ミクロポリティクスーポスト戦後政治の読み方





ニュースのディテール
象徴はいつから元首になったのか?
新札の肖像はなぜ民間人になったのか?
電電公社はケーブル火災で打撃を受けたのか?
税関によるポルノ押収の根拠は何か?
映画監督はなぜ山谷で殺されたのか?
SDIは単なる軍事問題か?
日本学で日本を研究できるのか?
「航空の自由化」で何が変わるのか?
アジアにとってエスニック・ブームとは何か?
防災無線はいかにしてジャックされたか?
国家が靖国神社の公式参拝に執着するのはなぜか?
摘発されたミニFM局は悪質だったのか?
先端企業はなぜスパイ防止法案に反対しないのか?
大衆の欲求が阪神フィーバーを生んだのか?
性表現は自由化すべきか?
米ソ首脳会談は世界平和のためのものか?
引き下げられた公定歩合は都市をどう変えるか?
フィリピンの人民は革命に成功したのカ?
レーガンはなぜニカラグアのコントラを支援するのか?
レーガンのリビア爆撃で得をするのは誰カ?
電波はいかに環境を汚染するカ?
自民党が選挙に圧勝したことで何が変わるのか?
政府はなぜ海外からの教科書批判を受け入れたのか?
罷免された文相はどんな役割を演じたのカ?
中曽根「人種差別発言」がアメリカから入ったのはなぜか?
なぜ「戦後の総決算」はうまくいかないのか?



メディア・トレンド
ニューメディア状況と天皇制
科学万博の残したもの
新聞のミクロポリティクス
「アメリカ帝国」の終わり
あとがき

象徴はいつから元首になったのか?



韓国の全斗燥大統領が一九八四年九月六日に来日し、新聞や放送は連日このニュースをと
りあげたが、その報道のしかたのどこかに報道管制でも敷かれているかのようなもどかしさを
感じたのはわたしだけではあるまい。「三浦報道」ではあれだけ自由一η一にしぶとい取材戦
をくりひろげた週刊誌やテレビも、批判的な視点の少ないおざなりの報道になっていた。
市民の権利をまったく無視した過剰警備についての批判も欠けていたが、それ以前の問題と
して、そもそも全の来日が他の国の国賓の来日とは決定的に異なっていることに注意をうなが
す報道が、あまりに欠如していた。なぜ今回の全来日が天皇との会見を中心に動いたのか、天
皇の「お言葉」が戦前の朝鮮侵略に対する十分な「謝罪」表明になっていたかどうかを問題に
するまえに、そもそも天皇がそのような表明を行なう意味は何なのか、という基本的な問題が
放置されたままだった。
単純に考えれば、戦前・戦中の朝鮮民族に対して日本が行なった暴虐行為をその責任者が
「謝罪」するのは当然である。しかし、天皇は、現憲法に従うかぎり、「日本の象徴」であって、
責任者ではない。天皇が国家の諸問題に関与するとしても、その責任はすべて内閣にある。と
すると、あの「空言葉」は、一体誰がどのような資格で発したものなのだろうか?
安倍晋太郎外相が七月一七日の参議院外務委員会で全来日に先駆けて示した見解によると、
「お言葉」は、憲法第七条で定められている「天皇の国事行為」には当たらないし、また
「私的行為」でもないという。それでは一体、九月六日の宮中晩餐会で「お言葉」を語った人
は誰だったのか、まるで幽霊ではないかということになるが、天皇制とは、まさにこのような
不可解きを本質としているのである。
「空言葉」が「明白な反省を欠いた表現」だとする批判は、韓国でも日本でも聞かれたが、問
題は、むしろ「明白な反省」を表明できないこの国の特殊な形態すなわち天皇制にあ
る。戦前の天皇は「元首」であり、国事に責任をもっていたが、その元首は、戦前・戦中の責
任をとることなくしたがって日本国家はその責任の表明をうやむやにしたまま戦後は
「象徴」になってしまった。しかし、日本国家が元首天皇制から象徴天皇制に変わったから元
首天皇制の時代の責任は負えませんと尻をまくるのでもないかぎり、元首天皇の責任は、象徴
天皇の国事行為に責任をもつ内閣が負うべきである。ところが、政府は、「お言葉」は「天皇
の国事行為」には入らないというのである。これは、まったくの責任回避ではないか?
しかし、政府にとっては、それは十分に計算済みのことであって、戦後すべての内閣は、同
じように、元首から象徴へという内実の変化にもかかわらず、同一の人物がそれを体現してい
るという天皇制の複雑さを利用して国民をあやっってきたのである。解釈次第では、現憲法の
もとで内閣は天皇をほとんどあらゆる国事に参与させることができる。したがって今度の場合
にも、もっと「明白な反省」表現で韓国に「謝罪」することは不可能ではなかった。それを中
曽根内閣がやらなかったのは、端的にそうしたくなかったからである。政府は、韓国に対して
は象徴天皇制を楯にして戦前の侵略責任を回避し、日本国民に対しては、制度上からすると戦
前の天皇制から切れているはずの象徴天皇制に元首天皇制の亡霊をっきまとわせて、日本人が
依然として元首のような超越者によって「統合」されているかのような雰囲気をつくり出すだ
くみな政治操作を行なったのである。
天皇が「儀式を行ふこと」は天皇の国事行為であるから、天皇が国賓を「接受」するのは憲
法に則っているということができるが、近年、国政を左右する重要人物の来日が天皇との会見
を中心に動くようなイメージが、マス・メディアを通じて見るかぎり、強くなっている。これ
は、マス・メディアの変化なのか、それとも政治支配の変化なのか?ただし、このような動
きから、政府が天皇元首制の復活をねらっているとみるのは早計だと思う。というのも、象徴
天皇制には、すでに述べたような二重の操乍幾能があり、支配様式としてまだまだ”うまみ〃
があるから、中曽根がそれを捨てるとはとうてい考えられないからである。
とはいえ、天皇元首化をにおわせるような動きを利用して現憲法を「改正」しようというね
らいが中曽根内閣にあることはたしかだろう。それは、とくに軍事情勢の変化からみてほとん
ど疑いないことのように思われる。七月九日にアメリカ国防総省武器技術調査団が来日したが、
その訪問先は、防衛庁技術研究本部を除くと、三菱電機、日本電気、東芝、日立製作所、シ
ャープ、松下電器産業、富士通、住友電気工業一七月六日付『朝日新聞』一と、すべてエレクト
ロニックス産業であり、しかもそれらは、みなわれわれが日常生活のなかで接している電気製
品のメーカーである。戦争が電子戦の時代に入り、あらゆる兵器の中枢部にICやコンピュー
ター・チップスが装置され、戦争の形態そのものが衛星やコンピューターを使った電子操作に
ウエイトを置くようになった結果、家電メーカーとしても有名な企業がそのままの形で軍需産
業の機能をはたしてしまうような事態が生まれた。そのため、エレクトロニックス産業の発展
をどこまでも追求してゆくと、この産業は必然的に軍事と戦争を「放棄」するわけにはいかな
くなり、「戦争放棄」をうたっている現憲法が樫桔になってしまうのである。
全の来日によって、日本政府が七〇〇万ドルを供与して「日韓技術訓練院」が設立されるこ
とが決定したが、これも、日米韓が技術協力つまりは戦争テクノロジーの相互開発と
いう形で安保体制を軍事条約化する明確な第一歩であると言ってよい。状況はますます軍事志
向になる気配である。一84・9・25一



新札の肖像はなぜ民間人になったのか?
八四年一一月の第二次中曽根改造内閣の成立と新札の発行が重なった。絶妙なタイミングで
ある。が、中曽根内閣は、今後、円札から新札への転換のなかで含意されているようなことを
十分にやりきれるであろうか?
「お金は天下のまわりもの」と言うが、これは、むしろ「お金は天下のまわしもの」と言いな
おされるべきである。というと、お金は国家のまわしもの、つまりはJCIAだということに
なり、いささか物騒なことになるが、お金には、”ポケットのなかの国家〃といった要素があ
ることは否定できない。
たとえ、あなたが国家からどんなに自由だと思っていても、ポケットにお金をしのばせてい
るかぎり、あなたは国家から自由ではありえないし、お金を使えば国家経済の動きに加担しな
いではいられない。しかも、お金は、国家機関でよりも、街の商店や企業のマーケットで使わ
れることが多いわけだから、あなたはお金を使うことによって、国家と企業とのあいだを橋わ
たししているわけである。
お金が国家の”まわしもの”だとすれば、そこに聖徳太子や伊藤博文や岩倉具視などの公人
の顔が描かれるのは、極めて当然のことである。国王や女王がいる国々で彼や彼女の肖像をあ
しらった貨幣が少なくないのも、お金がポータブルなミニ国家だからである。
しかし、そんなお金の”顔”が新札では公人から民間人のそれに様がわりしてしまった。と
いうことは、お金はもはや国家の”まわしもの〃であることをやめたのだろうか?まさか。
かつて「人問の顔をした社会主義」などという奇妙を言葉が流行したことがあるが、福沢諭
吉、新渡戸稲造、夏目漱石の肖像をあしらった新札は、一波らカまったく公人的機能を果たしたこ
とがないというわけではないのだが、国家を文字通り代表したことのある伊藤博文らにくらべれば)
化人の顔をした国家であり、国家の表情が民間的かつ文化的な方向に軟化したことを意味する。
これは、考えてみると、中曽根内閣の「行革」や「教育臨調」の方向と一致するものである
と言える。別に中曽根内閣でなくてもそうせざるをえないと思うが、中曽根内閣は、産業のあ
るセクターで国家の規制を幾分「緩和」しようという路線を打ち出している。通信部門におけ
る電電公社の株式会社化、運輸における宅配便の許容、金融の「自由化」等は、そうした「規
制緩和」の流れのなかに位置、づけられる。
「規制緩和」というからには、「規制」が依然として存在するわけであるが、国家が存在する
以上、国家の「規制」を受けない産業はなく、日本経済は、企業が勝手に「自由競争」に走る
のではなくて、教育ママのように細かく世話をやく国家の「規制」のもとで高度成長をとげて
きた。が、産業の重心は、いまや、高度成長の主役であった重化学工業から情報やサービスに
移行している。産業は新たな蓄積期に入り、ここでは、上からヘタな「規制」を加えることは、
産業の活発な発展を阻害する恐れがある。かくして「規制緩和」の政策が浮上するというわけ
である。
世界的に見ても、情報やサービスの分野での「規制緩和」は動かしがたい流れとなってお
り、日本などはまだまだその第一歩を踏み出したにすぎない。が、「規制緩和」への道は、資
本主義の新たな段階一情報資本主義一へ通じているはずだが、それは同時に、資本主義自体を
解消させかねない目のくらむような第一歩であるかもしれない。
情報やサービスの産業部門で国家の「規制」を「緩和」しなければならないのは、この部門
は、工業部門などとはちがって、芸術や文化の創造的な活動に直接つながる部分を持っており、
もしこの部門を十分に活性化しようと思うなら、その活動に上から枠をはめるような「規制」
を一切行なってはならないからである。あれこれ指図されながら自動車を組み立てることはで
きるが、創造作業はそうはいかない。
情報産業というと、いまのところまだ、情報処理産業といった意味合いの方が強いが、これ
からの情報産業は、創造という意味での情報生産に重点が移ってゆくはずだ。「規制緩和」は、
そんな動向の一端を示しているのである。
こうなると、国家は、いままでのように国家の顔をぶらさげてはいられないわけで、本当は
権力の中枢であるはずの国家が文化人や民間人の顔をしようとする。しかし、国家はどんな仮
面をつけても国家の素性を消すことはできないもので、その顔を政治経済一福沢諭吉)、教育
(新渡戸稲造)、文学一夏目漱石一と国家の関心ジャンルをちゃんとふり分ける目くばりのなかに
もそれが現われている。
国家が、企業や市民社会に情報やサービスの分野で自由な活動を期待しているのならば、そ
うした活動の媒介として重要な機能を持っている貨幣の顔となった福沢諭吉や新渡戸稲造や夏
目漱石は、あまり役に立たないだろう。彼らは、電子情報化時代の「期待される人問像」では
決してない。電子情報化時代の「人問像」というものは、まさにテレビ画像のそれであって、
印刷画像のそれではない。「人問像」のはやりすたりはきわめて速く、そのはかなさこそが電
子情報産業の活力になっている。
とすれば、いまや、紙幣で国家イメージの小細工をやってみても、あまり期待した効果は得
られないわけで、事実、電子情報化時代はプラスチック・マネーの時代でもある。紙幣自身が、
たとえば自動販売機で使用するときのように、一種のキャッシュ・カードになってきている。
中曽根内閣は、このへんを割り切って新札から肖像画など取り払ってしまうことはむろんでき
なかったわけだが、新札に含意されている程度の「規制緩和」すらどこまでやれるのかも疑問
である。一84・11・6一



電電公社はケーブル火災で打撃を受けたのか?
東京・世田谷で起きた地下通信ケーブルの火災について、各紙は連日多くのページをさいて
報じたが、テクノロジーに依存した高度情報化社会の「意外なもろさ」を指摘する点で、あら
かじめ打ち合わせたかのように論調が一致していた。
すなわち、「弱かったハイテク祉会」一八四年一一月一八日付『朝日新聞』一、「情報社会のもろさ
噴出」一同一七日付『読売新聞』一、「情報社会のもろさ露呈」一同一七日付『毎日新聞』一、「弱点露呈
オンライン社会」一同一七日付『日本経済新聞』一といった見出しが示しているように、各紙はふ
だんのニューメディア礼賛とは打って変わって、テクノロジー社会への疑問と、テクノロジー
を十分に管理しきれていなかったということになる電電公社への批判とを提起することに新た
な使命を見出したかのようだった。
しかし、この「事故」を別の角度から考えてみると、これは必ずしも「ハイテク社会」の
「もろさ」が「露呈」したわけでもなく、また電電公社にとっては予想もしない失態であった
わけでもないように思われる。
この「事故」があらかじめ仕組まれた「事故」だ=ったと言うっもりはさらさらないが、高度
情報化社会とは、事故をも組織全体の再編成と活性化に役立ててしまうようなしたたかなシス
テムであることを忘れてはならない。事故は、事業の失敗を露呈させるのではなく、新たな事
業の端緒と活性剤になるのであり、事実、今回の「事故」は、電電公社の通信事業の再編成に
大いに役立つはずのものである。
一六日の昼に「事故」が起きてから約三〇時問後に行なわれた記者会見で、電電公社の北原
安定副総裁は、銀行のオンライン、警察、消防、区役所などの「重要回線」を一般の電話回線
とは別系統にする「回線の二元化」を進めることを決定したと発表している。これは、「事故」
を招いた電電公社としては当然取ってしかるべき措置のようにみえるが、事情はそれほど単純
ではない。
周知のように、電電公杜は八五年四月から民営化されて株式
会社となり、電気通信の電電独占体制は終わりをっげる。これは、産業の先端部門として国内
的にも国際的にも活性化が求められている通信・金融・運輸等の部門で政府の規制を緩和し、
これまでよりも柔軟な活動をさせようとする政策にもとづくもので、電気通信の分野でも、こ
れまでのような電電公社による独占を廃して、民間企業やその他の法人の参入を許そうという
ものである。そのため、京セラグループ、国鉄、日本道路公団、経団連等は、ただちに「第二
電電」の構想を打ち出し、設立準備に乗り出した。
今回の「事故」を「第二電電」との関連で考えてみると、電電公社は、この「事故」を可能
的な競争相手である「第二電電」のイメージダウンの材料に利用することができる。すなわち、
通信事業に関して長い経験をもつ電電にしてからが、時にはこのような「事故」にみまわれる
こともあるのだから、それを未経験な新参者にまかせたのでは、今後どのようなことが起きる
かわからない、電気通信はやはり電電にかぎるということを宣伝するためにこの「事故」
を使うのである。
電電が第二電電との本格的な競争を始めるのは、電電が新電電になってからであるが、電電
が回線の二元化を推進するためにこの「事故」を利用し、第二電電に一歩先んじたことは明ら
かである。というのも、回線の二元化とは、要するに重要回線の電電独占であり、それが徹底
されれば、事実上、銀行のオンライン、警察、消防、区役所等の回線には、第二電電が今後介
入する余地を与えないということだからである。おそらく、電電が株式会社化してからこのよ
うな二元化を合法化することは難しく、その意味で「事故」は実にタイミングよく起こったと
言うことができる。
他の点でも、今回の「事故」は、電電公社にとって多くのメリットがあった。全斗燥大統
領来日の際には下水道に対する極度に厳重な警戒体制が敷かれたが、同様の保安体制を電話用
地下溝に対しても恒常化させるうえで、今回の「事故」は非常に好都合だろう。むろん、地下
溝に誰でもが入れて、盗聴やオンラインヘの介入ができるというのでは市民的自由は守られな
いであろうが、地下溝の管理強化は、そこから引き込み線を引いている民間ビルの地下室にま
で公権力の管理の手が伸びるきっかけにもなりかねない。
しかし、それ以上にこの「事故」が電電にとって有利だったことは、二三万本もの電話線が
不能になった場合、それを復旧させるのにどのくらいの人員と時間が必要か、そしてそれに伴
う社会的な反応はどのようなものであるかを実験することができた点である。このような実験
は、やろうとしてもできるものではなく、ただただ「事故」において、あるいは「事故」の名
目においてのみ可能である。この実験結果は、当然、電電公社だけではなく、警察をはじめと
して社会を管理する諸機関に貴重なデータを提供したはずで、たとえ今後どこかの”不心得
者”が、社会を混乱におとしいれる目的で電話線を燃やすような行為におよんでも、このデー
タが役立って、すぐに対応策をとられてしまうことだろう。
この「事故」では、「重要通信」を臨時の衛星中継のチャンネルに転換する処置がとられた
が、この「事故」は、ふだんはばらばらに使われている通信装置と回線を急邊一つに統合する
実験にも役立った。これは、非常に多くの成果をもたらしたとみられ、「事故」から一〇日後
の一一月二六日、郵政大臣の諮問機関である「電気通信審議会」は、「非常災害時」に防災無
線、CATV、有線放送、電話等の市民メディアを統合し、そこに公共機関からの「指示」や
「広報」を流すことのできるシステムについての提案を行なった。
危機管理は、シナリオ通りに進行しているようにみえる。一84・12・1一



税関によるポルノ押収の根拠は何か?
「ポルノ」の税関検査が、憲法で禁じられている「検閲」にあたるとして提訴していた二件の
「税関検査訴訟」に対して、最高裁は八四年二一月二一日、両者をまとめて審議し、税関検査
を「合憲」とする判決を下した。
これで、またしても日本における「ポルノ解禁」は遠のき、ハード・コア・ポルノに対して
だけでなく、芸術映画の性表現に対してもあの目ざわりな”ボカシ〃が相変わらず入り続ける
ことになったわけだが、性表現の自由というものは、たとえば「貿易自由化」や「渡航の自由
化」のように、われわれ国民が何もしなくても、ある日突然「解禁」されるといったような形
で自由化されるものではないということを知る必要がある。
今回の判決も、決して国が一方的に始めた審議の結果ではなく、税関が行なっている不当な
「検閲」行為にがまんができなくなったホンリュー・コーポレーションと松栄直勝氏とが煩雑
な書類手続きと多大の出費を辞さずに訴訟を起こしたからこそ、国がしぶしぶ行なった判決で
あって、「異議申し立て」の段階から数えると、ホンリューは一五年、松栄氏は一〇年もの長
い年月をこの裁判のためにかけており、松栄氏は心労が重なり、この判決の一カ月前に四五歳の
若さで病死してしまった。ここで、最高裁判決の前時代性や当局の不当な管理を云々し
てもはじまらない。それらは、もう誰でもが知っていることだ。また、税関が行なっている検査
の論理的な無根拠性を論難してもしかたがない。重要なことは、この問題を一人でも多くの人々
少なくが市民の権利の問題として受けとることであり、税関で「ポルノ」を摘発されても 少なく
ともそれが自分の意志で持ち込んだものならば−何か罪でも犯したかのような後ろめたい気
持ちをいだいて、税関検査官の指示するがままにあっさりそれを放棄してしまったりしないで、
最低限、「異議申し立て」をし、さらにはそれを訴訟にまで持ち込むことだ。
たしかに、提訴までの道は遠く、たとえ提訴しても、最終判決までの道は気が遠くなるほど
遠い。「ポルノ」が摘発されると、税関はその「輸入禁制品」を、(一)放棄処分にする、(ニ)出国
時まで保留処分にする、(三)異議申し立てをする、のいずれかを選択させる。この選択の指示に
も国民の市民的権利の侵犯にっながるものがないではないが、この場合、ほとんどの人が「任
意放棄」に同意してしまう。八四年一月から一〇月までのあいだに三五一〇件が税関で拘束さ
れたが、「異議申し立て」をした件数はゼロであった(八三年は四件だが、その一件はわたしであ
る)。
「異議申し立て」は税関長を相手どって行なわれる。書式は税関窓口で手に入れることができ
るし、記載方法はそれほど難しくはない。しかし、これがそのまま提訴にっながるわけではな
い。訴訟を起こすためには、この申し立てが「棄却」され、さらにその撤回を求める「不服申
し立て」を今度は大蔵大臣宛に行ない、それによって問題の物品が「輸入禁制品」に該当する
ことが「裁定」されなければならない。しかし、この問に、最低半年は経過し、大蔵大臣の
「裁定」が出るころには、提訴の意気を失うということになりがちなのだ一わたしも、残念なが
らその口だった)。
しかし、税関検査の規準のいいかげんさと無根拠性を考えた場合、「異議申し立て」は、チ
エックされた者が市民として行なうべき必要手続きではないかとさえ思う。一体、関
税定率法第二一条一項三号が規定している「善良の風俗を寄すべき物品」とは何か?関税定
率法のなかには、この規定はどこにもなく、まして男女の性器や陰毛が露出しているかどうか
などという記述はまったくない。これは、刑法第一七五条で「狼嚢の文書、図画その他の物を
頒布もしくは販売し又は公然これを陳列したる者は二年以下の懲役又は五千円以下の罰金
……」という場合の「狼嚢」の概念についても同様で、その規定は刑法体系内にも他の法体系
のなかにもまったく規定されてはいないのである。
これは、一面では法律というものが持ついいかげんさを表わしているが、他面では、法律と
いうものはいっもこのようなものであり、法のそうした無規定性を市民がどこまで自己規定し
てゆけるかがその国の民主主義的度合いを決定するわけで、訴訟はそうした規定行為の重要な
ものの一つなのだ。「狼嚢」の規定も、チャタレー裁判(一九五七年)一やサド裁判(一九六九年)
で裁定された「経験則」にもとづいており、その後一貫してこの規定が生きているということ
は、それだけわれわれ市民がそれを改めさせる訴訟的努力をしてこなかったということでもあ
る。
「ポルノ解禁」が進んでいるといわれるアメリカでも、日本の関税定率法や刑法の規定にあた
るものが魔法になったわけではなく、「経験則」が数々の訴訟でっみかさねられ、そのなかで
「狼嚢」の規定が変わったにすぎない。その際、特に重要なのは、一九五七年の「ロス氏対合
衆国」判決であり、ここで連邦最高裁は史上はじめて、憲法が保障すべき表現の自由の領域か
ら「狼嚢」表現を除外し、地域的なケース・トゥ・ケースの規準で判断されるべきことを決定
した。六〇年代の後半のニューヨークで、『オー!カルカッタ!』のような性器を露出した
芝居が上演できるようになったのもこの判決のためであるが、にもかかわらず『チエ』のよう
に露骨な性表現と同時に激越な国家批判を行なった芝居に対しては、上演禁止処分が下された。
しかし、その後の数々の訴訟と六〇年代後半の反体制的意識の浸透のもとでは、国家や権力
はロス判決の流れをとどめることができなくなり、一九六七年にジョンソン政権は、「狼嚢と
ポルノグラフィに関する委員会」を招集し、検討を始め、その賛否両論を集めた歴大なリポー
ト一ニューヨーク・タイムズ社利一が、七〇年にニクソン政権の議会に提出された。そして七三
年にカリフォルニア州政府を相手どって行なわれた「ミラー氏対カリフォルニア州」判決で、
ハード・コア・ポルノの事実上の「解禁」が裁定され、それが今日にいたるまで性表現規定の
経験則になっているのである。一84.12.25一



映画監督はなぜ山谷で殺されたのか?
まるでテロの季節が始まったかのようである。わずかひと月あまりのあいだにマスコミを騒
がせるテロ事件が四件もあった。
まず、東京の山谷で映画監督の佐藤満夫氏が右翼・暴力団員に刺し殺され、同じ日にニュー
ヨークのマンハッタンの地下鉄内で四人の黒人青年が白人の乗客にピストルで撃たれ、先ごろ
は暴力団山口組の組長と最高幹部二人が一和会の組員によって射殺され、そしてまた、軍需産
業では西ドイツ最大のモートーレン・ウント・ドゥルビーネンの社主がミュンヘンで殺された。
これらのテロは、それぞれ目的も動機も異なるが、テロというものが最も安直なプロパガン
ダであり、いまこのような安直な表現が説得やメッセージといった手間のかかる表現よりも好
まれているということをはからずも示唆している。
むろん、テロではない暴力もある。が、マス・メディア化した社会では暴力はテロとして機
能しやすい。ある特定の人体に打撃を与えたり、それを破壊したりするためよりも、むしろそ
うすることによって社会や特定集団に恐怖や桐喝を与えることがテロの機能である。
ニューヨークで黒人たちを撃った男は、金をせびられ、身の危険を感じたために「発作的」
にそうやったと延言している。しかし、結果的には、彼の行為は、街頭や車内で人に金をせび
ることをその生活の一端としなければならないような人々への個喝になった。また、山口組の
事件は、その組長と幹部が殺されることによって彼らの影響力が圧殺されたとか、その組織が
弱体化したとかいうことよりも、むしろ組長と最高幹部をも殺害できる力と組織力を一和会が
もっているということを社会的に示し、山口組を胴喝した点において意味をもっている。
テロは、一種のインスタント政治であり、社会に性急さが強まれば強まるほどテロの傾向も
強まるだろう。通常の政治形態が無力化するときにもテロヘの依存が深まる。ミュンヘンのテ
ロは、まさに、軍需産業を通常の政治的方法ではいささかも縮小できないという絶望から発し
ている。その意味では、テロは政治の一形態であり、テロを政治の側から批判することはでき
ない。政治そのもののなかにテロが含まれているからである。
しかし、テロを表現の側から見るとき、テロは明らかに表現に敵対し、それを圧殺する
ものだ。テロは、一見インスタント表現という側面をもつようにみえるが、表現の一回性
やリアリティを身体的な生命のそれで代用しているにすぎない。テロが表現であるとして
も、それは、臨終の際には誰でも一回は”名優”でありうるといった意味でしかない。表現行
為とは、むしろ、身体的な生命の一回性やリアリティに依存しないで表現の一回性やリアリテ
ィを創り出す行為のすべてであり、テロは、まさにそのような可能性を閉ざすのである。
その点で、山谷の旦雇労働者のドキュメンタリー・フィルムの製作を開始したばかりの佐藤
満夫氏に加えられたテロは、テロのもつ反表現という性格を露骨に表わしている。マスコミ報
道ではほとんど知ることができないことだが、この事件の根は、山口組の事件に劣らず深い。
それにはまず、山谷とは何かということを考えてみなければなるまい。下層労働者の「寄せ
場」としての長い歴史をもつ山谷は、高度経済成長の際にも、建築や土木の現場に大きな労働
力を供給する場であった。高度成長が終わり、産業の重心がサービスや情報の労働に移るにつ
れて「末端労働」は少なくなり、山谷の労働人口も減少したが、山谷がそうした労働の供給場
であることにはかわりない。「寄せ場」としての歴史は、同時に搾取の歴史であり、またそれ
に抵抗する運動の歴史でもあった。「寄せ場」は、暴力団やヤクザによって取りしきられ、日
雇労働者は、仕事を与えられる代わりにピンハネされるだけでなく、以前にはタコ部屋に入れ
られてさんざん働かされたあげく放り出されるということもよくあった。こうした搾取に対し
て、たとえば一九六八年に梶大介氏らが中心になって山谷自立合同労組が結成されたように、
日雇労働者の側からの抵抗と組織化が進められてきた。組合は、労働者手帳を発行し、暴力団
手配師の搾取、不払い、飯場での暴力から労働者を守ろうとしてきた。
現在、山谷には、山谷争議団が中心になって八二年六月に全国の寄せ場をネットワークした
「日雇全協」が作られている。こうした組織は、ドヤ生活 疲弊 アル中 浮浪 狩り込み、
または市民による虐待・殺 精神病院(こでは「寄せ場」問題と宇都宮病院問題は連結している)
というコースをたどりがちな下層労働者を保護するうえで重要な役割を担っているが、これは、
ずっと彼らを搾取してきた暴力団組織にとっては、無視できない脅威だった。
山谷を縄張りにする暴力団、日本国粋会金町一家西戸組(これは、「大日本皇誠会」という右翼
政治結社でもある)が、八三年一一月以来、山谷争議団にスポットを当てて暴力攻撃を加えは
じめるのもこのためで、今回の佐藤満夫氏暗殺事件は、その暴力反撃のひとつの帰結だったと
言ってよい。集団的な暴力や個喝の方法だけで争議団を屈服させることができなかった大日本
皇誠会=西戸組は、八四年四月には「山谷互助組合」という対抗組合を組織しようとする手に
出ていた。しかし、ナチス棒一三段伸縮の鉄製凶器一や催涙スプレーで武装することはできても、
文化的には天皇主義と皇国思想で”文化武装”するしかなかった皇誠会にとって、かつてテレ
ビ.ドラマ『祭りばやしが聞える』の助監督だった佐藤満夫氏による「寄せ場」のフィルムの
企画は、撮影に二年をかけるという点からいっても、大いなる文化的脅威に映ったはずだ。
人命を奪っただけではなく、山谷の日雇労働者自身のメディアを攻撃し、表現の自由に胴喝
を加えたこの暴力に対して、警察はそれを、単なる「人違い殺人」として片づけようとしてお
り、マスコミもその詳細を報道していない。二月三日に荒川区民会館のホールを弔問客で一杯
にうずめた「佐藤さん追悼人民葬」は、その意味で、情報の回路はマスコミだけではないとい
うことを雄弁に物語っていた。一85・2・4一



