たが、この「霊媒」も、むしろパワーの凝集したものと考えるべきだろう。アレンは、すでに一
九七二年の『SEXのすべて』でフロイト理論をさんざん茶化したが、ここでは、パワー・サイ
コロジーの流行に影響されながらそれを軽くからかっているようにみえる。
ただし、この映画に登場するパワー・サイコロシストが、結局は従来の心理学者ないし精神分
析学者と大差がないのは、どちらも問題を排除によって解決しようとする点だ。カーラのパワ
ー・サイコロシストたちは、大学の体育館に彼女の家の疑似モデルを作り、そこに"エンティテ
ィ"をよびよせてそれに液体ヘリウムを散布し、凍らせてしまおうとする。そこには、異端者は
つねに人間に有害なものであり、協調することのできないものであり、それは排除するよりしか
たがないという発想が前提されている。その点、 "エンティティ"の実在を認めざるをえなくな
った精神分析医シュナイダーマンが、彼女に"エンティティ"との和解を説くようになるのは、
一つの救いである。というのも、和解とは、現状の存続を固執するのではなく、日分も変わり、
柵手も変わることであり、いまとはちがった状態への変化を許容することだからである。実際、
アメリカ人がいま一番恐れていることは、こうした全体的な変化なのである。
現状を変えたくない、つまり現在の自分の地位や財産を失いたくないと思っている考にとって、
経済パニックは一種の恒常的なパラノイアになっている。アラン・J・パクラ杵督の『華麗なる
陰謀』は、その邦題が示唆するような"華麗"な物語でもなければ、また、すみずみまで計算さ
れた"陰謀"の物語でもない。そうではなくて、これは、はじめは"華麗なる陰謀"をも秘めて
いたアメリカの銀行システムが転覆(原題は『ロールオーバー』)してしまう話なのであり、
アメリカのミドル・クラスが最も恐れている事態のシミュレイションなのである。
『華麗なる陰謀』は、しょせん金融機関という環境を書割りにしたラフ・ストーリーにすぎない
が、それは、今日の金融機関が示している病理の一端をかいまみせていなくもない。物語の大筋
は、アメリカの金融界の黒幕とアラブ産油国とが結託して、いったんアラブヘ流出したオイル・
マネーの一部をニューヨークの銀行に預金させ、それをアラブの預金者に支払う利子を大きぐう
わまわる利率で他の企業に貸付け、莫大な利潤をかせいでいるが、その秘密をクリス・クリスト
ファーソソがあぱいたためにアラブの投資家たちがいっせいにこの秘密預金を解約し、ついに世
界金融パニックが起きるというもの。今日の金融バニックは、こんな単純な操作で起こるわけで
はなかろう。これでは、金融バニックの銚をにぎっているのはアラブの産汕固であり、アラブは、
世界に金融パニックを起こしても向分の利権だけは守る(守れる)ということになってしまう。
しかし、クリストフブーソソが秘宿をかぎっけたことを知った黒幕(ニーム・クロエフ)が、クリ
ストファーソソを説きふせようとして、「投資にはそれ白身の生命があるのだから、それを適当に
導いてやらなければならない。それには、秘密を守ることが大切だし、秘獅の財 政 操 作
をしなければならない」ζ言うくだりには一理ある。たしかに、金融システムは、もはや個々人
の意志をこえた白已珊孤のシステムであり、人間はそれを極力増殖させることを運命づけられて
いるのである。つまり、生産、消費を拡大し、コストを巨大化させなければならないし、それが
人問の具体的な生活に役立つか否かには関係なく金融システムの綱の目を複雑に坤脈させなけれ
はならないわけである。その恵味では、この映画でおもしろいのは、アメリカ金融界とアラブと
の"陰謀"のからくりではなく、むしろ、ドルと外貨の流れに右往左往する登場人物たちのむな
しい努力である。この映画のなかで、何度かニューヨークの落口の銀行の外国業務郁で行なわれ
る外貨操作のドタバタ劇がうつし出されるが、『華腱なる陰謀』は、いわば、はじめは人㎜…のヨソ
トロール下におかれているかにみえた金融の流れが、結局、人側の手におえぬ"地球外火物"的
な"エンティティ"であることがわかるスラップスティックなのだ。
それゆえ、世界金融バニックは、今日、アラブ産油国が在米預金をひき出さなくても起こりう
るし、むしろ、資本の阿賂の流れが何かの小故で途絶すれぱたちどころにパニックが起きる。そ
こで、金融システムは、資本の流れを化子の同路に二九化し、不測の班態が起こらないように努
めることになる。しかし、問題は、金融操作を竹轍の操作に転換できるエレクトロニックスのシ
ステムが整備されれぱされるほど、資本の諭理に反してしまうことだ。資本は瑚犯しなければな
らないから矛盾がいる。矛盾があり、概箏があってはじめて資本は珊碓するわけだ。つまり、金
融システムは、完全な二兀化を拒まざるをえない。銀行は、自分のテリトリーに関しては情報の
一元化をはかり、資本の流れを監視しようとするが、地銀に対しては情靴の隠蔽をはからなけれ
ばならない。情報装置を地銀よりも高度化してぬけがけをする必要もある。とすると、全体の資
本の流れについては、話もみえないということになる。
先進資本主義の今日的動向は、しばしば、「貨幣経済から情報締済への移行」として特徴づけ
られる。実際、今日の世界経済には、一ナノセコンドつまり一〇億分の一秒間に一四万件の取引
業務をできるほどのコンピューターを用いた情報交換が介在しており、その交換速度はますます
光速に近くなり、一定時間内に交換される情報(取引業務)量は増加の一途をたどっている。こ
うした交換は、言うまでもなく、生産と無関係に行なわれるわけではなく、生産過程に対応して
行なわれるはずのものである。しかし、情報経済においては、生産過程とは無関係に行なわれる
ような交換の度合が、貨幣経済以上に高かまってゆ・く。物が全くないにもかかわらず物について
の情報の取引だけがあたかもシミュレイツヨン・ゲームのように際限なく行なわれる1こうい
うことが情報経済ではあたりまえになってゆく。
いま世界の銀行はひとつの危機に陥っている。有名銀行がいくつも倒産し、イタリアの民間銀
行で最大のバンク・アンブロシアーノも倒産した。しかし、こうした銀行危機は、一九三〇年代
のそれとはひじょうに性格を異にしているように思われる。今日の銀行システムは、一九三〇年
代とはちがい、コンピューター化されたエレクトロニック・システムであり、資本の流れは、当
時とはくらべものにならないくらい早くなり、金融の勝負は瞬時に決まってしまう。金融の取引
とは、いまや一つのコンピューター・ゲームなのだ。それはゲームだから、記録の更新をめぐっ
て取引と操作はどんどんエスカレートする。しかし、銀行はゲーム・センターではないから、こ
うしたゲームのっけは不況や金融危機として確実にまわってくる。そしてゲームが続くかぎり不
汎も続く。破滅は、むしろゲームの放束からやってくる。これはディレンマだ。
こう考えてくると、今日のアメリカ社会には、コンピューター・ゲーム症候群とでも言うべき
病理がまんえんしており、人々は、一体に、いまの思うにまかせぬ状況はゲーム・マシンの操作
盤をちょっと動かすだけで解決できそうだと思う一方で、そのマシンをたたきこわしてやりたい
という破壊的なルサソチマンをうっせきさせているようにみえる。そういえば、『遊星からの物
体X』のはじめの方で、カートニフッセルが南概基地の娯楽室のコンピューター・チェス一ゲー
ムをやっていてコンピューターに幻けてしまい、頭にきた彼がメカのなかにコーヒーを流してそ
れをこわしてしまうシーンがあった。
『ウォリアース』の原作者ソル・ユーリックは、最新作の『リチャード・A』(井上一夫訳『狙われ
た盗聴茜災英杜)という小説のなかで、はじめはほんの軽い気持でホワイト・ハウスの電話を盗聴
し、それが^じて国際政治の機密をつかんでしまい、秘密情報組織とはりあうことになるエレク
トロニックス狂の青年リチャード・アクウィリノ("野人"の意)のサスペンスをえがいているが、
アメリカでは、支配体制に対抗するのにも、コンピューターやマイクロエレクトロニックスの知
識がなければだめだといった観念が、根をはりっっあるようだ。まさに、権力との闘いも一種の
コソピ戸-ター・ゲームと化してきたことになるが、すでにスティーブン・リスバーガー監督の
『トロン』は、それを地で行ったような物語を茱礎にしている。この映画では、ペンタゴンにも
通じている巨大なネットワークをもったコンピューター会社ENCOMのコンピューター・プロ
グラムMCPは、社長デリンジャー(デピヅド・ワーナー)にもコントロールできない一匹の生きも
のと化しはじめており、プログラマーたちは、もともとはデリンジャー社長がつくったプログラ
ム"デビル・サーク"の言いなりになっている。これは、まさに、もともとは人間がつくった金
融システムにふりまわされ、資本の回転という"コンピューター・ゲーム"をやり続けるしかな
い今日の銀行家と同じだ。
それゆえ、このコンピューター・プログラムの自己増殖をおさえ、プログラムをもう一度人問
の手にひきもどす英雄が、ENCOM杜の有能な元プログラマーでコンピューター・ゲーム狂と
いうのは実にうがっている。実際に、人問の全面的支配をもくろむこのコソピュiター・パワー
に挑戦するフリソ(ジェフ・ブリッジズ)は、コンピューターのπ子の世界にひきこまれ、そこでさ
まざまな電子ゲームをいどまれる。すなわち、ライト・サイクル・ゲーム、光電子バイク・レー
ス、レーザー・タンクとフライング空母の攻撃、ソーラー帆船での脱出等である。二五分問で三
○億円という披新のコンピューター・グラフィックスと台湾のアニメーション技術を駆使して映
像化されたこのゲームシーンはなかなかのみものであり、コンピューター・ゲームのおもしろさ
を映画の映像的サスペンスに拡大することに成功しているが、それとともに、フリソが結局デビ
ル・サークに勝ち、コンピューターを人間の手にとりもどすという筋書は、アメリカの(まして
ディズニー・プロの)大衆娯楽映胴の定石だとしても、金融システムにかぎらず、もはや自己増
殖する怪物の感がするこの世界をn分白身の手にとりもどしたいと思っている人々の願望によく
訴える。もともとコンピューターには、それに関わる各……人に対し、n分が主人だと思わせるよ
うなところがあるが、実際には、コンピューターのプログラムが複雑化し、そのネットワークが
巨大化すればするほど、コンピューター装豚の端末部にいる個々人は、まさにデビル・サークに
専伽支配されたブ回グラマーたちのように、プログラムの奴隷になっているわけで、フリソがた
ち向かう状況は、すでに班火花しているのである。
だから、コンピューター化された世界を泌乱なしに統御するためには、コンピューターの操作
コードをますます少数者の千にゆだねてゆかなければならない。その忠味で、コンピューター化
された廿…介は、ソル・ユーリックの、・[葉をかりれば、「疵了封姐主義」の世界であり、それは民
主的に迦営されるのではなくて、少数の"封地淋主"によって寡占体個化されるのである。その
代わり、竹報コードを稚い取って"滑主"の座にっきさえすれぱ世界は思いのままになるわけだ
から、世はますます下剋上の様相を呈してくる。コンピューター犯罪と言われるものは、さしず
め"水・呑百姓"がテクノ回ジーの刀で"領主"の首をはねるようなものだが、アメリカのシリコ
ンバレーで起きた事件も、この"π子封挫主菰"の時代において"床莱スパイ"などと断罪され
るべきものではなく、むしろ、IBMという"戦同大名"と日立・三菱而"戦国大名"連合軍の
戦いのひとこまと考えた方がよいのである。
ところで、近年のアメリカ映画は、スペシャル・エフェクトやエレクトロニックス装置への依
存が強まっている。『遊星からの物体X』でロブ・ポッティソが腕をふるったスペシャル・メーキ
ヤップ、『ト回ソ』のコンピューター・グラフィックスの映像合成、『ワソ・フ高ム・ザ・ハート』
におけるVTR技術……と枚挙にいとまがないが、フランシス・コッポラは、『カイエ・デュ・
シネマ』のインタビューで、新しいテクノロジーへの依存が映画陸業の将来をひらくという確信
を一隠さない。『ワソ・フロム・ザ・ハート』以来、彼のゾェトロープ・スタジオのエレクトロニ
ックス焚附を三倍も州強したという(「月刊イメージフォーラム』一九八三年二月号溶雌)。 はたして、こ
うした倣向はアメリカ映画をどのような方向へ向かわせるのだろうか? 少なくとも、映画の製
作過杵が高度にエレクトロニックス化されればされるほど、映画蚊作の実」権は、少数者ないしは
一人の操作者に集中してゆき、いまよりもはるかに独裁的な体側へ向かってゆく。商業映画は、
いつも支㎜機柑の(つまり大衆のではない)夢を揃いてきたが、映画が文化装帷として有効性を
もちつづけ、それが高度にエレクトロニックス化されてゆくとすれば、それは、今後の社会の支
配様式の方向を示唆するだろう。アメリカ社会が、ハリウッドを追って"ハリウッド"化したよ
うに、映面映作のプロセスで完成する独裁体制を社会がそっくり模倣するにちがいない。
身体とテクノロジー
足――遊歩文化と自動車文化
イヴァソ・イリイチは、移動に関して、人間自身の力による"トランジット"とモーター化さ
れた"トランスポート"とを区別している(大久保直幹訳『エネルギーと公正』晶文杜)。一九二〇年代は、
まさにこの"トランジット"から"トランスポート"への重心移動が大衆的・世界的規模ではじ
まった時代である。
こうした変化を最も象徴的かつ実質的にあらわしているのが自動車である。自動車は、ヘンリ
ー・フォードが一九一四年にフレデリックニアイラーの"科学的"経営管理の技法を応用した大
暴火産の生産体制を確立するまでは、上流階級にしか手のとどかないものだったが、一九二〇年
代には、それは一般大衆にも購入可能な商品になってきた。一九〇九年には一台九五〇ドルした
フォードの大衆車、下型モデルは、生産工程を七八八二に分割されたベルトコンベヤーの一貫作
業で組み立てられるようになるにつれて値下がりし、一九二三年には二九五ドルで購入できるよ
うになった(巳野保嘉治『アメリカ自動車王国の傾斜』日本工業新聞社)。このため、一九二三年には、全米の
自動車の普及率は、すでに一世帯あたり三分の二台にまで達した。
ヨーロッバの場合、普及率はアメリカよりもはるかに緩慢だったが、それでもたとえばイギリ
スでは、一九一九年に全国の白家用車台数が一八万六八〇一台であったのに対し、一九二五年に
は五七万九九〇一台に急増している。
ドイツでは、第一次世界大戦以前に、ベルリンのへ-ルシュトラーセと郊外のヴァソゼーとを
結ぶ一〇キロメートルの自動車レース・トラック、AVUSが出来ており、一年に一回ここで大
きな自動車レースが開かれた。 "ドイツのヘンリー・フォード"と称されたフリッツ・フォン・
オーペルは、このトラックで、一九二八年に彼の特製のロケット・カーにのり、時速一九五キロ
の国内新記録を出すことに成功した(W・フォン・エックハルト/S・L・ジルマソ『ブレヒトのベルリン』アン
カー・プレス)o
このフリッツ・オーペルの自動車工場は、ドイツで最大のものであったが、これは一九二九年
にアメリカのゼネラル・モーターズによって買い取られ、資本と規模を拡大した工場で日々生産
される自動車は、ドイツのみならずヨーロッバ全土に輸出されていった。しかし、ヨーロッバは、
アメリカとちがってすでに遊歩都市としてのながい伝統をもっていたため、アメリカやオi
ストラリアのようにその社会と文化の相貌を自動車によってトラスティックに変様されてしまう
ことは、少なくとも一九二〇年代にはまだ起こらなかった。
フランツ・カフカ(一八八三~一九二四年)がその生涯をおくったプラハは、ヨー}ヅパの古い伝
統と新しい文化が最も劇的に交錯する都市であったが、このプラハをつねに潜在的な舞台にして
いるカフカの作品のなかに自動車が登場することはほとんどない。というのも、それは、プラハ
がアメリカ文明から遠くへだたっていたからではなく、むしろプラハが、ヨーロッパの都市のな
かでもとりわけ遊歩都市としての性格を強くもっていたからである(アメリカとの関連では、チ
エコからアメリカヘの移民ははやくからさかんであったし、アメリカからの帰刺者によってアメ
リガ文化がチェコにも流入していた。カフカの従弟オットー・カフカもアメリカヘの移民者の一
人であった)。
一般に、遊歩文化は自動車文化によって圧倒される運命にあったが、カフカの時代のプラ
ハは、まだ強烈にその遊歩文化を維持しており、カフェーやバーはそうした文化の重要な拠点だ
った。プラハには二〇世紀初頭からカフェー文化がさかえ・コンチネンタル・セントラル・アル
コ、ルーブル、エディソソ、ゲイリソガー、サボイ、シティー、バリといった名のカフェーには、
文学者、芸術家、アナキストたちがたむろしていた。カフカは、コンチネンタル、アルコ、エテ
イソソ、一サボイの常連で、彼の思考と創作は、こうしたドリンキング・インスティチューション
とそこをめぐる遊歩なしには考えられなかった。たとえば、彼の創作活動に決定的な影響を与え
たイーディヅシ演劇(ユダヤ人の民衆演劇)は、カフェー・サボイで上演された一種の"アングラ"
劇だった。
一九一〇年代にプラハのカフェーに集まった知識人のうち、カフカ、マックス・フロート、フ
ェリックス・ヴェルチ、オスカー・バウム、ルートヴィッヒ・ヴィソダー、フランツ・ヴェルフ
ェル、ウィリー・ハース、ヨハネス・ウルツィディルたちによっていつとはなしに出来上がった
サークルは、"プラーガー・クライス"と呼ばれる(マックス・フロート『デア・プラーガー・クライス』コ
ールハマー朴店)が、彼らは大抵、自分たちの住まいから徒歩でこれらのカフェーにやってくるので
あり、カフェーやバーは街路における遊歩と密接な関係をもっていた。ウィ次1・ハースは、
『文学的世界』(原旧義人訳、紀伊因服裕店)のなかで、「白毛、ありとあらゆる喫茶店や酒場、ベルヴ
ェデーレでの散歩、クラインザイテ市域の祇町や公園の散歩、それらの場所で幾『も幾夜も続い
た」ヴェルフニルとの議論について書いているが、プラハの知識人にとってカフェーからカフェ
ー、バーからバーへ遊歩しながら続けられる長時間の議論や歓談は、彼らに固有の思考スタイル
であり、その意味では、晩年のカフカがグスタフ・ヤノーホとかわした対話も、その大半がこう
した遊歩のなかで行われたのである。
驚くべきことは、こうした遊歩文化に深く身を置いていたカフカが、一九一〇年代の前半期に
アメリカ合衆国の自動車文化の趨勢を的確にとらえていることである。 『審判』も『城』も、ま
さに"トランジット"の物語であり、主人公は歩きまわることによって事件とエピソードを増殖
させてゆくのに対して、『失瞭者』(通称『アメリカ』)では、主人公カiル・ロスマンは、船、鉄道、
自動車のような"トランスポート"の諸手段で移動する。一九二〇年代も後半になると、アメリ
カでは実際に自動車が社会と文化を変様させはじめ、それに対応して、たとえばジョン・ドス・
パソスの『マンハッタン・トランスフプー』(一九二五年)のように、"トランスポート"を物語の
中核にすえる作品があらわれ、一九三〇年代には、ジェイムズ・M・ケインの『郵便崖は二度ベ
ルを鳴らす』(一九三四年)のように、推理小説の分野ではとくに自動車が不可欠の要素になってゆ
くわけだが、カフカは、アメリカを一度も訪れることなしに、自動車の普及したアメリカ社会の
一断一酌をリアルに活写しているのである。たとえば、 『失腺者』の第六章の次の記述をみてみよ
。ここでは、一九三〇年代になって一般化した状況が、きわめて正確に予見されている。
「とにかく、カールはすぐホテルの外へ出た。だが、やはりホテル側の歩道を進まねぱならなか
った。自動車の列が絶え間なくつづいて、表玄関の前で停滞してはまた走り出しているので、街
路へ行きっくことができなかったのだ。これらの自動車は、なるたけ早く思いどおりに走ろうと
して、ごっちゃにかたまって走っている。どのh動車を見ても、そのうしろを走ってくる車によ
って前へ推し巡められている形だ。早く街路へ山ようと特別に心の急いでいる歩行者は、ときど
き二、三の臼動車の隙間をつきぬけて、そこが天下の通路みたいな平気な頗をして口的を達して
しる」(中井正文訳『アメリカ』仙川許店)。
『火蛛者』は、カフカの単なる空想力によって書かれたのではなく、一九一二年三月に『ノイエ・ 一
ルソトシャウ』ではじまったアーサー・ホリッチャーのアメリカ紀行の連載や、同年の後半に刊
行されたホリッチャーの『アメリカ、今日と明日』、同年六月一目にプラハで行われた社会民主主
義者フランティケック・スークプによるアメリカの政治組織についての謝演(ここではスライド
写真が紹介された)などから得られた情報に"想像変更"を加えて書かれたのであった。
この作□叩の主要な舞台が郊外であることも注目にあたいする。なぜなら、ここで描かれている
・ような、鉄道駅からはなれていて自動車によって都心に通じるような郊外は、一九二〇年代以後
の出動車時代になってはじめて発進するからである。それまでの郊外は、大抵、鉄道駅から一・
五キロ以内の範㎜にあり、その住人たちの交通機関は鉄道であったが、自動車が発達してからは、
全然鉄道の通らない場所にも郊外都市が出来ていった。そしてこの問に、フレデリック・L・ア
レンが『アメリカ社会の変貌』(河村"沢、光和堂)で述べているように、出動点減の信号機、晒がり
角で傾斜しているコンクリート氾賂、六車線の大汕り、一方汕行路、高速遭賂、モデル、逝賂ぞ
いの飲食店、ホットドッグやピーナツのようなファスト・フードを売る店、ガソリンスタンド、
中古車売り場といった「現在ではアメリカ人の口にはあまりにも見慣れた風景なのでずっと以前
からあったように思いがちな数々の新奇なもの」が次々に出現した。また他面では、通りが拡張
され、古い建物が新しい道路のために壊されるという現象も生じ、鉄道や路面電車の利用客も少
しずつ減りはじめた。
マーシャル・マックルーハソは、車輸について卓抜な考察を下した章(後藤和彦・高儀遊訳『人間拡
張の原理』竹内探店)のなかで、「あらゆるテクノロジーは、新しいストレスと欲求を、それらのテ
クノロジーを生んだ当の人問の中に生み出す」と"・]っているが、実際、アラン・ジェンキンスは、
二九二〇年代』(ユニヴブース・プヅクス)のなかで、自動車の普及が一九二〇年代にアメリカの社会
と文化にもたらした大きなインパクトとして、「消費のパターン」、「社会的モビリティ」、「若者
のラブニプイフ」、「犯罪」、「離婚率」の変化を指摘している。この時代には、労働老階級も、浴
室をつくるよりも車の購入を優先させようとし、通勤、買い物の距離がますますひろがり、休日
のドライブや車による長距雄旅行が新しい弼慣になっていった。『アスピリン・エイジ』(木下秀夫
訳、早川詐房)で一九二一年の項を篶いているケリー・マクウィリアムズも、この時代を「ペッテ
ィソグとネッキング、ウイスキーぴんと道路ぞいの飲み巌、映醐『宮殿』と向動車の時代だった」
と書いているが、車中でペッティソグをすることが若者たちの新しいラブニフィフになり、また
車による高飛びが犯罪の新しいファッションとなった。
白動車文化とは、つまるところ、一九二〇年代以降のアメリカの社会を規定してきた支配的な
文化であり、それは、また、アメリカ的個人主義を極端な形で完成させる装航であった。一九二
○年代にはすでに、裕禍な家では車を二台もっところもあらわれ、アラン・ジェンキンスによる
と、責任感を習得させるために男の子には自分用の車を与えた方がよいと考える父糊が"ナウい"
とみなされるようになってきた。アレンは、運転席におさまれぱ自分の命令どおりに動き、いっ
でも行きたいところにつれていってくれるn動車が、アメリカ人に"白内"を甘・十受する「精神の
昂揚」をあたえたと書いている。わけても「ヨーロッパの白人の並々たる支配下でながらく刷屠
的な立場に慣らされてきたアジア人」、「貧乏にうちひしがれ、あるいは会社などでとるに足らぬ
存在でしかなく、また人概差別その他の理由で、われながら情けないと感じていたアメリカ人た
ち」に、自動車は「新しいプライドの感情」をあたえた。それゆえ、車の普及は、一面では個人
の解放要因にもなったわけだが、他、耐では、これが家族生活や集団生活への関心を弱めさせる機
能をはたしもした。
一九二九年にロバート・S・リンドとヘレン・M・リンドが発表した『ミドルタウソ』は、イ
ンディアナ州マソシーの典型的なアメリカン・コミュニティの社会・文化システムの実証的研究だ
が、ここでは自動車の普及とともに、日曜に教会に行く伝統的な禍慣が一九二〇年代にくずれて
きたことが指摘されている。教会は、たんに信仰の場であるだけでなく、伝統的なコミュニテ
ィ・ライフの中核となってきたわけだから、人々の教会はなれは、同時に、コミュニティの変質、
家族構造の変化につながると考えてよいだろう。
このように、一九二〇年代には、自動車文化の発達とともに、アメリカ的個人主義が調歌され
る一方で、自動車や白動車文化にする批判もあらわれた。多くの人々は、食費や衣服費を切りつ
めても車を買おうとすることに何の抵抗も感じないようにみえたが、人々は、自動車事故という
新しい社会問題に無関心でいることはそきなかった。自動車事故による全米の死亡者数は、一九
二二年ですでに一万五千人に達しており、一九三〇年には三万二千人に急増した。こうした事故
の原因には、道路や交通システムの不備、運転技術の未熟さが大きな比率をしめており、そのた
め政府は、道路の管理、車体検査、運転免許の発行を厳重にせざるをえなくなるが、民間サイド
からも、"優良道路運動。が起こり、ハイウェイの改善をうながした(ポール・A・カーター『二〇年代の
他側面』コロンビア大学出版局)。
また、自動車が急増するにつれて、従来の都市を改造するだけではもはやどうにもならない状
態が顕著になってきたが、それにともなって、自動車の浸透を前提とした都市論も企図されるよ
うになった。たとえば、ベソトソ・マッケイは、『新しい踏査-地域プラニングの哲学』(一九二
八年)のなかで、「都市のないハイウェイ」と「ハイウェイのない都市」とを分離し、自動車の迅
速な交通と安全な交通、人間の遊歩と健全なコミュニティ・ライフとを平和的に共存させようと
するプランを提出している。
しかしながら、こうした"反省"の基調は、自動車文化とそれをつくり出したテクノロジーそ
のものに向けられた批判ではなく、たとえば一九六〇年代になってエドワード・T・ホールが、
「車は人を環境からだけでなく、人間的な接触からも引きはなす。そして、通常、競合的、攻撃
的、破壊的といった、もっとも限られた型の相互行為だけを許容するのである」(旦尚敏隆・佐藤借
付訳「かくれた次元』みすず書房)と言っているような 今日ではある程度常識と化しているような
ーレベルにも達しなかった。それどころか、自動車を暗黙のうちに個人の自由や民主主義に結
びっけることがぬきがたく定着してゆくのである。ジョン・A・コーエンホーヴェソは、『近代
アメリカ文明の十、ム術』(一九川八年、W・W・ノートン礼)のなかで、伝統的なヨーロッパ的美学の目か
らすると"醜悪"だとみなされるアメリカ文化の諾柵を現代人のテクノロジー体験という観点か
らとらえなおし、アメリカの「近代文則」を民主主義とテクノロジーのすぐれた融合として肯定
しようとする。そのため彼は、「自動車へのアメリカ人の情熱的な執着」の理由について問う際
にも、アメリカ人にとって自動車が、「機械化された魔法のじゅうたんの役をし」、「権力欲を代
傲的に洲足させ」、「社会的名声のシンポルとしての役目をはたす」ことを十分認めたうえで、ア
メリカ人がn醐巾に執前することのより一層皿要なフプクターとして、「向動車は、大多数の人
々の生活を形づくっている機械文明についての最も感動的で手短な経験を彼らに与える」という
点を独洲する。
たしかに、この桁摘は誤ってはいないし、木船でコーエンホーヴェソが、美術、建築、風俗、
ジャズなどに関して展開しているパースペクティブは、ある種の技術信仰がアメリカの民衆的伝
統の一つであり、それが近代テクノロジーとどのように納びついてゆくかを見事に解明してくれ
る而が少なくない。にもかかわらず木許には、すでにフッサールが一九三〇年代に指摘し(『ヨー
ロツ・一の諸科学と雌越論的軌象学』)、やがてアドルノとホルクハイマーが『啓蒙の弁証法』(一九四七年)
のなかでより具体的な形で暴脇させたような近代テクノロジーそのものに内在する「道具的理性」
への危機感は全くなく、コーエンホーヴェソは、結局のところ、アメリカの機械文明を全面肯定
し、一九五〇年代に全般化する"冷戦の美学"を先導してしまうのである。
とはいえ、アメリカにもその技術文明の動向を鋭く兇ぬいていた思想家を見いだすことができ
る。ソースタイン・ヴェブレンは、自動車文化というような個別例をあっかっているわけではな
いが、『工作者であることの本性』(一九一八年、復刻版、キーリー川版)のなかで「順応のメカニズム」に
ついて諦っているが、これは、やがて自動車文化としてn常的なレベルにあらわれてくることに
なる小態にもあてはめることができる。ヴェブレンによれば、機械丁場で材料を換作する工作者
は、「機械を利用するのであるよりも、むしろ機械を補完する。機械過程が工作者を、反対に利用
するのである。こうしたテクノロジー的システムのなかで発明される理想的な機械が○動機械で
ある」。この引用文のなかの「工作者」をn動車の運転者とおきかえてみるならぱ、ヴェブレン
の指摘がn鋤小文化の木質を"、]いあてていることがわかるだろう。
思うに、アメリカの一目醐斑文化の歴史のなかで白肋小が一極の"自動機械"になるのは一九五
〇年代である。たとえば、ジョン・ケルアックの『脇上』(一九江七年)を挑むと、この物沽の猪場
人物にとってn動車はもはや靴と同じように身体の一部に近い存在なのだが、同時にここでは、
人……ではなく、n動車が"主体"となっており、物語を先導するのはn莇巾なのである。ある忠
味でH略上』は、内助車文化の捗ごこちの世…介に遊歩文化のわびしさを対附した小説だと一首えな
くもない 主人公たちが耶に乗っていないとき、彼らが心理的にも社会的にもいかにさえない
かを独旭されたい。
しかし、一九六〇年代になると、自動車は、もはやアメリカン・ドリームを社会的にも心理的
にも実現する装置ではなく、むしろ都市を荒廃させ、人々をたいくつな郊外生活のなかで孤立さ
せ、ドライブという名の自由幻想をあたえるものとしてとらえられるようになってくる。アーサ
ー・ペソの映画『逃亡地帯』(一九六五年)には、無数の廃車が燃えあがるシーンがあるが、そこに
は自動車文化にうんざりしたアメリカ人の自虐的な喜びのようなものが感じられる。それが、リ
チャード・サラフィアソ監督の『バニシング・ポイント』(一九宝年)になると、かって"自由の
装置"と思われていた自動車に最後まで執着するならば、七〇年型の白のダッジを駆ってハイウ
ェイ・パトロールのバリケードに突進を企てる青年コワルスキーのように、ロマン主義的な死を
代償としなけれぱならないところまで進む。
手――玩具の文化史
わずか一〇年たらずのあいだに、おもちゃの専門店やデパートのおもちゃ売場の雰囲気はがら
りと変わった。それは、言うまでもなく、マイクロエレクトロニックスの技術から生まれたゲー
ム玩具がおもちゃの主流を占めるようになったからであり、店頭の玩具を長時間試用する子供た
ちの数が以前よりもはるかに多くなったからでもある。
むかしからデパートは、都会に住む子供たちの遊び場の一つで、おもちゃ売場にある車や列卒
の玩具をいじりまわしたり、火花の出る機関銃を試しうちしたり、はては売りものの三輪車やゴ
ーカiトを乗りまわしたりする子供たちの姿はめずらしいものではなかった。こうした都会的子
供文化はいまでも続いており、週末や休日のデハiトの食料品売場を注意深く観察してみると、
あきらかにおもちゃ売場や屋上の遊び場からやってきたとおぼしきストリート・キッズたちが、
近年とみに多彩化している惣菜の試供品を"おやつ"がわりにしようと通路を歩きまわっている
のに出会うことができる。
しかし、おもちゃ売場に集まる子供たちの身ぶりは、大幅に変わった。以前には、子供たちは
一人または数人の仲間たちでやってきて、おもちゃ売場でいっしょに遊ぶ傾向が強かったのに対
して、最近は、仲間といっしょにデパートにやってきても、おもちゃ売場では一人ひとりが単独
にゲーム・マシーンの操作に没頭し、横の関係は遊びの最中、切れたままなのである。これは、
マイクロエレクトロニックスの玩具がつくり出した新しい文化である。
おもちゃの歴史は、テクノロジーの発展をひじょうに敏感に反映している。デイヴィッド・ブ
レスラソドの『金属玩具の芸術』(蠕川久康訳租界のおもちゃ大図鑑』角川書店)によると、 一九世紀後
