情報資本主義批判


1
情報資本主義と企業の文化 
コンピューターと〈手〉のあいだ 
ニュー・メディアの世紀末 
時間犯罪の時代 
2
二〇二四年のコンピューター 
電子文化のポップ感覚 
未来派の速度政治 
遊歩と漂泊の終焉
アンドロイドか身体か?
3
日付のある情報資本主義批判 
時間操作の政治 
あとがき
 




 情報資本主義と企業の文化



 〃企業戦略"から"企業文化"へというのが、八○年代のアメリカにおける企業活醐
の文化を特徴づける傾向だと言われているが、最近、日木企業のあいだでも似たような関心が強
まっている。
 アメリカの場合、"企業文化"、〃企業イメージ"、〃企業アイデンティティ"といった一辺のコン
セプトを企業が深川しはじめるのは、景気後退、国際競争の激化、テクノロジーの高庇化、政府
による"規制緩和〃たどによって従来の企業活動が大きな変化を強いられるようになったから
であるが、この要因は規制緩和という観点から統合的に論ずることができる。規捌緩和には、景
気後退、国際競争、テクノロジーなどの問題がすべてからんでおり、そこには、企業が企業内部
の文化へたとえぱ人間閑係のパターン)だけでなく、クライアントや消費者の文化をも変革しな
けれぱならなくなった状況が直接反映されている。
 政府による規制を廃止ないしは軽減する"ディレギュレィション〃は、決してレーガン政権と
ともにはじまったのではなく、すでにフォード政椛の時代に浮上していたアメリカ賓本主義体制
の基本的な変化である。これは、産業の重心が金融、通信、運輸といったサービス・情報部門に
移行するにつれて、政府や国家が企業活動を直接規制するやり方では(企業白体が危機に陥って
いてニューディール的なテコ入れを必要とするとか、宇宙開発のようだ規模の巨大た専業の場合
でないかぎり)、企業がn巾た帷楽活醐を行なえないし、自己活性化することができたいという
資本主義的な諭理にもとづく変化である。
 今日の資本主義は、情報機榊を生産・消火するだけではなく、情報ソフトを企蕨・消火し、さ
らに資本自体が情報になるという情報資木主義の段附に逃しつつある(「企業はなぜ"文化"をつく
らねばならないか?」、『メディアの牢獄』晶文杜、参照)。
 ここでは、企業に対する政府の机伽が弱まるのであり、政府が企業に対して煩雑な乎統きや文
書作成を要求するようだ官僚主花的な要素は、よりスピーディーで統合的な怖報テクノロジーに
依存している産業体制にとっては障害以外の何ものでもなく、旧式の制約は怖挑11資本の回転を
ぎくしゃくしたものにしてLまうということがシステムの"反省"として現われるのである。
 規制緩和がアメリカで一番進んでいる莱界は航空業界だが、ここで企業文化がいかに派要なも
のになっているかは、『ニューヨーク・タイムズ』の日曜版の"旅行〃セクションに掲概されてい
る格安航空券の広告を見ただけでもわかるだろう。この七、八年間にレギュラー運賃は上がる一
方だが、遠距離のディスカウント・チヶツトの方は、実質的にどんどん下がっている。これは、
政府が運賃に対する規制をますます弱めてきたからであり、そのため、企業問の概争は、すさま
じいまでに激化し、運賃を他社と同額に割り引いてゆき、そのあとは金破を超えたもの1つま
りは文化一で他社に差をつけるしかないというところまで逃.んでいるわけだ。
 各国における規制緩和の度合は、賞本主義の現段階に対してその国家がどのようなかかわり方
をしているかという相違を露呈させもする。一九八四年一〇月、イギリス政府は、トランスワー
ルド、パンナム、ブリティッシュ・エアウェィズ、ブリティッシュ・カレドニアンなどの会社が
売り出したニューヨークー1回ソドソ間の格安航空券(安いものでは往復一四九ドル)の発売を禁止L、
その回収を要諦したが、航空業…介に対する規制緩和の見解がイギリス政府とアメリカ政府とでは
大いにちがうことを示すことになった。イギリス政府の今回の処耐は、米航空業…介のなぐり込み
とも言えるダンピングで白国の航空合杜が過当続争にまきこまれ、破綻に陥るのを防ぐためであ
り、イギリスの資本主義がまだ情報資本主義としては十分に機能していないことを示している。
 航空運賃のダンピング競争は、単に資本主義の競争的性格を表わしているのではたくて、資本
主義が行きつくところまで行くと、〃価格"という概念が無効になってしまうという流木主義の
終末論的目的性を暗示している。すでに、航空運賃から"定価"が失われ、格安航空券の"定
価〃が大体決まっている今日では、単に仇が安いというだけでは利用者をひきっけることができ
なくなっているが、これは、経済価値が、すでに金銭価値から情報価値へ移行しつつあることを
示唆している。
 航空事業の規制緩和がどんなに遊んでも、政府による飛行の安全規制はなくならないし、飛行
場は各社が同じものを共同使用するわけだから、各社の企楽活動の独白性は、単なる価格のレベ
ルではなくて、サービスや企業活動につきまとう文化のレベルで決定されざるをえない。スチュ
ワーデスの衣装、態度、食事、映写やカクテルのサービスだとが各社で異なるのもこのためであ
り、どの航空合杜も、独白の〃企業イメージ"を出そうとやっきになっている。
 こうした傾向は、サービス産楽よりも情報産業においてより一胴顕著な形で現われる。情報は、
それが位睡づけられる文脈つまりは〃文化的コンテキスト。次塘でその〃仙。が上がったり下が
ったりする。だから、今日のようにすべての産業が情報を中心に可、編成されるようになると、商
品価値のうち、その情報仙仙の部分が占める割合がその"実質的〃た伽仇の部分を上回るように
なる。食品のように実質的に見えるものでも、情報資木主裁のもとでは、食べてどれだけカロリ
ーや栄養価が高いかによってではなく、どれだけ独自の強烈なイメiジをもっているか、パッケ
ージニァザィソや商品の情報環境がアッピールするかどうかなどによって価格が決まる。情報伽
値をもたない商品、文化的係数の付かない商品は、もはやないのであり、情報と文化のレベルで
"価格"競争が展開されているのだ。
 怜報資本主義化は、革に先進資本主義国においてだけではなく、商品経済と情報テクノロジi
の存在するところでは、大なり小なり進んでいる。ただ、そうした励向に対する国家の対応が国
によって異なるのであり、"規制緩和"は、この動向に対する明確な国家的対応だと一言える。
 日本の場合、この規制緩和が顕在化するのは、金融の"自由化"と電電公社の〃株式会社化。
(そして政府にとってははからずもの結果的な"規制緩和"だった宅配業の容認)とともにであ
り、アメリカにくらべて国家的対応が時間的に遅れているが、八○年代に入って目立ってきたい
わゆる"企業の文化戦略"は、情報資本主義化の一現象としてとらえられなければたらない。
 ただし、"文化戦略"という言い方は、経済活動を経常サイドの側からだけ考える肯い立場を
思わせ、それが行なっている本当の機能を見失わせがちである。"企業の文化戦略"は、たとえ
ば劣寄せにデパートが美術股を開いたり、社名を消費者に印象づけるためにイベントを…州いたり
といった販売促進の段階を超えているのであって、それはまた、消費者のモノ離れが述んだから、
今度は文化を売るといった"文化産業〃路線にも、とどまらないのである。
 むろん、それまで文化領域に介入していなかった企莱がメディアを所有したり、国際会議やイ
ベントをプロデュースしたり、また学術や芸術の活動に資金援助をしたり、といったことが、マ
ーゲヅトの拡大や開拓につながっている面もないわけではないし、そういうことを行なっている
企業が、それを一つの先行投質とみたしていることが多いのもたしかである。しかし、"企業の
文化戦略"の情報賓本主強的意味は、資本が資本を旭えた部分をみずから育成しなければ資本n
体の存在基盤を保てなくなったという事態の一環を表わしているのである。
 その意味では、情報資本主義の動向に削った〃文化戦略。は、たとえ、ば西武百貨店のそれのよ
うに〔立つものでは決してないだろう。日本の企業のなかでは、情報資木主義的な〃文化戦略"
を本格的に行なっているところはまだ杵無に等しい。日本企業の〃文化戦略"は、文字通り〃戦
略。つまりは作為が目立つのであって、資本主義の莇向を的確には認識していたい(あるいは、
あえて無視している)のである。
 金子正次の脚本にもとづいて川島透が映画化した『チ・ソ・ピ・ラ』には、映州の□〕頭から渋
谷の東急デパート本店の倣鰍シーンが瓜われる。この映阿製作に東急が一枚かんでいるかどうか
は知らないが、東急デパートを場面の中心部に設定したこの映画は、渋谷という街を新しい角度
から見せることによって観客の都市文化的姿勢を変えさせるよりも、むしろ束(心の渋谷をプロパ
ガンダする一種のイメージ作戦であるかのような印象を与え、帷報資本主義時代の映山としては、
芸術作柵としても文化焚冊としても、どうしようもない古さを感じさせるのだった。もし、この
映画に"東急の街、渋谷〃というPRが菰図されていたのだとしたら、なおさらこの映画は文化
的にすぐれた、新しいものにならなけれぱならないのである。
 企業と文化の関係が問題にたるときには、必ず西武百貨店の"文化戦略"が例にあがる。しか
し、情報資本主義のなかから山てくる"文化戦略"は、西武が現在行なっているものの延長線上
にはないかもしれない。この点は、情報資本主裁と企業文化との関係を考えるうえで、少し立ち
入って考えてみなければならない。
 七〇年代に、西武の"文化戦略"が一般にも知られるようになったとき、"文化のとりこみ"、
"文化の商品化"という観点からの西武批判が現われた。それは、当時の状況ではきわめて正当
なものであり、わたしも同様の観点からの批判を行なったことがある。しかし、今日、"企莱の文
化戦略・が杵迦化しつつある状況で、こうした棚点からの批判は役立たない。わたしは、ここで
それをくりかえすつもりはない。問題は、資本主衷がトラスティックに変貌しつつある状況のな
かで"帖武の文化戦略〃が、世㎜で考えられているほど"先端的〃な位雌に立っているかどうか
である。
 わたしの西武批判は、一面で、わたしの"ニュー・アカデミズム"批判に似ている。つまり、
どちらも、世間では非常に"述んだ〃、"新しい〃仰向を代表しているように見えながら、その尖、
決してそれほど述んでいるわけでも、新しくもないのではないかということだ。この程度の傾向
を"新しい"と思いこんでしまうと、現在、世界的、雌史的規模で見た費本主義システムがどの
ようなガ向へ向かって遊んでいるのかがさっぱりわからなくなってしまうのである。要するに、
わたしが批判しているのは、西武や"ニューアカ"そのものではなくて、西武や"ニューアカ"
につきまとっている一般的イメージなのである。
 西武の一般的イメiジとして、西武はもはや商業的な企業ではなくて、メディアであるという
のがある。だが、はたして、西武はメディアか? たしかに西武はメディア部門に進出している。
西武鉄道グループは西武線沿線地域のCATV小乗に乗り出し、西武流通グループもキャプテ
ン.システムやINSを使ったホーム・シヨヅピソグを普及させようとしている。一九八三年に
六本木にオープンしたWAVEは、西武蜘場、スタジオ200、西武美術館、シネ・ヴィヴァソ
六本木等のそれぞれ異なるメディア機能を統合(メデイア;・ソクス)しうる「文化発信の拠点」
であり、西武のコ二世紀への未来戦略」のためのメディア装雌のモデルをなすという。映画の
興行、配給、製作、出版、教育…-への進出等々、今日のメディア界に西武の名が見えないとこ
ろはないくらいだ。
 しかし、メディア箏業に進出していることとメディアであることとは同じではない。メディア
とは、人と人とが山会い、コミュニケイトする場である。だから広場はメディアであり、サロン
もメデ/アである。が、広場やサロンに人を集めて出会わせても、そこでものを売ることを最終
目的にしているとすれば、それをメディアであると言うことはできない。
 たしかに、西武は直接金にならないことをいろいろ手がけている。それに、商品化というもの
はすべて両義的な機能をもっている。物だけでなく、文化、知、情報、健康、旅、そして安心病
売られ、それらがことごとく貨幣と交換されるとしても、この商品化のなかには必ずメディアの
機能が生せざるをえない。
 リブロポートが出した『西武のクリエイティブワーク 感度いかがp ピヅ。ピッ。↓不思謙
大好き。』で西武百貨店のさまざまなスペースを紹介Lた章のタイトルは「山逢いの泣出」とた
っており、パルコは、「街を訪れる人々が街という舞台の上でのびやかに生き生きと主役を演じ
ることができるよう、パルコはその舞台装置を作りあげていく」と宣言している。
 だが、問題は、この「出逢い」の方向であり、西武にとって「出逢い」そのものは結局のとこ
ろ二の次で、むしろ何か「不思議」なものに「出逢」えるというような球㎜気を作って人を集め
何かを買わせるということが依然としてすべてに先行している点だ。その際、…貝わせるといって
も、デパートに来た客がそのデパートのなかで金を使わなくてもよい。西武資本系列のいずれか
の消費場で貨幣交換が行なわれれぽよいし、デパートで消費情報を仕込んできた客が白毛のキャ
プテン・システムで買物をしてもよい。たとえ、当座は蜘場や美術節がいかなる消費的欲求をう
ながさなくても、それが"西武文化"として蓄微され、"西武人間"を形成し、その彼や彼女らが
"西武文化"を生きるために西武資本から離れることができな、くなれぼもとはとれる。企業が文
化事業や生涯教育を重視する最もドライな側面はここにあるし、企薬が文化に関心をもつ理由も
大抵はこのようた期待からにすぎない。
 ただし、西武流通グルーブ代表の堤清二氏は、「いくら資金があるからといって、それで文化を
取り込めるわけではない。そういうエコノミック・アニマル的な姿勢で文化に近づいてはもらい
たくないですね。そういう意味でいろんな会社が、『この次は文化だ』とか『この次はソフトだ』
とか簡単に言われるのは、怖い話だと思いますね」(『月刊リクルート』一九八三年九月号)と言って
いる。しかし、現実問題として、西武はまだ文化団体にはなっていない。それはあくまでも営利
団体であって、「出逢い」を演出するという西武百貨店が"デパートM1〃とみなされているに
しても、それは、人と人との「出逢い」を演出し、そこから多様な文化を創り出してしまった点
でno.1なのではなくて、売上げ1つまり商品と人との「出逢い」1を作ることにおいて他の
デパートを抜いているにすぎないのだ。
 文化班莱というと何かと西武がひきあいに出されるが、国際文化交流、研究助成金の提供、文
化ツソポジウム、社会禍祉等においては、松下、トヨタ、日産、ソニー、野村といった企業の方
が-その名を表面には出さなくても-秋極的であり、文化を〃育成。する実絞をあげている
からである。そのかわり、西武の文化箏茱や文化戦略にくらべればこれらの企業が行なっている
ものはその実質的な〃野心"が壮大で、すべての企画が〃日本維済の将来。を計算して行なわれ
ているかのようだ。たとえばトヨタ財団は、東南アジアの研究や文化紹介に多額の援助を行なっ
ているが、これは、かつてのフォード財団とラテン・アメリカとの関係を想起させる。財団によ
る文化援助は、商品化と同様に両義的で、それ自身のねらいからはずれる部分が必ず含まれてい
るにしても、日本の多国籍企業にとって東南アジアがますます気になる場となりつつある今日、
こうしたアジア文化政災は確実な先行投資になるのである。
 その意味では、西武はつねに実質よりもキャッチ・フレイズが先走っているように思われる。
だから、逆に、その意味では、西武の〃文化帝国主義"などというものは、たとえばエクソンや
AT&Tなどが行なっているものにくらべれば、ものの数に入らないとも一言える。
 かつてわたしは、西武がその"文化戦略"において、あまりにその"刻印"を押しすぎると書
いたことがある(『遡判読書人』一九八四年二月二七日号)。しかし、この拙稿を別のところでくりか
えし、「たとえば、西武池袋店にあるスタジオ200で行われる継し物のバンフレットには、必
ず西武印が付いており、たとえその催し物が単に場所を利用しているだけでそれ以外は西武と一
切関係がないものであっても、それがあたかも西武の企、晒で行われたかのような印象を与えるの
である。これは、イメージ戦略としては成功かもしれないが、資本主菰の活性化のためにはあま
り役立たないのではないかと思う」と書いた(『勒ロジャーナル』一九八四年一一月三〇日号)とき、
スタヅオ200担当責任者の八木忠栄氏から『朝日ジャーナル』編集長宛にわたしへの抗議文が
届き、その要旨が同誌一九八四年一二月一四口号の「読者から」の欄に掲載された。八木氏によ
ると、「その催し物が単に場所を利用しているだけ」というのは「楽突誤認」であり、スタジオ
200では「私どもスタッフによる自主企画、あるいは外部との共同企西ですべて成立しており
ます」とのことであった。
 わたしが、「単に場所を利用しているだけでそれ以外は西武と一切関係がない」と言ったとき
に言わんとしたことは、西武の商業的な利害とは一切関係ないということであった。それは、西
武の文化的な企画にかかわっている人々のなかに、西武の経営方針や商業目的とはかかわりなく
大胆な1ときには企業の営利に反する-企画を立て、文化活動を支援している人たちがいる
ことを頭に置いたうえでの表現であったのだが、抗議文を文字通り受け取ると、西武の文化事業
は、すべて西武百貨店の「自主企画、あるいは外部との共同企画」であり、それらはコングロマ
リットとしての西武流通グループの利害とつねに密接な関係をもっているということになってし
まう。もし、そうだとしたら、わたしは、八木氏を含む西武の"企業内文化ゲリラ"たちをいさ
さか川以いかぶっていたことになる。
 スタジオ200が、そうした"ゲリラ"たちの努力で企業からの一応の自律性を獲得している
からこそ、そのより一層の自律のために、"西武印"はなくなるべきだと言ったのである。
 西武が情報資本主義時代の先端産業を自認し、西武の高逃な文化的理念が単なる販売戦略でも
文化管理でもないということを"じさせようとするならぽ、文化班業には勝手なことをやらせる
自律的な口山を与えなければならないが、斑状では、最低限"象徴"のレベルで統合をはかろう
とする未練を残している。西武のロゴは、まさに西武にとっての"菊の紋"である。たとえ象徴
的な統合であれ、一切の統合をやめなければならない箏態が到来しつつあるのだが、世に言う文
化戦略がそのことを十分自覚しているとは思えない。
 とはいえ、企業の方針、文化班莱の意図がいかなるところにあるとしても、資本主銭が愉報資
本主鑛の段階に突入するなかで企業の文化へのかかわりが不可避的に火してしまう新しい機能が
見えはじめている。すなわち、西武の"文化戦略"が社内対策として効果をあげている面がある
ように、その"文化戦略"が販売促進にあまり役立っていない場く]でも、それが、その"文化戦
略"に関与している管理職や従業貝の仕班意識を確実に変え、側き中市的た義務感からではない、
もっと文化的な出発性に根ざした"やる気〃を起こさせることに役立っている場合がある。実際、
企業の内部で"文化戦略"にたずさわっている人たちの多くは、ほとんどが"会社のため"と思
ってそれをやってはいないように見える。むしろ彼らは、"企業を利川して。日分のやりたいこ
とをやっているのだという恋識をもっている。
 これは、働く者を一秘の機械とみなす考え方からすれば企茱にとって不利益たことかもしれな
いが、働くということが機械にはできないことをやることでなけれぼならない情報資本主義の時
代には、このように"会社のため"にならないことをやる-」とがこれからのワーク・ユシヅク(労
働倫理)のモデルとなるだろう。言いかえれば、これからの先進的な企業は、金のためにならな
いことをどんどんやらなけれぱならないだろうし、それができない企薬は生きのびることができ
ないだろう。榊撒費本主義の逆説は、もうけようとすれぱ生きのびることができず、また、もう
からないことをやらなげれぱ生きのびることができないが、それでは資本主義がなりたたないと
いうところにある。
 これが空想的なことだと思うならば、テレビや雑誌と広告との関係を考えてみれぱよい。今日
の日本では、マス・メディアは、ほとんどが広告媒体であると言ってもよいが、そこにおける芸
術的・思想的表現の可能性は、いわば広告媒体が広告媒体として機能しない逆説のレベルでのみ
存在する。単純なスポンサーの論理でいけば、広告は直披利益にはねかえってこなけれぼならな
い。が、そんな広告は存在しないし、もしそのようなものが存在するかのような前提に立って広
件媒体を機能させようとするならぽ、広告やCMのあるマス・メディアに表現の可能性を期待す
ることは不可能になる。
 マス・」メディアにおける表現は、スポンサーと、それを"利用"して表現する者との目的意識
の食い違いが大きくなればなるほど姓がになるのであり、その意味では、もしスポンサーがマ
ス・メディアに新しい表現の可能性を求めるのならぱ、スポンサーは、マス・メディアにその
"意に反する"ことをさせなけれぽならないわけである。そして、それは、産楽の重心が竹靴に
移っていけぱいくほど、むしろスポンサーにとって必要なことなのだ。
 費本主義経済が企業の社名や文化を売ることはあたりまえである。が、資本主義のひと少か終
末に臨んで今日の企業に当面要求されていることは、資本主義システムそのものの生まれ変わり
である。この転換期には、これまでの論理で拡大された資本やマーケットが、瞬時にして無効に
なることもありえるだろう。アメリカで"企業文化"が㎜魎にされはじめたのは、生産・流通・
消費の合理化や再編だけでは、企業が今後生きのびることができないということに気づき、まず
企業内部の人…関係や制度を変革することがさしせまった課題になってきたからである。むろん、
最終的に変わらざるをえないのは、企業内部だけではなくて、企業の外部もそうであり、企業と
国家、そして企業と市民社会との関係も変わり、資水主義は終末に達するはずである。
 日本の企業と国家との関係を考えるとき、企業活動に対する国家規制の強さは、胴際的に見て
例外的ですらある。口木の企業は、これまでそうした規例のもとで発展してきたわけだが、企業
活動が多国籍化し、また、競争と混沌をこそ必要とする情報生産に企業活動のウェイトが置かれ
るようになるにつれて、固塚の"教育マ7的規伽は障害になってきた。
 しかし、日本の旧家形態は、憲法に規定されているようにあくまでも天皇制であって、合州国
制や連邦制ではないので、規制を緩和するためにも多くの困難にみまわれる。"規制緩和"とは、
同家が企業から一切手を引いてしまうことではたくて、いわば企莱に対する〃操り糸"を多爪.化
することであるが、そのためには旧家がそれn身をそれだけ多重.化できる力をもっていなければ
ならない。その点、合川旧や辿邦国家は、いわば州と迦邦の数だけn分を変奔できる逃択肢をも
っている。しかし、天皇制国家は、"親方nの丸"の単一な統八川機能を発抑するのには向いてい
ても、多重化の能力には欠ける。
 電電公社の〃株式会社"化は、まさにこうした口木特有の旧雌さを匁微的に表わすものだ。と
いうのは、岡家はここにおいて、企莱に対して抑制をゆるめることによって企茱の活性化をはか
るというのではなくて、旧家がその胎内から"株式会社〃を生み出すという奇妙なプロセスをへ
て形たけの〃規制緩和"を行なおうとするからである。「新化旭」は、〃捌伽緩和"された企業の
モデルであり、日本企業は、〃槻伽緩和"を許されるとしても、つねに旧球の母斑をつけている
のである。
 そのため、日本では、企茱が独nの〃企業文化"を生み出し、それがさらに市民社会の文化を
変えるという仕方で文化と社会全般を多元化してゆくことはむずかしく、せいぜいのところ表舳
的な"企業イメージ"を∬常につくり出し、それを包装紙のように使って社会を一時的に包んで
ゆくしか。ないように思われる。そこでは、企莱は、イメージ・メーカーとして布力な力を雅仰す
るが、カルチャー・メーカーとして大本を握っているのは旧宗であり、そしてその同家の大勢が
変わらないとすれぱ、文化が根底から変わるはずもなく、日本企業は、情報資本主義の第一線か
ら確実に脱落してゆくというわけであろ。
  