SDIは単なる軍事問題か?
SDI(戦略防衛構想)、通称「スターウォーズ」計画が、さまざまな分野で議論されている。
国際的な政治・経済界だけでなく、アイザック・アシモフやフレデリック・ポールのようなS
F作家のあいだでも、目下最もホットなトピックだ。
しかし、SDIを支持するあるいは、現在の政治情勢でこの構想を実現できると考える
のは素朴すぎると考えているSF作家はまだしも、大抵の議論がこれを軍事的な問題とし
てしか見ていないのは片手落ちだろう。
テクノロジーの進歩はすべて軍事技術の進歩によってもたらされたのだから、SDIを単に
軍事的なプロジェクトとみなすのは単純すぎるのであり、レーガン体制の性格を見誤ることに
なるだろう。レーガンは、政治家ではなくて商売人である。彼は、大きな商売をするためにき
わどい踏も辞さないが、「名誉」のために身を滅ぼしてもよいというような「聖戦」をやる人
物ではない。むしろ、問題は、彼がもうかるかぎりにおいては戦争も商売の一種にしてしまう
点だ。
レーガンとレーガン株式会社のこうした事業は、”理念〃や”政治〃を好む人々からはうさ
んくさく思われながらも、国の経済を上向かせることに成功した。彼には、古いハリウッド映
画のとっくに決まり文句になったような”理念”以外に政治理念はないので、国を「変革」
(彼は、実際に”レボリューション”という言葉をよく使う)するといっても、、階級関係を変えず
に全体を経済的に底上げしただけなのだが、とにかく世の中の活気は出た。実際には、中流か
ら上の階級の暮らしが若干よくなっただけで、”どん底〃の生活はむしろ悪くなっているのだ
が、中より上の声が社会の声になりやすい状況では、そうした矛盾はほとんど見えにくい。
アメリカが目下、いかに”商売繁盛”の雰囲気にあるかは、「あたしたちは物質世界に住ん
でいる。だから、あたしは計算高い女」とうたうマドンナのヒットソング『マテリアル・ガー
ル』に端的に表われているし、とっくに時代遅れになってしまった綿花労働の話をもち出して、
一生懸命がんばれば家も社会もよくなる式の教訓がいっぱいの『プレイス・イン・ザ・ハート』
(ロバート・ベントン監督)のようにガンバレガンバレ商売繁盛の映画が出てくることでも、わかるというものだ。
ところが、レーガン株式会社の成功は、この映画の登場人物たちのように、手を綿の木のトゲで傷しながら働くようなこの映画
のストーリーの時代には有効だったマニュアル労働によってではなく、コンピューター・
プログラマーやヤッピー(ヤング・アーバン・プロフェッショナルズ)たちの頭脳労働によっても
たらされるはずのものだ。少なくともレーガン株式会社はそう考えており、シリコン・バレー
は、アメリカン・ドリームを生む街でなければならない。
問題は、レーガン株式会社にとっての目玉商品であり、目玉の技術でもあるハイテクノロ
ジーが人を必ずしも物質的に豊かにするとはかぎらないということだ。ハイテクノロジーは、
肉体労働を減少させ、人をより”文化的”にするだろう。これまでの戦争に象徴されるような
物質的消費に代わって情報の消費が出現するが、情報とはもともと消費なのである。
しかし、これは、物質の生産と消費の論理で動いているアメリカ株式会社としては困ったこ
とである。自動車や船が目玉商品だった時代には、まだこの論理の保証はあった。コンピュー
ターは、物としては年々安くなり、小さくなるテクノロジーに依存している。これでは、一体、
コンピューターで大量消費や”蕩尽〃をするにはどうしたらよいのだ?
そこで、以前にも指摘した軍事へのエレクトロニックスの横すべりが始まる。先日、日本で
も、衆議院予算委員会で京セラ・インターナショナル・インコーポレイテッド社がアメリカの
軍需産業ジェネラル・ダイナミックス社の発注を受けて巡航ミサイル・トマホークの部品を作
っている疑いが出された。八四年九月には、テキサス・インスツルメンツ社が製造している半
導体の回路に欠陥品が出たことから、はからずも、それがB52爆撃機やA7,A6,F111,
F15、そして日本のP3C対潜哨戒機のコントロール部分にも使われていることが暴露された。
エレクトロニックス産業は、パソコンや8ミリヴィデオだけ作っていたのでは干上がってし
まうのであって、企業によっては、民生品を主にしているかのような表向きとは裏腹に、軍事
目的の製品をより多く生産している会社もある。
SDIとは、こうしたいまのところは日陰に置かれている産業論理をあっけらかん
と表に押し出したものにすぎない。レーガンが商売人だと思うのは、彼が変に高遭な理想をか
かげたりせずに、すべての現実をそのままにしたうえで、大事業をぶち上げるところだ。それ
は、理想ではなくて、ビルがたかだか一〇〇階建てにとどまっている時代に、一〇〇〇階建て
のウルドラバイ・スカイズクレイパーを提案するような意味で”壮大な”事業目標であるにす
ぎないにしても。
戦争や平和に対する理念のほうは根本的には何も変わっていないわけだから、大陸問弾道ミ
サイルと核弾頭を飛行の途中で迎撃して”無力化”してしまうこのSDーシステムが完成する
まえに、核がどこかに打ち込まれる可能性はいくらでもある。商売人は、それをくいとめよう
とするだろうが、アクシデントの可能性は残る。
それと、SDIが推進される隠れた理由の一つとして、地球上ではすでに先が見えはじめた
が廃絶することもできない原子力産業が、SDIによって生きのびる余地を与えられる点だ。
SDIのレーザー・ビーム兵器は、数百メガWという電力を必要とするが、これは、現在の太
陽電池ではまったくどうしようもなく、宇宙に作られた原子力発電に頼るしかない。そして、
そのようなプログラム一SPlO〇一を実行するための覚書きの調印は、すでに八四年二月に
NASA、エネルギー省(DOE)、防衛高等研究計画周(DARPA)のあいだで済んでいる
のである。
すべては、原子力問題から始まっているのかもしれない。85・3・10



日本学で日本を研究できるのか?
国会で「日本学」研究所設立の構想がまとまりつつあるという(八五年三月二八日付『朝日新
聞』)。
発案をしたのは、梅原猛、今西錦司、桑原武夫、梅樟忠夫といった「京都学派」の人たちで、
構想に中曽根首相がもろ手を挙げて賛同したらしい。首相はかねがね、サミット(先進国首脳
会議)などに出るたびに、「日本の経済力向上の背景を日本文化の伝統を踏まえて説明する場
面などで諸外国首脳と渡り合うのに『日本学』(ジャパノロシ)の確立が必要だと痛感してお
り、この構想に飛びついた」という。
どうもこれでは、急に成り上がった会社が大急ぎで社史を編んだりするのと大差がないでは
ないか。ここで問題なのは、日本経済なり日本文化なりの歴史や実情を正しく理解することで
はなくて、日本の現状を諸外国に対していかに効果的に印象づけ、それを正当化するかという
ことだからである。
それは、国家としては必要なことであるかもしれない。外交にはそうしたプロパガンダ事業
も含まれている。しかし、それは、断じて「日本学」などというものではありえない。もし、
首相が本気で諸外国に日本のことを知らせたいのならば、まず、性表現規制、指紋押捺、出入
国管理法等々に端的にみられるような鎖国的な諸制度を撤廃して、外国人がじかに日本人に触
れる機会をもっともっと増やすことだ。そうすれば、別に国が音頭をとってジャパノロジーな
どの確立をはからなくても、日本についての外国での研究が自然に増えていくだろう。
そもそも、日本学とかジャパノロジーというのは、むしろ「国学」と呼ぶ方がふさわしい。
ただし、問題の「日本学」研究所(仮称は「国立日本文化研究所」)の設立試案(梅原猛執筆)に
よると、「従来、日本の学者は明治維新後も国学的態度を捨てかね、日本文化を世界から孤立
した特殊なものとして研究しようとした」のに対し、この研究所は、「世界に通じる普遍学と
しての日本学を確立しようとするという。
一体、「普遍学としての日本学」とは何なのか、もしそれが「普遍学」なら、それは「日本
学」ではなくて「世界学」ではないのかと思うが、そのへんは定かではない。
いずれにしても、「従来」の日本論の「国学」的性格は日本国家のその時点での性格にみあ
ったものであって、それがいまひどく狭隆にみえるとしたら、それは今日の国家体制が従来
のそれとは大いにちがっているからである。要するに、国家形態が変わっても、国家であるこ
とに変わりはなく、そのなかで「日本人」や「日本国」にこだわる論や学問は、所詮は国学で
しかないのであり、まして、国家が先導してそういうものを確立しようとするのであれば、な
おさらのことである。
断わっておくが、ジャパノロジー、日本学、日本一人一論といったものと、日本についての
研究・論とは、決して同じではない。日本の諸問題について研究したり論じたりするのに、別
に日本国家を意識する必要はない。
それにもかかわらず、何ごとにも国家が意識されたり、国家が顔を出す傾向が強いというの
が、日本の文化や社会を支配している傾向なのだが、そうした傾向のなかにも、国家が露骨に
出る時代と比較的そうでない時代とがある。
これは、『日本人論に関する12章』一学陽書房)のなかで、杉本良夫やシドニー・クローカー
が指摘していることだが、明らかに日本をめぐる国際環境の変化と関係がある。江戸時代に国
学が盛んになったのも、「海外諸国、とくにロシアとの接触が増えてきたこと」と深い関係が
ある、とクローカーは言っている。杉本によれば、「日本人論」の大きな流れには三つあり、
第一は終戦直後の「日本人=野蛮人説」、第二は六〇年代後半以後の「ナルシシズム的日本人
論」、第三は七〇年代後半から現れる「国際化論」だという。
新しい日本学やニュー・ジャパノロジーは、海外での国益や企業利益を擁護する「国際人」
に不可欠のものとして登場してくるわけであり、そのよそおいは「国際的」かもしれぬが、発
想自体はえらく国粋的なのだ。
皮肉なことに、日本学やジャパノロジーを支配の文化装置として最も有効に用いたのは、大
平洋戦争を契機にして本格的な日本研究を開始したアメリカ政府だった。日本の文化パ
ターンや日本人の社会的性格を研究するためにルース・ベネディクトを起用し、その成果が
『菊と刀』であるのは、いまや誰もが知っていることである。終戦の見通しがはっきりしてく
ると、占領を見こした実践的な日本研究が推進された。ASTP(陸軍専門教育計画)もその
一つで、今日日本文化の海外紹介者として重要な機能を果たしているドナルド・キーンやエド
ワード・サイデンステッカーはASTPで訓練を受けた。
第二次大戦から戦後にかけての一九四〇年代といえば、アメリカが経済的にも世界に雄飛し
た時代だが、その時代にアメリカ政府が「アメリカ学」ではなくて「日本研究」や「中国研
究」に力を入れたことが、アメリカのその後の「繁栄」を約束した。だから、もし中曽根首相
が、本当に日本の「国際化」(という世界雄飛)をとげたいのならば、「日本学」ではなくて、
目下日本が進出しつつある国々についての「学」をもっと組織的にやればよいのだ。
ただし、アメリカが「アメリカ学」を強調しなくてすんだのはハリウッドのおかげかもしれ
ない。ハリウッド映画は、直接政府のコントロールを受けた機関ではなかったが、どんなに組
織的な「アメリカ学」などよりも効果的に「アメリカ」を世界に「説明」し、浸透させる機能
を果たした。
その意味では、中曽根氏は、日本学などというちゃちなものに手を出さないで、国立の映画
庁でも設立すべきなのだ。映画が古いというのならヴィデオ庁でもいい。そんな相談にならば、
腕をこまねいている人がいっぱいいるのに。一85・4・7一



「航空の自由化」で何が変わるのか?
国家について具体的なイメージと理解を得るために、最も手っ取り早い方法は、国際空港に
行き、ロビーを歩いてみることではなかろうか?
そこには、さまざまな国の航空会社のカウンターがある。それぞれの会社が占有しているス
ペースの大きさには差があり、同じカウンターを幾つかの会社で時間別に共用しているところ
もある。会社といっても、実際には民間会社と国営公社とがあり、国家の顔の出し方は、それ
ぞれの国によってちがう。
国営の航空会社が顔を出している国は、それが資本主義国でも、国家資本主義的傾向が強い
国であると言えなくもない。成田空港には、アメリカのノースウエスト・オリエントとユナイ
テッドの二つの航空会社が乗り入れており、これは、この国家が企業への規制介入を他国より
も緩和していることを示唆しているともとれる。
国際空港に国際便を乗り入れるのは、一国につき一社が普通だから、航空会社は、民間の航
空会社でも、出身国の出先機−関のような色あいをおびやすい。しかし、国際空港に進出する航
空会社の国家的度合は、国家の航空会社に対する介入の度合に比例する。日本航空が、民間会
社であるにもかかわらず、どこかしら国営航空のように見えるとしたら、それは、日本国家が
それだけ日本航空、ひいては航空業界全般の活動に深く介入しているからである。
ローマ空港で、日本に帰る飛行機に乗り遅れ、翌日の次の便まで待たなければならないのに、
みやげに金を使い果たしてしまって一日の滞在費がないという日本人に会った。途方に暮れて
いるので、「よかったら少しお貸ししましょうか」と声をかけると、その人は「いや、日本航

空に相談してみます」と言った。わたしは、一瞬何のことか理解できなかった。というのも、
その人が乗れなかったのは、アエロフロートの便だったからである。が、考えてみれば、日本
航空にはどことなく国家のおもかげがあり、海外で困ったときに母国の出先機関に泣きつくこ
とは、日本国発行のパスポートが暗に勧めていることである。
「日本国民である本旅券の所持人を通路故障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を与
えられるよう、関係の諸官に要請する」パスポートにこう書かれている以上、それを
持っている「国民」は、いつまでたっても国家という親がかりの「子ども」であり、困ったこ
とがあれば、自分で解決するよりも、この「親」に泣きっくのはあたりまえである。国が国民
を子どもあっかいして甘やかせておいて、国民に「成長」を期待するのは無理というものだ。
しかし、最近目につく政治・経済の動きは、国家と経済とのこれまでの関係が大幅に変わり
つつあることを示唆している。「またカブキが始まった」と両国のなれあいを海外の新聞で郡
楡されてきた日米航空協議が、四月三〇日、新しい合意に達したというニュースもそのことを
暗示している。。新聞報道では、日本貨物航空一NCA一という貨物専門の新会杜が五月八日
からアメリカヘの定期貨物便を飛ばすことになったというニュースばかりが強調されているが、
この合意にはもっと重要なことが含まれている。
「航空の自由化」は、「日米貿易摩擦」と「市場開放」の問題と密接な関係を持っており、日
米航空協議の難航には、日本が経済競争でアメリカに押し切られるかどうかの問題よりも、日
本政府が日本経済に対してどこまで干渉の度合をおさえられるかという国家論的な問題がまず
根本にあった。言いかえれば、日本の資本主義体制が、国家資本主義から国際的・規制緩和的
資本主義に転換する潮時をどこに設定するかという点で、日米、そして国内の政財界でなかな
か意見が一致しなかったのである。
四月九日、政府の経済対策閣僚会議は、「三年以内」に関税引き下げ、輸入手続改善等の市
場開放を行なう意向を発表した。約一カ月後に現われた日米航空協議の前進は、この意向が
「カブキのセリフ」ではないことを裏書きした。
日米航空協議の合意内容には、NCAの就航のほかに、日米の太平洋路線に次年度から最大
三社まで双方の新規航空会社の定期便が参入することが含まれており、これによって、全日空
や東亜国内航空が国際線に進出する道が開かれた。
このことは、日本航空の独占体制が崩れたというよりも、むしろ、日本政府による日本航空
の独占が緩和されたということであり、日本航空が国家の干渉から以前よりは自由になるとい
うことを意味する。
すでに政府は、「親がかり」だった電電公社をNTTとして「巣立ち」させた。そのやり方
は、息子に嫁を探してきて、結婚式をあげさせ、マンションまで買ってやって「独立」させる
親バカを思わせるところもあるが、形のうえでは、この「親」は「子」を独占することをあき
らめた。今後はこの「規制緩和」を通信・金融・運輸の全分野に広げてゆこうというのが日本
政府の方針であり、日米航空協議の今回の合意もこの路線から必然的に出てきたものである。
しかし、いま先進産業国で世界的に流行しているこの「規制緩和」路線がこのまま進んでい
った場合、国家は、次第に自分から無力な存在になって引退してゆくのだろうか?
とんでもない。どんなに「規制緩和」が進んだとしても、国家は最先端技術や軍事兵器の輸
出入に対する介入をやめることはない。逆に国家は、この分野で「規制」をますます強めるだ
ろう。一九七五年に初めて開かれたサミットは、企業が国家の「規制」をはずれて多国籍化す
る傾向に対する国家側の対応でもあり、いわば多国籍的国家路線の第一歩であった。五月二−
四日に開かれたボン・サミットで明文化されたように、現存の貿易制限を緩和・撤廃した新た
な「多角的貿易体制・が早確立されようとしているのであり、国家がいま、一段階「洗練」
されたものになろうとしているのである。
一85・5・5一



アジアにとってエスニック・ブームとは何か?
この一、二年浮上している「アジア・ブーム」というのは奇妙なしろものだ。とりわけ奇妙
なのは、このブームがあたかも、最近になってアジアが急に「異文化」としてのおもしろさを
放ちはじめたり、「エキゾチック」になったりしたかのような印象をふりまいている点だ。国
や地域や民族の異なる場所の文化が「異文化」なのは、あたりまえではないか。住み慣れた土
地とは異なる土地が「エキゾチック」に感じられるのもあたりまえである。
アジアが最近になって急におもしろくなったわけでもないのに、そうみえるとすれば、それ
はこちらが変わったからである。これまで日本の外のアジア諸国へ行っても、そこに「異文
化」を発見できなかったのは、日本が欧米にばかり目を向けていて、アジアに見出されるもの
は、どのみち乗り越えられるべきものだと考えていたからである。
しかし、それは、ある意味では、まだ救いのある発想だった。日本の都市がどんなに「近代
化」しても、高さのふぞろいなビルが建ちならんでいる景観や、看板一だとえそれが最新の電飾
看板であれ一が街路におおいかぶさっているような町並みを見ると、日本の都市とアジアの都
市との連続性を感じないわけにはゆかず、アジアの他国の文化を「異文化」とあえて呼ばない
ことは、この連続性に対する暗黙の了解を示しているということもできたからである。
いま日本で、日本の外のアジア諸国に対して「異文化」という言葉をあてはめる傾向が強い
のは、日本が、それだけアジア諸国で一段上に立っているという意識を持っているからではな
いか?
日本は明治以来、「脱亜入欧」でやってきた。福沢諭吉は、「脱亜論」二八八五年一のなかで、
中国や朝鮮と足並みをそろえていてはだめだと主張している。
「……今日の謀を為すに、我国は隣国の開明を待て共に亜細亜を興すの猶予ある可らず、寧
ろ其伍を脱して西洋の文明国と進退を共にし、其支那朝鮮に接するの法も隣国なるが故にと
て特別の会釈に及ばず、正に西洋人が之に接するの国に従で処分す可きのみ。悪友を親しむ
者は共に悪名を先かる可らず」
まあ、帝国主義があたりまえの時代だったから、こういう利己主義を持たざるをえなかった
ということもできるが、こういう利己主義があたりまえになったから、帝国主義がはびこった
のだということもできる。いずれにせよ、日本は、見事に「脱亜」をやりとげ、”文明〃的に
アジアの他国に先んじることに成功した。最近の「アジア・ブーム」のなかでアジアを「異文
化」として見ることが提唱されるのは、この「脱亜」が最終的に達成されたという意識にもと
づいている。
韓国やシンガポールについて書かれた旅行記には、これらの都市に日本の”戦前〃があると
いうようなことがよく記されている。つまり、いまアジア諸国は、日本が「脱亜」のもとに失
ってしまったものへのノスタルジアを、束の問ではあれ埋めあわせる代償としての文化装置に
使われているのである。それは、「異文化」として他国の文化を見ることではなく、日本の延
長線でしか他国を見ないことである。
ところで、「アジア・ブーム」は、必ずしも日本のマス・メディアがあおりたてている現象
にすぎないわけではない。そこには、日本をとりかこむ「環太平洋地域」の日本に対する要求
が反映されてもいる。
今日、太平洋地域は、軍事的にも世界経済的にも最もホットな地域になりつつあり、その熱
源をなすのが日本である。わたしは、最近オーストラリアに三週間滞在したが、そのあいだに
『シドニー・モーニング・ヘラルド』紙は一〇ページ近くを費やした日本特集をやり、英訳さ
れた日高六郎の『豊かさの代償現代日本のジレンマ』一ペンギン・フソクス一は、シドニー
でも、メルボルンでもほとんどの本屋の目立っ場所に積まれていた。そして、わたし自身、ラ
トループ大学で開かれた「下側からの日本」という会議のためにオーストラリアに行ったのだ
った。
オーストラリアは日本に対して高い関心を持っており、日本をいかにして自国のマーケット
とするかということがマス・メディアでもくりかえし論じられていた。
オーストラリアの貿易局が八五年三月に発表した資料によると、日本をマーケットとして見
込んでいる商品には、「消費財」ではワイン、チーズ、菓子類、家具、宝石、「工業製品」
では紙パルプ、アルミニウム製品、薬品、医療器具、測定器機、「サービス」では観
光、エンターテインメント、コンピューター・ソフトウェアなどがある。日本を有力なマーケ
ットと見込んでいるのは、オーストラリアだけではなく、七〇年代以降急速な経済成長をとげ
た「新興工業国」一NICS一の韓国、台湾、香港、シンガポールも同様であり、インドネシ
ア、タイ、フィリピン、マレーシアなども日本に対して第一次産品のより多くの輸出をあてに
している。
「アジア・ブーム」は、主として日本人がこれらのアジア諸国におもむく観光についてだけ言
われることが多いが、観光を、一つのサービス輸出であると考えるならば、観光ブームも、対
日輸出の増加現象の一つと見ることができるのである。
しかし、日本経済の”躍進〃は、もっぱらアメリカとアジアヘの輸出過多によってなされて
おり、にもかかわらず日本がそのアンバランスを是正する気配はない。日本が輸出する商品は、
アジアを「近代化」し、アメリカを「ポスト・モダン」化してきたわけだが、「近代化」した
アジア諸国がその「近代」産業を通じて生産する商品も、またアメリカの「ポスト・モダン」
な情報商品も、ともに日本を最大のマーケットにせざるをえなくなってきているところに、ア
メリカ日本「環太平洋地域」の三者をまきこんだ巨大なディレンマが見えはじめてい
る。一85・6・12一






防災無線昧かにしてジャックされたか?
「六月二十二日午後九時四十九分ごろ、東京都杉並区内の全域百四カ所に設置されている
区の防災行政無線のスピーカーから、突然女性の声で、二十八日告示の都議選に立候補を予定
している現職区議を中傷する内容の放送が流れ始め、約二十分間続いた」(八五年六月二三日付
『朝日新聞』)。
新聞は、このあと、区役所側のあわてた反応と「区民の驚き」、放送システムが「電波ジャ
ック」されたことを報じているが、このときの区民のもう一つの反応についてと、なぜこの放
送システムが、「電波ジャック」されたのかについての技術的な仕組みについてはまったく触
れていない。
事件のあと、杉並区でたまたまこの”放送”を聞いた人々に何人も会った。彼や彼女らの話
では、最初それが何の”放送〃なのかさっぱりわからなかったらしい。区の出張所や公共施設
の屋根、専用鉄塔のうえにしつらえられたトランペット・スピーカーから一斉に出る音が反響
しあって、”放送”内容もさだかではなかったという人もいた。しかし、彼や彼女らは、この
”放送〃が「電波ジャック」によるものだとわかったときには、一様に痛快な気持ちになった
という。
これは、特殊な反応だろうか?そうではないだろう。「電波ジャック」は、つねに、一面
でこうした痛快さを呼び起こす。とくに防災無線のように中央集権的で一方的な通信手段が民
間人によって占拠されてしまうようなときには、人は迷惑よりも痛快さを感じるはずだ。
防災無線は、一九七八年に制定された「大地震法」一大規模地震対策特別措置法一の施行の一環
として設置された。これについてはすでに「ポストモダン都市の政治」一『都市の記憶』創村社・
所収一のなかで書いたが、おもて向きは地震のような大規模災害の際に、いちはやく地域に対
して避難指令を発するために設置されたことになっている。しかし、現実には、装置のテスト
と称し、夕方の五時に『夕焼け小焼け』のメロディーを流したり、終戦の日に一分間の黙とう
を強要したりし、中央が地域を統括するメディアになってきている。
数年前に、わたしが住む区域に突如トランペット・スピーカー四基からなる装置が出現し、
大音響でチャイムを流しはじめたとき、わたしは区の防災課に抗議した。わたしの家からス
ピーカーまで一〇数メートルしか離れていないため、チャイムが鳴り出すと、電話で話もでき
なくなってしまうからであった。防災課は、もっぱら「非常事態」の深刻さを強調し、わたし
の抗議は受け付けなかった。わたしは、つねに大地震の到来をあおっておくやり方に「危機管
理」の一形態を感じ、またそれよりなにより、毎日一定時問は必ず大音響で鳴る釣鐘のなかに
入れられるような経験をするのがたまらなくて、半年近く抗議を続けた。しかし、最終的に、
防災課の人から、「場所によっては、聞こえないからもっと音を上げてくれ、という人もいる
んです。反対してるのは、お宅と外人さんだけですよ」と言われ、あきらめざるをえなかった。
防災無線とは、区役所や市役所の親局と、地域のあちこちに設置した子周一受信機、トランペ
ット・スピーカー、受信アンテナ、電源装置の構成一とからなり、子馬は多いところで四五三局
(世田谷区)にも及ぶ。費用は、子馬だけでも一局五〇万円以上かかっており、親局の設備は、
文字通り小型のコミュニティニフジオ居並みである。
子馬のON/OFFは、すべて親局で自動的に行なわれ、子馬の側では、子馬の拡声装置を
自由に作動させることはできない。使用する電波は決まっており、市販の『周波数帳』に載っ
ているが、単にその周波数の電波を出したからといって、子馬のスピーカーから音が出るわけ
ではない。子馬のいわばラジオ受信機にあたる部分はいつもオープンになっており、決まった
周波数一ちなみに杉並区は六六・八八メガヘルツ。これは台東区と同じだが、距離が離れているので同
じ周波数を共用している一の電波を出せば、スピーカーの手前まではアクセスできる。
スピーカーを作動させるには、この電波に一定のトーン信号を入れなければならない。どの
ような信号でスピーカー回路がONになるのかは秘密だが、『夕焼け小焼け』などが鳴り出す
直前に出る信号をテープに録音し、それを再生して同じ周波数の電波に流してやれば、簡単に
子局を「電波ジャック」することができてしまう。事実、今回の杉並区の事件の場合にも、
”鍵〃は簡単に開けられてしまったのである。
これは、まったくテクノロジーの逆説である。防災無線は、中央が地方や地域を統括する古
い政治の産物である。それが、大地震時に避難情報を伝えようというヒューマニズム的な発想
から出たものだとしても、中央管理の発想であることには変わりがない。第一、大地震が来た
ときに、放送で指令されるまで逃げない馬鹿はいないではないか。問題は逃げる場所だ。何千
万という金をかけて防災無線のシステムを作るより、地域ごとに空地を作る方が避難の方法と
しては現実的だ。そういう場所があまりに乏しく、地域住民にすら避難所への通路がよくわか
らないので、こんな装置を作り、くどくどと指令しなければならないのだろうが、大地震の際
に、それが本当に役立つかどうかあやしいものだ。
テクノロジーの逆説は、テクノロジーの持っ本来の機能に逆らってそれを用いるときに起き
る。もともと中央集権的にはなりえない電子メディアを中央集権的に用いているかぎり、それ
が地域や地方の側から占拠され、中央集権的な機能が逆用されてしまう可能性がつねにともな
うことになる。
本当は、防災無線の装置は、区単位のコミュニティ・ラジオのネットワークとして使うべき
である。それには、受ける側にまったく選択の余地を与えぬ拡声器を廃し、そこに微弱電波の
ミニFM送信機を付ければよい。そして、親局を区民に解放し、芸術活動にも教育にも発言に
も自由に使わせるならば、防災無線は、一挙に世界で最もユニークなコミュニティ・ラジオに
一変する。一85・7・5一






国家が靖国神社り公式参拝に執着するのはなぜか?
毎年八月になると、首相や閣僚らの靖国神社公式参拝問題が話題になる。その最大の論点は、
首相らの「公式参拝」が「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教活動もしてはなら
ない」と規定している憲法第二〇条第三項に反するかどうかという問題である。
しかし、憲法第九条第二項と自衛隊との関係や同第二一条第一項と性表現規制との関係をみ
ても、国家が違憲行為をするかどうかという議論は、あまり現実性を持たない以上、こういう
観点から靖国問題を論じても、大して積極的なものは出てこないだろう。問題は、「公式参拝」
が違憲であるかどうかではなくて、違憲してまでもなぜ国家は「公式参拝」にこだわるのかで
ある。
靖国問題の歴史については、多くのすぐれた論述がある。村上重良『慰霊と招魂』(岩波書
店)や大江志乃夫『靖国神社』一岩波書店一は読みやすいが、最近出た色川大吉『天皇制と民
衆』一東京経済大学色川研究室一も、靖国問題を天皇制の問題の一つとしてとらえ、靖国がなぜ
反対されなければならないかをわかりやすく説いていた。
色川によると、「英霊」を祭るという靖国の発想は、そもそも日本人の固有信仰、「弥生時
代から永い問持ってきた固有信仰、祖先崇拝の固有信仰」に反するという。日本には、「死ね
ば故郷、先祖の近くへ行って安らぐ本州の稲作民なら南傾斜の日当たりのよい、自分のふ
るさとの見下せる所、海辺で生活する人、たとえば水俣の人なら不知火海へ、沖縄の人たちは
内海型の他界でなくて、ニライカナイといって、外洋型の海上他界という聖地へ、そこへ先祖
の人たちといく、そういう考え方Lが日常的な民間信仰のなかにあるわけである。
靖国神社は、一般には、長州藩が味方の勤皇派の戦死者だけを鎮魂することを行なった”招
魂祭〃に由来すると言われている。これは、敵と味方を差別せずに戦死者の霊を慰めるという
伝統的な鎮魂方法に反するもので、いわば鎮魂のニュー・ウェーブだったが、明治政府は、こ
の方式にならって一八六九年前治二一、戦死者だけを専門に祭る東京招魂社を九段に建立した。
ここで注意しなければならないのは、東京招魂社と長州藩における招魂祭とのあいだのズレ
である。東京招魂社が批判される場合、これが、招魂祭を継承し、味方の戦死者の霊だけを供
養し、報復を鼓舞する利己的な好戦主義が問題にされる。たとえば色川大吉も、前述の『天皇
制と民衆』のなかで、「日本人が殺した人を祭らずに日本人だけを英霊と称して祭ることはお
かしい」と言い、「本当に国事に尽した人なら、日清、日露や太平洋戦争に反対して殺された
人たちを、なぜ祭らないのか」と言っている。たしかに、それは批判されるべき点である。
しかし、それ以上に問題な点が一つある。それは、東京招魂社が、死霊を故郷に帰すという
民間信仰のレベルで、最も基本的な鎮魂方法の手間を省き、国家にとってのみ好都合な場所で
鎮魂の儀式を行なうという鎮魂のインスタント化を始めたことである。そしてこのインスタン
ト鎮魂方式は、一八七九年一明治一二一に”靖国神社〃としてより一層合理化されるわけであ
る。
八月のお盆には多くの人々が「ふるさと」に帰省する。これは、単に休暇を利用しての旅行
やふだん会うことのできない故郷の親兄弟と再会するということだけを意味するのではなく、
祖先の霊が安らっている場に回帰するという意味を持っている。
飛行機事故で死者が出たとき、日本人の遺族は、一般に、死者の遺体が発見されることに執
着するが、それは、死者の霊はその「ふるさと」に帰るべきだという民間信仰が、依然として
生き残っているからである。また、海外の日本人が、他の民族に比して、国籍を捨てたがらな
いという傾向があるのも、一面では、このような民間信仰の潜勢力のためかもしれない。靖国
神社は、こうした民間信仰を全面的に否定するものだ。
かつて、中曽根首相は、拓殖大学総長時代に、国のために殉じた、われわれの共同の尊敬す
べき、またわれわれが感謝すべき人たちを祭って霊を慰め、お祭りをする、そういう「民族的
霊場」として靖国神社を復活すべきだという趣旨の演説をしたことがある。ここで彼が、「民
族的霊場」と言っていることに注意する必要がある。中曽根は、日本人の「霊」の個別性をま
ったく認めず、それを「民族」の名のもとに均質化してしまう。これは、もともと国家主義の
やり方であり、戦前の天皇制はそうしたやり方で民族一複数一を統合してきた。
日本人が、長い歴史のなかで、霊とその「ふるさと」との関係に執着してきて、しかも今日
でもそれが続いているとすれば、そうした霊の帰郷を許さず、いわば迷えるがままの亡霊を人
工の「霊場」に封じ込めておくというやり方は、逆に反民族的である。したがって、この不信
心なやり方を中曽根氏が貫徹するためには、単に反天皇主義者や反靖国論者を片づけるだけで
はなく、お盆の帰省や里帰りの風習を徹底的に禁止しなければならないだろう。むろん、そん
なことはファシズム体制でも再開するのでなければ不可能なことである。それとも、中曽根氏
は、そのようなレベルまで”ラディカル〃に変革する”大革命〃を意図しているのだろうか?
ところで、「民族的霊場」と言うのなら、テレビはすでにその役を立派に果たしている。テ
レビには、さまざまな「霊」とさまざまな「ふるさと」が映る。しかし、テレビはそれらを勝
手に結ひつけ、各地の「霊」をみな東京に集める。テレビは、すでに”靖国神社〃であり、わ
れわれは自分の家でそれに日々”参拝〃している。しかし、それにもかかわらず、誰もテレビ
を見て帰省の代わりにはまだしていないとすれば、中央集権的なテレビにも日本人の祖霊信仰
をこわすことはできなかったのである。
一85・8・13一





