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一九八七年度映像ベストワン

 今年(一九八七年)は実に多くの映画・ヴィデオが公開された。おかげで普段なら一時ごろまで寝ていることの多いわたしが、たびたび昼まえに起き、午後一の試写会に通うはめになった。むろん、試写のハシゴをするためである。
 印象に残りながら批評を書かなかったものも大分ある。列挙してみると——『満月の夜』、『ラルジャン』、『バロウズ』、『ユリシーズ』、『ボルテックス』、『エル・ニド』、『緑の光線』、『バウンティフルへの旅』、『デッドゾーン』、『アメリカの友人』、『ローリー・アンダーソン 0&1』、『ラジオ・デイズ』、『コカコーラ・キッド』、『フーズ・ザット・ガール』、『サンタリア 魔界怨霊』、『グッドモーニング・バビロン!』等々だ。このうち、『コカコーラ・キッド』、『デッドゾーン』、『ローリー・アンダーソン 0&1』については、是非書きたいと思いながら果たせなかった。
 そこでこれらのうちから「映像ベストワン」を選ぼうと思い、記憶をたぐりなおしているうちに、わたしは一歩も先へ進めなくなってしまった。おびただしい数の映画との戯れを算術級数的な秩序のなかに整理することができないことに気付いただけでなく、「映像」とは一体なんであろうかということを考え始めてしまったのである。
 映画やヴィデオがそのまま「映像」であるわけではないし、また、一本の映画は単一の「映像」によってつくられているわけではない。量的に見ても、映画の単位と「映像」の単位とでは全く位が違うのだ。また、映像にはいわば脳細胞がからみついており、その恣意性は「ベストワン」とか「ベストテン」とかいった明確な区別にさからうのである。
「映像」と「映画」とを区別するものについての根本的な問いをこの暮れに問うのはやっかいなので、ここではいまわたしが最も「映像」らしいと思うものをとりあげてみる。
 単に言葉の上から言うと、〈映像的〉だとわたしが思うのは、映画よりもむしろヴィデオである。そして、ヴィデオのうちでも仕上がりや見せ方が「あたりまえ」でない方がわたしには〈映像的〉である。
 だから、今年公開された「映画」のなかからあえて〈映像的〉なものを選ぶとすると、すぐに浮かんでくるのは、もともとテレビ用に作られた『電脳ネットワーク23 マックス・ヘッドルーム』である。これが、テレビでではなく、劇場で公開されたところに日本の映像環境の特殊性が現われているが、日本の映像環境にとって『マックス・ヘッドルーム』の公開は、遅すぎたとはいえ、重要であると思う。
 しかし、『マックス・ヘッドルーム』は、映画版よりもヴィデオ版の方が〈映像的〉だろう。アメリカの友人がHBOの放送から撮って送ってくれたヴィデオカセットには六時間分の『マックス・ヘッドルーム』シリーズが入っているが、もともと画質が悪い上に知人や友人のあいだを遍歴するうちに、キズやノイズが多くなり、ますます〈映像的〉になってきた。
 今年は、『ゆきゆきて、神軍』が評判になったが、この映画はあまり〈映像的〉ではない。物語がきちんと出来上がっているからである。その点では、獄中監督の黒川芳正とカメラの佐々木健らが製作した『母たち』の方がはるかに〈映像的〉であった。
 ただし、『マックス・ヘッドルーム』にしても『母たち』にしても、〈映像的〉ということではまだものたりない。〈映像的〉と言うからには、映像や情報のテクノロジーの先端部に直結したものがほしい。
 その点で最近わたしが「これは〈映像的〉だなあ」と思ったのは、西ドイツのエレクトロニク産業のAEGが『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』に出した広告だ。そこでは、デスクトップ型のコンピュータが二台向き合っており、そのスクリーンからコンピュータ・グラフィックスの「手」が丁度『ビデオドローム』の一シーンを思わせる(ただし、雰囲気はもっと軽い)格好で延びている。
 デザインとしては実に素朴だが、わたしはここに電子テクノロジーの未来像を見る。当面、電子テクノロジーの「発展」はもっぱら情報を「送る」方にウエイトが置かれているが、やがてそれは「受ける」方のレベルに移行するだろう。つまり、ワープロで文字を打ったり、コンピュータ処理でほとんどすべてのタイプの映像を合成するだけでなく、本を目で読む代わりにイメージ・リーダーで〈読み〉、映画やヴィデオを光センサーで〈見る〉ということが多くなるにちがいない。
 すでにわれわれは、コピーした書類を読まずに置くことが多いではないか。これは、電子の目で一度〈読んで〉しまったために、生身の目がストを起こしているためだ。このレベルでは、目で読まないということは、情報処理を怠ることになるが、いずれコンピュータが〈読んだ〉情報を自動的に処理するようになると、自分の目で読まないということが何の抵抗も起こさなくなる。
 AEGの広告は、読むことも動くこともしない終極の「人間」を映像化しており、わたしに多くの〈夢想〉をかきたててくれたので、これを八七年の「映像ベストワン」にしようと思う。
[マックス・ヘッドルーム]前出[満月の夜]監督・脚本=エリック・ロメール/出演=パスカル・オジエ、ファブリス・ルシーニ他/84年仏[ラルジャン]監督・脚本=ロベール・ブレッソン/出演=クリスチャン・パティ、カロリーヌ・ラング他/83年仏・スイス[バロウズ]監督=ハワード・ブルックナー/出演=ウィリアム・S・バロウズ、アレン・ギンズバーグ他/84年米[ユリシーズ]監督・脚本=ヴェルナー・ルーネス/出演=アルムニ・ヴョルフ、ケフィール他/82年西独[ボルテックス]監督・脚本=スコット・B、ベス・B/出演=リディア・ランチ、ビル・ライス他/82年米[エル・ニド]監督・脚本=ハイメ・デ・アルミニャン/出演=アナ・トレント、エクトル・アルテリオ他/80年スペイン[緑の光線]監督・脚本=エリック・ロメール/出演=マリー・リビエール、リサ・エレディア他/86年仏[バウンティフルへの旅]監督=ピーター・マスターソン/脚本=ホートン・フート/出演=ジェラルディン・ペイジ、ジョン・ハード他/85年米[デッドゾーン]監督=デイヴィッド・クローネンバーグ/脚本=ジェフリー・ボーム/出演=クリストファー・ウォーケン、ブルック・アダムス他/83年米[アメリカの友人]監督・脚本=ヴィム・ヴェンダース/デニス・ホッパー、ブルーノ・ガンツ他/77年西独・米[ローリー・アンダーソン 0&1]監督・脚本=ローリー・アンダーソン/出演=ローリー・アンダーソン、ウィリアム・S・バロウズ他/86年米[ラジオ・デイズ]監督・脚本=ウディ・アレン/出演=セス・グリーン、ミア・ファーロー他/87年米[コカコーラ・キッド]前出[フーズ・ザット・ガール]監督=ジェームズ・フォーリー/出演=マドンナ、グリフィン・ダン他/87年米[サンタリア 魔界怨霊]監督=ジョン・シュレシンジャー/出演=マーティン・シーン、ヘレン・シェイバー他/87年米[グッドモーニング・バビロン!]監督=パオロ・タヴィアーニ、ビットリオ・タヴィアーニ/脚本=パオロ・タヴィアーニ、ビットリオ・タヴィアーニ他/出演=ビンセント・スパーノ、オメロ・アントヌッティ他/87年伊・仏・米◎87/12/28『月刊イメージフォーラム』




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