半から一九五〇年代までおもちゃの素材の主流は金属であったが、一九六〇年代からは日本の玩
八陸莱にとって国際的な市場への飛躍的な進出の目玉ともなったプラスチック玩具が金属玩具を
凌総しはじめた。今日、プラスチック玩具は、依然として有力であるが、すでに新しい玩具の時
代がはじまっている。すなわちエレクトロニックス玩具である。エレクトロニックスは、プラス
チックが玩具の金属部分をプラスチックに取りかえたといった程度の変化にとどまらず、玩具そ
のものの機能と構造、そしてその遊び方を根底から変化させた。
テクノロジーの発展は、三つの段階に大別される。すなわち、一七八○~一八四〇年ごろにイ
ギリスで逃められた蒸気エネルギーの応用、一八六〇~一九一〇年ごろに主としてアメリカ合衆
旧、ドイツ、イギリスで起こった電気エネルギー革命、一九四二年にエンリコ・フェルミによる
核反応の発見から帰結した核エネルギー革命である。金属玩具とプラスチック玩具は、第二の短
気エネルギー革命によって金属の精錬、原油の精製、有機化合物の犯気分解、原料の迅速な運搬
等のテクノロジーが飛躍的に向上し、金属が、そして次には化学拠品が大姓に安く生産されるよ
うになったことから生じた。一九世紀末から第一次世界大戦までの一時期は、ドイツの玩具産業
の真金期であったが、そこで確立された金属板に美しい印刷をほどこす技術は、オフセット印刷
に川いられるインクなどの化学製品の開発なしには不可能であった。
プラスチック玩具は、言うまでもなく、高分子化学技術の産物であり、原料のプラスチックが
一九六〇年代に急速に低廉化することによって一般化したわけだが、ドイツではすでに一九三〇
年代に塩化ビニル系やスチレン糸のプラスチックの工業生産がはじまっており、日本も第二次大
戦巾に現在の主要なプラスチックの大半の研究を開始している。日本のプラスチック製のおもち
やが、戦後、世界のおもちゃ市場に進出するようになるのは、戦時中に行なわれた高分子化学の
研究・開発技術が、高度経済成長政策の産業的なかなめとなった重化学工業によってひきっがれ、
プラスチックが大最に出まわるようになるからである。ちなみに、一九五〇年から一九六〇年の
一〇年間に、日本におけるプラスチックの生産高は、三〇倍にのびている。
マイクロエレクトロニックスは、電気エネルギー革命の一環というよりも、むしろ核エネルギ
一革命によって可能になった。核エネルギー革命が意味していることは、単に低気エネルギーや
石油エネルギーに代わって核エネルギーが登場したというようなことではなくて、物質の、、、クロ
な部分(たとえば原子や電子)を自由に操作できるテクノロジーと物質のマクロな部分(たとえ
ば地球や宇宙)のバランスを変える可能性をもったテクノ四ジーという共に極限的なものの技術
が開発されたということである。それゆえ、金属玩具とマイクロエレクトロニックス玩具とのあ
いだには、金属玩具とプラスチック玩具とのあいだにあるのとは比較にならないほどのギャップ
があると考えてよい。
このことは、テクノロジーの変化が人問と物、人間と人問との関係つまりは文化をどのように
変えたかを考えてみるとはっきりするだろう。プレスランドの『金属玩具の芸術』に収められて
いる六〇〇葉をこえる写真をみてもわかるように、金属玩具の多くは、馬車、船、汽車、自動車、
飛行機といった乗り物であり、そのなかでも白動車のおもちゃが一番多い。っまりここでは、白
分で移軌するということが遊びの最大の関心箏となっているわけで、たとえば口でエソジソの音
を出しながらマッチボックスのミニカーで遊ぶ幼児にとっては、自分の手のなかの自動車が自分
をどこへでも連れていってくれる移動装置なのである。
実際、電気エネルギー革命はn動車を普及させたが、自動車が一九二〇年代以降、日常生活の
なかに浸透するにつれて、移動するということの意味が激変し、移動することの文化つまり自動
車文化が形成されていった。かつて移動とは、馬車や船、汽車による移動を考えればわかるよう
に、他人といっしょに行なうものだったのに対し、いまや移動は、わたしがわたしの意志で行な
うものとなり、この新しい文化に対応して、道路や街路はもとより、建物や人々の生活様式、時
間感覚なども大幅に変わっていった。文化的には、より早く、より長距離を移動するということ
がとりわけ快楽と感じられる文化と、そうした欲求にこたえるさまざまな遊びが誕生した。
今日、自動車文化は、日本では依然として活力を保ち、その終末がみえにくい感がするけれど、
アメリカでは自動車文化はすでに凋落のきぎしをみせている。これは、アメリカの産業のウェイ
トが、自動車生産部門からハイテクノロシi部門に移り、その分だけ日本の自動車産業が世界の
分業休制のなかで活気づいていること(ただしそれはいつまで続くかはわからない)、アメリカで
は日下サイクリズム(白□転車宝鑑)が根をはりっっあること、多くの地域で自動車中心の都市か
ら遊歩巾心の都市つまり遊歩郡市への動きがはっきりとあらわれていること等々の変化から推
測することができる。
その際おもしろいことは、n動車文化から遊歩文化への移行は、単に自動車以前の都市に逆も
どりすることではなく、一方で自動車以上に高速で長距離の移動を可能にする手段(たとえばテ
レコミュニケイション)を拡大したうえで、他方でいわばその行きすぎを補うかのように遊歩が
重視される点だ。たとえばグリニッジ・ヴィレッジは、すべての日常生活を歩ける距離で済ませ
ることができる遊歩都市の一つだが、ニューヨークのさまざまな地域にあるこうした遊歩的コ、ミ
ュニティ都市は、同時に、コミュニティニフジオのFM電波、ケーブルTVや多重的な電話サー
ピス回線、コンピューター回線、そしてどんな小さな四っ角にもある交通信号のための回線など
が網の目のようになっているエレクトロニック・シティである。ここでは、人々は以前よりもは
るかによく歩くようになり、ジョギングまでするのだが、それは、これまで自動車で自分の体を
はこばなけれぱできなかったことをエレクト回ニックスの操作で代用できるようになったために
生じた一面がないではないし、また、自動車文化に特有の"自分で動く"ということが終末に達
してしまったので、せめて歩くことぐらい自分でやらなければやることがないといった逆説から
遊歩文化が生じてきた面もあるのである。その意味では、二〇世紀後半に復活した遊歩文化は、
ケーブルTVやコンピューター・ゲームヘの耽溺を内に秘めた怠惰文化であるとも言えるわけで
ある。
自動車文化に金属玩具が対応しているとすれば、電子文化にコンピューター・ゲーム玩具が対
応じていることを考えるのはたやすい。コンピューター・ゲームは、日本からアメリカやオース
トラリアに輸出されたTVゲームが子供たちのあいだにひろまり、その悪影響を心配した親や教
育者たちがボイコット運動をおこしたこともあって、もともと目水の発明品ででもあるかのよう
に考えている人が多い。たしかに、TVゲームやゲーム・ウォッチ等のコンピューター玩uハは、
日本ではものすごく普及しており、子供のいるうちにはたいてい一台や二台はコンピューター・
ゲーム玩具があるという現状をみると、コンピューター・ゲームの元祖は日本だと思いたくなる
のも無理はない。しかし、わたしの記憶では一〇年近くまえ、遊戯場などの一角に、いささかうさ
んくさい琢囲気でTVゲーム・マシーンが登場したとき、それらはすべて輸入品であったように、
コンピューター・ゲームはアメリカで発明され、目木に入ってきたのである。中原紀「ビデオゲ
ームとマイコンゲームの誕生」(『茶の"のコンピューター』朝日新開杜)によると、 マサチューセッツ工
科大学でコンピューター・グラフィックスを専攻していたスティーブニフッセルという学生が一
九六〇年に「宇宙戦争」というコンピューター・プログラムをつくり、それがやがてエレクトロ
ニックス狂のあいだにひろまったのが、コンピューター・ゲームのはしりだという。その後、そ
うしたエレクトロニックス狂の一人で、ユタ大学電子工学科に籍をおくN・プシュネルは、これ
にヒントを得て、一九七二年に「ポソグ」というピソポソ・ゲームを商品化した。その問、一九
六九年には、ザンダース・アソジェイツの技術者が、家庭のテレビを使ってゲームができる付属
製概を発明し、特許を出願している1そのため、いまや世界に冠たるコンピューター・ゲーム・
マシーンの生産国日本も、TVゲームをつくる際にはアメリカに特許料を払わなけれぱならない
のである。
コンピューター・ゲームの元祖が日本だという錯覚は、プシュネルが創立したコンピューター・
ゲーム会社の名が「アタリ」(ATARI)であることから来ているのかもしれない。わたしも、
最初ニューヨークのテレビでこの会社のアグレッシブなコマーシャルを見、「アタリ」という一一、一口
葉をきいたとき、これはてっきり日本の企業の米国名だと思い、日本のおもちゃ産業の逃出ぶり
を過大視したものだ。そうでなくても、アメリカではひじょうに多くの日本のおもちゃが出まわ
っており、プラモデルなどはイギリスのものより高く評価されていた。
コンピューター・ゲームが商品化されて二〇年たったいま、日本におけるコンピューター・ゲ
ームヘの関心は、作る側も使う側も、アメリカをはるかにうわまわっているようにみえる。実際、
LSI(高密度集積回路)を使った最近(一九八二年班在)のゲーム・マシーン、たとえば珊田甘コ
ーポレーションの"プレイ&タイム"シリーズ、カシオの”ソーラーシャトル"、”マネー、ホソ”、
"ボクシング"といった液晶モジュール盤に絵が出る一連の製品は、アメリカの概して大味なゲ
ーム・プシーソの追随を許さないほどの工夫がなされており、ことメカに閉しては、日本がアメ
リガをリードしているようだ。また、こうしたコンピューター・ゲームの普及率も、その良し悪
しは別にして、日本の方がアメリカよりもはるかに高い。
こうした現象は、カメラにおいても電気製品においても、メカの普及ということでは他をリー
ドしていても、まだアメリカほどエレクトロニックス文化が浸透しているとは一一一、口えない〔木の班
状からすると、ちょっと理屈に合わないような気がする。日本は、依然としてアメリカの五〇年
代のように自動車文化の主流をなしているはずである。
しかし、よく考えてみると、この現象は必ずしも理屈に合わないわけではない。アメリカの場
合、コソピュiター・ゲームの流行には、失われつつある自動車文化への郷愁や未練があらわれ
ている。アメリカの都市のゲーム・センターで自動車レiスのゲーム・マシiソに没頭している
青少年たちを観察してみると、彼らの多くは、比較的貧しい階級の出身で、いつの日かパワー・
エソジソのついた車を手に入れてハイウェイをぷっとぱしたいという五〇年代流の自動車文化的
欲求にしぱられているようにもみえるが、にもかかわらず、彼らには、映画『アメリカン・グラ
フィティ』に出てくる"カーキチ”たちのような攻撃性は失われているのである先このことは、
エイミー・ペッカリング監督の『リッジモソト・ハイ』という一見『アメリカン・グラフィティ』
の二番煎じのようなスタイルでつくられた映画で卑がもはや青春のシンポルとしてあつかわれて
いないこととも無関係ではないだろう。今日のアメリカの平均的な青少年像は、車の運転に締を
出すほど勤勉ではなく、むしろG・B・トウルドゥーのコミックス、ドゥーンズバリー・シリー
ズの登場人物たちのようにナルシシズム的で怠怖な印象を与える。こうした怠怖な精神のなかに
残っている自動車文化時代のなごりの欲求をみたす装置として、コンピューター・ゲームは効果
的なのだろう。
それゆえに、自動車文化が支配的で、それに固有の郊外生活、二戸建て住宅志向、"個人主、義。
などが急速に浸透しつつある日本で、コンピューター・ゲームが、アメリカよりももっと稜梅的
な意味で車への欲求の"代償行動。にならないはずはないのであって、実際に、コンピュータ
一・ゲームは、自動車を運転することに象徴される自動車文化的な欲求を増強させ、その満たさ
れない部分を治療するというような機能をはたしているのである。
現代のおもちゃは、子供の自発的な遊びの欲求からつくられたものではなく、むしろ大人が子
供をどう遊ぱせたいか、子供の自発的な意志を一応尊重しながら子供をどう導いてゆくかという
大人の側の教育的、精神療法的な欲求からつくられる。それゆえ、おもちゃがその時代の支配的
な文化を直接反映するのは当然であり、そうした傾向が強まれば強まるほど、おもちゃは単に子
供の所有物ではなくなってゆく。これは、実際に、コンピューター・ゲームが大人のあいだにも
普及しているという現銀のなかに如実にあらわれている。デパートのおもちゃ売場でゲーム・マ
シーンをいじっているのは子供だけではない。原宿のキディランドなどに行ってみると、場所柄
か、客の大半は青少年属である。
しかし、ワルター・ベンヤミンの見堺な哲学的おもちゃ論(丘澤静化訳『教育としての遊び』)によると、
大人がおもちゃに夢中になるのは何もいまはじまったことではなく、すでにドイツの古い絵には、
クリスマスツリーの下で父親が息子にプレゼントしたばかりの鉄遮のおもちゃで夢中になって遊
び、そのそぱで子供が泣いている図があるという。ベンヤミンによると、遊びとは、つねに一つ
の解放を忠味するものであって、大人は出口のない現状におびやかされれぱされるほど子供つぼ
い遊びに関心をもち、実際に第一次大戦の末期ごろからドイツでは、一般に子供の遊びや子供の
本に対する関心が高まったという。ただし、コンピューター・ゲームが子供にも大人にも普及し
ているということは、ベンヤミンのこうした論法では十分に説明できないだろう。というのは、
今日の社会には、ベンヤミンの時代のような明確な彩では子供文化や子供の領域が存在しないか
らである。
自動車が、本来、大人向きの道具であり、自動車文化は必然的に大人の領分と子供の領分とを
分割するのに対して、コンピューター・ゲームは逆にそうした区別をとりはらう。コンピュータ
ー・ゲームで遊ぶ大人は、子供のおもちゃを奪って、子供の世界に遊ぶのではなく、またコンピ
ューター・ゲームで遊ぶ子供の方も、むかしのように大人の世界から明確に区別された子供の世
界に没入するわけではない。むしろ、大人も子供も、いままでにはなかった世界に入りこむので
あり、そうした”虚"の世界をつくり出すことがコンピューター・ゲームの根本的な機能なのだ。
自動車を運転する老は、具体的な物としての道路や通行人に自分の生身の身体でかかわるのに対
して、コンピューター・ゲームを操作する者は、エレクトロニックス的に構成されたシミュレイ
ションの世界にかかわる。むろん、ブラウン管や液晶モジュール盤にうつる映像には、操作者の
予測をこえた独自の性格があり、それは、操作者にとっては一つの物のようにふるまうわけだが、
たとえばレーシング・カー・ゲームのプラウソ管にうつる”障害物”は、自動車に乗っていると
きに出会う現実の障害物とはちがい、操作者の身体を傷つけることは絶対にない。
コンピューター・ゲームの世界には、人や物を含めた意味での他者がいないのである。それは、
操作者の一人だけの世界であり、そのゲームは一人遊びとなる。自動車は、それを操作する者を
他者のもとにはこぷのだが、電子装置は操作者を他者に向かってひきのばし、しかも他者と合体
させることは決してない。たとえば、わたしがワイヤレス・マイクで他人に語りかける場合、受
信者はわたしの声を身近に感ずることができるとしても、手をのぱしてわたしの身体にふれるこ
とはできない。このことはテレビの場合も同様で、ブラウン管に顔のどんなに肉感的な映像がう
つったとしても、それにさわろうとしてさしのべた手にかえってくるのは冷いガラスの感触だけ
なのである。つまり、エレクトロニックスの装置は、わたしが他者に近づけば近づくほどわたし
を世界から孤立させるという性格をもっているわけだ。
岩佐京子『テレビに子守りをさせないで』(水曜杜)によると、幼児のめんどうをみる手間を省
くために幼児にテレビをあてがうことが一般化しているが、これは、子供を自閉症にする危険が
あるという。むろん、テレビをじっと座ってみているのと、ゲームの操作盤を動かしながら映像
にかかわるのとでは反射神経の使い方が異なるし、幼児も少し年齢が上になると、テレビのチャ
ソネルをひんぱんにいじりまわし、受像機を一種のゲーム・マシーンにしてしまうようなところ
があるから、一概には言えないが、自閉症とは、身体の運動感覚の障害である以前に、外の世界
へのかかわり方の障害であるとすれば、ゲーム・マシーンに熱中する意識には、大なり小なり白
閉症的なものがあると言ってよい。
しか↓、大人も子供も、みな”自閉症"になってしまえば、”自閉症"はもはや病気の名称では
なく、文化の動向を言いあらわす名称になる。今日のアメリカ社会にみられる"ミー・イズム”
とは、いまや文化と化した"自閉症”のことであり、マイクロエレクトロニックスの時代に生き
るわれわれを規定する支配的な文化なのである。
眼――写真のテクノロジー
誰でもが写真を撮るという習慣は、それほど昔からあったわけではない。ロール・フィルムを
開発したアメリカ合衆国のイーストマン(・コダック)祉が、フィルム市場の飛躍的拡大をねら
ってアマチュア向きのカメラを発売しはじめるのは一八八八年であるが、その価格は一〇〇枚撮
りのフィルムがついて二五ドルだった。全部撮り終わったらカメラごとニューヨーク州ローチュ
スターのイーストマン社に送り、現像、焼付、フィルム交換をしてもらう。この費用が全部で一
〇ドルだった。この時代の物価は、たとえばゴア・ヴィダールの歴史小説『一八七六年』による
と、ピール一杯が五セント、一流レストランの定食が七五セントだったというから、どんなに安
く見積っても現在の二〇分の一以下であり、その点からするとカメラはそれほど高いとは言えな
いが、フィルムとDPEの費用がおそろしく高い。これでは、アマチュア用と言っても、大衆の
誰でもがカメラをもっというわけにはゆかない。
しかし、それからおよそ一〇〇年後の今日、世界の多くの人々がカメラをもち、写真を撮るよ
うになった。日本では、すでに一九六九年において、八五パーセントの家庭にカメラがあると報
古されている。少なくとも日本にかぎって言えば、写真を撮ったことがない、カメラを操作した
ことがないという大人はほとんどいないはずである。いまや、写真とカメラはきわめて日常的な
社会現象なのである。では、わたしたちがカメラを握り、写真を撮ることによって何が変わった
のだろうか?
今日でも、写真撮影は専門家の手にゆだねられている部分があり、したがって写真論は、専門
家の写真技術と専門家によって撮られた写真の解釈を主要テーマにしている。むろん、専門家に
よって撮られ、雑誌や木、広告板等に印刷された写真は、今日の社会環境そのものを形成してお
り、それはすでに必要欠くべからざるメディアの機能をもはたしているから、それを論ずる写真
論は、もはや単なる技術論や映像論ではなく、より広い領域にかかわる社会論であり、メディア
論であらざるをえない。実際に、そのような写真論は数多く書かれており、今後も書かれるにち
がいない。しかし、写真論をもっと本格的な社会論やメディア論として論じようとするならば、
専門家の写真の領域にとどまっていることはできないだろう。また、撮影された写真や印刷され
たその複製-そこには非専門家の撮ったものも含まれるとしても の解釈にとどまることも
できないだろう。写真を撮るということが、すでにわたしたちの日常的身ぶりの一つになってい
るのだから、この行為と身ぶりこそが主題にならなけれぱならないはずだ。
カメラがカセットニァープレコーダー以上に身近な道具になり、カメラを握るということが日
常的身ぶりの一つになったのは、いわゆる”EEカメラ"が普及してからで、それまではどんな
に簡単なカメラでもシャッター速度と絞りぐらいは合わせなければならなかった。その後、カメ
ラのメカニズムはどんどんオートマティックになり、今日では露出、フィルムの捲きあげはおろ
か、焦点距離の調節もフラッシュの装損も全部メカニズムが向動的に行なうカメラも出来ている。
これは、少なくとも写真を撮るということの意識を変える。解出の選定や焦点距離の調節がマ
ニュアルである際には、撮影者は、被写体の状況を向分の肉眼で直接ながめ、それに対する一定
の判断をもたなければならなかったが、いまや撮影者は被写体を直接見る必要がない。全然被写
体を見なくても、シャッターを押しさえすれば何かが鮮明に映るのであり、ある特定の被写体を
写す場合でも、ファインダーを通じてながめれぱよいのである。つまり、撮影老と被写体との関
係は、撮影者の生身の身体を被写体に向かって投げかけるような直接的な関係ではなく、ファイ
ンダーの氾千機構を介した媒介的・メディア的な関係なのであり、その意識は、被写体の存在を
忘れる忘却的な意識である。
カメラの普及の大きな要因は、人々の記録に対する情熱である。たびたび来るわけにはゆかな
い外国の風物を、二度と見ることのない幼児の成長過程を記録に残し、肉眼を通じての有限な知
覚を無限にひきのばしたいという情熱が、カメラのシャッターをかぎりなく押させ、大量のフイ
ルムを消費させる。しかし、カメラを握っているあいだは被写体との直接関係が絶たれるという
点においても、撮影者は写真を振れば撮るほど被写体についてのライブな経験を失い、被写体の
存在を忘却するのである。
一昨年、オーストラリアに二ヵ月ほど滞在したとき、その限られた時間を最大限有効に使おう
という愚かな考えにとりつかれたわたしは、それまでの外国旅行のときには決して行なわなかっ
たような頻度で、カメラのシャッターを押した。わたしのカメラは旧式で、距離や露出をあわせ
なければならない方式のものだったので、最新式のオiトフォーカス・タイプのものを使う場合
にくらべれば、はるかに被写体を凝視する機会にめぐまれたと言えるが、それでも、いま考える
と、写真を撮った場所の体験は-体に刻みこまれているような記憶1が欠落しているのであ
る。写真を振らずにうろつきまわった場所、カメラの被写体としてではなく接した人々について
の記憶は、依然として生きており、たえず再活性化されて立ちあらわれてくるのだが、写真に映
された場所や人々は、それらのプリントを見てしまった場合にはなおさらのこと、もはや”想像
変更"することのできない固定したタブローのように、わたしの意識にかかわっているにすぎな
いのである。
ただし、日常的な身ぶりと化してしまった写真撮影にも意外な機能がある。それは、カメラが
日常のごくありふれたものとして機能せず、写真撮影が非日常的な身ぶりとして異化される場合
である。」昨年、三ヵ月ほど二星ーヨiクに行ったとき、わたしははじめてブルックリンの黒人街
に住んだ。ずっとマンハヅタソにばかり住んでいたので、ブルックリンの新しい環境がわずらわ
しいうえに、黒人たち(主として西インド諸島系のウェスト・インディアン)のサブカルチャー
に関心をひかれ、毎日その街をほっつき歩いていた。が、その経験にもとづくニューヨーク論を
ある雑誌に書くことになり、わたしの経験の現場のドキュメントとなる写真を何枚か振らなけれ
ぱならないはめになった。もう帰る日が数日後にせまったある目、わたしはしぷしぷカメラをも
って街に出た。しかし、マンハ・ツタソのグリニッジ・ヴィレッジやソホーとちがい、ここは観光
名所ではない。街で写真を撮っている者は皆無だ。大部分が黒人であるこの街ですでに”異邦人。
的な位置に置かれているわたしがこのうえカメラをかまえると、その身ぶりはますます非目常的
に異化され、目立ってしまう。が、路上でサッカーをやっていた黒人少年の一団にカメラを向け
たとき、そのうちの何人かが親しげに手をふったのをみて、わたしはふと思った。カメラはとき
には道化師の仮面のような役割をはたすのではないかと。そのときから、わたしは写真を写すこ
とが少し楽しくなった。というよりも、写真を写すことによって新たに生ずる被写体の変化とそ
のようなドラマにかかわるわたし自身の体験が、印象深く記憶に残るようになった。いわば、以
前だったらプリントの静止した映像の部分だけがぽっかりと空白になってしまった部分に、カメ
ラどいつ仮面をつけて演技している自分の生ける記憶がたえずよみがえってくるようになったの
である。
カメラが道化師の仮面であり衣装であると考えると、わたしのある友人の不可解な行動の意味
も解けてくる。彼は、広告関係の仕事をし、写真についてはセミ・プロ級の腕をもつ男なのだが、
彼は、ほとんどカメラホリック(カメラ中毒症)と言ってよいほど、たえず写真を写している。は
じめわたしは、彼は写真が好きでプロのカメラマンになることをめざしているのかと思った。が、
次第にわたしは、彼が集団で話したり、酒を飲んでいるときには、ほとんど口を開かないことに
気づいた。そのかわり微笑をうかべた穏和な表情で、彼は突如としてカメラをとり出し、一座の
人々に向けてシャッターを切る。それは、最初のうち、彼の記録魔的欲求から生ずる身ぶりなの
かと思ったが、どうもそうではないようだ。むしろ、それは、座談に対する彼一流の反応であり、
彼のカメラとそれを操作する身ぶりは、それぞれに「うん、そうだね」とか「そうかなあ?」と
か「おもしろい、おもしろい」などという無言の言葉を発しているらしいのである。
その意味では、今日、アマチュア写真は、記録ということよりも、ある種の演劇的行為をめざ
しており、カメラは記録装置としてよりも、演劇の小遣具の機能をはたしていると言えないこと
もない。もともと写真撮影は、儀式の性格をもっていたが、それが今日、いわばアマチュア演劇
としての写真撮影という形でよみがえるのである。一般に、アマチュア写真の被写体は、家族や
旅行先の風物やヌードであることが多いと言われるが、これは、写真撮影そのものが日常的なも
のと非日常的なものとのあいだをゆれ動く一つの演劇的行為であると考えれば納得がいく。
カメラが仮一血であり衣裳であるということは、カメラがメディアであるということでもある。
その際、・メディアは、それが身体的コミュニケイシヨソの媒介として機能すると同時に、身体か
ら切り難きれて一人歩きし、断絶の機能をはたすこともある。すなわち、カメラのメカニズムが
オートマティックになり、身体がその"自然”な運動の範囲を越える身体運動をせずにカメラを
操作できるようになるにつれて、撮影の身ぶりは身体の日常的身ぶりと同化し、それをいささか
なりとも豊かにするが、他方では、知覚や記憶、さらには対話のような身体運動までもすべてカ
メラのメカニズムと撮影の身ぶりに代理させるような倒錯が生まれもする。外国を旅行し、膨大
な枚数のフィルムを消費したが、肉眼ではその風物を見てはこなかったというような極端な例も
あるのである。
しかしながら、カメラと身体との完全な倒錯は、現在のところ、ある一つの点でくいとめられ
ている。それは、現在のカメラでは撮影とプリントとのあいだに時間差があり、ポラロイド、コ
ダマチック、フォトラマのようなインスタント・カメラでも、撮影してから一、二分待たなけれ
ばプリントを見ることができないという点である。このため、撮影者は、自分の肉眼がカメラの
レンズと同じように機能し、つねに対象をプリントの画面に映っているような姿で知覚している
のだと思いこむ倒錯からまぬがれるチャンスを与えられている。被写体に対してとめどもなくシ
ャッターを切るカメラホリックは、その時点ではプリント画面の映像を意識せず、またときには
フフイソダーを通して網膜に緒ばれる映像をすら忘却しがちだが、それならばなおさらのこと、
プリントが出来あがった時点でその画面のうえに知覚する映像は、被写体そのものとも、その網
膜映像とも関係がないのである。それは、ある意味でつねに新たな創造であって、被写体そのも
のや網膜映像の再現ではないのである。
これは、今日のカメラ・メカニズムが相当程度電子化されているにもかかわらず、フィルムと
いう古い化学的なメディアニアグノ貝ジーに依存しており、カメラ自身が二重のメディア性をも
っているために可能となる。つまり、現在のカメラには、異質な体系が混在しているのであり、
その差異性のためにカメラは完全には身体に同化できず、それが身体にとっては一つの救いにな
っているわけである。これは、たとえばビデオレコーダーの場合とは大いに異なっている。モニ
ターを同時に見ながら撮影できるビデオレコーダーの場合、そこには機械工学的、電子的、電磁
気的(たとえばレコーダーのヘッド部分)なシステムが混在しているが、電子的なシステムと電
磁気的なシステムとのあいだには、電子的なツステムと化学的なシステムとのあいだにあるよう
な大きな質的差異はない。そのため普通のカメラは、現像所に依存せざるを得ず、またポラロイ
ドのように極度に自動化されたカメラでも、一度使用したフィルムを消して再使用するわけには
いかないように、 ”外部"に相当依存しているのに対し、ビデオレコーダーは、そのような”外
部"をそれほど必要とせず、それ自体で自律的なシステムになることができるのである。化学的
なツステムや機械工学的メカニズムが、所詮は身体の延長としての道具の位置にとどまるのに対
して、電子的なシステムは脳細胞を含む身体そのものとすりかわるところまでエスカレートする
のであり、ここからAI(キ毒象=幕豪σ・98人工知性)の観念があたかも真実であるかのような倒
錯も生まれてくる。砥子メディアには、一面で、そのシステムが感覚器官を通過せずに、直接脳
髄に結接されることへの限りない欲望が存在するからである。
カメラが、化学的なメディア・テクノロジーに依存したフィルムや印画紙を用いる時代はまも
なく終るだろうという説もある。それは、一九八一年八月に試作品が発表されたソニiの電子カ
メラ"マビカ。によってたきつけられたものだが、その可能性は大いにある。このカメラは、一
九七〇年にアメリカ合衆国のベル研究所で発明されたCCD(電荷結合素子)撮像板をフィルムの
位置に置いたカメラで、この原理はすでにビデオカメラでは一足先に実用化されている。ビデオ
カメラに使わているCCD撮像板は、従来のイメッジ・オルシコンよりはむろんのこと、近年実
用化されたサチコン撮像管などよりもさらに小型で、その本体はたった横八・八ミリ、縦穴・六
ミリの大きさしかない。ソニーの電子カメラ"マビカ”は、この点に注目したわけで、CCD素
子が光から交換した電子情報を、取りはずし可能なメモリー素子に記憶させるという形式をとっ
ている。写真のプリントにあたるものを見るには、このメモリー素子を再生装置にかけてテレビ
画面に映像をうつし出すか、それをさらに電子コピーの装置にかけてプリントをつくるかするわ
けである。
一九八三年九月現在、 "マビカ”はまだ商品化されておらず、CCD撮像板も高価であり、解
像力もフィルムにはおよぱないが、今後この方式のカメラが八ミリ撮影機に対するビデオレコー
ダーの位置におさまる時代が来ることは十分予測できる。その際、問題は、この電子カメラが、
いかなる点で自分をビデオカメラと区別しなければならないか、つまりそれがビデオカメラのよ
うに連続的な映像をではなく、ワソ・ショットずつの断続的な映像をとりあつかうことに執着す
る根拠をどこに見出すかである。というのも、ビデオカメラは原理的にこの電子カメラといささ
かもちがってはおらず、前者は後者の機能をすべて満足させることができるからである。
いずれにしても、カメラがフィルムを必要としなくなるとき、写真撮影は、録音ということが
一九三〇年代にはまだシェラック・ディスクのレコーダーによるひじょうに意識的な作業だった
段階から今日のカセットニァープレコーダーに・よるあまりに無造作な作業になったのと同じよう
に、いま何が撮影されているかをほとんど意識せずに行なわれる一つの自動過程になるだろう。
そしてそのときになってはじめて、わたしたちは、被写体やイメージをワソ・ショットずつの射
映によって区切るということが本来何を意味しているのかを考えはじめるだろう。
セックス――ホモセクシュアルとコンピューター
ゴダールの映画『パッション』のなかに、映画監督役のジェルジーがイザベルという若い女性にセックスを誘われたとき、全く気のない顔をしながら、「セックスがいやなのは、労働がいやだからだ」とつぶやくシーンがある。ここでわたしは、久しくその新作に接することのなかったゴダールが、いまでも現状況へのアクチュアルな感性を失っていないことを確認することができたと思ったのだが、それは、セックスが労働と化してしまうのが近代社会の動向であるからというよりも、むしろ、労働と化したセックスに対する"労働の拒否"とシステムによるその懐柔や先取りとが、先進産業社会でいままさに先行しつつあるからである。
