メディア牢獄
マス・メディア時代の家族と個人

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 近年、一般誌や一般書とりわけ女性雑誌の記事のなかで、離婚やひとり暮らしの勧め、孤独の正当化、つまりはある種の"個人主義"の啓蒙が目立っている。
 たとえば、『クロワッサン』(一九八一年4月25日号)は、「『ひとり暮し』考」という特集の見出しのなかで次のように書いている。

 ひとり暮しという言葉からのイメージはとても暗い。だがほんとうにそうだろうか。詩人・石垣りんさんがいう『ひとりにもひとりのにぎわいがある』ことこそひとり暮しの面目躍如ではないかしら。いままでのイメージから、今こそグッドバイする、そんなライフスタイルをもとうではないか——。

また、『TODAY』(一九八一年6月号)は、「女の『不安』」という特集のなかに「ひとりぼっち!なの」という項目を設け、それを小山敏三郎氏の次のような言葉で結んでいる。

……詩人T・S・エリオットが言っているように『われらは探求をやめない。われらのすぺての探求の終わりは、われらの出発したところにいたり、そしてそこを初めて知る』(『四つの四重奏』)という探求の場として孤独を受け止めようではないか。

さらに、『MORE』(一九八一年6月号)は、「20代の離婚は『いい女』への跳躍台」という記事を組み、そのイントロダクションで円より子氏が、データーをあげながら次のような言い方で離婚の勧めを語っている。

現に離婚して、自分の手で稼ぎ、自分の足で歩き始めた女たちは、みんな『いい顔』をしている。恥も恐れも憎悪も、自分の欠点も知り尽くした女は、他人の心を解するやさしさを持ち、自分自身の人生を力強く生きている。
そして、人生には出会いと別れのあることをさとり、逆らわずに生きる術を身にっけたおとなの女に成長している。

いま、ここでとりあげられている"ひとり暮し"、"孤独"、"離婚"が社会的観点を全く欠いており、あたかもそれらが個々人の選択の問題であるかのごとく論じられている点の批判は別にしても、もし、それらが個々人の選択の問題であるのならばなおさら、それらの是非をマス・メディアが算術的な平 均値や経験者の権威をかりて問題にすることのなかには、意識的であれ、無意識的であれ、人々の関 心を一定の方向に向かわせようとする潜在的意図が含蓄されていると言わぎるをえない。
もっとも、最近のマス・メディアがこうした問題を好んでとりあげるのは、読者がそれを要求しているからだという論法もなり立つだろう。少なくとも十年まえには、人生相談の記事のなかでズバリ離婚を勧めることはひどく"斬新"な受けとられ方をしてきたし、ひとり暮しよりも"幸福な家庭生活"がよしとされてきたのだから、いまや大衆の意識が変ったのだという解釈は容易に考えられる。
しかし、今日のマス・メディアは、反映理論にもとづいているのではなく、欲望の経済学と啓蒙の弁 証法にもとづいているのである。すなわち、それは欲望を先取し、作り出し、読者や視聴者をある一 定の方向に導こうとするのである。したがってマス・メディアの傾向というものは、読者や視聴者の 自発性それ自身から厳密に区別されなけれぱならないのであり、十年まえに今日とは逆の論調が支配 的であったとしても、その論調も、その時代の読者や視聴者の自発性そのものと同一視されてはなら ないのである。そのうえ、今日、マス・メディアが啓蒙の装置としての機能をますます強力なものに することに成功していることを考えるならば、この区別にはより一層細心でなければならないだろう。
今日のように、マス・メディア、家庭、教育機関、都市等が欲望の生産と操作の装置と化している 時代には、自然発生的な欲望と人工的に構築された欲望とを区別することはむずかしく、むしろ、自 然発生的な欲望などというものはないという観点から出発した方がよいくらいである。それに、真に 主体的なものは決して対象化されないのだから、たとえ自然発生的な欲望が存在するにしても、それ は、われわれ自身がそれであるようなしかたでしか存在しないだろう。民衆的なものも同様に、われ われ自身が民衆であることのなかにしか存在しないのであり、対象化された民衆的なものは、いずれ は商品として客体化されざるをえないだろう。それゆえ、問題になるのは、対象化された欲望、すな わち欲望の生産装置によって対象化された欲望であり、具体的には、マス・メディア、家庭、教育機 関、都市等が示す傾向である。こうした傾向のなかには、主体としてのわれわれの欲望をどのような 方向へ向かって構築しなおそうとしているか、言いかえれば、われわれをどのような方向で支配しよ うとしているかが含蓄されているはずである。それゆえ、今日のマス・メディアが、われわれに離婚 やひとり暮しや孤独を、つまりは単独者であることを奨励しようとしているとすれぱ、それは一体ど のような支配と操作の様式なのかが究明されなけれぱならないのである。