摘発された、ミニFM局は悪質だったのか?
「若者たちの間に人気があるミニFM局について、警視庁保安一課と三田署は電波法違反の疑
いがあるとみて内偵していたが、東京港区のミニFM局が悪質だったとして四日夜、家宅捜索
し、経営者ら二人を現行犯で逮捕した」(八五年九月五日付『朝日新聞』)。
この記事を読むと、問題のミニFM局が相当「悪質」なことをやった末に、警察の摘発を受
けたようにみえる。しかし、実際は、発射していた電波が、電波法にふれない「微弱電波」
(一〇〇mの距離で測定した電界強度が一五マイクロボルト/m以下)を少し超えていたというだけで、
他に電波妨害を与えたり、”反社会的”な内容の放送を行なっていたというわけではないのだ
った。それにもかかわらず、警視庁と三田署とが合同でこのミニFM局というよりも大部
分は貸スタジオとして使われているフリー・スペースを急襲し、二人の関係者を逮捕し、
留置してしまったのだからおそれいる。一体全体、電波法違反というのは、そんなに大それた
”犯罪行為〃なのか?
日本では、電波は国家のものであり、それを市民が無断で使用したりするのは大変な反国家
的行為であるかのような通念が残っているが、そんなものはそろそろご破算にしたい。イタリ
アでは一九七六年に、電波の国家独占の根拠が法的に失われた。イタリア共和国憲法第二一条
で、「何人も、自己の思想を、言論、著作およびその他のすべての宣布の手段により、自由に
表明する権利を有する」一宮沢俊義編『世界憲法集』岩波書店一と規定されていることを最高裁が
再確認したからである。
日本でも、憲法第二一条には、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、こ
れを保障する」という一項があり、イタリアと同じ条件が与えられてしかるべきところだが、
同じ二一条でもその適用のされ方には雲泥の差があり、先進産業国のなかでは最も強固な国家
独占が続いている。
郵政省関東電気通信監理局は、一年問にわたってこの局の動向を監視し、警視庁に告発した
というが、電波が強かったという以外には、この局が「悪質」だったと称する証拠を上げるこ
とができない。もし、出力が「微弱電波」をオーバーしていたというのなら、なぜ告発する
まえに局に対して勧告を与えなかったのか?
勧告をくりかえしたのちの告発ならば、わからぬ話でもない。ここには、明らかに、一九八
二年以来市民のあいだにしたたかに根づきつつあるミニFMが、”電波はお上のもの〃という
これまでの通念をっきくずしてしまうことに対して個喝を加えておこうという、相も変わらぬ
国家の尊大な顔がのぞいている。実際に、監理局は、ミニFMについて「放置すれば、電波の
秩序がなし崩しになる恐れが強く、きびしい態度で臨む」とし、はっきりした挑戦のかまえを
示している。
八四年、郵政省の機構が再編されたが、そのねらいは、情報とサービスが中心となってゆく
産業構造の変化に同省が対応できる機構改革を行なうことだった。そのためには、従来の命
令・支配のかまえをなくし、サービスと情報操作の機関としての性格を強めなければならない
はずだが、今回の相も変わらぬ権威主義的な態度をみると、郵政省が、いささかも時代の変化
に対応できる状態になっていないことがよくわかる。
極めて地域的なメディアであるミニFMの摘発を国家組織の警視庁が行なったということだ
けをとってみても、この国では地域的な活動が国家の敵とみなされていることがよくわかる。
その一方では、国は、「地域文化の活性化」だとか「地方の時代」だとかいう決まり文句をな
らべたてているのである。もし、そういう文化単位や社会活動を大切にしようとするのなら、
地域や地方のことに国家組織が口出しするのをやめたらよいだろう。
が、今回の場合、警視庁のねらいは、単に地域的・地方的なものを統合・管理するだけでは
なく、もっと別のところにもあったように思われる。それは、凶器準備集合罪(刑法第二〇八
条ノニ)の疑いで家宅捜索をするのと同様に、”違法〃な無線機を持っているだけでガサ入れ
一家宅捜索一をできるような前例を作るためにちがいない。CB無線の場合には、一九八三年一
月に法律が改正一悪一され、規定の出力以上のCB無線機を所持しているだけでも「電波法違
反」になるということになったため、たとえばそのようなCB無線機を持っているとみられる
人の家をいきなり家宅捜索するといったとんでもないことも可能になった。
無線機を”凶器”とみなすのは、電子情報化社会に臨む警察としては当然のことかもしれな
い。しかし、ピストルは人を殺したり嚇したりする目的でしか使えないのに対して、エレクト
ロニックスは、コミュニケーションを向上させたり、新しい芸術表現を生み出すためにも使え
る。エレクトロニックスの可能性を制限すれば、それは、同時に市民や個人の自由を抑圧する
ことにもなるわけだ。
警視庁としては、今回の事件を起訴・有罪に持ち込み、無線機とみなしうるものを持ってい
る”うさんくさい〃集団の拠点をいつでもガサ入れできる条件を作りたいのだろうが、そうな
れば、戦前・戦中にマルクス主義の文献を持っているだけで市民が逮捕されたのと同じような
状況が出現する。今回の問題は、単に電波だけの問題ではないのだ。また、スパイ防止法が成
立すれば、いま非常な勢いで広まっているスキャニング一警察無線などの傍受一は、その多くが
「国家秘密」を侵すという理由で、スパイ罪に問われることになるだろう。
モラトリアム、ネアカ、ニューアカなどといった、あっけらかんとした非政治的文化にうっ
つをぬかしているうちに、状況はこんなところまで来てしまった。一85・9・8一






先端企業はなぜスパイ防止法案に反対しないのか?
スパイ防止法案(国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案)についての論議が少し盛
り上がってきた。よいことである。ひと頃のマスコミの雰囲気だと、この法案は、一九七九年
の元号法のように、ほとんどまともな論議もされぬままに国会を通過してしまいかねなかった。
スパイ防止法が成立した場合、報道や学術研究、「先進国並みに」というジェスチャーだけ
は大きい「情報公開」等々がいま以上に不自由になることは言うまでもない。この法律の目的
は、その試案二九八五年四月九日発表一によると、「外国のために国家秘密を探知し、又は収
集し、これを外国に通報する等のスパイ行為等を防止することにより、我が国の安全に資する
こと」(第一条)だというから、何を「国家秘密」と解釈するかによって、単に外国の友人と国
際電話やアマチュア無線でおしゃべりすることも、またある商社が外国の得意先にテレックス
を打つことも「スパイ行為等」に入ってしまうだろう。その結果、最高刑では死刑を宣告され
るというのだから、これは尋常ではない。
法案の推進論者の言い分は、「先進国」のなかでこの種の法律を持たない国はないというの
であるが、ヘイ・カム・オン、日本にだって事実上のスパイ法はあるのではないか。一九七二
年の「外務省沖縄密約電報漏洩事件」では、情報をジャーナリストに提供したとされる公務員
が有罪になったことをお忘れではあるまい。
現行法のなかで「スパイ」は十分に取り締まれるのであり、むしろ逆に現行法を緩和しても
よいくらいだ。「日米相互防衛援助協定等に伴う秘密保護法」はスパイ防止法である。「日本国
とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本
国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う刑事特別法」という長ったらしい名の
法律も、その第六条で「合衆国軍隊の機密」のスパイ行為に対する罰則を規定している。国内
の軍事機密に関しては、「自衛隊法」第五九条でちゃんと隊員に対し機密の漏洩を禁じている。「国家公務員法」第
一〇〇条と「地方公務員法」第三四条によると、職員は、たとえその職を退いたあとであっても、職務上知りえた秘
密を漏らしてはならないことになっており、その規定に違反した者に対しては一死刑こそないが一懲役または罰金の刑
が処せられることになっている。
これら諸々の法律とスパイ防止法案とを比較してみると、刑罰の最高刑に死刑をもってきたという胴喝的な性格だけ
でなく、後者では、明らかに、「機密」とみなされるもの
の領域がぐんと広がっている。これは、実際に「機密」の幅が広がり、いままで「機密」とは
みなされなかったような情報や物が「機密」とみなされるようになる事態が生じてきたからで
あると同時に、これまで「国家秘密」を独占してきた機関一だとえば自衛隊、外務省、その他の国
家機関一にだけ「国家秘密」が所有されているのではないという状況が出てきたことへの管理
的な対応である。
民間のエレクトロニックス産業で作られている電子部品の細かな品目とその納入先が公にさ
れた場合、たとえば、日米間の軍事機密が侵される可能性が出てくる。八五年二月、衆議院予
算委員会で、京セラのアメリカ子会社である京セラ・インターナショナル・インコーポレイテ
ッド社がジェネラル・ダイナミックス社にトマホーク・ミサイル用の部品を納入しているので
はないか、ということが問題になったことがある。スパイ防止法が成立すれば、これはも
しそうであったとしても「国家秘密」に属するはずの情報だから、議題にとりあげること
すら不可能になる。
現段階では、スパイ防止法の直接目的は、映画に出てくるようなスパイを取り締まったり、
この法律を拡大利用して市民的自由を圧迫したりすることよりも、むしろ、多国籍化した企業
とりわけ軍事テクノロジーに関わる企業が国家の規制を超えたような活動をしないよ
うにさせることであり、この法律によってまっ先に締め付けを味わうのは民間企業の技術者や
商社員だろう。スパイ防止法がなくても、筑波研究学園都市というのは、職員を”俗世界〃か
ら情報隔離するための一種の監獄都市の性格をもつはずだが、スパイ防止法ができれば、この
ような都市をそれ以上作らなくても済むかもしれない。
日米安保条約のもとでは、たとえ「死の商人」であっても、アメリカとソ連の両方に同じ武
器を輸出することは難しいが、LSIのような一見”中立〃に見える物ならばそれも不可能で
はない。しかし、スパイ防止法のもとでは、すべての情報と物の国際流通が、国家のチェック
を受けずに行なわれることはなくなる。これは、日本の産業発展にとっては利益なのか損失な
のか?一九八二年六月にFBIは、IBMが開発したコンピューターと関連機器についての
情報を日立製作所、三菱電機などの社員が盗んだとして、六人の社員を逮捕したが、その容疑
が事実であるかどうかは別にして、産業はどの国でも先端情報の争奪戦で成り立っている。そ
うした争奪戦のすべてのレベルが国家によって統括されるならば、企業の自由な活動は抑えら
れてしまうだろう。そうだとすれば、日本の先端産業は、どうしてスパイ防止法案に対して、
その企業利益を守るために断固たる反対を表明しないのであろうか?
いずれにしても、スパイ防止法が成立した場合には、電話から郵便、海外渡航にいたるまで、
あらゆる国民活動を監視する機関と装置が、いままでとは比較にならないほどの規模で拡充さ
れることだろう。中央情報局が正式に発足することは必至であり、そのために膨大な予算が組
まれることになるだろう。それは、なるほど、日本がアメリカ並みになることではある。が、
天皇制にもとづく中央集権型の国家が巨大な中央情報局を持っとき、どのような事態が待ちか
まえているかは大体予想がつく。それは、民主主義の完壁な死である。一85.10.10一



大衆の欲求が阪神フィーバーを生んだのか?
阪神タイガースがプロ野球日本シリーズで初めて優勝したことが、異常なまでに話題を呼ん
だ。「阪神フィーバー」は、すでにだいぶまえからはじまっており、一〇月一六日に神宮球場
で行なわれた対ヤクルト戦のころには、一つのピークに達していた。試合の観客一テレビの視
聴者を含む一がフィーバーしただけでなく、そのフィーバーについての話題がさらにフィー
バーした。
「阪神フィーバー」は、むろん、表面的には、阪神が八五年になって目ざましい好成績を上げ
てから生じた。しかし、それだけでは、ふだんは野球に無関心な人までをまきこんだ形でのフ
イーバーにはならないだろう。マス・メディアも、阪神のことを好んで話題にしたことも事実
である。しかし、ブームやフイーバーは単にマス・メディアが偏っただけで起こるものではな
い。とすれば、このフィーバーは、大衆の欲求そのものから発したものなのか?
マス・メディアと、経済、文化、テクノロジiなどの諸組織がいりくみあっている今日のシ
ステムにおいては、「大衆の欲求そのもの」などというものを無条件で語ることはできない。
それに、現代社会で、「大衆」というような巨大集団が全体としてその欲求を満たされるなど
ということは、土台不可能なことである。「大衆」とは、むしろ、もともと欲求不満な存在で
ある。あるいは、社会が個々人すべての欲求を満たせないからこそ、「大衆」という概念が必
要なのだ。
それゆえ、「阪神フィーバー」に対して、「大衆」の反権力意識を見たり、その逆に、「ただ
の野球ごとき」に夢中になっている「いまの大衆」の「だめさかげん」を見たりするのは一面
的である。「大衆」など、実はどこにもいないのであり、それは、マス・メディアと同様にシ
ステムの影でしかないのだ。しかし、こうした影からシステムの現状を読みとることは可
能である。それが、どういう方向に進むかは、そのつどの政治や偶然的な諸条件によって決ま
るとしても、色々な側面がいりくみあっている現システムが持っているいくつかの方向の一つ
を、「阪神フィーバー」が表わしていることは確かである。
「阪神フィーバー」は、端的に、「公衆」や「小泉」ということが言われる時代に特有な現象
である。これらの言葉は、もともと、広告宣伝産業から出てきたものだが、それは、いまのシ
ステムをある方向アメリカ型のシステムに向かって進めようとする選択を含意してい
る。マス・メディアに現われるときには、「いまや公衆の時代である」、「大衆の時代から小泉
の時代へ」というようを言い方がなされるとしても、そこで言わんとされていることは、いま
のシステムの一つの可能性として「公衆」や「小泉」という方向があり、その方向に進むこと
をよしとする利害集団があるということである。
要するに、日本の産業構造が大きく変わりっっあるなかで、情報やサービス主導の産業は、
中央集権的な、あるいはヒエラルキーの硬い巨大組織よりも、柔軟な再組織可能なモジュール
型の、あるいはネットワーク型の組織を必要としている。それは、こうした産業が存在してい
るテクノロジー電子テクノロジー自身の論理からも発している。このテクノロジーに
依存する以上、システムをこのような方向に変えなければならないのだ。
この点からすると、野球は、ラグビーなどにくらべて、いまのシステムがむしろ脱却すべき
組織を代表している。かつて社会学者のミルトン・マンコフは、「野球と資本主義の台頭」
一『ヴィレッジ.ヴォィス』紙、七八年八月二八日号一というエッセイのなかで、アメリカのプロ野
球は、一九七六年まで、選手とチームのオーナーとの関係において、「中世の農奴制」の段階
にとどまっていた、と書いていた。一生のうちにたびたび職場を変えることが普通なアメリカ
でも、プロ野球の世界では、選手は「トレードされるか、契約解除されるか、あるいは引退が
決定されるかのいずれかの場合を除いて、最初にサインしたチームに合法的に拘束される」状
態にあったという。
日本では、一九六五年に「新人選手交渉締結規定」一ドラフト制度一ができたが、実際には選
手自身から契約の自由を奪う制度であり、その前近代性が、一九七八年の「江川問題」でよう
やく、「近代化」のきざしをみせるのである。
ただし、野球の組織そのものと、野球ファンの組織のされかたとは別問題である。野球ファ
ンには、球場に必ず足を運ぶ者もテレビでしか野球をみない者もいるが、それらの全体として
のつながりかたは、球団によって大いに異なる。今度のようなフィーバーが起これば、そのつ
ながりは巨大になるが、その巨大な”組織〃が阪神の場合に翌年も持続するかどうかはわから
ない。これは「羊かんば虎屋、大学は東大」といった発想のファンでもとにかく包含してしま
う巨人ファンの”組織”とは大いに異なるものである。
一九六五年から一九七三年まで日本シリーズの優勝を独占した巨人が”組織”したファンは、
たしかに「大衆」だった。どの球団の場合にも、熱烈なファンの層は一定しているとしても、
その流動的な部分の度合が、阪神の場合にはかなり一過的であるようにみえる。それは、群れ
やすく、かっ散らばりやすい「小泉」で構成されているからである。
こうした「小泉」がそのつど構成する「大衆」は、「ニューアカ・ブーム」でも、「三浦ブー
ム」でも目にすることができた。しかし、もし「小泉」や「公衆」が、本当に「大衆」を超え
る具体性と積極性を持った概念だとすれば、「小泉」や「公衆」の時代には、巨大な「ブーム」
や「フィーバー」は決して起こりえないだろう。その意味では、いま、「小泉」や「公衆」を
組織することによって「大衆社会」を維持しようとする新たな「大衆」管理が進んでいるよう
に思われる。一85・11・12一



性表現は白由化すべきか?
「世論調査」というものほど腹立たしいものはない。アンケートによる統計的調査という方法
が確立された時代から社会構造や社会制度はトラスティックに変わっているのに、旧態依然た
る方法一データの処理方法は多少変わっているにしても、その本質は変わらない一が依然として社会
動向の有力な判定方法とされており、「世論調査」は、そのことをまったく不問に付している。
新聞や放送も、依然として「世論調査」の結果や統計データには弱く、それらがあたかも自明
の真実であるかのごとく前提している。
が、腹立たしいのは、そうした愚かさではなくて、むしろその無根拠さを知りながらあたか
も自明の理であるかのように「世論」を持ち出すあつかましさである。「世論調査」につきま
とっている世論操作の側面を微塵も暴露せずにその数字をふりまわし、その調査結果通りに世
の中を動かそうという管理精神が腹立たしい。
八五年二一月一日、総理府は「性意識に関する世論調査」を発表した。この発表自体のなか
に、性意識をある一定の方向に導こうとする政府の管理意識が働いていることは言うまでもな
いが、それについて報道するマス・メディアの側が、政府のそうした操作に全面的に協力して
いるということも情けない。たとえば、ある新聞はこのニュースを次のように報道している。
「性表現の自由化に反対する人が、過去の調査に比べて大幅に増え、全体の八割にのぼること
が、総理府の『性意識に関する世論調査』(一日付発表一でわかった」(八五年一二月二日付『朝
日新聞』、傍点引用者)
それによると、調査では、「性についての写真や表現は露骨すぎるか」という問いに対して
「そう思う」と答えた人が、二〇歳以上の男女
三〇〇〇人のうち七九・ニバーセント、「性表現を全く自由にすること」に「反対」が八○・
六パーセントあったということにもとづいて、「性表現の自由化に反対する人」が「大幅に増
え」たことが「わかった」というのである。
ちょっと待ってほしい。一体、「性表現」とは何か?調査では、「性についての写真や表現
は露骨すぎるか」という際の具体例として週刊誌やテレビがあげられている。要するに週刊誌
のポルノ写真、ポルノ記事、テレビのナイト・ショウのポルノグラフィックな内容や映像をも
とにして「性表現」が判定されているのである。
しかし、性表現はポルノにつきるものではない。性表現の自由とは、ポルノ的表現の自由を
意味するとはかぎらない。調査ではその点が完全にすりかえられている。
ポルノは性表現の一種だが、それはむしろ性表現の不自由のなかから生まれる。日本の週刊
誌やテレビになぜポルノグラフィックな表現が多いのか?それは、日本では依然として性表
現の事実上の検閲があり、性器はむろんのこと、ヘアすら大っぴらに映像表現することが許さ
れないからである。
もし、総理府が性に関して日本の人々がいまどのような社会意識を持っているかを調査した
いのならば、裸体が映っている写真や外国映画ただし、現在の通関・検閲を経たもの
を見せてアンケートを取ってみたらよいだろう。
マン.レイの写真集一みすず書房一では、およそポルノとは無関係なヌードのヘア部分に四
角い黒のヌリツブシが入っている。この写真集を見せられて「性表現の自由化」の問題を問わ
れた人が、今回の総理府の「世論調査」と同じ反応をするとは思えない。八五年で休刊になっ
た『カメラ毎日』は、別冊の『NEW NUDE−2』一西井一夫編一を出し、世界のすぐれたヌード
写真を掲載した。ここには、性器そのものを主題にしているジャン・ルイ・ミッシェルのもの
や、性器の存在が比較的あらわなアヤコ・パークス、デービッド・バント・ベーンなどの写真
が入っているが、これらを見て「性表現を全く自由にすること」に「反対」だなどと主張する
人はあまりいないのでないか?それでも、この別冊を編集した西井氏は、警視庁から警告を
受けたという。もしこれが、休刊になった雑誌の最後の別冊でなければ刑法第一七五条一わい
せつ図画陳列罪一の疑いで手入れを行なっただろうということを警視庁はにおわせたらしい。
外国映画輸入の状況も、写真同様悲惨である。ハード・コア・ポルノとはまったくちがう目
的で性器や性行為を撮影した映画でもそれがポルノとみなされてしまうことは誰でもが知って
いることである。通関するためにはズタズタにカットしなければならないので、輸入をあきら
めざるをえない作品も少なくない。ゴダールの『勝手に逃げろ』もそのひとつである。東京映
画祭で問題になった『1984年』のヘア・シーンにしても、あんな程度のことが大さわぎに
される現状なのだから、今後日本でまともな国際映画祭を開催することなどとても不可能だろ
う。先日、ジェニファー・ビールスが出ている『フライド』を見たら、彼女がヌードで現われ
る三れは代役らしい一シーンですかさず彼女のヘア部分にボカシが入った。ミッキー・ローク
主演の『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』でも、相手役のアリアンヌがバス・タブから裸で出て
くるシーンでは、待ってましたとばかりに彼女の鼠腰部のところに銀色の引っかき傷がチラチ
ラと動きまわるのだった。こういうのに出会うと逆に驚いてしまう。裸体が横や後から撮られ
ているときには何もボカシが入らなかったのに、こちらを向いたとたん、ここが”陰部〃だよ
とばかりにこれみよがしの強調マークがチラっくのである。これでは、普通の映画がみなポル
ノ映画になってしまう。
前述したように(ニ三ぺージ)、最高裁は「ポルノ税関検閲」を「合憲」とする判決を下した。
ということは、性表現とはポルノ以外の何ものでもないということを断定したことであり、日
本では、性に関する表現をすればみなポルノとみなされてしまうということである。ここから
すると、問題の「世論調査」における反応はこの現実に見合ったものだということになるが、
その間の屈折と操作は新聞報道では何もわからない。一85.12.6一



米ソ首脳会談は世界平和のためのものか?
「戦争は別の手段による政治の継続である」と言ったのはクラウゼヴィッツだが、それは、む
しろ「戦争は別の手段による経済の継続である」と言いなおされてしかるべきだ。利潤の得ら
れない戦争というものは存在しなかった。世界の経済システムは、戦争のたびに”活性化〃さ
れ、その規模を肥大化してきた。
いいかげんに、戦争や平和を政治的なヴィジョンや世界観・宗教観のちがいの問題に帰結さ
れる観念的な発想をやめにしたい。
ゴルバチョフとレーガンの「軍縮」協議は、高遭な「世界平和」のためのものではなく、両
国の経済活動の縄張り調整にすぎない。その意味では、戦争とは”血を流す〃経済であり、平
和とは”血を流さない”経済である。
世界経済は依然としてアメリカの支配下にある。ドルの力はまだ有力である。カーター政権
の後期からレーガン政権にいたる時期に米ソの緊張が強まり、軍拡路線がエスカレートしたの
は、そうすることがアメリカの経済を”活性化〃させたからだった。が、問題は、ソ連にとっ
てもそれは同様であり、むしろソ連経済は、フランスの思想家カストリアディスも指摘したよ
うに、軍拡によって「近代化」を進めてきたのである。それは、アメリカにとってのディレン
マだった。カーターの時代のデタントは、別にカーターが通常の意味での”平和主義者〃であ
ったから行なわれたのではなくて、そうすることが東側経済への牽制になるという判断のもと
で採用された経済政策だったのだ。だから、あれほど軍拡に熱心だったレーガンは、その路線
にかげりが出はじめると、ゴルバチョフとの軍縮会談を受け入れるのである。
しかし、アメリカもソ連も、軍拡以外に経済を”活性化〃させる方法があるのだろうか?
世界経済は、”血を流す”、あるいは”血を流さない〃戦争であるとすれば、一方に軍拡路線で
経済を”活性化”させる国々があり、他方には「平和」路線で経済を”活性化”させる国々が
あり、その関係は相互にいりくみあっている。日本はさしずめ後者の路線で戦後の”繁栄”を
築いた。近年アメリカが日本に対して防衛費の増強を求めているのは、日本のこれまでの”血
を流さない〃経済が、アメリカの”血を流さない〃非軍拡経済の道を細めてしまう恐れが出て
きたからであり、日本がいまのやり方で経済活動を続けているかぎり、アメリカは永久に軍拡
路線をとっていかなければならないからである。しかも、その軍拡路線があまり経済を”活性
化”させる見通しがないということになると、是が非でも、日本に”血を流さない”経済の主
役の地位を下りてもらわなければならないということになる。
資本主義システムとは、基本的に自転車操業である。軍拡経済か民間消費経済によって、た
えず自己のシステムを”活性化〃していなければ、生き延びることができない。これは、「社
会主義」と呼ばれているシステムにおいても同様であり、社会主義とは所詮資本主義システム
の特殊形態にすぎない。
こうしてみると、日本は、アメリカに楯っくことができない以上、今後軍拡路線を進むしか
ないだろう。本当は、軍拡でも民間消費でもない新たな経済を選択することができれば問題は
ないのだが、資本主義経済の前面におどり出てしまった日本は、もはや資本主義の終末の
日まで後戻りすることができないのである。
ただし、これから顕在化してくる軍拡路線は、必ずしもかつての軍国主義の復活を思わせる
ような無骨な形態はとらないだろう。ハイテック軍拡こそ今後の主流である。
八五年発表された「新防衛計画」は、一つには、日本のハイテック産業に対する国側のテコ
入れでもある。この計画が予定している「自衛隊の近代化」とは、要するに軍事システムのハ
イテック化であり、具体的には、防衛マイクロ回線の多重化、デジタル化、戦闘機・戦艦搭載
用の電子装置の高度化等々であるが、それは、とりもなおさず日本のハイテック・エレクトロ
ニックス産業に長期的なプロジェクトと生産体制を許すのである。海外進出で貿易摩擦を起こ
し、これ以上”平和〃経済に過大な期待を抱きにくくなっている産業側にしてみれば、これは
願ってもないことであるし、さもなければ日本経済は立ち行かなくなるわけである。
ただし、アメリカとしては、必ずしも日本の軍拡路線を歓迎してばかりはいられない、とい
うところが資本主義経済のディレンマである。日本の航空機産業やエレクトロニックス産業は、
「次期支援戦闘機」(FSX)の国産化を是非とも望んでいるが、その決定の鍵を握っている政
府の態度はまだ揺れ動いている。それは、アメリカ自身が、一方でその方向を容認せざるをえ
ない立場にありながら、他方で、その先行きを恐れているからである。結局、FSXの国産化
問題は、そこに搭載する電子装置を国産化し、戦闘機自体はアメリカから輸入するという線に
落ち着くのかもしれない。
というのは、もし、次期支援戦闘機の「一〇〇パーセント国産化」が許された場合、技術的
には十分にその能力を持っている日本の産業は、自動車の場合と同じように、やがてアメリカ
の航空機業界をも侵蝕してしまう可能性が十分にあるからである。
しかし、日本が今後ハイテック軍拡の路線を採用し、ヴィデオやコンピューターによる”世
界侵略”を手控えるとしても、じきに今度は、超LSIやハイテック的な軍拡技術を国内では
消費しきれなくなって、ハイテック軍備の海外市場に進出していかざるをえなくなるだろう。
SDIが、日本のハイテック軍拡にとっても必要不可欠であらざるをえない理由がここにある・
一86・1・9一





引き下げられた公定歩合は都市をどう変えるか?
公定歩合が引き下げられた。二年三カ月ぶりである。日銀のねらいは、内需拡大を金融面か
らテコ入れしようということらしいが、問題は、その帰結である。経済は、日銀や政府そして
財界にとっては、所詮マージャンかモノポリー・ゲームにすぎないとしても、ギャンブルの結
果は、国民や市民の末端にまで及ぶ。
心配なのは、今回の処置が、ギャンブルの手としてはあまりに見え見えなことだ。こんな公
式的な手を打っていて、日本経済は立ちゆくのだろうか?
公定歩合が引き下げられれば預貯金金利も下がる。そうすれば、いままで銀行に金を預けて
いた企業は、金を下ろし、利子よりももっと利潤の高い投機に手を変える。そこで銀行は、預
金が減った分をドル売りで埋め合わせる。実際には、そのまえにドルが国内にダブづいており、
それを何とかしなければならない状況がある。その突破口は、国際金融市場でのドル安操作で
始まった。
内需拡大とは、ギャンブルの舞台を国内に移すことである。むろん国外でのギャンブルをや
めるわけではないが、国内のギャンブルの方を活気づけようというわけだ。国外のギャンブル
が活気づけば、ドルが国内にダブついてくる。それはそれで利潤を生むが、企業は物の投資よ
りも、預金操作に関心を移す。別にギャンブルに何かの目的があるわけではない。ギャンブ
ル自身が資本主義経済の理念なのだ。目的があるとすれば、末長くこのギャンブルをやり続け
ることだろう。それにはバランスが必要だ。これ以上ドルガダブづくのは困る。しかし、キャ
ンブルのバランスは、極端から極端を動くシーソー・ゲームである。それはいっも、地面にド
シンとぶっかってははね上がり、ふたたび地面に音をたてて落下する。
めたシーソー台の一方は、どんなふうに地面に落ちるのだろうカ?
最近街を歩いていて目につくのは、それほど古いわけでもないビルが取り壊され、そこに更
地ができている風景であり、急に増えはじめたビル建設である。新聞は、八五年から急に地価
が高騰していることを報じている。とくに、東京の西南部でそれが激しく、街の景観は、オリ
ンピック以来ふたたびトラスティックに変わりつつある。土地ころがしの業者の暗躍も激しく、
港区の青山あたりでは、一坪九〇〇〇万円で取引された土地もあるという。土地取引とは、事
実上、情報取引であり、土地取引では、口をきいたり、情報を仲介しただけで手数料や謝礼が
入る。一坪九〇〇〇万円なら、その一%の手数料でも大変なものだ。かくして、土地は情報的
にころがされ、信じられないほどの値段になっていく。
「いま、この土地は坪三〇〇方なんですが、八○○万で欲しいと言ってる人がいるんですがね
え」。
デベロッパーの決まり文句だが、こう言われるとあわてる人がいるから土地売買はおもしろ
いということになる。
金利が下がる以前から、企業による土地購入は始まっていた。それは、もうかってダブつい
た金を企業が金融操作に向けるだけでは済ませられなくなり、不動産購入に力を入れはじめた
からである。銀行も、国際金融市場での金もうけでは使いきれない金をもてあまし、企業への
貸付に熱心になった。だから、今回の公定歩合引下げは、こうした動きを最終的に軌道に乗せ
ようというものである。
そこで思い出されるのは、一九七二年から七四年にかけての「狂乱物価」の時代である。こ
のときも、企業はいっせいに土地投機に乗り出した。企業だけでなく、一般個人も土地を資産
として買いあさる傾向が強まり、「一億総不動産屋時代」などという言葉も生まれた。田中角
栄の『日本列島改造論』二九七二一は、こうした動きをいささか素朴に正当化しようとしたも
のにすぎない。正当化するもしないも、そういう動きはすでに始まっており、それは確固とし
た政策でも何でもなく、いわばギャンブルのツキの一状態でしかなかったので、それをあたか
も持続可能な政策とみなした『日本列島改造論』はすぐに人気がなくなった。この本には、本
当は、『日本列島ギャンブル論』というタイトルをつけるべきだった。
今回の土地投機は、七〇年代のものとはちがい、一般市民をまきこんだものとはなりにくい。
土地を買うといっても、高価値と見なされているエリアは、たとえば東京の西南部の港、渋谷、
新宿の三区内であり、購入できる土地の絶対量が限られている。そのため、こうしたエリアで
はしのぎをけずる土地争奪戦が演じられ、他の、たとえば東京の東北部では、土地投機とは無
関係のあるいは逆に都市経済の低落の動きが見られるのである。
おそらく、このままの状態が続いた場合、都心では地価の高騰とともに物価も上がり、それ
に応じて、都心には法人も個人も㊧だけしか住めないという傾向が強まるだろう。そして、東
京をU字状にとりまく三多摩や東京近郊のエリアと東京二三区一とりわけその西南部一との経済
的・文化的格差がもっともっと広がってゆくだろう。それは、オプティミスティックにみれば、
東京の都市文化の”活性化”であり、郊外の生活環境の”安定化”を生むかもしれないが、都
心には必然的に生活文化が希薄になるから、その都市文化のにぎわいは、結局のところ、消費
文化のにぎわいでしかないだろう。その結果、大衆化して力を持っ文化は郊外の保守的な文化
ということにならざるをえないだろう。これは、アメリカの五〇年代を思わせる。
それにしても、としが、確固とした未来的展望に立って活性化されるのではなく、日本経済
のギャンブル過程の単なる余剰効果として”活気”つくというのは何とも虚しい気がする.