すでにゴダールは、ウジューヌ・イオネスコやロジェ・ハディムらといっしょに作ったオムニバス映画『新・七つの大罪』のなかで「怠けの罪」の章篇を担当し、セクシーな女性(ニコール・ミレル)にさんざんくどかれたのに、最後には服をぬぐのがめんどうくさいというので、一向に行動にうつらない"怠惰"な男(エディ・コンスタンチーヌ)を登場させていた。終始憮然とし、レイジーなこの男の態度がことごとく滑稽なのは、誰でもが普通、何の疑いもいだかずに行なっている"労働"を拒否するからであるが、とりわけ、これまでの怠惰男の場合には――オブローモフもものぐさ太郎も――セックスという労働にだけは嬉々として従ったのに対し、この怠惰男はセックスも他の"労働"と同様に等しく拒否してしまうからである。
映画のなかのこの個人的な試みは、やがて一九七〇年代になって、大きな社会運動の形にまで発展した。七〇年代のイタリアで展開された運動のなかに、"家事労働に賃金を"という運動があり、家事、育児、セックスといった"労働"――のちにイヴェン・イリイチが「シャドウ・ワーク」と名づけたもの――に対して、そこから利潤を得ている企業や国家はその"正当"な賃金の支払いを行なうべきだと、まじめに主張した(これらの運動は、総称的に"白已減圧"〈アウトレドゥツイオーネ〉の運動と呼ばれる)。むろん、これは戦略であり、問題はそのような主張を認めさせて女性のすべての活動を完全に資本の論理のなかに収めることではなく、資本の論理を逆手にとったこの運動によって、ふだんは見えない資本の強制と間隙とを同時に暴露し、女性の自律的な条件をおしひろげることだった。
この"家事の労働に賃金を"運動に強い影響を与えたフェミニストのマリアローザ・ダラ・コスタ(アントニオ・ネグリの教え子)は、一九七二年に発表した論文「女性のパワーと社会の変革」(『資本主義・家族・個人生活』亜紀蓄房、所収)のなかで、「働かないという闘争」を理論化しているが、この論文の最後のところで次のように言っている。
「フロイトはすべての女は生まれたときからペニス願望に苦しんでいるとも言っている。しかし、彼は次のことを加えるのを忘れた。この願望という感情がはじまるのは、ペニスをもつことが何らかの方法で権力をもつことを意味するということを女が認識した瞬間からである、ということを。いわんや彼は次のことには気づいてさえもいなかった。すなわち女と男の分離が資本主義的分業となったまさにその瞬間から、ペニスの伝統的な権力はまったく新しい歴史に足をふみ入れたのである。/そして、まさにここからわれわれの闘争が始まるのである。」
ダラ・コスタのフェミニズムは、明らかに単純な男女同権論的なフェミニズムを超えており、イリイチがのちに「ヴァナキュラー・ジェンダー」(山本哲土編『経済セックスとジェソ・ター』新評論)で展映した問題への射程を含んでいる。女性の自律とは、女性の唯一性〈サンギュラリテ〉であるヴァナキュラー・ジェンダーを奪還することであって、単なる「膣に対するクリトリスの復権」ではない。
しかしながら、一九七〇年代を通じて先進産業国で全般化しはじめたのは、そうしたラディカルなフェミニズムを懐柔する動きであり、男女同権論的なフェミニズムは、男性の職場への女性の進出を促進する点においてもシステムの利害にみあうものとなった。それは、女性のヴァナキュラー・ジェンダーとしての特権を伸長させるのではなく、男性と同等の権利を享受することを女性が求めるのであり、まさに栢木利美が同名のすぐれたレポートで示しているように『女にできない職業はない』(栢木利美著、冬樹杜)と主張するのである。
この立場からすると、"ヴァナキュラー・ジェンダー"などというものは、女性差別の歴史的産物以外の何ものでもなく、そのため、イリイチは、『ジェンダー』(パンテォソ社)の出版以来、アメリカでフェミニストたちの猛烈な批判にさらされることになった。たしかに、メディア効果という点から考えると、イリイチのジェンダー論は、女性がジェンダー以前の生理的・生物的条件として当然与えられるべき権利の不当な差別を固定するためのイデオロギー装置として利用される可能性が多分にある。ある意味では、ヴァナキュラー・ジェンダーを否定しなければ、女性差別の撤廃運動は前進できない。しかし、同時にまた、その奪遠を究極的な目的としなければ、フェミニズム運動は結局のところ、男性の価値と論理が支配するシステムのなかに解消されてしまうことになる。そこで、もっと急進的なフェミニズムは、女性のヴァナキュラー・ジェンダー、つまりは女性の固有性こそがすべてであり、それは男性のヴァナキュラー・ジェンダーに対して優位に立っているのだという方向を強調する。彼女らにとってイリイチが批判の対象になるのは、彼がヴァナキュラー・ジェンダーにおいては男も女も"同等"のレヴェルに立っているとするからである。しかし、イリイチからすれば、ヴァナキュラー・ジェンダーを失っているのは男も同じことであって、その再発見は両者の課題なのである。
その意味で、アーシュラ・K・ル・グィンが一九七六年に発表した「ジェンダーは必要か?」(山田和子訳、『季刊NW-SF』一九八O年九月号)で、「我々は生涯におよぶ社会的な条件づけを受けているために、純然たる生理学上の形態と機能は別にして、男性と女性とを真に区別しているものが果して何であるかということを明確に把握できない状態にある」と言っているのは正しい。彼女は、そうした本質的な差異について、「僅かでも信頼しうる実証を与えてくれるのは今のところ比較民族学だけであるが、この証拠はまだまだ不完全で、矛盾していることが多い」とし、そこに「サイエンス・フィクションの本質的な機能の一つ」を見出そうとする。実際、グィンは、『闇の左手』(一九六九年)において、特定の期間だけしか発情しない両性具有者が住む惑星の世界を仮構し、地球人とは全く異なる性の可能性をシミュレイトすると同時に、そういうやり方で地球人の現在の性を異化してみせた。また、ケイト・ウィルヘルムやジョナス・ラスのような女流SF
作家の仕事にも、セックスやジェンダーに関し注目すべき発見が少なくない。
しかし、極度に男女同権的な世界、男性だけ、あるいは女性だけの世界、中性的あるいは両性具有的な性の世界等々、SFでは多様なセックスやジェンダーが実験されているにもかかわらず、それが生産システムとの関係でリアルにとらえられることはそれほど多くはない。が、問題にしなければならないのは、生産システムの無意識的な志向性であり、今日の問題に関して言えば、男女同権ということが、産業システムの要求であり、その先進的な部分が、ある意味でフエミニズム運動を必要としているということである。このことは、日本のように、女性差別が恒常化し、下側からのフェミニズム運動が封じこまれてきたような国でさえ、八○年代になって、女性の社会進出や、男性至上主義的(マチズモ)文化の後退が目立ってきたことを説明するだろう。言うまでもなく、今日の産業システムは、サービス社会化、さらには情報祉会化の道を歩んでおり、労働の重心は、物の生産から物の分配へ、さらには情報操作へと移動した。これは、いわゆる"工業化社会"ら"脱工業化社会"への変化であるが、その際、たとえばウェイトレスのサービス労働と受付係の情報サービス労働とを区別するだけでなく、後者のような情報サービス労働が産業システムのなかでますます大きな比重をしめてくる動向を明確化するために、"脱工業化社会は、"サービス社会"と"ポスト・サービス社会"とに分けて考える方がよい。
ポスト・サービス社会においては、かつて男性の特権であった肉体労働は支配的ではなくなり、男性自身がある意味で"女性"化し、労働市場の男女差がちぢむ。そこでは、肉体的なハンディキャップのために女性が男性に対して下位に置かれるいわれはなくなる。差別は、男性同士のあいだにあるのと同じ"知力"〈インテリジェンス〉の差になるわけだ。これは、言いかえれば、労働の情報化が、肉体の差異としてのセックスを解消してしまうことを意味する。七〇年代ごろから、アメリカの革新的な傾向の雑誌や本のなかで、S/HEという表記にしばしば出会うようになったが、まさにポスト・サービス社会では、人はSHEかHEかではなく、S/HE になるのである。それゆえ、ポスト・サービス社会における性は、男性の女性化というよりも、男性と女作の非セクシュアル化、ないしはその不完全な形態としてのホモセクシュアル化とみなす方が適切だろう。そうすると、七〇年代にアメリカやヨーロッバで顕在化してきたホモセクシュアルの問題の必然性も明らかになる。
ホモセクシュアルの解放運動は、この一〇年間に急速に進み、一部の地域では、自分がゲイ/レズビアンであることを社会に向かって堂々と宣言できる"ゲイ・プライド"が確立され、同性同士の結婚制度を認めさせようとする動きすらあるが、それは必ずしもホモセクシュアルの解放の実現ではなくて、ホモセクシュアルの測度化であり、そこではニューヨークのクリストフアー・ストリートのゲイ風俗のような、従来の男女関係を同性同士に移したものは認められるが、もっとラディカルなゲイ解放運動は、厳しく弾圧されるのである。つまり、ゲイは次第に歓迎されつつあるとしても、ゲイの解放は歓迎されないのである。
男性と女性が男/女となり、男/女間に従来のような固定した権力関係が成り立たなくなるポスト・サービス社会では、支配と管理の様式は、当然変わってくる。男性を象徴的な権力、女性を象徴的な被抑圧者としてきた権力閑係では、権力は、肉体的な性差を強調する形で支睨が行なわれたが、そうした肉体的な性差が意味をもたないポスト・サービス社会では、逆にそうした性差を消去することによって支配が貫徹される。その際、肉体的な性差を完壁に消去された理想モデルはコンピューターであり、それを不完全に消去(去勢)されているモデルがゲイであるとすれば、最も標準的な権力闘争は、ますます非セックス化〈ア・セクシャライズ〉する男/女の肉体と、それを情報化することによって陵辱するコンピューター、ないしはそれに同化する男/女とのあいだで行なわれるはずである。
コンピューターや機械の発達以前には、権力とは肉体の占有であり、女性は、そうして占有された肉体の象徴だった。その伝統はいまでもまだ残っているわけだが、コンピューター化きれたAI(人工知能)の発達によって、肉体は限りなくコンピューターや機械に代替されるようになる。従ってここでは、肉体の占有は、必ずしも権力にはならなくなり、それよりもコンピューターによる権力の占有、つまりは情報の独占が、有力な力をもつようになる。いわば、ポスト・サービス
社会の権力者は、"いい女"ではなく、"いい情報"を独占するのであり、怜報を資本にしてその支配を貫徹するのである。それゆえ、もはや資本となりえない肉体の方は、かつてのような豊満さや肉感性を失って、厚みのない、中性的な性質をおびてゆく。ポスト・サービス社会以後の男/女が、映画のE・Tのように、極度に大きな頭と貧弱な下半身をもっようになるかどうかはわからないが、たとえばデイヴィッド・ボウイに対する国際的な人気が示唆しているように、ホモセクシュアル的ないしは中性的な肉体が"現代的"な感覚にアッピールするようになってきている。マンガも、劇画や写真映像的なタッチのものが流行する一方で、肉体の厚みを欠いた人物が描かれているものが増えている。少女マンガがもっているポピュラリティは、むしろ、その中性的ないしは無性的な肉体処理のためかもしれない。
権力が肉体の占有から情報の占有に代わるとき、権カへの意志は、肉体のかぎりない消去と情報化へ向かわざるをえない。肉体は、いまや、肉感的であるよりもスリムである方がよいのだが、それだけでは不十分である。それは、さらに情報化されなければならない。その意味で、コンピューターは、肉体にかぎりなく同化することによって、それを情報化する。今日の権力者は、コンピューターを己の肉体と化すのでなければならない。
ポスト・サービス社会は、一種の"寡頭政治"の世界であり、かぎられた数の男/女が働き、その他は働きたくても思う存分には働けないような社会となるはずだが、それは、産業の重心が情報操作に向かうために、工業化時代のように膨大な数の未・非熟練労働者を必要としないからである。従って、産業システムの外部にはつねにシステムからはずれた遊牧民的男/女が相当数存在し、彼や彼女らは、"精神"的には――システムから排除されるという形で――骨抜きにされ、"内外的"には、逆に無拘束状態に置かれる。彼や彼女らは、働きたくても働けないので、不毛なセックスを労働の代わりにしなければならない。
ここで、奇妙な社会的構図を考えることができるだろう。システムの先端的都分には、自己をかぎりなくコンピューターに近づけ、非セクシュアリティを志向する層がある。これは、最も権力志向的な層である。その肉体は、必然的に非セクシュアル的になる(最も積極的な意味での禁欲主義〈セリバシー〉?)として、ポリモーファス(無形態的)なシミュラクルとしてのポリセクシュアリティを増殖させ、"性の多様化"をつくり出す。しかし、この"多様化"は、所詮、シミュラクルであり、そのうめあわせは、多様なタイプの性的コンプレックスを生み出さざるをえない。それゆえ、この"多様性"は、ホモセクシュアル的な均質性に向かうしかコンプレックスを解消することができないのだが、現実には、たとえば、シンデレラ・コンプレックスの女性とピーターパン・コンプレックスの男性とが簡単にホモセクシュアルになるわけにはゆかないように、話は簡単ではないのである。
テクノロジーをこえて――レッサー・アーツヘの道
レッサー・アーツとは何か? それは、-鶉ω9實房であり、文字通りには、 「小芸術」ないし
は「ささやかな芸術」と訳されるが、もともとはウィリアム・モリスが、普通「芸術」とみなさ
れているものを「グレイト・アーツ」、もっと実用的で日常生活に密着した芸術ないしは工芸を
「レッサーニノーツ」と区別して呼んだことに端を発している。モリス研究に立脚しながら「レ
ッサー・アーツ」という概念を思いきり能動的にとらえなおそうとした小野二郎は、『ウィリア
ム・モリスーラディカルニアザイソの思想』(中公新書、一九七三年)のなかで「小芸術」の意味
をおおよそ次のように解釈している。
レッサー・アーツとは「日常生活の身のまわりのものを美しくする」(モリス)芸術の総体を言
い、家屋姓築、塗装、建具、大工、鍛冶、製陶、ガラス製造、織物などを含む工芸のすべてであ
るが、それは、日常生活を単に粉飾したり、日常生活に単に便宜的に付け加わえているものでは
ない。レッサー・アーツとは、むしろ「人問の生活にかくべからざるもの」であって、その意味
では、芸術が本来もっているはずの機能を強調しているにすぎない。モリスがレッサー・アーツ
の恢復をとなえたのは、「芸術の総合性の地盤」をとりもどし、「大十一ム術となった瞬間失ってしま
った本来の芸術の機能を小芸術の復興によって取り戻す」ためであった。
こうした発想を一層具体的に理解するうえで、鶴見俊輔の「限界芸術」という概念を検討して
みることは、ひじょうに有益だろう。小野二郎は、鶴見の「限界芸術」を十分意識しながら彼の
モリス解釈を展開しているのだが、鶴見白身も、この概念のプロレゴーメナとも言うべき論文
「公術の発展」(展界芸術論』動班書房、一九六七年)のなかで、「限界芸術」という彼の考え方が、ショ
ソ・ラスキン、ウィリアム・モリス、エドワード・カーペンター、ハヴニロック・エリス、アナ
ング・クームラスワミ、エリック・ギル、ハーバート・リiドらの著作に見出せると言っており、
この概念が小野二郎の解釈したようなレッサー・アーツの概念と同じ系譜に立っていると断定す
ることは決して牽強附会ではない。
鶴見の「限界芸術」は、もともと英語の昌胃σ・巨巴胃甘から発想されている概念であり、鶴見
はこの論文のなかで、一般に「芸術」と呼ばれている作品を「純粋芸術」(署冨葦)、「この純粋
芸術にくらべると俗悪なもの、ニセモノ芸術と考えられている作品」を「大衆芸術」(唱呈胃き)
と呼び、「両者よりもさらに広大な領域で芸術と生活の境界線にあたる作品を「限界芸術」と呼
ぷことにする生言っている。
「限界芸術」は、鶴見にとって、「五〇〇〇年前のアルタミラの壁画以来、あまり進歩もなく今
日まで続いている」ものとみなされているが、「純粋芸術」を「少数専門家によってつくられ少
数専門的鑑賞者によって享受される」ものとし、また「大衆芸術」を「少数専門家によってっく
られた多数の非専門的鑑賞者によって享受される」ものとするならば、「限界芸術」とは、大衆
白身がその生活のなかでみずからつくり出した生活文化に近いものだと考えてよいだろう。
しかしながら、レッサー・アiツや限界芸術という概念は、十、酉術や文化の特定ジャンルを区別
するためのものではない。「芸術の発展」の末尾に付されている分類表「芸術の体系」によると、
「限界芸術」は、たとえば「阿波おどり」、「竹馬」、「生花」、「漫才」、「らくがき」、「手紙」、「祭」
といった形で、「大衆芸術」や「純粋芸術」とはっきり区別されたまとまりのジャンルとして与
えられているかのような印象を受ける。しかし、問題をそのようにスタティックにとらえてしま
うことの分類表は全然生きてはこないのであって、やはり「限界芸術」も歴史的な制約を負って
いることに留意しなければならない。
問題の表を注意ぶかくながめるならぱ、タテ軸に「身体を動かす」、「建てる」、「かなでる」、
「えがく」、「書く」、「演じる」という六つの「行動の種類」を区別し、ヨコ軸で「限界芸術」、「大
衆芸術」、「純粋芸術」という「芸術のレヴェル」を区別しているこの分類表で、三つのレヴェル
テ
に段附,つけられているものが何であるかは容易にわかるはずである。それは、鶴見自身、「二〇
世紀に入ってマス・コミュニケーションの手段の発達、民衆主義的政治・経済制度の世界的規模
における成立とともに、純粋芸術と大衆芸術との分裂は決定的なものとなった」と言っているよ
うに、メディアの規模と質であり、メディアこそが「限界芸術」と「大衆芸術」と「純粋芸術」
とを段階づけるのである。
従って、鶴見のこの論文が発表された一九六〇年以後、目木のマス・メディアの状況はトラス
ティックに変化したのだから、鶴見がこの分類表で「限界芸術」に入れているものは、今日その
ままの形で「限界芸術」とはみなしがたいと考えなければならない。;胃にして言えば、「限界
芸術」と「大衆芸術」とのちがいはマス・メディアに媒介されているかどうかのちがいだが、た
とえば鶴見が「限界芸術」に分類している「祭」は、今日、大都分文化産業によって組織・演出
されており、また、それ自体はテレビの全国中継といった形でマス・メディア化されていなくて
も、その演出方法や効果の追求などの点で大なり小なりマス・メディアの影響を受けているので
ある。いわば、われわれの日常行動はひじょうに多くの部分にわたって「大衆芸術」化されてき
ているのであり、マス・メディアの影響をはなれたぎりぎりのマージナルな限界がひじょうに狭
まっているのである。
他方、一「純粋芸術」も「大衆芸術」によって浸食された。いま『ぴあ』のような情報誌をみる
と、かつての分類では「純粋芸術」とみなされていたはずのヨーゼフ・ボイスから、「大衆芸術」
のタモリまでの記事が等価にあっかわれているのを発見できるが、「純粋芸術」は、いわばポッ
プ・アート化しているのである。藤枝晃雄が「真正のキッチュ」(「現代美術の展開』美術出版社)で指摘
しているように、ポップ・アートのはしりとみなされているイギリスのリチャード・ハミルトン
のコラージュ「いったい何が今日の家庭をかくも異質で魅力的にしているか」(一九五六年)には、
どこにでもあるような大衆雑誌から切り抜かれたヌード写真やありふれた日常的際物の写真がコ
ラージュされているが、この作品は、大衆的なイメージを用いているからといって大衆芸術のよ
うに多くの人々を享受老にするわけではなく、逆に大衆芸術をパロディ化し、反大衆的な芸術と
して機能している。「純粋芸術」は、何らかの形でマス・メディアを意識し、しかも屈折した形
でしか「大衆芸術」から自己を区別することができないのである。つまり、ポップ・アート以降
(それはマス・メディアの過剰な浸透以降ということと同じだが)「純粋芸術」と「大衆芸術」と
のちがいは、スタイルやフォルムのちがいではなく、メディアのちがいになり、いわば、同じ行
動や身ぶりがテレビで伝達されれば「大衆芸術」となり、画廊で上演されれば「純粋芸術」に
なるといった事態が光進した。
しかし、「限界芸術」が、マス・メディアに媒介されていない直接的な行動に属しているとい
うことには変わりはないだろう。それは、生身の身体が身体や物に時問的にれ接かかわることの
なかで生じるのであり、まさに素手のおよぶ「生活世界」の内部であらわれるのである。鶴見は、
柳宗悦「茶道を想う」を援用しながら、茶道が本来もっていた(しかし、じきに失ってしまっ
た)「用の美学」について述べているが、その柳宗悦の引用の一部に次のようを青葉がある。
「用う可き場所で、用う可き器物を、用う可き様に用いれば、自ら法に帰ってゆく」
「限界芸術」とは、こうした「法」に帰属する技術であり、生活と芸術が「幸福」な統一を保っ
ているぎりぎりの限界点で機能している技術だと言うことができよう。フッサールは、近代科学
がテクノロジーという形をとって、「生活世界」を忘却させていったプロセスの本質を『ヨーロ
ッバ的諸科学の危機と超越論的現象学』のなかで論述しているが、テクノ回ジーがその経済的効
率や便利さとともに忘却させたものは身体性の領域ないしは素手でできる技術の領域であり、鶴
見の言う「限界芸術」の領域であった。ハイデッガー圭言っているように、古代ギリシャ語の
「テクネー」(雪車砕)という言葉のなかでは、芸術11手仕事11技術がまだ一体をなしていた。テ
クネーとは、自然、物、身体そして精神の「法」にかなった行為であって、何か人工的に設定さ
れた目的に向かって「投企」することではなく、それはまさに「限界芸術」そのものであった。
しかし、テクノロジーとは、その語源がテクネーにあるのとはうらはらに、そうしたロゴスを数
理法則に変え、テクネーという行為を目的達成のための単なる手段11技術に下落させた。
こうしたヨーロッパ的文明のひじょうに長期的な「歴史的責任」を問い、根木的な出なおしを
しようとする試みは、少なくとも一九三〇年代以降、科学だけでなく他のきまざまな文化側域で
試みられるようになり、今日では政治的な領域でもエコロジー的な環境保全やオルタナティブ・
テクノロジー(AT)が大なり小なり顧慮されざるをえなくなってきた。ウィリアム・モリスが
レッサー・アーツの復興をとなえたのは一九世紀後半のことだが、その意義が再評価されはじめ
るのは一九三〇年代以後のことであり、のちに小野二郎がとらえなおしたようなより能動的な側
面がひき出されるのは一九五〇年代以後のことである。これは、テクノロジーに対する根源的・
総体的な反省がヨーロッバで起こったことと無関係ではなく、レッサー・アーツの問題は、結局、
「テクネー」や身体性や「生活世界」の回復の問題と密接に関連しあっているわけである。
レッサー・アーツのアート(き)は、普通「芸術」と訳され、たとえば絵画とか建築とかいっ
た対象や対象領域を指すが、この語の語源をなすラテン語彗吻の第一義は、テクネー的な意味で
の技術であった。それは、英語のアートのなかにも依然生きており、たとえば彗二〇邑①良品
と言えば、これは「人をよろこぱせるやり方、技術」であり、決して組織化された技術や手段で
はない。いま、このことに留意し、かつレッサー・アーツの問題が、先程述べたようにテクノロ
ジーへの反省と関係があることをあわせて考えるとき、レッサー・アーツは、「小芸術」と訳さ
れるよりも、「ささやかな技術」と訳される方が、その語が本巻言わんとしていることにかなっ
ていると思われる。そしてそのときこそ、レッサー・アーツは、マス・メディアや宇宙ロケット
に象徴される巨大技術としてのテクノロジーとはその究極目的の全く異るテクネーの意味を回復
するはずである。
ウィリアム・モリスがレッサー・アーツを「手仕事」とほとんど同義に用いていることはよ
く知られている。だとすれば、レッサー・アーツは、「ささやかな技術」と訳されるとき、それは
モリスが「手仕事」ということのなかにみていたはずの深い意味をひき出す一助にもなるだろう。
モリスにおける「手仕事」は、しばしば、機械に対する全面的な拒否と単純に混同されたり、
機械生産の過程で行なわれる「分業」の否定として受けとられたりする。しかし、小野二郎によ
ると、モリスは機械生産に対してそれを頭から拒否したのではなかったし、また「分業」に対し
でもきわめて寛容な態度で臨んでいる。それどころか、モリスらがその理念を実現すべく設定し
たデザイソ工房「モリス商会」で製作された装飾、調度品、ステイソド・グラス、壁紙等々は、
いずれも専門家職人の手仕事によって製作されたが、モリス白身はっねにぺーバーニァザィナー
の位置にあり、彼がデザインしたものを手職人が流れ作業によって仕上げるという「分業」体制
をとっていたのである。
このことは、モリス自身がデザインという「自由と創造」の場に身をおき、職人たちは手仕箏
の、何ら自発性を発揮する余地のない単調な反復労働を強いられたというわけではない。それで
は、モリスが手仕事を強調したこともひどく浅薄な意味しかもたないことになるだろう。小野二
郎は、モリスが手仕事を機械生産よりも上位においたのは、「それがより美しいものを作り出す
からではなく、ただ手仕事が機械の仕事よりたのしいから」だとモリス白身が述べていることに
注目し、「しかし、この『たのしい』ということは、デザインの仕事の『自由と創造』にあって、
それを具体化する職人の労働の『単調と反復』にないことなのだろうか」と、問題を一歩前巡さ
せている。そして小野は、柳宗悦の「雑器の美」を引用しながら、手仕事における単調さと反復
こそ、実は、それらが自由と創造に逆転する秘密をにぎっており、柳が「技術に完き老は技術の
意識を越える」と言ったことこそ、モリスにおける「手仕事のたのしみ」の本来の意味ではない
かと推論している。
いうまでもなく、「モリス商会」は、その製品をモリスや職人たちが使用するために作ったの
ではなく、外部からの注文や需要に応じて作った。従って、「モリス商会」の人々は、製品を作
る作業のなかで単純に「用の美学」に徹するわけにはいかなかったわけであり、製品を作る技術
と使う技術との近代的な分業システムを前提したうえで、自分たちの技術が単なる目的達成のだ
めのテクノロジーであることを越えて、テクネー的なレッサー・アーツとなることを要求された
のである。
モリス思想の現代性はまさにこの点にある。たとえば、分業体制のもとで大産される椅子は、
使用者にとっては腰を下ろす(使用する)ためのものであるが、生産者にとっては、そうではな
い。そこでは、生産者は使用者のための手段となり、生産技術を使用の技術に隷属させざるをえ
ない。あるいは逆に、使用者は生産老が勝手に作った製品を無理矢班使わせられることによって、
使用の技術を生産の技術に隷属させざるをえない。
しかし、レッサー・アーツとしての技術はそうした隷属をのり越えようとするわけだから、生
産者は使用老の技術を、使用者は生産者の技術を、さしあたりカッコに入れ、内分たちの技術が
それ自体として自律し、手仕事として、「生活世界」に根ざした技術として、つまりは、レッサ
一・アツとして機能することをめざさなければならない。だから、やや逆説的な言い方をする
と、「モリス商会」の人々が行なった手仕事(生産技術)は、製品を作るためのものであるより
も、むしろ彼らがレッサー・アーツとしての手仕事を実践し、「たのしい」「協同生活」を実現す
るためのものであった。むろん、このことは、彼らが製品の使用のレベルを一切無視したなどと
いうことではない。「モリス商会」が生産した製品は、モリスのデザインとともにその実用的機
能においても高い評価を受けている。問題は、大なり小なりテクノロジーと化している技術をい
かにしてレッサー・アーツに転換するかということであって、それは、たとえばテクノロジーを
一切拒否して原始的手労働にかえるとか、一切の分業を廃して使用者が同時に生産者であるよう
にするとかいうようなやり方とは異なる、より積極的な方向が、「モリス商会」の活動のなかに見
出せるということなのだ。
今日、生産過程にはコンピューターが導入され、生産に手労働が介入する余地はますます狭ま
っている。しかし、生産者を手仕小から遠ざけるこのようなテクノロジーは、必ずしも、使用者
によって使いにくい製品を提供するとは限らない。逆にこうした技術によって、天才的な職人し
か作れなかったような質の高い製品が機械的な操作で生産されることもある。言いかえれば、テ
クノロジーによって生産者が手仕事からひきはなされるかわりに、その製品の使用者は・より本来
の手仕事にたちもどることができるといったことも起こりえる。実際に、深刻なのは、生産の技
術ではなく、こうした生産過程のトラスティックな変化によって、使用すべきおびただしい製品
が使用者のまわりに汎濫したために、使用の技術がすっかりすさんでしまい、ものを本当に使用
する「用の美学」が崩壊してしまったことである。これは、物をコンピューターで生産すること
はできても、物を人問の代わりにコンピューターに使ってもらうわけにはゆかない以上、当然生
じる事態である。
それゆえ、今日では、ものを生産する技術としてのレッサー・アーツよりもものを使用する技
術としてのレッサー・アーツに重点をおいてその復興をとなえなければならないわけだが、もの
を使用する技術のうち、レッサー・アーツとしての機能を露骨に失っているのはマス・メディア
を媒介とする大衆芸術である。メディアと芸術は、それが「手仕泰のたのしみ」を与える「ささ
やかな技術」として機能するとき、それは個々人を結びつけ、たがいにコミュニケイトさせるも
のである。ところが、今日のマス・メディアと大衆芸術は、逆に人々をひきはなし孤立させる機
能をはたすようになっている(粉川哲夫『メディアの牢獄』参照)。
さて、このようにみてくると、 「レッサー・アーツとは何かP」という間いは、われわれの手
仕班の領域、われわれの素手のおよぶ領域の環境論的な構造や目的への問いにまで導かれざるを
えないということがわかってくる。モリスは「レッサー・アーツの恢復」と「碓築の復興」とを
ほとんど同義にあつかっていたが、それは建築が、こうした「生活世界」の最も娃礎的な環境で
あるからである。とはいえ、このことは、雄築という環境をととのえさえすれぱただちにレヅサ
・アーツが恢復されるということではない。 「ゴシック建築論」のなかでモリスは、 「真の挫
築芸術の作品とはむしろ必要な家具類を適当にそなえた、その抄造物の用途、性質、威厳に応じ
て適切な装飾をほどこした雄造物である」(中楴一夫訳民衆の芸術』拷波文庫)とさしあたり言ったのち、
そのような姓築は歴史上ごくまれにしか存在せず、その数少ない例が中世のゴシック雄築である
が、そのようなことが可能になったのは、中世ヨーロッパの自由都市ギルドの職人たちの新しい
社会性のおかげなのだと言っている。レッサー・アーツの恢復は、都市と社会の変革との関連で
考えられなけれぱならないのである。
"情報労働"に賃金を
数年前、バリの売春婦たちが、自分たちも労働者の一員だとして"組合"をつくり、その機関
誌『MACADAM』で、警官に逮捕されたときに課される罰金やこの職業に必要な支出(たと
えば衣裳代や化粧費)を"必要経費"として認め、税金控除の対象にすべきだという大胆な主張
をして話題になったことがある。
この運動を起こした人たちがいまどうしているかはわからないのだが、一九七〇年代後半以降
のヨーロッパの政治・社会状況から判断して、この運動は、ひとにぎりの奇抜な売春婦たちによ
る気まぐれな思いっきではなく、その四、五年まえからイタリアで起こっていたアウトノミア運
動の影響のなかで生まれたものだと言うことができる。"アウトノミア"というのは英語の"オ
ートノミー。つまり"自律"や"自主独立"を意味するイタリア語で、アウトノミア運動とは、
あらゆる労働つまりは人間のあらゆる営みを資本の回路から"自律"させ、"自主独立。させよう
とする試みの総称である。当時イタリアでは、自らをはっきりと"アウトノミァ"と表明する運
動だけではなく、賃労働、主婦の家事労働、居住、ショッピング、公共サービスなどのあらゆる
分野で、資本の回路からの"自律"が問題にされ、労働、教育、都市、メディアなどのさまざま
な分野で多様な運動が展開された。
主婦の家事労働が問題になったのもこの運動のなかであり、あるフェミニスト・グループは、
主婦が育児、料理、洗たく、そしてセックスなどのサービスを「夫に対する愛情から」とか「女
の義務」といった理前で無償で提供させられているのは不当であると主張した。イヴァソ・イリ
イチは、この運動からヒントをうけ、「シャドウ・ワーク」という概念を考え出すのだが、"肉
体"であろうが"精神"であろうが何でも資本になってしまう資本主義システムのなかでは、原
