「不良外人」の誘惑
都市を歩き、直接経験したことをもとにして考察を進めようというのが本書の出発点にあった発想だが、せっかく街を歩きまわっても、その経験を文章にすると、批評家のくせで、ついつい「思弁的」になってしまう。そこで今回は、「思弁的」な姿勢を一掃して、街そのものに働きかけ、そのリアクションを試してみることにしよう。
当初この本の取材は、自分以外の者に変身して街を歩き、他者と交わり、その経験をレポートするというスタイルで行われるはずだった。わたしはすでにそのようなやり方で何度か都市エッセーを書き、発見するところが大きかったからである。が、それをやめたのは、一つには、この本の企画の段階にギュンター・ヴァルラフの『最底辺』が出、気勢をそがれたからである。
しかし、今回あえて《変装的アプローチ》という方法を試みる気になったのは、日本社会における英語の意味というものを自分の体で試してみたいと思うようになったからである。日本社会では、英語をしゃべるということは、単にアメリカやイギリスやオーストラリアで日常しゃべられている言葉をしゃべるということ以上の意味をもっているのではないか?
日本では「国際的」であることと「英語をしゃべれる」ということとは同義語のように考えられることが多いが、実際には、日本で英語をしゃべるということは、「外人」のふりをするということなのである。ということは、「国際化」も、日本社会が国際化するというよりも、日本社会が「外国」になったふりをするということであり、日本社会そのものの変容とはほど遠いということになるのではないか?
二月のある月曜日、わたしは「外人」になる準備をととのえた。普段の身なりのまま英語をしゃべるだけでもかまわないと思ったが、念のため服装と身なりも「外人」っぽく変装することにした。以前ニューヨークに住んでいたとき、よくプエルト・リコ人とまちがえられたので、少し皮膚をあさ黒く染めることを考え、舞台化粧用具専門店でファンデーションを買ってきて皮膚を染め、試してみたが、ファンデーションの臭いがけっこう強いうえに、日向で見ると、映画撮影中の役者みたいな感じになってしまうので、皮膚を染めるのはあきらめた。その代り、若干「異国」情緒を出すために、ズボンをダーク・ブルー色の「チノパン」にし、十年まえに買ったエンジのセータの上にやはり時代物のカラシ色のジャンパーをはおった。そして、頭に水性ポマードを塗って髪型を変え、左指に安物の大きな金色の指輪をはめた。一見して国籍不明の風体である。
別人になりきるためにはまず自分をその気にさせなければならない。そこでわたしは、家を出るなり日本語を使うことをやめた。いまからわたしは、数日前に初めて日本に来た「外人」を演じよう。設定は、東南アジアの人でもよいし、日系アメリカ人でもよい。それが本当の東南アジア人や日系アメリカ人に対して失礼だというのなら、日本語の記憶を喪失して国籍不明者になってしまった人物でもよい。とにかくわたしは英語だけしかわからないということにしよう。
駅で切符を買おうとして、ふと立ち止る。運賃が書いてある表には日本語しかなかったからである。新宿まで一体いくらなのだろうか?