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マス・メディアはこれまでさまざまな集団や個人を平均的に統合することに汲々としてきた。それ は、つねに、より大きなシステムヘの帰属をうながすことであり、集団であれ個人であれ、その自律 や独立を阻止することであった。一九二五年(大正十四年)、日本でラジオ放送が始まったとき、『読売 新聞』(12月20日号)は次のように書いた。
「影も形も無けれども、二本の線が伝はりて、雨のあしたも風の夜も、よろづの家を一様に、同じ時 刻に訪づれて、美妙の声を発しつつ、心の園生あたためて、清く導く美しき心の花を如何せん、ラジ オは我等の教育者」(竹村民郎『大正文化』講談杜)
まさしく、ラジオは、「よろづの家を一様に」均質化する「教育者」であったのであって、決して 家々の個別性を尊重し開発するためのものではなかった。もっとも、この時代のラジオは、マス.メ ディアとしては未熟であった。それが、均質化と統合の装置としての機能を本格的に発揮しだすのは、 一九二八年(昭和三年)十一月一日から、御大礼の記念事業として開始されたラジオ体操の放送からであ り、以後ラジオは、天皇制的・家父長制的支配の補助装置として影響をもちはじめるのである。
マス・メディアが、支配の文化装置として機能する場合、それは決して民衆(読者や視聴者)の"自 然発生的"欲求に呼応するものではないことは、それが、とりわけ国家、天皇制、家父長制を媒介す ることのなかで増殖と発展をとげてきたことによっても明らかである。というのも、近代の国家や天 皇制や家父長制は、明治の中期以降に人工的に構築されたものであって、民衆的な伝統とのあいだに は操作的な断絶があるからである。とりわけ、今日欧米で"日本的なもの"と一般にみなされている ものの多くは、この時期につくり出され、浸透させられたものであることに注意する必要がある。 高取正男が『日本的思考の原型』(講談杜)のなかで言っている次のことは、全面的に肯定してよいだろう。
「……今世紀に入るころから、重化学工業を指標とする第二次産業革命がはじまった。庶民のあいだ に存在した横の連帯感が、これを境に急速に消滅しはじめたのは当然として、その度のあまりに急激 であったために生じた空白部に、すべてを血縁になぞらえ、父方の出自のみ重視する武家社会に特徴 的に発達した、いわゆる『タテ社会』の論理が不当に拡大され、充填されることになった。私たちの 先輩が目の前にした強力な家父長制的家族秩序と、それを根幹にしたさまざまな社会組織は、多くは 明治国家が近代化の過程でつくりだした巧妙な疑似共同体であった。これをもって大昔からあるよう に思うのは、大きな錯覚といわねばならない。」
天皇制や家父長制は、近代の支配体制がようやく緒についた頃にはまだ民衆の日常的な意識を支配 しつくしてはいなかったのであって、それは次第次第に忘却されていったのである。林英夫は、『絶 望的近代の民衆像』(柏書房)のなかで、「天皇、孝行という二つの事柄は、権力機構の病理が民衆に教 えたものであって、本来的な人問固有の原初的要求に根ざしたものでない」として、清水精一の『大 地に生きる』から「大正ごろと思われる時期」の次の二つのエピソードを紹介している。
「『お婆さん、お前は日本に天皇陛下が御坐し給ふが知っているかね』と尋ねると、お婆の返事は『そ んなもの知らないよ』と平気なものであった。私は驚いた、且悲しく思ふた。我国に生を享け、日本 の国土に生きて居りながら、長くも上御一人のお坐し給ふことを知らない。何としたことであろう。 暫くしてお婆さんは私に尋ねるのである。『それはどんなもんじゃ』と。私は諄々と話した。いかに 説明しても解らないのである。私は日本の国ではただ御一人の方で、一番尊い一番勿体ない、一番お 偉い、一番尊厳な方だと平易に説明したのであるが、『フウンそうするとチャンの様なものか』と平 気で言ぶのである。」
「『親を大切にせねばならぬと思ふかね』と尋ねた処、その少年は妙な顔をして私を見ているのであ る。そして『俺達親が無いんだからね』と云ふ。私は『それでもお母があるじゃないか。孝行せねぱ ならんと思わんか』と尋ねると『お母は好きだ。然し孝行て何だい』と笑っている。」
当時、こうした民来的な多様性を均質化してきたのはマス・メディアだけではなく、軍隊を含めた "教育"機関もそうであり、また家庭も個別的なものを非個別的なものに帰属させ、一次元的な非個 別性つまりは権威主義的国家を増殖させる装置となっていった。したがってここでは、単独者である ことは反逆的なことであり、まして公的なものの回路のなかから単独者であることを奨励する声など 出ようはずもなかった。この時代に単独者であることがどのような生活を意味したかは、たとえば "常乞食の道"に徹した種田山頭火の次の詩がそれを示唆している。
「……このみちをゆく/このみちをゆくよりほかない私である。/それは苦しい、そして楽しい道で ある。/はるかな、そしてたしかな/細い険しい道である。/白道である。/それは凄い道である。 冷たい道ではない」(『其中日記』)
前近代においても近代においても、旅は人に単独者であることを可能にしてきたが、思うに、家を 通じて個々人に外部の巨大な圧力が組織的に加えられた戦前の天皇制社会では、江戸時代以上に家か らの脱出(としての旅)が、単独者となる大きな手がかりになったのではなかったろうか?