理的に、無償の労働というものは成立せず、もしあなたが、利潤とは一切関係のないレベルで仕
事をしていると思っても、その"無償"の仕琳は、確実に誰かのふところをうるおしているわけ
で、それはやはり、「シャドウ・ワーク」つまり陰の賃労働になっているのである。
おそらく、"無償の奉仕"というものが、ときとしてひどくうさんくさいものに感じられるこ
とがあるのはそのためだろう。そういうものは、資本の論理が貫徹される社会のなかでは、その
当人が、"恩を売って"別のところでもうけるか、その当人が知らないところでその"奉仕"から
利潤を得ている者をうるおすかのいずれかになるのである。この場合、どんなに手のこんだやり
方で"恩を売る"としても、"恩を売る"ことのうさんくささの方は見えやすいのだが、自分で
は気づかずに無償の奉仕をさせられていることのうさんくささはなかなか見えにくい。主婦の家
事労働が「シャドウ・ワiク」であること、もし夫の月給が二〇万円ぐらいだとしたら、その妻
の家事労働は、月給にすると三〇万円は下らないということ、こうしたことは、イタリアのフェ
ミニスト運動のなかではじめて明るみに出されたのである。
ただ働きをさせられているのは主婦だけではない。産業社会の歴史は、資本の回路を社会のす
みずみまではりめぐらせ、浸透させることをもって、"発展"とみなしてきた。道路、車、鉄道、
飛行機といった交通機関は、資本の初歩的な回路であり、電話、電信、ラジオ、テレビ、衛星通
億といった電子メディアは、より上級の質木の回路である。初歩的な資本の回路では、資本は目
に見える物に乗って移動する。だから、"労働の搾取"も、物やそれを操作する"肉体"のレベ
ルで集中的に行なわれ、"精神"のレベルにはわずかに搾取をまぬがれる可能性が残される。こ
こではまだ、「身は売っても心は売らぬ」と、言うことができた。しかし、資本が電子メディアに
乗って移動する時代になると、そんなことはもはや通用しなくなる。資本は、"肉体"のレベル
にだけではなく、"精神"や"心"のレベルにまでどんどん侵入してくるから、別に体を動かし
てはいなくても賃労働をし、それが誰かのふところをうるおすということも起こりうる。
今日では「アイデアを売る」とか「情報を売る」とかいうことはごくあたりまえである。奇抜
なアイデアや新鮮な情報は高く売れる。それは、額に汗水たらす"肉体労働"ではなく、考えた
り意識操作をする"締糾労働"である。エレクトロニックスの技術が発達し、オートメイション
やロボットが高度化するにつれ、 "肉体労働"は次第に機械化され、人間の労働の中心は"精神
労働"に移行してゆく。たとえば、バスの運転ということを考えてみても、この二〇年間にどん
なに"精神労働"化したことか。むろん、車の運転は、もともと単純な"肉体労働"ではなく、
さまざまな予備知識を必要とする労働である。しかし、バスがワソ・マゾ化されたとき、バスの
運転には、乗客への配慮とか情報の提供、金銭の管理といった情報・サービス労働の要素が大幅
につけ加わった。それまでだったら、ほとんど自分の体に習いこませた運助感覚に依存して、
"黙って"運転だけしていることもできたかもしれないが、いまではそうはいかない。バスの運
転手の身に起こった変化は、あらゆる労働者に起こった変化であって、今日の労働者は、大なり
小なり憤推・サービス労働に従事しているのである。
しかし、問題は、労働や生産/消費の"主戦場"が情報やサービスの場に移ることによって、
同時に、資本による搾取の場もこの情報やサービスの場に中心が移動してきたことである。つま
り、情報やサービスを提供し、"正当な"代価を受けとっている労働者がいるとしても、他方で
は情報やサービスを提供しながら、その労働の代価を一銭も,堂けとることのできない人びとの大
群がいるということである。情報労働とサービス労働のやっかいなところはその"正当な"代価
というものを決められないという点であり、いわば相手にひと言声をかけることですら情報労働
になったり、ちらりと笑顔を見せることでもサービス労働になったりする点であり、ここからす
ると、誰でもが潜在的に情報・サービス労働者であるということになる。したがって、情報活動
やサービス業務に従窮していない者でも、知らず知らずのうちに情報・サービス労働者として働
かされているということがあるわけだ。
たとえば、セルフサービスのハンバーガー店やスーパーマーケットだが、こうした場所で客が
品物を運んだり、トレイやカゴを返したりする労働は明らかにサービス労働であり、これには
"正当な"賃金が支払われなければならない。むろん、現実には、セルフサービスになっている
分だけ、商品の価格が安くなっていると考えられるわけだが、労働の代価は本来、その労働を提
供した労働者白身が白山に使えるものとして与えられるべきであって、最終的には客に還元する
としても(実際にはしていないが)、それを労働の提供者に無断で流用してはならないのである。
実際このからくりは、社会のいたるところで普・遍化しており、たとえば鎌田慧が鋭く指摘した
大企業の持ち宋制度などもその典型的な例だが、また、労働者の給料が上昇したかわりにレジャ
一産業も過剰に発述し、給料の上昇分はレジャーの消費にまわってしまい、労働者のふところに
はわずかな あるいは以前より少ない 金しか残らないといった現状も、同じからくりに属
している。
ごく身近なところで考えても、労働の搾取はいたるところに存在する。たとえば、切符やヨー
ラの白醐販売機を操作することは、立派な情報・サービス労働であるが、そうした労働に対して
これまでどんな代伯が支払われただろうか? セルフサービスの店の場合には、価格への還元と
いう形での言いわけができるかもしれないが、自動販売機で買う切符やコーラが、人の手から直
楼…μう場合よりも安いということは決してない。つまり、ここでは、情報を読みとったり、ボタ
ンを押したりといった情報・サービス労働が、無僕で提供させられているのである。これはおか
しいではないか? われわれは、現実に、あらゆる労働が売り買いされ、しかもその代価が決し
て一律ではないという差別社会のなかに生きている。したがってこのような社会では、自動販売
機の撚作に関する"熟練工"と"非熟練工"との"賃金格差"が考慮されてしかるべきであり、
まして、タダ側きさせるなどは言語逝断である。
しかしながら、資本の諭理とは自己矛盾の論理であって、それが現実に行なっていることをど
こまでも微瓜させてゆくとn已破壊を起こしてしまうのである。実際、いまわたしが主張してみ
せたようなことを現在の社会システムが実行したとしたら、それはおそらく一日ともたないだろ
う。しかし、これはおかしな語ではないか? われわれがおしつけられている論理を徹底的にお
し進めると、その諭理が矛盾をきたしてしまうのだから。
納^、ここから明らかになることは、われわれはこうした資本の論理を越えるものをめざさな
いわけにはゆかないということであり、資本の論理によって浸透されていない労働の側面を求め
てゆかなければならないということだ。しかし、そのような試みは、単なる労働のサボタージュ
や拒否によっては成功しないだろうし、そのような労働の側面も、単なる"自由時間"のなかに
は存在しないだろう。失業が、いまや電予情報化されて効率のよくなりすぎた産業システムにと
っての必要条件となり、失業者は職場から放逐されるという"サービス労働"を提供することに
よって逆にこのシステムをささえるようになっているという現状では、失業も、体制批判の柱に
はなりにくい。むしろ、日常生活を含むあらゆる場面と局面におけるすべての労働を検証し、そ
の権利をしぷとく主張することのなかにこそ、資本の回路から自律する手がかりがあるように思
われる。
情報資本主義とメディア症候群
今日の資本主義の先進的な形態を「情報資本主義」ないし「電子資本主義」と呼ぶことができるはずだが、資本主義は、本来、人間の行なうこと、労働、をすべて自由に操作し、反復可能な物(対象)に変えてしまうことができるという理念に立脚している。反対に、それを最後まで行なうことはできないとするのが本来の意味での「コミュニズム=連帯主義」(これは、通常、不当にも、 "共産主義"と訳されているが、この訳語はコミュニズムの一面を指すにすぎない)であると考えることができるが、資本主義は、人問の労働を最後の最後まで物に変え、その変えられた物としての労働を自由に売ったり買ったり交換したりできることを理想と考える。貨幣とは、まさにそのような「物化(物象化)」のための道具であり、貨幣経済とは、そのための技術、テクノロジーであるが、資本主義は、こうした道具やテクノロジーを発達させることによって高度化してきた。
あなたが働いてお金をもらうとき、そのお金が紙幣であるとすると、これはあなたの労働を物化する道具であり、その道具を使ってあなたの労働をどう交換し、流通させるかということは、そのときのテクノロジーの発達の度合によって大いにちがってくる。この場合、お金が紙幣であると、その交換や流通のためには、人がそれを運ぶとか、機械で一方から他方へ移動させるとかしなければならない。これに対して、お金が紙幣ではなく、いわゆる"エレクトロニック・マネー"の場合には、紙切れ一枚移動しなくても、ボタン一つの操作で、瞬時に(といっても電流や電波の速度で)金=情報が移動してしまうのである。つまり、あなたが働いたことが瞬時に物化され、どこへでも売られ、買われるようになるわけである。これは、すでに、キャッシュ・カードや銀行白動振込という形で現実化していることだ。
もう一つの大きな変化は、テクノロジーが発達して、人が自分の"肉体労働"を以前ほど売ったり買ったりしなくて済むようになったことである。つまり労働は、少なくとも一〇〇年まえにくらべればはるかに"精神労働化"した。これは別に労働が高級化したわけではなく、逆に、いままでは物化されなかったような精神の働きまでも物化され、売り買いされるようになったということだ。言いかえれば、精神の領域も「資本化」されるようになったということである。精神の領域は、もともとは、こうした物化からは自由であったはずだから、物化され、資本化された精神を以前どおり"精神"と呼ぶことはできない。情報とは、まさに物化され、資本化された精神であり、今日、労働の比率が"肉体労働"よりも"精神労働"の方へ大きく移っているということは、正確には、労働が「情報労働化」していることだと言われなければならない。
むろん、労働が情報労働化しても、全く肉体を使わない労働というものはない。最低限ボタンを押したり、パイロットランプや計器類の表示を確認したりといった"肉体労働"を必要とする。しかし、今日の労働者は、何かを知り、その名を何らかの形で売りものにする必要をせまられる。これは、自分の精神の働きを情報として物化するということである。
さて、このような変化を前提した場合、エレクトロニックスというものは、資本主義システムにとってひじょうに好都合なテクノロジーを提供する。なぜならば、エレクトロニックスの回路(電子メディア)というものは、情報を現在のところ最も大量にかつ迅速に移動できる装置であり、これを使えば、たとえばたった一人の「情報労働者」の労働を幾百倍、幾万倍にも増幅できるし、幾万人の人々のところへも移動・伝達できるからである。そのうえ、情報が労働となり、貨幣も
情報となるとすると、すべてが情報のシステムに統合され、紙幣や小切手のようなものは消滅してしまう。すでにキャッシュ・カードだけで生活することがある程度可能になっているが、これは、社会がこのように「情報資本主義化」した象徴的な出来事なのである。
そういうわけで、この情報資本主義がこのまま進むとすると、その社会はその内部にエレクトロニックスの情報綱を徹底的に張りめぐらさなけれぱならなくなる。電々公社のすすめでいる「高度情報システム」(INS)とか、いま【1984年現在】日本が企業と国家をあげてあおりつづけている"ニュー・メディア"ブームというものは、まさにこうした背景にもとづいてあらわれてきたものだと言ってよい。
だが、問題は、こうした事態がはたして人問の生存にとって好ましい状態がということである。すでに述べたように、資本主義は、人問の行なうことをその最後の部分にいたるまで物化し、それを極限まで拡散することを理想としている。そして、そのような理想を実現するために利用されているテクノロジーがエレクトロニックスである。そのため、この方向が最後まで進むと、人間は一つのエレクトロニック・システムにならざるをえない。これは、実際に、サイバネテイク
スやロボット工学がやろうとしていることで、これらは、人問の身体は、その頭脳をも含めて、最終的にはコンピューターで代替できると考える。人間の頭脳がすべてコンピューター化できるのか、完全な人造人間をつくることができるのかどうかについての結論を棚上げにするにしても、人造人間が可能だという資本主義の基本理念が実際に追求されている今日の社会のなかで、われわれがどのような問題に直面しているかということを検討することがさしせまっているだろう。
今日、われわれのまわりにはさまざまな電子回路がはりめぐらされ、何もないかにみえる空中にも、多種多様な電波が飛びかっている。これらは、すべて情報の伝達回路であるから、情報を送ったり受け取ったりするという点では、今日ほど便利な時代はない。今日のメディア・テクノロジーをもってすれば、地球の裏側で起こっていることも、太陽系のはずれで起こっているようなことも、自分の住んでいる街の路上で起こっていることをテレビでみるのと同じくらいの鮮明
度で知覚することができる。
しかし、この便利さの代償は決して安いものではない。「メディア・テクノロジー」が進むにつれて、「メディア病」とでも言うべきものがひろまり、それが深刻な問題になってきている。たとえば、電話である。電話は、メディア・テクノロジーとしては、ラジオやテレビよりは古いメディアであり、日本では一八九〇年に電話交換業務が開始され、一八九九年に東京、大阪、神戸を結ぶ長距離電話サービスが開通している。その後の約一〇〇年間に、電話は全国各地にゆきわたり、全
国の家々、さらに個人と個人とを結びつけ、そのネットワークは海外にまで連結されている。その結果、人々は、わざわざ出かけていかなくても、電話でコミュニケィションを済ませる習性ができ、まだ一〇年ぐらいまえまではあった「電話で失礼ですが」という言いまわしも、いまでは古くさくなりつつある。手紙を書くよりも、電話の方がじかに相手に接することができると誰もが思い、実際に手紙を書く習慣は衰えつつある。
たしかに、いままで文字を通してしかコミュニケイトできなかった人同士が電話でしゃべれるということは、コミュニケイションの度合を深めるうえで確実に有力だろう。また、顔も会わさない、手紙もやりとりしないというのより、電話で話しあう方が人間的であるということは決まりきっている。しかし、それでは今日、電話でなければ人と話ができない、電話を通じてしか性的欲求を満たせないといった人々がふえているのはなぜなのか? これは、一般に"変態電話"、"電話病"、"テレフォン・セックス" などと呼ばれる「メディア症候群」の一種であるが、こうした病気は、メディア・テクノロジーが発達することによって生じたものであり、そうした社会に生きているわれわれ一人ひとりが大なり小なりかかっている病である。
電話が自分の個室にではなく、家族たちがいつも出入りする部屋にあるのが普通だった時代には、たとえば"テレフォン・セックス"などやろうにもできなかった。これは、電話が浸透して、個室にまで電話がひかれるようになってはじめて生じるのである。さらに、"テレフォン・セックス"は、実際に生身の人間同士が体をよせあうセックスの代理ではなく、まさに、電話というメディアによってへだてられているからこそ可能になる関係である。この手のセックスに狂っている人は、実際に相手と面と向かうと全然性的欲望を感じなくなってしまうことが多いようだ。
その意味で、いっそう象徴的なのは、"いたずら電話"である。いたずら電話には、威嚇型や"だんまり"型、痴漢型など、さまざまなスタイルがあるが、いずれの場合も、相手は人と面と向かって話をすることが完全に倒錯し、電話を通じてしか人とコミュニケイトできなくなっているのである。これは考えてみると深刻で、メディアというものは、人と人とを媒介するものという意味であり、コミュニケイションとは、メルロ=ポンティも言ったように、「コム・ユニオン」、つまり何かを「共有」し、「共生」することなのだが、この"電話病"の場合には、電話というメディアは、人と人とを近づけ、何かを共有させる媒介としてではなく、人と人とを遠ざけ、分裂させてしまう装置になってしまっているのである。
一人ぐらしで孤独の身をもてあました人が、電話帳を開いてあてずっぽうに電話をかけて反応をうかがったり、電話交換手に関係のない話をしかけるという場合、以前だと、彼や彼女らは生身の人間に会いたくてたまらない欲求のために、そういうことをすることが多かったのだが、最近は、むしろ、相手と会わないで、電話のメディアを通じてだけのっきあいを持続させたいために、そのようなことをする人々がふえているようだ。これは、メディア・テクノロジーの異状な発達によって、われわれが、人に直接会っていわば息のかかりあう距離で話し、つきあうことを相当程度破壊されてしまったことと無関係ではない。
こうしたメディア・テクノロジーをさらに浸透させようとしている企業や国家は、このようなメディアの病理と「メディア・エコロジー」について反省を深め、対策をとるなどということは、その本性上できないわけだから、エレクトロニックス・メディアだけが発達し、ケーブル・テレビやキャプテン・システム、データー通信、ホーム・バンキングのネットワークだけは完備したが、かんじんの使用者の方は、神経症に陥っていて、そういう装置を思うようには使えないというこ
とも、今後ありえるのである。
従って、メディア病の問題は、早晩、逆説的な型で国家や企業自身の利害問題になってくるはずだし、エコロジーは、一面でそうした機能をはたしている側面(つまり支配システムの反省回路)がないでもないが、資水主義を越える方向でこの問題を受けとめようとする際には、国家や企業が行なうやり方とは全くちがう方向をとることになるだろう。それが具体的に何であるかは、個々人、個々の集団が直面する条件によって異るし、全部に有効な即効薬的な方法があるはずは
ない。
しかし、基本的に言えることは、現在われわれの身のまわりにあるすべての既存メディア(コミュニケイション装置)を一且カッコに入れ、それらに頼らない生活やそれをこれまで使ってきたのとは全く異なるやり方で使う生活というものを表象し、さらには実験的にそのような生活を実行してみることから一つの方向が見えてくるように思われる。
ニュー・メディアの逆説
1
海外に用班ができ、予算を立てようと思ってある航空合杜に旭話した。出発予定は一月か二月
で、いくつかの都市をまわらなけれぱならないので、どのようなコースの可能性があるのか、ま
たその場合の迦貨はいくらかを知りたかった。ところが、電話にでた男性は、山発日を決めてく
れないとなにも答えられないという。こちらは、出発日のほうもこれから決めるためにデータを
集めているのだが、相手は何月何日までに厳密に決めてくれないとコンピューターにインプット
できないというのである。
こん」なことなら、航空合杜のコンピューターをこちらの端末(もしあれぱの語)に接続して、
せんぷ自分で調査したほうが気が楽というものだが、実際に、これからの社会は、なんでも自分
で行なう方向へ向かって進むだろう。そのときには、ホーム・バンキングやホーム・ショッピソ
グもごくあたりまえになるはずで、世界の都市には、たとえ道路はなくとも光フフイバーのケー
ブルだけはつながっている家があるような「有線化社会」が成立する。
ただしその場合、銀行、企業、さらには軍班基地といった高度の情報中枢と個々人の家とがケ
ーブルで結びあい、全体が神経組織のような巨大な情報回路を形成するので、その微細な部分で
トラブルが起こると、全体が恐るべき混乱に陥る可能性がある。「有線化社会」化が口珊しに進
んでいるアメリカでは、そうした危険を回避するために、情報回路の分権化を進めようとしてい
るが、現状では、たとえばNSA(Z茎。竃一ω9胃ξ>ひ・①2)の巨大コンピューターを銀行、企
業、軍、そして個人が共用しており、個人が公権力によってがっちりと情報管理されるいっぽう
で、エレクトロニックス狂が自宅のパソコンを使って大企業や軍の情報システムに大混乱を与え
るといった事件も起こってくる。
「ウォi・ゲーム』は、まさにそうしたアクシデントの規棋をすこし大きくしてみた話で、実際
にもし、この映画の話のように、全、血核戦争の判断までもコンピューターにまかせてしまうよう
なことになれぱ、コンピューター狂の一市民が自宅の端末機を操作して遊んでいるうちに、それ
のコンピューター・プログラム(映画では「フーバー」WOPRuオ買O勺Φ量甘。⇒星印箏
零名。舅と呼ばれる)に接続してしまい、遊んでいるほうはTVゲームで「対ソ全面核戦争」
をしているつもりだが、現火にはそれがゲームではなく、ほんとうに可の司令部のほうでは、核
ミサイルの発射システムが作動してしまうということになりかねない。
ニューヨーク発ソウル行きの大韓航空機が領空を侵犯してソ連軍の戦闘機によって撃墜された
事件でも、今Hの軍事ツステムがいかにエレクトロニックス化されているかが明らかになったが、
ある忠味で現代の戦争は、もはや人間を必要としないのであり、このことは戦争だけではなく、
あらゆる産業システムのなかにしだいに浸透しつつある傾向である。
スクリーンやメーターに表示されることが最終的な"現実"となり、肉眼で物を見たり、手で
物に触ったりすることが第二次的なことになり、物がそもそも情報になる。ここでは、知覚する
ということが、すでにスクリーンの映像やメーターの数字を見るということにすりかわってしま
うのである。映州のなかで、司令部のスクリーンに、ソ連から核ミサイルがシアトルとラスペガ
スペ向かって飛んで来ているという情報が映り、それを確認するために戦闘機が緊急発進するが、
肉眼ではもちろんのこと、戦闘機のレーダーにもそのミサイルの姿はとらえられず、戦闘員がそ
のことを司令部へ報告すると、逆に、なにをぽやぽやしているのだとどやされてしまう。これは、
もはや笑えぬ現実である。
コンピューターにさまざまなデータをインプットして、可能的な卒態をスクリーンに模作して
みることを「シ、ミュレイッヨソ」、そうして作られた模擬モデルを「シミュラクル」というが、
コンピューターの性質が向上するにつれて、このシミュレイシヨソが精密になり、スクリーン上
で見るかぎり"現実"そっくりのシミュラクルを構成できるようになってきた。映画にでてくる
WOPRというコンピューターは、まさに第三次世界大戦のシ、ミュラクルをたえずシ、、、ユレイト
しているのだが、こういう時代には、シミュラクルと現実とをとりちがえる人間がふえてくる。
日本では、「ウォークマン世代」がそういう批判にさらされているが、『ウォー・ゲーム』もふ
くめて最近のアメリカ映画には、(たとえば、ディズニー・プロの『トロン』にみられるように)
コンピューターに精通することによって、逆にそうした危険を乗り越えるような青少年像が好ん
で描かれる。それがアメリカ社会の願望なのか、それとも新たにはじまりつつある現実なのか、
NSAのコンピューターにきいてみたいものである。
2
グレナダに米軍が侵入したニュースをきいたとき、まっ先に思い出したのが、いまあげた『ウ
オー・ゲーム』のことだった、というと奇妙な印象を与えるかもしれない。この映画は、普通、
米ソ核戦箏の危険に微一、一鐘を鳴らす反戦映画だと考えられているからである。しかし、『炎のラゾ
ナー』を、フォークラソドヘのイギリスの軍班介入という班件のあとで見なおすならば、この映
阿が箏実上・いかに英国のナショナリズムを発揚させるためのプロパガンダ映画の役割をはたし
ていたかがわかるように、『ウォー・ゲーム』にも、これまで一一ユ〕われてきたのとは別の機能が兄
えてくるのである。
この映画の口頭のエピソードは、戦争は依然として職業的に訓練された軍人や兵士、によって行
なわれるものだと主張する将耶、ベリソジャー(パリー∴-ビン)と、戦争は、もはや化子戦であり、
帆術の指令と実行は人間よりもコンピューターにまかせる方が碓火だととなえる軍事科学者マキ
ットリック(ダフニー・コールマン)との激しい議論である。が、 一祈最初のシーンで陪。小ぎれるよう
に、NORAD(北米大陀防空車)司令部では、コンピューター化された慌視焚雌が適切な指令を与
えても、、、、ザイルのボタンを押す担当官がどたんばでビビッてしまうという小故がすでに起きて
いたらしく(あるいは、そういう想定のシミュレイシヨソニアストに対応できない軍人が多数い
ることが判明したためp・)NORADは、想定できる第三次世界大戦のすべての戦争搬作をWO
PRに完全にまかせてしまう。
ここから、このコンピューター同線にたまたま介入してしまった一七歳のコンピューター狂デ
イツイッド(マζ1・ブロデリック)が、このWOPRの"世界企、…核戦争"というプログラムを始
鋤させるという事態が発生するのだが、話の大詰で、もうお上そ解除不能と思われたWOPRが、
この少年のちょっとした機押によってプログラムをみずから解除し、NORADからソ迫の領土
へ向けて核、ミサイルが発射されずにすんだとき、あの将軍が小雌りするほど専ぷ姿をよく注恋し
て見る必要がある。
企世界を破滅に導く核戦"廿が防げたのだから尊んで何が思いというのが良識であろうが、軍人
が人…的に描かれる映画などというものは大いに気をつけた方がよいと思うのである。たしかに、
将軍の態度は、パーソナルなレヴェルにおいては、ただの"人間らしい"喜びを表現しているに
すぎないだろう。しかし、そのあいだでも彼は決して将軍という機能と役割をやめたわけではな
いのだから、その喜びは、同時に、戦争の操作を柑小科学者から職業軍人の手にとりもどすこと
ができたという権力闘争の勝利の蒋びをも含蓄していることになる。
今日の戦争が伍子伐争であると考える考にとっては、グレナダ巡攻のようなタイプの戦争は、
柵当"逃れた"概争であり、そんなことをするより、アメリカ木生から局地ミサイルを打ちこん
だ方がよいと考えるだろう。それに対して、パリー・コービソ波ずる いかにも★典的なタイ
プの耽争が好きそうな軍人は、むしろ、グレナダで行なわれたような地上概こそ戦争らしい戦争
であり、化子戦を行なうにしても、フォークランド沖の伐洲のように、柵千のとどめをさすやり
方で行なうべきだと考えるだろう。が、どちらも、殺裁と破壊の欲}をいささかも隠さない点に
おいては同じだとしても、伽米は、たとえ人㎜が存在しなくても戦争をやり続けるような楓端さ
をもっている点で、多少の救いはある。「危険のあるところには、救いもまたある」という言葉
があるように、極端は、別の概端に逆転することだってあるからだ。
核兵淋の現状凍緋への動きが、いま世界的に巡み、反核連動も高まっている状況下で、アメリ
カの保守派の政治末のなかにも、核凍結を支持する者がふえている。それは、決して彼らが戦争
を放棄したからではなく、核峨争がもうからないということを珊解しはじめたからであり、口下、
人工術人から地中までとどまるところを知らぬ勢いで張りめぐら・されつつあるコンピューター・
ネットワークにとっては、とりわけ、ごく局地的な小さな核爆発ですら致命的なダメージになり
かねないということがわかってきたからである。
にもかかわらず、一九八三年一〇月三一目の米上院木会談で、民主党のケネディが提出した
「核凍結決淡案」が梵成四〇、反対、五八で、否決されてしまったのは、アメリカの軍部では『ウォ
ー・ゲーム』に登場するような将軍が実権を探っており、世界戦争になっても、核をうまく使い
こなして、何とか勝ち抜いてみせるという確信をいだいているからであろう。
3
政治学や経済学は、もはや今〔の状況がどうなっているのか、そしてそれがどこへ向かおうと
しているのかをあまり明解には諮ってくれないが、テクノロジーの動向を論じた批評のなかには、
弧状況の核心にある醐向を適確につかんだものが川てきているようにみえる。
ηインターナショナル・ビジネス・ウィーク』(一九八二年八月八□号)の"カバー・ストーリー"に
「コンピューター・ショックがオフィスに打撃を与える」という記小が載っていた。それによる
と、これまでオフィスのコンピューターは、社外のコンピューター・センターやコンピュータi
会社の大型コンピューターに接続する端末であるのが普通で、コンピューター情報は中央集権化
され、…州末で得られる情報はその大もとでコントロールされてきた。
ところが、 エレクトロニック・テクノロジーが進み、パーソナル・コンピューターのコストが
飛躍的に下がってくると、オフィスに端末機排を入れるのと、パソコンを入れるのとでは、経費
のうえではさほどちがいがなくなってくる。パソコンの場合は、それ自体が独立しているわけだ
から、その性能が向上すれば、社外のコンピューター・センターやコンピューター会社のハード
に依存しなくても、独白の装附で用がたりる。
むろん、コンピューターにとって最終的にはソフトが生命であるから、商皮なソフトは専門企
業が独占しており、それを誰でもが簡単に所有し、利用することはできない。しかし、ソフトは、
いくらでもコピーのきくものであり、いったん作られたソフトはつねに複製される可能性をばら
んでいる。しかし、その際、ハードの方は、どんどん小型化し、性能は高度化しているわけだか
ら、ソフトさえ手に入れば、外部の大型コンピューター・システムに全く依存せずに、オフィス
の一つのテーブルのうえで大規模な情報処理ができてしまうことになる。
インターナショナルニァータ・コーポレーションの予測では、現在デスクトップ・コソピュー
ター(独立したパソコン)がアメリカのオフィスで占める割合は、まだ一四パーセントにすぎないが、
一九八七年までにはコンピューター・マーケットの三分の一がデスクトップになり、オフィスの
仕小机に 以在は大型コンピューターの端末がある代わりに パソコンがm・肌かれるようにな
るだろうという。
これは、パソコン業界にとっては好ましいとしても、パソコンが没透するとオフィスの机の一
つ一つがワーク・ステイシヨソになるわけで、これは会社符理のうえから1,μってゆゆしい間魎に
なるのではないかというのが、この『ビジネス・ウィーク』の記箏のテーマである。なぜなら、
これまでは、いわば中央と端末の巾㎜でマネージャーが情報のコントロールをすることができた
のに対して、端末がそれぞれ独立して勝手なことをやることができる条件がととのうわけだから、
オフィス内が"乱世"の様相を呈することだってなきにもしあらずなのである。
これは実に愉快ではないか。それは、会社の仕小机から私用の電話をかける者がふえるの比で
はない。会社のなかに無数の"会社"が出来てしまうのと同じである。
パソコンだけでなく、コンピューターは、すでに管理の榛楕になりはじめている。現在アメリ
カでは、巨大なコンピューター・センターを軍と民間が共有しており、このことは、民間の端末
が緒ばれている電話㎜線が軍の情報回路にもつながりうるということを意味する。実際に、コン
ピューター狂が端末をいじっているうちに、それが軍のコンピューター・システムにつながって、
核基地に誤情報を送ってしまい、軍をバニック状態にしたという小作もあった。
無数のユーザーをその端末にもつような巨大なコンピューターの場合、その性能が向上してユ
ーザーのあらゆる要求にこたえられるようになればなるほど、そのすべてのパフォーマンス(作能)
をあらかじめテストして実際に知っておくことはできなくなり、たかだか理論的にその可能性を
おさえておくことしかできないため、それがさまざまな使われ方をして、とんでもないパフォー
マンスを発揮することがある。そこで、符理のうえからは、あまりに大きなコンピューターは危
険だということになり、ある程度の"脱中央集権化"を行なわなければならなくなるが、といっ
て小単位で自律したコンピューター・システムは、(今後コンピューターの性能がますます向上
するにつれて)オフィスでその徴候が出ているように、これまた管理のわくをふみこえかねない
のである。
中央集権を貫徹したくてもできず、ある程度地域の自律を許容せざるをえないが、といってそ
れを全面的に許容することは断じてできないというのは、まさに今日の支配的な符理が陥ってい
るディレンマである。このディレンマは、今日の権力が一時的に陥っている変則的な状態ではな
くて、今日の権力が行きついた一つの必然的状況なので、それを権力白身が首尾よく克服するこ