「ハウ・マッチ・フォー・シンジュク?」
改札口に入ろうとしている青年にたずねる。彼は、一瞬、緊張し、「あー、百円、あー、だから、ワンハンドレッド」と答える。むろん、わたしは「サンキュウ」を返す。
改札口で若い駅員に「シンジュク、ディス・ウエイ?」と言ってホームの方を指差すと、直ちに「イエス、ナンバー・ツー」という答えが返ってきた。先程の青年のようなとまどいは全く見られない。慣れているのだろう。
では、これが中・老年層になった場合はどうか? 京王新線の新宿駅改札口で一番歳をとっている駅員を選び、「アイム・ルッキング・フォー・マイ・シティ」とやってみた。すると顔に少し皺のよったその人は、平然と、「まっすぐ行って右にまがるの」と言い、しきりに身ぶりでその方向を示そうとした。わたしはしつこく「ゴー・ストレイト? 」とかなんとか言いながら、言っていることがわからないふりをする。が、立派なことにこの人は最後まで日本語をしゃべり続けた。
これは、実のところ極めて国際的なことである。日本人は一体に、外国語(とりわけ英語)で質問されると、そのとたんに何十年も慣れ親しんだはずの日本語の基盤がぐらついてしまい、懸命に英語をしゃべろうとしたり、日本語の発音がおかしくなったりしがちである。ところが、一般に外国では、全然その言葉がわからないということがわかっている相手に平気でその言葉をくりかえす人の方が多い。まるで外国語などというものがないかのようにである。
マイ・シティのエレベータ前でもう一度この英語アレルギー・テストをすることにした。相手はエレベータ係りの若い女性である。
「アイム・ゴーイング・トゥー・プティ・モンド」と、「プティ・モンド」のところをフランス語風に発音すると、彼女は、大いに戸惑い、「プチモンド? 八階、エイト、エイト」と言う。わたしの身なりと比較すれば、ほとんど「貴婦人」の身なりをしたこの女性が、そのとたんひどく卑屈な存在になり、一生懸命わたしにへりくだっている。
「エイス・フロアー?」とさらにたずねると、彼女は、頬に両手をあて、「ウー、困る
ゥー」とかなんとか言って笑いながら、「エイト、エイト、エレベーター・ダウン・スーン」と言う。わたしは彼女の頬にキスしてあげたいほど感謝し、エレベータに乗る。なるほど、日本というところは、「外人」には天国だ。
プチモンドで編集のOさんと打ち合わせをして、いよいよ本番に入る。いきなり英語でしゃべりかけたときのOさんの反応がまたおもしろかったのだが、それについてはここでは省略する。
「外人」が異国に来てやることの主要なことの一つに買い物がある。わたしが今日演じている「外人」はあまり金をもちあわせてはいなさそうだが、しかし、カメラやワープロの店をひやかすことは許されるだろう。
伊勢丹裏のさくらやに行く。店を入るとすぐワープロが並んでいたので、少し物色する素ぶりをし、店員をおびきよせる。
「キャン・アイ・ユーズ・ディス・イン・ザ・ユナイテッド・ステイツ?」わたしは、エプソンのラップトップ・ワープロを指差してたずねる。ちなみにこの手の機械はそのままアメリカで使用出来る。
すると、この二十代後半ぐらいの店員は、「ノー、ジャパン・オンリー」と答えた。
「ワーイ? アイ・ニード・ア・コンバーター? ウィ・ハブ・一一〇ボルト・カレンシー」つまり、アメリカの電灯線は一一〇ボルトだが、コンバーターがなければダメなのか、ときいたわけである。が、この人は、「コンバーターの問題じゃねえんだな。ICが違うんだよ」と日本語でつぶやき、「ジャパン・オンリー」をくりかえして、しきりに頭を振った。これでは、アメリカで日本語ワープロを使おうとする客をのがしてしまうではないか。
そこで、別の建物にある姉妹店で同じことを試してみることにする。相手をしてくれたのは、もう少し若い人で、スーツをきちんと着込んでいる。英語はよくわかり、NECのラプトップ・ワープロを指差しながら同じ質問をすると、即座に「イエス」と答え、英語で説明をし始めた。が、 「ユー・ハブ・イングリシュ・マニュアル・オブ・ディス?」とたずねたとたん、ヤッピーぽい彼の顔に影が射した。英語のマニュアルの付いた日本語ワープロはどの会社からも出ていないというのである。
「外人」としてのわたしがワープロを物色するのは、それを使って日本語を勉強するためである。先日わたしは、オーストラリアから来て日本語を勉強している友人が日本語ワ