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マス・メディアが高度に発達する以前の時代には、家庭は日常的レベルの教育・支配装置としてき わめて重要な機能をはたすものと考えられる。したがって、近代の天皇制体制は、家族や家庭をその 支配の諭理にシンクロナイズすることにやっきとなった。しかし、皮肉なことに、近代の家族が前近 代からひきついだ民衆的多様性を天皇制的・家父長制的論理によってすっかり均質化しつくし終わっ たまさにそのときに、天皇制国家は第二次世界大戦によって崩壊するのである。が、このことは、また、 天里制国家の崩壊後にも天皇制的なものを再生産する日常的装置が生きのこり、戦後の民衆生活を規 定しつづけたということを意味する。政治体制は瞬時に崩壊しえても、日常的制度と化した論理は一 朝一夕には消え去らないものなのである。それゆえ、現代日本の家族のなかには、前近代からひき ついだ民衆的多様性と、明治期に人工的に接枝された均質的な天皇側的家父長制、そして戦後に構築 された消費志向型家族の少なくとも三つの要素が混在していることを認めなければならないだろう。 それらが混在し、生きつづけているからこそ、現代の家族および家庭はその民衆的多様性のかすかな 痕跡から活力を得ることができるのであり、またその天皇制的伝統から職務優先的な家族体側——す なわち父親は会社のために、子供は学校や塾のために家庭を単なる手段にし、母親はもっぱら彼らの 侍女になるというライフ・スタイル——のモデルをひき出すことができるのである。
 戦後、天皇制国家が解体したとき、新しい支配体制は新たな家族政策を必要としたが、その出発点 は天皇の"象徴"化であった。支配とは単なる強制だけではなく、被支配者の合意ないしは被支配者 に"自発的"に合意させる遠隔操作を必要とするが、この合意ないしは遠隔操作的合意は、被支配者 の無意識的記憶に依存する。戦後の民衆の無意識内記憶のなかには、五十年たらずのあいだにみっちり詰めこまれた天皇制的家父長側がしっかりと構造化され、それがひとつの"民衆性"とみまごうも のにまでなっていた。それゆえ戦後の支配体制は、この構造化された無意識を支配の遠隔操作的合意、 つまりは正統化(レジティミエルング)のために利用しないわけにはゆかなかった。が、新たな政治体側はもはや天皇制で はなく、アメリカ主導型の資本主義経済に適合しうる"民主主義"体制であるから、その支配の論理 は、あきらかに民衆的無意識の構造とはかみあいがたく、とうてい新たな支配体制は民衆の合意をと りっけることができないようにみえる。しかしながら、このアポリアは、天皇が"象徴"として存続 されることによって解決された。
天皇が天皇=神という超越的な存在から、"象徴"という超越論的な存在——つまり生ける人格と して日常世界に内属していると同時に、国家の"象徴"として日常世界を超越している二重的存在 になったことは、戦前の天皇制の機能を分業的に存続させることであった。すなわち、天皇それ 自体からはその超越的機能を奪い取り、それを別のものに依託し、その代わり、その世俗的機能の方 は、"人問天皇"として民衆の日常的現実のなかに解き放ち、天皇制的家父長制の家族愛的・和合的 側面の合法性(レジティミテート)として利用することである。戦後のマス・メデイアで天皇家のニュースがしきりにと りあげられたのも、このことと関係がある。では、その超越的機能の方は、何に依託されたのだろう か? マス・メディアにである。
戦後という時代は、"玉音放送"のイニシェイションによってはじまったが、"玉音放送"は同時に、 マス・メデイアのその後の方向を決定した。ある意味で、その後の日本のマス・メディアは、戦前の 天皇の存在がもっていた超越性と愚劣さを最大限に、そして最大規模で再生産するために発展してゆ くのである。その過程のなかで、天皇的な極超越性、権威性は弱まってゆくが、戦後、マス・メディアが民衆のあいだに支配装置として浸透してゆく過程のなかでは、民衆の無意識のなかに植えつけられていた超越性や権威への志向がひじょうに有効に機能したことだけはたしかであり、今日において も、支配装置としてのマス・メディアはこの潜在的な志向性を利用していると言ってよい。
だが、天皇の超越的機能をマス・メディアのそれに置きかえることは、単に家族天皇制を温存する ためではなく、むしろそれを徐々に変革し、新しい支配機構に整合するためである。たしかにマス・メディアには、天皇制にも通じる超越性が存するが、やはりそれは、天皇制とは本質的に異なる論理 ——つまり資本の論理に属している。それゆえ、戦前の天皇の超越性や権威をマス・メディアのそれ らで代償しはじめた戦後家族は、徐々にその構造をみずから変革してゆかざるをえない。すなわち、 一方で疑似"天皇制"を維持しながら、他方で、資本主義的家族としての発展をとげてゆくのである。 おそらく、資本主義的論理を貫徹させる作業のなかで、天皇の"象徴"化ほど"成功"したものはな いであろう。が、それは歴史の偶然ではなく、日本の文化と社会についての周到なとりわけ文化 人類学的な——諸研究とマス・メディア理論の最新の成果を、アメリカ軍が占領政策として動員した 結果であった。