とはできないだろう。権力にできるかもしれないのは、可能なかぎり中央集権を残しながら地域
の自律を許し、それをいつでも抑止できるような状態におくことだけだろう。
地域の自律を許しながらそれをコントロールするとは奇妙なことだが、その典型的な例が、電
話、テレビ、ラジオから衛足の通信同線までを全部統合するようなネットワーク・ツステムであ
り、目木では、旭々公社が目下推辿中のINS(高度情報システム)である。こうしたネヅトワ
ーク・システムが完成すれば、網の目ネットワーク)を自由に調節して変動可能な"中央"を作
り出すと同時に、それを一時的に解消して"地域の自律"を人工的に作り出すことができるかも
しれない。これはたしかに管理の高度化である。
しか七ながら、これまで中央集権的な管理に頼ってきた体制が何らかの意味で"地域の〔律"
を許容せざるをえなくなったということはやはり体側の衰弱を示すものであり、ここには、体側
変革のチャンスがあると思う。ただ、問題は、高度な管理をめざす側が地球的規模での冗子のネ
ットワークを作ろうとしているのに対して、それに対抗する側は、まだそれほど有力なネットワ
ークを作りはじめてはいないということである。
ニュー・メディアは文化を多様化するか
"MTV"という言葉が日本のマス・メディアのなかで新しいフフッシヨソになりはじめている・
この語が意味しているのは、「、ベストヒットUSA」や「SONY MUSIC TV」などで放
映されているようなミュージック・ビデオとその媒体であり、音楽産業はこの"MTV"に従来
のディスクやテープに次ぐ新しい音楽商品として少なからぬ期待をかけている。実際に、"MT
V"の番組は高い視聴率を上げているし、ロスやニューヨークから輸入されるミュージック・ビ
デオは、カフェ・バァの必需品となり、個々の音楽フブソのあいだにも浸透しつつある。
しかし、ここで明確にしておかなければならないのは、この"MTV"という語は、元来、ア
メリカのケーブルニァレピ局の局名であって、現在日本で使われているような広い意味をもとも
と持っていたわけではないということである。
MTVが放送サービスを開始したのは一九八一年八月であるが、その当時はニューヨーク市で
この局の放送を見ることはできなかった。ニューヨークのアップ・ステイト、ニュー・ジャージ
1、 コネチカットの一都がサービス・エリアで、FMステレオ音でライ、フと録州のコンサート、
その関連フィルム、ミュージツヤソとのインタヴユー等を中心に週七日…二四時間ぶっ続けで放
送を行ない、当初から二一〇万人の予約視聴老を獲・得した。この数は出だしとしては悪くない。
アメリカのケーブルニァレビのシステムは、毎月のケーブル使用基木料だけで見ることがで・一dる
ものと、そのうえに一〇ドル程度の追加料金を払って見るもの(ペイTV)とがある。MTVは
前者であり、最新封切の映画を放映しているHBO、スペイン語のガラピジオーソ、スポーツ放
送専門のスポーツチャンネル、映画や汝蜘に力を入れているツヨウタイムなどは後新に属す。ち
なみに、MTVが発足した一九八一年八月当時、HBOの予約視聴老は六〇O万人で、追加祝聴
料は七~一〇ドルだった。
MTVは、現在、全米にネットワークをもち、マンハッタンのアップダウン地区では、Bチャ
ンネルに入っているが、このチャンネルは、以前は、ニューヨーク市立大学のCATV^が使っ
ていた。アップダウンで見られるCATVのチャンネルはA~Nまでの一四チャンネルで、この
ほかにVHFとUHFの二~二二の二一チャンネルがケーブル化されている。従って、ケーブル
契約をすれば、VHFやUHFのアンテナは一切下、要になるわけである。その点で、CATVの
普及は、一九四〇年代から続いてきた一尿根の上のTVアンテナという一郁巾の以㈹を大榊
に変えつつある。
日本では、"MTV"という言葉が拡大解釈されて使われているので、話が複雑になるが、MT
Vの問題は、まずMTVというCATV局の問題として論じる必要があるだろう。MTVとは、
通常は、パックされ、市販されているミュージック・ビデオのことではなくて、いまや全米をカ
パーする巨大ネットワークと化しつつあるMTV杜のことなのである。
グリール・マーカス(三井徹訳「ラジオ、テレビのロック番組が黒人差別」、『ミュージック・マガジン』一九八四年
二月号)によると、MTVは、黒人アーティストやその音楽を番組から排除している。その理由の
一つは、経済的な理由からで、いまやレコードの売上げに強い影響を与えるようになっているM
TVが作り出すマーケットを意図的にセグメントするためである。つまり、売り手側には、"白
人"のマーケットと"黒人"のマーケットとが明確に分離されており、白人が"白人"用のレコ
ードを買い、黒人が"黒人"用のレコードを買うのならぱ、ひじょうに商売がしやすいわけであ
る。マーカスによると、かつて「ポップ市場で予想のつかないものが湧きたつことによって(二
ルヴイス、ビートルズ、バンク)、最大の短期利益が得られたが(それに、聴き手を拡大すること
によって、長期利益も得た)、同時に市場が最高に混乱し、不安定にもなった。となれば、予想の
つく適度の長期利益の方が爆発的な短期利益よりも魅力があるというわけだ」。
しかし、理由はそれだけではなく、レーガン体制が社会のあらゆるレベルで行なっている白人
優先の差別政治も、黒人がマス・メディアから閉め出される最近の傾向の一因となっている。こ
のため、らーカスが言うように、「十年前ならば、黒人音楽が電波から閉め出されていることに
対して、それは『まちがっている』とただ主張するだけでよく、それでみんなの理解を得ること
ができた」が、今日ではそのような主張が完全に浮き上がってしまうような政治的土壌が出来上
がってしまっているのである。 "貧民"や"弱者。は自力ではい上がれ、というのがレーガンの
社会政策であり、わたしは昨年、三年ぶりでニューヨークを訪れ、路上をさまよう黒人のホーム
レス(浮浪老)の激増ぶりにレiガンの社会政策の実態を見る思いがした。貧民街のすさみ様もひ
どく、とりわけ、ブルックリンのベッドフォード・スクイブサントの黒人地区にある貧民街では、
職はむろんのこと、十分な食事にも恵まれずに、路上でぽんやりとつっ立っている黒人たちの絶
兜的な姿が多く見られた。その反面、かつての黒人スラムのハーレムは貧民を追い出して次第に
"優美"になろうとしており、マンハッタンは全体としてミドル・クラス以上の人々のためだけ
の街になりつつある。
"ジェソトリフィケイション"と言われるこうした変化は、ミドル・クラス以上の人々にとって
は都市環境の"優美化"であるが、ロワー・クラスの人々にとっては、家賃の不当な値上げや賃
術アパートの"マンション"化によって貧民を合法的かつ"自発的"に追い出す閉め出し政策以
外の何ものでもない。ジェソトリフィケイシヨソは、レーガン政権のもとで始められたものでは
なく、すでに、リソゼイ・ニューヨーク市長が"アイニフプ・ニューヨーク"キャンペーンを開
始したどきから潜在する都市政策であるが、それが、レーガンの差別政治に力づけられて、ひじ
ょうにゆがんだ彩で進められた。マンハヅタソには、ロワー・クラスがそこから排除されるとい
う経済的差別の貫徹のあとでも、まだそこには文化的な多元主義が残っているが、マンハッタン
のようなボヘミアン文化の伝統がない他の地域では、ジニソトリフィケイションは、文化的にも、
新たな二兀化をもたらした。それは、必ずしも"白人文化"を至上のものとするわけではなく、
"黒人文化"をもとりこんだ形での新たな、ミドル・クラス文化を至上のものとすることであり、
このことは、MTVが黒人アーティストの多くを閉め出しながら、たとえばマイケル・ジャクソ
ソのようなミドル・クラスの黒人のテイストにあったミュージシャンは優遇する点によくあらわ
れている。
MTVの間魎に関しては、すでに一九八三年三月二九日号の『ヴィレッジ・ヴォイス』でトム・
スマッカーが、マーカスよりも鋭い指摘を行なっていた。スマッカーによると、MTVは、マイ
ケル・ジャクソンとプリンスを除いて完全に爪…人を閉め出しており、それは、たとえばWPLJ
のような典型的な"白人ロックFMステイション"のテレビ版である。しかし、MTVは、①視
覚的である、②全国ネットである、③フィールドを独占している、という三つの点でWPLJと
はちがっている、とスマッカーは言う。従って、いまアメリカで、MTVがFMのラジオ局に代
わって音楽メディアの主衷1な位性を占めはじめ、レコードの売行きに影微を与えるだけでなく、
音楽の好みをも決定する力をもちはじめたということは、音楽を聴くものから見るものへ変え、
さらに音楽の受け取り方をローカル(FMラジオはすべてローカルであり、小メディアである)
なもの。から全因的なものに均質化するという傾向が尤逃してきたことを意味する。
こうした傾向は、MTVがミュージック・ビデオのフィールドを独占しているだけに、これま
でアメリカではみられなかったような規模で放送メディアに対して連邦政府が深く介入する可能
性を与えかねない。そうでなくても、FM放送のような地域メディアではなく、全国ネットの巨
・大メディアが影響力をもちはじめたということは、アメリカでは文化的に一九五〇年代流の文化
的画一主義への後退が進められていると考えられなくもない。というのも、六〇~七〇年代に出
現したFM放送は、アメリカン・ウェイ・オブニフィフやマッカーシーイズムに象徴されるよう
な画一的な文化傾向を解体し、マイノリティやエスニックの多様な文化を媒介する役目を確実に
果してきたからである。また、CATVも、当初は小さな地域メディアとして有効性を発揮する
と考えられてきたのであり、ABCやNBCやCBSのような全国ネットの放送に対するオルタ
ナティブとして出現したのだった。しかし、考えてみれば、CATVのケーブルが企国に張りめ
ぐらされ、アメリカが完全な"有線化社会"になるならば、そこに全国ネットのソフトを流せな
いわけもない。MTVは、まさにそこに目をつけたわけである。
音楽体験が、聴覚志向から視覚志向に移ってゆく場合、どのような変化が考えられるだろう
か? スマッカーは、ヘヴィ・メタルの場合に、そのレコードよりも、その視覚的効果の方がは
るかにおもしろい例をあげ、MTVはこの傾向を先進させ、ロック演奏の優劣を判断する規準を
変えっっあると指摘する。ピリー・ジョエルの「プレッシャー」のように、ソングとしては別に
どうということがなくても、ビデオとしてすばらしく、一五年まえに「アニァィ・イソ・ザニフ
イフ」が聴く者に与えたのと質的に劣らぬ感動を与えることがある。その反対に、フリートウッ
ド・マックのように視覚的には全然イソスパイアーさせない場合もある。かくして、MTVは、
白人ロックのコンセンサスを掻乱し、フラッシュ・エンド・ザ・パンの「メディア・マゾ」、レイ
ソポウの「キャント・ハップソ・ビア」のようなレコードとしてはそれほどでもないものを"ベ
スト・シングル"にし、ピリー・ジョエルを"天才"に仕立てあげたという。
MTVがねらっている視覚的効果は、レコードを買う白人のティーンエイジャーをターゲット
にしている。従って、彼らに対して想定される好みがMTVのアーティストを決定させることに
なる。ダイアナ・ロスやポール・マッカートニーすら、彼らにとって"年をとっている"とみな
されるがゆえに、MTVに登場しない、ということもあった。もし、彼らの好みに合いそうにな
いと思われるアーティストが登場するとすれば、それは、MTVだけでは作り出せない"アウラ"
をそのアiティストがもっている場合だけなのである。ローリング・ストーンズの「ウェイティ
ゾグ・オン・ア・フレンド」というビデオがまさにその典型で、ここでは演奏はほんの付けたし
である。まず、ミックが、イースト・ヴィレッジのセント・マークスにあるバァのポーチに腰を
下ろしている。そこヘキースが通りかかり、二人でこの店に入る。そこには、チャーリー、ロン、
ピルが待っており・こうしてビデオの終りの方でやっとジャム一セッションがはじまるのである。
つまり、三分以上は、ストーンズをMTVで聴かせないようにするわけである。
MTVにおいて、聴覚よりも視覚が重視されるという点に関して一つ注意しなければならない
のは、この聴覚から視覚への重心移動は、かつて活字が出現することによってオーラル文化が活
字文化にとって代わられたときの変化とは事情が異なる点である。マーツヤル・マックルーバン
は、『グーテンベルクの銀河系』のなかで、「表音アルファベット・テクノロジーの同化は、人間
を聴覚の呪術的世界から、無色の視覚的世界へと移し代える」と叶、]っているが、この変化によっ
て、それまで一回的な性格を強くもってい・,κ聴覚が反復可能な"周期"的な性格を帯びるように
なる。つまり、活字が浸透する以前には、聴覚にとって音はそのっど異なるものであり、そのニ
ュアンスが間魎であったのだが、印刷された文字の反復的・線的パターンに感覚が慣らされるに
つれて、聴覚もメロディのような同一なるものを感じるようになっていったのである。しかし、
こうした聴覚や視覚は、まだ伍子メディアの媒介を受けてはいない。MTVの与える影響につい
て考えるためには、これらの感覚が旭子メディアによって媒介され、さらにその発展のなかで重
心が聴覚的なところから視覚的なところへ移ってきたことを閉趣にしなけれぱならないのである。
FMラジオやレコードで音楽を聴くということが、伍子テクノロジーの発達とそれによっても
たらされた砿子妓姓(アンプ、イコライザー、ハイパワーのスピーカー等)とによって、もはや
聴覚だけの問題ではなく、むしろ音を浴びるという触感覚的な経験であるということをくりかえ
す必、要はないだろう。むろん、実際に、聴覚だけを使って音を聴くということはないのであり、
音を聴くということは身体の全体的な経験である。しかし、活字文化は、文字を読むということ
が、あたかも視覚を働かせるだけで事だりるかのように、あらゆる感覚総官の機能を意識のうえ
で分業化させた。その結果、音を聴くということも、それがあたかも聴覚だけの仕事ででもある
かのようにみなす習慣が生じた。が、エレクトロニックスは、この幻想を破壊したのである。
ただし、その際、電子的に媒介された聴覚や触感覚は、もはや身体自身の知覚形式としての時
問・空間には必ずしも従わない。それらは、むしろ電予装置によってどのようにでもコソトロー
ルできるものとなる。肉声やアコースティックな楽器の音を知覚するのと電子音を知覚するのと
では、根本的にちがうのである。それは、前老では、知覚はどちらかというと誰かが勝手にヨソ
トロールのできない一同的な出来事の性格を含んでいるのに対し、後者では、電子装置の操作次
第で知覚のしかたをコントロールできるのである。そのため、後者では、誰が電子装置つまりは
メディアを操作するのかということが重要な問題になる。もし、自分白身がメディアを操作する
ならば、自分の身体性(エコシステム)に適合する知覚あるいは自分の身体性を組みかえ、解放
する知覚を経験することが可能であるかもしれない。が、逆に、満員の鉱車のなかで自分のまう
えにスピーカーがあり、聴きたくもないアナウンスを聴くに耐えられない音量で聴かされるとき
のように、メディアの操作が自分以外の者によってなされる場合には、電子装置に媒介された知
覚は抑圧的なものとなる可能性がある。
MTVの場合、FM放送やレコードにくらべて、自己操作的な側面は少なく、知覚の自発性が
失われる可能性の方が多いように思う。、ミュージック・ビデオには、大鷹俊一が桝いているよう
に、「コゾサートを直接撮影したものと、曲にあわせてイメージ的な映像を組み入れたものの二
種類がある」(『ミュージック・マガジン』一九八四年一月号)。これらの場合、音に関しては、ハイファイ・
ステレオのモニターが普及している現状では、ライブのレコードを聴くのと変わりがない。視聴
老が音最や音質をコントロールすることはいくらでもできる。しかし、映像に関しては、現在の
ところ、視聴者がコントロールできる部分はひじょうに限られているため、映像を見る視聴者の
姿勢はどうしても受動的にならざるをえない。
これは、テレビの歴史が浅く、現在のテレビは、トーン・コントロールのボリウムすらなかっ
た初期のラジオの段階にあるからだと考えることもできるが、現在のテレビは、ラシ・オよりも複
雑な機構をもつこの装置をたくみに利用して文化操作を行なっていると言えないこともない。初
期のテレビには、画面の切るきや両質、同期などを調整するコントロール部分が受像機の前面に
配置され、そのツマミやスウィヅチが露出しているものが多かった。が、それらは、次第に受像
機の隠れた部分に設置されるようになり、この分でいくと、両面に関しては視聴者が自由に調整
することはできず、すべて内蔵のコンピューターが行なうというように自動化されかねない。こ
れは、一面で便利なことではあるが、ただできえ、向こう側が作ったプログラムか見るという受
動的な状況に肝かれざるをえない視聴考を、微調整のきかない両面によって二ηに州束すること
にほかならない。受像機は、製作会社によってその両面の色調がかなり異なるし、映像の色調も
番組に上って異なる。アメリカでは、黒人の多様な皮膚の色が画一に映像化され、それが黒人差
別に役立っているということが問題になったことがあるが、差異を見えにくくするという形でわ
れわれの色彩感覚がテレビ・メディアによって自由に操作されている面もあるのである。
少なくとも現状では、アメリカのMTVは、まだ聴き手の側に白已操作の余地を残していたF
M放送のロック・ミュージックを、ほとんど操作不可能なテレビ映像のなかにとじこめることに
よって、メディアの他者操作的な御両を拡大させた。それは、音楽をあらかじめプログラムした
形で聴かせるのに効果的であり、だからこそ、それはレコードの売上にひじょうに役立っている
のである。
しかし、問題は、文化の多様性や活性化という点でこのメディアは、明らかに、ケープルニァ
レピというメディアニアグノロシiがもっている本来の可能性ーマイナー文化の育成と活性化
を無視し、六〇年代以降に出てきた文化的動向に逆行している点である。管理の側からすれ
ぱ、いささか"多様化"しすぎてしまった社会を文化の側から統合しなおす意味で、MTVの全
国ネットはひじょうに有力な力をもつだろう。しかし、いま仮に、"新しい"文化を作って次々
と売ってゆく文化産業の側から見た場合でも、このメディアは、長期的には不利な結果をもたら
すように思われる。文化を"多様化"させなければ、文化産業は行きづまってしまうからである。
その点では、日本の歌謡曲とテレビの関係が一つのデーターを提示していると言ったら言いす
ぎだろうかP 日本のテレビは、歌謡曲番組を放映することによって視聴者を集め、発展してき
たのであり、ある意味で日本のテレビは"MTV"であるが、そのことがテレビと歌謡曲との両
方を衰弱させることになったように思う。その際、テレビの側は放送方針を変えることでその沈
滞をのがれることはできるわけだが、歌謡曲の方は、結局は、テレビによっていいようにされて
Lまった自分を発見するしかないだろう。近田春夫は、小倉エージとの対談(『MAzAR=九八三
年一一月号)のなかで、「歌謡山やポップスは大衆音楽の主流じゃなくなると思う。受け手のほうも、
聴くより作るほうが面白いと気づきはじめているしね」ξ言っているが、そうだとすれば、その
ようなことに気づきはじめているテレビの視聴考は、現在の日本のあまりに非地域的なテレビ・
メディアに愛想をつかすことはまちがいない。
その廿地味で、こうしたどうしようもない状態にある日本のテレビ・メディアに対するオルタナ
ティブとして出て来た"MTV"は、アメリカとはややちがった機能を発抑する可能性をもって
いる。つまり、ある限界内で文化の"多様化"に寄与する可能性があるかもしれないということ
だ。むろんそれには、"MTV"は、カフェ・バアのようなところにたかだか動く、音の出るフ
レームとして飾られているだけではだめであり、かってのジャズ喫茶の多様な賑わいに匹敵する
"MTV喫茶"が続々と出現するのでなけれぱなるまい。そしてそのときにひょっとして、かつ
てのジャズ喫茶が最終的にレコードの限界を認識させ、人々をライブな街、頭の方へ赴かせたのと
同じような機能を果すかもしれない。
情報環境を読む
電子情報化社会
「コンピューター化社会」は現代社会の同義語になっているが、今日の社会は、より適切には、
電子情報化社会と呼ばれるべきだろう。実際、今日の社会は、日常生活から政治にいたるまで、
電子的な情報の媒介でなりたっている。その際コンピューターは、そうした情報を操作し処理す
る装置の一つであるにすぎず、今日の社会にはもっとさまざまな電子装置が介在している。
ただし、「コンピューター」という語を思いきり広くとると、タイマー、冷蔵庫やヒーターの
温度調節装碓、留守番電話なども、みなある種のコンピューター機椎をそなえていると言うこと
ができる。これらの「コンピューター」は、汎用コンピューターやマイクロコンピューターに比
べると、」きわめて幼稚な規模においてであるとはいえ、ある枢のプログラムを組み、つねに未来
を先取りしようとする。
だから、コンピューター化社会の主な問題は二点になる。一つは、電子化された情報であり、
もう一つは、すべてを予知し先取りしようとする傾向である。情報は、たとえば話し言葉がそう
であるように、必ずしも電子化されているわけではないが、それは電子化されることによって情
報の経路を予めつかむことが可能になった。コンピューター化社会において情報の電子化と情報
のプログラム化とが同時にエスカレートするのもこのためである。
しかし、そうだとすれば、コンピューター化社会は、情報が電子化され、プログラム化された
行く末にこの社会が直面する問題を予めとらえ、そこで起こりうるトラブルに対する解決策を予
めプログラムしておいてもよさそうなものだが、それができないところがコンピューター化社会
のディレンマなのである。
いま、日本の都会ほど電子情報が過剰に氾濫しているところはない。街を歩いていると、商店
や街路のスピーカーからけたたましい音楽や人声が鳴り響き、なまの人声はかき消されてしまう。
国電や私鉄の新しい型の車輌に乗ると、車内アナウンスの声は、以前のようにスピーカーのある
位置から分散的に放射されるのではなくて、天井全体からどの位碓にも均等に放射されるため、
スピーカーの真下にいなくても、単調なアナウンスの音響シャワーを浴びせられることになる。
都会だけではない。先日、京都に出かけた折、ちょっと貴船に立ちよる機会があったのだが、都
心から遠く離れた山のなかの貴船神社の境内で、屋外に取りつけられたスピーカーから鳴る雅楽
を耳にした。
テレビやラジオが環境化し、無意識のうちに電子的な映像や音響のシャワーを浴びることが多
いわれわれが、街を歩いていても、喫茶店に入っても、依然として電子的な情報のシャワーを浴
び続けているということは、相当異常である。ウォークマンの流行は、都市がこうしたいやおう
なしの電子情報を浴びせかけることに対して、いわば毒を以って毒を制すやり方で対処しようと
する無意識の欲求を含んでいるのかもしれない。しかし、それは、あまりにわびしい状況である。
すでにメディア・エコロジーや情報環境論の専門家、さらには遺伝子生物学者などが示唆してい
るように、過剰な電子環境は、生体のリズムを狂わせ、生体を破壊するにいたる。生体は、どこ
かで、電子情報のような外的な刺激が中断するある種の空白を必要とするわけだ。
ところが、目下、国家と企業がともに推巡中のニュー・メディアの諸企画は、われわれの生体
をもっとも過剰な電子的情報環境のなかにさらそうとしている。かってマックルーハソは、高度
に進んだメディア・テクノロジーが、地球上の人びとの神経組織を電子メディアのネットワーク
で結びつけ、地球を一つの民主的な電子共同体にするだろうと予測した。しかし、彼が見過ごし
たことは、たしかにニュー・メディアがそのようなことを可能にするような条件を一面でととの
えながら、同時に、人びとの神経組織をいやおうなしに外部に露出させることによって、その神
維組織を突発的な過剰な刺激に対して全く無防備な状態におくような危険にさらすということで
ある。
ここでは、もはや、電話やラジオも背は「ニュー・メディア」であったという楽観論は成立し
ない。というのも、今日ほど、電子的な情報環境が全般化し、代案が見出せなくなるような状況
はなかったからである。それは、まさしく核の陥っている状況に似ている。つまり、ニュー・メ
ディアは、どこかに自分を否定してゆくような部分(自己破壊ないしは白已凍結)をっくらない
かぎり、生きのびることができないようなところにいるのである。
神託と情報操作
ギリシャ時代にはコンピューターもテレビもなかった。だから、情報を操作して大衆をあやつ
るなどということは行なわれなかった-と考えるなら、それは古代人を見くびることになるだ
ろう。マイケル・カコヤニスの『イフゲニア』は、エウリピデスの有名なギリシャ悲劇の映画化
であるが、この映画を見ると、政治の本質というものは、今も昔も、洋の束西を問わず、たいし
て変わっていないという思いにかられる。
ギリシャ悲劇には、しばしば予言者や占い師が登場し、神託を与える。それは、神の言葉であ
り、超能力者である彼らだけが神秘的な方法でつかむことのできる聖なる情報である1と考え
られている。しかし、実際には、神託はもっと人間くさい計算と操作によってつくられたもので
あり、彼らの"超能力"とは、とどのつまり、大衆の意識を操作できる"超能力"であった。
『イフゲニア』で下される神託は、トロイアに進攻しようとしているアルゴスの王アガメムノン
に対し、その娘イフゲニアをいけにえにせよというものであったが、そのねらいは、天候にめぐ
まれず、港にくぎづけになった二万人の兵士たちのあいだに次第にひろがりはじめた焦燥と混乱
を静め、彼らの士気を高揚させるためであった。
ギリシャ時代の軍船は帆船であり、風が吹かなければ進軍できなかった。神託を操作する"中
央情報局"は、明らかに、いつ風が吹くかを的確に予見し、風が吹くまえに神託を遂行させるこ
とによって、神権政治への忠誠が霊験あらたかなものであることを浸透させようとする。
滑稽なのは、そうしたからくりを知りながらそれに従わなければならない支配者アガメムノン
であるが、こうした巧みな情報操作に踊らされて戦地に赴かされる兵士たちの運命は、滑稽とい
うよりも悲劇と言うべきだろう。同じことが、今日も、グレナダでくりかえされている。
盗聴ゲーム
最近評判のよくないコッポラの映画に『カンバゼーション……盗聴』という作品があった。ジ
ーソ・ハックマソが演ずる盗聴のプロがその主人公で、彼は頼まれれぱどんな盗聴にでもチャレ
ソジする。
ある日彼は、サンフランシスコのユニオン・スクウエアーで遠距離からものものしい集音マイ
クを使って一組の男女の会話を盗聴する。その会話は、この高性能の集音マイクを使っても、全
く聴きとれない。ところが、そのようにして収録した"雑音"のテープを仕班場にもちかえった
彼が、その"雑音"にいくつもフィルター装置をかけ、余分な音を除去してゆくと、いままで広
場の騒音や他の人声にかくれて全然きこえなかった問題の男女の会話が、くっきりと浮びあがっ
てくる。
このような操作は、むろん映画のように短時閉に、Lかもこんなに見事にはかどりはしないの
だろうが、技術的には不可能ではないし、今日ではこの種の技術は、この映画が作られた一九七
四年よりもはるかに向上しているはずである。
こんな古い映画のことを思い出したのは、先目、平井玄と新宿で深夜までDUBや最近のロッ
クの技法のことを話していたときなのだが、いままたこの映画の一シーンのことをむしかえそう
としているのは、それが、"読む"ことの陥っている今日の状況とも無関係ではないように思わ
れるからである。
『カンバゼーション……盗聴』は一人の盗聴師が落目になる物語だったが、今日の進んだエレク
トロニック・テクノロジーによる解読法からすれば、彼のやり方はふるい。パックマンは、音の
集合のなかから彼がこれだと確信する特定の音をいわば手さぐりで取り出すのだが、これはもっ
と自動化できる。すなわち、問題の場所で集音した背群をいったんコンピューターにかけて音素
に分解する。しかるのち、問題の男女の声のサンプルをあらかじめコンピューターで解析し、そ
のコードをみつけ出しそれに従って先に分解された音素をもう一度合成しなおす。問題のコード
が、必要な声のそれに合致していれば、合成された音も"原音"に合致するだろう。
この方法での解読は、サンプルのコード化作業を除げば、対象(テキスト)との(わが身をか
けた)接触を全く必要としない。その"軽さ"の快適さは、やがてサンプルを自分でコード化す
ることもやめ、出来あいのコiドで合成されたシミュラクルの出来ぐあいだけを楽しむツミュレ
イショソ・ゲームにまでつれてゆくだろう。
かってハイデッガーは、「ある思想家の思考作品が偉大であればあるほど……その思考作^の
内にあって思考されていないもの、つまりこの思考作品によってはじめて、しかもそれによって
のみ"まだ・思考されていないもの"として到来するもの、は一層ゆたかなのである」(π拠作)
と言った。最近流行の"ティコンストラクション"(脱楴築)の源流は、ハイデッガーのこの種の発
想であるが、シ・ミュレイシヨソ時代を遊泳する自称ティコンストラクショニストたちにとっては、
これは、作品が「偉大」であればあるほど、それはどんなコードによるシミュレイション・ゲー
ムにも耐えうる、という意味になる。つまり、「述んじゃ」えるテキストこそ「偉大」で「豊か」
なのであるというわけだ。
多複合脳性シリンダー
新幹線の車中でフィリップ・K・ディックの『死の迷宮』(サンリオ文庫)を読んだ。新幹線はジ
ェット機に似ている。それは、どちらも速度が速いからではなく、窓から外を見てもおもしろく
ないからである。移動の効率に専念するあまり、移動ということをひどく非人間的なものにして
しまった。こうなると、せっかく大きな空間を移動しながら、楽しみは、車内の閉ざされた狭い
空間内に限定されてくる。
京都から東京へは三時聞しかかからないから、隣の人とおしゃべりしていても、眠っていても、
じきに時間はたっ。本を読むのも悪くない。が、これが何十年間も続いたらどうなるか?・
『死の迷宮』の人々は、いまや廃虚と化した地球を逃れて、もう二〇年以上も宇市船で空をただ
よい続けている。彼や彼女らは、その退屈な生活をまぎらわせるために、それぞれ"多複八〕脳性
シリンダー"なる電子装置を頭にはめて、それが創り出す幻想の世界に遊び、ひまっぷしをする。
その旅にはあてがなく、おそらく、彼や彼女らが死ぬまで続けられるのである。
ディックのSF世界は、それがどんなに空想的な場合でも、つねにエレクトロニック・テクノ
ロジーが過剰に浸透した社会で起こりうる事態についての鋭い洞察に薬打ちきれている。一九七
〇年に原作が出たこの本を読んでいるわたしの近くには、ウォークマンを聞いている人が何人か
いたが、その光景がふとディックの世界に重なり合った。
印刷メディアの終わり
街を歩いているといろいろな印刷物を手渡される。たいていは読むようにしているが、読まな
くても内容がわかってしまうものが多い。だから、大半は、受け取られたれ後に捨てられる運命
にある。ベストセラーの木は、この手の印刷物に似ている。多くの人が一応は貰うが、あまり読
まない。これは、読者が本に対して投げやりになったということではない。読者は、本の内容は
さしあたり度外視し、その売り方を貰ってくれたのである。
むろん、売り手の方もそんなことは先刻、水仙である。アルバイトのビラ配りと同じで、いかに
手渡してしまうかだけが閉魎なのである。そこで、読者が多少の金をはたいても狽、をしない気に
させるような"ピラ配り"を工夫する。 『生活開発者をつかめ-これからのマーケッティング
とニュー・メディア』(ダイヤモンド祉)というような木を読むと、蚊近の商疵は市場の革化を槻限
まで微細化するだけではなく、商^を直接個人に手渡す算段をしていることがわかる。
しかし、美しい女性が手渡すビラすら拒絶する人が少しずっふえているように、もはや乎波し
方をいくら工夫しても商^は動かないといった状況が山てきている。考えてみれば、仙人にれ楼 一
手渡すと」いうことを本当に突付するならば、手渡すものも千渡し方も、相手によってそのっど連
うのでなけれぱなるまい。が、そうなると、これまでの商売のやり方は挫折せざるをえないだろ
うし、とりわけ活字商品は最大の難関に直面するだろう。
メディアはメチャクチャ
テレビでもラジオでも、スポンサーの付かない番組が増えているという。スポンサーは、これ
らのメディアの広告効果に見切りを付けはじめたのだろうか?