フーリピンの人民は革命に成功したのか?
いずれにしてもフィリピンの歴史を画した今回の出来事を、ある人は「革命」と呼び、ある
人は「クーデター」と呼ぶ。が、いずれの場合にもこの出来事の背後にアメリカの影を認める
点では一致している。
たしかに今回の「革命」は、アメリカの作ったシナリオ通りに進んだと一応は言うことがで
きる。八五年一〇月から二一月までの『ワシントン・ポスト』紙や『ニューヨーク.タイム
ズ』紙を見ても、CIAがマルコス政権の終末を正しく予測し、このままマルコスが居すわる
ならば、新人民軍の台頭、市民の反乱、「共産化」等の「危険」が増大するであろうとの提言
が、レーガンに対してなされていたことを裏づける。
その場合予測されるプロセスが三つあった。第一は、新人民軍等による「共産化」の勢いが
マルコスの崩壊よりも早く進む場合、アメリカ軍ないしは日本の自衛隊が侵略するかもしれな
いという予測、第二は、大統領選挙におけるコラソン・アキノの勝利がマルコスを「退任」さ
せるという予測。第三は、エンリレを指導者とする軍部クーデターの可能性。歴史は、第三の
可能性を選んだようにみえるが、しかし、今回の出来事を単純に革命と呼ぶことができないのと
同じように、クーデターとみなすこともできない。軍部が権力を独裁する軍部
クーデターの場合、軍は民衆を敵にまわさなければならない。しかし、民衆も前権力を倒すた
めに闘っている場合に軍がクーデターを起こすためには、民衆の闘いと自分たちの権力闘争と
を区別する何かが必要となる。たとえば「共産化」という政治的パラノイア。
が、フィリピンに対してソ連も中国も政治的なコミットをしていない。したがって、フィリ
ピン人民の闘いを「共産主義」にあやっられたものとする根拠がない。こうして軍と人民との
奇妙な連帯が生まれた。アメリカと一結局は一マルコス以上に深く結びついている軍が人民と
結びついて独裁者を倒す。これは、すべてがアメリカのシナリオ通りに動いたという点で評価
されたり、冷笑されたりすべきではなく、むしろ、一もし仕掛けたのだとすれば一そういうことま
で”仕掛け〃なければならなくなっているアメリカの海外支配の構造変化の点で論じられるべ
きことである。
前にも書いたように、軍事活動は、今日では、経済活動である。国の名誉や尊厳のために戦
争をする国はもはやない。もしそのような狂った独裁者がいれば、今日の国家権力は、逆に戦
争を回避して、その独裁者を取り除こうとする。マルコスは、ある意味で、フィリピンとの
”玉砕”にまで突き進みかねなかった。それは、アメリカを主導とするアジア”自由主義”経
済にとってのマイナスである。すでにマルコスは、アメリカや日本の経済権力にとってやっか
いな存在になっていた。
たとえば、一九七四年に、アメリカのウェスチングハウス電気会社から購入することが決ま
り、一九七六年から工事が始まったバタアン原発は、フィリピンの反原発運動のターゲットに
なったが、このプラントは、実のところ、マルコスにとってすら重荷になっていたはずだ。一
九七四年の段階でフィリピンは、エネルギーの九六%をアラブ諸国等の石油に頼っていた。と
ころが、経済危機が深刻化するなかで八四年にはエネルギーの海外依存が五七%にまで低下し
た。一体これでは、何のために核プラントを使おうというのか?
フィリピンの経済危機は、工業化を高度化できなかったところから生じたものである。した
がってそれは、工業化を一挙に跳び超えて徹底的な脱工業化一真の共産主義革命一に行ってしま
えば乗り越えられる危機である。しかし、世界をがっちりとおさえている資本主義システムは
そうした真の革命を許すことができない。それは、工業化をその極みまで経験し、その地平か
ら情報資本主義に進み、その終局において退場するという何とも往生ぎわの悪いやり方で
なければ終わりたくないのである。そのため、このシステムは、現在の動向を加速させること
に失敗する者と抵抗する者とを共に排除する。マルコスは失敗したがゆえに排除された。アキ
ノは、工業化を進め、さらに次の段階に経済を加速させることが求められている。
工業化の初期段階においては、軍備に金をかける一ときには戦争も辞さない一ことが工業化の
主要な方法だった。日本もソ連もそういうやり方で”近代化”を推し進めた。自らこの方法を
とれない国に対しては、大国が軍事援助や基地の進駐という工業化の出前をやる。フィリピン
の場合、韓国のように軍事的緊張という手を使うわけにはいかないので、軍事的工業化の方法
はあまり思わしくない。そこで残されるのは、民間経済の活性化である。しかし、フィリピン
の今後に民間経済の急激な活性化を望むのは無理である。
今回の革命でもクーデターでもない中問的な出来事は、フィリピンのこうした資本主義的に
あいまいな状態と深く関係がある。が、このあいまいさのゆえに、かえって人々は、そこに
”革命”を表象することもできたのだった。その表象は、何十年か後に具体的な経験に結実す
るに違いない。一86・3・11一





レーガンはなぜ二ヵラグアのコントラを支援するのか?
三月はじめからニューヨークに滞在して、日本とはまったく情報の流れがちがうと思ったの
は、ニカラグアと南アフリカについての情報だった。これは、日本にいるときにも海外紙・誌
を読むにつけ気になったことだったが、あまりの情報格差に驚いた。
とりわけニカラグアの問題は、ニカラグアの反政府ゲリラ一コントラ一への一億ドルにのぼ
る援助をレーガンが三月二一日の議会で通過させようとしていた矢先だったこともあって、マ
ス.メディアはむろんのこと、ちょっとしたパーティの話題にも、ニカラグアのことが口にさ
れるのだった。
これは、必ずしも、ニカラグアに対するアメリカ合衆国と日本との地理的距離のちがいによ
るものではないだろう。むしろ、日本にはニカラグアはもちろんのこと、中央アメリカの人々
の親戚や同胞の移民コミュニティがまったくないということが、こうした地域への無関心をも
たらすのである。南アフリカの場合でも同じことだ。日本政府が外国人の居住に対してもっと
自由な政策を行なわないかぎり、日本の情報鎖国化は、ニュー・メディアがどんなに発達して
も変わらないだろう。
アメリカではいま、ニカラグアを第二のベトナムにするなどいう批判の声がいたるところで
高まっている。レーガンの対中央アメリカ政策の強引さは、革新派だけでなく保守陣営のなか
にも反発をひきおこし、三月二〇日のアメリカ議会では、二二二対二一〇の差でレーガンのコ
ントラ援助提案が否決された。「マルクス・レーニン主義のサンディニスタ」政権には反対す
る者でも、アメリカは「西欧圏が共産主義によって汚染されるのを全力でくいとめなければな
らない」とするレーガンの反共姿勢にはついていけないという気持ちを抱いている。人は、反
共・反米の政策が、いずれも軍事的緊張に名を借りた戦争ゲーム経済であることを見抜いてい
るのだ。
レーガンにしても、今日の時代がイデオロギーや信条の時代ではないことを十分承知して
いる。にもかかわらず、彼が「反共」イデオロギーをふりかざし、「自由主義世界の正義」を
唱えるのは、そういうやり方での危険なバクチ経済が効率的には極めて高いものであることを
知っているからである。その意味ではレーガン
は非情な政治家だ。中南米をふたたび戦火でつつみ、その人民を犠牲にしても、資本が急速に
回転し、大きな利潤を生めばかまうことはないと考えているからである。
明らかにレーガンは、ある程度コントロールのきく範囲内で局地戦争が持続しており、アメ
リカ軍の駐留と親米政権への軍事援助という形での準戦争経済が最も健全な資本主義経済のあ
り方だと考えている。こうした戦争ゲーム経済がベトナムや中南米の人民を犠牲にしただけで
なく、出兵したアメリカ人の若い命を犠牲にしたことはまだ記憶に新しいが、レーガンはまる
でそんなことは意に介さないかのようである。
三月二三日付の『ニューヨーク・タイムズ』紙の第四セクションの冒頭には、タンクと機関
銃を満載して飛び立とうとしているレーガンの飛行機を、八人ほどの男たちが車輸に歯止めを
入れておさえこんでいるイラストが載っている。
このところ、商業映画のなかにも、たとえば『アンダー・ファイア』一ロジャー・スポッティ
スウッド監督一のように、サンディニスタ政権の成立過程を忠実に描き、アメリカのニカラグ
ア政策を正当に批判する映画が現れてきている。いまニューヨークで評判になっている映画で
は、ジェイムズ・ウッズ、ジョン・サベージ、ジム・ベルーシらが出演し、レーガン政権が成
立した八○年代初めの時代のエル・サルバドルを実話に基づいて描いた『サルバドル』一オリ
バー・ストーン監督一がある。親米政権による大量殺教、身の安全が保障されているはずの人権
擁護委員会の女性活動家たちまでが秘密警察の手で強姦され、埋められてしまうといった残酷
なシーンが多いので、途中で席を立っ客もいるが、山から馬に乗って都市に下ってきたゲリラ
たちが一気に政府軍の一個中隊を倒し、占拠した建物に赤旗を立てるシーンでは場内からいっ
せいに拍手が上がった。グリニッジ・ヴィレッジの映画館でのことだ。スパニッシュの観客も
たしかに多かった。
ニカラグアは、フィリピンがマルコスによってその公共的な富を独占されたのと同様に、ソ
モサ政権の長期支配によって疲弊した。一九七九年七月にソモサ政権が倒されたときから、人
民のための国家の再建が始まるのだが、それを自力でやりとげることは難しかった。しかし、
サンディニスタ政権を承認したカーターが退陣し、レーガンが登場するにいたって、サンティ
ニスタヘのアメリカの援助はやがて停止される。一年後、ニカラグアが経済援助を受ける条約
をソ連と締結すると発表したことは、レーガンの思うっぼだった。以後隣国ホンジュラスとエ
ル・サルバドルのアメリカ軍基地が強化され、コントラヘの秘かな援助が増強される。
中南米が全部、「共産化」したっていいじゃないの。大国のくせしてケチなこといいなさん
な、レーガンさん。一86・3・23一





レーガンのリビア爆撃て得をするのは誰か?
レーガン政権によるリビア爆撃は、狂気の沙汰としか思えない蛮行である。たとえカダフィ
が、ベルリンのディスコテックやTWA機のテロを指揮していたということが事実だとしても、
情報機関による裏付け以外には何も公的な証拠がない段階で、まったく裁判的プロセスを経ず
に報復措置に出るというのは、テロリズムの無差別殺人を批判するレーガン自身が、それが国
家の名においてならば許されるということを認めたことになり、自分で自分の批判を否定した
ことになる。
もし、アメリカ政府が、レーガンの言うようにテロリズムを断罪しようとするのなら、かっ
てイスラエルが秘密警察を使って南米に潜むアイヒマンを探させ、逮捕して裁判にかけたよう
なせこいやり方も可能だったはずだ。少なくとも、あれほど短絡した処置を取る必要はないは
ずなのである。「一連のテロ」の裏付けを取れるくらいなら、犯人を逮捕するぐらい、CIA
にはそれほどむずかしいことではないということにはならないか?
しかし、こんな”正論〃をいくら吐いても、レーガン政権がなぜリビア爆撃を行なったかに
ついては、いささかも明らかにならないだろう。レーガンは、なるほどヒトラーに劣らず狂っ
ているが、いまのアメリカにはそして延命をはかろうとする世界資本主義にとっては
理想的な大統領なのである。システムに活を入れるために考えられる最も露骨な手段に対し、
普通ならば、最低限、大統領が反対し、そのために暗殺されることもあったのが、レーガンに
おいては、台本にあることならば何でも喜んでやってしまう役者よろしく、ブレーンや資本家
の望み通りのアクションが次々と出てくるのである。リビア爆撃は、一見、アメリ
カにとっては、本当はやりたくなかったことをあえて行なった正義のためには汚名も恐れ
ぬ英断であったかのようにみえるかもしれない。しかし、今回のリビア爆撃こそ、資本主
義システムと戦争との関係の初歩理論を、爆撃で殺されたリビア人の犠牲とアメリカ人の恥辱
とをひきかえに、実に平易な形でみせてくれる事件だった。
今回の愚行は、少なくとも、アメリカのこれまでの中東政策にいささかも反するものではな
い。リビア爆撃は、はからずも、中東でなぜ戦火が絶えないのか、あの美しい街ベイルートを
無残な廃塘の街にしてしまったのは究極的には話なのか、をあらわにした。
アメリカにとって、中東は、それが有力な石油資源を有しているかぎり、たえず不安定な状
態にあり、中東石油が高騰した方が都合がよい。中東情勢が安定し、決まった低価格の石油が
供給された日には、アメリカの帝国的位置は急速に後退してしまう。そうでなくても近年、ア
メリカ国内の石油資本は、アラブ・オイルの安値に圧迫されてきた。レーガンは、テキサスの
石油資本を強力なバックにして大統領に就任したことを忘れてはなるまい。レーガンの、まる
で歴史の針を三〇年逆戻りさせたかに見える姿勢は、アメリカが軍事と石油資源の経済に従っ
て政治を動かすとき、むしろ必然的なものなのである。
中東情勢が悪化して得をするのは、国内に豊富な石油と天然ガスを持っているソ連も同様で
あり、北海油田に投資しているイギリスも同じである。リビア空爆に対してイギリスが基地を
提供し、ソ連があまりパッとしないおざなりのアメリカ批判をしただけなのは、このことと密
接な関係がある。いま、わたしはまだニューヨークにおり、日本の新聞の裏読みも表読みもし
ていないのだが、中東の石油に多くを頼っている日本の政府は、アメリカのリビア爆撃に対し
てどのような態度をとったのだろうか?もし、例によってアメリカを気にした不明瞭な声明
しか発していないとすれば、日本政府には、中東石油への依存を、たとえばアラスカの石油の
導入などによって方向転換する意志が大ありと見てまちがいない。実際にうまくそうなるかは
別として、レーガンと中曽根とのあいだで当然話されたはずの”長期見通し〃として、そのよ
うな方向も論じられたのだとみなすことができる。
国外の政情不安を自国の政治的統合と経済的活性化に役立てようとするアメリカの方向が変
わらないかぎり、中東はむろんのこと、中南米の”政情不安〃は決しておさまることはない。
むしろ、アメリカという国はそういうやり方でのみ、自己存立できる国家体制なのかもしれな
い。レーガンはリビア爆撃の決断を、CIAをはじめとする情報組織の提言をそのまま受け入
れる形で行なった。レーガンほど情報組織と一体化した大統領はいない。その意味では、レー
ガンは国家の論理を情報の論理と一体化させた最初の大統領であるかもしれない。
リビア空爆の前日、四月二ニ日付の『ニューヨーク・タイムズ』紙日曜版の「ニューヨー
ク・タイムズ・マガジン』に、「もとCIA・エージェント」のエドウィン・P・ウィルソン
が実はカダフィのために働いていたという話が大きく掲載されていた。ピーター・マースによ
るこの長文エッセイ「セリング・アウト」を読むと、CIAは、一九六九年のカダフィの”無
血クーデター〃にも一枚かんでおり、レーガンが表向きは目のかたきにしている「国際テロリ
ズムのゴッドファーザー・カダフィ」は、必ずしもCIAの拒否すべきものではないというこ
とになる。
カダフィは、たしかに、政権獲得後、CIAの思惑とは別の方向に突き進んでいったわけだ
が、問題は、そうした一見予想外の矛盾すらも内包してしまうのがCIAの究極的な論理であ
る点だ。実際に「国際テロリズム」は、アメリカが第三世界支配とヨーロッパ外交で優位を占
め、ひいては世界資本主義を延命させるうえで、非常に有効な手段になっているのである。そ
して、それだからこそアメリカは、世界の各地で、「テロ」をあおるような露骨な政治・経済
活動をとりっづけているわけだ。一86・4・21一





電波はいかに環境を汚染するか?
郵政省は八六年六月五日に「不要電波問題懇談会」を近く発足させると発表した。これは、
発表によると、テレビゲーム機、パソコン、ワープロ、リモコン装置などから出る「不要電
波」が無線通信を妨害したり、産業用ロボットを異常作動させたりするケースが増加しており、
その対策が急務になっているためだという。
実際に、産業用ロボットやコンピューター・システムの誤動作は、それらの普及とともに増
えており、明らかに電子回路の誤動作によって産業用ロボットが暴走し、作業員を殺すという
事故も起きている。コンピューター・システムは高度化されればされるほど、その回路への干
渉はデリケートになり、非常に微弱な電磁波によっても影響を受けやすくなる。むろん、コン
トロール装置の中枢部分には種々のプロテクション装置があり、そう簡単にたとえばかた
わらでテレビゲームをやったぐらいでは誤動作を起こすわけではない。また、最近は、建
築様式にもさまざまな配慮がなされており、外部の電磁波や他の電子装置との干渉を防ぐ必要
のあるコンピューター・センターなどは、壁に厚いシールドをほどこした、窓の少ないビルの
なかに作られるのが常識だ。それにもかかわらず、高度なコントロール装置が、まったく予想外の原因で誤動作する
ことも確かであり、その安全管理は不可欠である。しかし、この「懇談会」の発足には極めて不十分なとこ
ろがある。それはまず、産業用ロボットなどを狂わす「不要電波」が、テレビゲーム機やパソコン等の市民的レベル
の電子機器であるかのようなにおわせ方をしている点に表われている。たしかに、これらの電子機器からは微弱電波
が出る。パソコンのそばに高感度の受信機を持っていけば、その信号を”盗聴”することも可能である。しかし、今日、
電磁波公害のより強力な要因とされているのは、放送、軍事通信、電話中継、レーダーなどの
アンテナから出るマイクロ波である。こうした電磁波の強さにくらべたら、パソコンから出る
電磁波の強さは比較にならない。「懇談会」は、その発足理由としてなぜこうしたマイクロ波
の問題を第一に挙げないのか?
次に、このような懇談会が発足する直接理由が電子システムの異常動作の増加であると断定
するのはいかにも日本国らしい。たしかに、産業用ロボットが暴走して作業員が死んだという
人命問題が会の発足の遠因にはなっているようだ。しかし、このことを国際的な観点から見た
とき、問題は電磁波そのものであり、解決されなければならないのは電子装置のみではなく、
電子装置と人体との関係そのものなのである。
コンピューターがおかしくなる以前に、人体がすでに異常をきたしているにもかかわらず、
メカが異常をきたしてから初めて対策に乗り出すというところがいかにもこの国らしいと思う
のだ。したがって、その対策は、ハード一郵政省一のレベルを出ることができないわけで、た
とえば環境庁や厚生省がこの問題に関与する徴候はまったくない。これでは、「懇談会」は、
郵政省の電波管理と電波の国家独占を強化することにしか役立たないだろう。
常識的に考えても、強力な電波が人体に無害であるはずはない。電波は波長が短くなれば光
に近づく。X線はガンを発生させることができるし、レーザー・ビームは細胞を破壊すること
ができる。それほど波長が短くはない電波でも、それを放射するアンテナからは無数の低・高
調波一スプリアス一が出、そのなかには危険なマイクロ波も含まれている。電波法には、こう
したスプリアスに対する規制があるが、それはあくまでも電波妨害を防ぐためのものであって、
人体への影響を真剣に考慮したものではまったくない。ちなみに、シアトルのワシントン大学
の研究グループの調査では、四八○マイクロW/。㎝(一マイクロは一〇〇万分の一)のマイクロ
波をネズミに二五カ万問照射すると、一〇〇匹のうちニハ匹が悪性腫瘍にかかるという。とこ
ろで、現在、NHK第一放送のような大きな放送局の送信出力は、一〇〇キロWにも及ぶ。し
たがって、何かのかげんでそこから非常に高い高調波が二〇〇〇分の一だけ漏れたとしても、
送信アンテナの近くにいる人は非常に危険な状況に陥るわけである。まして、KDDやNTT
の巨大な中継用パラボラ・アンテナのあいだをくぐるようなことは危険このうえない。
今日、「エレクトロニック・スモッグ」という言葉があるくらい、われわれの生活環境は無
数の電波でおおわれ、汚染されている。それは、第二次世界大戦後急速に悪化し、現在では、
太陽光線から生ずる電磁波の”自然な”電界強度の二億倍もの電磁波がわれわれの環境をとり
まいている。つまり、電波はすでに環境汚染の問題になっているのである。アメリカでは、一
九六八年に九人のメンバーから成る「電磁輻射波管理諮問委員会」一ERMAC一が作られ、E
RMACは一九七一年に、「環境の電磁波汚染規制案」と題するリポートを発表した。
それによると、「近い将来、何十年かを先取りして、電磁波の生体学的な影響の根本的な理
解にもとづく適切な監視と規制が制度化されないならば、今日の化学汚染に匹敵するエネル
ギー環境汚染の時代が訪れるだろう」という。それを避けるためには、「生体システムに対す
る電磁放射線の長期にわたる微弱な水準の影響の調査」がなされなければならない。そしてE
RMACのリポートは、次のように警告する。「長期にわたる微弱な被ばくの生体学的な影響
を軽くみたり、誤解するならば、その結果は、公衆衛生上の、とりわけ遺伝子への影響にから
むゆゆしい問題になるだろう」と。
「不要電波問題懇談会」は、本当は、「不要」な電波だけでなく、「必要」なものとして日々用
いられている強力な電波の再検討をこそ行なうべきなのではないか?
電磁波汚染に関する日本政府の対応は、国際的にみて、非常に遅れていると言わざるをえな
い。(86・6・10)





自民党が選挙に圧勝しな左で何が変わるのか?
今回の衆参同日選挙で自民党が「圧勝」したことは何を意味するのだろうか?基本的に何
が変わったのか、そしてこれから何が変わるのか?
細かな分析や予想は政治経済の学者たちがせっせとやっている。が、重要なのは基本的な動
向だ。これをっかまないとどうしようもない。細かな分析も、みな何らかの動向認識に立脚し
ているのだから。
「国民が安定を望んだので自民党が圧勝した」という説明は、一見もっともらしい。しかし、
選挙も、アンケート調査と同様に投票者の全体的な欲求を直接表わすものではない。組織票の
場合には、個々の投票者の意志よりも組織の”意志〃が優先される。浮動票はギャンブルに近
い。「ほかに適当な人がいないから」という理由で、票を投じる投票者もいる。それは、目立
つ候補者にとっては強みである。その点では多くの場合、自民党の方が他党よりも有利である。
そのPR作戦にもスカウト作戦にも金がかかっているし、手がかかっている。
だから、選挙の結果に関して「国民の意志」などを云々するのはやめた方がよい。国政や国
の動向は、多くの場合、国民一人一人の意志を裏切るものだ。議会制度がそうした自動過程に
なったのは昨日や今日のことではない。が、そうだとしたら選挙の結果に何を読み取ればよい
のか?
われわれが好むと好まざるとにかかわらず、この何年間かのあいだに一つの動向となってき
たものこれしかないだろう。これは、しばしば「構造」と呼ばれる。
構造論的に考えれば、自民党の勝利と社会党の敗北とは、同じ現象の異なる現われ方にすぎ
ない。社会党敗北の原因は、一つには、組織票の減少である。
組合の組織力は弱くなっている。自民党は、組合の解体に影響力のある「規制緩和」の政策を
積極的に推進してきた。電電公社の「民営化」もその一つである。ということは、一面では、
自民党が社会党の支持基盤をっきくずすことに成功したというふうにもとれるが、「規制緩和」
は、自民党の組織自身を解体する力をも持っている。「規制緩和」を有力な政策にするために
は、自己の組織をある種のリスクにさらす覚悟がなければならない。
「危機管理」という言葉は中曽根内閣とともに浮上してきたが、この言葉は、戦争、暴動、
災害などの非常時を想定した管理という意味よりも、もっと文字通りに受け取った方がよい。
つまり、危機を必要なモーメントとする管理が「危機管理」であり、従来ならば政策にとって
不都合なもの、失敗の結果と思われるような要素を積極的に取り入れていく管理である。「規
制緩和」とは、まさにそうした意味での「危機管理」であり、ときには自己の内部に人工的な
軋櫟を起こすことも辞さないような政策なのである。
自民党が、「規制緩和」を単に経済システムの活性化のためだけでなく、自分白身にも適用
していることは、六月二日の解散前にマス・メディアでよくとりあげられた、ニューリーダー
たちと中曽根との「軋櫟」をみでもわかる。この「軋櫟」は、ある点では演出であるが、それ
は、必ずしもただの芝居ではない。場合によっては意外な結果を生ずるかもしれない危険な要
素を意識的に導入しもするこれが「規制緩和」の「危機管理」たるゆえんだ。
こうした動向は、自民党が、「圧勝」したことによってより一層強まることになるだろう。
さもないと、システムは逆に硬直化してしまうからである。もともと自民党は、派閥をその活
力源としてきたが、今後は、従来の派閥だけでは不十分である。「圧勝」は、それ自体として
も自民党の一枚岩的な独裁支配を意味しないばかりか、現実問題としてそれができないのであ
る。だから、自民党の「独裁」は、むしろ派閥抗争を激化させるのである。
しかし、こうした内部からの人工的な軋櫟がシステム全体に及ぶことは、自民党にとって許
容できることではないので、人工的な軋櫟政策を推進する政府は、その軋櫟が本当の危機
つまりは体制そのものの解体・変化を生まないためのさまざまな措置をとることになる。
目立つところでは「緩和」がなされ、人の目につかないレベルで反動的なやり方が行使される
だろう。
これは、ある点で野党の選択をうながすことにもなる。つまり、この人工的軋櫟ゲームに加
わるか、それともその人工性を追いつめて有機的な軋櫟にまで追い込むかという選択である。
もし野党が、システムの弾圧にさらされている人々の目立たぬ闘いや、システムからの自律を
求める人々の地味な活動を支援し、それらと連帯することができるならば、後者の可能性が開
かれるだろう。
しかし、現実には、野党は、自民党の補完物になりつつある。その結果、今後は、さまざま
な反対・変革の闘争や活動がいま以上に社会やマス・メディアの表層部分から見えなくなるだ
ろう。見えるのは、一つの主流と、結局はなれあいの「反主流」とが作り出す動きであり、こ
の傾向が社会の、システム全体の基本動向となっていく。そのため、われわれの知覚や思考自
体も、目に取りつけられたブラウン管の映像のように、たかだかまばたきするときだけ視像や
概念と肉体との不可避的な関係を感じさせるにすぎないようなものとなる。
マイナーなものは存在しつづけるが、社会やマス・メディアの表面からは姿を消すだろう。
それに代わって、いつでも操作可能な人工的に「マイナー」なものが無数に現われる。メディ
ア自身も、一見それぞれバラバラの小さな単位であるかのようで、実はネットワーク型の帝国
をなしているものだけが姿を現わし、それ自体で自律しようとする小単位のメディアは一層苦
しくなるだろう。自民党の「圧勝」は、単に政治レベルだけの問題ではないのである。
一86・8・9一





政府はなぜ海外からの教科書批判を受け入れたのか?
中曽根首相の靖国神社への「公式参拝」の見送り、皇太子夫妻の訪韓延期といった最近の二
ユースを見ると、政治はハッタリの戦略とでも一一言うべき新しい管理方法をあみ出したようにみ
える。これは、反対派の気勢をそぐには実に効果的なやり方であり、あわせて、これらのプラ
ンに誰が反対しているかを識別することができるのであり、それに、何度も予定の変更をくり
かえしていれば、反対派に油断が出てくる。その頃合を見はからって一挙に予定を実行してし
まう。こんなやり方が可能なのだ。アブナイ、アブナイ。
似たようなやり方でもっと感心させられたのは、高校の日本史教科書の検定をめぐって行な
われた文部省と「日本を守る国民会議」とのあいだのやりとりだ。これをみると、文部省と
「国民会議」はあたかも対立関係にあり、文部省は相対的に「良識ある」立場を取っているか
にみえるが、むろん両者はグルなのだ。
文部省は「国民会議」が編集した教科書に対して四二〇カ所の修正を要求したが、憲法の改
正をはっきりと掲げ、いまどき(世界を無視して)国(だけ)を守ろうなどと言っている「国民
会議」が編集した教科書なのだから、もし政府がそれをそのまま認めるようなことがあれば、
世も末である。中曽根政権はまだそこまでは行っていない。
うまいと思うのは、文部省が”相対効果〃というものを実によく心得ていることだ。かつて、
文部省が家永三郎の日本史教科書を検定不合格としたとき、文部省は名実ともに反動的な立場
に立った。それはまさに、権力の顔を露骨に現した。しかし今回は、四二〇カ所を修正させて
もモトを取れるような”安全”な相手をあらかじめ選んであるのだ。そのうえ、文部省は、修
正指示を与えることによって一見”リベラル”なイメージを与えることもできる。こんなうま
い話はないだろう。
おもしろいことに、教科書問題の場合にも首相の靖国公式参拝見送りの場合にも、政府は中
国や韓国などの政府やマス・メディアの反応を
たくみに利用した。政府は一体いつから近隣のアジア諸国の日本批判にこれほど敏感かつ誠実
になったのかと言いたいところだが、むろん両者のあいだには暗黙の了解が働いている。
わたしは、靖国公式参拝を批判した中国や「国民会議」教科書を批判した韓国と日本政府と
がグルだと言うつもりはない。それらはいずれも当然すぎる批判であり、中国や韓国のマス.
メディアが行なう以前に、なぜ日本のマス・メディアが強い批判に動かないのかを不思議に思
う。とはいえ、中国や韓国の日本批判の使われ方を見た場合、日本政府は明らかに批判の”外
注〃をやっていると言わざるをえない。つまり、日本のメディアに暗黙の圧力をかけ、批判が
出ないようにしておいたうえで、批判はもっぱら”外注〃にまかせるのである。
これは、島国文化を引きずる日本では、ある意味で不可避的な手段かもしれない。日本では、
何かを批判する場合、”自社製作〃よりも”外注〃の方が効果的だという伝統がある。「アメリ
カでは」とか「ヨーロッパでは」という言い方がまだ相当の批判力を持つ。ということは、日
本をまともに批判し、方針を変えさせるためには、海外の”批判〃を組織することが得策だと
いうことにもなる。実際、ヨーロッパから出たとかいう例の日本家屋1ーウサギ小屋説は、都市
開発という内需拡大を促進するために大いに利用された。
ただし、今回の教科書検定問題を注意深くながめると、日本の保守・反動路線のなかでも二
つの方向が「対立」していることがわかる。文部省が修正指示を出し、「国民会議」が一度は
出版を「断念」するという田舎芝居をやったのち、修正指示を受けいれた「国民会議」は「問
題になった修正は近・現代史に限られている。この教科書の本来の性格は古代から近世にかけ
てあり、そこは大きな変更を受けていない」(黛敏郎運営委員長1=七月八日付『読売新聞』一という
談話を発表した。しかし、「国民会議」が最初から改憲とりわけ天皇の元首化を強く
打ち出している団体であることを考えると、黛の発言は矛盾している。というのも、天皇が元
首であるか否かの問題は、古代や中世よりも近世(明治)との関係で論じるべき問題だからで
ある。
天皇制に関して中曽根政権が打ち出しはじめている路線は、いまの天皇制に依然つきまとっ
ている明治・大正的な元首天皇制の側面を極力見えないようにして、天皇の「お人柄」とか天
皇家の文化的伝統とかをアピールさせる一梅原猛が聖徳太子をもちあげるのを見よ一という方向で
ある。むろん、今日の天皇制は象徴天皇制なのだから、元首天皇制などを復活できる道理はな
いのだが、まえにも指摘したように、現憲法自体にっきまとうあいまいさ一たとえば、「象徴」
である存在がどうして生身の「人間」であることができるのか……等々一のために、天皇は、やり方
次第では「元首」の機能を発揮できる。現に天皇は、全斗燥やレーガンが来日した際にその
傾向を露骨に強めた。ということは、少ししたたかな立場に立てば、「国民会議」のいうよう
に改憲して「天皇の元首化」を明文化しなくても、いまのままで天皇を元首として用いること
ができるし、かえってその方が都合がいいということにもなる。それに、ますます多国籍化す
る日本の資本主義システムの現状では、天皇の元首化は日本の「国益」にも逆行してしまう。
こうした状況下で、あまりに国粋主義的だったわが天皇制国家も何らかの修正が強いられて
いるわけだが、日本の「国益」をにないながら海外で働く日本人、日本にアイデンティティを
持てない海外帰国子女、少しずつ増えているエスニック……が日本という国家に文化的にも帰
属することを促進させるようなニソポン・カルチャー明らかに日本政府は、このようなも
ののモデルとして天皇を押し出していこうとしている。しかし、何かというと天皇しか出せな
いという伝統自体が、応仁の乱以後何も変わっていないというのはなさけない。
一86・8・13一