コンピューターと<手>のあいだ



 一九世紀から二〇世紀にかけてのーアメリカを中心とする1資本主殺の発展が、貨幣商品
を金から科学に転換する過程だったとすれば、二〇世紀後半の資本主義の変化は、資本を科学か
ら情報全般に拡大するプロセスだと言うことができる。
〃テクノロジー"という言葉の今日的な用法は、一八二〇年代に物理学者のジェイコブ・ピジロ
ウによって定着されたと言われているが、「科学の実際的次応川」という観念が急速に広まって
ゆくのはこの時代からだった。大学で技術教育が重視されるようになるのもこの頃からで、それ
まで思弁的な〃自然哲学。が占めていた位竹を実験に荻礎を冊く経験主義的な物理学や化学が占
めるようにたり、大学は次第に〃研究機関"の体裁をとってゆくのである。
 これと並行して産業内部にも、産業的な研究、実験を紅繊し、特許権の手続きをシステマティ
ヅクに行ない、技術訓練を強化するといった傾向がはっきりと現われ、物理学と化学の理論や芥
見を商□…生産の過秋に広川することによって科学をテクノロジーに一すなわち資本蓄秩の手段
に1変容する動きが社会・経済システムの令船に浸透してゆくのである。一八八○年代に台頭
するジェネラル・エレクトリック、ウェスチングハウス、ジ・アメリカンニァレフォソニァレグ
ラフ.カンパニーといった犯気・通俗産業の茶盤はこうして築かれたのであり、テクノロジーに
もとづく新しい〃法人資木主義"が始まるわけである。
 テクノロジーという言葉は、この一世紀半のあいだにあたかも歴史と祉会を超越したアプリオ
リな概念であるかのようになろうとしているが、デイヴィッド・ノーブルが『アメリカ・バイ・
デザィソ』(一九七七年)のなかで詳しく論じているように、テクノ日ジーはそれ自体で存在する
ものではなくて、あくまでも二つの社会過程」、「社会全体の発展の一つの重要な側面」にすぎ
ない。それゆえ、テクノロジーの発展は、「それを形成している一定のヴィジヨソと、それが結
びつけられている社会秩序の特定の観念とによって決定されている」わけであり、「この歴史的
な活動にはつねに、特定の人々によって、特定の目的のために、社会的運命の特定観念に従って
把握された一定範囲の可能性と必然性が含まれている」。
 ノーブルは、かつてマルクーゼが『一次的人問』(一九六四年)のなかで、近代のテクノロジー
が高度に洗練された形態での「資本主義的支配」であることを指摘したのに同意しながら、一八
八○~一九二〇年にいたるアメリカの新しい淡本主義が、「資本主義社会の荻本的な杜くム関係を
のり越えることなく」行なわれた「変革なき変化」であることを明らかにし、近代のテクノロジ
ーが「現実には、生き残るために自分より下の階級から労働をしぼり取り、そ」てその生命を操
作することを永久に続けざるをえない社会の支配階級にのみ役立つものであった」ことを強調し
ている。
 おそらく、このような指摘とディスクールは、電子的に再構築された〃附級なき社会の神託"
と"イデオロギiの終焉というイデオロギー〃のもとでひどく色あせてみえることだろう。 一九
八○年代に椛実に怖報資木主義としての方向を歩みはじめた今日の資本主義が、当面、コンピュ
ーターニアグノロジーの発灰のなかで後退する気配は全くない。
 しかし、現在のテクノロジーの勅向が有無を言わせぬほど強力なものであるとしても、それが
どのような方向をたどり、どのような社会と文化を形成し、そしてどのような新階級を生み川す
のかを問うことは許されるだろうし、そうした問いを閉うことによって支配的動向に対して仙低
限の距離をとることも可能だろう。それは、つねに批判的な思考、が行なってきたことだし、科学
やテクノロジーから〃哲学。を区別するところのものだった。
 テクノロジーの発於が科学理論や科学的発見の応用によってなされるとしても、そうした珊
論・発見↓応用のプロセスは、つねに「生活世界的」な恵識によって媒介されている。つまり、
ある理論・発見を何のために、どのように使うのかという方向が(たとえ暫定的であれ)決定さ
れなければテクノロジーは生じえないのであり、新たなテクノロジーの誕生とは、まず第一に新
たな生活世界的意識の出現を前提にする。むろん、この生活世界的恋識とは、社会菰識ではなく、
たとえば科学的実験者の特殊な直観であり、それが社会化するのは、そのテクノロジーが混透し
てからである。フッサールが近代の世界像をガリレイの生活世界的直例に関係づけたのも、彼が
世界をそれ以前とは異なるように直観したしかたが数学的な諸科学をあるテクノロジーに向かっ
て方向づけるモデル・ケースになっているからである。
 その恋味では、芸術が科学者や実験老に対して新たな生活世界的直棚を提供することもあるわ
けで、数学的内然科学の広川を方向づけたのはむしろルネッサンス期の西家たちであり、ガリレ
イはその影響下に彼白身の生活世界的意識の転換と、それにもとづく応用実験を行なったのかも
しれない。芸術的直概とは、つまりは生活世界的な直側であり、現実をどのような方向に向かっ
て変革するかについての腿郭を含んでいる。
 テクノロジーが大衆的な商品となるのは、そうした特権的・特殊的た意識が大衆化するときで
あり、それまでは、どんなに技術的に可能た装雌も市場に出されはしないのである。たとえば、
ヵフヵは、一九二二年にすでに音声認識のワープロ、声の郵便、留守番地語、術子郵便などの明
確なイメージを記しているが、これらの装耐が商品化されるのは、それから半世紀以上たってか
らである。カフカがこのことを書いているのは、一時期彼の婚約者だったフェリーツェ・バゥァ
ーへの手紙のなかであるが、当時カフカが勤めていたプラハの労働者災害保険局は、ヨーロッパ
でも最も進んだ蔀移設備をもった所であり、また、バウアーは口授録音機を作っているベルリン
のカール・リントシュトレーム株式会杜の業務代理人の地位にあった。
 カフカにとって、タイプライター、短詔、リントシュトレームの録音機、蓄音機がすでに身近
なものであったわけだが、タイプと録音機を結びつけ、録音済の円筒を持って行けぼそれをす
ぐにタイプしてくれる会社を桃想し、自動販売機を使うようにコインを投入して声を録音L、そ
れが向動的に郵送されるシステムを考え、また出版杜や通信杜が電話と録音機を述納した装概を
使うアイディアを考えるといったカフカの独創力は、彼白身が生活世界を情報環境として、そし
て人問関係を情報関係としてとらえる傾向があったところから生じたものである。婚約者のバウ
アーとの関係においても、カフカは、彼女と具体的に顔を会わせた口数の一〇〇倍以上も手紙を
我き送っており、彼にとっては、「便幾の上であなたと逃すわずかな時間」こそがより本来的な時
間であり、彼が稚想した冗(ス的な〃ニュー・メディア。は、そうした時州をより一胴充実させる
はずのものだった。彼が、フェイス・トゥ・フェイスのオーラルなコミュニケイション関係より
も、装肝を介した関係をいかに好んだかは、この手紙のなかで、「ベルリンでは録音機が電話を。
かけに行き、プラハでは蓄音機が同じことをして、この両者が互いにしばらく談話するという考
えは全くすぱらしい」(一月二十二、二十三日付)と記している過激さからもうかがい知ることができる。
 テクノロジーのその後の歴史は、カフカのこうした生活世界的直観の方向を迫い求めて来た観
があるが、芸術が新たなテクノロジーを動機づけ、それによって情報資本主義が活気づくという
倣向は、今後ますます強まるだろう。しかしながら、愉報資本主義がカフカの方向をどこまでも
追求していった場合、それが依然"賞本主義"と呼びうるものであり続けるかどうかは確かでは
ない。というのは、彼は、彼の生活世界的直棚の楓眼において、語音機と録音機との「談話」つ
まり人問の全く存在しないコミュニケイションを椛想しているからである。これは、二〇〇〇年
までに実現可能だとアラン・M・チューリングが一九三六年に予測した"チューリング・マシー
ン"よりも一歩先を行っている。
 チューリング・マシーンの場合、これは、まだ人間と人工知能(AI)との関係にすぎない。む
ろんそのような火附が出来た場合には、AI同士が「談話」したり闘ったりすることは可能にな
るわけだが、チューリング・マシーンの発想の方向は、あくまでも人聞とAIが共存し、相剋す
る世界に向いており、それに対してカフカの方は、テクノ岬ジーの世界から人問を、あるいは人
間の世界からテクノロジーを別個に切り離してしまう  従ってそこでは情報資木主義の世界は
人間の世界とは無脚係に機能するという形で雌史から分離される一可能性をもつ。これは、テ
クノロジーが支配的な社会過程であるとすれば、資本主裁には決して逃択しえない方向であり、
白已破壊的な方向である。
 それゆえ、今日のテクノロジーの方向がチューリング・マシーンの発想によって決定されたと
考えるのは正しいだろう。チューリング・マシーンは、それが実現されるかどうかよりも、それ
が方向づけたところのものの方が重要である。つまりこれは、AIが人間に追いつくということ
を方向づげているのではなくて、AIと人間とが同化すること、より班人的には人問がAIに近
づくことを方向づけているのである。
 より理実的には、と言うのは、現在のところ、AIが人間に同化する可能性はますます薄れて
いるからである。すでに、ヒューバート・L・トレイフユスは、『コンピューターには何ができ
ないか』(一九七九年)のなかで、デジタル・コンピューターの眼界を指摘し、人間の知能と同等
に振舞えるコンピューターは、おそらく現在のものとは遮ったタイプのものになるだろうと示唆
しだから次のように言っていた。
「われわれは、当.面は人…とデジタル・コンピューターとの協力を考えざるをえないが、最終的
には非デジタル式のオートマトンを考えなげれぼならないだろう」。
 このご士は、披近のAIの開発状況からも裏づけることができる。ジョナサン.B.タッカー
のたくみな映約によると、実際のニュiロンとデジタル・コソピュiターとの違いは次の四点で
ある。「第一に、プロセッサーはオンかオフであるが、ニューロンは、パルス・コード化された
一連のインパルスとコ、ミュニケイトする。第二に、プロセッサーは、インプットを単純に追加す
るだけだが、ニューロンの情報処理は、もっと複雑である。第三に、プロセッサーは対称的な関
係をもつが、ニュー岬ソは、高度に非対称的な関係をもつ。最後に、コンピューターのシミュレ
ィションにおいては一つのユニットから他のユニットに信号を送る場合に時間のズレがたいが、
脳の場合にはかなりの逃れがある」(『ハイ.テクノロジー』一九八四年八月号)。そこで、現在閉発中
の「狐脳型コンピューター」は、むしろ頭脳とは別のものと見なした方がよいと考えられはじめ
ており、理論的なレベルでは、「分子的な計  算要素にもとづくコンピューター」が検討され
ている状態だという。
 そうだとすれば、チューリング・マシーンが示す方向は、人間が人聞でないものになることを
要求する最も挑発的な方向となるはずだ。そしてそれは、むしろ、人間と同等のAIが完成され
るまでのあいだその社会と文化を規定する力をもつだろう。
 すでにコンピューターへの同化は着々と進められている。単にハードウェアヘの順応だけでな
く、社会と文化全体をこの同化へ向けて変革しようとする組織的た動きが現われている。ジョゼ
フ.ワイゼンバウムの『コンピュータi・パワーと人間の理性』(一九七六年)やトレイフユスの
前掲書を除くとコンピューター文化を論じた本が少なかった時代にくらべると、最近は、その種
の本が逆にふえはじめている。しかも、その論調は、ワイゼンバウムやトレイフユスとは異なり、
明らかにコンピューターへの同化を不可避的なものとみなす立場から書かれており、変わらなけ
ればならないのはコンピューターの方ではなくてこちら側だということが自明であるかのように
なってきた。
 コンピューターに対して否定的な態度をとるにせよ、コンピューターを無視した生活を考える
ことがますます困難になっている。街にも家の中にも、知らずに腕にまいている時計にも、ヨソ
ピューターがセットされており、「ブ回グラムをラゾさせる」ということが人々の日常的身ぶり
のひとつになりつつある。
 シェリー.タークルが『第二の向我』(一九八四年)のなかで追求しているのは、こうした状況
のなかでいやおうなく形成されてきた「コンピューター文化」と、それを生きている人々の「心
理」である。
 日本では、工業川口ポヅトの数こそ世界一でも、皿話口線とパソコンを締びつけて市民がコソ
ピコーター情報を得ることができるビデオテックス(キャプテン・システム)のサービスは、やっ
と一九八四年の二月に始まったばかりだ。パソコンがすごい勢いで売れているといっても、そ
れは、ゲーム用に使われることが多い。その点アメリカでは、タークルも書いているように、バ
ソコソのネットワーク化が進んでおり、食料舳を共同購入するように情報を共同購入するための
「知識生協」や、スーパーマーケットの掲示板にメモを貼りっげるよりも気軽に利用できる「皿
子掲示板」も一般化している。
 だからここでは、コンピューターを単なる「没個性化の象徴」としかみたい一面的な批判では
問題を論じられないわげで、現状を肯定するにしても否定するにしても、もっと立ち入ったリサ
ーチと分析が必要なわけである。
 タークルは、そこで、これまで革に、否定的た目でしか見られてこなかった「コンピューター中
毒」に焦点をあてる。アメリカでも、コンピューター中乖のマジョリティはコソピュiター・ゲ
ームに熱中する子どもや若者たちであるが、口下このコンピューター・マス・カルチャーが拡大
し始めている日本とはコンピューター受容の歴史と条件が大なるアメリカでは、すでにコンピュ
ーターのサブカルチャーというものが存在する。すなわち「ハッカー」たちの文化である。
 ハッカーとは、コンピューター文化批判のはしりとなったワイゼンバウムの前掲蒋のなかで、
いささか「病的」な扱いを受けたコンピューター狂たちのことであるが、タークルはこのハッカ
ーを、今後どのみち「コンピューター狂」にならざるをえない現代人の、ひとつの近未来モデル
とみなしている。