ープロを買うのにつきあい、十種類ほどメカを試したが、その「国際的」なデザインにもかかわらず、その大半が機構的に〈会社ナショナリズム〉の発想で作られているのを発見して驚いた。これでは、英語のマニュアルが用意されていなくても何ら不思議ではない。要するに、日本語を外国人にも習得させるという努力が全く見られないのである。
次に訪れたのは三越である。一階の受付で、「クスクスを探しているのだが」と英語で言うと、受付嬢は、「クスクス!?」と怪訝な顔をした。わたしがクスクスなるものの説明をし、それが食品であることがわかると、彼女は「FLOOR GUIDE」という紙を出し、地下の二階に行くことを指示した。
ところが、食品売り場に行ってからが大変。係りの人は英語を聞いただけであわててしまい、なぜかわたしを香辛料のコーナへ連れて行った。「ノー、イッツ・ア・カインド・オブ・パスタ」と言いながらも、わたしはもうこれ以上善良な人をだますのがつらくなり、自分で探す旨を告げるのだが、その人は親切にもわたしをあちらこちらに案内し、「これじゃないですか」ときく。最後にわたしは、スパゲッティの売り場に到達したが、クスクスはなかった。
問題はアラブの食料であるクスクスが置かれているかどうかではない。ちなみに西武百貨店ではクスクスが売られている。問題は、英語を使う人間に対する客扱いである。日本のデパートは、アメリカなどにくらべて一体に客扱いがよいと言えるが、わたしは、近年、日本人の客としてこんなに親切な扱いを受けたことがない。こでもわたしは、英語をしゃべるということの特殊性を感じないではいられなかった。
さて、日本にやってきた「外人」が、日本にもっと深入りしようとするには言葉をおぼえなければならない。「国際化」を突き進んでいる日本は、その点でどのような準備をしているのだろうか? おびただしい外国人をかかえるニューヨーク市の場合、市や教会などがさまざまなボランティア・プログラムを組んでおり、英語を習いたい者は、無料でそのサービスを受けることが出来る。
新宿区は、毎年千人以上の割合で外国人登録者数が増えている区であり、外国人の居住者が多い区である。以前、この区の住民課にインタヴューに来たことがあるが、そのときは、将来、そのようなボランティア・プログラムにも手を付ける計画だという話を聞いた。あれからもう大分たつ。新宿区に住む外国人はますます増えているはずだが、日本語習得に関する公共サービスの方はどうなっているのだろうか?
「アイ・ハブ・カム・フロム・ザ・ユナイテッド・ステイツ・ファイヴ・デイズ・アゴー。エンド・アイ・キャント・スピーク・ジャパニーズ。ソー、アイ・ウォント・ラーン・ジャパニーズ」
わたしは、最初、新宿区の住民課は「外人」慣れしていて、ひどく事務的な扱いを受けるのではないかと思った。というのも、まわりのベンチに腰を下ろしている東南アジア人たちはなぜかみなひどく打ちひしがれた表情をしていたからである。ところが、わたしが英語をしゃべり始めたときカウンターのなかにいた若いメガネをかけた青年のとった態度は困惑であった。
「よわっちゃうな、英語でペラペラやられると弱いんだよ」と彼は傍らの同僚に日本語で言い、「ウエイト」と言ってすぐに別の人を連れて来た。その人は英語がよく出来るらしい。再びわたしが主旨を述べる。すると、その人は、ここではその手の案内を一切やっていないが、「メイビー」、都庁で何か教えてくれるかもしれないから都庁に行ってみてくれと言い、英語のパンフレットをくれた。それは、Foreign Residents´Advisory Center の 「English Advisory Service」といういうパンフレットで、そこには外国人に対して医療、福祉、教育、日本の習慣・文化、国際結婚、法律問題などの相談に応ずると書かれているが、肝心の日本語をどうしたら習えるかという点は全く定かでない。
わたしは、日本語を習いたいということをしつこく訴えたが、その人は気の毒そうに、それについては一切ここでは「ヘルプ」できないと言った。「日本語学校」との癒着を恐れるのか、住民課は、あえて冷たい対応をする。そして、個人的にはわたしに同情していることがわかるその職員は、都庁への行き方を詳しく教えてくれた。
それから都庁へ行こうと思ったが、時計はすでに四時半を過ぎていた。日を改めようかと思いながら通りがかりのビルの看板を見ると、英会話の学校の表示があった。最近は、表向きは「英会話」の学校になっているところで、出稼ぎの外国人に日本語を教えたり、職を斡旋したりしているということを聞いた。ここはどうだろう?