罷免された文相はどんな役割を演じたのか?
中曽根内閣というのは実にサービス精神にあふれた内閣だ。それは、ドタバタから時代劇に
いたる幅広いジャンルの田舎芝居を、マス・メディアを総動員して見せてくれる。
それにしても、藤尾正行文相罷免劇は、その役者といい、その演出といい、実に見事な”新
国劇〃だった。その内容の明快さと絵にかいたようなヴィヴイッドなキャラクターは、講談の
伝統を正しく引き継いでいる。
しかし、この”新国劇〃を少し注意してながめてみると、これまでの芝居とは若干趣を異に
していることがわかる。その作劇法の変化は何を意味しているのか?
政治とは芝居であり、自民党はこれまで田舎芝居を得意としてきた。それは、勧善懲悪を基
調としたもので、その近年の大作は、田中角栄主演の『‘ロッキード事件』であった。
スタッフやキャストの規模からいって『藤尾罷免劇』は『ロッキード事件』にはとてもおよ
ばないが、芝居の質からすると、前者は後者よりも一歩前進している。まず、藤尾は、伝統的
な勧善懲悪劇の”悪者〃を代表しているわけではない。彼はタカ派を演じたのであり、その主
張の違いによって中曽根に罷免されたという型をとっているのである。ここでは勧善懲悪に代
わってイデオロギー闘争が主題になっているのであり、これは、田舎芝居としては注目すべき前
進である。
藤尾は、辞任をすすめた中曽根に対して、「わたしをどうか打ち首、罷免していただきとう
存じまする」と言い、体裁上は時代劇の結構のなかを動くのだ
が、藤尾は、そうすることによって時代劇の家臣のように主君を諌めようとしているわけでは
まったくない。おれは自説を曲げる気はまったくないのだから、辞表など出せるはずがないで
はないかと、極めて論理的なことを言っているのである。こうした論理的明快さは、これまで
の自民党プロデュース劇にはほとんど見られないものだった。
こうした点を少し過大に評価するならば、自民党は、田舎芝居から新劇に  つまりは都市
型の演劇に 一歩近づいたと言うこともできる。これは、明らかに、政治装置が洗練された
ことを意味し、そういう政治装置を必要とする政治環境が生まれつつあるということにほかな
らない。
『藤尾罷免劇』ではっきりと現われた形式は、芝居がもはや一つの閉ざされた場の内部のコ
ンフリクトとしては構成されないということである。自民党内部の派閥抗争や国内のハト派と
タカ派の対立から劇を構築するのではなく、国際関係から劇的緊張を生み出すことこれが、
中曽根劇団の新しい路線になっているように見える。
それゆえ、従来ならば政府と国内企業の対立劇として演じられたものも、たとえば日米貿易
摩擦のような国際芝居の形式をとる。考えてみれば、こうした形式はすでに『ロッキード事
件』で方向づけられていた。ただし、あのときはロッキード社とニクソンといったこの事件の
国際的な側面は、結局のところ、単なる舞台装置でしかなく、劇の核心は国内問題として展開
された。
逆に言えば、このことは、何らかの国内問題を”劇〃に仕立て上げようとする場合、今日で
は、それに最も効果的な国際環境を作り出す必要があるということだ。つまり、外交が内政の
一機能を担うのであり、内部を変えるためにはまず外部を仕掛けるわけである。
その際、日米貿易摩擦劇にとっては「アクレッシヴな日本企業」が、そして今回の『藤尾罷
免劇』ではタカ派の藤尾正行が”悪役〃を演じ、劇的緊張を高める。劇は、当然”悪役〃の敗
北で終わることになるが、その過程で必ず何かが正当化される。
『藤尾罷免劇』では、藤尾ががんばってくれたおかげで、韓国が日本に貸しを作るというプ
ロットを構築することができた。ここから今後何が出てくるかがこの劇の最終的効果というこ
とになるだろう。思うに、中曽根は、指紋押捺制度の改善をこの劇のエピローグにもってきた
いのではないか?この制度は、コンピューターによる管理が進んだ現在では、むしろ管理上
の樫桔になっているのだが、その権威主義的な効果を依然信じている国内の頑迷な勢力を黙ら
せるためには若干手のこんだ国際劇を必要とするのである。
おもしろいことに、外交が内政の一形態となるような時代には、タカ派やナショナリストが
国際的な文脈のなかで相対化され、道化として重要な役割を演じる。その意味では、藤尾正行
は名演技を披露したわけで、彼は、文相に就任したときからそうした道化役を演じることが期
待されていた。彼は敗北したわけではなく、また、前外相安倍晋太郎の派閥に属する者として
好ましくない言動に走ったわけでもない。安倍の国際感覚と藤尾の国粋感覚をあわせもつ安倍
派は、中曽根内閣においては最も先端を行く派閥なのである。
こうした分裂症的な政治は中曽根自身のものでもあり、彼は別に、藤尾に優るとも劣らない
かつてのタカ派体質を捨てたわけではなく、それをたくみに国際的な文脈のなかで相対化して
いるのである。
しかし、この国際化は、主としてアメリカと韓国にまたがる国際化にすぎず、それによって
国粋的なものが相対化されたといっても、それは、本当の意味で国際的なもののなかに解消さ
れたわけではなく、むしろカムフラージュされたにすぎないのである。一86・9・15一





中曽根「人種差別発言」がアメリ力から入ったのはなぜか?
「藤尾発言」事件が一段落したと思ったら、中曽根首相の「人種差別発言」事件が起きた。
こうした事件を見ると、政治が国内政治も国際政治も、ともに情報政治になってきたことがわ
かる。
むろん、情報はこれまでも政治の最も重要な要素であり、情報操作の伴わない政治は存在し
なかった。それは、中国の史書をみると、春秋時代においてすでにそうだったのである。
しかし、これまでの情報操作においては、人問や物の条件がまだ強く作用しており、情報が
活字や電波に乗って一人歩きする際に生ずる効果を利用する、という側面は弱かった。
ところが、最近はそうした側面を最大限利用する政治が前面に出てきた。これは、最初は誰
かが仕掛けても、まったくの偶然でもよく、とにかくある情報がメディアに乗った段階でそれ
をある方向に操作するのである。
こうした状況下では、政治力や権力は金力や物力よりも、情報力や情報の操作力で測られる
ようになる。藤尾正行文相のハレンチな発言がマス・メディアに流れたとしても、もし彼に情
報力があれば、それをどのようにでも収拾できたはずである。その点で、彼は敗れるべくして
敗れたのであり、逆に中曽根首相は依然として権力の中枢にいることを示した。
「人種差別発言」は、明らかに意図的に流された。それが誰の、いかなる魂胆で流されたが
は、いまのところ明確ではない。が、この情報が「藤尾発言」のときのようにまず日本のマ
ス・メディアを通じて流されたのではないことだけはたしかである。
事件は、九月二四日付の『ワシントン・ポスト』紙と『ニューヨーク・タイムズ』紙に中曽
根の問題発言が報道されたことから始まった。ところが、このニュースは、日本ではアメリカ
の反響が高まってから報道されたのである。
日本の新聞は、九月二三日付の朝刊で「自民党全国研修会」のことを報じ、中曽根の講演内
容を紹介しているが、彼の「人種差別発言」をほとんど問題にはしていない。だから、もしア
メリカであのような反響が起こらなかったら、その講演に「アメリカは日本より知的レベルが
低い」という趣旨の「人種差別発言」が含まれていたことは、ほとんど知られないままになっ
ただろう。
それに、九月二三日は、「新聞休刊日」となり、三大紙は二三日の夕刊と二四日の朝刊を発
行しなかった。したがって、われわれがアメリカでの騒ぎを知ったのは、二四日の午後になっ
てからだった。
ちなみに『ワシントン.ポスト』紙と『ニューヨーク・タイムズ』紙の本社がある東部地方
の時間は、日本時間よりも二二時間遅れている。そして、これらの新聞は、通常、前日の午後
九時ごろ一現地時間一に発行される。とすれば、両紙は、ほとんど白紙の情報環境にショッキ
ングなニュースを流すことを”画策〃するに十分な時間がもてるのである。
『ワシントン.ポスト』紙も『ニューヨーク・タイムズ』紙も、ニュース源を日本の新聞と
しているが、そのはりきり方をみると、とても間接情報に見えない。
とすれば、「人種差別発言」の情報は、日本の記者クラブとマス・メディアを経由してでは
なくて、両紙の特派員ーアメリカ・メディアという直接チャンネルを通じて流されたのではな
いか。
この場合、特派員やアメリカ・メディアが純粋な中曽根批判の意図でこの情報を流したのか、
それとも、日本ないしはアメリカの有力者の入れ知恵やプロモーションでなされたのかは不明
である。アメリカでの反響が高まると、ただちに河本派や田中派の首脳から中曽根批判が出た
ことは何かを暗示しないでもないが、これが「藤尾罷免」への報復であったとか、物だけでな
く労働力一移民労働者や出稼ぎ労働者一の輸入にも消極的である日本政府への牽制であったとい
うのはあくまでも憶測の域を出ない。
しかし、もっと重要なことは、この事件によって、情報政治の幅が「藤尾発言」のときより
も一層広くなったことである。「藤尾発言」のときに利用されたのは、まだ韓国と中国の情報
チャンネルであったが、今回はそれがアメリカにまで広げられた。これからは、日本の政治を
動かす場合、アメリカのマス・メディアにどのような情報をいかにリークすれば効果的である
かが、かなりの程度はっきりしたはずである。この事件自体が、たとえば指紋押捺や出入国管
理法等、これまでのすでに現体制にとって不都合になっている人種差別政策を緩和す
るために利用可能である。
政治が情報政治となるにつれて、情報の管理はますます強まってゆく。少なくとも、今後の
「自民党全国研修会」は、そこでの情報がこれまでのように簡単には外部に流れない方法をと
るようになるだろう。これは、単に研究会のレベルにはとどまらず、政治組織全体に波及する
だろう。
そもそも、八五年、「国家秘密法案」が国会に上程されたとき、その推進者たちは、政治の
情報化という動向をはっきりとっかんでいたと思われる。それゆえ、「人種差別発言」事件は、
「国家秘密法案」の再上程と制定を促進することになるかもしれない。
また、情報政治の光進は、情報のリークを抑える法律の制定を促進するとともに、国内の個
人から組織にいたるあらゆる情報を収集し、監視する機関を発足させることになるかもしれな
い。いや、それはすでに発足しているように見える。むしろ、そのような機関が活動を開始し
ているからこそ、その「国家秘密」を守るための法的歯止めが必要になったのかもしれない。
ジェイムズ・パムフオードの『パズル・パレスー超スパイ機関NSAの全貌』一早川書房一
が記しているように、「一日に四〇トンの機密文書を処理する」と言われる「国家安全保障局」
(NSA)が一九五二年に作られたとき、そのことを知っていたのは大統領と一握りの政府高官
たちだけだった。そしてこの機関は、今日でも、この機関についての情報を発表することを禁
ずる法律によって守られている。
極東ではなく、むしろ極光である日本が、この轍を踏まないはずがないだろう。
一86・11・13一





なぜ「戦後の総決算」はうまくいかないのか?
中曽根政権による「戦後政治の総決算」は、高度経済成長を通じて顕在化した「戦後」体制
の制約と矛盾を修正・解決することを目指しながらも、その実、この体制自身には解決不可能
な諸問題があることをさらけ出す結果になっているのは皮肉である。
行政、税制、教育の「三大改革」は、情報資本主義化を目指す体制が是非とも「決済」しな
ければならない問題であるにもかかわらず、結果は、教科書、靖国、「人種差別」といった問
題で露呈したように、「外圧の助け」を借りても藪から蛇をつつき出しただけで、す
べてはうやむやのままとどまっている。
そのやり方を見ていると、中曽根は、「戦後政治の総決算」などといった大見栄を切りなが
ら、その実、もし「総決算」をしたとしたらどのような事態が生ずるかを、テストしているだ
けにすぎないような感じさえする。通信、金融、運輸の「自由化」はある程度促進するが、政
治文化の方は最小限度の修正で済ませようというのが中曽根の本音かもしれない。
しかし、「総決算」の問題は、決して整理好きな中曽根の個人的趣味の問題ではなく、戦後
の体制そのものがたどった変化に向かう体制の”無意識的欲求〃である。
したがって、「戦後政治の総決算」の問題は、当面は開いた蓋を閉めるようなやり方でうや
むやにできるとしても、ゆくゆくは本気でその「決済」をしなければならないだろう。すでに、
現在進行しつつある産業構造の変化と密接に関わるたとえば情報の1分野では、問題が
抜本的な解決を得られぬために、その掛声とは逆行するような政治が露出しつつある。
「国家秘密法」一「防衛秘密法」一がそのよい例である。流通においても生産においても、情報の
多様化を推進しなければならないのが情報資本主義だが、それは依然として資本主義であるか
ぎり、情報の稀少性を維持しなければならない。一方、情報資本主義は、必ずしも独占資本主
義である必要はなく、自由市場を開くこともできるわけだが、現状は依然としてアメリカの独
占下で動いている。このことは、アメリカの力が弱まったといわれる今日でも変わりがなく、
少なくとも日本の政治と経済が依然として「アメリカ帝国」に属していることは明らかである。
ここから、情報に対する一見オープンなポリシーと極度に閉鎖的なポリシーとが同時に現われ
ることになる。
日米経済は、その民間経済の部分だけを見ると、たがいに独立した競争関係にあるように見
えながら、その実質領域では一体である。それが歴然としているのは軍事協力であるが、エレ
クトロニックス製品のようにどこまでが「民生用」でどこまでが「軍需用」であるのかを区別
しがたい部分が大きくなっている現状では、軍事経済の規模は、たとえば『防衛白書』などが
示している数字(自衛隊の装備品等調達の一般輸入額は一九八四年度で国内調達額の一〇%以下であ
る)をはるかに上回るだろう。その正確な数字は、まさに「国家秘密法自民党修正案」の言う
ところの「防衛秘密」に属する。
経済的独占にとって秘密は重要な要素をなす。その度合をコントロールすることによって稀
少性を生み出すことができるからである。軍事が独占経済の要になっているのはこのためであ
り、秘密を持たない軍事というものはいまのところ存在しない。その点で、テクノロジーの先
端度と秘密の稀少度とを最高度にあわせもつSDIがアメリカの独占経済のなかで浮上してき
たのは必然的なことだった。
「国家秘密法」は、その原案が八五年の臨時国会で一旦廃案になったあと、八六年五月に修正
案が出され、その後七月の選挙で「大勝」した自民党はその国会再提出をくり返し表明してい
る。八七年三月現在、その動きは止まっているように見えるが、それは、八六年七月ごろから
活性化しはじめた市民/ジャーナリスト・レベルの反対運動のためではなさそうである。権力
は必要とあれば、どんな反対運動も押し切って目的をとげる。六〇年安保のような反対運動の
高まりも、結局暴力で押し切られた。とすれば、「国家秘密法」の国会再提出の「遅れ」は、
その必要性にまだ余裕があるためだと考えられる。いずれ、「国家秘密」が漏洩するような
「事件」がでっちあげ一?一られ、同法の成立が正当化されるかもしれない。
SDIに日本が深くコミットするならば、そのためには「国家秘密法」が必要である。少な
くとも支配の論理としてはそうなる。しかし、SDIのプロジェクトにはまだ不明な部分が少
なくない。レーガン以後の政権がそれをどのように継承するか確信が持てないと言う者もいる。
八六年四月、日本の主としてエレクトロニックス企業全二一社からなるSDI調査団が、防衛
庁の肝いりで訪米した。ちなみにその二一社とは、石川島播磨重工業、NTTエレクトロニク
ス・テクノロジー、沖電気工業、川崎重工業、神戸製鋼所、住友重機械工業、住友電気工業、
ソニー、ダイキン工業、東芝、東レ、日産自動車、日本航空電子工業、日本製鋼所、日本電気、
日立製作所、富士重工業、富士通、三井造船、三菱重工業、三菱電機である。その結果は明ら
かではないが、日本の先端技術でアメリカ側が欲しがっているものは少なくないから、SDI
が日本の先端技術産業にとって魅力的な受注を増大させるだろうという感触だけは十分に得た
ようである。
しかし、問題は、「国家秘密法」がSDIの「防衛秘密」の保護だけをねらいにしているわ
けではないということである。SDIがレーガンによって提唱されたのは八三年であるが、今
日の「国家秘密法」が表面化するのは、八○年一月の「自衛隊スパイ事件」を契機に、同年四.
月、自民党が「防衛秘密に関するスパイ防止に関する法律案」を提出して以来である。「国家
秘密法」の骨子は、それ以前の、たとえば一九六一年の「改正刑法準備草案」にも大方含まれ
ている。そしてその流れをたどって行けば、戦前・戦中の「国防保安法」「軍機保護法」「軍用
資源秘密保護法」等々にまでさかのぼることができるだろう。ここから、この法案の推進者た
ちの主張一だとえば森清・自民党議員は「新聞記者や一般国民が問題の『国家秘密』に接することはあ
りえないので、この法律とは関係ない」と言う一にもかかわらず、この法案が成立した際には、そ
れが市民的自由をますます狭める大きな危険を持つことが予想されるわけである。
日本がSDIに参加しなくても、「防衛秘密」はすでに存在する。政府は八七年二月三日、
日米相互防衛援助協定等に伴う秘密保護法にもとづく「防衛秘密」の件数が八六年末で五七九
三件あると発表した。ということはつまり、すでに「秘密」を管理する部署が存在するという
ことであり、「一般国民」のあずかり知らぬ「秘密」が日夜処理されているということである。
八六年五月二二日、国会で「安全保障会議設置法」が成立し、それに伴い、七月には同会議
が発足し、その事務機関である「内閣安全保障室」が内閣官房に設置された。これは、「経済、
外交等の諸施策のうち、安全保障の視点から、総合性及び整合性を確保する上で、関係行政機
関において調整を要するもの」を取りあつかう機関であり、アメリカのNSA一国家安全保障
周一とCIAを統合したような機関であると見てよい。
この「内閣安全保障室」が存分に活動するためには、その活動を正当に隠匿できる「国家秘
密法」の制定が必要になるわけだが、すでにこのような機関が設置された以上、「国家秘密法」
成立後に予測される広範囲の個人を対象にした情報収集や秘密工作がすでに始まっているはず
なのである。
ところで、情報資本主義とは、物の流れよりも、情報(投資のための通貨もその一っ)の流れ
が資本の利潤や効率を決定するような資本主義であり、そこでは、国境を自由に操作可能な
「差益」の基準としかみなさぬ「通貨帝国」が、多国籍的な「通商帝国」をすら脅かすという
事態が起こる。それはすでに、「ドル安・円高」現象にもはっきりと現われているわけである。
これを、資本主義の「末期現象」と見ることもできるし、また、資本主義の「完成状態」と
見ることもできる。いずれにしても、資本主義システムはここにいたって、あの大恐慌のとき
のように一度全部を御破算にしてしまうか、それとも現在の”曲芸〃を演じ続けるかの選択を
迫られることになる。
通商っまり物の流れをなくしてしまうわけにはいかない以上、こうした状況に直面
した国々は、情報資本主義的な”曲芸”をしやすいような身軽さを追求している。「規制緩和」
もその一つだが、これまで強制することだけしか能のなかった日本の国家が、今後どこまで身
軽になれるかは、極めて疑わしい。しかし、身軽になることができなければ、その先には”墜
落〃が待ちうけているのである。一87・3・4一










メディア・トレンド





ニューメディア状況と天皇制
歴史にとって重要なのは動向であり、無数の出来事を横断しながら入り組みあい、状況を構
成している何本もの”線”を発見することである。それらの”線”は、文化状況の”意味”で
あり、次の年にも引き継がれてその状況を新たに規定する要因となる。
一九八○年代の新しい動向は、一九八四年になってその”線”を明確に示すようになった。
では、一九八四年に起こった出来事のうち、こうした基本的な”線”を見いだすために欠かす
ことのできない出来事は何であろうか?放送衛星ゆり2号aの打上げ一一月二一二日一、「疑惑
の銃弾」事件、グリコ・森永事件、国籍法改正一五月一八日一、全斗燥大統領来日一九月六日一、
INSの実験開始一九月二八日一、新札の発行一二月一日一、世田谷電話局のケーブル火災一一
一月一六日一、電電改革関連三法成立一一二月二〇日一は最低限欠かすことができない。
ゆり2号aから延びているのは「ニュiメディア」という線である。「ニューメディア」は、
数年前まではまだ「ニュー・メディア」と表記されることが多かったが、八四年には確実に日
本語の文脈のなかに定着した。しかし、この語の流行と氾濫にもかかわらず、実際のニューメ
ディア装置はまだ普及してはおらず、このゆり2号aとINSによって、ようやく本格的なニ
ューメディア機器が一般に開放されたのである。その意味では、八四年は、まさに「ニューメ
ディア元年」であった。
ニューメディアの導入は、産業構造が変化し、重化学工業に代わって、サービスや情報に関
する産業が中心になることから必然的に生じたものだが、現在の「ニューメディア・ブーム」
は、まだニューメディアの機器や設備を生産し購入する段階にとどまっており、日本中に張り
めぐらされた光ファイバー・ケーブルによるINSネットワークや、地球的規模の情報回路を
作る衛星通信のネットワークにさまざまな情報やサービスが限りなく流されるという段階には
達していない。
現在の「ニューメディア・ブーム」は、まだ電子産業界のブームであって、その機器や設備
を利用する情報・サービス界のブームではない。その証拠に、一一月一六日に東京の世田谷電
話局で起きた地下通信ケーブルの火災事故では、その回線地域は一挙にニューメディアはむろ
んのこと、オールドメディアよりもはるか以前のメディア状況に逆もどりし、実際に、不通に
なった電話の代わりに江戸時代さながらの「飛脚」が登場したのだった。現在最も進んだニ
ューメディアは、光ファイバー・ケーブルや衛星を使ったディジタル通信だが、世田谷の事件
を見るまでもなく、まだ主要通信の大半はアナログ式にとどまっている。しかし、設備投資の
拡大につれて、当然、生まれざるをえない新しい情報環境への対応と動きも少しずつ始まって
いる。
「疑惑の銃弾」事件とグリコ・森永事件は、「情報環境の構造とその変化」という線を形成す
る。『週刊文春』一八四年一月二六日号)が引金となり、またたくまに日本中のマス・メディアに
三浦和義氏を登場させることになった「疑惑の銃弾」事件は、実際上、メディアのなかの事件
であり、現在のマス・メディアの情報環境がどのような構造を持っているかを”実験的〃に示
す役割を果たした。すなわち、マス・メディアは、もはや起こった事件を単に報道するのでは
なくて、事件を作り、それによって読者や視聴者を操ることができるのであり、それがどのよ
うな話題によって、どのような階層を中心として、誰が主人公となるときに、最も効果的であ
るかを、この事件は”実験”したといえる。
グリコ・森永事件には、まだ不可解な面があまりに多く、はたして最初に誘拐を行なった犯
人が、その後「かい人21面相」を名のり、そして九月に森永製菓に一億円を要求したのかどう
かは実のところよくわからない。それぞれが別の犯人グループによって行なわれたという可能
性もある。しかし、いずれにせよ、マス・メディアがみずから話題を作りマス・メディアを動
かした「疑惑の銃弾」事件とは異なったやり方で情報をマス・メディアに流し、日本の情報環
境を一つの情報で満たしてしまうことができるということが、この事件によって明らかになっ
た。これは、まさに、「疑惑の銃弾」事件とは逆の”実験”であり、マス・メディアの情報操
作に対する対抗操作の”実験”を行なったのと実質的に同じ意味を持つ。少なくとも、この事
件によって、前の事件とは別の側面から日本の情報環境を試すことが可能になったわけであり、
情報環境を今後全面的に変える際には、二つの事件がともに貴重なデータを提供するはずだ。
「疑惑の銃弾」事件は、また、狭義の情報環境の現状だけではなく、日本の現在の階級構造を
も浮彫りにした。この事件は、マス・メディアが三浦氏に対する大衆の”やっかみ〃をあおる
ことによって大きくなった側面がある。その点で三浦氏は、十分すぎる資格を持っていた。ま
ず三浦氏は、三〇代後半という年齢からすると、明らかに成功した部類に属する。その職種は
海外を股にかける貴金属商であり、平均的な「中流サラリーマン」ではない。前妻の死亡後、
「若くて美しい」女性と再婚し、平均以上の生活をしている。しかも上流階級のように「血統」
や限りない資産によってではなく、三〇代の若さで自力でそのステイタスを築いた。つまり、
ある意味では「中流」の誰でもがチャンスと条件しだいではなれたかもしれないという点が三
浦氏の社会的人格を特徴づけており、それは、平均的な「中流階級」に甘んじている者たちの
”やっかみ”を受けるに十分な条件を備えていた。
渡辺和博とタラコプロダクションによる『金塊巻』が売れたのも、おそらく、「九〇%以上
が中流意識をもつ」という言い方であいまいにされていた中流階級のなかに、実は最低限㊧
一金持ち一と一貧乏一に分類できる階級差があったということが、「疑惑の銃弾」事件などを
通じて人々に再確認されたからである。
この階級差は、必ずしも経済的なものではなく、情報的・文化的な側面を多く含んでいる。
これは、明らかに高度経済成長のなかで形成されたものであり、基本消費材を所有し終わった
中流階級のなかで生じた階級分化である。中流階級の間では、七〇年代の終わりごろから、家
具を買い換えたり、家の内装を新しくしたりする者が増え、またニューヨークの中流階級の都
市生活をまねたライフスタイルがファッショナブルなものとして好まれる傾向が出てくるが、
ここでもそうした情報・文化志向型の中流一アッパー・ミドル一、つまりは金と、そうでないビ
とに分化する。
カフェ・バーと大衆酒場、ビストロ風レストランとファースト・フード式レストラン、デリ
カテッセン風のスーパーマーケットと市場の延長としてのスーパーマーケット、有名デザイ
ナーによるデサイナース・ブランドの衣服をならべたデパートとディスカウント商品専門のデ
パート、といった相違が明確になってきたのも、この傾向に対応している。
ニューメディアがねらっているのは「中流の上」のほうであり、そのソフトは、現在のマ
ス・メディアが流通させているような均質的な情報ではない。「疑惑の銃弾」事件やグリコ・
森永事件でマス・メディアを流れた情報は、オールドメディアのためのソフトであり、ニュー
メディアは、こうした事件を通じて明らかになったメディア機能とは別のものを求めなければ
意味をなさない。
二つの事件は、日本のマス・メディアがいかにバイパスのない均質的で中央集権的なメディ
アであるかを暴露させたが、それと並行して、少しずつ、その平板な回路を多重化する試みも
なされてはいる。さもなければ、設備だけがそろうだけで、本格的なニューメディア時代を到
来させることができなくなるからであり、いまのうちは、オールドメディアでニューメディア
の実験をしようというわけである。
アメリカのニュース専門有線テレビ局CNNの映像を衛星中継で日本に流す『CNNデイウ
オッチ』一テレビ朝日一の開始は、そうした試みの一つであり、これは、すでに少しまえから始
まっていた音楽セールスのためのプロモーション・ヴィデオの流行と同じ流れに属する。番組
自体が多様なうえに、チャンネル数も日本とはけた違いのアメリカに比べればまだ話にならな
いとしても、日本において深夜の時間帯の番組傾向は変化しつつある。また、ヴィデオ・コー
ダーの急速な普及は、これまでのテレビの見方を変えっつあり、放送局から流される番組だけ
が見られているわけでは、もはやない。
ただし問題は、現在、深夜の時間帯で放映されているプロモーション・ヴィデオも、市販さ
れ貸し出されているヴィデオも、大半はアメリカのものであり、ニューメディアとは、結局、
「アメリカ」であるという点だ。つまり、ニューメディアの目玉とされている多重チャンネル
の都市型CATVがまったく一般化していない段階で、すでにニューメディアのソフトとして
想定されているものがアメリカ産であり、その傾向はますます強くなるだろうということであ
る。しかも、日本のテレビをわずかに「多様化」しつつあるこの種の新ソフトは、アメリカで
は全米ネットの番組一だとえばCNNや音楽専門局のMTVは衛星中継で全米に流されている一から
とられたものであって、日本のニューメディアの将来は、それ自身の文化の多様化よりも、む
しろアメリカのナショナルな文化との接合度を高める方向へと無批判に歩んでいるといえる。
いずれにしても、ニューメディア・ブームは、.これまで以上にアメリカ文化への依存が強まる
ことをはっきりさせた。
このような条件付きとはいえ、メディアの多様化というよりもメディアのこれまでの極
度の均質化に対する修正処置は、テレビメディアにおいてだけではなく、印刷メディアで
も起こっており、それはテレビよりも先行していたと言える。すでに七〇年代から山口昌男や
栗本慎一郎が総合雑誌、週刊誌などの既存のマス・サーキュレーテッドのメディアに登場し新
風を送ったことも、その先行現象であった。一面では知識人や学者のタレント化にも通ずるこ
の現象は、八三年に始まった浅田彰ブームにいたって一つのピークに達した。つまり、山口や
栗本の時代には、既存のメディアが一つの「新風」ないしは異色の「タレント」として部分的
に導入したにすぎなかった要素が、八三年ごろからマス・メディアにおけるもう一つの潮流
一だとえば学術的なものや理屈っぽいものをも一つの娯楽にしてしまうような流れ一として根を張るよ
うになるのである。
そうした流れのなかで生まれた新しい「タレント」を思いきり活躍させるメディアは誕生し
なかったが、浅田彰、四方田犬彦、伊藤俊治を責任編集者とする『GS』、山口昌男、中村雄
二郎、武満徹、大岡信、磯崎新、大江健三郎を編集同人とする『へるめす』、それから「週刊
ゆらぎ本」(THE WEEKLY FLUCTUANT BOOK)という副題を持っ『週刊本』のシリーズ、
また音と活字をメディア・ミックスした『CASSETTE BOOK』等は、既存のテレビの時間帯
にプロモーション・ヴィデオの番組が増えた「多様化」よりははるかにマシな面を持っていた。
なぜならテレビの場合は、アメリカの番組を持ち込むだけで、チャンネルの数を増やすわけで
はないが、これらの雑誌やシリーズでは新しいチャンネルを作ろうと試みていたからである。
 こうした傾向に対応して、既成メディアのうちで広い意味での「左翼」メディアは、はっき
りと一つの転換点に立たされている。メディア自体が多様化を必要とし、イデオロギーや思想
でメディアを統一することができなくなり、”共同体”としてではなく、なるべく風通しのよ
い広場ないしはスペースとして開かれなければならなくなってきたという状況変化があるから
である。そこで、これまで大なり小なり思想的共同性への依拠を重視してきた「左翼」メディ
アは、だからといって急にスペースの創出に転ずることもできず、大きな困難に直面すること
になった。
メディアの多極化は、資本の多極化であり、それまで資本に対立しえたような部分をも資本
のなかに整理・統合していくプロセスでもあるため、資本の”異物〃は抹殺されざるをえない。
そのため、「左翼」メディアは、資本の回路からはずされて消滅するか、非常に微細なメディ
アとしていわば資本の回路に当面は”寄生〃する形で生き残るしかなくなる。『ペンギン・ク
エスチョン』の廃刊、『日本読書新聞』の休刊は、その内部にさまざまな問題をはらんではい
るとしても、前者の傾向を代表していると言えるし、ワープロの普及によってますます数が増
えているミニコミや個人誌、また八二年以来続いているミニFMの自由ラジオ、ロックやニ
ューミュージンクの自主制作レコード一「インディーズ・レーベル」ただしこれは、、大レコiト
会社による一種の多品種少量生産として資本の多極化のなかに吸い上げられることが、最近目立っ一は、
後者の傾向を代表している。
「パフォーマンス」への関心も、メディアの多極化願望と関係がある。「パフォーマンス・
ブーム」が、マス・メディアの側から過熱してきたことがそのことをよくあらわしているが、
読者や観客の側にもバフォーマンスヘの期待があり、それはどこかで現存メディアがもっと多
様化することを望む欲求とつながっている。
来日したナム・シュン・パイク、ヨーゼフ・ボイス、ローリー・アンダーソン、また最近増
えてきた”イベント・スペース〃におけるさまざまなパフォーマンス、福島県南会津郡曾枝岐
村や富山県東砺波郡利賀村で開かれた二つのパフォーマンス・フェスティバル等は、それぞれ
に新たな関心を集めた。
「パフォーマンス」は定義しにくい概念であって、そのあいまいさのために今日の文化を指す
言葉としてよく使われるわけでもあるが、ここには、演劇、舞踏、音楽といった固定したジャ
ンルを越え、また活字、肉声、映像といった一つのメディアの枠にとらわれない、脱領域的な
ものへの欲求と、周知のものの内部での洗練さや技巧よりも常識を絶えず打ち破る意外性や素
人くささを求める欲求とが見いだせる。こうした欲求は、アングラ演劇や全共闘運動のなかに
もあったし、新しい文化はつねにそのような脱領域性と一回性のなかから生まれてきたわけだ
が、バフォーマンスヘの関心のなかには、そうした欲求を集団ではなく個人がそれぞれに実現
したいというある種の”個人主義的〃な傾向が感じられる。
これは、山崎正和が「柔らかい個人主義」を提唱する社会・文化的な基盤と無関係ではない
が、山崎の個人主義は所詮一つの型にとらわれた市民主義的モラルの枠を越えることができな
いのに対して、バフォーマンスヘの関心のなかに潜在する”個人主義”は、むしろそのような
枠を取り払いたいと望んでいるように見える。これは、いわば、ウォークマンの閉ざされた電
子的世界や、タウン情報誌を読むだけで体験しないですませる”電子的個人主義〃からの一歩
前進であり、単に新たな中流層を形成するにとどまらない可能性をはらんでいると思われる。
浅田彰のブームはすでに終わったが、このブームのなかで、状況に即した生き方を説いた浅
田の発言がアピールした側面を見逃すことはできない。六〇年代における吉本隆明以後、状況
や学問を語ることと人生論は、少なくともマス・メディアのレベルでは分断されてきた。知識
人や思想家は、生き方について語ることをむしろ控え、それはもっぱら宗教家や心理学者の仕
事とされた。人生論に耳を傾けるよりも、受験勉強とタウン情報の”処理〃に没頭することが
好まれたが、そうした没”人生論”的な人生を支える潜在的な人生論の主流は、ナンセンスを
基盤にしたある種のニヒリズムだった。
岸田秀の「唯幻論」は、そこから一歩出て、このニヒリズムに居直る世界観と人生論の統合
を試みたものだったが、現実を”幻想〃として相対化しつつ生きる一つの人生論にはなりえて
も、状況を分析する理論としてはあまりに粗雑すぎた。そこで状況論は、すでにイデオロギー
的な枠組みで状況を一刀両断するやり方が通用しなくなっていたことも影響して、おのずから
そのアクチュアルな部分を回避した形での人類学的なコスモロジーや記号学的都市論などに逃
げ込まざるをえなかった。
こうした人生論の側からすれば状況論の欠如、状況論の側からすれば人生論の欠如、と
いうコンブレソクスを浅田彰はある程度打ち破る力を持ったわけだが、その人生論と状況
論の基本は、現状肯定的な性格で貫かれている。ただし、その現状肯定は、状況自身が急速に
変容しつつある今日のダイナミズムのなかでの肯定であって、現状の固定化を主張する肯定で
はない。『逃走論』という標題は、現存するものに逆らって、それを否定して「逃走」するこ
とを意味するのではなくて、「蓄積する文明」と「定住する人生」からすでに現状況自身が
「逃走」しつつあるがゆえに、われわれも「逃走」するということであり、つまりは現在進み
つつある動向にうまく「乗る」ことなのである。
そのため、浅田の主張は、状況と人生における最も”先進的”な傾向を積極的に肯定するも
のとなるが、問題は、その”先進性”である。
すでに述べたように、今日の社会・文化的なレベルにおいて最も”先進的”な部分は、ニ
ューメディアと新中流層の出現である。両者は、情報志向という点で共通項を持ち、電子テク
ノロジーへのほとんど絶対的なまでの信仰に貫かれている。しかし、その電子テクノロジーは、
それ自身が持っている可能性を出しきったものではなく、現在の産業マーケットで高い利潤を
生むものに限られている。だから、こうした状況のなかでテクノロジーを礼賛すると、それは、
商品として”先進的〃であるにすぎないものを礼賛することになりかねない。
浅田は坂本龍一との対談で、「一方では脳に関わる非常にハイテックなエレクトロニクスの
テクノロジーによって、言語化される前の一瞬のゆらぎをそのままコミュニケートしたいとい
う欲望があるわけだけれども、それのとりあえずのモデルというのはむしろ非常にローテック
なものかもしれない」(『週刊本6坂本龍一・本本堂未刊行図書目録』朝日出版社)と言ってはい
る。だが、細かなニュアンスが伝わりにくいマス・メディアで”タレント〃として機能することを好む彼の発言は、結果的に、現状のハイテック礼賛論として大いに役立っている。
これは、現在のハイテクノロジー産業をそのまま発展させていこうしたがってそれは必
ずしもその可能性を極端に発揮する方向には向かわないとする政府のテクノロジー政策を
推進することを十分に念頭に置いたうえで行なわれている「科学とテクノロジーの啓蒙活動」
に、ぴったり呼応するおそれがある。
村上陽一郎、清水博、小林登、石井威望による"「ヒューマンサイエンス」宣言"は、「いま
加速度的に発展している」「物質、エネルギーに次いで登場した情報概念」を「突破口の一つ」
にして、「総合的な人間理解を進めるための新鮮な地平の開拓」を行なおうというものである
一『ヒューマンサイエンス』全五巻、中山書店一。しかし彼らが、1・プリゴジンヌの「散逸構造論」、
M・アイゲンの「ハイパーサイクル論」、H・ハーケンらの「シナジェティクス」、B・B・マ
ンデルフロートの「フラクタル幾何学」といった新しい科学を文学的に解釈して作り上げる祉
会・人問論は、実のところ、あまりに安易な印象をまぬがれない。
これらの科学理論は、いずれも、それぞれの特殊領域について論じられており、それらを社
会論や人間論として一般化するには相当複雑な手続きがいるはずだが、「ヒューマンサイエン
ス」の人々は、これらをいとも簡単に文学化し、社会と人問のあるべき姿を示そうとする。
「散逸構造論」は、つねに「ゆらぎ」を持っている社会こそがその構造にかなっていること
を基礎づけ、「ハイパーサイクル論」は、生命体や社会の安定性が均質的な秩序形式によって
ではなくて、多様な秩序形式によってよりいっそう高まるという多様化論になる。「シナジェ
ティクス」は、強い個性が弱い個性を隷属させるエリート論になり、「フラクタル幾何学」は、
微細な部分まで自己相似的な入れ子構造になっていることを基礎づける理論として、個人的領
域にとどまることがすでに社会性を持っといった個人主義的な発想と姿勢を保証する理論とな
る。
むろんそこには、科学理論の形をとって初めて受け入れられたにすぎないとはいえ、一九三
〇年代以降の哲学がすでに示していた優れた洞察も含まれており、今日の社会や文化を考える
場合に傾聴すべき点も少なくない。だが、最も熱心にこうした科学理論を「総合的な人問」に
応用しようとしている清水博の「バイオホロニクス」のような発想を見ると、哲学のレベルで
はとうの昔に疑問視されている「個と全体の弁証法」が、ニューサイエンスの装いも新たに復
活させられているにすぎないことがわかり、彼らの「ヒューマンサイエンス」からは、それほ
ど新しい社会・人問観は生まれてこない気がする。
その意味で、八四年に起こった出来事のうち、国籍法改正と全斗燥大統領来日とを結ぶ線の
なかで清水の発言を読んでみると、それが今日の支配的動向とピッタリ整合していることに驚
かされるのである。
清水によれば、日本人は多様性のない民族であり、「ゆらぎ」を認めにくい社会に住んでい
る。そのため、今後の日本は、これを避けるために、絶えず「窓を開いて」外からの「ゆら
ぎ」を入れること、多様な価値観を持つよう努力していくことが必要だという。
確かに、これは正論である。しかし、それならば、なぜ清水は、「天皇制というものは"政
治的ゆらぎ〃を可能にした弱い政治的統合形態Lであるとして、天皇制を擁護するのだろう
か?清水によると、天皇制は「ゆらぎ」のシステムであるから、そのもとに単一的なシステ
ムを作ろうとした企てはすべて失敗するのであり、事実、「建武の中興とか、明治以降第二次
大戦までの強力な天皇制をつくろうとした試みは、結局うまくいかなかった」。
ということは、つまり、戦前型の天皇制はダメだが、戦後の象徴天皇制ならばよいというこ
とであり、天皇制が、戦前・戦後を通じて一貫して戸籍の存在を基礎づけてきたような側面に
ついては不問に付してしまうのである。つまり戸籍制度を純粋培養してきた万世一系の天皇制
がなければ、戦前の天皇制は日本人を戸籍制度のもとに統合することはできなかったのであり、
戸籍という点に関するかぎり、天皇制が「無原則なまでに柔軟」であったことなどは、一度も
ないのである。現在でも、戸籍に.「天皇の時間」である元号以外を用いることが許されないこ
とからも、それは明らかである。
一方で、「"窓を開いて〃外からの"ゆらぎ〃を入れること」を説き、他方で天皇制を容認す
るいいかげんさと同一なものが、国籍法改正のなかにも含まれている。これまでの国籍法によ
ると、国際結婚で生まれた子どもの国籍は、その父親が日本人の場合にだけしか日本国籍を持
つことができなかったのに対して、新しい国籍法では、この父系血統主義を改め、「先進諸国
なみに」男女平等の父母両血統主義が採用されたことになっている。しかし、その内実をよく
見ると、この改正は、そのさまざまな規定から判断して、「外からの"ゆらぎ〃を入れること」
よりも、むしろ婦人差別撤廃条約批准一これも、婦人差別を撤廃することそのものよりも、サービス
社会化が進み、労働における男女差別を撤廃する必要が産業構造の側から出てきたことによる面が大き
い人への配慮、外国人を父とする国際結婚で生まれた子ども、ますます海外へ進出する日本人
を両親として外国で生まれた子どもたち等を二重国籍のまま日本で生活させないための処置で
あるように思われる。
二重国籍者が二二歳までにどちらかの国籍の選択を宣言しなければならないといった規定に
も表れているように、国籍法の改正は、二重国籍者や外国人を排除するものであって、それは
決してどこかで必ず天皇家に日本人が結びっくことを強制する戸籍制度の絶対性に「ゆらぎ」
を与えはしない。しかも、指紋押捺問題や就職問題などのように、外国人に対する差別的な制
度はそのまま維持されているのである。
ニューメディアや新中流層の増加の一方で、天皇制はむしろ強化される傾向があり、全斗燥
大統領来日時における天皇の「牟言葉」はまさに憲法を超越する立場からなされたのであった。
安倍晋太郎外相は、「牟言葉」は、憲法に制定されている「天皇の国事行為」ではないし、ま
た「私的行為」でもないという見解を明らかにしたが、これは、天皇の超越的な性格をはっき
りと認めるものだ。これまでは少なくとも、その「地位」に対する「主権」が「日本国民の総
意」にあったのに対して、いまや天皇は、それを超えて「絶対的」存在、「絶対的」象徴にな
りはじめている。
しかし、このことは、ある意味で、天皇が国家の絶対的象徴にはされていても、「国民統合
の象徴・にはなりえなくなってきているということでもある。これは、産業の重心が情報や電
子テクノロジーに移行するにつれて、通信、金融、運輸などの部門を再活性化する必要が生じ、
従来のただでさえ干渉的な国家規制を外して「自由」な企業活動をさせる必要が生じたことと
関係がある。
新札の肖像が聖徳太子、伊藤博文、岩倉具視といった国家と密接な関係を持つ人物から、福
沢諭吉、新渡戸稲造、夏目漱石といった民間人のそれに変わったこともその国家意志を表して
いる。さらに旦一体的には、電電公社の株式会社化を可能にする電電改革関連三法一電気通信事
業法、日本電信電話株式会社法、関係法律整備法一の成立が最大のものであり、大蔵省が指示した
一五月三〇日一金融自由化の推進、全日空にハワイ向けチャーター便を認可したこと一六月二二
日一なども、この「規制緩和」の流れに入る。
欧米で進められている「規制緩和」に比べると、日本のそれは、うわべだけ国家が十渉を手
控えるポーズをとっているにすぎない。それは、欧米とは裏腹に運輸の部門でさっぱり緩和が
進んでいないことや、電電公社の民営化が端的に示しているように、日本においては「規制緩
和」の代表モデルは、公社を民営化することっまりは国家の胎内から株式会社を生み出す
ことにあり、企業活動の「自由」すらも国家があらかじめ準備するという形態をとるので
ある。
とはいえ、それほど国家の干渉の強い日本でもある種の「規制緩和」が始まっているという
ことは、資本主義の「情報資本主義」への転換がいかに急速に、また大規模に進んでいるかを
示している。その意味では、新しい中流階級や「ニュー・アカデミズム」と名づけられた新し
いタイプの知識人エリートは、まさに文化における「規制緩和」のなかで生まれ、そして活気
づいているともいえる。また、七〇年代以来引き続き活発化している企業の「文化戦略」や、
最近活発なコーポレート・アイデンティティ(CI)への企業の関心も、「規制緩和」と無関
係ではない。
それゆえ、天皇制国家日本も、もはや親方日の丸的な統合体制や「単一民族」幻想にしがみ
っいていては、どうにもならなくなってきたことに気づきはじめたのであり、その意味では、
日本の今後の方向は、「天皇の元首化」や「国家の統合強化」ではなく、むしろ天皇を極力目
立たぬものにするという方向をとらざるをえないはずだ。
しかし、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と憲法第一条に規定されてい
るように、日本国家は天皇とともに、あるいは天皇の下に存在するため、国家の権力や干渉を
弱めるには、結局、天皇を極力観念的なものにしながら、その象徴的な椎の中に国家を包み隠
すという形態をとるしかない。が、そのため、一方では、天皇の抽象化がうまくいかない場合
には、国家が新たな超国家主義にのみこまれる可能性がある。まさにこれこそ、「八五年体制」
のジレンマであり、現在の産業動向からすれば「天皇の元首化」や「国家統合の強化」が生ず
る可能性は少ないにもかかわらず、もしその動向に異変が生じた場合には、一挙にそうした反
動が生じるかもしれず、そのために「危機管理」の用意を整えざるをえないのである。
こうしてみると、それなりに多数の「線」を見いだせる一九八四年ではあるけれども、それ
らのの線は、また例によって天皇制という一本の太い「線」によってがんじがらめに束ねられて
いることがわかる。それがときほぐされる糸口はどこにあるだろうか?この太い「線」から
はずれて延びる線は、これまでに取り上げた出来事の問を結んではいないだろうか?この問
いに答えられるのは歴史であり、歴史を創る「主体」である。