 すでにタークルは『第二の自我』の前半部分で、六年間をかけて炎めたといわれる搬宮な「症
例」を駆使しながら、コンピューター・ゲームに熱中する者たちが、コンピューターによるシミ
ュレイションの世界と容易に同化し、コンピューターが、単なる機械やプログラムではなく、「情
動的なカ」さえもっていることを繰り返し指摘している。コンピューターへの同化は、これまで、
コンピューターが作り出す「病的」ナルシシズムや自閉症として、批判的にとらえられてきた。
たとえばブルーノ・ベッテルハイムは、『空虚な要塞』(一九六七年)のたかで、山分を別の機械に
よって動かされているひとつの機械だと思っている自閉症の「機械少年ジョーイ」について論じ
ている。たしかにタークルがインタヴユーしたひとりの少女は、コソピュiターのプログラムを
組むとき、人間の「心」の一部がコンピューターの一都になり、それが「見える」のだと主張し
ている。しかし、これは、彼や彼女たちの脈なる病的な幻想に過ぎないのだろうか? それとも、
コンピューターには単なる機械的存在を超えた「形而上学的機械」、形而上学的なものを「喚起
するもの」としての性格があるのだろうか? そしてここでは、「人…」、「心」、「機械」といっ
たこれまで白明と思われていた観念が艇…視されているのだろうか?
 この問いにタークルは、ハッカーの個々の「生態」に肉薄するリサーチを通じて答えようとす
る。ハッカーとは、コンピューターにのめり込むあまり、他人から孤立してしまった人々とみな
されることが多いが、タークルによると、「実際に彼らは、n分だちの世…介に属さない人々から
は引き離されているが、山分たちの世界の内部では緊密な関係綱を作っており、そこではコンピ
ューターがすべてを取り脳む生活様式の中心をなしている」。
 たしかにハッカーたちの生活は「まとも」ではない。彼らは、コンピューターを向分の体の一
都と感じているだげではなく、「服姥、個々の容貌、個々の術化槻、いつ眠るか、いつ起きるか、
なにを食べるか、どこに住むか、だれとつきあうか-にはルールはない」。しかし、彼らは形
式論理と機械に従属しているのではなく、むしろそれらにつねに挑峨しているとタークルは言う。
学術研究のためのコンピューター・ネットワークARPANETも、彼らにかかると仲…うちの
おLやべりのためのネットワークになってしまう。二四時間起一きていて一二時㈹眠る者。犯柵の
口線をカリフォルニア↓ロソドソ↓ニューヨーク↓カリフォルニアにループさせる技術を発見し
て楽しむ者。ハッカーとは、むしろ「神秘的なものに対する錐を握り、体制を拒否してその銚を
こじあけようとする省」であり、いわば「旭子的なロビン・フッド」なのだとタークルは言う。
 今日のテクノロジーは、コンピューターが「共生の逝其」となりうるかどうかではなくて、「共
化の逝只」となるしかないところまで、わたしたちに〕已変革を辿っているのであり、そうだと
すれば、わたしたちは、今後ハッカーのライフ・スタイルに学ぶ必要があるわけだ。
 もっとも、タークル山身は、「コンピューターは、新たな銚であり、最初の心理学的機械であ
る」と言うように、コンピューターをまだ臼已認識や他者とのコミュニケイション一メディアと
して活用しようとする立場にとどまっている。タークルは、「鋤物との柵遮からではなく・コン
ピューターとどう共なるかという観点から自分たちを規定する」子ど叱に山会い、われわれが、
いまや「「珊化の軸物」から「感じるコンピューター、怖莇的なマシーン」になろうとしているこ
とを予感んする。しかしながら、それは、現代がそうしたやり方でしか人問的自己を確認できない
「深刻な蝋張状態」に突入しつつあるということを言っているのであって、コンピューターへの
自己同化を主.張Lてはいないのである。
 コンピューターの災川利用に閉しても、コンピューターを通じての「知識坐脇」、「コンピュー
ター:平ツトワーク」、「コミニ=アイ・メモリーズ」、「電子掲示板」といったアメリカの地方都
市における新しい試みは、炎川を同化し、符理してしまうのではなく、逆に新しい集団性の再発
見1これをタークルは「六〇年代から得た理念の再生」と言う1を可能にした例として紹介
されている。しかしながら、泌勢としては、コンピューターは「第二の臼我」ではなく、"もう
一つのn我"ないしは"n我"とは全く共なる何かになりつつあり、コンピュータiを〃第一の
自我"が"銚"として…川いる段階は小晩のりこえられてしまうだろう。むしろ、自我の方が"第
二のコンピューター。になることを求められているのであり、"人間の終焉"がコンピューター
の側から映求されているわけだ。
 J・デイヴィッド・ホルターの『チュiリソグズ・マゾ』(一九八四年)は、その点で極めて重
要な社会的機能を果す。ホルターは、まず、アラン・チューリングが一九三六年に発表した論文
「計算可能な数について」をコンピューター文化の山発点とみなし、「チューリングは、彼のマ
シーンが行なうことのできる葉務を巾に袴張したのではなかった……彼はその代わりに、われわ
れの時代にとってのコンピューターの意味を説明したのだった」と一、口う。ホルターによると、チ
ューリング・マシーンをめざすコンピューターの出班は、テクノロジー1つまり、と彼は言う
-「自然との関係における人問の役割」を規定しなおしたのであり、「コソピュiターは、わ
れわれに"情報プロセッサー。としての人…と"処理されるべき情報"としての同然という新し
い定義を与えている」。
「チューリソグズ・マゾ」とは、「人間と臼然についてのこの見解を受けいれる人々」、「人聞性
とテクノロジー、人工化するものと人工化されるものとの西洋文化史上最も完雛な統合」のため
にホルターが作り出した言葉だが、西洋文化における「テクノロジー」を十n代における手先の
テクノロジーから電子テクノロジーに至る変化のなかでとらえなおし、空間、時間、言語、記倣、
創造活助等々をエレクトロニックスとの関係で規定しなおす木讐が最終的に捉剤.するのは、コン
ピューターへの同化であり、われわれが「チューリソグズ・マゾ」にたることである。
 ホルターは、この「チューリソグズ・マゾ」(以下"TM〃と記す)による社会を素描しているが、
そこでは、「自己の迦命を決めるのに日分白身の理性にのみ答える一八世紀流のn山な仙人とい
う観念」は消滅するだろうという。n我は、他のn我と対立しあう「自己満足的なエゴ」ではも
はやない。「したがって、コンピューター時代は、ミケランジェロやゲーテを生み出しはしたい代
わりに、。おそらくヒトラーやナポレオンを生み出す公算も少ないだろう」。
 TMが、その先行者がもっていたような「情動的な強烈さ」に欠けるのは、TMにとって「白
然」がもはや「発見」されたり「征服」されたりすべきものではたくて、「作り山川さ」れるべき
情報であり、そこではむしろ"自然"とたわむれることが主要になるからである。
 過去は、歴史のなかで生じた現在とは異質の時間性ではなく、現在のテクノロジカルな時間性
の無限の延長となる。TMは、そのため、「歴史意識」を失うが逆に、それだけ「伝統の重み」
から自由になっている。
 こうしたTMたちにとって「最上の組織」は、「モジュール」状のものとなる。そこでは、「集
団の各メンバーは、比較的大きなプログラムやマシーン・デザィソの個別的な部分を与えられ
る」が、これは、アセンブリーニフイソにおける専門化ではなく、「各モジュールが白已制御的
なプログラムないしはハードウェアの位相であり、すべてそれ白身において挑発と困難を所持し
ている。さまざまなモジュールの関係は、モジュールがインプットとして受けいれるものと、ア
ウトプットとして生産しなげればならたいものとの"チーム〃によって特徴づけられる」。
 ちなみに、モジュールとい至言葉自体は、機械工学や建築の分野で以前から用いられており、
早い話、飛行機の調理室は、〃キャリ・モジュールズ"と言う。飛行機に乗り、たまたま座席がこ
の〃ギャプ・モジュールズ"の近くになると、その内部をいやでも目にする機会をもつものだが、
それは、保温、冷凍、加熱、収納等々の機能を合理的に区分したスペースで、その各機能をさま
ざまに組み合わせることによって大抵の飲みものや食べものを提供できるように椛成されている。
 エレクトロニックスの機器は、近年、モジュール化の一途をたどっている。これは、機材のコ
ストが年々下がっているからで、以前だったら短源装置を共用していたような機器が、それぞれ
に独立の電源をもってもさほどコストにひびかないのである。砥子楽器のエフェクター類はその
最たる例であるが、このモジュール性は、各機排を、必ずしも最初に予定したのではないやり方
で組み合わせることによって、それらに全く新たな機能をもたせることを可能にした。
 コンピューターのプログラミングでは、プログラムをどのようなモジュールーつまり論理ブ
ロッターに分割するかが閉題であり、このプログラミングの方法を"モジュラ・プログラ、ミソ
グ"と言う。
 ある意味で、"モジュール。は"ユニット"と似ているが、"ユニット"という言葉には、他の
ユニットと一体をなしてはじめてその機能を発揮できる響きがあるのに対して、"モジュール。
の方は、その一単位を他から切り離してもそれn体で機能できるといった響きがある(その仰心味
では、〃ユニット家具。ですら、実は、〃モジュール家□ブなのだ)。
 ホルターが言う「モジュール的な紅繊」とは、状況の変化に応じてその個々の椎成単位を組み
替え、対応できるような紅繊である。このような組織は、七〇年代のイタリアで起こった政治運
動を説明するのに用いられる"アンサンブル"という概念とも、一脈通じるものをもっているだ
ろう。そこには、党や中央機関のような中心はなく、すべてが状汎に応じてそのっど"中心〃に
なれるのであり、またそれを解消して他に移すことが可能なのである。モジュールという考えは、
個人と集団との関係も変えずにはおかない。モジュール的な集団においては、権利を独占する特
権的た個人は存在せず、誰でもが、必要に応じて〃上位モジュール"になったり〃下位モジュー
ル。になったりするのである。
 しかし、それははたして、TM社会と呼ぶべきものなのだろうか? そして、TM社会は、今
日のテクノロジーの延長線上では考えられるかもしれないが、間脳は、テクノロジーの動向に順
応しようとする方向だけが唯一の選択ではないということだ。くりかえし強調すれば、今日のコ
ンピューターは、まだチューリング・マシーンではなく、それがn動的にそうなる見込みもない。
チューリング.マシーンは、コンピューターニァクノロジーの一つの方向を桁し示しているだげ
であ・り、TMは、そこにおける一組の宗教迦醐的た同様にたっている。
 変わらなげれぼならたいのは、むしろテクノロジiの方であり、われわれがTMになるのでは
なくて、現在のコンピューターがわれわれn身にならなげればならたいのだ。ホルターは、ヨソ
ピューターが「マシーン」ではなく、「道具」であること、ただしこの「道具」は、これまで考え
られてきたような「手の延長」ではなくて、「脳の延長」であると一一.]っているが、しかし、現実に
は、コンピューターは、まだ「手の延長」としての逝□パであるか、あるいは、n肋的に機能する
---------------------[End of Page 41]---------------------
「マシーン」である段階にとどまっており、それが「脳の延長としての道具」にみえるのは、わ
れわれの方が手を抜いているにすぎないのである。
 しかし、人間が完全に手を抜いたテクノロジーは、もはやテクノロジーではない。テクノロジ
ーは、語源的にも、テクネーの科学的な組織化であり、このテクネーは、まず第一に手仕箏を音…
味した。テクネーは、遊具が発達するにつれてテクニーク(技術)になり、それだけ〃手"の伽域
は拡大した。テクノロジーは、こうした拡大と延長を最終的に組織化したものであり、そこでは
〃手"が次第に〃脳。によってとって代わられるのではなくて、むしろ"乎"がますます特権化
されるのである。
 たとえば、文字を手で書くこととワープロを使うこととをくらべると、後者では(現状ではま
だかなりやっかいだとしても)手の役割は相当軽くなっている。ペソで字を無くには手を一定の
運動に訓練しなければならないが、ワープロのキーの手は、とにかくキーに接触できれぼよい。
しかし、これは、手が次第に脳を媒介するようになりつつあるということではなくて、手間を省
くこと、つまり自分では極力手を出さずに他人の手をあたかも自分の手のように使うことにすぎ
ない。少なくとも、現在のワープロにセットされている文字は、手労働によってデザィソされた
ものであり、決して使用者の脳のなかから直接物化したものではない。
 コンピューターが手11道具ではなくて、脳1-道具とたるためには、意識感応型のコンピュータ
-が完成されなければ不可能である。それは、別の章で示唆するように、いずれは究理されるで
あろうが、それが現在のテクノロジーから自動的に帰結するかどうかはあやしく、むしろ現在の
テクノロジーは、錬金術が化学に果したような役割しかもたないかもしれない。
 だから、現在のコンピューターに見出せるより積極的な側面は、それが手1-道具にも脳11道具
にもなりきれないという中間的な性格である。それは、バソコソやワープロのような依然として
手11道具的な性格をとどめているコンピューターよりも、脳11道具的な音声認識コソピュiター
において明確にあらわれる。音声認識コンピューターとワープロを緕びつけると、発話をそのま
ま映像スクリーンに文字として打ち出すことができるが、その映像を文字読み取り装冊に読ませ
ると、それが最終的に発声する言語は、最初の一手の遠い延長としての声から川た1発話の
それとはズレてくるし、文字読み取り装耐に見せる映像を操作したり、最初の発話を不明瞭にし
たりすれば、箏態はかなり混乱してくるはずである。
 実は、この〃混乱"こそ、現在のコンピューターと人間との〃共生"の可能性であり、むしろ
このなかにこそ今日の新しい表現の可能性があると思われる。
  