いずれにしても、マス・メディアは、戦後家族のなかに沈澱していた家族天皇制を適度に温存しな がら、同時に、それを消費志向型の家族に変革していったのであり、それにともなって日木の資本主 義的政治支配は貫徹され、資本主義経済は飛躍的な発展をとげてゆくのである。その意味で、日本の マス・メディアは、日本の資本主義的"成熟度"のバロメーターであり、とりわけテレビの浸透 テレビ放送は一九五三年(昭和二十八年)にはじまり、一九六九年には受像機の普及率が九〇パーセント を越す——は、日本の社会と文化における資本主義的支配の貫徹の度合をみる指標となる。

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このことをもう少し別の角度からみてみよう。支配機構は、政治的、経済的、日常的なレベルにお いてみられなければならないが、独占資本主義とは、この三つのレベルが統合された支配様式である。
明治から戦前までの天皇制政治は、経済的には企業家的資本主義経済と、日常的には家父長制的家族 とそれぞれに連合しながら支配を貫徹させなければならなかったが、これらの三つの契機のあいだに は、必ずしも等賞の資本の回路が出来上がっていたわけではない。これら三つの契機を統合するもの は、むしろ、資本ではなく精神であり、まさに天皇崇拝という精神の現象学によって支配が貫徹され たのである。その意味では、天皇制的政治の支配様式は、資本主義経済と脱・家父長制的家族が発達す るにつれて、資本主義的発展の拘束要因になりうるものであり、その矛盾は、何らかの形での断絶 によって解決されなければならなかった。第二次世界大戦への突入と天皇制政治の崩壊は、まさにそ うした断絶の一形態である。
日本の資本主義経済は、大正期に入って急速に発展し、それに対応して給与所得者層も形成されは じめたが、これは、経済機構と日常的機構とのあいだに資本の回路がセットされはじめたことを意味 する。その際、給与所得者としての家長とは、究極的に代議的な家長であって、本来の家父長制にお ける家長とは異なるのであり、したがって家長が給与所得者になるということは、精神的にはどんな に天皇制的家父長制が維持されていようとも、家族構造が変質したことにはかわりがなかった。それ ゆえ支配機構は、もしその支配を貫徹したいのならば、こうした変質に対応してゆかなければならな いわけだが、戦前の支配機構は、こうした下部構造の変化に対応した上部構造を形成できなかったた め、やがて自己崩壊してゆくのである。
ところで、カフカの『変身』を家族構造の変化という観点からみてみると、一九一二年頃に書かれ たこの小説が、資本主義的論理の浸透によってこうむる近代家族の変化を余すところなくとらえてい ることを発見して驚かされるのである。この作品は、通常、父親に対する息子のエディプス・コンプ レックス、人問同士のディスコミュニケーション、離人症やパラノイアなどの観点から論じられるこ とが多いが、この作品を家族という観点からみる場合には、少なくともその父と子との関係を単に家 父長制的・エディプス的観点からみるのでは不十分なのであって、それでは"二十一世紀の作家"カ フカの洞察が見えなくなってしまうのである。
『変身』を家族構造の変化の物語として読むむとき、そこでは家父長制的な家族から代議制的な家長に 統率される家族、さらには友愛的・官僚制的な家族への変化が、家族機構への資本の論理の浸透のプ ロセスとしてとらえられているのがわかる。まず、ザムザ家の経済的地盤は三度変化することに注意 しよう。かってザムザ家の経済的基礎は、父親の自営業からの収入であったが、父親の事業は、グレ ゴールの変身事件が起こる五年まえに破産してしまう。そこでグレゴールは、父の借金を返済し、「一 家を支える」ため、外交員の職に就く。それは、はじめ、家族たちに劇的なよろこびを与えるが、や がてそれは家族たちにとってごくあたりまえのものとなる。言いかえれば、ザムザ家の家族機構のな かにグレゴールの給与を通じて支配機構の資本が流れ込む回路が出来上がったのである。ザムザ家が 父親の事業からの収入によってささえられていたとき、一家に流れ込む金銭はまだ家長=父親によっ て支配されており、家族外の支配からまぬがれていた。それは、家族内においては資本主義的な金銭 とはなっていなかったわけである。が、グレゴールが会社からもちかえる給与所得は、この一家を外 部の組織に繋縛する資本主義的な金銭である。その際、それが単に一家を外部に従属させるだけでな く、どのようにその"文化"を変えてしまうかを、この物語は次のように描いている。