ジョン・プラナーがアルヴィソ・トフラーの『未来の衝撃』に触発されて書いたという近未来
小説『衝撃波を乗り切れ』(堆典礼)のなかに、「メディアはメチャクチャ」という断章がある。そ
れによると、この世界ではテレビのCMが木番組より人気があり、人々は、CMがはじまると、
チャンネルをかえるどころか、同じ広告を求めて次々にチャンネルを切り換える。が、誰もCM
の内容には関心がなく、CMのなかの「俳優男女の次の動きを記憶し、磁気ペソでその動作を滑
稽な形にデフォルメしてしまう」遊びが行なわれる。
このSFが発表されたのは一九七五年であり、小説の世界はアメリカの二一世紀であるが、日
本では早くもこれと似たような姿勢でCMを見る視聴者が増えているように思う。とすると、そ
の分だけ確実にCMの広皆効果は希薄になっているわけである。
ただし、テレビのCMの効果は、必ずしもその内容にあるのではなく、むしろ時間性やリズム
感覚を規定することにあるのだから、テレビのCMが広告や宣伝、さらには文化操作の効果をも
たないとは言えなくなってくる。実際に、雑誌や新聞のコラムが本文よりも好んで読まれる近年
の傾向は、テレビのCMで訓練された時間感覚のためであり、マンガの読者は、無意識のうちに
CMのカット割りのリズムを身に付けている。
ドゥー・イット・ユアセルフ
物よりも情報の生産と再生産が中心になる産業構造の変化のなかで、物よりも物の作り方を、
そして材料よりも材料の入手方法を売買する傾向が強くなり、DIY(ドゥー・イット・ユアセ
ルフ)文化が主流を占めるようになる、というのが、いまとりざたされている先進産業祉会の近
未来像だ。
しかし、その・ような社会では、はたして、何かを作ることの楽しみがいま以上に増大するのだ
ろうか? 少なくとも現在進行中のDIYがめざしているのは、家でも家具でも、"アマ"が"プ
日並みに"作ってしまおうということであって、これは、一億総プロフェッショナル化を理想と
している。DIY文化も、"大衆よ反逆せよ。の軌道上を動いているわけだ。
ロバート・リデルは、最新作の『ジ・アマチュア』(北村太郎訳『チャーリー・ヘラーの復讐』新潮祉)の
なかで、一プロとは「やりがいのあることなら、立派にやってのけるだけの価値があると思ってい
る人」であり、アマとは、 「やりがいのあることなら、失敗してもやるだけの価値があると思っ
ている人」だと穿いている。リデルのすべてのスパイ小説が、単なるサスペンスをこえて、とく
に火ヨーロッバを舞台にした東西勢力の諜報合戦、情報戦争に閉してリアルなイメージをあたえ
ることに庇功しているのは、"立派"な"納果"つまり組織の利害よりも、自分がそれを実行す
ることが㎜題であるような"アマチュア"的人物とそのような行為のプロセスを描くことにリデ
ルがつねに執着しているからである。
文化のリサイクル
近旧作火は、最近レコードがつまらなくなり、売れなくなっている理由として、「レコードを
ただ受け身で聴くよりももっと面白いかかわり方」があることに人々が気づきはじめた点をあげ
ている(ニューミュージック・マガジン』一九八川年一月号)。
たとえば、ターンテーブルを手で操作して出来る針とレコードとの摩擦音を音楽演奏に利用す
る"スクラッチ"の技法の流行にみられるように、レコードはもはや単なる"鑑賞"だけの対象
ではなくなっている。そこで近田は、完成したレコードではなく、そのもとになるマルチ・チャ
ンネルのテープをレコード会社が一般に貸し出し、みんながそれを勝手にアレンジして"手作り
の音"を楽しむようにしてはどうかと提案している。それが可能かどうかは別として、実際に、
いろいろなやり方で"手作りの音"を楽しむ層はふえているようだ。
三田格「いけない類似マジック」(『ガリバーの虫めがね1尾辻克彦の研究読本』北宋杜)によると、三
旧は、レコードをテープに録るとき、ポーズ・スイッチを使って音をでたらめに飛ばし、変形さ
せることをやる。そのテープのうえに別の音を重ねたりもする。「適当なリズムを取って同じこ
とをやるとドシーソ、ドシーソ、ドシーソというドラムの音がトソトソトソと縮まってヴォーカ
ルが何生一、口づているのかわからなくなる」という。こうすれば、買って損をしたと思うレコード
でも"再生"できるわけだ。こうした例は、明らかに今日の新しい消費者の傾向を示唆している
と斗・〕えるだろう。
器官なきアンドロイド
いっごろだったろうか。ワソ・マゾ・バスのなかで、あらかじめデーブに録音された女性の声の
アナウンスが流れるのをはじめてきいたとき、ひどく白々しい印銀をおぼえた。それまでワソ・
マゾ・バスでは、男性運転手の一体に無竹な1しかしとにかくナマのーアナウンスが流され、
ときにはバス代も入れわすれてマイクでどなられたりもしたものだったが、それが、いっ聞いて
も同じ調子の-そして明らかにスタジオで録音された テープの声が行先を知らせるように
なった。」
どんなに録音状態がよくても、電車が接近するといった具体的状況のなかで発せられる声と、
それをあらかじめ予想してスタジオで吹き込まれた声とでは全然ノリがちがう。まして、バスの
なかや電車の駅で使われているテープの声は、達意第一を目ざしているとみえ、一語一語がやけ
にはっきりと区切って発声されるので、それをはじめてきいたときには、ひどく落着かない気持
にさせられた。
しかしながら、こういう人工的な音を今後何(十)年間もきかされるのはかなわないなと思い
ながら、そういうバスや地下鉄駅を利用しているうちに、その人工音があまり(λにならなくなっ
てきた。これは、むろん、わたしの耳が鈍くなったからであり、よく一一門えば状況に順応したから
である。あんな姑息なものに順応するようなことだけはしない批判精神をずっと保持しておきた
いと思っていたわたしとしては、全く残念なことこのうえないが、これも椰市の魔術的な力の一
つである。この分でゆくと、わたし(たち)の聴覚や視覚、さらには神経系統のすべてが、犯子
メディアによって浸蝕され、五官は電子回路のコントロール次第でどうにでもなる準・宛子シス
テムになってしまうのだろうか?
こんなことを考えていたとき、たまたま、如月小春の『家、世の果ての-…・』という公演を池
袋の文什一ム座ル・ピリェで見る機会があり、触発された。これは、天井からオブジェがぶら下がっ
たり、床にビニール張りの池があり、そこで金魚が泳いでおり、そのかたわらには内部で電球が
光るポリ・バケツがころがっていたりといった舞台で如月小春が、たった一人で数台のテーブレ
コーダー、ミキサー、細ごました楽器のたぐいを操作し、せりふを語るという形式のパフォーマ
ソスで、録音された声・音楽・ノイズと彼女のナマの声とがからみあう。
聞くところによると、ここで使われている言語的素材は、すべて彼女の前作からの引用らしい
が、そんなことを知らなくても、音楽もノイズもサウンドもせりふも、それ白休がすでに い
わばエリック・ドルフィのバス・クラリネットの響きのように1はじめから人工的な二重性を
はらんでいることを感じとることができる。とくに、テープから流れてくる声には、テレビのマ
ソカ・アニメの声の質に共通するものがあり、肉体的な厚みというものを欠いているように感じ
られる。従ってここではどんなに月並な、あるいはメロドラマ的な意味の言葉が語られるとして
もそれらははじめから-まさに高野文子のグラフィック・パフォーマンスの世界のように-
肉体"という概念を根拠づけてきた遠近法的な厚みや時間感覚をすりぬけたものとして与えら
れる事になる。
こうしたある意味での"空虚"さを内蔵したテープ・サウンドに、黒いシンプルな衣装を身に
つけた如月小春が、ライブ・サウンドで一といっても、テープ操作の手順を厳密に記述してあ
る台木に従って-対応してゆく。このライブ・サウンドは、ときには彼女の細い体からの声と
は思われぬほどのパワフルで情動的なものになることもあるが・全体としては・テープのサウン
ドと露骨に張りあうところまでは行かない。そのサウンドのちがいと関係は、いわば、高野文子
の『お七もたち』(縞諌杜)に収められている「春ノ波止場デウマレタ鳥ハ」のモノ・トーンのぺ
ージとカラー・ページとのちがいに近い、と一言おうか。
録音され、電子的に操作された音と、ライブ・サウンドとが激しく張りあうという形式は、電
子楽器を使った音楽ではきわめて一般的であり、そこでは、電子システムと身体組織とのヒー
ト・オブ・バトルが聴く者にスリルをよびおこす。しかし、そういうバトルがなりたつには、そ
れなりに自律的な身体性が存在しなければならないが、過剰なまでに電子システムの侵入を受け、
それ自体が情報の束に還元されかねない状況にある今日のわれわれの身体にとって、そういう
"勇壮"なバトルの余地はほとんど残されていないようにみえ、それだからこそ如月や高野が行
なっている身体性の処置がリアリティをもってくるのである。
いずれにしても、エレクトロニックス時代における身体性の危機は、二重の意味で男性的身体
性(力の象徴としての男性的"肉体"や性的象徴としての女性的"肉体")の終末を示唆しており、
男性的身体性はエレクトロニックス的"身体性"(アンドロイド)に還元される危険にさらされ
ていると同時に、フェミニズム的身体性にも道をゆずらざるをえないのである。むろん、フェミ
ニズム的身体性がアンドロイド的な"身体性"を超える可能性をどこまでもっているかは、わか
らないのだが。
煙はメディアか
ニューヨークからやってきた友人が、東京の喫茶店で、タバコの煙がひどすぎると言って顔を
しかめた。ニューヨークで、ローマからやってきた別の友人が、このごろのアメリカ人はあまり
タバコをすわないので気をつかうと言って苦笑したことがあった。
こんな個別的な例を一般化して各国の"嫌煙"状況を論ずるつもりはないが、アメリカでクバ
コをすわない人が日本などよりも急速に増えていることはたしかである。が、タバコは単なる嗜
好^ではなくて、文化でもあり、それは内分を他人や集団のなかに帰属させる媒介でもある。従
って、タバコをやめるということは、ガンになるのをおそれてある習慣を放棄するといった単に
個人的な閉迦ではなく、端的に、一つの文化を放棄することでもあるわけだ。
しかし、文化とは仙人人を結びつける媒介であるから、文化と手を切るならば人は孤立せざる
をえない。タバコをやめるということは、n分に何かを強制することであるよりも、むしろ仲間
を^捨てることなのである。仲間よりもn分の方が大切だと思うような利已心がなければタバコ
をやめることは絶対にできないだろう。
とはいえ、他者との媒介は、何もタバコだけではない。タバコという媒介がなくなっても、椚
や食中止いう媒介がある。一つの媒介が失われれば、必ず別の新しい媒介が小まれるか、別の・既
布の媒介が力を増すことになるだろう。現にアメリカでは、普通のタバコとマリュワナとの関係
は柵補的であり、"嫌煙"にはマリュワナは含まれていないらしい。タバコはすわないというから、
・煙のものは一切ダメなのかと思うと、マリュワナの方には目がないという御仁がめずらしくはな
いのである。
…心うに、アメリカの場合、タバコー厳密にはシガレットーをすう習慣が徐々にうすれ、そ
れに反比例してマリュワナの喫煙が相当一般化することによって、アメリカの喫煙文化は、より
本来の姿をとりもどしたようにみえる。アーサー・ペソの映画『小さな巨人』に、イソディァソ
部落にまよいこんだダスティン・ホフプソが、酋長からタバコのきせるをまわされてとまどうシ
ーンがあったが、タバコも酒も、もともとはまわしのみされたのである。むろん、マリュワナを
まわしのみするのは、それがタバコほど楽には手に入らないからだろうが、逆説的にそれは、タ
バコが個人的な嗜好品となって以来久しく失っていた、他者との媒介としての機能をとりもどす
のである。むろん、㌣リュワナが人体に与える書や、マリュワナに象徴されるドラッグ・カルチ
ャーの問題はあるにしても、通常、媒介であることに気づかずに1あくまでも個人的な嗜好と
して喫煙されるタバコよりも、一本をまわしのみし、伸問意識を強めあうことが多いマリュワナ
の喫・煉スタイルの方が、はるかに能動的な機能をもっている。普通のタバコも、どうせすうなら、
まわしのみにしたらよいのではなかろうか?
しかし、マリュワナの喫煙は、アメリカでも大部分の州で法律的に禁じられていて、その喫煙
にはある種のうさんくささがつきまとっており、タバコをまわしのみするのとマリュワナをまわ
しのみするのとでは意味が全く異なる。ニューヨークでは、法律では禁じられていても、整。一官の
いる公園でマリュワナのまわしのみをやっていたりもするが、どこでもそんなことが可能である
わけではない。従って、普通のタバコによって意識的・無意識的に形成される"連帯"性とマリ
ュワナによってつくられるそれとのあいだには質的なちがいがあるわけで、後者は大なり小なり
"秘密緒杜"的なにおいがつきまとうのである。
このことを集団性という点から考えてみると、タバコ人口が減って(その分だけ-とまでは
いかぬまでも)マリュワナ人口が増えだということは、それまでオーブンだった集団性がどちら
かというと秘密結社的なものになってきたということを意味する。人のいる場所でタバコをすう
ということは、他人と同じ空間を共有することであり、それは、他者との暗黙の"連帯"なしに
は不可能であるから、人々のタバコばなれは、公的な場で煙をはきかけあうといった型のオーブ
ソの"連帯"が、マリュワナのような非公式の"連帯"にとってかわられつつある、ということ
にほかならない。皆が同じ空気をすうといった形での"連帯"がいまや滅びつつあるのである。
完全には滅びはしないにしても、公には許されない1法律の目こぽしという形でしか許されな
い一ようなものになりつつあるのである。
だが、他面では、これは、空間の共有のしかたが変わってきたことを意味するとも言える。す
なわち、一唯一の空間をタバコの煙という同質の媒体(この際、タバコのブランドのちがいによる
煙の質的変化は無視しよう)でみたすという均一的な共有方法から、さまざまな異質空閑をそれ
ぞれに小単位で共有する方法、さらには空間の共有をやめて時間の共有だけを行なう方法に変わ
ってきたことをも意味するのである。アメリカの場合、文化と社会の傾向は、一九六〇年代の後
半を契機として、コカ・コーラに代表されるような均質的・全国的(実際には金地球的)なもの
から、ケーブル・テレビやレジオナル・シアターに象徴されるような異質で多様な小単位のもの
に変わりはじめるが、アメリカ人のタバコぱなれもこのことと無関係ではない。すなわちそれは、
タバコというものそのものの拒絶であるよりも、むしろ空間を均質的・一方的に専有するという
ライフ・スタイルの拒否を含恵しているのである。
その意味では、アメリカでは、電波においてもタバコぱなれに似たことが起こった。七〇年代
以降、アメリカでは企同ネットのラジオ放送に代って、FMによる地域的なラジオ放送がさかん
になったが、この傾向は、同じ波長(空間)を唯一の全国的な巨大な媒体によって専有するので
はなく、さまざまな小さな媒体によって多面的に共有するということを含意している。アメリカ
のラジオ放送の現状は、いわば大広㎜でみながタバコをプカプカやって同じ、煙を充満させる状態
から、いくっもに分かれた小部屋でまわしのみをやる状態に変わったわけだ。日本でタバコぱな
れが進凌ないのは、嫌、煙権運動はあっても嫌大放送迎動つまりは地域的な小メディアを要求する
運動がないからにちがいない。
タイプライターが壊れたとき
長年使っていたタイプライターがこわれた。それは、手動式のポータブルで、もう二〇年以上
もまえに買ったものだ。あまり良質の機械ではなかったが、ドイツ語のウムラートもフランス語
のアクセントも打てるので、けっこう重宝してきた。ところが、寄る年波には勝てなかったのか、
ある日突然、eのキーがぐらぐらになってしまった。
底蓋をはずしてのぞいてみると、キーと活字を結んでいるハガネのポールが折れている。ちょ
うど腕か脚の骨がポッキリ折れた感じで、セロテープでその個所をギブスのように補強してっな
いでやるとしぱらくは打てる。ポール全体を取りかえれば、もとどおりになることはまちがいな
い。いずれにしても、編物の短い株ぐらいのもの一本の問題なのだ。
そこで、街のタイプライター屋へもってゆくことにした。が、店の主人は、機械をちょっとみ
るなり、「お客さん、この型はもう作ってないから、部品がないんですよ。この程度のものなら、
一万五千円ぐらいで新□叩が買えます」と一一一百った。たしかにそうだろう。しかし、この機械を使い
たいという気持は変わらなかったので・寓話帳で調べた別のタイプ修理店へもって行った。その
店の主人は、ひじょうに親切で、「部品をさがしてみてなかったら(折れた部分を)溶接すれば
なおります」と一、一言って、機械をあずかってくれた。しかし、一週問後その店に行ってみると、店
の主人は、すまなそうな顔をして、「お客さん、悪いけど、新品を買ってください。直して直ら
ないことはないけど、新品の代金の半額以上かかっちゃうから」と言った。
故障の個所を自分で見てしまっただけに、あきらめきれない感じがしたが、時流にはさからえ
ないという気持もして、翌日、新しいタイプを見に、タイプライターの専門店に行ってみた。こ
れまでも、文房具展やデパートのタイプ売場のまえを通ることがよくあったので、現在どんなタ
イプが売られているかは知らないわけではなかった。が、買うかもしれないことを目的として新
しいタイプを見るのは二〇年ぶりのことだ。中古タイプならば、五年ほどまえ、ニューヨークで
数軒品さだめをした末、約一万円で事務用大型タイプを買ったことがある一この機械は、いま
ニューヨークの友人宅にあずけてある。
最新のタイプライターは、コンピューター化されたメモリー機構をそなえた型である。これだ
と、いま打った同じ単語をキー一つの操作で続けて打ち出すことができるし、修正液など使わず
に一度打った文字を修正することもできる。むろん、指のタッチの強さがそのっど変動しても、
紙に打ちこまれる文字には影響がない。
しかし、ためし打ちをしているうちに、次第に自分の体が分裂状態になってくるような気がし
た。慣れないからだと言ってしまえばそれまでだが、はたして、この感覚は、もっと本質的なこ
とを示唆してはいないだろうか? アメリカの大学や研究室には必ずそなえつけのタイプライタ
ーがあり、その多くは電動式で、わたしもそれをよく利用したが、コンピューター化された電子
式よりは激しくないとはいえ、やはり電動式の場合にも、ある種の身体的疎外を感じた。
それは、自分の身体運動が機械に直接反映されず、機械が勝手にそれを翻訳しているという疎
外感なのだが、それでは、手動式のタイプライターのときに、そうした疎外が全くないかという
と決してそうではない。すでに、そこでも指の運動は五〇あまりのキーのメカニズムとコードの
なかに閉鎖されている。たとえば、指の左右の運動は、ほとんど殺されてしまう。そして、はじ
めて手助式のタイプに触れた人は、おそらく、手書きにおける身体運動の"自由さ"をなっかし
んだにちがいない、とも言える。
しかし、手書きが手動タイプになったときに失われたものと、手動タイプが電子タイプになっ
たときに失われるものとでは、比較にならないのではないか? わたしは、いまこの原稿を手書
きで書いているのだが、ペソとわたしの手によって記された文字は、つねにわたしの思念の予測
するものとなるとはかぎらない。むしろ、書くということは、思念の運動と身体11手運動とのメ
ディア的な相互作用であり、一方を他方に還元しっくすことはできない。だから、手が思考の速
度についてゆけないというのは実はうそで、それはこの往復運動の一つの高揚した状態を言って
いるにすぎないのである。むしろ、手が"遅い"からこそ、頭が"早く"働けたのかもしれない
のだ。
ところが、電子タイプライターの場合、頭はつねに手より早く働かなければならない。π動タ
イプライダーも、その点では同じで、だからこそこれらは、テープの話を文字におこすというよ
うな場合には、手動とは比較になら・ないくらいすぐれた機能を発抑する。蝋にどんどんうかんで
きたことを打ち出すのにも、地動や電子式のタイプライターはより効果的だろう。つまり、地動
/電子タイフの理念は、思念の運動に対して手の運動を無化することにあるのであり、思念の運
動が一切の偶然性、つまりはパフォーマンスやハップニソグをもたずに無媒介に-メディアな
しに1そのまま対象化されることなのである。
これは、デカルトが人間機械論を構想したときに考えたことであり、「われ思う、ゆえにわれ
あり」という彼のテーゼの一つの意味であるが、この点に関して、最近ちょっと奇妙な発言を読
んだ。それは、柄谷行人の発言(週刊読蕃人二九八三年六月二〇H号)なのだが、彼はかって「我思う、
故に我無し」というテーゼを思いついたという。そしてこの「デカルトとまったく反対側のよう
な考え方」に「マルクスなり精神分析なりみんな入ってくるのではないか」と帯、口づている。
奇妙だと思うのは、「われ思う、ゆえにわれなし」というのは、実は、人間機械論者としての
デカルトがまさに"言わんとしたこと"であって、デカルト向身はそうは一一、、口わなかったが、「わ
れ」を「思うわれ」つまりは純粋な思念運醐としてとらえられるかぎり、「われあり」はむしろ
「われなし」と言わなけれぱならなかったはずなのである。
にもかかわらず、デカルトがそうはヰ・〕わなかったところに彼のテーゼを単なるコンピューター
の形而上学にとどめることができない部分があるわけで、だからこそ、たとえばフッサールは、
その『デカルト的省察』のなかで、「われ思う」の「われ」と「われあり」の「われ」とを、思
念的な自我(「超越論的自我」)と身体的自我(「相互主体的自我」)とに読みわけ(つまりは「ゆ
えに」を単なる岡一性としてではなく、動的・時問的な差異性uメディアとして読みとることに
よって)このテーゼが支持するかにみえる近代的二分法をのりこえるものを見出し、さらにはデ
カルトをメディアの現象学者としてとらえなおす方向をきりひらいたのである。まあ、その意味
では柄谷行人の方はフッサールなどとは反対に骨のスイまで近代主義的であるわけだ。
テクノロジーの歴史は、プログラム化のエスカレイションの雌史である。それは、思考が(同
じことだが、身体が)含んでいる差異性(つまりはメディア性)を、近代数学的理性ののっぺり
した同一性(つまりは「交通」)へと解消しようとする努力であり、「脳髄」の活動を邪魔するよ
り、むしろそれを相互的に活気づけてきた「手」を完全に「脳髄」の従属下に肝こうとすること
なのである。むろん、そこには、「脳髄」に対する「手」の反乱があるわけで、テクノロジーと
狂気とは、つねに一体をなす。
考えようによっては、キーのポiルが一本こわれただけで機械全体を…以いかえよう、それを放
櫛してしまおうというのは、狂気であり、それは伍助タイプライターが働かなくなったときに一
瞬ぷちこわしてしまいたいと思う破壊衝動にも通じている。ところで、わたしのタイプライター
は、最終的に、テクノロジーの発展とも狂気の九巡ともちがう巾問的(メディア的)な方向を遡
ぶことになった。というのは、手近の針金を折れたポールの部分に取付けたら、それはもとどお
りの働きをとりもどしてしまったからである。
メディア・エコロジーか、ラディカル・メディアか
メディア・エコロジー
ニューヨークに着いてすぐソル・ユーリックから、ニューヨーク大学でいま「教育における衛
星通信」という会議が開かれていると言われ、その最終目にかけつけた。その日の前半に行なわ
れた発表と討論は、要するに、今日の進んだメディア・テクノロジーを使って距離をいかに消去
するかという問題をめぐって展開され、ITTやウェスタン・ユニオンなどの技術責任者が、そ
の最新のメディア・テクノロジー、たとえば衛星通信を利用した国際会議("ビデオ・コンフェ
ランス")のシステムをスライドで披露した。しかし、衛星を使ってアフリカやラテンアメリカ
に合衆国から教育のテレビ情報を送るシステムを得々と解説した技術者がいたように、そこには
メディア・テクノロジーそのものの権力的性格に対する反省や批判はみじんもあらわれてはいな
かった。
メディアの抑圧的機能に対する反省と批判が論じられたのは、この会議の最終目の最後の数時
間だったというのは、いかにもアメリカのメディア状況を象徴しているが、 「テレコミュニケイ
ションの社会的インプリケイションについて」と題された最後の部門では、テレンス・モラン、
パート・カーラソ、ソル・ユーリックらが登場し、これまでの発表に冷水をあびせかけるような
問題提起を行なった。
装置や仕掛けは大いに変わったが、それらを使っている人間の条件は、ローマ時代以来何も変
わってはいないのだとするソル・ユーリックの辛辣な批判と奇抜な例証(たとえば、コンピュー
ターを使う現代のビジネスマンは一九世紀のロワー・イースト・サイドの手押車の物売りと大し
てちがっていない云々)は場内をわかせたが、わたしがとくに関心をもったのは、テレンス・モ
ランが「メディア・エコロジー」なる概念をもち出したことだった。
物を生産するテクノロジーに関しては、公害のような物的環境についての意識がかなり高まり、
自然環境を破壊しても工場や高速道路を建造するというようなことは、およそ非常識なことだと
考えられるようになってきた。産業は、何らかの形でオルタナティブ・テクノロジー(AT)を
意識しないではいられなくなってきたわけだが、情報テクノロジーの分野では、またそうした環
境諭的意識は希薄で、マス・メディアや情報装置がわれわれの中枢神経に与える好ましからざる
影響の方には、まだ十分な注意がはらわれてはいないと言ってよい。
「情報環境論」ないしはメディア・エコロジーは、まさにそうした問題を組織的にあっかおうと
するわけだが、その場合、情報の分野に関しては、物の技術がATを意識しはじめたような具合
には、なかなかすみやかに自己反省が起きてはこないのではないかという危惧がもたれる。
エコロジーという概念には、どこかしら改良主義的・社会民主主義的なにおいがつきまとって
おり、わたしとしてはとてもストレートに受けいれることはできないのだが、近年マリー・ブク
チンなどが提唱している「社会的エコロジー」の射程を顧慮しながら、わたし白身「メディア・
エコロジーの必要」などという一文を書いていたので、モランが「メディア・エコロジー」とい
う言葉を使ったときには、ん!?という気がした。
まず、物を生産するテクノロジーとはちがい、情報を生産するメディア・テクノロジーは、時
代とともにますます効率のよいものになり、われわれの日常生活のなかにとめどもなく浸透して
ゆく。たとえば、アメリカで一九六〇年に五四セントしたトランジスタが、今日ではその十分の
一以下にコストダウンし、また年々性能がよくなるコンピューターは、この二〇年間に記憶容量
を毎年三五パーセントの閉合で増やしてきた。つまり、情報の生産条件の方は、物の生産条件ほ
どには不況や低成長に左右されないのであり、こうしてますます効率がよくなる条件のもとで、
情報環境の"汚染"は加速されるのである。
さらに、情報環境は、物的環境以上に表現の自由の問題に関わる度合が強いので、情報環境の
"整備"と情報の管理・統制とは紙一重のところにあり、物的環境で公害規準を決めるような具
合に、情報環境の規準を決めることはできないのである。
今日の日本の情報環境で問題なのは、単なる「情報の過剰」とか「情報の俗悪さ」とかいった
内容の問題であるよりも、むしろ情報の与えられ方である。それが、たとえば排気ガスだとか騒
音のように直接の不快感や苦痛を与えるのであれば、始末がよいのだが、エレクトロニックス・
メディアを通じて与えられる情報は、むしろ非常に口あたりのよい、ソフトな環境を提供し、
そうした一種の魅惑的な条件のもとで人を一定の方向に向けてコントロールしてしまうような性
格をもっている。
こうした情報公害は、メディアが情報の送り手に完全に独占されていることから来ると考える
こともできよう。そこで、情報環境にも、ATのように自主管理的な要素をもったオルタナティ
ブ・テクノロジーを導入しなければならないという考えが出てくる。すなわち、ラジオやテレピ
を例にとれば、全国ネットではない、地域ごとのコミュニティ放送局とか、視聴者に解放されて
いるアクセス・ステイションとか、双方向ラジオ/テレビなどがそれにあたる。
しかし、どんなに地域に密着したメディアが出来たとしても、メディアがメディアであること
にはかわりがなく、それは身体=頭脳活動を媒介するにすぎず、決してそれととってかわること
はない。つまり、メディアがどんなに発達しても、それでもって身体=頭脳活動にかえることは
できないのである。ところが、そういう代替が可能だと思いこむことによって、これまでわれわ
れはメディアの病におかされてきたのである。
「生物機械論」も、似たような発想にもとづいているが、この点に関して、分子生物学者の柴谷
篤弘は、『バイオテクノロジー批判』(社会評論祉)のなかで次のように言っている。
「機械は設計図の指示するとおりの大きさにつくられ、たとえただ一個しかつくられなくても、
それには対応する特殊な設計図が常に用意されている。これに対して、生物のばあいは、同一の
遺伝情報をうけとっていても、あらわれてくる生物は、一定の大きさにしぱられるわけでなく、
とくに社会性昆虫のばあいは、二〇〇倍以上の重量の差があらわれることがあるという。また形
もときによって色々に変わり、厳密にいうと、生物には二つと同じものはない。」「したがって、
生物はたしかに機械と同等のものを、その内部に保有してはいるが、高度の自発性をそなえた生
物個体そのものは、機械をこえた存在であり、機械に還元できない。」
そうだとすれば、情報環境論の最も基礎的な課題は、人間的個体のこうした"唯一性"をいか
に守るかということになるであろう。そして、メディアや情報装置に関しては、それらがこの
"唯一性"をどの程度侵害しているか、またそれらがこの"唯一性"をどの程度エレクトロニック
スの力で解放できるのかということを探求することが問題になるだろう。身体論、都市論を包括
したメディア論が再興されなければならない。
その後、テレンス・モランと会う機会があり、「メディア・エコロジー」の由来について話をき
いた。すでにニューヨーク大学のコミュニケイション芸術・科学科には、ニール・ポストマソや
テレンス・モランらによって一九七〇年に「メディア・エコロジー・プログラム」が創立されて
いることがわかったが、彼らはこの新しいディシプリンを出発させるにあたって、『帝国とコミ
ュニケイション』の著者ハロルド・A・イニスやマーシャル・マクルーハソのメディア論に刺激されたという。
しかし、大会社のやり手の役員を思わせる風貌のモラン氏が、メディア・エコロジーの必要を
説き、メディア・エコロジー・プログラムがITTやABCやハーパー&ロウなどのメディア産
業の協力を得てますます前進しつつあるという話をきくうちに、まてよという気持をいだかない
ではいられなかった。そこで、"メディア公害"というのは、大気汚染や酸性雨のように客観的
な環境基準で規制できるものではないのだから、メディア・エコロジーは、メディアの全面的解
放ということを基本的な方向とするのでなければ、ときには検閲と同じようなものになるおそ
れがあるのではないか、とたずねてみた。
「それはむずかしい問題だ」としながらモランが与えた答えは、予想したように、「メディアの
多元主義(プルラリズム)」であり・巨大産業や政府がメディアを独占している状況下ではこの(それ自体としては積極的なものをもっているかもしれぬ)プルラリズムが、結局は、強い者勝ちの自由競争主義を基礎づけるにすぎないということにっいては、何も考えていないようだった。モラン氏は、プロパガソダ理論で学位を取ったというが、メディア・エコロジーが、メディアによる心理的・身
体的コントロールの総合科学になるおそれもないではない。
とはいえ、いまアメリカのマス・メディア産莱が、メディア・エコロジー的側面を顧慮しはじ
めていることはたしかで、これは、支配と管理のシステムが、個人の身体的無意識のレベルにま
でおよんできたということを意味すると同時に、そういうシステムが、たとえ向已利益のためと
はいえ、支配システムの内部にある種の"自由空間"をセットしなけれぱならなくなったという
ことでもある。
パブリック・アクセス
そうした"自由空間"の一つとして、ケーブルテレビジョンにおけるパブリック・アクセスがある。パブリック・アクセスの現状を調べることは、今回のニューヨーク再訪の大きな目的の一つであったが、こちらがリサーチの予定をたてる以前に、その関係老が突然わたしのまえにあらわれた。
三月のある目、ディディ・ハレックという女性から電話をもらった。彼女は、『ラディカル・ヒストリー・レヴュー』誌のマイク・ウォーレスから、わたしが自由ラジオや自由テレビに関心をもっていることをきき、ぜひ意見交換をしたいというのである。そして、もし今日でよけれぱ、今夜ハンター・カレッジのルーズベルト・メモリアル・ホールで、ハーバート・シラーの講演があるので、そこで落合わないかという。ハーバート・シラーといえば、今日のメディア操作について鋭い分析を加えてきた人で、日本でも『ザ・マインド・マネージャーズ』(一九七三年)の翻訳が出ていたと思う。彼にはかねがね関心をもっていたので、話をきけるのは、わたしにとって願ってもないことだった。
ニューヨークに行っていつも感じることは、ここは一種の"LSI"(大規模集積回路)であり、ある一定の関心や共通性をもった人間同士が実に狭い世界でつながっているということだ。ホールのロビーでディディ・ハレックに会い、シラー氏に紹介されでいっしょに話をしていたら、そこに入ってきたのが『ザ・メディア・マシーン』(一九八O年)の著者のジョン・ダウニングだった。
彼とは少しまえにマイク・ウォーレスらといっしょに会い、自由ラジオの話をしたばかりだ。シラー氏は、「ぼくの本の日本語版の批評は出たのかな?」と、反響を気にする。そのとき、ディディが、彼女におとらず六〇年代のニュー・レフト的風貌をとどめている人物をわたしにひきあわせようとっれてきた。その顔には見おぼえがあると思ったのも当然で、彼は、『意識のキャプテン』(一九七六年)や『欲望のチャンネル』(一九八二年)の著者であるスチアート・ユーエソだった。
彼と会うのははじめてだが、彼のことは昔から本や仲間を通じてよく知っており、彼の方も同じようにわたしのことを知っていたので、たがいに名のりあってから、なんだ、なんだということになった。
書いたものからは全く想像できないほどの雄弁な演技にあふれたシラー氏の話(ハイ・テック時代における多国籍的メディア産業のメディア操作)のあと、ディディの家で小さなパーティがあった。」そのとき、会場からどやどやと彼女のアパートになだれこんだとき、奥から食事の用意をしながら出てきた男がいた。見ると、何とその人は、ジョエル・コヴェルではないか。何のことはない、彼は、ディディの夫なのであり、彼とわたしとは、顔こそあわしたことがなかったが、同じ『ティロス』誌の編集委員であり、わたしは以前に彼の「後期資本主義におけるセラピー」を翻訳したことがあった。
ディディは、「ペーパー・タイガー・テレビジョン」つまり「張り子の虎テレビ」というラディカル・メディアを主宰している。この「ペーパー・タイガー・テレビジョン」というのは、マンハッタン・ケーブル・テレビジョン(アップ・タウン地区ではグループ・W・ケーブル・オプ・マンハツタソ)が供給している一六チャンネルのうち、パブリック・アクセスとして一般に解放されているDチャンネルを使って、毎週三〇分問自主製作の番組を提供している"局"で、これまでにたとえば次のような番組を作ってきた。
「ハーブ・シラーが『ニューヨーク・タイムズ』を読む」
「アン・マリー・ブイトラーゴが(CIA,FBI等の)諜報部員の名前を読みあげる」
「ジョエル・コヴェルが『コヴァート・アクツション』を読む」
「ジョアン・ブレイダーマンが『ザ・ナショナル・エンクワイアー』を読む」
「ソル・ユーリックが『ザ・ニュー・クライテリオン』を読む」
「スチアート・ユーエソが『ザ・ニューヨーク・ポスト』を読む」
「スタンリー・ダイアモンドが『スコラスティック・マガジンズ』を読む」
「マリー・ブクチンが『タイム』を読む」
これらの番組は、すべて、落書だらけの地下鉄の内部を模した簡単なセットをバックにして、各人がそれぞれの活字メディアを分析・批判するというスタイルをとっているが、ここに登場する人物たちはみな芸達者であり、他日わたしは、数時問にわたってこれらのテープのさわりをみせてもらったが、いささかもあきることがなかった。これらの番組以外にも、大統領演説の声の部分に技術的な操作を加え、実際に行なわれた演説とは全く逆の内容にすりかえてしまったようなパロディ作品もあり、こういう番組を作って自由にテレビで流すことができるということをうらやまずにはいられなかった。
しかしながら、このようなメディアがあるからといって、ニューヨークさらにはアメリカ合衆国のメディア状況全般を楽観的に評価するわけにはいかない。というのも、ケーブルテレビピは、毎月一定額を支払える加入者だけに開かれた"エリート・メディア"であり、しかも、そのケーブルは、現在のところニューヨークでもマンハッタンにしか架設されておらず、どんなにラディカルな番組が提供されるとしても、それがブルックリンやブロンクスのスラムに流れることは絶対にありえないからである。その意味では、依然としてラディカル・メディアが必要なのだ。
電波の違法・不法・無法
市民に対して電波の使用が極度に限定されている日本で、一九八三年一月から「パーソナル無
線」という新しい市民無線が認可になった。これは、九〇〇メガヘルツというUHF帯を使い、
誰でもが簡単な免許巾諦で無線通信を行なうことができるというもので、郵政省としてはこの
「パーソナル無線」を、これまで何かとトラブルの多かったCB無線にかわる市民パンドとして
広めてゆくっもりのようだ。
「パーソナル無線」は、CB無線にくらべてチャンネル数も最大許容出力もそれぞれ、八○チャ
ンネル、五ワットとちょうど一〇倍にアップされており、ここでは一見班波法が大概に緩和され
たかのような印匁を与える。しかし、その迎川規定を調べてみると、ここでは逆に池波の管理が
強化されており、その管理の手]の高度化には、いわばエレクトロ・フフシズムのにおいさえ感
じられるのである。
すでにメーカー側は、この新しいマーケットに大いに期待をかけているようだが、新しく売り
出される「パーソナル無線」のトランシーバーも、CB無線の場合と同様に、郵政利の型式検定
に合格上たものでなければならず、実際には、社団法人日水伍子機械工業会に加榊しているメー
カーがユーザーに代わって適合証明を受けたものを市場に出し、ユーザーは購入した製品に付属
している中論用紙をもよりの電波監理局に提出するだけでよい。
ただし、「パーソナル無線」では、申請といっしょに提出しなけれぱならないものがもう一つ
ある。それは、「ROMカートリッジ」という一片のチョコレート大のコンピューター・チップ
で、申請者がこれを書類といっしょに皿波監理局に送ると、術波監理局はこのカートリッジに中
請者の必要情報を記憶させ、巾論者のもとに送りかえしてくる。そして、申請者がこれをn分の
トランシーバーにセットすると、以後このトランシーバーは、自動的に申計者の固有信号を送り、
電波監理局に用意されている「ATIS」というコンピューター・システムに対して、日分が不
法の冗波ではないことをたえず身分証㎜。するわけである。
郵政省は、現代のマイクロエレクトロニックスのテクノロジーをたくみに応用したこの「AT
IS」の導入によって、「違法」や「不法」(合法の機器を改造したりして使用することを「連
法」、はじめから規定外の高出力の機器を使用することを「不法」という)の無線局が入りこむ
余地がなくなり、利用者は安心して市民の通信を楽しめると言っているが、つねに国家1-郵政省
によって監視された形で行われる無線が、はたして市民無線なのか、ましてパーソナル無線なの
か、ということは、いまいちどよく考えてみる必要があろう。
市民一人ひとりの表現の自由が保障されるべき場所で、その表現行為が逐一国家によって糀視
されているというのは、市民が秘密警察の監視下におかれているフフシズム国家の状態をおもわ
せ、それが人によってではなく、高性能のコンピューターによって常時行なわれるという点で、
フフシズム国家の状態よりもはるかにプライバシーが侵害されていることを意味する。これは、
事実上、電話が逝探知されたり、盗聴されているのと同じであり、「ROMカートリッジ」をセ
ットすることを合意したうえで「パーソナル無線」の申請がなされるという形で、監視体制があ
たかも申請者の"自発的"な意志でしかれているかのようになっているところをのぞけぱ、憲法
違反になるのではなかろうか?