ニュー・メディアの世紀末



 衛星放送、光通信、都市型CATVといった人の気をひく装置を宣伝文句にして急速に四民的
な関心を炎めることに成功した"ニュー・メディア"は、一児その第一口概を市民生活の民主的
な革新に低いているようにみえるが、実際には、それは単なる刷産物にすぎない。歴史的に言っ
ても、技術革新は、戦争テクノロジーと産業の発展を第一口標にしてきたのであって、生活の㎜
魎はその"おこぼれ"としてしか主題にたらなかったようにみえる。
 ニュー.メディアは、新たに開発されたICや光ファィバー・ケーブル等の新素材を脈業化す
る手段として生じたのであって、市民や大衆のコミュニケイシヨソを革新することがまず第一の
要求としてあったわけではない。従って、産業化が前逃.するのであれば、ニュー・メディアは、
在宅勤務、ホームバンキング、双方向テレビといった諦炎附にこだわらなくてもよいのであり、
現に、投費額からみると、一九八三年に防衛庁が□杢元気、東芝、富士通箏に発注した「新バッ
ジ.システム」(自動防虫警戒竹伽システム)の方が、三脈市のINSのモデル・システムよりもは
るかに規模が大きい。
 テクノロジーの発展が、第一次的には市民や大衆の生活とは無関係であるということは、日本
電気の担当常務理事、旧巾隆彦氏が次のように言っていることからも明らかである。
「戦時中には軍関係の通信をやっておりましたが、戦後は警察予備隊発足の時から長期㎜にわた
り協力させて頂きました。昨年〔一九八三年〕度はバッジがありましたから調遠火施木部の契約高
は二位になりました。いつも契約高では五~六位というところでしたが、契約作数では常に一位
です。ミサイル、航空機搭載通信機器、防衛マイクロ等の固定用通信機器、ソナーと大空から海
底までをカバー、我々の持っている技術が□木の防衛の広い範囲に役立っていることは一金莱と
して淋しい限りです」(『軍小研究』一九八州年七月号)。
 ベトナム戦争巾に開発された赤外線カメラが、いま街のカメラ店で市販されるようになった例
をみるまでもなく、テクノロジーは、大抵の場くH、軍班□的で生産され、大分たってからそれが
市民社会に降りてくるのである。それは民心よりも耶班の方が急を、興するからではたくて、軍箏
の方が民事よりも生産・消費をくH理化できるからなのだ。この傾向は、テクノロジーの重.心がエ
レクトロニックスに向かうにつれてますます露骨に強まってきた。それはエレクトロニックスの
技術が、たとえば機関銃や戦車を生産する技術よりも、民間用と軍事用の区別を明確にもたない
という本質性格のためである。そのため、このような状況下では、民間座薬が軍需座薬になると
いう事態が起こるのであり、たとえば『TIME』(一九八四年四月三〇日号)にのっている写真の
なかに、カンボジアのクメール人民解放戦線の指揮官がトランシーバーをもっている倭を認める
ことができるが、このトランシーバーは、日本で市販されている八重.洲無線の製品なのであり、
ここでは〃平和産業"であるはずのこの宙子機搬企業がいつのまにか軍無産業に転身しているの
である。
 民間レベルでこれまで有力だった生産と消費の論理にみ合う産業発展の技法として〃モデル・
チェイソジ"があるが、民間レベルではある種のモノばなれが起こり、この技法が以前ほど効力
を発仰しなくなっているのに対して、ψ車レベルでは、依然として頻繁な"モデル・チェイソ
ジ〃が行なわれている。防衛庁は、一九八四年八月、防空ミサイル・システム「ティキJ」を米
国製の「パトリオット」に更新することを決定したが、この軍箏的な〃モデル・チェイソジ"で
動く金は、"ニュー・メディア"の比ではない。このプロジェクトが只体化すれば、□本金莱が
このシステムをライセンス生産することになり、日本政府から日米企業に流れる金は七〇〇〇億
円(ちなみにINsのモデル・システムの投資獅は二〇〇億円)を上まわると言われている。「ナイキ
J」のときは、日本電気は、・・ザイル弾頭部の他子システムを受注生産したが、こうした耶箏約二
ユー・メディアにたずさわる企業にとっては、民閉㎜川ニュー・メディアたどはものの数に入らな
いとすら言えよう。
 民間用のニュー・メディアの技術が、所詮は軍事用のニュー・メディアの"おさがり〃でしか
ないのならば、その使い方を徹底的に民主化してもよさそうなものだが、実際には、ここでも産
業の発浪がすべてに優先している。「未来型コミュニケーション・モデル都市構想し(略称〕アレト
ピァ舳州心」)を捉噌している郵政省や「ニューメディア・コミュ一二ァィ梅恕」の通産省、そして「高
度情報システム」(INS)のNTTや、諦々のニュー・メディア産業が折りにふれて発表する
"未来社会"の構図をみると、男女関係、女性の社会的地位、家庭の機能といった市民的なレベ
ルの基本的部分がほとんど変わらたいまま、そこにニュー・メディアの新装置が導入されている
のを発見することができる。社会を根底から変えようという発想は、ニュー・メディアの導入の
主眼ではないのだ。とにかく導入し、一種の先行投資事莱が持続すれぱよいのであって、INS
がニュー・メディア産業の目玉であるのも、INSが日本刑鳥のすみずみに浸透するのに西暦二
〇〇〇年ごろまでかかり、それまではこの産業が食いっぱぐれないと目されているからである。
 その意味では、社会は生活現場も労働現場も、産業的に合理化されるだけで本質的には変化し
ないこと、が望ましいと考えられているわけであり、現在の社会ののっべりとした延長線上で"ニ
ュー・メディア社会"が椛想されているにすぎない。ただし、ニュー・メディアが導入されるこ
とによって光進する合理化ーニュー・メディア・プロジェクトの推巡者たちはそれを「進歩」
と呼ぶ1は、兵器用に開発されたボールベアリングが日用品に導入されるような場合とは比紡
にならない規模で進むはずであり、ニュー・メディアの浸透を甘くみることはできない。ニュ
ー・メディアの隠された主流が軍事的な電子システムにある以上、ニュー・メディアによる合理
化は、むしろ軍事的な合理化の形態をとることになるだろう。
 軍事的な合理化とは、「道具的理性」、道具性にまで一次元化した合理性の一つの典〃であるが
軍事的な電子システムは、コミュニケイションという本来は多次元的で一口的であるはずの山来
事を徹底的に一次元化するのであり、ニュー・メディアはこれを軍事の世界から市民社会にまで
ひきのぱそうとする。軍都メディアにとっては、情報の伝達速度と精確さが価伽であり、班班メ
ディアの技術革新はもっぱらそのために向けられている。従ってここでは、人と人とのコミュニ
ケイショソは、精確さと速度のみを至上のものとし、それらの陳害となりうるものをことごとく
そぎ落しながら一次元化させる。
 民間のニュー・メディアは、はじめからこのような情報の一次元化を理念とするわけではなく.
逆に情報を多様化し、多様なソフトを流そうともするのだが、その装雌の設雌のしかた、装流の
竹理・運用方法は、軍事メディアのそれと大差がない。すでにローマ時代において都市の逝脇は
車用道路として発展したのであり、その発想は、今日の高速道路(前部閥の高速道路も"非常
時〃はそこへ戦車を走らせることが想定されている)にもひきっがれているが、ニュー・メディ
アの装置においては、その互換性が高まるというよりも、通信衛星の場合のように同じ装置が軍
事と民事の両目的に共用されるという事態が生じる。-」れは、単に技術の問題ではなく、電子戦
争の時代には〃非常時"という概念が恒常化し、日常が〃非常時。となるからであるが、日常性
にとっては戦争の論理が全般化することであり、日常生活が〃全面戦争"の世界にたることを意
味する。
 従来、口木の都市には、西欧の都市が外敵の侵入を防ぐ城壁都市として発達しだというような
パラダイムをあてはめることができないと言われてきたが、奇妙なことに、エレクトロニック・
メディアを中心に都市が再編成されるにつれて、日本の都市も一つの冊子城壁都市となり、その
都市生活は情報戦争の形態をとるようになるのである。すでにコンピューター・センターや放送
局は、防術庁の構内にまさるとも劣らないくらいの厳しい警戒体制をしいているが、それだけで
はなくて、日常生活のあらゆる部分が圷班的なアクションをモデルとして再編成されるのであり、
テクノポリスやテレトピアの理念が正しく究理されるならば、将来の市民はすべて情報戦士にな
らざるをえないだろう。"エコノミック・アニマル〃や"働き中毒〃といった国際的な茄別語に
よって示唆されたように、日本人の日常生活はすでに柵讐程度"戦争。化しているが、ニュー・
メディアの諾々のプロジェクトによって電子情報の回路がはりめぐらされるとき、日常生活と経
済と軍事の諦活動が合体し、しかもそれが最も合理化された戦争ゲームの論理によって再編成さ
れるようになってゆく。
 そうした再編成の基底には、今日のコミュニケイション論で〃n明の理"として前提されてい
る情報の〃送り手"と〃受け手"という概念のさらなる合理化がある。情報活動やコミュニケイ
ションを情報の〃送り手"と〃受け手。に分離して考える発想は、日常的なコミュニケイション
から出たのではなく、信号や暗号を送・受信する通信活鋤のなかで口明化したのであり、この発
想を最も合理化したのが軍事通信である。日常的なコミュニケイションでは、実際上誰が情報の
〃送り手"で、誰が〃受け手"なのかがあいまいになることが多く、コミュニケイションは場的
にしかとらえることができない。それに対して、軍事通信においては、信号の送達者のいない情
報というものは考えられないし、受信される情報は、必ず、〃敵。か〃味方"の情報なのである。
 こう考えてくると、目下ニュー・メディアの諦装豚を敷設しつつある政府や企業が、その設備
投資のコスト・パフォーマンスには気をよくする一方で、装肚の敷設完了後に〃ソフト不足"が
起こることを予想し、その対策に苦慮しはじめているのは当然であることがわかる。なぜなら、
いま……来つつあるニュー・メディアの機能は、本質的に軍班メディアのそれであるため、それは
つねに帷報の〃送り手"と"受け手"を明確化し、たとえば傍受されるべき〃赦閑"の帖柵とか
通信莱一務の情報とかのようにたえず過剰な入力ソフトでチャンネルを渦だしていなければならな
いという強迫観念にかられることになるからである。だが、日常的なコミュニケイションには多
くの沈黙や"ノイズ"が伴うように、そうした多くの"ムダ〃のために閉放されているのでなけ
れぱ、メディアは決してコミュニケイションの媒体とはなりえないだろう。また、〃ソフト"を
あらかじめ用意し、それをたやさないように努力Lなければならないメディアは、すでにコミュ
ニケイションの媒体として失格していると言うこともできる。
 歴史の現実は、これまでのところ、本来は軍班や経済(情報戦争)のために開発されたテクノロ
ジ-をその逆説的な可能性のなかで逆用してきたわけであって、ニュー・メディアのテクノ回ジ
ーにはそのような可能性の展開を一切期待できないというわげではないが、当面、ニュー・メデ
イアが機能上、軍事メディアと同じような理念にのっとって使用されることはまちがいない。こ
のことは、ニュー・メディアのCATVにうつるプログラムが旧仰放送的になるとか、キャプテ
ン・システムから流される情報が官報的になるなどということではなくて、むしろ、"受け手〃と
しては、いままでとは比較にならないくらい刺激的な情報に恵まれるかもしれないが、"受け手"
はそれだけ一鰯受動的になるということである。情報を受動的に受け取りながら決して飽きるこ
とがないという点では、軍事通信ほど"おもしろい"ものはない。生死だけではなく国土や地球
の存亡が賭けられたスリリングな情報が頻繁に向こう側から飛びこんでくるのであり、それはど
んなに金をかけたテレビ番組よりも〃刺激的"なはずだ。
 その意味では、意外性やスリルを求めるマス・メディアは、軍事通信との同化を無意識に求め
ていると言うことができる。現在のマス・メディアは、いまのところ軍事通信を模倣するレベル
にとどまっており、ニュー・メディア時代になってもその傾向は当分っづくであろうが、ニュー・
メディアはその機構上、現在のマス・メディアよりも一贈箪箏メディアに近づくため、ニュー・
メディアがその機能を最大限に発揮しようとすれぱするほど、それは、単なる疑似的同化ではな
くて、文字通りの同一化を果したくなり、民間のメディアが瞬間にして軍班メディアとなる可能
性が高まるだろう。
 このことは、家庭のテレビでn衛隊や米軍のレーダー・サイトの西面と同じものが見えたり、
トマホークを挟んだ潜水艦と地上基地の超長波通信を手近にあるラジオでリアル・タイムで聞け
るといったことで済みはしない。この同一化の根本にあるのは、人間活動を戦争と同化しようと
することであり、この同化の理念は実際の戦争状態においてしか十全には満たされないはずだか
ら、ニュー・メディアは戦争状態をつねに期待し、それを要求するところまで進むだろう。
 戦争への欲求とは、殺害への欲求であるが、広島・長時の原爆以来、戦争における死は、強制
的な"器官なき身体"としての死、つまりは消去となった。旭子メディアにとって、"死"とは
スゥィッチの点滅であり、ブラウン管やスピーカーのなかのフィジカルな身体は、スゥィッチを
OFFにすることによって忽然と姿を消す。その意味で、核による死の概念と電子的な"死"の
概念とはたがいに補完しあう。一九八三年に大韓航空機KAL007便がソ連の領空を侵犯して
ミグ戦闘機に撃墜された事件は、電子メディアと消去としての死との関係がいまや全般化しはじ
めたことを示した。KAL007便の乗客たちは、あとで海中から遺体が発見されたごく少数の
人を除き、他者の目から忽然と消えてしまったのであり、文字通り「レーダーの面像から消え
た」のである。
 二〇世紀の前半期は、傾向的に自動車がわれわれの生と死を規定し、われわれの生は事故死
1つまり榊官の破損による死一への存在となった。が、侃子メディアによって規定される二
○世紀末以降の時代は、おそらく、われわれの生が消去としての死によって規定されるような方
向へ向かうだろう。というのも、われわれの日常的生は、国家がわれわれの死を独占する方法と
してのテクノロジーによって"迦命"づけられてきたが、そのテクノロジーは、いまや脳細胞か
ら遺伝子にいたる分子のミクロな死をも独占するところまで"発達"したからである。
 しかし、われわれは、みずから死すべき存在であって、殺害されるべき存在ではない。殺害は
権力による死の独占であり、戦争は死の国家的独占と管理である。旧家は、戦争一それが怖報
戦争であれ1という形態によって人々の死を独占することによって人々1つまりは被害者
一の生を"運命"づけるのであり、テクノロジーは、そうした.国家的独占の方法として発展し、
その方法は旭子メディアと核の技術において一つの頂点に達する。
 ただし、テクノ四ジーがそのようなものとして発達してきたにもかかわらず、人々は生きのび
てきた。テクノロジーが死の独占の技術であるのは岡家権力にとってであって、われわれにとっ
てはそれは生きのびる技術としてしか意味がなかった。それは、[収新のコンピューターニアグノ
ロジーにおいても例外ではなく、それが労働を逝其的理性の従属下に肝き、労働者の"命を縮
め"ようとしても、労働考が、それを怠業の対抗的時……操作の技術として逆川することも可能だ
ろう。
 だから、必要なのは、その語の本来的なな味におけるオルタナティブなテクノ回ジーの可能性
を見出すことであり、それを発岐させることである。それは、決して〃原始的。なテクノロジー
に回帰することではなく、むしろ最も〃先進的"なテクノ日ジーのただなかにこそそのようなも
のを発見することである。いま〃原始的"とみなされるテクノロジーの多くは、かつては支舳の
テクノロジーであったのだから。
  