「……あの頃は素晴らしかった。のちになってグレゴールは優に一家を支えることができる位の、ま た現に一家の財政を賄うに足るだけの金を儲けはしたものの、あの素晴らしい時期は、すくなくとも 昔の輝かしさとともに戻ってくることはもうなかった。家人もグレゴールもそれに慣れっこになって しまい、金を受取る側の感情と投げだす側の気前のよさとに変りはなかったとはいうものの、そこに はもう殊更に気持の籠もったという感じがでてくるというわけには行かなかった。ただ妹だけは兄に 特別の情愛を示しつづけていた。グレゴールとはちがって大の音楽好きで、ヴァイオリンがひどく上 手だったからこの妹を来年は音楽学校へ入れてやろうというのがグレゴールの密かな計画であった。」 (高橋義孝訳『カフカ全集Ⅲ』所収、新潮杜)
これは、基本的に、高度経済成長期をへて経済的にはゆたかになったが、家族の誰からも感謝の気 持をもってむかえられることなく、そのくせ、いつかは子供を外国に留学させてやりたいなどと思っ ている日本の平均的な父親——単なる生計維持者でしかなくなった父親——の先駆形態である。実際、 グレゴールが虫に変身してから明らかになるように、破産して無一文になったとばかり思っていたザ ムザ氏は、多少の財産を隠しもっており、しかも、「毎月グレゴールが家へ入れてきたお金はグレゴール白身はわずかに二、三グルデンしか自分の懐に入れなかった——全都消費されていたのではな くて、こまめに貯蓄されて、ちょいとした金額になっていた」。グレゴールは、まさに、「オヤジは金 さえよこせばいいんだよ」(『オヤジ——父なき時代の家族』)と思われている現代の"ダメ・オヤジ"と同じ 機能をはたさせられていたわけであり、家族経済をささえながら、それを支配する力をほとんどもっ ていなかったのである。
グレゴールが変身し、ザムザ家の経済を全くささえられないということが決定的となったとき、ザ ムザ家には次のような変化がおきる。
「父親は銀行の下っ端職員のために朝食を取ってきてやるようなことさえ厭わをかったし、母親は母 親で、見も知らぬ人の下着のために自己を犠牲にし、妹はお客の命令次第で売場のうしろで右往左往 した。」
このことは、言いかえれば、ザムザ家の経済が多角化し、代議制的家長による家族から共かせぎに よる友愛的家族に変貌したということを意味する。実際、ザムザ家は、このうえ間貸しもやるように なるわけで、ザムザ家の経済は、支配機構の資本の回路に以前よりもはるかに複雑に、しかも屈辱的 に従属することになったのである。その際、こうした下部構造の変化にともなって、それまで半病人 のようにみえた父親がにわかに元気になるのは資本の論理にかなっている。資本は、資本に忠実な者 のみを活性化するからだ。
「……これが果たしてまだ自分の父親といえる人であろうか。以前グレゴールが商用旅行にでかけて行 く時など寝床の中にぐったりと身を埋めて寝ていた父親、帰ってきた晩などは寝間着で安楽椅子に坐 ったまま彼を迎えた父親、よく立ち上れもせず、うれしさを示すのにただ両腕しか差し上げられなか った人、年に二三度、日曜目や大きな祭日などに連れ立ってでかけた散歩の折なんかには、そうでな くてさえ元々足の遅いグレゴールと母親との間にはさまって、その遅い二人よりもまだのろのろと、 古い外套にくるまって、いつも用心しいしいステッキを突いて歩いて行った人、なにかものでもいお うとする時はほとんどいっでも足を停めて伴のふたりを自分のまわりに寄らせた人、あの父親と今 眼前に立っている人とが同一人物なのであろうか。そんな風だった父親が今はしゃんとからだを起し て立っていた。」
かってこの父親は、家父長制を体現していたが、それは、給与所得者グレゴールの代議制的家長に とってかわられた。しかし、その家長も失権し、それを後継する者がいないとき、家族はそれまでと は全く別の組織にならざるをえない。すなわち、かっての中央集権的な権力を分業化した小組織つま りはミニ官僚制が出現するのである。この物語では、元気をとりもどした父親は次のような制服を身 につけ、それを「何か頑なに、脱ぐことを拒む」のである。
「銀行の小使が着ているような、ぴったりとした紺色の、金ボタンのついた制服をきていて、上着の 高い堅いカラーの上に突き出た顎の肉は二重になっており、毛深い眉の下には元気で注意深そうな黒 眼がぴかぴか光っている。以前には櫛も入れていなかった白髪は、念入りすぎるほど念入りにぴたっ と櫛で頭の地に撫でつけられて光り輝くばかりである。彼は金モールで頭文字を縫い取った制帽——どうやら銀行の名前らしい——を弧を描いて部屋の中を飛ばせて寝椅子の上へ投げた。」