科学万博の残したもの
「科学万博」とは何であったのか?それは、それ以前の時代と今日とのあいだで歴史的
トレンド
動向の何を語ったのか?
わたしは、開会まえの八五年二月一七日と、開会後まもない四月一一日に会場を訪れた。二
月のときには、中核派が攻撃宣言をしたとかで、会場の警戒は異常なほど厳しく、万博協会の
役員の案内で限られた場所を見ることができただけだった。外に出ることを禁じられた車の窓
から見ると、どこも半分ぐらいしか工事が進んでおらず、一カ月後にはたして会場の準備が終
わっているのだろうかという気がした。その不安を協会の人に向けると、「いや、日本人は突
貫工事には慣れていますから」というオプティミスティックな答えがかえってきた。
その言葉どおり、準備の遅れが特に心配されていた外国館も含めて、予定通り無事開幕にこ
ぎつけた。表面に出ないトラブルはあったかもしれないが、わたしが再訪した四月には、すで
に順調に入場者を受けいれているように見えた。ただし、その時点でのマス・メディアの報道
は、決してかんばしいものではなく、とりわけ入場者数の少なさが指摘され、これでは予定目
標の二〇〇〇万人に達することは不可能だろうと報じられていた。
たしかに、四月に再訪したときの印象では万博中央駅もシャトルバスのなかも、二三ある入
場窓口も、ほとんど混みあっていなかった。いくつかのパビリオンには長い列が出来ていたが、
レストランは閑散としていた。協会の人の話では、はじめ協会は、目標の総入場者数を二七〇
〇万人としたが、予算がけずられて、二〇〇〇万人に下げたという。が、その目標も、この分
では達成できそうにない感じがみなぎっていた。
しかし、イベントの観客動員数は、必ずしも内容で決まるわけではない。それは、むしろ政
治力で決まるのであって、その意味では、科学博の開幕初期には、全体を統合する政治力の弱
さが感じられた。実際に、協会、政府、企業、県、市、町、村のあいだには、かなりの意見衝
突があったらしい。協会の側からは、国がたとえば予算をカットしたために最初六〇メートル
の高さを予定していたシンボルタワーが四〇メートルになったといった苦情が聞こえてきたし、
国と県は、科学博のまえに筑波研究学園都市の六町村一筑波町、大穂町、豊里町、谷田部町、茎崎
町、桜村一の合併を望んでいたが、合併はなされず、科学博は、筑波町と谷田部町とが提供す
る合同会場で開かれることになって思惑がはずれた、ということがある。
万博やオリンピックの主要な機能は、統合的な政治機能であり、ばらばらの政治・経済単位
を一つにすることにある。科学博は、その意味で、日本の先端企業の利害の共通項を明らかに
することだけでなく、茨城県と政府との政治的・経済的関係の一本化と、県内部のもろもろの
分権的単位を統合し、国と県と地域とが一体となって進める「産学官」協同としての筑波研究
学園都市事業のための祭典となるはずのものであった。
しかし、オリンピックがもはや諸国家を統合する祭典としては破産しつつあるように、科学
博は、その準備段階ですでにそれほどすぐれた統合機能を発揮できないことを暴露した。これ
は、科学博の運営上の問題ではなく、もっと根本的なところからくる問題である。もし、この
科学博が、二〇年まえに行なわれたのならば、それは、もっと統合的な機能を発揮することが
できたろう。科学博と比較して、七〇年の万博が「より高く評価」されるとすれば、それは企
画のよさや予算の大きさのためではなく、むしろ、統合ということがまだ価値を持っていた時
代が、そのような企画と予算を可能にし、統合の祭りを成功に導いたというにすぎない。
明らかに、時代は変わりはじめたし、統合は、時代の要求ではなくなってきた。差異を均質
化し、一つにしようとする政治や経済は、ぶざまな結果しか生まないのだ。科学博が、最終的
に、目立った大破綻を見せずに済んだのは、不幸中の幸いと言うべきだが、統合が時代遅れと
なる時代に、統合とは逆行するテクノロジーであるエレクトロニックスを中心とした博覧会を
極めて統合志向のやり方で行なったコストは、決して帳消しにならないだろう。それは、筑波
研究学園都市がこれから継続する"負債〃である。



*
科学博の跡地は、「西部工業団地」と呼ばれる。この名称に対して、脱工業化時代のテクノ
ポリスの名称として、何たる時代遅れかという批判が少なくない。しかし、この名称は、はか
らずも、科学博の性格を規定している。科学万博つくば85は、脱工業的テクノロジーを工
業テクノロジーの発想で展示した奇妙なショーだったからである。
工業テクノロジーは、蒸気機関、船舶、自動車に代表されるテクノロジーであり、その本質
は空間的移動と量である。したがって、それは、物を空間的に大規模に移動する巨大テクノロ
ジーとして発展せざるをえない。その際、移動とは、一方から他方への移動であり、そうして
構成される空間にはすべての移動を集約する中心が前提されている。
エレクトロニックスのテクノロジーは、これとはまったく異なる本質を持つ。その本質は、
移動ではなく同時性と質である。
たとえば、送信機を通って電波に乗ったわたしの声は、決して移動するのではない。その声
は、一〇〇キロメートル先の地点で受信できるかもしれないが、それは、ここから移動したの
ではなく、同時に存在するのである。こちらの送信機とあちらの受信機とは、送り手と受け手、
ピッチャーとキャッチャーとの関係にあるのではなくて、同時にシンクロナイズする関係、あ
るいは一方が他方をシミュレイトする関係にあるのである。その証拠には、シンクロニセイシ
ョンやシミュレーションのためのコードやモードを変えれば、ここから発信されたわたしの声
は、もはや"わたしの声〃としては受信されないのである。わたしの声が"わたしの声〃とし
て受信されるのは、そのような質の同時性がエレクトロニックスのテクノロジーによってつく
り出されているからにすぎない。
万国博は、一八五一年にロンドンで開かれた第一回以来、一貫して移動の博覧会であった。
それは、世界中から人々を移動させ、そして移動のテクノロジーを見せた。これは、移動のテ
クノロジーがテクノロジーの主流であり、それをプロモートして世界に浸透させることが万国
博の機能であった時代には当然のことだった。しかし、エレクトロニックスやバイオテクノロ
ジーを前面に押し出した科学博が依然として移動の博覧会であったというのはおかしなことで
ある。そこには、移動のテクノロジーを超える発想は、ほとんど見出せなかった。
むしろ、移動への執着という点では、科学博は、大阪万博を圧している。最も近い大都市で
ある東京からでも、通常は一時間以上かけないと現場に到達できない。会場は広く、人々は大
きな距離を歩いて移動させられる。いくつかのパビリオンには、観客が集中し、時には四、五
時問も待たないと展示を見ることができない。これらは、会場運営のしかたを云々する以前に、
移動の文化に特有の現象であり、その文化が主流をなす時代には、それほど不自然なものでは
なかった。人を一カ所に集めれば、そこがごったがえすのは当然である。人が全然並んでいな
い野球場やロック・コンサート会場などというものは、逆に異常である。
科学博は、移動にかえって執着し、移動を決して疑うことがなかったために、エレクトロニ
ックスのテクノロジーが持っている同時性という性格をほとんど見えなくさせてしまった。同
時性をすりかえて無差別性にしてしまった。
たとえば、ソニーのジャンボトロンは、何百人もの人々が同時に同じ映像を見ることを可能
にしたが、そのために、人々の共有する同時間の多様な差異は、まったく無差別な単一性に統
合されてしまった。この装置には四〇億円近くかかった生言われているが、同社が出している
ポケソトニァレビの「ウォンチマン」は、四〇億円で最低定価でも一〇万台買入する
ことができるわけだから、入場者に毎日数時間ずつ貸したとしても、一八四日間で約二〇三四
万人にのぼった総入場者の全員がウォッチマンで自分の好きなチャンネルの放送を見れたはず
である。むろんそれには、会場内に数多くのチャンネルと多様なソフトが流されていなければ
ならないし、結局は、入場者自身が受信だけでなく、送信もするというのでなければならない
が、もしそういうことが行なわれたならば、科学博は、まったくちがった可能性を持っただろ
う。
またエレクトロニックスは、ある意味で徹底的な個人主義と"怠惰一体を動かさないこと一〃
を満たすようなテクノロジーである。そして、エレクトロニックスの技術が浸透した社会の
「光と闇」も、まさにこの点にある。科学万博が未来社会に関心を持っているのならば、その
点を見せ、たとえ束の問であれ、入場者にそのような体験をさせなければならない。
その意味で三菱未来館の見せ方は、若干他より"進んで"いた。ここでは入場者は全員遊園
地の電車のようなものに乗せられ、三五億年前の生命誕生から二〇三〇年の未来世界までの歴
史が映し出されたり、その模型が置かれている空間を通り抜けることになる。異空間体験とし
ては、日本アイ・ビー・エム館の「スーパードーム21」や富士通のものの方がすぐれているが、
すべての見学を歩かずにやらせてしまうのはおもしろい。
ただし、この場合、そうした体験を、電子テクノロジーによってではなくて、車両の移動と
いう旧テクノロジーによって行なっているので、ふと気がつくと、なにやら室内で十津川下り
のまねごとをやらされているのを発見して、ばからしくなるのである。



*
移動のテクノロジーは、厳密には、移動を人に強制するテクノロジーであるため、そのよう
なテクノロジーのための場は、そこに集まる人々がそれぞれの唯一的な能力を自由に発揮する
場ではなく、逆にそれらを拘束し、管理する場となってしまう。現に、科学博の会場では、入
場者が自由に操作できる部分は極度に限られており、たとえそういう部分があったとしても、
たとえば、NECのC&Cパビリオンの"宇宙飛行〃体験のように、あらかじめプログラムさ
れた枠のなかで操作可能なのであるにすぎない。そこでは、自分が"自由〃に操作しているっ
もりでいると、いつのまにか操作されているのである。
その意味では、科学博は、操作がすみずみまで行きわたった世界から人々を呼び集めながら、
操作がより一層浸透した世界に人々を閉じこめたのだった。とりわけその傾向が最も強く現れ
ていたのが、富士通パビリオンだったというのはおもしろい。
富士通パビリオンは、なかに入るまでに最低三、四時間は待たなければならないというので
有名だった。わたしは、さいわい最後のセッションに一時間待っただけで入場できた。入場し
てわかったことは、このパビリオンで人が長蛇の列をなしているのは、必ずしもその人気のだ
めではないということだった。他のパビリオンよりおびただしい人が館のまえにならんでいる
ため、それが心理効果を呼び、さらに人が増えていくという面もあった。しかし、それ以上に、
この館では、他とは異なる誘動方法をとっていることが、人の流れを悪くしていた。
他のパビリオンでは、概して、各展示スペースを入場者の自由意志で見学することを許して
いたのに対し、富士通は、四つのスペースをコース料理のように順番に見せ、途中入場や退出
を許さなかった。さんざん待たされたあげく入るのが「テクノギャラリー」だ。ここは、「ギ
ャラリー」というより、事実上通路であり、長い時間待っていた同じ列が少し動き出すのを経
験する場所にすぎず、そこに飾られた写真を自由に歩きまわってながめるというぐあいにはい
かない。ここでも移動の文化が支配的で、天井には磁気を利用して高速で物を運ぶ「リニアシ
ューター」の透明なチューブがあり、そのなかをパンフレットの束一入口で渡す分一が走って
いる。
第二のスペース「テクノポール」に入ってから、入場者は少し拘束から解放される。ここで
は列を作らなくてもよいからである。しかし、そこにある身長五メートルのロボット「フアナ
ツクマン」は、およそ電子文化とは縁遠い。それは、二五トンのバーベルを軽々と持ちあげ、
また細かな組立作業をこなして見せるのだが、それがやっていることはプログラム通りの決ま
りきった作業であって、人間のアクションのようなリダンダンシーを持ってはいないのである。
要するに、「フアナツクマン」は、工業文化が理想とした機械人間を巨大化したものにすぎず、
ここからは電子文化の持つもっとラディカルな可能性は全然見えてはこないのである。
このことは、第三のスペースである「コミュニラボ」でも変わらない。ここには、日、英、
仏、独の四カ国語を翻訳できる自動翻訳システムがあるが、このスペースに一〇分問"軟禁〃
されて得る経験は、こんな装置よりも同時通訳者を四人そろえた方がはるかによいというコン
ピューターに対する不満足感である。
自動翻訳や人工頭脳のおもしろさは、本当は「普通の人問」では考えられないようなとんで
もない間違いをやることにあるのに、ハイテクノロジーのそうしたパフォーマンス的要素はま
ったく不問に付されている。おそらく、これは、コンピューターの能力の限界から来るよりも、
むしろその使い方の貧しさから来るのだろう。わたしが見学したときには、あらかじめ日本人
の子ども一なぜ子どもなのか?一に作文を書かせ、それを自動翻訳システムにインプットして、
三カ国語に訳すということをやって見せた。
せっかくこのシステムを使うのなら、なぜ、日、英、仏、独の言葉をそれぞれ母国語とする
人を四人選び、その人たちが自由にしゃべる言葉をこのシステムで相互に翻訳する国際コミュ
ニケーションの実験をやらないのだろうか?エレクトロニックスは、物の移動の量やスピー
ドを誇る技術ではなくて、コミュニケーションの質を変える技術であるはずだ。この点は、富
士通にかぎらず今回の科学博全体に欠けている根本的な認識だった。
おそらく、富士通パビリオンの外で何時間も待った人たちの最大の期待は、最後のスペース
「コスモドーム」で「オールCG全天周立体映画」を見ることだろう。他のパビリオンの入場
者ならば、他の展示を飛ばして、映画だけを見ることができた。ここではそれが許されないの
で、皆しぶしぶと待ったのである。その期待はなかば満たされる。コンピューター・グラフィ
ックス(CG)を使って、太陽系五〇億年のミクロとマクロの世界の歴史を一〇分問で見せる
立体映像『ザ・ユニバース』は、われわれを日常とは一味ちがう世界に連れこむことは確かで
ある。
ただし、この映像が今日のエレクトロニックニァクノロジーの最先端の可能性の一つだと思
う者がいるとしたら、それは誤解もはなはだしい。これは、映画技術一九〇〇年のパリ万
国博に登場した工業時代の"先端"技術としては新しいとは言えても、コミュニケーショ
ン技術として新しいとは言いがたいからである。スクリーンを全天周式にしようと、客席を建
築的に工夫しようと、またどんなに複雑な映像一ただし、映像技術的にはこのCGはそれほど複雑
ではない一を用いようと、その映像を見せる見せ方コミュニケーションの方法が従来
通りでは、しかたがないだろう。
『ザ・ユニバース』は、従来の映画同様、観客を全体として一つの幻想1ーイメージに導こう
とする点で、観客を依然としてコントロールさるべきもの受け手とみなしており、映
画の登場とともに決定されたコミュニケーション関係それは、工業時代の社会関係でもあ
る自体は少しも変わっていないのである。



*
「コミュニケーションの実験」を標梼する展示やインスタレーションは多々あったが、それら
はことことくハード.システム通信様式の実験であって、人と人との関係の実験では
なかった。「KDDテレコムランド」でのまったく子どもだましな"衛星通信〃は論外として
も、ニューメディア時代の「新しいコミュニケーション・システム」として期待されているI
NSを実演したNTT「でんでんINS館」ですら、旧態然としたコミュニケーション概念に
とどまっていた。
「でんでんINS館」の「INSプラザ」には、東京、横浜、名古屋、大阪、神戸、鳴門など
の各地に設置されたヴィデオ・カメラを中央コントロールし、映像を受けとることができるシ
ステムがあった。また、「INSホール」には、会場の巨大ヴィデオ・スクリーンに全国各地
のサテライト会場からの映像を映し出すと同時に、こちらの映像も送り、双方向通信を行なう
光ファイバー・ケーブルのシステムがあり、たまたまわたしが訪れたときには、島根県の会場
で行なわれている地元の踊りがスクリーンに映り、それにあわせて科学博の会場の人々がいっ
しょに踊るといったテレ・パフォーマンスをやっていた。
こうしたコミユニケーションは、すべてテレコミュニケーションと呼ばれるジャンルに属し
ている。テレコ、一・ユニケーションとは、遠隔地と遠隔地を結ぶ通信であり、このコミュニケー
ションの性能は、その通信距離が遠ければ遠いほど高いと考えられている。しかし、コミュニ
ケーションの本質は、コムーつまり共同性にあり、通信距離の遠さ自体は二の次だ。遠く離
れた地点にアクセスできたとしても、その地点にいる人とこちら側の人とが共有する経験が豊
かでなければ、その通信はコミュニケーションに値しない。
今日のテレコミュニケーションは、まだモノローグ装置の段階にとどまっていることが多い。
目、耳、身ぶりの器官を延長することだけが目ざされており、離れた者同士は、この延長装置
を使ってたがいの器官を相手のテリトリーに侵入させるが、そこではめったに相互的なコミュ
ニケーションは起こらないのである。たがいに、一方的に見、聞き、言い表わし、それだけで
終わってしまう。ここでは、情報とは相手のグローブに投げる球にすぎず、どんな投げられ方
をしても、球自体が変わることはない。これは、コミュニケーションにおける情報とは本質的
なちがいであろう。コミュニケーションにおいては、"忠実な伝達"とは低次のコミュニケー
ションを意味する。
コミュニケーションは、金星に探測装置を飛ばして温度や気候を調べるのとはちがい、それ
に加わる複数の人間による"歪曲〃こそが創造性を生み出す。それは、測定や通信とはちがう
のであり、つねに意外な結果を生み出す出来事こそが、コミュニケーション状況の基礎条件で
ある。科学博の会場の外でわれわれが惰性的に維持してきたコミュニケーション関係が、たと
え束の問であれ、ラディカルに変わる瞬間がエレクトロニックスのテクノロジーによって用意
されることこれを、科学博はほとんど果たすことができなかった。
会場を一日歩いてみて、入場者のなかには「外人」や女性「コンパニオン」たちとの交流に
少なからず関心を持っている人々がいることを発見した。「外人」を好奇の目で見る(都会では
最近はあまりゃらない)まなざし、相手が必ずしも英語圏の人でなくても、たどたどしい英語で
話しかける学生や生徒の一団、コンパニオンといっしょに記念撮影をする人々こうした
人々は、実は、この会場が満たすべきであったコミュニケーション的欲求を率直にあらわして
いる。このような風俗は、別に科学博の会場ではなくても、京都や奈良の観光地でくりかえし
目にすることのできる光景である。が、科学博が「人問・居住・環境と科学技術」をテーマに
している以上、奈良や京都の観光地よりも意識的なやり方で国際的なコミュニケーションや異
文化との接触をはかられなければならなかったはずだ。
なるほど、科学博は、世界各地から二〇〇〇万人以上の人々を一つの場所に近づけた。それ
は、コミュニケーションの基礎条件をつくったわけで、あとはそこで人々が自由に新たなコミ
ュニケーションを結べばよいわけだが、展示やインスタレーションのスペースは、入場者のそ
うした自発的なコミュニケーションのためのもう一歩進んだ基礎条件となるべきものだ。しか
し、科学博は、その条件づくりには完全に失敗した。