時間犯罪の時代



 情報テクノロジーとは、革に情報を伝達するテクノロジーのことではない。情報テクノロジー
と機械テクノロジーとの相違は、後者が空間的移動と空間的距離の操作に関わるのに対して、前
者が時間的移動と時間的距離の操作に関わる点である。たとえば、自動車はある物をA点からB
点に空間的に移動させることができるテクノロジーである。これに対して、ラジオは、A点とB
点とを時閉的に同時の位肝に肝き、両者の内部に時間の流れ(時問的距離)を作り…川すことができ
るテクノロジーである。その際、機械テクノロジーは、ある人問的身体性をゼロ地点として、そ
こからの空㎜的距離を限りなく延長することをその進歩とみなすが、情報テクノロジーは、ある
身体が限りなく多様で異質な時間のなかに帷かれることをその進歩とみたす。すなわち、一方は
ある身体を"主体。としてその空㎜的な力能を限りなく膨張させようとし、他方はある身体をあ
る時間、位相から他の時間位相へ眼りなく変様させようとする。従って、機械テクノロジーは、身
体そのもののテリトリーを変換させるところまでは行かないのに対して、情報テクノロジーは、
身体そのものを変えることに関わるのである。
 情報化社会とは、情報テクノロジーが全般化する社会であるから、機械テクノロジーもその形
態を変えずにその機能が情報テクノロジーの方向に転換される。たとえば、白醐車は本来機械テ
クノロジーに属しているとしても、その今口的機能の重心は、空間から時間に移る。単にものを
移動できるだけではだめなのであり、自動車は速く動くのでなけれぼならなくなった。それにと
もない自動車は、人問的身体を"主体"としての特権的で安全な位肝に肝いたままその力能を延
長することをやめ、スピードのスリル(心理・身体的変革)と交通事故死(肉体・身体的変革)に直
接関わるようになる。
 ハイジャックや誘拐が、今日的な犯罪であるのは、これらが空㈹ではなく、時間を犯す犯罪で
あるからだ。なるほど、誘拐の平均的バターンは、人質を拉致する技術から出発する。しかし、
それは人質を空間的に移動することを最大の口的とするわけではない。
 江崎グリコの江崎勝久社長誘拐小作の場合、誘拐の実行者は、西宮市の江崎氏の向宅に押し入
り、入浴中の江崎氏をピストルで嚇して車に乗せ、摂津市内の水防小屋に監禁した。ここでは、
誘拐のあらゆる技術が空間の移醐をめぐって展開されているように見えるが、実際には、人賃を
空間的に移動させることよりも、人質を別の時間のなかに置くことが間魎なのである。
 今日の犯罪は程度の差はあれ、すべて時間犯罪であり、時間の操作がその鑓をなす。人質をそ
の白毛から他の場所に移すのは、自宅では、人質が生き所有している時間を奪取し操作すること
ができないからにすぎない。もしそれが容易な場合には、誘拐は、住川の占拠やハイジャックと
いう形態でその目的を迷成するだろう。人孤を取ってある場所を占拠することは、空間を占拠す
ることでありながら、それ以上にそこで流れている時閉のたかに全く別の時㎜を流し込むことで
ある。それが、航空機や人里離れた別荘で行なわれやすいのは、それらにおいては容易にその日
常的時間性を切断しやすいからである。
 グリコ事件で誘拐の突行者が江崎氏宅の情話を切断したのは、この邸宅に流れ込む時間を断つ
ためであり、実行者の欲する時間がいかなる妨害もなく流れるようにするためである。
 人質の監禁は、物品を窃盗して隠脈するのとは異なり、人孤を交点としてそこに流れ込むさま
ざまな時間を自由に操作するためのものでしかない。従って、監禁の場所は、誘拐の場所から空
間的に遠くへだたっている必要は全くたい。時間を操作できるならば、空間的には全く移動しな
くてもよいのである。監禁は、あくまでも人質がもっている時閉のチャンネルを誘拐者が独占す
るための手段であって、誘拐の実際の段階は、監禁以後にはじまる。すなわち、手紙や電話によ
って人質の家族や後援者に身代金や人質交換の条件を山す作業である。
 社会の情報化が進めば進むほど、情報の流れ-つまり時間性1を変えることができる能力
が権力となってゆく。人質が要人であればあるほど、その人質がもっそうした権力は州大するが、
情報テクノロジーの進歩は、そうした権力の行使をたった一木の電話で迅速に行なうことをも可
能にする。誘拐は、こうした状況のなかで犯罪や反権力としての力を発揮するわけであり、情報
の強力な流れ(時間)を独占することが誘拐者の欲望の核心をなす。誘拐者は、従って、人質の情
報権力を人質に代わって行使しようとし、それを身代金やその他の要求という形で表現するので
ある。
 人質の情報権力とは、人質自身がもっている情報操作の権力だけでは汰く、たとえば誘拐され
た子どもが、マス.メディアの行なう誘拐報道のなかで付与されてゆく"社会正裁"的なマスコ
ミ権力を含むのであるが、その場合には、誘拐者の欲望は、マス・メディアの情報の流れを操
作.独占したいという欲望をより強くもつことになる。グリコ泰件の場合には、当初は、人質の
情報権力1つまりその情報によって金銭を動かせる力1の一部を奪取することが誘拐者の関
心の主な方向であったが、それが次第に人質のそうした権力の金体つまりは江崎グリコの企業権
力全体の傘取-機能停止、さらにはこうした権力を"社会正義"と法秩序の維持の立場から援
護する警察やマス・メディアの権力をも操作したい欲求を見せはじめる。
 マス.メディアの論調は、この事件をはじめは「国内では初の欧米型犯罪」として報じたが、
やがてその「複雑さ」や「陰湿さ」を指摘して、むしろその〃現代性"を否定する論調に変わっ
てきた。Lかし、この事件は、依然として現代的である。それは、必ずしも誘拐が時間犯罪とし
て〃現代的"であるというわけではなくて、この事件全体が情報と時間の操作を中心にして動い
ているからである。
 江崎グリコという会社は、食品を最も早い時期に情報化した代表的な会社である。グリコを一
粒なめて三〇〇メートル走れるというのは、食品的な価値からすると虚偽であるとしても、情報
的な価値としては真である。というのも、情報価値とは情報が発揮する心理効果で測ることがで
きるからである。グリコ事件の誘拐者は、グリコが長期にわたって持続させてきたこうした情報
権力をぐらっかせることに成功した。グリコ製品に青酸ソーダーを混入したという情報をマス・
メディアに流すだけで、グリコ製品はたちまち売れなくなってしまったからである。
 今日では、食品の価値の半分以上は情報価値で占められている。情報価値のない食品は売れな
いのである。「自然食」や「産地直送」の食品は、食品としてそうであるというだげでは売れない
のであって、まずもってそれらは情報として「自然食」や「産地直送」でなけれぱならないので
ある。それゆえ、食品の価値を減ずるには、食品を腐らせるにはおよぱない。それをささえてい
る情報とそのシステムを価値下げすれぱよいのである。
 これまでの誘拐事件では、人質の帰還は率件の終了を意味したが、グリコ事件では、むしろ人
質の帰還が難件のはじまりだった。人質とは、すでに述べたように、誘拐者が奪取しようとする
時間がすべて流れ込む交点であり、そうして作られる情報権力の中枢であるが、そうした交点と
中枢が短期問の監禁後に不要になってしまうことはどういうわけたのか?
 古典的な誘拐のプロセスでは、誘拐者は人質の身体性と誘拐者白身の身体性とをすりかえよう
とする。誘拐者は、自分の身体性を社会化できないからこそ、他者の身体を拉致し監禁して、そ
の自由を奪い、自分の思いどおりに行動させることによって、その身体に同化しようとするので
ある。ジョン・ファウルズの小説『コレクター』は、このような誘拐者が次第に人質によって支
配されてゆくプロセスを興味深く描いているが、ハイジャックの際にハイシャヅカーと人質とが
奇妙な〃連帯感。を抱くようになるプロセスも、同じような理由1つまり身体性の分業的補完
1のためである。しかし、グリコ事件の場合には、このようた同化への欲求はほとんど発見で
きないように思う。
 江崎社長が浴室から裸-純粋身体1のまま拉致されたということは、人質が誘拐者にとっ
てその身体性の代行者の機能を果すべき者として期待されているという点では、まさに理想的な
パターンを皇示している。誘拐者たちの方も、毛糸の目出し帽をすっぽりとかぶり、その身体性
を逆に隠蔽していたというのは、理にかなっている。そして、脅迫状を誘拐者の身体に直結する
手書き文字を使わずに和文タィブライターを使って印字し、その身体性とのあいだに距離を作っ
たのも、きわめて〃正統的"なやり方である。しかし、それにもかかわらず、この事件は、誘拐
の定石を破って人質を一締果的に1早々と解放した。
 人質は解放されたのではなく、向力で逃げだというのが表面的な箏突だが、逃げることができ
たということは、誘拐者が大貫をもはやそれほど重要視していなかったということである。これ
はなぜであろうか? 江崎社長が誘拐者から空間的に遠く離れていても、誘拐者の掌中に常にい
るのと同じような条件を誘拐者たちにすでに与えてしまい、いわば時間的に常に監禁された状態
にあるとしたら、誘拐者は江崎氏の身体を拘束する必要は全くないだろう。たとえば何らかの重
要な機密を誘拐者が江崎氏から聞き出し、それによって江崎氏の私的ならびに突業家的人格の重
要部分をコントロールできるとしたら、人質の身体はもはや必瑛がない。
 イタリアのモロ事件やドイツのジュライヤー事件では、国家が誘拐新の取引を拒否することに
よって人質の死を招いた。これは、誘拐者の側から兇ると、人質の身体性を肉体組織と情報組織
とに分離させることに成功しなかったということである。むろん、そのような分離が可能である
ということは、人間の精神を人工的た怖報システムで代理できるという発想に立つことであり、
エレクトロニックス化された「人工知能」(AI)はそのようた理念をよりどころにしている。し
かし、おもしろいことに、この分離は日本という非キリスト教的社会においてより蜘著なのであ
り、人問活動のコンピューター化がより急速に進み、頭脳の情報活動がコンピューターの操作に
よって代附されるという〃思想"が浸透しつつあるのである。頭脳活動が人間存在の全体から分
離され、しかも電子回路で代理できるということになれぱ、人…を生かしたままその頭脳だけを
奪い取ることも可能なはずである。つまり、大貫を脳なしにして返すということである。
 アルド.モロ竹杣を誘拐した「赤い旅団」は、その取引条件として政治犯の釈放を要求した。
しかし、川家権力がその要求を拒否したとき、この誘拐活動の指撫をした「フラスコ」は、モロ
首相を処刑することが、〃市民戦争。の捷に従うことであるだけでなく、「政治犯との交換よりも
より一層政治的均衡を狂わせるだろう」(フトロポリ』第一号)と考えた。たしかに、それは「政
治的均衡」をトラスティックに変えはしたが、その最終的な帰納は、権力による大弾圧の正当化
と、四〇〇〇人の政治犯の出現だった(『インバクシヨソ」第二五廿参照)。国家権力が「赤い旅団」
の要求をはねつけることができたのは、「赤い旅団」がモP首杣を脳と脳なしの身体とに分離す
ることができなかったからであり、旧家権力がモロ首相の脳・身体存在を権力にとっての操作可
能次竹批仙仙だけに還元してしまったからである。旧家権力は、モロ竹桐の身柄を「赤い旅団」
に伽け殺させることによって、その死という怖報を披大限効果的に用いた。
 その点でグリコ事件は、もし依然として誘拐老の伽が江崎氏個人および江崎グリコの時間性を
支配しているのだとすれぼ、これまでの誘拐小作とは全く火だる箏態を生じさせたのだと"、]うこ
とができるだろう。というのは、ここでは、人質を取引の対数とはせず、誘拐者の伽が人好をあ
っさり見捨ててしまりたらしいからである。もしこれが事実だとすれば、この事件は情報化の最
も進んだ社会に特有の事件であり、そこで誘拐され、監禁され、取引されたのは、人間ではたく
て情報だったということになる。                 (一九八四年六月二一百)
  