エレベータを降りると、受付があり、二十代初めの若い女性がカウンターにいた。わたしが、日本語を習いたいという主旨を英語で告げると、一瞬態度が代り、「ジャスト・セカンド」と言って席を立った。そして、すぐに薄茶のサングラスを掛けたやせ型のヤクザっぽい三十代の男が現われ、「メイ・アイ・ヘルプ・ユー?」ときた。
ひとしきりわたしの説明を聞いたあと、かなり流暢な英語で、「日本語は読めるのか?」と聞くので、「全然わからない」と言うと、「それじゃ、どうして、ここで日本語を教えるとわかったんだ? 表の看板には日本語でしか表示していないんだがね」とからんでくる。わたしが「外人」にバケているのを感じとったのかもしれない。わたしは、一瞬ヤバイと思ったが、丁度、たったいま区役所でもらった英文パンフレットを手にもっていたので、区役所でそれをもらったくだりを話し、そして、「そのあとわたしが途方に暮れていると、一人のアジア人がわたしにあなたの学校のことを教えてくれた・・・」という物語をでっち上げた。
男は、その件に関してはそれで納得したらしく、今度はわたしの前歴とビザについてたずねてきた。日本語を習う方の話はどこかへいってしまった。むろん、初対面の人物にそういう話をする必要はないので、わたしは、「ビザに関しては当面半年間は問題はない」と厳かに言い、逆に「観光ビザをワーキング・ビザに変換する方法はあるか」とたずねる。男は、「それは仕事次第で可能」だと言い、暗に仕事を世話することをにおわし始める。そして、どこに住んでいるか、身寄りはいるか、金はどの程度もっているかといった身辺調査の手を延ばしてくる。
こういうときはこちらの方からまくしたてるにかぎるので、わたしの架空の「身の上」を早口で話す。わたしは、日本人の両親のもとに生まれたが、アメリカで育った。両親とは早く死に別れたので日本語は出来ない。日本に親戚はいるが、まだ会っていないし、会うつもりもない。自分は人に頼るのは嫌いなのだ。だから早く日本語を習って、いい仕事に就きたい・・・云々。
結局、男は、「ここは、普通は日本語を教えてはいないのだが、君には特別、一回六千円でコースを組んであげよう。週に最低三回、一月もやれば、仕事の相談にも乗ってあげる」と言った。
雰囲気は、その場で申し込みをして、なにがしかの金を置いていかなければならない感じだったが、わたしは、「イッツ・サウンズ・グッド」と言い、「レッツ・ミー・シンク。アイ・ル・ゲット・イン・タッチ・ウイズ・ユー」と言ってその場を離れることにする。
帰りぎわに男は名詞を、わざと日本語で印刷された方の面を上にして渡し、わたしの反応をうかがいながら、名前をたずねた。わたたしは、「トニー」と答え、その名詞を珍しいものでも見る素ぶりで玩び、裏にローマ字の表記を発見してその男の名前をぎごちなく読む。男はそれに大いに満足し、今度会うときはわたしの頼みを何でもきいてくれそうな表情でわたしの手を握った。わたしは、一瞬、相手が「外人」をカモにする手合いなのか、それともこちらが「不良外人」なのかわからなくなり、この分でいくと、日本で「外人」になってしまうのも悪くないなと思った。