*
科学万博は、単なる博覧会ではなかった。政府、参加企業にとっては事業PRであったし、
茨城県と地元にとっては、開催に伴って整備される交通網、関連商業の活性化、当地に対する
国内・外の関心の高まりが当然予期されていた。が、それ以上に科学博は、筑波研究学園都市
の本格的な建設と機能開始へ向けての祝典としての機能を持っていた。
また一方では、科学万博国際科学技術博覧会は、開催前から評判が悪かった。「人問・
居住.環境と科学技術」という大げさなテーマを掲げているにもかかわらず、その実質は「企
業万博」であるとか、出しものは映像だけで、見るべきものはたいしてないとか、「国際」と
名のつく博覧会にしては風あたりが強かった。
しかし、これは必ずしも科学万博の内実から来るものではない。むしろ、このイベントの開
催に対して茨城県、政府、企業のあいだで、さらにはこれら三者の内部でも、利害や意見が相
反し、十分な根回しとPRが行なわれなかったために、あちこちから中傷的な評価が生まれて
きたのである。
このことは、科学万博が世評で言われているよりも、「おもしろい」という意味ではない。
それは、どうひいき目に見ても「科学遊園地」「子どもだまし」「企業PR祭」といった非難が、
どれも正鵠を得ていると言わざるをえなかった。
が、これまで大組織が行なったイベントで、実質ともに評価できるものなどほとんどありは
しなかった。大半は組織的なPRによって「まあまあ」の気分が生まれ、機会があれば出てく
るはずの批判や不満が出なくされただけのことである。
考えてみれば、科学万博は「筑波研究学園都市」建設のための一イベントにすぎない。「国
際科学技術博覧会」という以上、晴海などでよく行なわれる技術展のより総合的なものである
べきだが、この科学博の目的はそこにはない。しかも、この学園都市計画自体が十分な展望を
持ってはいないので、結局のところ、科学博は茨城県の経済の活性化だけを目指しているとし
か言えない。
周知のように科学博の会場は閉会後、工業団地になる。直接経費九三一億円一ちなみに大阪
万博は八七八億円、沖縄海洋博は四六〇億円一の設備は撤去され、エレクトロニックスやバイオテ
クノロジーを主体とする先端科学産業の工場が出来る。それを予定して、敷地内の地下には下
水道が建設済みである。問題は、一〇〇億円かけて買収した一〇〇ヘクタールの広大な土地に、
うまく買手がっくかどうかであるが、万博協会の話では、すでに九〇%近く予約済みだという。
こうなれば、科学万博は、人目につく祭りでさえあればよいのであって、いうなれば、新し
い建売り団地完成の披露キャンペーンにすぎないのだ。科学博への一般入場者の数が当初予定
したよりふるわないと一言われているが、科学博を一九六〇年代に計画された筑波学園都市計画
の流れのなかで考えるならば、そんなことは枝葉の問題だろう。主眼は一般人には置かれてい
ないのだ。
その意味では、科学博は、祝祭的な気分を盛り上げることさえできれば、たとえそれが先端
テクノロジーの展示とPRの点で「子どもだまし」であったとしても、十分であったかもしれ
ない。つまり、来たるべき工業団地での、ひいては先端産業界における企業能力を国際的にも、
対抗企業に対しても、そして一般人に対してイメージ・アンプすることこれが、科学万博
の実際上の目的になっているからである。
誰も意識的に手を抜くっもりはなかったかもしれぬが、パビリオンの大半が会の終了後には
取りこわしになり、そこが「工業団地」となるという厳然たる事実のまえでは、人は、意識の
どこかでは、すべてを単なる通過点として見る暫定的な姿勢を排することはできなかっただろ
う。そうした無意識的な姿勢が、開催当初にはとりわけ、会の盛上りの低さとして現れたし、
外国館と国内館とのテーマ的なズレとなって現れた。
各パビリオンは、現在の最先端テクノロジーがどうなっているか、それが何を可能にするか
といったことを本気で示そうとはしていなかった。むしろ、各企業がどのようなテクノロジー
を今後の企業活動の目玉としていくのか、そしてそのために自社はいかに豊かな財政力と企業
活力を持っているか、を誇示することこそが、参加企業の関心であったように見える。さもな
ければ、エレクトロニックスやバイオテクノロジーの本質とは逆行するようなこけおどしのジ
ャンボトロンや液晶巨大スクリーンのようなものを展示する必要はないのである。
外国館の展示がハイテソクでは依然として最先端を行くアメリカを含めて実に「お
粗末」だったことも、それを単に万博運営の不備の問題として片づけるのは単純すぎる。
もっとも、結果的に、一般入場者にとっては「やはり日本の先端産業は外国よりもスゴイ」
というイメージを植えっけるうえでは、こうした"不備〃と"不手際〃が大いに役立っている。
これは、テクノロジーを使った一種のナショナリズムであり、居ながらにして世界中とコミュ
ニケーションできるテクノロジーを手にしながら、それによって世界を閉め出すことである。
しかし、科学博を筑波研究学園都市のための宣伝イベントとみなすとしても、このイベント
からは、単なるドンチャン騒ぎにとどまらず、問題の筑波研究学園都市をどのような都市にし
てゆくかという潜在的な展望と意図がほの見える。
科学博のスペースは、すでに述べたように、結局、共同幻想の場であって、コミュニケーシ
ョンの場ではなかった。この方向は、確実に、筑波研究学園都市にもひきっがれるだろう。会
場の跡地は、「西部工業団地」として、山之内製薬、日本電気や日本テキサス・イシスツルメ
ント社をはじめとする企業に分譲される。また、学園都市に出来る他の「工業団地」には、科
学博に参加した大半の企業が何らかの施設を作る。当然その周辺には、研究者や技術者が住む
専門職コミュニティが出来上がる。こうして、筑波研究学園都市は、すでにある政府の科学研
究機関や筑波大学とともに「産学官」協同の都市となる。
いまここでは、軍事テクノロジーにとって役立つ産業一山之内製薬、日本電気、フジキン、日本
テキサス・イシスツルメント社等々一が筑波に集結していることは一応カッコに入れるとしても、
筑波研究学園都市は、国家と企業に属するしかも単一の共通利害をもつ住民だけから
構成される都市となるだろう。ここに「先端テクノロジー」の文化のほかに民衆文化的な差異
が存在するとすれば、それは、各官公庁問、各企業間がっくり出すシステム文化の差異だけだ
ろう。
エレクトロニックスのテクノロジーは、個々人の唯一的な差異の可能性をも展開させるテク
ノロジーであるが、形のうえではこのテクノロジーが浸透しても筑波研究学園都市は、せいぜ
いのところ企業問の集団的な文化差異の展開にとどまることしかできず、また、この都市が軍
事技術的な研究・生産施設としての重要性を増すようなことにでもなればなおさら、ここが
個々人の新しいコミュニケーションのための実験都市となることは不可能になる。そうでなく
ても、もし、「スパイ防止法」が制定された場合には、それが最も完壁に機能する都市である
ことはまちがいなく、一般人にとっての未来都市のモデルとしては、ほとんど積極的な可能性
が見えてこないのである。
もし、科学博にSF小説の世界を期待するならば、展示された装置や技術を見るよりも、会
場の北ゲートに通じる鉄筋コンクリートの道路がリースであることや、九六一億円をかけた会
場が半年後には消えてなくなることを考えた方がよい。ここでは物や身体は、こわれるまでの
問は一定の形態を保つといった旧テクノロジーの発想はない。すべてはブラウン管の映像のよ
うに、一瞬にして消滅しうるものと考えられている。
このドライさにくらべれば、展示された品々を支えている発想はひどくなまぬるい。それは、
人間自身を否定するところまで突き進みかねない新しいテクノロジーの性格からすれば、救い
でもあるかもしれない。しかし本当は、テクノロジーの危険は、その本当の性格をリアルに認
識しないところにある。
科学博では、未来社会がハイテクノロジー志向型のものであることを、ほとんど自明のもの
としていた。しかし、科学博で政府や企業がはからずも露呈させたテクノロジー観は、少しも
新しくなかった。したがって、テクノロジーがこのまま浸透していったときに出来上がる未来
社会は、決して新しいものとはならないことが予想できるのである。





新聞のミクロポリティクス
一九八五年=一月一九日
新聞の「ヤラセ事件」はいつ起きるのだろうか?一般的な見解とは反対に、テレビ朝日の
「ヤラセ事件」は、現在のテレビの陥っている悪しき状況を示唆するものではなく、むしろ、
テレビが現在、これまでひきずってきた「ヤラセ」体質を脱皮しようとしている徴候を示して
いる、とわたしは解釈する。テレビは、電子テクノロジーの発展からおのずと生み出された変
化一ヴィデオの普及による視聴者の変化もその一つ一のために、もはや従来の「一億総白痴」化的
なメディアであることができなくなりっっあり、ニュース番組やミュージック・ヴィデオ番組
の増加に見られるように、わずかながらテレビ・メディアの軌道修正は始まっているのである。
それにくらべて、新聞一大新聞一は、現状からますます遊離しつつあるように見える。ニ
ュースの速報性という点では新聞はテレビに勝目がない。カラー写真を増やしても、目の荒い
新聞写真は、テレビ画面やグラビア雑誌にくらべるとひどく見劣りがする。記事内容も、"平
明さ"を心がけるあまり突っ込みの足りないものになったうえに、読みやすさの配慮とかいう
名目で活字が大きくなり、その分だけ字数が減り、情報量が落ちてしまった。新聞は、いまや
テレビやラジオができないことを追求しなければならない事態に突入しているのに、逆にテレ
ビやグラフ雑誌のあとを追いかけている。これでは、新聞が時代に取り残されるのも道理であ
る。
一部でいま、『日本経済新聞』や『日経産業新聞』、航空便で届く『ニューヨーク・タイム
ズ』紙や『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙、パリで編集された紙面を衛星を使って香
港で印刷する『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』紙等々がよく読まれているの
は、こうした状況の反映である。日本の三大紙に載っている国際記事と、たとえば『ニュー
ヨーク・タイムズ』紙や『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥンク』紙などの同
テーマの記事とを比較してみればすぐわかるように、日本の新聞の記事は、量的にも質的にも
はるかに貧しい。これらの外国新聞の記事をそのまま翻訳して日本の新聞に載せようとしても、
量的にまず無理であるうえに、その表現と記述が"専門的"だという理由で実現不可能なこと
が多いのではないか?それほどまでに日本の新聞は、レベルを下げてしまったのである。
海外のクオリティ・ペーパーは、何かを少し突っ込んで報道する場合、図表、統計、歴史的
にさかのぼった考察などに紙面をさき、単なる読み捨て記事としてではなく、保存資料として
も役立つような紙面づくりをする。これは、実際に便利であり、テレビとは別の機能を満たす
ことになる。日本の新聞も、今後は、速報性や平明さよりも、こうした資料的な有効性を追求
しなくては生き残れないのではないか?というよりも、新聞がいまのままの状態だと、それ
は、現在何が起こっているかということに対して読者の目を開かせる機能よりも、読者を一定
方向に誘導するプロパガンダ的な機能を果たすだけのものになるのではないか?
新聞が今後、電子メディアに圧倒されて没落するとしても、わたしはそれを惜しむ気はない。
海外のデータ・べ−スに加入して、多様な最新情報をパソコンで入手している人々が増えてい
る。電波で送られている通信社のテレックスを傍受し、新聞よりもいち早く海外情報をつかむ
無線マニアもいる。現在の形態の新聞が消滅し、あるいは発行部数の少ない特殊メディアにな
り、活字としてのニュースは、個々人が自分のファックスやパソコンのプリンターで自由にプ
リント・アウトするというようになるのも、時間の問題かもしれない。しかし、現在の問題は
そんなところにはない。
問題は、いまの新聞が果たしている機能であり、テレビがマス・メディアとしての機能をま
すます強く発揮していくときに、新聞がテレビとともに発揮する機能である。
テレビがよく見られれば見られるほど、新聞は雑に見られるようになる。少なくとも新聞が
現在の形態と傾向を維持するかぎりはそうなるだろう。そして、それにもかかわらず新聞が依
然として購読され続けるとすれば、新聞の機能は、一種のスポット広告のそれのようなものに
ならざるをえないはずだ。つまり、ちらりと目を向けるだけでメッセージを伝えるような機能
である。それは決して熟読されることはない。瞬時にすべてを判断できるかのような情報環境
を作ることこれが新聞の主要機能になっていく。
実際に、テレビを毎日見ている新聞読者にとっては、新聞は見出しを追うだけで十分だとい
う印象を与える。このことは、新聞がテレビで既知のことを舌足らずに再説しているという批
判を含んでいると同時に、新聞がテレビ・ニュースの見出しガイドになっているとい
うことでもある。新聞にくらべると、テレビは視聴者が自分で判断する余地をより多くもって
おり、その側面をどこまで広げられるかがテレビの今後の解放問題である。日本のテレビはそ
の点で極度に遅れているわけだが、新聞にくらべればテレビは視聴者を一定の観点のなかに拘
束する度合が相対的に弱いと言える。しかし、この視聴者が、いま見た映像を翌日の新聞の見
出しによって意識のなかで整理しなおすとき、映像は、確実に当初の自由性を失ってしまう。
新聞の機能は、いまやそれ自体においてではなく、関連するメディア全体、さらには情報環
境全般との関連で問題にされなければならない。いずれにしても、そのメディア機能が見出し
の瞬間的イメージの効果の方に傾いているという意味で、見出しの責任は極度に大きなものと
なっている。しかし、現状では、杉本良夫一『超管理列島ニッポン』光文社一や浅野健一一『犯罪報
道の犯罪』学陽書房一が指摘しているように、日本の新聞は記者クラブを通じて官庁と癒着して
おり、そのために、官庁発表がそのまま見出しになることが少なくなく、新聞は一種の官報に
なってしまい、読者は警察や各省庁の観点で事件や現実を処理することを無意識に行なうはめ
になりやすい。
一二月一八日付の『朝日新聞』(朝刊、一四版)の一面中央に、「億・兆今や当たり前?」
一横紙一、「証券界は『京』時代まぢか」一縦紙一という見出しの記事が載っている。これは、大
和証券経済研究所が最近発表した論文「資本市場の中期展望」を紹介する形態をとった記事で、
それによると、国債が大量に発行される結果、公社債市場の売買高が膨らみ、この分でいくと、
五年後には、一京三〇〇〇兆円(一京=一万兆)に達するだろうという。
日本の新聞記事の多くは署名記事ではなく、匿名によって一見客観性をよそおっている。し
かし、純粋に客観的な立場などというものが存在しないことは、いまでは諸科学の哲学的前提
にすらなっており、新聞がよそおっている"公正〃さは所詮、タテマエにすぎない。たとえ事
実報道というものがあるとしても、その事実が他のどのような事実や状況と結びつくかによっ
て、最初の"事実〃とはまったくちがった意味を持ってしまうのである。
逆に言えば、事実記事を使って一つのキャンペーンを行なうことも可能であるということだ。
たとえば、「証券界は『京』時代まぢか」という見出しの記事は、デノミネーションを推進す
るキャンペーンの先がけにもなりえるだろう。わたしは、朝日新聞社がデノミに賛成なのか反
対なのかはよく知らない。しかし、この記事がデノミ問題に無関心でないことだけはたしかで
ある。この記事は、大和証券経済研究所員の「現実には『京』の時代は五年後よりもっと早く
くるかもしれない。もっともデノミネーション一おカネの単位の呼称変更一が実施されれば様相
は一変するが……」という談話で終わっているからである。
編集というものがある以上、新聞記事に意図と演出がつきまとうのは当然である。"ヤラセ〃
の要素のまったくない新聞はありえない。が、そうだとすれば、ある記事を"ありのままの事
実"として読み取る新聞の読み方はまったく無意味だろう。新聞を読むということは、そのな
かにある無意識的・意識的な"ヤラセ〃のプロセスを読みとることであり、"事実〃のすきま
にミクロな政治を読み取ることだろう。
フランスの歴史家フエルナン・ブローデルが示唆したように、長期的に見て世界を変えるの
は、個々の"政治的〃事件であるよりも、むしろミクロな政治である。われわれが日々、何気
なく新聞を読むなかで無意識的に実践している一革新的あるいは反動的な一政治ミクロポリ
ティクスが問題にされなければならない。



一九八六年二月二三日
この数カ月間新聞では「いじめ」問題がたびたびとりあげられた。特に『朝日新聞』は「い
じめ」キャンペーンをはり、持続的にこの問題をとりあげた。新聞がある問題を持続的に報道
し、論ずるということはめずらしいことではない。アフリカの飢餓問題は国際的なメディア・
キャンペーンだったし、ロッキード報道は日本のメディア史上では最大のものだった。
メディアを大衆に開放してしまう一パブリック・アクセスもその一っ一のでないかぎり、マ
ス・メディアが"公器"になることはできないのだから、そういう制度の整っていない現状で
はテレビも新聞も、なまじ"公器〃であるようなポーズはやめにして、主張や情宣に徹した方
がよいのではないか?そのためには、現在の新聞のように、出来事をあたかも客観的に報道
しているかのような姿勢をあらためる必要がある。毎日おびただしい数の事件が起こっている
以上、テレビや新聞でとりあげられるものはすべて主観的な選別を受けている。客観的な報道
などありえない。事件と表現とのあいだが幾重にもなっている新聞の場合にはなおさらだ。
どの新聞を毎日読んでいるかで世の中の見方が変わってくるはずだし、新聞の種類によって
作られる階級や階層というものもあるだろう。それが決して自然のなりゆきではなく、新聞の
作用なのだということをはっきりと明示してほしいと思う。そうでなく、新聞は冷厳たる事実
だけを報道しているかのようにふるまっているから、たとえば毎日のように「いじめ」問題が
ある新聞でとりあげられると、この一週問に急に「いじめ」が増えたかのような錯覚に陥った
りする人が出てくる。
わたしは、決して、最近の「いじめ」報道がデマだなどとは言っていない。文部省の調査で
は大都市圏の中学校の七三%で「いじめ」が起きているという。マス・メディアは、東京の中
野富士見中学の「いじめ」事件をきっかけに「いじめ」の報道に熱心になったが、この事件が
起こった時点に、まるでインフルエンザのように、全国の中学校で「いじめ」事件が急増した
かのような印象を与える報道は困るということだ。
その点で、『朝日新聞』が、二月二二日付の「社説」で「いじめ」問題への対処の姿勢を明
確にしたのは高く評価できる。それは、「いじめ」問題克服のために「なにかしなくてはいら
れない気もち」を率直に表明しており、同紙上で少しまえから始まった一連の「いじめ」問題
についての記事が、こうした意図から出ていることを明確にした。
しかし、問題は、このようなやり方で「いじめ」問題が克服できるかである。何もやらない
よりはよいではないかといったレベルの議論はやめよう。重要なのは、問題への対処方向であ
る。『朝日新聞』にかぎらず、「いじめ」問題は、概ね、「いじめられている」子どもが受けた
被害のレベルでしかとらえられないように見える。"加害者〃の悪が前提され、「いじめ」をと
めなかった教師が批判のまとになる。
もっと相互的に「いじめ」がとらえられる場合でも、「いじめ」問題が学校の外部との関係
で論じられることはほとんどない。たとえあるとしても、"被害者〃や"加害者〃、はては"無
責任教師"の家庭環境が問題にされる程度だ。「いじめ」が今日の日本社会の全体的な問題で
あるという観点はほとんど見られない。
わたしの考えでは、「いじめ」は単に教育界の問題ではなくて、この二〇年間にトラスティ
ックに変わった日本社会一とりわけその集団性一の後遺症であり、それは、教育現場だけでなく、
この変化に対応することができない集団世界では何らかの形で発見できる現象である。「いじ
め」の文化は、潜在的にはいたるところにあるのであり、それは、「いじめ」問題に真剣にと
りくんでいる『朝日新聞』紙上でも例外ではない。
中野富士見中学の事件で「先生は止めなかった」ということを報じている記事(ニ月一四日
付、一四版、二三面)のすぐ隣にある『フジ三太郎』のマンガは、まさにこうした矛盾を体現し
ている。それは、バレンタイン・デイでもてっぱなしの男が、女性たちからもらったチョコ
レートを大きな紙袋に入れて会社の机のかたわらに置いておくと、もてない中年男が、シャツ
のあいだからこっそり「ポカロン」をとり出し、紙袋のなかに投げ込み、チョコレートを溶か
してしまうというマンガである。
これは、「いじめ」というよりもひがみであるが、「いじめ」とひがみはどこかでつながって
いる。ひがみが存在するかぎり「いじめ」も続くだろう。中野富士見中の場合もそうだったが、
「いじめ」には必ず結束した集団と孤立した個人がいる。ここでは、個人は集団に帰属すべき
ものという捷が前提されている。自立は許されないのである。ひがみも、帰属を無批判に前提
する点では同じで、自分が個人なり、集団なりからはじき出されだということを気にかける。
『フジ三太郎』は、会社や家庭でいつもサエない⑫のサラリーマンを主人公にしている。その
同僚たち一たとえば前述の中年男一もサェなくて、彼らは、一種の⑫世界への強い帰属意識を持
っている。そのため、彼らは一人でバリバリ仕事をしてしまうカッコいいやっにはひがみをも
ち、上役には恐れをいだく。そういう連中は、自分たちの帰属する世界にはいない、というこ
とが前提されているわけだ。
しかし、このような固定した帰属関係は、今日の社会では、会社でも家庭でも崩れつつある。
ビと金は決して固定したものではなく、ときには入れかわることもある。それらは、まさに情
報階級制なのである。ここでは、個人は何らかの集団に属するとしても、決して永続的ではな
く、フジ三太郎のようにいつも単一の世界に帰属しているということはなくなりつつある。
『フジ三太郎』が年々おもしろくなくなっているとすれば、それは、サトウサンペイの力量の
低下のためというよりも、読者をとりまく社会環境の変化のためだろう。今日では、フジ三太
郎たちが相も変らずひがんでばかりいるのが、ひどく不自然に見えるような現実が出来上がり
つつあるのだ。
先の、バレンタイン・デイのマンガでも、別にチョコレートをたくさんもらったからといっ
て、どうってことないじゃないと思う人も増えているはずである。なぜ、人の持ち物に「ポカ
ロン」を投げ込んだりするのか、これこそ犯罪的行為ではないか、と思う人もいるかもしれな
い。「カラスの勝手でしょう」という言葉がはやったのは、もうだいぶ以前のことだ。
社会のあらゆる部分で固定的な帰属関係というものがこわれはじめている時代に、依然とし
てそのような帰属関係を強制しているのが現在の学校社会である。それが不自然になればなる
ほど、この関係の持っていた欠点が極端に浮き出てくる。連帯という長所が生かされるかわり
に、村八分の特性が極端化する。もともと無理な帰属なわけだから、積極性よりも、消極的・
否定的であったものが逆に積極化するわけである。
すでにアメリカの社会学者のスタンフォード・ライマンは、『北アメリカのアジア人』(一九
七七年、ABC Clio, inc.)のなかで、在来の日本人一世と二世の集団性の特徴として、噺笑とか
らかいの「いじめ文化」>(teasing culture)があることを指摘している。ライマンによると、一世
と二世のあいだでは、親子関係や親密集団の関係では、そのタテ関係を暗黙的に教育する手段
として噺笑やからかいの方法が用いられるという。それらは相手を虐待するためのものではな
く、ときには相手に対する愛情やユーモアであったりする。
これは、一世・二世の閉鎖的な社会にのみ特有のものではなく、日本の伝統社会に遍在して
いたものだった。今日でも、古いタイプの集団では、ボスが満座のなかで一人をからかい、か
らかわれた方もうれしそうな顔をして笑っているという光景を目にすることがある。
おそらく、学校社会での「いじめ」のなかにもそうした要素があるのだろう。「いじめ」は、
ハイエナのような集団が一人の人物をいたぶるのとは異なるし、スケープゴート理論の犠牲者
とも異なるだろう。
しかし、今日の集団は、屈折した儀式を必要とするタテ社会ではなくなろうとしている。そ
こでは「いじめ」は、「葬式ごっこ」のようなおあそび・演劇となるか、さもなければその破
産形態としての肉体的・心理的虐待の機能しか果たしえないのだ。
「いじめ」問題は、教育だけでなく、あらゆる管理制度が大きな転換をせまられていることを
示唆しているのである。新聞の「いじめ」キャンペーンの視野は、そこまで広げられなければ
ならない。



一九八六年四月一六日
三月からニューヨークに来ているのだが、その間に起こったいくつもの重大事件は、この都
市のマス・メディアの機能をまざまざと露呈させた。とりわけ四月一四日のアメリカのリビア
爆撃は、状況に対する批判的な機能を多少なりとも維持していると思われたニューヨークのマ
ス・メディアですら、レーガン体制が主導する帝国主義的"愛国主義〃からいささかも自由で
ないことをあらわにした。
リビア問題とニカラグア反政府ゲリラ"コントラ〃への援助問題そのものについては、この
原稿を書いている四月ニハ日現在、事態が刻一刻と変化しており、論評するのが難かしい。ニ
カラグアについて言えば、一回は否決されたレーガンの援助提案がサンディニスタのボンデュ
ラス"侵入〃という一カダフィが西ベルリンのディスコテークのテロを指揮したという嫌疑と同様に、
少なくとも公的な証拠のない一理由で急に可決され、明日にも議会でその最終決定が下されるこ
とになっている。リビアに関しては、いまこの原稿を書いている最中に新たな爆撃が行なわれ
ているかもしれない情勢である。それゆえ、事件そのものの論評はしばらくおかざるをえない
が、こうした事件の報道のしかたを通じて現れたニューヨーク市の新聞の性格や機能について
は、いま分析を加えることが可能なのである。
ニューヨーク市のどこででも買える新聞というと、『ニューヨーク・タイムズ』、『デイ
リー・ニューズ』、『ニューヨーク・ポスト』の三紙がある。このほかに『ニューヨーク・ニ
ューズ・デイリー』紙も新聞スタンドでよく見かける。ニューヨークには、有料の宅配制度も
あるが、依然、街頭や駅の新聞スタンドで購入する人が相当多い。これらの新聞は、通常、早
いところでは前日の夜九時すぎに店頭に並び、夕刊はない。そのため、マンハッタンのような
狭いエリアでも、置いてある新聞の版がちがい、同じ店でも、前夜に買った版と翌朝のとでは
一面の見出しがまったくちがうことが少なくない。
新聞は一体にページ数が多く、『ニューヨーク・タイムズ』紙の先週の日曜版の重さを計っ
てみたら三キログラムであった。内容や論調は各紙ともはっきりとちがっており、カラーは明
確である。また、ニューヨークには、多くのエスニックが住んでいるので、中国語、イタリア
語、スペイン語、イーディッシュ語、ポーランド語、ギリシア語等々、さまざまを言語の日刊
紙が出ており、ニューヨークの新聞情報環境は、量的にも質的にも多様だと一応は言うことが
できる。
しかし、今回のリビア爆撃が起きてから感じるのは、一」うした新聞情報環境の多様性などは
極めて表層的なものであり、"多様〃と見えるものは、活字の割付と紙面のデザインだけなの
ではないかということだ。
ここには、おそらく、テレビの影響が大きく介在しているにちがいない。リビア爆撃が行な
われてから、テレビのニュースをいつになく長時間見ることになったが、その報道のしかたは、
どの局もみな似たりよったりの"愛国主義〃で貫かれており、"多様性〃は感じられなかった。
そのなかではNBCがマシであったが、その差は、『ニューヨーク・タイムズ』紙と『デイ
リー・ニューズ』紙の差には及ばなかった。こうした強力な均質化メディアがあり、刻一刻と
変わる事態を迅速に流していれば、新聞の多様性などどこかへ吹き飛んでしまうだろう。そし
て新聞自体も、うわべは多様性をよそおってはいても、テレビによる通俗的な均質化を最初か
ら前提とせざるをえなくなるのである。
新聞の読者は、通常、ある特定の新聞しか読まない。それを自分の"城"だと思っている。
『ニューヨーク・タイムズ』紙の読者は、その論調の一応の目くばりのよさと批判意識に満足
している。『デイリー・ニューズ』紙や『ニューヨーク・ポスト』紙の読者は、政治も殺人も
スポーツもいっさいがっさいショーにしてくれる論調と文体を楽しみ、『ニューヨーク・タイ
ムス』組みたいな小むずかしい新聞を読んでいる読者をうさんくさく思っている。両者は相手
をたがいに軽蔑しあいながら、同時に認めあっているつもりにもなり、これがアメリカの民主
主義なのだと考えている。
ところが、いざ重大事が起こると、一挙に、通俗的な方向へ統合されてしまうのがニュー
ヨークの新聞メディアの特徴である。このことは何もニューヨークだけのことではないが、そ
の掌をかえしたようなあざやかさはニューヨークの特徴だ。
四月一五日付の一面で、『ニューヨーク・ポスト』紙は、「やった、カダフィを!」、『デイ
リー・ニューズ』紙は、「空爆USリビアを撃つ」と特大活字で、『ニューヨーク・ニューズ・
デイリー』紙は、レーガンのカラー写真入りで「われわれは、なすべきことをなしたのだ」と
いう彼の言葉を掲げた。『ニューヨーク・タイムズ』紙は、『デイリー・ニューズ』紙のように
カダフィーの「悪行のかぎりをっくした」生活ぶりを物語タッチで記した文章を載せるなどと
いうことはせず、「アメリカ爆撃機リビアの基地をたたく攻撃目的はカダフィにつながる
『テロルの支配領域』への報復にあり、と大統領は主張」と冷静な見出しをつけた。
が、この『ニューヨーク・タイムズ』紙ですら、三〇面掲載の「社説」では、「テロリスト
とその宣告」と題し、レーガン支持を表明している。むろん、署名記事をたてまえとしている
『ニューヨーク・タイムズ』紙は、決して一枚岩的メディアではなく、「社説」によって論調が
統一されているわけではない。こまかく読めば、『ニューヨーク・タイムズ』紙はフィリピン
革命についても、ニカラグア問題についても、リビア問題についても、事件の細部を他の新聞
よりもかなり"客観的"に報道しているのである。
四月二二日付の『ニューヨーク・タイムズ』紙を例にとっても、紙面の三ぺージほどをリビ
ア問題にあて、そのなかにはアテネ、カイロ、ローマ、マドリッド、テル・アヴィヴで働くア
メリカ人たちの状況を各国特派員がリポートしたユニークな記事があった。これを読むと、
一記事の論調はそのっもりではないのだが一アメリカ企業の進出のすさまじさと、各国における反
援の必然性が理解できるのである。
四月一四日付の第五面には、ボン、フランクフルト、パリの声が伝えられており、フランス
の批判としてテロリズムに対するレーガンの態度が一映画の一「ランボー的反応」だとする表現
が引用されている。
それゆえ、『ニューヨーク・タイムズ』の持続的な読者には、国家的レベルで公的に明確に
されていない嫌疑に対して、アメリカが戦争という明確な国家的対応をとることの理不尽さが
以前からわかっているはずなのである。
しかし、リビア爆撃のあとのマス・メディアの反応を見ると、ニューヨークの新聞の"多様
性〃のあいだから現実を批判的に読み取るなどということは、ごく少数のインテリのお遊びに
すぎないことがわかる。少なくともレーガン体制下では、社会の動向は、街に投射された情報
の最も通俗的な部分にあると言ってよい。
その意味で、わたしは最近、街でおもしろい体験をした。わたしがある日、ブロードウェイ
のダウンタウンを歩いていたら、手にロケットのようなものを持っている男がいたので、思わ
ず凝視した。すると男は、そのおもちゃのロケット一三〇センチぐらいの長さがあった一をわた
しに見せながら、「これでカダフィをやっっけるんだよ」と言って笑った。そのとき、わたし
も大いに笑ってしまったが、彼の発想は、その時点で、かなりのアメリカ人が共有していたも
のではないかとあらためて考えるのである。
また昨日、セカンド・アヴェニューを歩いていたら、どろどろの服を着た黒人の男がわたし
にいきなり手を出して小銭を求めた。わたしは急いでいたので無視して通りすぎたら、うしろ
で、「おまえはカダフィみてえな野郎だぞ!」という叫び声が聞えた。光栄のいたりである。
とはいえ、これらとは相反するメディァヘの対応を目撃しもした。四月一四日の夜、新聞を
買いに行く途中、口々に"反戦〃と"平和〃を唱えながら、車道であばれている十数人のパン
ク青年たちとすれちがった。そのうちの一人は、すばやく一軒の店のシャッターのうえに、ラ
ッカー・スプレーで「USA卍」と書き、Pease!と叫びながらふたたび車道に飛び出して
いった。それは、「国家に支えられたテロリズム」に狂喜するアメリカで感じられる唯一の救
いであった。