2
二〇二四年のコンピューター1未来からのメッセージ



 ニ〇二四年が終わろうとしているいま、この四、五〇年間に起こったことを想い起こすのは至
難のわざだ。あまりに多くのことがありすぎた。が、最大の変化は、二〇〇〇年を境にして、主
要エネルギーが太陽エネルギーに代わったことだろう。すでにアメリカ合衆国は、一九七三年の
オイル・ショック以来、石油から太陽エネルギーへの転換に着手していた。ただ、間魑は、それ
以前から巨大な予算を投入して進められてきた原子力発地を石油エネルギーの代案と考える人々
が多数おり、その頭ごしに太陽エネルギー計画を巡めることが難しいことだった。
 しかし、一九七九年にペンシルヴァニア州のスリー・マイル島で起こった原子力発磁所の事故
で、原発推進派は後退しはじめ、やがて原子力は、それをいつ〃安楽死"させるかだけが問題に
なるよヶになった。すでに一九八○年代の後半には高性能のソラー・セルが突川化され、太陽工
ネルギーがその後の主要エネルギーになるであろうことは、産業の先進的な部分にいる者ではな
くても、みなうすうすわかっていた。間魎は、そのことを全く理解しない人々を納得させるに足
る〃正当な理由。を見つげることだげだった。
 日本では、一九八七年になってようやくそのチャンスがやってきた。東海洲で起こった大地震
で東海原発と福島第一原発の原子炉が軽度のメルト・ダゥソ危機に陥ったとき、エネルギーの転
換政策が帆遭に乗りだした。
 ごうして二〇〇〇年をすぎるころには、世界の〃當める"地域と〃貧しい"地域との分布が、
太陽の恩恵にどれだけ浴しているかで決まることになった。それまでは、海水浴客でにぎわって
いた常亙の国々に各国の企業が進出し、巨大なソラー・セルの太陽光発概所を姓設した。太陽に
恵まれない国々は、競って術壇上に発電所を作ろうとし、エネルギー競争は、宇宙にひきあげら
れた棚があった。
 旭源の心配をしないで済む情報機推が一般家庭にまで浸透したのは、日本では、一〇年ぐらい
まえのことだが、そのため、〃宙源スウィッチ〃という言葉は死訴になった。すでに脳波ないし
は恵識に感応するコンピューターが一般のラジオにもテレビにも装備され、持主が、音を低くし
たいと意識すれば、また西面を消したいと菰識すれば、それらは自動的にコントロールされるよ
うになった。
 この点に関するテクノロジーの遊歩は、二〇世紀から二一世紀にかけての数年間に飛躍的に進
んだ。ひとつには、一九八○年代にはまだまやかしの"心室術"とみなされがちだったサイコト
ロニックスの秘密が則らかになり、"テレパシー"をエレクトロニックスの装置で解析できるよ
うになり、さまざまな"マルチ・スペクトラル・イメージ・アナライザー。が開発されたこと、
もう一つは、遺伝子操作の技術によって細胞の"バイオ・チヅブス"をく〕成することに成功し、
"ファジイ。な思考をも行たうことのできるコンピューターが完成されたことが、意識感応型コ
ンピューターの発岐を加速させた。
 上野の科学博物舳には、いまではアソティックとして珍重されている"パソコン〃や"ワープ
ロ〃が以示されている。われわれの世代には、もはやこれらを十分に使いこなせる者は数えるほ
どしかない。まず、もう一、二時代まえに使われていた"タィブライター〃から継承された"キ
ーボード・を使いこなすのが難しい。いまでは"高級な"趣味の一つになっている"ピアノ演奏〃
と同様に、それをあやつるのは、特殊な専門家の仕小だ。われわれは、もはや体をああいうやり
方で訓練したいのである。"指先。や四肢をそれぞれに機能分解することが、心理的なストレス
の.班囚になることが則らかになってから、身体迦莇のバターンが変わった。指先や手を繊細に動
かさなくなったわけではないが、舞踏やマイムのやり方で全体的に動かすことが一般化した。歴
史的な記述によると、"キーポード"は、一九七〇年代に"フェザー・タッチ"になったと記され
ているが、われわれからすると、あの感触はまだ重すぎるのである。
 古典的な"フィルム"や"ヴィデオ〃をフィルム・センターに見に行くような場合を除き、映
像はすべてホログラフィになり、昔の"フィルム"や"ヴィデォ〃も、ほとんどホログラフィに
移しかえられているので、"パソコン〃や"ワープアが"テレビ.モニター〃というものを使っ
ていたことを想像するのは難しいかもしれない。当時、そうした機排を使いはじめたオフィスで
は、眼精疲労や"テクノストレス"という症候群が社会間脳になったようだが、いま博物館で見
る"バソコソ〃の"テレビ・モニター・に映る一六ドットの文字は、むしろノスタルシックな美
しさをたたえているように見える。
 意識感応型コンピューターが一般化するまえに、しぱらくのあいだ"音声認識.応答"型のコ
ンピューターが流行したことがあったが、長い活字の文化によってオーラルな語りの文化をすっ
かり失い、声を出しながらよりも沈黙したまま表現することに慣れてしまった二〇世紀人は、個
人的な表現・思考の…川其としては"キーボード"型のコンピューターを好んだ。それに、一つの
部屋で何人かの人々が"音声認識・応答"型のコンピューターを使川するのは、ときとして混乱
を招いたらしい。
 しかし、意識感応型のコンピューターが出来てから似たようなトラブルが起こった。音声マイ
クよりも鋭敏たテレセソサiをもつこのコンピューターは、その使用者以外の意識流を拾ってし
まい、とんでもない作動のしかたをするのれある。また、意識流は、ひとによってその伝藩が異な
り、〃超能力者"の場合には、市販のコンピューターでも数百メートル先から感応させてしまう。
これは、いまでも深刻な社会問題になっており、一部の国々では"超能力者。を収容所へ入れて
いるところもある。
 しかし、世界の理論的な大勢は、意識流を"孤立した自我〃に閉ざすことはできないという方
向へ向かいつつあるように見える。つまり、意識感応型コンピューターは、"わたし。の意識と
欲望を解放したが、それは単に〃わたし"にとってだけではなく、すべての〃わたし"にとって
そうだったのであり、"わたし"は、巨大な意識流のなかで溶けあっていることにあらためて気
づいたのである。
 それは、ある意味で恐ろしいことだった。数年まえ、ある美術家が、最新の意識感応刑"コンピ
ューターを街の広場に据えて、炎凹パフォーマンスをやったことがある。彼は、法律で禁じられ
ている一立方メートル以上のホログラフィ映像を映し出せる装鮒を川意し、そこに集まった人々
に"自由想像"(これも、法律で禁じられている)をさせた。締火は、この世に存在するありと
あらゆるグロテスクなものの巨大な映像が広場に山班した。映像は、人々の勝手た意識によって
次々と変化し、一つの映像に別の映像がかさなりあい、湾舳し、やがて竜巻の渦のようなものに
なっていった。集まった人々は、その鋪綜した映像に感応し、意識を高楊させ、その意識に感応
したコンピューターがさらに錯綜し、うねり狂うホログラフィを作りあげた。
 わが国でコンピューターの集団使用が禁じられたのはこの箏件の直後であるが、当局が恐れた
のは、目下突…川化が進められている"ホログラフィ・汎用物化装置〃がこのようた"危険〃な集
団パフォーマンスと結びついた場合、社会秩序が破壊されかねないからである。この"汎用物化
装置"は、いまわれわれが使っている流体樹脂平面物化裟肚とは異なる。後者は、コンピュータ
ーが記憶素子に入れた意識流を旧型の〃デジタル・コード"でパターン化し、それを再生しなが
ら〃物化。してゆくもので、この文章も、この裟流を使って一九八○年代のスタイルの"活字。
に〃物化。されている。
 この焚帷では、ホログラフィを立体的に〃物化"することはできないが、図形はむろんのこと、
ある租度の厚みをもったテクスタイルを織ることはできる。そのため、平.而物化装耐でも、一般
人が市…性能のものを使うには、意識流の〃異常飛跡検査"に合格しなければならないのである。
というのは、この炎帷を用いれば、五〇年以上も前にブルガリア出身の芸術家ヤヴァシェフ・ク
リストが莫大な費川と労力を人やして行なったことが一人でできてしまうのであり、樹洞原料さ
えあれば㌔短時閉に巨大な雄物を"高速物化装竹〃が紡ぎ出したテクスタイルで"梱包〃してし
まうことができるからである。
 意識感応型コンピューターの発達によって、かつての"個人主義的モラル〃や"プライバシー〃
の観念は、くずれてしまった。今日では、相手が何を考え、感じているかをコンピューターが映
し出してしまうからである。しかし、古いモラルや"プライバシー"にしがみつく人々は、近年、
新しい"意識トレーニング"に励んでいる。それは、"自分"(なんとなつかしい言葉だろう!)
が考えていることをコンピューターに感知されないようにその意識流をコントロールしようとい
うのである。が、禅が旧逝してきた"無我の枕地"は、意識流の伝播を隠蔽することではなく、
逆に、その流れを〃自分。のうちに閉ざさずに解放することなので、このトレーニングには役立
たないらしい。そのため、ある流派は、一つのことを考えながら、同時にある棟の妨害意識流を
作る方法をあみ出そうとしているという。そんなにまでして"プライバシー〃なるものを守りた
いのだろうか? われわれのような若い二一世紀世代には、そのような一時代前の文化を理解す
るのには大変な努力がいる。