この父親が家に帰ってからも制服をぬがないのは、彼がつねに「官僚」であるからである。彼は、もはや家族のうえに君臨するのではなく、家族の外部に従属する。家族はいまや、外部の支配組織の末端 組織となるのである。その際、家族の構成員の一人ひとりは、家族の内部では誰からも拘束されない 友愛的な"個人"であるが、家族の外部に無数の糸で縛られている顔のない匿名的存在と化している。
その意味では、グレゴールは、こうしたミニ官僚組織から追放されたのであり、このような組織の なかで本当の個人であろうとして失敗したのである。考えてみると、『審判』も『城』も、官僚経済の なかで相対的な意味での"個人"であることにあまんずることができなくて、真の個人——全体的個 人であろうとする人物の物語であった。

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カフカが『変身』で描いた家族は、外部の金銭資本の回路には完全に接続されているが、今日の家 族のようにマス・メディアを通じて外部の文化資本の回路に接続されるまでにはいたっていない。し たがってその家族の構成員は、その無意識のレベルまで支配しつくされてはいないようにみえる。ザ ムザ氏は、官僚の制服を身につけてはいるが、その下の身体そのものはまだ彼自身のものであるだろ う。もし、身体性そのものまでもが資本の回路に連結され、それが官僚制化(資本の論理の完成)す るとき、身体はもはやそのうえにまとう制服を必要とはしないのである。言いかえれば、最も進んだ 官僚制は、それぞれたがいに異なる外見をもちながら、その"内部"において全く同質であるといっ たような官僚的パーソナリティによって構成されるのである。
このような官僚制は、家族が経済的にも多角的に外部と結びついた資本の小回路となることによっ て形成されるが、具体的にはラジオ、テレビ、電話などの電子的マス・メデイアが家庭に侵入するこ とによって可能となる。日本のテレビ放送は一九五三年(昭和二十八年)にはじまったが、受像機の普及 率は、一九六二年に五〇パーセントを越し、一九七七年にはカラーテレビの普及率が九七・七パーセ ントに達している。また、住宅条件も急激に変化し、一九七三年ですでに一室あたりの人員数が〇・ 九人に達して欧米の水準にせまり、日本=大部屋主義、欧米=個室主義といった従来の図式があては まりにくくなっている。ミドル・クラスの家庭では、家族の各人が個室をもち、それぞれにラジオ、 テレビ・電話機をもっていることも決してめずらしくはなくなった。こうした変化は、一面で個々人 のプライヴァシーを拡張するものであるかにみえるが、マス・メデイアが家族制を媒介せずに(たと えば、新聞は依然、一家に一部、一種類という傾向が強く、従って新聞を読むことはある種の集団性 を保持している)直接個人意識に接触する条件が増大したことを顧慮するならば、個人がチャンネル の選択、居住空間に関しての占有権を得たからといって、個人がそれだけ自由になったことにはなら ないのである。むしろ、一見個人が自由になったかにみえながら、その分だけ、あるいはまえ以上に、 公的なもの、"外部"のものに繋縛され、見えない糸で大きな資本の回路を作らされている側面の方 が強いのだ。
いま、このことを資本の白已増殖の諸段階の観点から考えてみると、これは、個的なものを何でも かでも全体としてとりこみ、一つのマス(塊=大衆)として統合化した段階から一歩進んだ段階であ ることがわかる。というのも、ここでは資本は、すでに一応は自己のうちにとりこんだ個的なものの より一層内部にまで侵入し、自己増殖するために資本自身を細分化し、自分を個的なものに適合させ ようとするのである。
マーケッティングの世界では、このような——"個"を一見尊重しながら資本の綱にからめとる——やり方は、"市場差別化"(differentiated marketing)としてすでに技法化されている。"市場差別化" の一つである"マーケット細分化戦略"(market segmentation stategy)では、市場を同質化するので はなく、たとえば可能的な顧客をその年齢、性別、家族数、所得、職業、地域、その社交性、保守性、 購入動機、心期的変数等々で分類し、それらに応じた販売戦略をたてる。そしてこれが、"精密照準 市場細分化戦略"(pinpoint market segmentation stategy)になると、可能的な顧客一人ひとりの"個 性"を調査し、それに適合する高度な戦略がたてられる。ダイレクト・メイルも、一律な文章による ものではなく、相手によって文面を変え(それはコンピューターの発達によって容易になった)、ま た電話によって個別的なアプローチを行なう。