こうしたシステムは、今後、CB無線やアマチュア無線、さらには全然免許のいらない自由ラ
ジオにまで拡大され、はては総背番号化された市民が「ROMカートリッジ」付きの超小型発振
器を携行して、国家に対してつねに自分の居所を身分証明するといったところまでエスカレート
しないともかぎらない。もともと、このシステムの導入は、「違法」や「不法」のCBがはびこ
り、CBバンドが「無法地帯」になってしまったからというのが当局の言い分だが、もしそうだ
としたら国家はそうしたトラブルを市民自身が解決するように調停者としてふるまうべきではな
かったのか?
なお、パーソナル無線の導入後も、CB無線は残されるが、罰則はぐんと強化され、不法のト
ランシーバーを使える状態で持っているだけで、二〇万円以下の罰金または一年以下の懲役にな
る。
ゲリラ・スキャニング
「その部屋は電子設備でいっぱいだった。送信機、端末機排、モニター装置、コンピューター、ディスクとテープの駆動装置、高速プリンター、受信機、テレタイプ・・・・部屋は全くちらかり放題になっているようにみえた。しかし、ここは、IBM、ベル電話会社、シティ・バンクのシステムと同等の、世界最上のシステムの一つなのだった」。
これは、ソル・ユーリックの長編サスペンス『リチャード・A』(一九八一年、アーバー・ハウス、井上一夫訳『狙われた盗聴者」集英社)の肩頭の一節だが、主人公リチャードは、太平洋に面した北カリフオルニアの断崖のうえにたった彼の一軒家のなかで、世界の政府、多国籍企業、そして諜報機関を向こうにまわして、情報操作による孤独な闘いを続けている。
ところで、今日のエレクトロニックス時代――ユーリックはこれを「電子封建制」(エレクトロ・フューダリズム)の時代と呼ぶ――における権力闘争のありかをリアルにえがいたこの物語のなかで主人公がやっていることは、それほど空想的なことではない。少なくとも、警察や救急、消防、その他の業務無線を、ほとんどエレクトロニックスのことを知らない者が傍受することも、今日の日本では簡単なことである。
エレクトロニックスの専門誌をみると、広告ページにいろいろな「受令機」の情報がのっている。受令機とは、機能的には普通のラジオと変わらぬ受信機の一種なのだが、放送のように不特定多数の視聴者に向けて流される電波ではなく、パトカーやタクシーのように指令を発するために流される短波をキャッチするためのもので、そういう短波の多様な胴波数を幅広くカバーできるようになっている。
こうした受令機は、安いものでは一万円ぐらいからあり、おもしろいことに、どんなに安い受令機でも、どこかしらの警察無線は傍受できるような受信周波数の帯域になっている。警察無線は、この手の電波のなかではつねに最大のリスナーを確保しているので、さもないと機械が売れないのである。
ちなみに、警察無線やその他の"機密通信"を聴くことは、何ら違法行為ではなく、傍受した情報を他人に洩らしさえしなければ、何のとがめも受けない。しかし、考えてみれば、そんなことは当然のことである。勝手にプライベートな空間に侵入してきた電波を受けとめて、それが犯罪になるとしたら、市民権などというものはないに等しいことになる。
しかし、電波の情微を独占しようとする側としては、これは頭が痛い。どうしたらゲリラ的な傍受を逃れることができるかで頭を悩ますことになる。その結果、情報を独占するためにはそのハード面も独占せざるをえなくなり、ハィ・テクノロジーの独占を強化し、それを駆使して秘話装置を作ることになる。しかし、テクノロジーの論理には独占の諭理をこえてしまうような逆説がっねにつきまとい、送り手がどんなに高度の秘話装耐を使っても、パソコンでそのコードを解読して、たとえば商社や通信社のテレタイプ通信のようなものまで傍受してしまうアマチュアが実際に出てくる。専門誌にはそんなノウハウがよく載っている。その意味では、警察無線を聴くなどということは、受令の全く初歩的なレベルなわけである。
こうした現象は、一種の情報公開が――テクノロジーの逆説の結果――アンダーグラウンドなところで進んでいるということでもあるが、実際には、こうしたやり方で得られた情報を使うことは禁じられており、マニアの方もほとんどその気がないわけだから、この現象の意味は、もっと別のところに求められねばならない。
『オーストラリアン・CB・フォーカス』(一九八二年二月号)に載っている「受令の歴史」によると、オーストラリアで趣味の受令がアメリカから入ってきたのは一九七〇年代の前半だが、そのころはラジオの終夜放送がなかったので、深夜、ベッドに横たわってアメリカ製の受令機で警察無線に耳をかたむけることがかなり流行したという。この伝でゆくと、日本でいま受令が流行しているのは、既成のテレビやラジオの番組にはろくなものがなく、視聴者がもっと多様な放送番組を要求しているからだという解釈もなりたっ。それは、どうも事実のようだ。
スタジオ遊び
七〇日ほど日本をはなれていて帰ってみたら、自由ラジオのことがいろいろなところでとりあげられているのには驚いた。
自由ラジオに関しては、わたしも以前から関心をもっており、目下活動中の自由ラジオ局のいくつかと密接なかかわりがないでもないのだが、「今日からキミもDJ、ミニ放送局を作っちゃおう!」なんて見出しの記事が『少年マガジン』(一九八三年五月一八日号)の巻頭グラビアを飾ったり、某大学のミニ・ラジオ局に二〇社ものスポンサーがっいたなどという話を聞くと、石油ショツクのときもそうだったけれど、どうもこの国には"流言悲語"的構造があるのではないかと思わざるをえない。
ものごとがあまりに急速に全国的規模で起こりやすいのは、われわれ一人ひとりを結びつけるコミュニケイション・ネットワークが何かの具合で一挙に全体化し、均質化する性格をもっているからである。しかし、自由ラジオというのは、まさにそういう単調な全体性を内側から浸食するはずのものではなかったのか? 自由ラジオがマス・メディアのなかで騒がれ、しかもマス・メディアの方はそれによってかえって元気づいてしまうというのは皮肉ではないか? ひょっとして自由ラジオのラディカルな可能性は、早くもマス・メディアのしたたかな、手管によって骨抜きにされてしまったのだろうか?
しかし、ブームになっているといわれる自由ラジオの実態を少し注意してみてみると、少なくとも一般紙・誌の記事やグラビアでものめずらしくとりあげられている「ミニ放送局」は、およそ自由ラジオの本来の可能性とはほとんど無縁であり、また、そこで行なわれていることは、放送とうよりも、むしろスタジオ遊びと言うべきものであることがわかる。
日本における自由ラジオの可能性は、イタリアやフランスなどのそれとはちがい、「一〇〇メートルの距離で電界強度が毎メートル一五マイクロ・ボルト以下」という微弱電波で放送し、はじめからせいぜい一キロメートル四方ぐらいのサービスエリアしか相手にしないという点にある。この特徴は、もともとは、日本の電波法の窮屈な制限からいたしかたなく生まれたものなのだが、もしこのような特徴をそなえた局が無数に出現するならば、均質化されたマス・メディアのなかに無数の風穴をあけることができるという逆説を含んでいる。
が、そのためには自由ラジオ局は、前述の合法内の強度の電波でカバーできるギリギリのサービスエリア(市街地では約一キロメートル四方)を自局の電波で確実にみたし、その聴取者の利害にみあったプログラムを提供しなければならないはずだが、現実には全くそうはなっていないのである。
「スタジオ遊び」と言ったのもそのことであり、実際に、ミニ・ラジォ局の大半は電波を出すことよりも、スタジオで放送ごっこをしたり、その有り様を一種のショーとして披露したり、既存のラジオ局のものと質的には変わりばえのしないDJ番組を作ったりすることに熱中している。
これは、マス・メデイアにとって脅威になるどころか、大変好都合なことである。というのも、FM局がたったの二局という前時代的な入れものの現状からしても、また、どうしようもなく低俗で単調な番組の質的現状からしても、にっちもさっちもいかなくなっている今日のマス・ラジオにとって、群生しつつあるミニ・ラジオ局は、硬直したプロフェッショナリズムの手では作り出すことのできない、素人くさい――従っていまのマス・ラジオの状況のなかではひどく新鮮にみえる手づくり番組を提供してくれるボランティアの役目をはたすからである。
とはいえ、スタジオ遊びや放送ごっこではない自由ラジオ局も生まれっっあるのだから、そう短気に自由ラジオの可能性に見切りをっけない方がよいだろう。いま必要なことは、ミニ放送局よりも、むしろその聴取者がどんどんふえることである。イタリアでもフランスでも、自由ラジオは、聴取者の要求から生まれた。あなたは自由ラジオを必要としているか? あなたは自由ラジオをきいたことがあるか?
「ミニFM」と「自由ラジオ」
自由ラジオにかかわるなかで気づいたことの一つは、日本ではテクノロジーがそのもともとの文化的・政治的側面を剥奪され、その道具的な側面ばかりを強調されて使われる傾向が強く、とくに或るテクノロジーが外国から導入された場合にはその仰向がとりわけ強いということだった。
自由ラジオとは、一九七〇年代にイタリアではじまった一つのメディア・テクノロジーだと言ってよいが、これは、イタリアでは radio libera、フランスではradio libre、ドイツではfreies Radio、アメリカ合衆国ではfree radioと呼ばれる。ところが、日本では、これが「ミニFM放送」とか「ミニFM」と呼ばれるのである。自由ラジオを「自由ラジオ」と呼ぶことは、日本ではマイナーな立場に属すのであり、一都では、「自由ラジオ」というのは、「ミニFM放送」のよからぬ方向を指すとすら考えられているようである。
イタリア語もフランス語もドイツ語も英語も、みなインド・ヨーロッパ語族に属すのだから、言葉が変わっても同じ概念が継続されるのはあたりまえだという論法はあたらない。同じインド・ヨーロッバ語族のなかでも、地下鉄はフランスではmetroと呼ばれ、イギリスではunderground、アメリカ合衆国ではsubwayと呼ばれる、ということは誰でもが知っている。
これらは、まさに同じテクノロジーが国によってどのようなやり方で使われているかという指標になっているわけだが、自由ラジオが「ミニFM放送」と言いかえられることも、まきに、日本でテクノロジーがどのような受けとり方をされているかということの一つの指標になる。
言語表記はちがっても、「自由ラジオ」という概念が継承される場合、この「自由ラジオ」という概念によって規定されうることにコミットする者は、誰しも暗黙のうちにインターナショナルな――つまり国境や言語的的境界をこえた――連帯のなかにおかれる。その意味では、自由ラジオというテクノロジーがヨーロッパや合衆国で、地下鉄の場合とはちがい、共通の概念を維持したまま使われているということは、そこにある種のコミュニズム文化が形成されているということでもある。いささか話が大きくなりそうだが、わたしは「コミュニズム」を「共産主義」と訳すことは、労働=生産とみなす考えにひきずられており、強制された労働を止揚しようとするような――たとえば「アウトノミァ」の――運動をカバーすることはできないと思っている。コミュニズムが、結局は新しい何かをむことになるとしても、それ以前に、何かが共に生きられ、連帯されなけれぱならないのであり、その意味では、コミュニズムは、「共生主義」ないしは「連帯主義」と訳されるべきだ。
とすると、「ミニFM放送」という言い方は、「自由ラジオ」という「同際連帯」をあえてはなれて別のことをやろうとする国粋主義的な「〈反共〉主義」だということになるわけだが、これは、これまで日本で行なわれてきた多くのことにあてはまるのである。
「ミニFM放送」という言い方は、FM電波を使った小規模の放送という意味であって、それは現在日本で行なわれている自由ラジオの道具的・手段的側面を的確にあらわしている。しかし、自由ラジオは、何も「ミニ」である必要はないし、また「FM」波を使わなけれぱできないというわけではない。たまたま日本では半径五〇〇メートル程度のエリアをカバーできる電波しか合法的に出せないから「ミニ」なのであって、ヨーロッパの自由ラジオは、その意味では決して「ミニ」ではない。また、ヨーロッバやオーストラリアにはAMや短波の自由ラジオもあり、「自由ラジオ」の理念は、単に装置の性格を規定しているのではない。
郵政省の電波技術審議会は、「微弱電波を利用する無線局の管理に関する技術規準」を定めようとしているが、自由ラジオが「ミニFM放送」としてしかとらえられないと、やがて、その「技術水準」とやらが変わってミニFM電波を使えないということにでもなると、とたんに自由ラジオは窒息してしまいかねない。逆に、使用できる送信パワーがアップされたとしても、自由ラジオの理念が正しくつかまれていないかぎり、自由ラジオは決してその理念を発揮しえないだろう。郵政省が、この審議会の目的を「技術基準」の決定においていることからもわかるように、日本の管理や支配は、つねに技術――つまりテクノロジーの道具的側面――のコントロールによって行なわれる。こうしたやり方に対抗するためには、自由ラジオにおいては、それは何も「ミニFM」でなくても、電話線や電灯線(たとえば「コードレス・インターフォン」を利用する)を使ってでもできるのであって、問題は単なる技術ではなく、理念の方なのだということを知ることだろう。
ラジオ・パフォーマンスの政治性
イタリアのいわゆるアウトノミア運動のなかで"運動のラジオ局" がはたした役割は、これま
で多くの論者によって論評され、高く評価されてきた。目木でも、フランスの、ミッテラン政権誕生直後に急速に燃え上がったフランスの自由ラジオ・ブームのニュースが一般誌・紙でも報じられたことから、政治活動の新しいメディアとしてのラジオに対する関心は、漠然とした形であれ人々の意識の片すみでふくらみはじめた。一九八二年の夏ごろからマス・メディアの証拠になりはじめたいわゆる「ミニFM」は、ヨーロッパの自由ラジオの動きに直接呼応するものではないが、その無意識的な一端には、どこかでヨーロッパの自由ラジオの動向と結びっいているものがある。
日本の「ミニFM」には、最低限三つの要素が介在している。一つは、一九七〇年代から盛んになっていたラジカセによるテープ録音・再生のサブカルチャーないしはユース・カルチャーであり、もう一つは、ワイヤレス・マイクやトランシーバーで電波を飛ばせて遊ぶサブカルチャーないしはユース・カルチャーである。こうした地盤のうえにヨーロッバの自由ラジオのアイデアが――知らずの間であれ――結びついたのが「ミニFM」である。
ヨーロッパの自由ラジオと日本の「ミニFM」とのちがいや後考の"弱"さや" 非政治性"については、すでに指摘したが、言語作用一つのなかにもマクロなレベルを決定するようなミク口な政治が存在し、これなしにはいかなる強力な武装も戦術も有効性をもちえないということに留意するならば、日本の「ミニFM」の政治性は、もっと注意深く論じられなけれぱならないだ
ろう。
それは、一見" ただの遊び"とみえるとしても、そこには、確実に政治が存在するのであり、その一見とうでもよく見えるミクロなレベルで政治闘争が闘われているのである。その政治性は、「ミニ一FM」局が、どんな"政治路線" や"党派" によって運営されているかといったレベルでははかることができない点で、またそれに直接かかわってはいない老までも無意識的レベルでそれにまきこまれているという点で、ひじょうにやっかいであり、また、その不可視性はしばしば権力に弾圧の格好の条件を与える。
「自由ラジオと"横断性" の政治」(『イソパクション』第26号)のなかでミーガン・モリスが言っているように、イタリアのラディオ・アリチェがはたした真の機能――従って権力にとっての脅威となり、最終的に権力の凶暴な弾圧によって抑止されたもの――は、単に" 政治的"メッセージや" 対抗情搬"を放送したことであるよりも、それをはるかにこえてこの放送が身体性(言語・労働・欲求)の解放の代表機関として機能したことだった。
われわれは、テクノロジーを単なる手段とみなす考えにそまっているが、これはテクノロジー自身が内在させている政治性を不間に付すことである。こうした立場に立つかぎり、反権力もまた、権力と同等の武器や軍事テクノロジーを所有しなけれぱならないところまで逃むだろう。たしかに「政権は鉄砲でつくられる」。鉄砲でつくられた権力は鉄砲で倒すしかなかった。しかし、今日の権力は、エレクトロニックスによってつくられる。そうだとすると、この権力は、エレクトロニックスによって倒すしかないのか? そしてそれだからこそ、今日の反権力闘箏は、エレクトロニックスのレベルを間魑にしなけれぱならないというわけなのか?