  
電子文化のポップ感覚



 歴史は、アドルノが言ったように、言語に影響するだけでなく、言語のただなかで生起するの
だとすれぱ、"ポップ〃という言葉のニュアンスなどは、さしずめドキドキするほど刺激的だ。
それは、はじめ英語の勺暑と等価なものとして導入されたが、それはいまでは。名から切り離
された独白の恵味作用を形成し、しかも「そいつはポップだね」といったような一門い方で、蚊も
今日的な感性的リアリティを表班するクリシェイになりつつある。これは、一面ではn木内な現
私小であるが、同時に今日のメディア化された社会の歴史的位柵をあらわしてもいる、とわたしは
思う。
 英語のpopも日本語の"ポップ〃も、メディアとの関係で考えられなければならない。という
のは,popularとpopular musicの両方の意味をもつpopでは、いまではマス・メディアとの関
係でしか考えられないし、必ずしもpopularを意味するわけではないpop artのpopも、マ
ス・メディアとの関係だけは失っていたいからである。
 アメリカの場合、"ポップ・ミュージック〃という言葉は、一九二〇年代から五〇年代にかけ
てアーヴィソグ・ベルリンやリチャード・ロジャースなどとともに一般化した音楽に対応する。
従って、それは一定のスタイルをもっており、たとえばロック・ミュージックがどんなに大衆化
したからといっても、それはポップ・ミュージックではないのである。しかし、一九五〇年代の
たかばにロックが台頭し、それが社会に受け入れられるにつれて、このなかから、やがて六〇年
代にはザ・ピーチ・ボーイズのサーフィンニミュージックのような"ポップ・ロック〃が生まれ、
七〇年代にはそれがディスコ、パンク、ニュー・ウェイブなどと張りあいながら、それらを圧倒
してゆくというように、ポップ白身が変わってゆくため、ポップを単に音楽スタイルの観点から
とらえたのでは間魎が明確にならないのである。
 重..要なことは、遅くとも第二次大戦以降アメリカでは、ポップ・ミュージックとポップ・レコ
ードとはほとんど同義になった点である。ポップはレコードや放送のメディア産莱によって作ら
れるのであり、ポップとはメディアの浸透度を恵味するようになった。"ポピュラー音楽〃と言
う場合にも、それはいまや、単に一般性のある音楽という意味ではなくて、誰でもが近づけるメ
ディアによって浸透しているという意味である。それゆえ、一九五〇年代のアメリカでロックが
マス・メディアのなかに登場し、それが社会に急遮に浸透していったとき、ロックをポップとみ
なすことも可能になったわけである。
 が、そうだとすると、ポップとロックとのちがいは何か? それは、これらの音楽を媒介する
メディアの聴衆のちがいである。いまでもイギリスや日本では、ロックのレコードの消費者は圧
倒的に二五歳以下の若者であるが、少なくともロックがさかんだった一九五〇年代中期から七〇
年代の後半までは、ロック(ないしはそれを媒介するメディア)の聴衆の中心はティーンェィジ
ャーの若者だった。これは、一九五〇年代以降、それまでは家族全体、大衆一般といった幅広い
聴衆を想定していたマス・メディアが、〃若者。という新たなテリトリーを発見し、そこにター
ゲットをしぼり、さらにはそれを再構築したということである。
 マス・メディアが既存の社会層からその新たな聴衆を開拓するのは、アメリカでは一九二〇年
代以来よく知られたことだが、こうしたやり方で発見され再椎築された聴衆は、それが当初はも
っていた異質性を失い、"大衆"のなかに解消してゆく。ポップ化とは、一面で社会のそうした
均質化を意味するが、これは、メディア自身にとっては異質化であり、多様化である。今日、社
会を均質化しながら自己を多様化してきたメディアは、一つの概眼段階に達し、均質化すべき既
存の異質社会を失いつつあり、社会の〃異質性"や〃多様性"とメディアのそれとが同一化しは
じめている。ポップ化ということが、かつてのように単なる均質化としてはとらえられなくなる
のもこのためであり、"ポップ〃であることが、現実の生き生きしたゆらぎやダイナミズムを意
味することにもなるというわけである。しかしながら、"メディアの秩木箱"と化した社会は、
当面、その〃積木箱"の術木を組みかえることでその生動性を維持できるが、やがては、組みか
えの眼界に達して硬直せざるをえなくなり、最後には、メディアは口分n身を根底から変えなけ
れぼならなくなるだろう。
 すでに、アメリカの場合、ロックの流行は、マス・メディアが既存の社会層から聴衆を取り出
す方法の一つの終末だった。すなわち、そのような聴衆として〃労者"が取り出されて以来、そ
れに匹敵する規模と多様さをもった社会腐が聴衆として動員されたことはなかった。〃女性。は、
ある点までそのようなターゲットになりはしたが、依然マイナーな段階にとどまっている。"老
人〃、"子ども"、"エスニック・グループ〃も同様である。
 マス・二7一イァ化される以前の若者文化は、特定の社会胴に根を下ろしており、アメリカでも
イギリスでもそれは労働者附級のものだった。ミドル・クラスの若者にとって、それは一椰の人
文化であり、彼や彼女らがそれに染まることは非行とみなされた。『暴力教室』から『グリース』、
さらには『ワンダラーズ』にいたる-五〇年代の若者をえがいた1映画には、"ナイフ一ク
リッキング・ギャング〃(飛び山…しナイフをちらつかせる愚辿隊)、"皮ジャン・ニヒリスト"、"コー
ナー・ボーイ"などと呼ばれるタィブの若者が登場するが、、ミドル・クラスの若者にとって、彼
らは疎ましく、そして気になる存在だった。『ワンダラーズ』の原作者リチャード・プライスは、
十代のときに遠目に見てきた街の労働者階級の若者たちの生活をこの作n㎜のなかにえがきだした。
それは、ある意味で労働者階級の文化に対する彼のあこがれの表現でもある。反対に、『ヤング・
ゼネレーション』という邦魎で上映されたピーター・イェィツ慌督の『ブレィキング・アウェィ』
は、労働者階級の若者が、・・ドル・クラスの文化にあこがれ、コンプレックスをいだく物語である。
ここには、すでに七〇年代になってアメリカの労働者階級文化がもはやほとんど自律性を失って
いることがうまくえがかれている。
 A.K.コーエンは、『非行少年』(一九五六年)のなかで、若者のタイプを"コーナー・ホーイ〃
と"カレッジ・ボーイ"とに分類しているが、五〇年代のあいだに下胴階級や労働者階級の若者
が文化的に"コーナー・ホーイ〃から"おりこう〃で"快活〃な"カレッジ・ホーイ〃になって
しまったわけではない。逆に、"カレッジ・ホーイが、"コーナー・ホーイ"の。要素をとりいれ、
そのためにかつての〃コーナー・ホーイ"の方は、n偉的な迫力を失ってしまうということなの
だ。こうした労働者附紙文化の一般化は、一九六〇年代のカウンター・カルチャー革命のなかで
より徹底化された。そこでは、革に労働者階級文化だけではたく、エスニックの文化、とりわけ
黒人文化がその社会的基胴から切り離されてメデfア化された。ジャズの場合、ニュー・ジャズ
はそうした限界地平におり、それ以前のジャズではある種生活世界的なリズムをそのまま枇すべ
りさせたようなリズム構逃が可能であったのに対して、ニュー・ジャズではそうした"外部〃が
ほとんど失われ、サゥソドの構造内でリズムの差異化を行なわなけれぱならなくなる。これは、
まさにアルバート.アイラーがみずから体現したプロセスであり、その極限的表現は、一九六八
年に録音された『ニュー・グラス』(インパルス!A-9175)に如実に臨われている。
 ポップ.アートが世の関心を呼びはじめるのは、一九六二年にニューヨークのシドニー・ジャ
ニス.ギャラリーで開催された"ニュー・リアリスト展〃からだと言われているが、ポップ・ア
ートは、マス.メディアとの関係を抜きにしては存在しない。使われる材料はほとんどすべて日
常的事物であり、そのほとんどすべてがマス・メディアを通じて誰にも既知のものである。とい
うのも、日常的なものとは、いまではすべてマス・メディア化されたものになっているからであ
る。
 しかし、ポップ・アートは依然、アートであって、その"外部〃をもっている。ポップ一アー
トは、マス.メディアが典質のテリトリーをとりこむことによってできたのではなくて、アート
のテリトリーがマス・メディアのテリトリーを利用しているのである。従って、ポヅブ・アート
は、少なくともその初期段階では、シュールレアリスムのアートの延長線上に位置していると言
うことができるだろう。
 ポッ」プ.アートのリアリティは、そこで使われている素材が関与しているマス・メディアから
くるのではなく、アートという依然としてまだある種の"白体性"を保っていた特権的な小社会
からくるのである。言いかえれば、ポップ・アートは、ふだんは見なれているマス・メディアの
班象を角度をかえ、非目常的な観点から見ているにすぎないのであり、そういうことがまだ可能
な場が荻されているからこそアートとしての位雌を保持しているのである。この点に関して、ア
ンディ・ウォーホルが自分のテレビの見方について語っていることは、そのままポップ・アート
の受けとられ方に通じている。彼は、二台のカラiニアレビをベッドのうえで同時に見ることを
好む。「カラーを数秒間、白黒に変えてみることもある。これもなかなか乙なものだ」、「再放送
でもいっこうにかまわない。……大背の番組のw放送が好きなのは、出漁者が不老長寿であるか
らだ」、とウォーホルは一言う(常櫨新平沢『ママと足条旗とアップルパイ』集英祉、所収)。ウォーホル
のように、自分が日常性からいっても身をもぎはなせる位肚にいるならぱ、マス・メディアはど
んなに月並みでもよい。
 とはいえ、ポップ・アートは、マス・メディアにとっては、一つの眼界地平を与えていた。と
いうのは、ポップ・アiトは、まもなくマス・メディアのなかにひきもどされることになるから
である。アートの新しい傾向がすぐさま広告デザィソやディスプレイにとりいれられるのはほと
んど鷲パにあたらないが、そうしたものとしてポップ・アートがマス・メディア化されるとき、
そのマス.メディアは、マス・メディアn身によってそのリアリティを形づくることになる。言
いかえれば、マス・メディアが自己自身を差異づけることによってそのリアリティを生み出すこ
とになる。ここでは、もはやメディアの"外部"は完壁に失われるから、メディアの世界と、か
つてはその〃外部"とみなされていた社会とが同一化される。
 おそらく、マス・メディア化されたポップ・アートの行きっくところは"アール・ポップ"だ
ろう。一九七九年に東京と札幌で"アール・ポップ展〃を開催した企画者の一人である谷川晃一
は、「"アール・ポップ〃は理代美術の一動向であるポップ・アートのことではなく、今日の大衆
文化の巾に見られるある顕著な感覚のことであり、そうした感覚を持つ人々が作り出した表現物
や選び出した様々の班物あるいは行為のことなのである」(『アール・ポップ』冬樹礼)と言い、また
『アール・ポップの時代』(姶壮杜)のなかで、「アール・ポップは美術表理の問題であるよりもむ
しろデザィソ感覚の問題」だと言っている。そしてその際、谷川によると、この「アール・ポッ
プ的デザイン感覚」の「内実」とは、「一つの高度に発達した情報社会と大最生産、大柵消費の
インダストリアリズムが招来してしまった終末的都市環境に疎外されて生きているという共感で
あり、もう一つは、この疎外状況から自己のトーダリティーを回復し、終末を生き残るために、
商品や情報の送り手や伝統約諾制度にスポイルされることのない、意識的な生き方の実践をモッ
トーとすることである」。
 ここで言われている後半部分は、ポップ・アートのマス・メディア化とわたしが言ったことと
必ずしも整合するとは言えないが、今日、マス・メディア化されない大衆文化もデザインも存在
しないとすれば、自己を二重化することによってアートの方へ身をうつしたマス・メディアが、
今度はふたたびマス・メディアにひきもどされ、さらにそれが……といった循環運動を"アー
ル・ポップ〃のなかに見出すことはっねに可能だろう。実際に、谷川晃一編『アール・ポップ』
に収められている。作品〃の多くは、ポスター、レコード・ジャケット、テレビ・コマーシャル
の映像、カタログ、雑誌表紙等々であり、マス・メディアのなかにすべて存在するものである。
そして、こうしたものに対する"現実〃感を"ポップ感覚〃と言うのだとすれぱ、ポップ感覚と
は、メディアのメディア内的差異についての感覚であるということになるだろう。その差異が多
様になればなるほど"ポップ度〃は高くなる。
 それゆえ、ポップ度の高さを価値として追求する社会では、メディアのチャンネルが限りなく
多様にたらざるをえない。VHFやUHFのテレビに加えてCATVが出現し、光フプィパーの
マルチチャンネルが汲透し、祉会が〃有線化祉会"になってゆくのは、アール・ポップ社会の必
然である。このようにメディアが多様化するのは、メディアがその"外部〃や"他者〃を失い、
自らを差共づけなければならないからであり、こうした差異づけにとって犯子メディアは-い
まのところ1最もよく機能するからである。
 しかし、このようなポップ度の荷い社会では、その共時的レベルには多様な差異が存在すると
しても、その通時的レベルにはぞっとするような深い同一性が支配している。マス・メディア化
とは、すべての歴史性をただの現在と化すことであるが、これは、歴史の通時的連関を忘却させ
るということと同じである。かつて"若者"とは歴史的概念であり、それは、"年長者"や"幼児。
との相対的な関係のなかで意味をもったわけだが、それがマス・メディア化されると、"若者"
とは、ロックを聴くものであり、コンバースの靴をはくものであり、ニューアカを読むものであ
り……というように社会の共時的なレベルでの差異によってのみ定裁されることになる。かつて
は、"若い"ということが、ものを知らない-歴史意識を欠いている1という消極性を意味
したのに対し、"若さ"がマス・メディア化されるにつれて、それは、そうした共時的差異に依
然関心をもっているという稜極性を意味するようになる。
 サイモン・ブリスは『サウンド・ユフユクツ』(一九八一年)のたかで、一九六〇年代の英米で
は、「青年期のイデオロギーが若さのイデオロギーになった」と言っている。「もし、若さが最も
望ましい社会条件であり、若いということが、壮年の偏狭な型にはまった姿勢から自由で、性的
に旺盛で、感情的に奔放であるということだとすれぱ、その年齢にもかかわらず、自分がそのよ
うに生きていると考える者は、誰でも"若く"なれるわけである」。しかし、この種の"若さ"
は、実際の中高年燭にとっては、n分の生活を極度にマス・メディア化し、自分を〃芸能人"化
できる特権階級にしか維持することがむずかしい。クリストファーニフヅシュは、『ナルシズム
の時代』(石川弘鑛訳、ナツメ社)のなかで次のように言っている。
「中高年層が余計者となったのは、歴史的述続感がバラバラに切断されたことに起因している」
という。「古い世代の人々はもはや、自分たちは次の世代の人々の中に生き続けるのだ、後を継
ぐ子孫の中に姿を変えて生き続けるのだと考えることができなくなっている。だから、気品に満
ちた優雅な態度で、若者に道をゆずろうとしないのである。人々は、もはや自分をもごまかすこ
とができなくなるほど年をとるまで、自分はまだ若いのだという幻想にしがみつく」。
 ラッシュによると、アメリカでは、「医学の進歩は、老齢との闘いに莫大な経費をかげられる
かどうかにかかっている」というが、永遠に若くありたい、若いことが価値である、若さがポッ
プである、歴史性を忘却していることが価値であるとする社会では、アンドロイドが人間の理想
モデルになる。一九八三年には遅くともアメリカのポップ・カルチャーの仲間入りをしたブレイ
ク・タソスは、それまで、ロワー・クラスの黒人少年たちのあいだで知られたマイナーなサブ.
カルチャーにすぎなかった。それが一挙にポップ化したのは、踊り手が身体をギクシャクと動か
すその人造人間的な動作が、われわれの意識を支配しているアンドロイド願望、にアッピールした
からである。
 あらゆるレベルで歴史性が忘却される条件がととのってきている。歴史意識とは、別にすべて
の出来事に"起源"を推定する形而上学的意識ではない。それは、出来事を、その共時的な差異
においてではなく、むしろその通時的な差異においてとらえようとする意識である。しかし、そ
うした追思的思考(髪・臣Φ寿塞)の可能性は、決してポップなものとはならないだろう。ポップ
な思考は、依然としてデカルト的である。デカルトは、主観主義哲学の祖として重要なのではな
く、歴史忘却的思考の祖として重要なのである。彼は、コギトによってすべての歴史性に覆いを
した。いまや、起源は"わたし"つまり現在である。"歴史"とは、もはや多様な差異としての
"起源"の連鎖ではなく、永遠に流れる塊在である。しかし、コギトの〃わたし"が、歴史から
身をもぎはなし、共時的な差異性として炸裂させられるには、三〇〇年の年月がかかった。すな
わち、コギトが普遍化するためには、エレクトロニックスの回路の高度化が必要だったのである。
 その意味で、ベンヤミンが文化を「廃品」(き壁一①)としてとらえたときには、そこにはまだ操
作のしかたによっては歴史への通路を回復する期待が残されていた。モンタージュとは、そうし
た「廃品」を阿収し、歴史を生起させる方法であった。彼は、「歴史哲学テーゼ」のなかで次の
ように言っていた。「過去という木には時代ごとに新たな索引が付され、索引は過去の解放を指
示する。かつての諦世代とぽくらの世代との㎜にはひそかな約束があり、ぽくらはかれらの期待
をになって、この地上に出てきたのだ」(蜥村修訳『娃力批判論』^文杜)。
 このようにベソヤ、ミソが言うことができたのは、彼の時代にはまだ電子的マス・メディアを媒
介しな小大衆文化のテリトリーがあったからである。複製技術に関する彼のテーゼは、思うに、
電子的な複製技術ではなくて、写真の複製技術を基礎にして立てられている。その点では、すで
にガジェットやキッチュを知っていたアドルノは、「アウシュヴィッツ以後の文化」を「廃物」
くmull)-つまり回収不可能となった「廃品」一と断定し、大衆文化に歴史の媒介を期待する
ことをやめたのだった。
 とはいえ、アドルノは、「過去の清算が意味するところ」(大久保健治訳『批判的モデル集1』法政
大学出版局)という一文のなかで、戦後の西ドィヅでナチズム時代の過去を記憶から払拭しようと
する傾向が強まっていることを批判したあとで、「今日においては誇張のみがそもそも真実の媒
介手段である、とする原則に則り、わたしは陰鰺な側面を誇張してきた」と書いている。すべて
に対して否定的で"ペシミスティック"な彼の発言は、こうした戦略に基づいたものであるとい
うことも考えなければならない。しかし、アドルノの時代よりもはるかにマス・メディアが過剰
化Lた今日、アドルノの戦略的な洞察は、もはや戦略にとどまっていることはできなくなってい
るようにみえる。
 日本の場合、もはや大衆文化が無歴史的な〕廃物」と化し、そうした廃物同士のあいだに限り
なく加えられる共時的な差異による意味しか存在しないというポップ化は、アメリカよりもはる
かに九進している。チャールズ・シェフィールドの『プロテウスの啓示』(酒井昭伸訳、早川書房)
の主人公は、「他の何百万という人々と同じく、一口も終ったくっろぎのひとときを、カタログ
のアチコチを拾い読んだり値段の比較などをして過ご」すのだが、このSFが櫛く二二世紀にな
らなくても、目木ではこのようなポップ・カルチャーがすでに浸透しはじめており、情報誌がそ
の"外部・とは無関係に読まれるということはかなり一般化している。
 一時期"若者"によく読まれているといううわさのあった浅田彰の『構造と力』(鋤革輩〃)が
ポップだったとすれば、それがこのメディアの"外部〃を消去してしまうような構造と力をもっ
ていたからである。たとえば彼は、「以上の要約は、メルローHポンティに忠実なものとは言え
ず、いささか正当さを欠くきらいもある」と言いながらも、数ぺ-ジにわたってメルロー1ーポソ
ティの他者論や身体論を〃要約"してしまうため、実際には彼の言うとおりきわめて「正当さを
欠く」ものであるにもかかわらず、読者はつい、メルロー1ーポンティの原典を調べてみようなど
という気を起こすのを忘れるし、その必要もないのである。また、読者のなかには「ピュシス」
という言葉が浅田彰の新造語だと思っていた者がいるそうだが、たしかに彼は、「このような生
きた自然の秩序をピュシスと呼ぶことにしよう」と書いており、この言葉の歴史的な連関をあえ
て絶ち切り、このテキストの内部だけですべての思考ゲームができるようにしているわけだから、
そう思う者がいても不思議ではないし、その人はむしろ、本書の最良の読者かもしれない。いま
や、日本では、情報誌から学術書の体裁をとった本にいたるまで、すべてポップ化しているので
あり、歴史の忘却装置になっているのである。
 こうした傾向がかくも板端な形で進んでいるのは、日本では明治以降の欠泉制が歴史の忘却装
置として機能し、戦後になってそれがさらに高度化されたからである。そもそも日本人の民族的
多様性を天皇家という一家系に収鰍させることがすでにそうした歴史的多様性を忘却させること
であるが、また元号という天皇家のクロノロジーに依存して日常生活を送ることも、歴史の忘却
である。戦後、天皇が「象徴」となってからは、天皇を人格的なイメージとして1従ってそこ
にはその誕生から死に至る歴史性が存在Lないわけにはいかない-とらえることからも臼由に
なった。その代わり、天皇は、マス・メディアの〃開幕"に顔を出し、それを増殖させるイニシ
ェイダーになった。女性週刊誌は、皇室記箏によってその読者をふやし、テレビの普及には皇太
子の結婚が大きく寄与した。マス・メディアは、こうしたイニシエイションを拡大再生産しなが
ら今日に至っているわけだが、いまや日本のマス・メディアは、「国民の統合」を象徴操作によ
って行たうという天皇の基本的な機能を確実に自分のものとしたかにみえる。戦後口本の最初の
電子的マス・メディア(ラジオ)は、天皇の声とともに始まったが、天皇はいまや、砥子的マス・
メディアと一体となり、身を隠すのである。
「疑惑の銃弾」箏件は、日本のマス・メディアが、それだけ「国民統合」の操作を遂行できるこ
とを示した。すなわち、みずから班件を構成し、それについての解釈・臆測・唯をすべてあらか
じめ用意し、大衆に提供し、予定どおりの反応を起こすことに成功したのである。ここでは、テ
レビがカラオケになったのであり、週刊誌がそのソング・ブックになったのである。それらの視
聴者や読者は、メディアのなかで起こっている出来事がその〃外部"で〃真実"であるかどうか
よりも、メディア内のリアリティっまりはその出来事のポップ度にひかれる。これは一面でコン
ピューター・ゲームの世界に似ているが、コンピューター・ゲームの世界では戦争もその世界の
なかから生まれ、そのなかだげで処理され、その〃外部"は全くないのに対して、「疑惑の銃弾」
事件では、事件自体はマス・メディアによって生み出されたとしても、その主人公の人格は最後
まで残るのである。これは、まさに天皇が「象徴」としてさまざまに姿を変えることができても、
その生ま身は最後まで筏されるのと同様である。
 天皇制とマス・メディアは、同じディレンマを共有している。それは、両者ともかなり完雌に
その機能を発揮しているにもかかわらず、天皇は依然として人格的存在として生活世界を有して
いる点で絶対的に純粋な象徴となることはできず、またマス・メディアは、現在のところはまだ
コンピューター・グラフィックスの技術だけで1つまりメディアの"外部〃に全く依存しない
で一その世界を構成することができず、芸能人やモデルを必要とする点で絶対的に共時的な差
異だけの存在になることができないでいる。天皇個とマス・メディァー情報化した賓本主義シ
ステムーにとって、その理想は、自らを無限に差異づける向動過柵になることであり、その方
向をめざして進んでいる。しかし、この遮勅は、すべての領域で一挙に同しべ-スで進むわけで
はなく、その運動が及んでいたい領域を侵略するという形で行なわれる。従ってここには、差異
化のプロセスに従属する者とそこから疎外されている者、そしてそれらに対応するテリトリーと
を生み出さざるをえない。そしてまた、そのような差異化自身がこのプロセスの推進力にもなっ
ている。
 現在アメリカで台頭している〃ヤッピーズ"(yupies:young urban professional)は、"バン
ク〃や"ホームレス・ユース〃と対照的な関係に立っており、どちらも社会の高度なマス・メデ
ィア化、産業のポスト・サiビス化、資本主義の情報化によって生まれた。前者は、メディアの
差異化に荷担し、その多様な差異性を楽しむことのできる歴史忘却的な場に身を置いているのに
対し、後者はそのような場から完全に隔離され、放浪に身をまかせるか、限られた差異性のなか
で甘んずるしかない。"ジェソトリフィケイション"(gentrification)とは、こうした"ヤッピー
ズ〃を"ジェントリー〃(新興階級)として街路や住宅が様変わりすることであるが、パンクやホ
ームレス・ユースにはスラムしか残されていない(『ニューヨーク情報環境論』品文杜、参照)。
 しかし、七〇年代の後半からヨーロッパの都市で起こったパンク・ロックやスクゥォッターリ
ングの運動は、メディア白身が人工的に作り出した否定性の一方の極が有機化した新たな"階
級"によ。って進められた点が注目に値する。サイモン・ブリスは、『サウンド・エフェクツ』の
なかで、「パンクは新しい種類の街路文化をシソボライズした。過密都市の説家庭的な若者、ラ
ティカルな職業人、スクウォヅターズ、コミューンの人、学生、学生生活をしているが学生でな
い人、エスニック・グループ、ゲイといった人々は、誰一人として"定住〃せず、そして誰しも
がプロテストし現状を切り抜けることに関心をもった」と言っているが、彼や彼女らが、それぞ
れ異なる社会階級から1はじき出されて-やってきて新たな〃集団"をつくったとき、その
やり方は、きわめて自然発生的であったし、その〃集団。はその成員がすべて一カ所に集まるこ
とを常とするといった通常の意味での集団ではなく、自律した単位がネットワーク的に結びつく
"アンサンブル"であった。むろん、バンク・ロックは、流行としてはもはや過去のものである
が、潜在的なバンク文化は生き続けている。それは、"ヤッピーズ"の文化がひろがれぱひろが
るほど、それに比例して増殖するだろう。ちなみに、東京でも、都市が"洗練"されれぱされる
ほど、"浮浪者〃はふえており、その文化は、ポップ感覚とは全く異質なレベルに属している。
  