一九八六年六月二六日
六月二〇日付の『朝日新聞』一朝刊、一四版、三面一に非常に重要なニュースが掲載された。
それは、「電波に初の環境基準米で指針案」という見出しの記事で、「ラジオやテレビ放送、
通信、レーダーなどに使われている電波が人体に与える危険性について検討を続けていた米環
境保護周(EPA)はこのほど、健康上の心配があるとして、電波の強さの最低値などを設定
した規制指針案をまとめたLことを伝え、この外電に若干のコメントを加えている。
電波による環境汚染の問題は、アメリカや東西ヨーロッパでは、これまでにもたびたび報道
されてきたし、この問題を扱った一般書も出ている。しかし、日本の場合は、以前に専門家に
よる「人体に対する電波の影響についての懇談会」が組織されたり、新聞も報ずるように八六
年の一月から電子通信学会のなかに「生体電磁環境研究会」が発足したりはしているものの、
マス・メディアではまだちゃんとした報道がなされていない現状である。六月二〇日の記事は、
その点ではまったく不十分なものであるが、こうした情報が皆無といってよいほど欠如してい
る現状では、非常に重要な意味を持っていると思うのだ。
新聞には書かれていないが、電波環境汚染の問題は、アメリカでは一九五〇年代からすでに
人々の関心を呼んでいた。一九七〇年代の後半には、ポール・ブロデュアによる『アメリカを
やっつける』(W.W.Norton&Co.,Inc.)が引き金となって、この問題が『ニューズ・ウィー
ク』誌や『タイム』誌をにぎわしたこともあった。専門書も何冊か出されており、電波環境汚
染に反対する活動グループも作られた。この問題に対する一般的意識は、少なくとも日本より
は、はるかに高い。
そうした情報の一部は、日本でも、テレビ画面から人体に有害なマイクロ波が出ているとか、
モスクワのアメリカ大使館にKGBが強力な電波を照射して館員たちのマインド・コントロー
ルを行なっているとかいった興味本位な角度から、週刊誌等で報じられたことがある。しかし、
それらの科学的根拠が立ち入って提示されることはなく、またそうした情報の背景が叙述され
ることもなかった。
電波環境汚染の問題は、実のところ、科学者の単なる理論的な警告から発したというよりも、
むしろ、それが原因とみられる実際の事故から発している。しかも、その際、問題の強力な電
波の出所の多くは軍事施設であった。これは今日でも変わっておらず、電波環境汚染の最大の
元凶は陸海空軍の軍事施設や兵器一スパイ飛行機や潜水艦を含む一であると考えられている。む
ろん、強力な電波を用いるラジオ、テレビの放送アンテナやマイクロウェーブのパラボラ・ア
ンテナ、飛行場の管制塔のレーダー・アンテナなどの民間設備からも有害な電磁波は出ている。
が、それ以上に有害な電磁波は主として軍事関係で発見できるのである。
アメリカ空軍は、一九五三年に電波汚染の規準問題を討議しはじめ、五七年には「一平方セ
ンチ当り一〇ミリ・ワット以下」という規準を設けた。全米規準協会一ANSI一が「C95」
と呼ばれる似たような工業規準を「推薦」したのは六六年だったことでもわかるように、軍の
対応は民間よりも早い。しかし、このことは、軍が民間企業よりも環境問題に関して誠意があ
るということではない。それだけ深刻な事態が軍事レベルで起こっていたことにすぎない。
規準が設けられたあとでも、軍事的な電波汚染は解決されたわけではなく、七一年に『ワシ
ントン.ポスト』紙のジャック・アンダーソン記者が、スパイ飛行機EC1121からの電波
で地上の人々が目をやられるという指摘を行なったことがある。もっと深刻な事例はいくらで
もあるが、その一つは、アラバマ州のフォート・ラッカー・ヘリコプター・パイロット訓練所
周辺で発覚した事故だ。
七一年、アラバマ大学の公衆衛生・疫学科教授のピーター・B・ピーコックは、この基地の
周辺に住む妊産婦から六八−七二年のあいだに生まれた子どもに内反足などの奇形が多い点を
指摘した論文一『アラバマ州アメリカ医学協会誌』七月号一を発表した。
ピーコックの疑いは、この基地にある四六基のレーダーから出されている強力な電波が六八
−七二年の時期に何かの理由で特に強くなったのではないかというものだった。そして奇妙な
ことに、そうした奇形は、この時期にリスター陸軍病院で生まれた子どもにとりわけ多いのだ
った。軍は秘密を知っていたのではないか?
ピーコックの調査がきっかけとなって、サーザン・リサーチ・インスティテュートによる一
層詳しい調査研究が行なわれた。その結果、「軍事基地における先天性異常とレーダーの使用」
と題するレポートが、七三年にEPAに提出された。しかし、EPAは、このレポートから
ピーコックとは逆の結論を引き出し、軍も嫌疑を否定した。
その後も電波汚染の問題は引き続き社会的関心となり、軍事基地のレーダーだけでなく、潜
水艦基地から出る超長波の電波や放送アンテナのマイクロ波の公害に反対する市民運動は続け
られ、『マイクロウェーブ・ニューズ』のような活動機関誌も発行された。しかし、六〇年代
の後半に作られた「電磁輻射波管理諮問委員会」(ERMAC)が若干の影響力を持ったのは
カーター政権の時代だけで、レーガンの時代になると事実上"自然消滅〃させられてしまった
のを見てもわかるように、電波汚染の環境規準に対して、政府はあまり本腰を入れてはこなか
った。
これは、この問題が電子テクノロジーの開発利用の問題と深く絡みあっており、規制を厳し
くすると、開発に歯止めをかけなければならなくなるからである。しかも、電子テクノロジー
は、それ以前のテクノロジーよりもはるかに、軍事と民生の区別がっかないようなテクノロ
ジーであり、規制の強化は、軍事力と企業活力の抑制につながりかねない。その意味で、今回
EPAが、従来の「推薦」規準より厳しい環境規準を設けようとする方向に動いていることは
興味深いことである。と同時に、このことは、電波による環境汚染がそれほどまでに悪化して
いることなのだと考えることもできる。
しかし、EPAの今回の発表が、軍事施設による電波公害をどこまで留意しているのかは、
わたし自身まだEPAの「規制指針案」を見ていない段階では、皆目見当がつかない。ただ、
三れは、わたし自身、まえから主張してきたことだが一電波汚染の問題は、電子テクノロジーの本
質に関する根本的な見直しを要求し、とりわけこのテクノロジーをもっぱら旧テクノロジーの
延長線上でしか利用していない現在の巨大送信・通信施設のあり方そのものに疑問を投げかけ
ないわけにはいかないだろう。
また、電波汚染に留意した場合、軍事基地や兵器に反対する闘争の形態も変わらざるをえな
いだろう。現在の反戦・反軍事闘争は、結果としてありうべき戦争の危険をその正統性として
いる。しかし、現在われわれの身近に存在する軍事基地や知らず知らずのうちに身辺に近づく
兵器(上空を飛ぶスパイ衛星もその一っ)が現にわれわれの体をむしばんでいるとしたらどうで
あろうか?それは、可能的な危険ではなくて、現実的な危険である。そのような危険は、い
ますぐ排除されなければならないし、その全容が明らかにされなければならない。
それにしても、電波汚染に対する日本の対応は、信じがたいほど遅れている。「推薦」の環
境基準すらほとんど皆無であるという現状は、有機水銀やカドミウムを垂れ流しながらひたす
ら高度成長の道を突っ走っていた時代と何一つ変わっていないのである。



一九八六年八月二六日
新聞ではバラバラに報じられるために、事件同士の相互関係や事件の根にある基本的な問題
が見えてこないということがよくある。
たとえば、近年、日本では「エスニック料理」なるものが流行し、新聞もそれに関する記事
を何度もとりあげている。このばあいの「エスニック料理」というのは、原語とはニュアンス
が違い、主として東南アジアの料理のことである。実際にタイ、カンボジア、ヴェトナムなど
の香辛料のきいた料理ははやっており、それは他の料理の嗜好にも影響を与え始めている。
「エスニソク料理」厳密には「ユイシアン・エスニソク・フード」のこうした流行は、
現地から日本にやって来た人々によるレストランが増えたために起きたものだが、このことと
日本の産業構造の変化とが密接なつながりを持っていることにっいては、新聞を読むだけでは
わからない。なぜ近年「エスニック料理」のレストランが増えたかにっいての立ち入った分析
が乏しいからである。
同じことは、東南アジア諸国からの「出稼ぎ」労働者が急増している問題についても言える。
この問題は、色々な事件をきっかけにして間接的には報じられている。たとえば、七月二一日
付『毎日新聞』一夕刊一は、「"じゃぱゆきさん〃就学ビザで」「ブローカー暗躍」という見出し
で、「出かせぎ希望者」に対して「"偽装入学〃の仲介で暴利をむさぼるブローカーが暗躍して
いる」ことを詳しく報じている。
この記事によると、各種学校の入学許可を得た外国人は、観光ビザの二倍に当たる六カ月の
在留期間が得られるため、「これまで観光客を装って観光ビザで入国していた発展途上国など
の就学希望者が、ブローカーの甘言にっられ、各種学校への入学手続きを一括依頼するケース
が急増している」という。そうしたなかで、関係各署は、このブローカーのあっせんが、入国
管理法や職業安定法に抵触する可能性があるとして、「本格的捜査に乗り出した」。
また、七月一九日付『朝日新聞』は、「台湾女性と偽装結婚」という見出しで、「観光ビザで
来日した台湾女性と、日本人の男性を次々に偽装結婚させ」ていた「結婚ブローカー」が、
「公正証書原本不実記載、同行使などの疑い」で逮捕されたことを報じている。この結婚は、
「台湾女性」が日本で長期的な「出稼ぎ」をするためで、「結婚」した日本人の「夫」と外国人
の「妻」とは顔を合わすこともなく、大抵、二⊥二日で「離婚」するシステムになっていたと
いう。
いずれの記事も、「警察情報」をもとにしているために、「ブローカー」の手口は明らかにし
ているものの、事件の背景についてはまったく言及がない。なぜこうした「ブローカー」が
「暗躍」しているのか、またなぜ「東南アジアなどの発展途上国で、円高ニッポンヘの出稼ぎ
希望者が急増している」のか、ということは、新聞を読むだけではわからない。記事を読むか
ぎりでは、「ブローカー」が悪といことが、そして「東南アジアなどの発展途上国」の人々が
「円高」の日本で「出稼ぎ」を希望していることが、こうした事件を生んでいるかのように見
えるが、根はもっと深いはずだ。
東南アジアからの「出稼ぎ」は、最近の「円高」で急に増えたわけではなく、七〇年代後半
から次第に光進してきた傾向である。しかもそれは、「難民」の増加といった外的要因のため
であるよりも、「出稼ぎ」の安い労働力を必要とする日本の内的要因のためなのである。
統計によると、日本で商業、交通、事務、メディア、レジャー、教育などのサービス労働の
人口が農業や工業の労働人口を上回るようになるのは一九七四年である。これは、いわゆる
「工業化社会」から「サービス社会」への移行の指標であり、産業は、以前よりもより多くの
サービス労働者を必要とするようになる。サービス労働というものは、さまざまな日常的行為
を微細に分業化する原理によって成り立つから、サービス社会の発展は、ますます多種類の
サービスを生み出していく。それまで「労働」とは見なされていなかったものが、新たな賃労
働となる。墓まいり代行業などというものは、工業化社会では考えられないものだった。しか
し、その結果、サービス自体の値が上がり、人を使うということが金のかかるものとなる。東
南アジア諸国からの「出稼ぎ」は、こうした状況変化のもとでの安い労働力不足を補う側面が
強い。
日本は、工業化社会の「仕上げ」としての高度成長を海外発注と機械化一ロボット・自動販売
機等一で切り抜けた。アメリカ、カナダ、オーストラリア、西ドイツといった国々が移民政策
を転換することで行なったことを、日本はもっとリスクの少ない方法で行なった。そのために
日本では、大抵の先進産業国が経験してきたエスニックの文化や本格的なエスニック・フード
との出会いを放棄した代わりに、人種差別や「ガストアルバイター一ゲストワーヵ↓」問題に
直面することをまぬがれた。
しかし、自動車製造をすべてロボットにまかせることはできるとしても、サービスをすべて
オートメーションにまかせることはできない。サービス社会が発達すればするほど、サービス
の「階級差」は大きくなり、機械によるサービスは最も低級なものとみなされるようになる。
またセックス産業のように、どこかしらで生身の肉体に頼らざるをえない労働の場合、安い
「肉体労働者」を確保することが不可欠になる。「じゃぱゆきさん」はこうして日本のセックス
産業の事実上の「ガストアルバイター」になった。
問題は、必ずしも渡り鳥的労働者が「金になる」日本をねらって殺到したということではな
いのだ。むしろ、日本のシステム自身がそうした労働力を必要としているにもかかわらず、そ
れをはっきりと制度化しないところに問題がある。日本は、外国人労働者の移入を極度に厳し
く制限している国の一つであるが、それならば二〇万人以上に達すると言われるアジア人の
「不法」な「出稼ぎ」を禁じなければならない。ところが、そんなことをすれば現在のシステ
ムは成り立たなくなるわけで、明らかに日本の出入国管理法一正式には出入国管理及び難民認定
法一は虚構化しているのである。
入管法の虚構は、一つには、「単一民族国家」という虚構にもとづいている。この虚構は日
本の内部の一部の人々にとってしか通用しないから、それを維持するためには、ますます「世
界化」する資本主義システムの産業効率を極度に落とさなければならないだろう。それは別の
意味ではおもしろい。だが、そんなことはまちがってもできない政策を選択したままで「単一
民族国家」の虚構を守り通すならば、矛盾はますます深くなる。
日本史教科書の検定や靖国の公式参拝をめぐってアジア諸国から批判が出るのも、それは
「外政干渉」のためではなく、もはや日本だけのシステムというものは存在しないからである。
日本だけがその資本主義的な「繁栄」を楽しみ、利益を独占することはできない。資本主義シ
ステムの矛盾は、すべてを金に換算しながら、その一方で必ず誰かに無償労働を強いる点だが、
現在の入管法は、「出稼ぎ」労働者にとってはそうした矛盾を最も強く加重する極度に搾取的
なものとなっている。
海外からの「出稼ぎ」労働者の問題は、今後ますます重要な問題になっていくだろう。そし
てそれは、単に「エスニック料理」などというような気楽な問題にはとどまらず、人種差別や
「日本人」の「アイデンティティ」の問題の再考をもうながすだろう。新聞は、そうした問題
を「専門家」や「有識者」の単発的寄稿文にまかせるのではなく、一般の記事のなかでも持蒼Iにフォローしてほしいと思う。



一九八六年一〇月二七日
「中曽根首相『人種差別』発言」に対するアメリカの反響は、この発言とそれに代表される日
本の排外主義に対するアメリカのマスコミの批判であると同時に、アメリカのマス・メディア
による屈折した日本新聞批判でもあった。
事件は、もっぱら首相の非常識な「脱線」が批判されるという形で展開し、日本のマス・メ
ディアの批判精神の欠如や御用メディア的体質が問われるという形では進まなかったが、日本
のマス・メディアとりわけ新聞に対して暗に向けられた根底的批判は、もっと立入っ
て論じられる必要があるだろう。
中曽根首相をはじめとして、日本には「単一民族国家」の幻想が依然あり、国家をさまざま
な個人や民族の共有場とは考えられない習慣が根強く残っていることは言うまでもない。国家
を民族との関連でしか、また民族を血のつながりのなかでしか考えられないのは、天皇制的文
化の長い支配のためだが、そうした因襲は、日本の経済的な「成功」とともに逆に強まってい
る。
しかし、そうした因襲や偏見の排外的性格や反動性が一般的な共通認識となるためには、日
本のマス.メディア自身がそうした因襲や偏見から自由でなければならないだろう。が、残念
ながら、日本のマス・メディアは、こうした”非国際性〃を十分に指摘してこなかっただけで
なく、それを外国からショッキングな形で指摘された後にも、それを自分自身への批判として
は受けとめなかった。
事件は、九月二四日付の『ニューヨーク・タイムズ』紙と『ワシントン・ポスト』紙が首相
の問題発言を報道することから始まったが、原文をよく読むならば、そこには日本の新聞に対
する痛烈な椰楡と批判が秘められていることがわかる。両紙はともに、日本の新聞を引用する
という形で問題発言を報じているが、当の日本の新聞は、両紙で報じられているような批判意
識を持って中曽根発言を報じてはいないからである。
問題発言の現われた自民党全国研修会一九月二二日一については、九月二三日付の『朝日新
聞』、『読売新聞』、『毎日新聞』、『サンケイ新聞』、『東京新聞』の各紙が二面ないしは三面でか
なり大きく報じている。だが、そこでは、中曽根が「人種差別」的な発言をしたということに
っいては一行も触れられてはいない。わずかに『東京新聞』と『読売新聞』が小さな「ニフムで
それにっいてただしあくまでもエピソード風に報じているにすぎない。
『東京新聞』は、「首相”脱線”発言をポロポロ自民研修会諸外国配慮も忘れた?」一第二
面一という見出しで五三〇字ほどの記事をのせている。が、「”脱線〃」的琶言については、そ
のうちの一五〇字で言及されているにすぎない。しかも、「脱線」にダブル・プライム記号が
付されているように、その発言は必ずしも脱線とはみなされてはいないのである。
『読売新聞』は、三五〇字ほどの「政界メモ」(第三面)で、「(首相は)勢い余って『アメリカ
には黒人、プエルトリコ人、メキシカンが相当いて知的一レベルは低い』(と発言)」とだけ
述べ、コラムの末尾を、「党員には増上慢を戒めた首相だが、ご自分の方は脱線気味の感も
」とあいまいに結んでいる。
たったこれだけのコラム記事を『ニューヨーク・タイムズ』紙と『ワシントン・ポスト』紙
は、それらがあたかも中曽根を正面から批判した記事であるかのように暗示しているのだから、
コラム記事の原文を知らない者は、アメリカに先立って日本で明確な中曽根発言批判が出現し
たかのような錯覚に陥るだろう。また、原文を知っている者は、二つのアメリカ紙が日本の新
聞に対して一種の晶虞の引倒しを意図的に行ない、それを椰楡する形になっていることに当惑
するかもしれない。しかし、『東京新聞』も『読売新聞』も、アメリカ紙の屈折したこの椰楡
と批判に対してその後に何らかの回答をした形跡はない。
”知日家〃のあいだには、今度の事件そのものが、「人種差別」的発言批判をかりた「人種差
別」的排日事件だと考える人もいる。日本の経済発展に対するアメリカのねたみがこういう形
で現れたのだというのである。むろんそういう側面もあるだろうが、それだけでは事態を見誤
まるだろう。中曽根は、アメリカ紙の報道を「アウト・オブ・コンテキスト」と言うとしても、
両紙の批判はすべて正論である。
『ニューヨーク・タイムズ』紙の記事の後半部分で東京特派員のスーザン・カイラは次のよう
に言っている。「マイノリティ・グループ大半は朝鮮人は住んでいるが、日本は圧倒
的に均質的な社会であり、大抵の日本人は他の民族集団との生活経験に乏しい。……また、日
本人自身が知っているように、日本は、移民やマイノリティ・グループを社会に吸収した西欧
諸国が経験したある種の社会的緊張を経験したことがないL。これは否定しがたい事実である。
『ワシントン・ポスト』紙のジョン・バージェスもカイラとほとんど同じ趣旨を述べ、次のよ
うに書く。「多くの日本人は、この国の同質性を自慢にし、このことを自国の経済的成功の強
いプラス面だと考える。ここでは『国際化』への要求が絶えず聞かれるが、この国は同時に、
その文化的な統一を薄めるものに対しては用心深いのである。/日本は、一九七五年以来わず
か数千人のインドシナ難民を受けいれたにすぎない」。
両紙の記事から火の付いた中曽根批判は、「国際感情」を損ねたといった心理的なレベルに
おいてよりも、資本主義の国際分業における一国のあり方の問題として考えた方が問題の所在
が明確になるだろう。スーザン・カイラとジョン・バージェスの文章が、あたかも同一人物に
よって書かれたかのような類似性を持っているのは、両者が結託して中曽根批判を行なおうと
したからではなくて、すでにだいぶ以前から日本の排外主義的な政策が欧米のジャーナリズム
の共通の関心事になっていたからであり、また、「単一民族政策」による日本の経済的成功の
普遍性が問われていたからである。
とりわけ、アメリカにくらべると比較的最近になって多民族政策への転換を示しはじめた西
ヨーロッパ諸国は、日本の経済的成功と「単一民族政策」との関係に無関心ではいられなかっ
た。このことは、一新聞ではないが一中曽根発言の直後に発行された『ジ・エコノミスト』(一〇
月四日号)の「日本を顧慮するな」という記事に端的に現れている。それによると、移民問題
が工業世界の悩みの種になってきたという。アメリカですらラテン・アメリカからの移民を削
減することを論議しているし、「日本は、首相の大夫言のおかげで、純血種をおびやかす外国
人を受け入れようとしない人種意識国であることを暴露した」。しかし、日本の経済的「奇蹟
は、人種的な均質性が主な原因ではない」ということを考えてみる必要があるし、アメリカの
「ヴァイタリティは、新来者がもたらす刺激の結果」であることを知るべきだ、とこの記事は
主張し、そして最後に、西ヨーロッパは、「日本の方向よりもアメリカの方向へ転じた方がよ
い」、移民をシャットアウトすることは結果的に損だ、と言っている。
こうした視点は、明らかに「中曽根首相『人種差別』発言」を単なる道義的な事件や失策と
してではなく、先進資本主義の近未来に関わるものとしてとらえている。日本の新聞はこうし
た視点をもっと持つべきであり、「単一民族政策」の後にいかなる選択が残されているかをま
ともに論じるべきである。





「アメリカ帝国」の終わリ
一九八七年になって明らかになったことは、「アメリカ帝国」の凋落である。レーガン政権
が成立してから、誰しもがマユツバだと思いながらも、「強いアメリカ」の復活かと思わせる
ような現象が束の聞出現した。アメリカの大都市の表層を見ているかぎりでは、レーガン
の時代になって一部の都市は確実にきらびやかになり、アメリカ経済は上向いたように見えた。
しかし、都市の底辺ではホーム・レスがあふれ、メイン・トレンドからはずれた都市、農村や
郊外では、生物化学兵器の洗礼でも受けたかのような荒廃と無人化が進行していたのである。
アメリカはいまや、「ルック・アップ」の時代から「ルック・ダウン」の時代に入ったと言
われている。これは、必ずしも、アメリカ社会そのものの衰退ではなく、むしろ健全な回復作
用である。映画『ランボー』の人気とともに消え失せてしまったかに見えたヴェトナム戦争へ
の市民的な反省も、『プラトーン』のヒットによって依然健在なことが明らかになった。
考えるまでもなく、アメリカ経済の直面する困難は、レーガノミックスなどで打開できるは
ずのものではなかった。レーガノミックスは、単に低所得者を犠牲にして高所得者を底上げし
たカンフル剤的な打開策であった。構造自体が変わっていない以上、一時的な好況のあとには、
倍化した矛盾が噴き出してくるのである。
アメリカ経済を楽観視する者は、アメリカ経済の停滞は旧産業を「安楽死」させるプロセス
に伴う過渡期的現象だとみなした。鉄鋼や自動車産業の後退は、産業構造の重心を第三次産業
に移行させるための意図的なものであって、アメリカの産業の総体にとっては後退でも何でも
ないというわけである。
しかし、たとえそういう側面がないわけではないにしても、近年、第三次産業自体がふるわ
ないのはどう説明したらよいのか?アメリカは、一九七四年には世界のハイテック生産の七
〇%をひきうける勢いであったのに、一九八四年には五〇%に落ちこんでしまった。物品と
サービス一情報ソフト、メディア、保険、広告、ホテル等々一にいたっては、一九八○年ですでに
世界の二〇%を生産・提供しているにすぎない。
このままいくと、アメリカは金融操作や海外投資のような”ギャンブル経済〃によって体制
を維持していかなければならなくなる。しかし、この情報だけが流通し、物が流れること
のない情報資本主義経済は、やがてアメリカの国境を越えた全く新たな「帝国」(通貨帝国
もその一つ)を生み出すに至るだろう。すでにその徴候は見えているとすらいえる。
アメリカの経済的低落は、巨大な軍事支出によるところも大きい。たとえば、国防費が一九
八○年で二二四〇億ドルであったものが一九八六年では二六六〇億ドルに達している。それゆ
え、もしこの軍事支出を減らすことができれば、アメリカ経済は回復可能なのであるが、構造
的に軍拡と経済成長とを切り離すことのできないシステムにとって、軍事支出だけを減らす方
法はそう多くはない。
こうしたディレンマは、日米関係に直接反映しているし、中曽根および中曽根以後の日本に
とって、アメリカが直面している困難は非常に大きな影響力を持っているのである。
よく言われるように、日本の経済発展は、「アメリカの核の傘の下」で達成された。それは、
単にアメリカの日本に対するサービスなどではなく、アメリカはそうすることで日本を極光と
してアメリカの軍事戦略のなかに位置、づけてきた。
日本の経済発展は、むしろ日米安保条約にのっとったものであるとすら言える。同条約第二
条には、「締約国は、その国際経済政策におけるくい違いを除くことに努め、また、両国の間
の経済協力を促進する」とあるが、少なくとも一九七〇年代の前半期三の時期に金=ドルの交
換停止等、アメリカの世界戦略が変わり始める一までは日米安保条約が防衛条約であるよりもむし
ろ経済条約であることをアメリカは是認していた。ちなみに、アメリカが韓国やフィリピンと
締結している条約は、いずれも「相互防衛条約」であって「安全保障条約」ではない。
その意味では、近年問題になっている日米の「貿易不均衡」は、両国が歴史的に分担してき
た国際分業の配分差にすぎないのであって、それをいまさら「不均衡」と呼ぶのはおかしいの
である。
しかし、アメリカは、ヴェトナム戦争の敗北の結果、従来の国際政策と国際戦略を根底から
組みかえなければならなくなった。とりわけ、日本に対して行なってきた政策、つまり相手国
の経済発展とひきかえに軍事戦略上の全面的な従属を獲得する政策を変更し、日本に対して軍
事的な肩がわりを要求せざるをえなくなった。それは、やがて、一九七八年の「日米防衛協力
のための指針」として条文化される。これは、「日米安保条約及びその関連取決に基づいて日
米両国が存している権利及び義務に何ら影響を与えるものと解されてはならない」としている
が、この「指針」は事実上、安保条約を防衛条約としてとらえなおすための指針になっている。
このときから安保条約は経済協力条約としての性格を完全に失ったと考えてよい。それは、い
まや、アメリカの「核持込み」をも許容する軍事同盟条約になろうとしているのである。
「防衛費の一%枠突破」はこうした背景のなかで起、こった。現在のアメリカの願望からすると、
この枠をもっと広げていきたいところだが、それは当面、いまの国際的なパワー・バランスを
危険に陥れることなしには不可能だろう。これは、日本にとっては幸いなことであるが、アメ
リカにとってはディレンマである。
アメリカが今日、日本に対して「貿易の不均衡」の是正を求め、アメリカからの輸入の増加
と「内需拡大」をしきりに要求しているのはこうした事情による。もしそれが可能ならば、ア
メリカの貿易赤字が緩和されると同時に、日本のGNPが増大することによって一たとえ防衛
費の枠は一・一%のままであるとしても一実質的に防衛費を増加させることができるからである。
しかし、こうした日米関係の変化は単に日本とアメリカだけのレベルにはとどまらないため、
日本がアメリカの要求を受けいれれば問題が解決するわけではない。短期問に日本の内需が飛
躍的に拡大することは考えられないから、アメリカからの輸入を増やすためには、他国からの
輸入を減らさざるをえないだろう。
この点に関して、すでにオーストラリア政府はアメリカに対して重大な警告を発している
(『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』紙一九八七年四月四/五日付)。すなわち、日米問
の「貿易不均衡」の是正はANZUS一オーストラリア二一エージーランド・アメリカ相互安全保障
条約一の解消を誘発することになるかもしれないというのである。アメリカは現在、ANZU
Sにもとづき、オーストラリア国内にいくつもの通信・監視基地を持ち、それらはインド洋に
おける軍事戦略上の要所になっているが、日米間の「貿易不均衡」の是正は、こうした基地の
閉鎖にまでつながる恐れもあることになる。
これは、オーストラリアにとって日本が最大の輸出国であり、その輸出額一八六年度、米ドル
で年間三五億ドル一はオーストラリアの全輸出額の半分に達することを考えると、単なる脅かし
ではないことがわかる。対日貿易に関してアメリカは、オーストラリアの競争相手なのであり、
これまでもアメリカからの日本への輸出が増えるたびに、オーストラリアはそのあおりをくっ
てきたのだった。
ANZUSの再検討は、今後当然進むであろうが、アメリカは当面オーストラリアの基地を
放棄することはできないし、またサウジアラビアに次いで大豆里の兵器をアメリカから購入して
いる国であるオーストラリアと手を切ることなどできるはずもない。
かくして、「貿易不均衡」の是正は、日本側の「内需拡大」という方法で行なうしか当面手
がないことになる。航空自衛隊次期支援戦闘機FSX、早期警戒管制機AWACS,OTH
レーダーのソフト等々の購入、ないしは日米共同開発が今後一層増えることはたしかであり、
日本の「軍事大国化」は以前よりも明確になるではあろうが、日本経済の重要なラインが当面、
「内需拡大」に向けられることはまちがいない。
「内需」を拡大するためには、金を使う層をさらに底上げしなければならない。売上税の導入
は、本来そのためのものだった。これまで「総中流化」に役立ってきた税制を改革しなければ
飛躍的な消費の増大は望めないからである。しかし、そうしたねらいを持った税制改革は、
「売上税問題」に倭小化され、「内需拡大」を望む人々からも反対されて挫折してしまった。こ
のことは、戦後のわずか三〇年間にアメリカン・ウェイ・オブニワイフの消費主義を急速に学
習したかに見えた日本の戦後社会が、必ずしもアメリカ社会の歴史的なパターンを追ってきた
わけではないことを示唆してもいる。
売上税法案に対する反対が、売上税が何であるかの論議とはほとんど無関係に拡大したのは、
必ずしも反対者の無知のためではない。むしろその反対は、この法案の根底にある格差促進の
ポリシーを正しくかぎとり、その政策に反援したからだった。反対が農村地帯で強かったのも
偶然ではない。すでに日本は、新しい産業に役立つとみなされた「ディザイアブル・エリア」
とそうでないエリアとの区分けが露骨に進みはじめている。第三次産業の発達したエリア、新
幹線や空港に近く、東京に本社を置く企業の支店が多くある都市は活気があり、そうでないと
ころは火が消えたようになってきた。国鉄の民営化によって後者のエリアの路線が廃止され、
「アンディサイアブル・エリア」の後退はますますひどくなる。規制緩和と「国際化」の時代
は、あらゆるものの「中以下」を切り捨て、放棄する時代であり、経済的・文化的格差がはっ
きりと開く時代である。
売上税法案への反対は、こうした無慈悲な時代の要請に対する反対をその根底に隠している。
産業の再編といっしょになった地方の再編、「ドル安・円高」を加速させる金融操作で淘汰さ
れる会社や企業、食管制度の自由化で変質を迫られる農業等々、ハイテックと軍事、情報と
サービスに夢をいだくことのできない人々はこぞって売上税法案に反対した。それを、消え去
るべき者たちのむなしいあがきだと言うだろうか?
他面で、売上税法案への反対運動の盛り上がりのなかには、もっと積極的なものが隠されて
もいる。それは、中央から一方向に押しつけられた政策に対して否をとなえる地域主義的なパ
ワーである。この法案に関しては、「PRが足りなかった」ということを政府自身が認めてい
るように、政府は、自民党の「大勝」を過大に評価してか、十分な根回しとPRもなしに議会
を通過させられると過信した。そのためこの法案は、その内容が不明瞭であればあるほど、と
くに地方においては、中央から強制されたという点だけが浮彫りになることになった。
これまで登場した幾多の政策が上意下達でなかったためしはないが、中央と地方、全体と地
域を重層的に結ぶ人脈と組織の回路のなかで根回しが行なわれ、あたかも中央の指令がスト
レートに地方をコントロiルしているかのような中央集権が貫徹してきた。売上税法案がその
反対によって不成立に終わったことは、こうしたまさに天皇制的な情報回路に変質が起こり始
めたことを示唆しているように見える。
「アメリカ帝国」の弱体化は、その衛星諸国にも変質をもたらさずにはおかない。日本企業の
活動も多国籍化し、日本の外の政治とのつながりを無視できなくなっている。日本企業の四
一%が海外に支店を持ち、総額一四三億ドル一一九八六年度一の海外投資が行なわれている現
状では、もはや海外と切り離された国内情勢を語ることなど不可能である。
それゆえ、国外の「帝国」の弱体化は、国内の「帝国」の弱体化にもつながってくる。こう
した状況のなかで新たな「帝国」が確立するのかどうかは別にして、少なくとも、既存の「帝
国」が統合してきた部分に”隙間〃が目立ちはじめていることだけはたしかである。
「帝国」の政治は、すべてマクロな、「主流」のみを追い求める政治であるから、この”隙間”
を顧慮した、、、クロな政治を展開することはできない。いずれにしても、ポスト帝国時代の政治
は、程度の差はあれミクロポリティクスを顧慮せざるをえないのであり、中央集権と統合が力
をふるった時代に無視され、押しつぶされてきた部分を、まともに問題にせざるをえないので
ある。





あとがき
本書は、一九八○年代後半の社会・メディア状況のなかに《ミクロポリティクス〉を発見し
ようとする試みである。
《ミクロポリティクス〉とは、わたしたち一人ひとりが多くの場合無意識に選択し、社会に対
する姿勢として採用しているような目立たぬ政治のことであるが、歴史を動かしているのは
この《ミクロポリティクス〉である。
歴史は、通常、「事件」の集積とみなされ、歴史への介入は、それゆえ、「事件」を仕掛ける
政治の仕事だということになる。しかし、「事件」とはミクロな諸活動の結果でしかなく、「事
件」の大状況だけを重視するマクロな政治は、間接的なやりかたでしか歴史に介入してはいな
いのである。歴史に対して直接介入しうるのは《ミクロポリティクス〉だけである。
問題は、この〈ミクロポリティクス》をわたしたち一人ひとりがどこまで意識しているかで
ある。わたしたちは、《ミクロポリティクス》の無意識の政治家であるのだが、重要なのは、
意識的な《ミクロポリティシャン〉になることである。
そのとき、わたしたちは、あらゆる社会現象に介入せざるをえなくなるであろうし、またマ
クロな政治がミクロな政治を統合し、歪曲することに批判的な眼を持つようになるだろう。歴
史と社会がわたしたち一人ひとりのもとに還ってくるのは、そのときからである。
本書は、《批評〉というわたし自身の《ミクロポリティクス》的な作業の一帰結として成立
したのだが、そうした作業を行なう《場〉を提供してくれた方々の献身的な助力がなければ、
本書は成立しえなかった。とりわけ、元『QA』編集部の若井孝太氏、本書にもイラストを描
いてくれた阿部忠雄氏、それから平凡社書籍編集部の及川道比古氏には大変お世話になった。
心からお礼申し上げます。



一九八七年五月三〇日
粉川哲夫

ア