このような技法が高度化するにつれて、いままで個々人を一つの支配原理(経済的には消費志向、政治的には他者依存を助長する)に向けて啓蒙するために機能してきた集団的な機関が不要になると いう事態も生じてくる。すでに家庭は、親たちが子供に教育をほどこす場であるよりも、むしろ子供 たちにとっても親たちにとっても、マス・メディア、とりわけテレビの洗礼を受ける主要な場となっ ている。それゆえ、親も子も、家族という集団を組みながら家庭ではそれぞれバラバラで、そのかわ り家庭外の巨大な集団性——消費社会や国家——に直接属しているという奇妙なありかたをするので ある。これを"社会化された個人"と呼ぶこともできるだろう。この"個人"には、たしかに外見的 な"自律"はあるのだが、それは結局、"単身赴任"の出張員がどこにいてもっねに精神的、物質的 に(たとえば電話や金によって)会社に繋縛されているようなもので、あやつり人形的なものでしか ないのである。
こうした逆説は、これまでその"大部屋主義"が定説となってきた日本のビジネス社会でも現われ はじめている。加藤秀俊は、「オフイスの核分裂」(『中央公論・経営問題』一九八一年夏季号)という一文のな かで、日本の大企業のオフィスが、コンピューターや通信技術の導入によって仕事が「高度の神経集 約型に変貌」する結果、かっての"大部屋主義"から"個室化"の方向に進みつつあること指摘し、 「将来、多くのオフィスは、いよいよ個室化を進行させ、あたかもホテルか、あるいは監獄のような 景観を呈することになるだろう」と言っている。その際、加藤は、こんなこと言うと「多くの人は 悲惨な未来図をそこに構想するかもしれぬ。しかし、よくかんがえてみると、じつのところ、われわ れ文筆業者などというものは、はじめからひとりだけの作業で生きているのである」と言い、「だから、オフィスが核分裂を起して個室化してゆくことについて、わたしはべっだん悲壮感をもっていな い」と述べている。しかしこれは、オフイスの労働者が、必ずしも自分の意志でエレクトロニクスや勤務時間の支配下に属しているのではなく、その拘束の質は、加藤のような"文筆業者"が受ける自発的な拘束——たかだか"しめきり"というルースな"勤務時閉"があるにすぎない——とは全く異 なっていることを無視している。少なくとも、オフイスの労働者は自分の意志で"個人"になるのではなく,家と同様に、経済的・文化的な資本の回路が増殖し、侵入してくることによって"個入" にさせられるのである。
ただし、オフィスのこうした"個室化"が進めば、アルヴィン・トフラーが『第三の波』で言って いるような——事務労働を労働者の自宅でやらせるというような——管理方法を実現させることも容 易になるだろう。しかし、それは現在の家庭にわずか残っている"自由空間"までも公的なものに完 全にあけわたしてしまうことでもあるのだ。
家庭に関しても、家族の成員がバラバラに孤立しあった一種の官僚制化が昂進すれば、家庭は、会 社のオフィス同様、不必要なものになってくるだろう。現に、一人暮しをよしとする者が日本でもふ えているし、ニューヨークなどでは、家族と住む者よりも一人で住む者の方がノーマルであるとみな される風潮さえある。独身者用の住居がふえているのは、離婚率の高さとも関係があるが、結婚しな い人がふえていることもたしかである。しかし、一人暮しをしているからといって彼や彼女は、公的 なものから隠遁していることを意味するのではなく、逆にマス・メディアや、消費機関を含めた社会 機関に、家族と住む者以上に依存しているのである。実際、"独身貴族"は個人消費の有望なマーケ ットになっており、「産業界では春以来、独身貴族市場に的を絞った製品が矢継ぎ早にお目見えし」 ており、「その購買力は(昭和)五十四年推計で十五兆円」と推定されているという(『東京新聞』一九八○ 年9月20日号)。
このよな独身貴族は、鉄筋のアパートに住み、隣人からたがいに隔絶した生活を送りがちだが、 にもかかわらず、「NHKや新聞記連などの集金係は、ちゃんとやって来て集金していくのだから、 情報センターからタテの連絡はある」(戸井田道三『劇場の廊下で』春秋社)わけである。その意味で、ひと り暮しをする者がふえるということは、"タテ社会"をいままで以上に純化することにもなる。まさ に、現代日本は、近代の天皇制的社会のタテ社会の理念を資本・情報・タテ社会として洗練された形 で完成するのである。

6
すでに明らかなように、今日の日本の社会では、"個人"であることは、もはや——あるいはいよ いよもって——自律的であることを意味しない。しかし、自律的な個人であるということはどういう ことなのだろうか?かってアランは、デカルトの時代についてこう書いた。