一九七〇年代のアメリカ合衆国のポスト・ニュー・レフトのあいだには、こうした発想にとりつか れた者が少なからずおり、CB(市民無線)がそのような目的でさかんに使われたこともあったし、今日では、コンピューター回線へのゲリラ的な介入や対抗コンピューター・ネットワークの拡充をもって一つの反権力闘争とみなす人々もいる。しかし、エレクトロニック・テクノロジーの逆説は、機械工学や化学のテクノロジーとちがって、飛的な巨大さが必ずしもその実質的なカとはなりえない部分をもっている点である。つまり、鉄砲でつくられた権力は鉄地で倒すしかないかもしれないが、エレクトロニックスでうちたてられている権力は、ときには、内部にわずかなノイズを発生させるだけで、全体が一挙に崩壊し、組みかえられてしまうことがあるということだ。これは、メタファーであると同時に事実である。
いつの時代も、権力は、メディアを独占することによってその力を恒久的なものにしようとする。印刷メディアがまだ独占的な力をもっていなかった時代には、口頭のオーラルなメディアを印刷メディアによって制圧する政策が進められた。印刷メディアが一定の力を発揮できるほど普遍化してからは、それを自律的なしかたで所有させないことが権力の課魍になった。それは今日も続いており、発禁や検閲はその露骨な形態である。
メルボルンの左翼放送局3CRが出しているニュースによると、エル・サルヴァドールでは、一九八一年一月からラディオ・ヴェンセレモスという放送局がつくられ、「サルヴァドール革命の信頼に足る声」としての力を発揮しているという。しかし、この場合とくに興味ぶかいのは、この局の送信機が第二次大戦中に使われた古い機械を改造したものであることと、この放送局がつくられるきっかけとなったのが、権力による印刷メディアのすさまじい統制だったという点だ。
ポーランドの" 連帯"の場合も、権力によって出版の自由はもとよ謄写版の使用も制限されるという状況のなかで、新たにカセット・アープが人民のメディアとして注目され、活用されたのだった。
日本のような" 自由"と" 平和"の保証された先進産業国では、権力による印刷メディアの管理がなかなか見えにくいのだが、それは依然として存在するというよりも、むしろいわゆる第三世界などよりもはるかに大がかりな規模で進められている。かってソル・ユーリックは、アメリカ合衆国で郵便の配達が日に三度が二度に、そしてついにはたった一度になってしまったことを、これは人々を文字からひきはなさせる管理の一形態であると語ったことがあるが、テレビやラジオのためにわれわれが文字メディアからだんだん疎遠になってくるという今日巡行しつつある現象は、われわれがいまではまだわずかに自律メディアとして自己組織できる文字メディアをわれわれから奪い、権力の独占する電子メディアに従属させようとする管理の亢進でもあるわけだ。
そうだとすれば、われわれは、電子メディアによってすべてのメディアを一元化しようとする権力のまえで、既存メディアをn律したものとして保持すると同時に、この一元化されようとしている電子メディアのただなかに無数の対抗電子メディアをつくってゆかなけれぱ、反権力が根をはる可能性は絶たれてしまうわけである。
メディアは単なる技術的手段ではないが、電子メディアが印刷メディアと決定的に異なるのは、前者はその権力としての可能性として、人間の身体をそっくり電子回路に転換し、まさに個々の主体が自己を変革すること――つまりは欲望の解放――のなかにおいてではなく、全く主体とは無関係に、恒久的に、電子回賂としての「器官なき身体」をつくり出す点だ。
すべての管理の核心は、いまや電子的なものと身体的なものとのあいだにあるといってもよい。明らかに、われわれの身体性は、電子的なものによる変容を受けているのであり、いまこそその自己チェックが必要である。とりわけ、言語は電子メディアによってどこまで変えられているかが検討されなければならない。実の所、巨大なテレビ局の電子メディアを通じて、「いいかい? いいとも」といった言語が流されると、それがたちまちわれわれの日常の口頭の言語(パロール)のなかに浸透してしまうという現状は、電子メディア的管理の徹底という点で相当ひどいところまで行っていると言える。
しかし、その他方では、マス・メディアの言語を二重化し、コラージュしてしまうような、言語活動の台頭がみられるし、「ミニFM」も、そうした言語権力の無意識的な相対化や変革の一面をもっているとみるならば、その最も風俗的な部分ですら単なる"スタジオ遊び" として一蹴することはできないかもしれない。そうした可能性は、もっと意識化されなければならないわけで、自由ラジオとしての「ミニFM」は、何らかのメッセージを伝送するよりも、それが既存のメディアが媒介する言語の権力的な部分――つまりは"支配的" な"主流" の部分――をどこまで解体し、個々人のオーラルな言語を活気づけることができるかを主災な課腫とする必災がある。しかし、そのためには、自由ラジオは、集会の場や街路、書かれたものや描かれたものとの横断的な関係を重層的に結んでゆかなければならないだろう。
機械の身体化
「ミニFM」ブームには、あらゆる流行現象に見いだされる両義的側面があることはいうまでもないが、その一側面として、過剰に浸透したマス・メディアに対するあまりに受動化させられた聴取者の潜在的な批判と反抗があることも見のがすことはできない。
日本の場合、イタリアやフランスの自由ラジオのように、その下地に海賊放送(これは、" 政治的プロパガンダ" の放送であるよりも、既成のメディアではかからないレコードをどんどんかけてしまうようなものが多かった)というサブカルチャーがあったわけではない。しかし、そうしたサブカルチャー的下地なしに起こった一過的な流行ではなく、ワイヤレス・マイクやテープレコーダーをいじるといった表面的にはテクノ志向のサブカルチャーがあったために短時期に急速にひろまったのである。重要なことは、そういう志向がこのブームによって単なるテクノ志向の枠をふみこえつつあることだ。
フームが一年以上統くなかでFM送信機の種類も多様化し(ただし、そのメーカーはほとんどマイナーなところだというのはおもしろい)、確実に電波を出すことが容易になったので、以前のように"放送" をしているというかけ声をマスコミを通じて騒ぎたて、ろくすっぽ電波を山出さずに"スタジオ遊び" だけをやっているようなところだけが目立つことは少なくなった。というよりも、そういうところはそういうものとして持続し、それとは別にちゃんと電波を出す局がふえてきた。
繁華街を毎日独白の番組の電波でみだしている帰もあるし、地域の"回覧板"約機能をはたしている局もある。大学のキャンパスには、政治的意識の高い局も生まれはじめ、テレビ放送に関心を示しているところも出てきた。
「ミニFM」局が使っている「微弱電波」は、何もFMの電波にかぎられはしない。周波数も電波形式も全く自由であり、テレビの電波でも、電波法第四条と同施行規則第六条で規定されている強さの電波なら、自由に送信してかまわないのである。つまり、いま「二二FM」が半径五〇〇メートルのサービス・エリアをもっているとすると、テレビで同規規模の放送をすることができるわけだ。
たとえば、「ピコテレビPT12」(ミズホ通信)という送信機だが、これを使うと、空きチャンネルの(1)(関西で(2))にビデオ・カメラやビデオコーダーの映像出力をカラーで送信することができる。秋葉原で手に入れて実験してみたところ、二〇〇メートルぐらいまでは飛んだ。アンテナを改善し、供給電圧をあげれば、もっとサービス・エリアをのばせるだろう。ただ、この送信機では映像だけしか送信することができず、チャンネルを(2)にあわせたテレビからは、音は全然きこえてこない。それは、このメカには(その価格がたったの一万二千円ということもあって)音声送信機がついていないからで、その意味ではこのメカは" 不完全"なのである。
しかし、いま既成のメディア観をいったんカッコに入れ、新しいコミュニケイッヨソの創造――既存メディアののりこえ――ということを考えると、この" 不完全"さが逆にそうでなくなってくるかもしれない。本当は、テレビから同時に音が出るということは、なんら必然的なことではないのである。ゴダールの近作『パッション』では、音と映像とがそれぞれ自律した体系としてあつかわれており、オフ・シーン・ボイスの技法がひんぱんに使われているが、この種の映画をみると、普通の映画やテレビではいかに映像と音がたがいに拘束しあって不自由になっているかがよくわかる。
だから、音の出ないテレビ送信機「ピコテレピ」の場合、その機能を徹底させて、たとえば音はテレビを見る側が自由につけるといったような番組を流すのに利用するならば、従来のテレビとは全く機能のちがうコミュニケイションが可能になるかもしれない。イタリアの自由ラジオでは、ラジオの聴取者に既存のテレビを音なしでみてもらい、テレビのたとえばニュース番組にラジオで全然別のナレーションを送り、番組をパロディ化してしまうというようなことをよくやる。
これは、むしろ自由ラジオの一つの可能性だが、テレビも、それが既存のものから自由なものをめざすのなら、音と映像の機能そのものについてはじめから考えなおす必要があるだろう。
『闇と沈黙の国』の技法
ヴエルナー・ヘルツォーク回頗展で上映された『闇と沈黙の国』を見に行ったのは、この作品
が『カスバー・ハウザーの謎」の発…舳をなしているとどこかでふきこまれたからである。しかし、
それは、『カスパー』以上にわたしを触発し、逆にいままでいだいていた『カスバー』へのイメ
ージが変わってしまった。
『カスパー』をはじめて見たのは、一九七七年頃にニューヨークのブリーカー・ストリート・シ
ネマであったが、ブルーノ・Sの辿其的な演技に圧倒された。とくにカスバーが言一沽を洲得し、
はじめて一一・H菓を口にするシーンにはスリルをおぼえた。片…公の秘惰の牢獄のようなところから
出されたとき、あたかも蜥生の醐物のような身ぶりで現われたカスバーの身体は、われわれが行
なっているような体の醐きをすることができず、われわれの身体性がいかに後・大的に個庇化され
たものであるかを考えさせた。しかし、その後、この映…のシーンを記憶のなかで何度も反刎す
るうちに、訂がどうもうますぎるような気がしてきた。
『州と沈黙のN」にも、ウラジミールという肥満した打桝の壮年が出てくる。彼は、ほとんど教
育されずに家で父刺に育てられたので、榊屋のなかを歩くことすらおぽっかない。食物炎噛むこ
とも知らず、口にくわえさせられた食物をそのままのみこんでしまう。他折とのコミュニケイシ
ヨソは、全く成立しないかにみえる。少なくとも、それが何かの情報を交換するという意味だと
したらである。しかし、『闇と沈黙の国』で推・小ぎれているのは、狐火の一断片であるのに対し
て、『カスバー』では、これがすべてだと一一、一]わんばかりにカスバーの"秘密" が挑、爪されている
よう一なところがある。
火消症や火付疵は、「象徴的意識の障害」であり、メルロ、ポンティによると、「失行症*は、
ことに跳に写った像に柳りながら(あるいは而と向かっている人の勅作を以似ながら)対匁に適
応じたW莇をすることが困難である」(「幼児の対人…係」)。失行疵の忠肯においては、傲と火物との
関係が汎乱しているわけだが、こうした能力は、ヴァロソによると、淋一歳から決定的に発辻す
ると一一・[われるが、その時川に たとえば他祈から全く切り離された生活をさせ、られたりすると、
身体は人並みに成・長し、迦莇麻雌や不随芯伽の述醐陳害などがないにもかかわらず、"ちゃんと"
歩くことができない。『カスバー』は、まさに、こうした、症例を随所で見せてくれ、その煎味で
は吹におもしろいのだが、逆に考えると、こうした症例のデータをつなぎあわせてカスバー・ハ
ウザーの小江をw紺染しているようなところが気になってくるのである。そうなると、この映画
はアーサー・ペソの『奇跡の人』 柵はもっとメロドラマ的だが とあまりちがわないもの
になってくる。
ペーター・ハソトケは『カスバー』という作^で映・川と同じテーマをあつかっているが、この
をヒO年にニューヨークで見た友人の爪によると、それは、ヘルツォークの映、川よりもメタ
フォリックな喚起力の点ではるかに刺激的だったという。とくに、カスパーが言語の世界にはじ
めて入ってゆくプロセスが鋭く浮きぽりにされており、映晒よりもヰ、]語哲学的であったらしい。
映画でも、そういう而がなかったわけではないが、カスパーが芦沽と" 理性"を弼得するにつれ
て、彼がその"汚れなき" まなざしにうっるまま語り山す一言一句は、ゆがんだ現実を風刺的に
帆、化することになり、言語哲学的というよりは、社会批判的トーンがこの映㎜の大洲にあるよう
に見えてくるのだった。
スタンリー・カウフマンは、『わたしの目のまえで』(一九八O年)という映画批評集のなかで『カ
スバー』について、この映画の主題は、「カスバー・ハウザーの秘密」ではなくて、彼を牢から
出してニュールンベルクの街路に放置し、そしておそらくは彼を刺したと思われる謎の男の「秘
密」であると、いささか皮肉をこめて言っている。「あの児は誰だったのかP」「なせカスパーを
幽閉したのか?」「なぜその男は、カスバーを解放し、世の中でやってゆく方法を教えたのか?」
そして「そのあとでなぜ彼は、もどってきてカスパーをなぐり、それから殺害したのか?」とカ
ウフマンは問うている。たしかにこうした問いが、この映画を見おわったあとに残る。そうだと
したら、この映画は、『闇と沈黙の国』との一貫した関連で、つまり",n抑…諭的な閉心から見られ
るよりも、一つのミステリーとして見られた方がおもしろいかもしれない。もう一度見る機会が
できたときには、そういう観点から見なおしてみたいものである。
ヘルツォークは、インタヴユー(『月刊イメージフォ⊥フム』、一九八三年七月号所収)などから判断すると、
映画のなかにあらかじめ仕掛をひそませ、それが観客によって暴かれるのを黙って待つタイプで
はなく、自分の製作意図も、たずねられればどんどんしゃべってしまうタイプの人のようだが、
そうした誠実さとデカルト的な「透明な意識」にもとづく作品でも、そこには、彼の予期しない
地平的な部分が含まれているはずで、そうした部分を思いっきり拡大してゆくと、『カスパー』
から別のストiリーと別のテーマがたちあらわれてくることもなきにしもあらずである。
『闇と沈黙の国』は、五六蔵の肯聾の女性フィニィ・ジュトラウビソガーの"目"から描かれて
いるような体裁ではじまる。タイトルとともに見えるぼんやりとした吐遮は、彼女がまだ〔の見
えた子供のころに見た情最の再現である。黒緑の阿・血も、視覚障害を当人の意識の側から提示し
ようとする操作である。この女性は、自ら語るところによると、子供のころはとてもお転婆で、
いつも元気よくかけまわり、母親を困らせていたが、あるとき階段から落ち、頭をひどくうちっ
けた。そのことを母にはだまっていたが、次第に目が見えなくなり、また耳もきこえなくなり、
者にかかったときには手おくれだったという。
が、そうだとすると、この映画が彼女の"N"から描かれるということは不可能である。彼女
は、映画の世界を想像する以外にそれを知覚するすべがない。彼女は沽すことができるが、閉く
ことはできない。手の平に柵手が指で点と線をつくる筆淋を通じて他人とコミュニケイトする。
それ以外のコ、ミュニケイシ・ソは、拘挑やキスのような、いずれにしても触感覚的な方法で行な ・
われるしかない。映・胸の最初の方に、全然口のきけない肯搬者をまじえて、n分だちの生いたち
やその思うところを" 語り"あうシーンがあるが、それらの" 会話"の媒体は筆話における手と
手の血批的な触れあいである。
そうだとすると、われわれが両面のなかに見ているものは、フィニィ・ジュトラウピソガーの
芯識世界というよりも、映画とわれわれが共犯的に花成している世界であるにすぎない。しかも、
この映mに術場する人物は、ほとんどすべてそのような陣害者であり、映画は、フィニィが、バ
イエルン市大迦蝋の依煩を受けて、各地の昨杵肯たちを訪ねて歩くのを追う。彼女は、行く先々
でコミュニケイションの困難に出会う。前述のウラジミールもそうだが、まちがって締神病院に
長く入れられていたため、他人と話すことをしなくなってしまった四八歳の女性エルゼ・フエー
ラーは、フィニィがどんなにコミュニケイトの労力をしても、、とうとう反応を示さない。生まれ
つきの岬桁だが、三五歳まではほが見えた五∵威の男は、長年次畜小股で家畜といっしょに作・活
さ叱られてきた。彼にとっては、人㎜よりも木々や醐物の方が糊しみのある世界に賦しているら
しい。フィニィは、この男ともコミュニケイトすることに成功しない。
フィニィには、われわれ"正常者" にコミュニケイトすることのできる{、}…がある。彼女の訴
によると、仰々の世界は決して沈然の世界ではなく、たえず何かの音がきこえているのだという。
とさには秒の流れるような音であり、ガソガソ何かがなりひびくこともある。また、盲杓の枇界
も、完介な…ではなく、黒、白、緑、火といったさまざまな色が見えており、 「肯口は附い流れ
のようなものだ」と彼女は表現する。
それゆえ、この映画は、奇妙に収脳した空間を共有させることになる。それは、火のところ維
一人として、同一なものを確…と共布していると信ずることはできないような兜…であり、羊、れ
それの人々がそれなりの身体を世界に投げ出すことによって共有している工づな空…である。従
って、その空間は、あなたやわたしが、その共布空…へのn己投企を中断したり、放棄したりす
れば、ただちにくずれ去ってしまうはずである。
ハソトケの『カスパー』に、ヴィトゲソシュタインの“一㌦…論の彬科をみる!もいるが、その忠
昧では、 『㈹と沈黙の旧』のなかにも多くのヴィトゲソシュタイン的テーマをは川すことができ
る。
ヴィトゲンシュタインは、『哲学探求』(藤本・坂井訳『論理哲学論考』、法政大学出版局)のなかで次のように言っている。
「他人はわたしの痛みを、わたしの振舞いを通してのみ学ぶ、などということはできない。――
なぜなら、わたしが病みを学んだなどと、わたしについていうことはできないからである。わたしは、痛みを感じているのである。
わたしが、痛みみを感じているかどうかにっいて他人が疑いをもっている、と他人について語ることには意味がある。それは正しい。しかし、それをわたし自身についていうことは、正しくない」(二四六頁)。
痛みは、わたしが感じるしかないものであり、他人はそれを推察することができるだけである。言語とは、こうしたわたしの痛みに貼られたレッテルにすぎず、それは一つのゲームである。
「語の意味とは、言語の中におけるその用法である」(六頁)から、「言語ゲーム」の規則が変われば、同じ言語が別の意味をもつ。「異なった教育が行なわれれぱ、これらのコトバの直示的教示が同じであっても、まったく異なった理解を惹起するであろう」(六頁)。
ヴィトゲンシュタインは、アウグスティヌスを批判しながら、彼は、「子供はすでに考えることができるが、まだしゃべれないだけだといわんばかりなのである。ところが、" 考える"ということは、この場合、自分自身に向かってしゃべるといったことなのである」(三二頁)と言っているが、これは、『カスパー』と『闇と沈黙の国』に登場する人々のコミュニケイション問題を明らかにしてくれる。「言語を教えるということは、それを説明することではなくて、訓練するということである」(五頁)ということは、『闇と沈黙の国』のなかで、聾者で全盲に近い妹と盲目で全聾に近い兄との二人の子供に言語を教えている専門学校のシーンが、ずばり示している。その教師の一人は、 「概念というものをつかんだら、それは盲聾者の精神的な誕化を忠昧します」と語るが、「しかし彼らが"名誉心" とか"希郭" とか"希望" とかいう言葉に対して、どんなイメージをいだいているのかは、本当のところはわれわれにはわからない」。
しかし、ここで考えなければならないことは、こうした" わからなさ"は、もしコミュニケイション手段ないしはメディアテクノロジーが改善されさえすれば、解決されるものではなく、むしろ、コミュニケイションそのものの特質であり、逆にそうした不可能性によって、コミュニケイションの一回性や唯一性が保証されているという点である。ヴィトゲソシュタインは次のように書いている。
「私的な体験に対する本質的な事柄は、実は、各人が自分独特の標本をもっているということなのではなくて、他人もこれをもっているのか、あるいは何か別のものをもっているのか、を誰も知らないということである。それゆえ、一部の人間はある赤さの感覚をもっているが、他の人間は違った赤さの感覚をもっていると仮定することが――検証不可能ではあるけれども――可能であろう」(二七二頁)。
『闇と沈黙の国』は、障害者の世界をいままでにないやり方で描いてみせたというよりも、ふだんはなかなか接することのできない多様なコミュニケイシヨンの場にわれわれをひきいれるという点で、わたしには刺激的だった。ヘルツォークは、前述のインタヴユーのなかで、「私の主要データというのは、人間像を描くのはもちろんですが、これまで未だかっていかなる映画も描き出さなかったような新しい映像の文法を自分でつくってゆくと言い換えられるかもしれない」と言っているが、" 映像の文法"とは、映画の単なるスタイルではなく、フィルムに対するわれわれ全体のかかわり方だとすれば、闇と沈黙の国』はたしかに一つの" 文法"をつくり出すことに成功した。この映画の世界は" 正常者"の観客が自分の目にに見える世界を信じ、道案内役のフィニイ・シュトラウビンガーの話をありのまま信ずることによって成立するわけだが、そうした前提は、何かヒューマニズムとか宗教的信念によって基礎づけられているのではなくて、ヘルツォ
ークがこの世界をつくり、観客がこの世界として見るという純粋に映画的な信憑によって維持さ
れるのである。
テレビの機能転換
自由テレビと言うからには、既存のテレビ放送から自由でなければならない。が、それはどこ
まで白内になれるだろうか? 前述のテレビ送信機PT-2を使って少しひねったテレビ送信実
験を行なってみた。
映像と音声のテレビ池波を同時に出せるPT13Uというテレビ送他機もあるのだが、映像電
波しか出ないPTI2をあえて選んだのにはわけがある。まず、映像が見え、音がきこえるとい
うのは、既成のテレビの某本条件となっているわけだから、映像も竹も出せる送信機を使うと、
どうしても帆布のテレビの放送パターンを踏襲してしまい、あまり新味がなくなると思ったこと
が一つの理由である。自由ラジオも、音をよくしようとしてステレオ方式にしたりすると、自然
にその放送内容も、既存のFM放送のスタイルになってしまう。むろん、そうでなくてもできる
はずだが、そうなることが多いのである。
しかし、もっと直接的な理出は、ヘルツォークの『閥と沈黙の国』を見て、盲聾者のコ、ミュニ
ケイションに関心を持ったことだった。映像しか出ないテレビと、音を出すことをその機能とし
ているラジオとを組み合わせるならば、人工的に、目は見えるがしゃべることのできない・唖者と
耳はきこえるが見ることのできない盲人との関係をつくり出し、その疑似休駄をすることができ
るのである。
実炊には、 一つの場所にテレビ映像送信機PT-2とソニーのビデオ・カメラDXC1一七四
〇をセットし、そのかたわらにFMラジオを川怠した。そして、そこから一〇〇メートルほど雛
れた場所にカラーテレビ受像機を松き、これまで-山ラジオの火駄ではさんざん映ってきたコロ
ナ化茉のFM送グ機FTI一〇七、㈹単な州慨アンプ、→、イタをセットした。
この二つの場所に、それぞれ九、六人ずつ集まって、一方は、n分だちの聴覚と身ぶりだけで、
他方は、n分だちの視覚と一。川だけでコミュニケイシヨソをかわそうとするわけである。テレビ地
波の泌㍍も、FM~波の送篶も、すでに火吹ずみなので、技術的には全然……越がない。…胆は、
コ、、、ユ一一ケイシヨソ技術の方である。
批初に映像グループが批他一したテーマはグレナダ……胆だったが、これについて十全的なコミュ
ニケィシ・ソをかわすことは、このメディア状況ではひじょうに難しいことがわかった。このよ
うな閉迦のディスヵツシ、一ソになると、竹{の方が快傑よりも圧倒的な慨位に立ち、映像グルー
プは、廿{クルーゾに仰し切られてしまうのである。映像グルーブは、しゃべれないということ
の不n{さをいやというほど州感させら・れたが、同時に、身ぶり文化の貧・しさを改めて…心い知ら 一
された。ひょっとして、ラテン諦胴の人たちだったら、もう少しラジオからの声に対抗できるパ 、
ワフルな身ぶりをテレビ・カメラに送り込むことができたに違いない。
しかし、映像作家の加藤到とテレビニァィレクターの斉藤茂樹が映像グループの中心になって
映像操作をはじめたころから、事態が変わり、かって「ラジオ・ポリバケツ」でならした斉藤正
樹らが陣どる音声グループも急速に精彩を失ってきた。映像の方が、実験映雨風になってくると、
それに音声で対応することがひじょうにむずかしくなるのである。その結果、音声グループの内
部には、次第に映像に対するある種の疎外感がひろがっていった。
このことが最も象徴的に現れたのは、映像グループが、この実験をそろそろ終わりにしようと
思い、音声グルーブの人たちに逝其をたたんでテレビ送信している延物にもどってくるように身
ぶりでく〔図をしたときだった。その身ぶりをテレビ受像機で全く映像だけで知覚している音声グ
ループは、これもてっきりテレビのための演出と…心ったらしく、そのメッセージは了解できたの
に、一向に腋を上げようとはしないのだ。これは、現在のテレビのもっている水木的な性格をは
からずも露呈させているように思える。
マックルーハソは、テレビをラジオに比してクールなメディアだといったが、たしかにそれは、
すべてを相対化し、非現実化してしまう力をもっているようだ。そして、それは、一度思い込み
がはじまると、もはやとりかえしがつかなくなるところまで逃むのである。
ニュー・メディアと身体の"反乱"
「たのしく」やるということが今日ほど強調される時代はない。そのくせ、何をやってもテレ
ビ・ゲームの世界の出来事であるかのような醒めた共通感覚が支配している。どこかが壊れそう
な気もするが、どうせ大したことはないと気をとりなおす。
こうした軌在支配的なある枕の楽天キ」裁は、〕木田塚の経済発浪と関係がある。ちょっと日本
から外へ山てみれぱわかることだが、いまの[木都市 とりわけ東京 ほど、この五、六年
のあいだに" 光郷く都市"になってしまったところはない。このような都市のなかで快適な侮目
を送っていると、この郁巾の そして現在の日本の 状態が、ひじょうに特殊なものである
ことを見火う。その納…木、われわれは、単に、目木困家の" 繁栄"が他の国々の人々の犠牲のう
えに可能となっているといったことを見火うだけではなく、国内に、われわれの身近に、そして
われわれ一人ひとりの身体のなかに存在する矛盾や闘争の存在を見失ってゆく。かつて、「南北
閉迦」とは、地理的な概念を七デルとして作りあげられた経済概念であったが、いまや政治的・
社会的・文化的な「南北間魍」がいたるところで噴出しはじめている。しかし、今日の日本の楽
天上派は、こうしたレベルを{、几全に見えなくしてしまうだろう。
楽・大キ張とは、木来、絶}的状況のなかで、その圧倒的な力をわずかに口避する戦略的な姿勢
であるが、「たのしさ」への執府としての「楽大主義」は、形を変えたコソフォル、ミズム(大助舳
応主荻)や肌状肯定論にすぎない。このことが見えにくくなったのは、権力が見えにくくなったた
めであり、そ㍗)、舳形態が洗練されたからである。やましさを感じることなく現状を肯定し、
「たのしく」遊んでしまえるような気分にする仰" が測度化されたのである。
考えてみれば、木当にたのしければ、「たのしい、たのしい」とはしゃぎまわる必、火はないし、
「たのしい」というふれこみの既成品に近づく必双もない。むしろ、「大衆」とか「若者」とかい
ったト汕一からげな・一H火が、マス・コミでひんぱんに仇川・される時代がロクな時代ではないよう
に、「たのしい」という一一、いジが飛びかう時代は、よほどたのしくない時代なのかもしれない。現
に小川H大内削によってH下教育改小が逃められようとしていることをみてもわかるように、珊在
の抜打“ばは それがもともと竹州・の一代附として迎人されたものであるにもかかわらず
新たな竹州にとって・小榊く□なものになりつつある。肌在の教育伽度のもとでは、概度にたのしく
ない時…がすごされており、それが「たのしい」叶…への欲求ではなく、逝にそのようなシステ
ムを介体舳にマヒさせてしまうような「子供たちの反乱」の条件が苔秋されている。それは、そ
の僚理的性格を暴晦することによって、その絶果的なつまらなさを解星させている現在の学校シ
ステムに対する戦略的なオプティミズムであるが、これは、管理にとって不都合なことである。
こうした逆説は、資水主義の逆説であり、資水の過剰な浸透、支配と管理の過剰な増孤のなかで
必ず現われる小態である。
さまざまな様式とさまざまな装雌をもつ資本の浸透と支配・管理の貫徹は、今日、伍子情報と
いう様式とメディアという炎肚のなかに最も効率のよい次元を見出した。今日、「サービス社会
化」、「ソフトノ、ミックス」、「低成長」といったことがまことしやかに語られるために、流木生栽
経済システムは、ユ、の生産カヤ水を捨てたかの印復を与える。また、そうしたシステムを批判す
る側も、n分ではもはや午雌カ信仰を脱却しているかのような前提に立っている。いまでは高度
経済成長を批判しない者は一人もいないくらいだが、だからといって現在のシステムが高度締済
成長の路線を捨てたわけではない。それどころか、これまでのム、タを極力排除してより高度の成
長を達成しようというのが、今日の脈莱システムの路線である。
それは、物品ではなく、旭子怖榊が生産と流迦のt班なものとなることによっていよいよ㎜白
となる。これは「竹糀化社会」、「脱、「業化社会」、「ポスト・サービス社会」と呼ばれる段附にお
ける某木特徴であるが、わたしは、これを資本主荻の情榊資木主義化と名付ける。ここでは、前
情榊資木主義社会つまり「一-・莱化社会」において、物□…を止産する力学的メカニズム(機械)と
物^を流通させる物流の逝略(遭絡、水路、空路箏の交汕賂)が拡大され、確伽されたのに対し
て、冗子情椴をいかに多様に生産し、昇、れらをいかに迅速に流通させるかということが追求され
る。「ニュー・メディア」とは、まさにこうした事態のなかで必然的に現われた。
物品から什報へという移行には、いくつかの、" 形而上学的"前提がある。それは、まず第一
に、より迅速な移動ということを前提としており、π子情報が物品を凌偽することができるのは、
それが移送速度の限界 つまり光速度 まで移送速度を加速できるからである。第二に、物
品から柑榊への移行には、手で触れることのできるレ、ベルを解消してしまうという" 形而上学"
が前挑とされている。物品は、それがどんなにオートメイション化された機械で生産されるとし
ても、その製品に乎で触れることができる。それは、劇薬のように身体組織を破壊するかもしれ
ないにしても、身体で直批舳れることができる。これに対して、砒子情報は、ある種の" 超能力
者"には感知されることがあるとしても、媒介なしにはそれに" 触れ"ることも、それを感じる
こともできない。
今□の状況にとってメディア……胆を欠かすことができないのはこのためである。人㎜の身体は、
もともと沽榊小産火附であり、メディアであると二応竺・、Hうことができるが、その化産効率がか
ぎりなく追求されるとき、身体は"頭脳" と"卿脳なき身体" 、つまりは"脳なしの身体" とに
分離され、" 弧脳"は身体の有機的な部分としてではなく、旭気信[リ(伍子情撒)を発生させ、
受信する装附とみなされるにいたり、"脳なしの身体"は、さしあたり、そうした伍子情搬の通
路の役附を与えられるが、屯子情報流通の効率が高まるにつれて、それは不用なもの、邪魔なも
のとみなされるようになる。" 頭脳"と" 頭脳"とが直接(無媒介にu身体メディアなしに)交流
しあうことが理想となり、両者のあいだを結ぶものとして電子回脇や電子装置が開発される。
情椛旗本主義がこうした回路や装置の開発にやっきになるのはこのためであり、そこでは" 脳"
を身体から局所化すると同時に、まさに脳なしとなった身体を解雇し、それをπ子工学的に考案
された裟雌で代替しようとする方向が楓限まで追求されざるをえない。すなわち、身体を"脳な
し"として放泄したままその" 頭脳"的機能だけを優先するという段階を越えて、純粋に" 頭脳"
だけを機能させることが求められるわけだが、これがまさに、人工知能(AI)の基礎的理念で
ある。
ただし、情報資木主義の今口的㎜魍は、それが決してそれ白身の可能性を全面的に展開すると
ころまで行かず、それがそれ白身の逆説におびやかされることがないと同時に、" 頭脳"と" 脳
なしの身体"との枢端な対立と矛盾を激化させている点である。なぜならば、もし人間と同じ能
力をもった人工知能が班子工学的に作り出され、人…の身体とは完全に独立に" 頭脳"としての
機能を果たすことができるようになるとしたら、そのとき人間は、今日のように、「ニュー・メ
ディア」によって身体を" 頭脳"と" 脳なしの身体"とに分断されずに済む可能性も生じるから
である。
しかしながら、現在の"頭脳"概念が、有機的な全休的な身体の不十分な胤所化であるとす
れば、そうした"頭脳" 概念にもとづいて人工知能を作り上げようとしている試みは、その完成
のあかっきには再び新たな"頭脳" の人丁化へ向かわざるをえないだろう。そして、身体の"頭
脳"的^所化と" 脳なし"化とは、いま以上にすさまじいものになってゆくだろう。
とはいえ、現在の閉艇は、そのどちらでもなく、このように想定される状況が中途半端な状態
で現われていることである。そのため、 " 弧脳"的・電子情報的文化が主流となり、 " 脳なしの
身体"的文化は、ますます礼金の背景の方にしりぞけられる。
むろん、後折を巾披に復活させようとしたり、両者のバランスをとろうとしたりするのは無意
味である。むしろ、大なり、小なり" 脳なし"にされているニュー・メディア時代のわれわれの
身体をみずからあえてもう一段高度に" 脳なし"にしてみることによって、身体がそのリアクシ
コンとして企体性をみずから班求せざるをえないところまで追いつめてみることの方が現実的で
はないか? これは、一九七〇年代後半にイタリアで展開されたアウトノミア巡助のなかで生じ
た概略であり、今□その木賃は、"アウトレドゥチオーネ" (英沽の"セルフリダクション" つま
りn分の方からn分の力を減力するようにさせること)という“、H葉によってとらえられている。
班、するに、資本を、縦済システムを、抑圧的な法伜や制度を、俄略的に巫守しすぎることによっ
て、逆にそれらの内的矛爪と、それを超える可能性をあばき出してしまうことである。
ニュー・メディアは、いうまでもなく、冗子付報を" 頭脳"から" 蝋脳"へ直接伝達するため
のパイプラインとして開発され、推進されている。すでにこのパイプラインは、われわれの私的
な日常環枕から衛姑放送による地球的那境にいたるまで張りめぐらされつつあり、地球全体が各
仙人の"弧脳" の組織を、化予下一学的に沽びつけた化子ネットワークと化そうとしている。マック
ルーハソは、こうした時代を早くから予測し、そこに「叱子的村淋共い体」と「冗子的民斗十一共」
をオプティミスティックに考えたが、彼が忘れていたのは、このよ一?なネットワークが" 充実"
すればするほど、ますますワ・ての一方で"脳なしの身体" が"桝" " され、やがてはその、反乱が起
こるという逆説である。彼は、蝋則にも、活字文化と精神分裂病を関係づけたが、化子メディア
については、それに随伴して現われるメディア症候群については、あまりに楽天的であった。怖
榊伝辻の効率が高まれば高まるほど、"脳なし" にされた身体が孤立させられてしまうことがあ
ることについてマックルーハソはほとんど言及していない。
竹報の伝送ということは、その"送り手" と受け手" とのあいだで同一の竹報が共有されてい
るということが前提になっているが、これは、 "弧脳" の唯一性や一m性を否定するものであり、
解釈、誤解、ディスコミュニケイシヨソといったレ、ベルを無視することである。しかし、コ、ミュ
ニケイションというものが、それぞれの唯一性をもった主一体がそのつど一回的に共生体験をする
ことだとすれば、むしろ竹報が伝}い肚されないときにこそ其のコミュニケイションが可能となる。
とすれば、旭子メディアをそうした逆説的なディスコミュニケィシヨソや誤解のメディアとして
戦略的に使うことはできないだろうかP
ブレヒトが一九二〇年代に予期し、フランツ・フプノソが『作命の社会学』のなかでその方向
を示唆し、そして一九六〇年代以降のヨーロッパで実際に峡閉されたn山ラジオは、まさにこの
る分舳装泄としてラジ
オを使うのではなく、さしあたっては、人工的にディスコミュニケイッヨソや理解不可能性を作
り出すためにメディアを使用し、その逆説として現われるであろう身体の"反乱"の現状批判的
な機能に賭けるといった側面が自由ラジオのなかにあるのである。
「、、、二FM」は、日本の抑圧的な池波法のために、歩いて行って話をしても変わりがないほどの
距離で池波を出す。が、このように身体迎助(歩いて行って人と直接出会うこと)を組子メディ
アによってあえて側約することによって身体が休駄する不自由といらだちこそが、このメディア
の逆説的な可能性であり、メディアを「ニュー・メディア」とは全く別のデロス(究楓〔的)で用
いることなのである。
むろん、自由ラジオは、一つの選択にすぎない。他のすべての電子的コミュニケイション技術
にそのような方向娠換が可能なはずであり、いま求められていることは、まさにそのような方向
の総点検と追求なのである。
あとがき
本書は、『メディアの牢獄』(一九八二年)と『これが「自由ラジオ」だ』(一九八三年)で論じられた諸問題をいっそう包括的にとらえなおそうとしたものだが、本背をまとめながらつねにわたしの念頭から離れなかったのは、今日の社会が現在どのような状況にあるのか、それはどのような方向へ向かおうとしているのか、そしてそこには、いま進もうとしている方向とは別の、どのような可能性があるのか、ということだった。
その際、この問いの手がかりとなっているのは、テクノロジーの歴史的変化である。今日の時代は、機械的なテクノロジーから電子的テクノロジーへの転換期だと言われているが、そこで生ずる本質的な変化は持続的な時間意識意識の喪失である。簡単な例をあげれば、徒歩や自動車で人に会いに行く場合、少なくともある一定時間はその人のことを意識の片すみでであれ持続的に意識していなければならない。さもなければ目的地に到達することができないだろう。が、電話で話をする場合には、相手が隣家に住んでいようが、ニューヨークに住んでいようが、受話器を握っているあいだその人のことを意識しているだけでもよい。これは、意識の時間性の点で決定的なちがいだ。
このようなちがいが、いまさまざまな形で全般化しようとしている。思考も個人的な関係も都市も政治も、電子的テクノロジーの浸透とともに変わらざるをえない。そこではどのような問題が起きるのか? すべてが、持続作から瞬間性へ移行するとき、持続性のすみかである身体と瞬間性を好む"頭脳"(身体の"頭脳"的側面)とのあいだには大いなるあつれきが生ずる。身体がすべて"頭脳"化するのか? それとも、身体は不要になるのか? 電子テクノロジーの発展が、われわれをこれまでどうりの「人聞」でいることを不可能にすることはたしかである。それは、新しい「人間」を可能にするのか、それとも「人間」そのものの終末を導くのか?
本書が出来上がるまでには、多くの方々のお世話になった。特に、阿見政志、小川徹、増子信一、小倉一夫、及川道比古、吉村明彦、吉井進、橋本悦子、中澤親司、中西昭雄、藤田正、種田豊、高橋敏夫、井手和子、高島直幸、酒井武史、鈴木隆、田中和男、武秀樹、深田卓、福士修司――の諸氏は、本書の基礎をなす諸々の文章をわたしに書かせ、『メディアの牢獄』の思考を思考しなおすことを可能にしてくれた。心から感謝する。
晶文社の津野海太郎、松原明美、ブックデザインの平野甲賀の諸氏が本書のためにはらってくれた配慮にも深く感謝する。今回も、津野氏の磊落な笑いに力づけられた。
一九八四年六月一九目
粉川哲夫