「この人は美しい時代に属し、それはまだ服従を知らない時代であった。秩序は全くできていない。 ヨーロッパ全体は、おのおのが自分のために戦っている大きな内乱のようであった。そして数学さえ も、巧妙な人がひそかに不意打ちをかける党派の戦いに似ていた。すべての人が剣と策略をとり、主 人を選ぶ。だれも自分の前に、情念を知恵に変えさせるような、はっきり定まった義務をみとめてい ない。自分で態度を決定しなければならないのである」(渡辺秀訳『アラン著作集』6、白水社)
たしかに、このようなデカルトは自律的な個人のイメージを与える。そしてこのようなイメージは、 彼の"孤立的自我"にふさわしいようにもみえる。しかし、デカルトは、一度として、自我の総体が 世界から切りはなされた単独者であると考えたことはなかった。まさに、林達夫が言ったように、 「デカルトはどんなときにも慎重を極めた戦略家として物を書いていた(否、書くことを余儀なくさ れていた)学者であったということを忘れてはならない」(『林達夫著作集』4、平凡祉)のであって、彼の "コギト"のいわば単独者的性格はきわめて戦略的なものであった。
デカルトは思考の人であると同時に世俗の人であり、両者は補完しあっていたが、同様に、自我が 自我以外に属していないという彼の戦略的な主張は、自我が暗黙のレベルではつねに世界に属してい るという本質的な洞察を前提にしていた。自我のこうした暗黙の世界内属性は、のちにフッサールに よって「生活世界的意識」ないしは「相互主体性」として、またメルロー=ポンティによって「相互 身体性」(intercorporeite)としてとらえなおされるが、デカルトがこうした次元を暗黙のままに前提 することができたのは、彼がやはり「美しい時代に属し」ていたからである。デカルトの時代には、 「生活世界的意識」や「相互身体性」のなかにまで支配や操作が侵入することはなかった。それはあ らゆる実践の源泉として、つねに潜在的なレベルにとどまっていることができた。デカルトは、彼の 実践の準則ででもあるかのように、「われ仮面をかぶりて歩みゆく」という言葉を残しているが、た しかに彼の時代には、演技として自律的な個人であることができた。
しかし、フッサールやメルロー=ポンティの時代には、「生活世界的意識」や「相互身体性」のな かにまで合理性の探針がさしこまれるようになった。フロイトにおいて「無意識」という概念が現わ れたとき、すでにその"無意識"には抑圧の力がおよびはじめていたように、「生活世界的な意識」や 「相互身体性」という概念の出現は、それらによって指示されているところのものが——今日ほどで はないにしても——"植民地化"され、そこに資本とマス・メディアの回路が接合されはじめた段階 を示唆しているのである。主体的なものへのそうした"侵略"は、今日ほどはなはだしくなかったの で、フッサールは、いわばデカルト的な単独者がたとえ演技的であれ、もはや不可能であることだけ を論証しつづけることになった。メルロー=ポンティは、フッサールを再把握して、「われわれが本 当にひとりぼっちになるのは、われわれがそのことを知っていないという条件のもとにおいてであり、 われわれの孤独なるものは、ほかならぬこの無知のことなのだ」(竹内芳郎監訳『シーニュ2』みすず書房)と 言っているが、メルロー=ポンティが最終的に、「独我論的自我」を無効にし、「主観・客観というこ の区別が疑わしくなってくるような第三の次元」、「理論化以前の層」の存在を確認したとき、すでに そうした次元への組織的な"侵入"の方も次第次第にすすめられていた。とはいえ、のちにガタリが 言うような「マス・メディア化」はまだ今日ほど露骨ではなかったので、メルロー=ポンティは、こ うした"侵入"への対抗と主体的レベルでの思考作業とを、サルトル同様、別々に切りはなして行な うことができた。『シーニュ』における政治論と現象学的諸考察とのコントラストはまさに、このこ とを物語っている。
しかしながら、メルロー=ポンテイの時代から三十年たったいま、われわれは彼の、「相互身体性」 を純化することにやすんじることはできないのであって、まさに「相互身体性」に侵入しつつあるも のをあばくことを第一に行なわなけれぱならないのである。デカルトにとって単独者は演技的に可能 であった。フッサールやメルロー=ポンテイにとって単独者は「自己忘却」のなかでのみ可能であっ た。今日、単独者であることはいささかの演技も必要としないが、その単独者はいささかの自律性も もたず、資本とマス・メディアの網状組織と化しつつある「相互身体性」にからみとられているので ある。




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