未来派の速度政治



 芸術の分野で「ハイテックーーハイタッチ」が自明の価値となり、軍事の先端技術がレーザー・
ビーム兵器による「スター・ウォーズ」計画に向かい、政治経済がハイテックとニュー・メディ
アをめぐって動くといった今日の状況をみると、かつてイタリアの未来派やドイツの新即物主
義が理想としたことが地球的規模で日常化しつつあるという印象をおぼえる。ファシズムやナチ
ズムとともに滅びたかにみえた美学が、いまや、二〇世紀末の社会と文化を公然と規定する支配
的た力として立ちあらわれてきたのであり、この美学がもともともっている戦争や死との返しさ
が、一九三〇年代以上に強まっているように思われるのである。
 すでにワルター・ベンヤミンは、一九三六年に、「ファシズムは、マリネッティが告白してい
るように、技術によって変化した人間の知覚を芸術的に満足させるために、戦争に期待をかけて
いるのだ。これは、あきらかに『芸術のための芸術の完成』である」(『ヴァルター・ペソヤミソ著
作集』2、晶文杜)と言い、エチオピア植民地戦争に対するマリネッティの次のような宣言文を引
用していた。
「われわれ未来派は、二十七年まえから、戦争を醜悪なものだとする考えかたに反抗してきた。
……われわれはここにあらためて確認する……戦争は美しいものであると。なぜなら、ガスマス
クや威嚇川拡声籍や火焙放射推や小型戦車によって、人間のちからが機械を支配していることを
証明できるからだ。戦争は美しい。なぜなら、人間の肉体を鋼鉄につつむ夢がはじめて実現でき
るのだ。戦争は美しい。なぜなら、花の咲きみだれる野を、火をふく機関砲の格の蘭でかざるこ
とができる。戦争は美しい。なぜなら、銃火と砲声、死の静寂、芳香と腐臭をひとつの交響楽に
統一することができる。戦争は美しい。なぜなら、大型戦車や編隊飛行機のえがく幾何学的な図
形、炎上する村落から立ちのぼる煙のらせん模様など、新しい構成の美が創造されるからだ。…
…未来派の詩人や芸術家がこうした戦争美学の根本原理に留意するならば、新しいポエジーや新
しい造形を求めるわれわれの苦闘は、それによってかがやかしい光を浴びるであろう」。
 なにやら自暴自棄の響きがしないでもないこのマリネッティの宣言は、ここで言われている
「ガスマスクや威嚇用拡声器や火焔放射器や小型戦車」をコンピュータ化されたミサイル装置に
置きかえてみると、これは、ハイテックーーハイタッチの美学に立脚する今日の芸術的動向のなか
でこそしっくりするようにみえる。いまのところ、ヴィデォ・アートやコンピューター・ゲーム
の"陣営"から「戦争は美しい」などと声高に宣言する者はまだ出て来ていない。しかし、潜在
的には、われわれが、シンセサイザーやコンピューターやヴィデォなどのエレクトロニックス機
器を用いたとき、軍泰的な世界ではもっと高度の機器が用いられていることを知っているわけで、
もしそれらを芸術制作のために用いることができるならぼ、いまよりもはるかに「美しい」芸術
が生まれるであろうという思いにかられる。テクノロジーは、軍事技術として発展してきた側面
が強いし、とりわけエレクトロニックスのニュー・メディアは、ほとんど軍事技術的必要の産物
だ。そうだとしたら、そうした技術が最も「美しく」使われるのは「戦争」においてだというこ
とになる。
 ゲーム・センターのゲームをみても、市販されているコンピューター・ゲームのソフトにして
も、その多くは戦争ゲームであり、勝敗のスピードと得点を競うゲームである。映画『ウォー・
ゲーム』が戯画化してみせたように、今日の戦争は電子戦であり、ゲーム・センタiや家庭でゲ
ーム機器を操作することと実戦の軍事活動との差がなくなりはじめた。第二次世界大戦の際には、
B29から落とされる焼夷弾の火や洞窟に放射される火焔放射撚の焔を見ることが戦争の知覚体験
であり、戦争による死滅の恐怖を形づくっていたのに対して、まさに『ウォー・ゲーム』を見る
ことそれ自体と、それを見ながら死滅することが今日の戦争を特徴づけている。かつて毛沢東は、
「政治は血を流さない戦争であり、戦争は血を流す政治である」と言ったが、いまや、「血」は流
れる以前に蒸発し、「政治」と「戦争」とを区別するものは、電子回路がそれ自身の"内部"にと
どまっているか、それとも〃外部"をもつかのちがいでしかなくなってしまった。コンピュータ
ー・ゲームの装置を操作することは「戦争」ではない。NORADのコンピューターを操作する
ことは「戦争」である。しかし、前者と後者とを結びつげるのが「政治」であり、その結びつき
が一見無関係にみえるときが「平和」時であり、それが一体化するときが「総動員体制」なのだ。
 ベソヤ、ミソは、正しくも、「帝国主義戦争は、一種の技術の蜂起である」ξ言った。技術は、そ
れが生活世界から切り離され、"技術のための技術"の道を突き進むとき、戦争という形態によ
る「蜂起」によって世界に還帰しようとする。「芸術に栄えあれ、よし世界のほろぶとも」とはフ
フシズムの美学の定式だが、これは、より今日的には、「テクノロジーに栄えあれ、よし世界のほ
ろぶとも」と言いなおされるべきだろう。
 しかし、芸術もテクノロジーも、それが「栄える」ことによって、自動的に世界の滅亡とファ
シズム美学の肯定に帰祈するわけではない。芸術がテクノロジーへ向かうとき、そしてテクノロ
ジーがある特定の方向を選択するとき、それらがテクノロジー的耽美主義を生み出すのである。
 今日の芸術の1とくに日本における1新しい動きはパフォーマンスであるが、これは、そ
の動きが有力にたれぱなるほど、未来派や新即物主義の芸術活動と同じように、ある種ファシス
ム的な美学を体現することになるかもしれない。パフォーマンスは、その外面的な形態からする
と、六〇年代の「バップニソグ」や七〇年代のアメリカの「パフォーマンス」と相当似たところ
があり、今日、日本で行なわれているパフォーマンスの大半は、すでに何らかの形で試みられて
きたと言うことができる。今日のパフォーマンスは、装置と場所と見せ方が変わっただけで、一そ
の"実体〃は、フラクサスなどに拠った人々によってすでに実験されていたという見方もできる。
 しかし、そんなことを言うのなら、イタリアの未来派の実験のなかでは、ある意味で、今日考
えられる限りのあらゆるパフォーマンスの語形式が構想され、そこには「ラジオ・パフォーマン
ス」まで含まれていた。だから、問題は、ローズリー・ゴールドバークのように、バフォー吋シ
スの歴史を未来派の時代から七〇年代まで一貫したものとしてたどるということではなくて、
「テアトロ・ディ・ヴァリェテ」と呼ばれようが、「ハップニング」と呼ばれようが、それらを共
にパフォーマンスと呼ぶことができるような芸術活動が社会的に注目される状況とは何かという
ことを問うことだろう。それは、おそらく、テクノロジーと社会との関係と密接につながってい
るはずだ。
 芸術にとって技術とは、基本的に、身体関係を変える技術である。未来派の時代も今日も、そ
のような技術がトラスティックに変わる過渡期である。ニーチェのニヒリズムもフロイトの無意
識もソシュールの記号学も、みなそのような状況の痙撃のなかで生まれたが、当時の社会環境に
侵入しようとしていた石油と電気のテクノロジーの影響は、今日のニュー・メディアのそれをは
るかに上まわるものだったと考えることができる。衛星通信は、一九世紀末にマルコー二によっ
て無線電信の技術が開発されたとき、多少想像力にあふれた者ならば考えたであろうアイディア
だが、有線の通信しかない時点で無線通信を実現可能なものとして想像することは、決して一般
的なことではなかったろう。だから、マルコー二が一八九七年にロソドソでマルコー二無線電信
金杜を創立し、一九〇一年に大西洋を横断する無線の送受信に成功したあと、一九二〇年にアメ
リカでラジオ放送が開始されるまでの二〇年間は、それまで大地との接触のなかでとらえられて
きた身体性が、概念的にも実際的にも大きな再編成の試練に直面する激動の期間であったはずだ。
 その際、新しい技術を積極的に取り入れようとしたのが未来派であり、アクロバットや既成の
演劇ではナンセンスとみなされる仕草やアタシ目ソなどの身体技術もさることながら、機械や電
気の技術は未来派のパフォーマンスの主要部分を占めた。ルイジ・ルッソー口は、「騒音の芸術」
(一九一一年)という宣言のなかで、「音楽の進化は機械の繁殖に並行する」と言い、「純粋音のこ
の限られた円環を破り、無限に多様な〃騒音"を戦い取る必要がある」のだから、「われわれは、
市電、モーターの爆発、汽車、わめく群衆などの騒音を理想的に結合する方が、『英雄』や『田
園』に耳を傾けるよりもはるかに楽しいのだ」(ヴィクトリア・ネス・カービーによる英訳「マニフェ
ストと台本」ーマィヶル.ヵーピー『未来派のパフォーマンス』付録)と言っている。この理念は、一
九二二年に、漏斗型の拡声装置のついたモーター内蔵の箱を十数台組み合わせた機械によって実
現され、翌年にはロソドソでも公開された。
 映画の技術に関しても、一九二二年にハリウッドが創設され、世界的にサイレント映画の時代
が始まって新しい技術と装置が開発されるなかで、未来派は、一九一六年にフィリッポ・トマ
ソ・マリネッティ、ブルーノ・コヅラ、 エミリオ・セッティメヅリ、アルナルド・ジソナ、ジア
コモ・バッラ、レモ・キッティの連名で「未来派の映画」という宣言を発表した。彼らは、いま
だ「言葉のない演劇」としてみられていた映画を、「映画は舞台をコピーしてはならない」、「映
画を表現メディアとして解放しなければならない」と規定し、「われわれの映画は次のようなも
のになるだろう」と言う1①「現実をアナロジーの二つの.要素の一つとして用いる映画的アナ
ロジー」、②「映岬的な詩、諮り、詩的散文」、③「異なる時㎜と場所の映面的同時性と相互浸透
性」、④「映画的な音楽研究(身ぶり、山来班、色、線などの不協和音、ハーモニー、ツソフオ二1)」、
⑤「フィルムに。おける独出された精神状態」、⑥「単なる写真の論理から解放される日常訓練」、
⑦「映像化された諦対象のドラマ」、⑧「映像化された思想、出来事、典型、対象などの展示」、
⑨「奇妙な表情、ものまねの集まり、いちゃつき、混合」、⑪「人間の身体の映像化された非現
実的再構築」、⑪「不均衡の映像化されたドラマ(のどの乾いた…刀が小さなストロiをとり…川して湖に
のばして一瞬のうちにその水を飲みほしてしまう)」、⑫「映像化されたフィーリングの潜在的なドラ
マと戦略的なプランL、⑬「男、女、出来事、思想、音楽、感怜、重さ、におい、騒音の直線的、
造形的、色彩的な等価性」、⑭「映像化された自由に運動できる言葉」。
 これらの映画理念は、その後に現われた前衛的な実験映画の方法を先取りしており、こうした
マニフェストにもとづいてマリネッティらが一九一六年に製作した『ヴィタ・フェテュリスク』
(フィルムは刎作しないらLい)は、ローズリi・ゴールドバークによると、「たとえば『心の状態』
を示すためにプリントの調子を変え、鏡の使用によって像を歪めたり、バヅラと椅子のラブシi
ソ、未来主義の歩行を実演するマリネッティの短いシiソなどが見られた」(小原佑介訳『パフォ
ーマンス』リブロポート)という。
 新しいテクノロジーへの未来派の関心は多岐にわたっていたが、未来派が向けた披終的な関心
がラジオだったというのは興味ぶかい。一九三三年にマリネッティとピノ・マスナータは、「未
来主義ラジオフォニック劇場」、別名「ラニフディア」というマニフェストを発表した。それに
よると、汕劇、吹上回、文学といった過去の芸術はすべて死につつあり、いまやラジオが、「汕劇、
映画、物語が終わるところから始まる新しい芸術」にならなければならたいという。付言は、ル
ッソー口の「ノイズ・ミュージック」の概念を発映させ、楽音や声、蝋音だけでなく、あらゆる
サゥソドを素材にすべきであり、「放送局同士の混信」の音をも使川するべきだとしている。マ
リネッ.ティは、『ラディオ・シソテシ(総八]的ラジオ)』と総括的に呼ばれる圧つの台本を詐いでい
るが、そのうちの「無音がそれ自身のあいたで語る」では、二五秒の純粋無音、フルートの
ド・レ:ミ、八秒の純粋無音、フルートのド・レ;・、二九秒の純粋無音、ピアノのソ、トラン
ペットのド、四〇秒の純粋無音:…・赤ん坊のネ:不:不、四〇秒の純粋無音…:∴秒間のモータ
ーのル・ル・ル、一一秒の純粋無背、一一歳の少女による篶きのウー」(ヵーピー、前掲^)とい
うように、無音が-」のラジオ・パフォーマンスの〃主役"をなしており、これは、ジョン・ケー
ジが「無音と音の交換」を試みた『プリペアード・ピアノと室内作弦楽のための臓炎…』(一九
五一年)を二〇年近く先取りしている。
 それゆえ、歴史的にたどってみるかぎりでは、未来派の人々は、当時の批新テクノロジーを活
用して今日考えても明らかに"新しい"共術の方向を……き、身体性を変革しうるカをもっていた
と"旧うことができるわげだが、にもかかわらず、彼らは、やがてファシストとして反動的な運
動に荷担してゆく。このことは、たとえば無線を発明したマルコー二が一九三〇年にフフシスト
大評議会の議員になったからといって、無線迦儒の技術がフフシスト的だということにはならな
いのと同じように、彼らの芸術的火腕は、彼らの政治参加と区別して評価されるべきなのだろう
か?
 未来派が新しいさまざまた身体技術-芸術1-を…妬し、またその諮宜,青のなかにはそこか
らさらに新たな身体技術を引き出すことのできる可能性が孤されているにもかかわらず、未来派
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、がファツズムに向かい、今日の"ハイテック…ハィタッチ"アートやテクノ・ポップスがネオ未
来派として似たような機能を果しつつあるのはなぜか?
 それは、両者にみられる速度への執祈であるように思われる。未来派は、一九〇九年にバリの
『ル・フィガロ』紙にはじめて「未来主義の基礎と宜一.]」を発表した出か、そこにはすでに「速度
と危険への焚着」という一一.[葉が記されていた。また、一九一三年の、ヴァラエディ劇場」宜育で
は、「速度と変革の総合」が旧えられている。一九一五年の「未来主ム的総八]蜘場」~九一打でも、
「総合。それは、ひじょうに短いということだ。無数の状況、感受性、思想、感動、小突、シン
ポルを数分…に、わずかな言葉や身ぶりに圧縮すること」が強調されている。
 技術は、必ずしも速度の技術ではないが、近代技術つまりテクノロジーは、限りない速度への
九進として発展してきた。機械技術はまさにそのような速度テクノロジーの成果であり、近代社
会は、それが身体技術を代替し、また同時に身体技術に敵対する場となった。しかし、機械技術
は、その後の冊子技術に、くらべて、身体を個別的な排竹の有機的総く]としてとらえるところまで
は行っておらず、向動車のように身体を撚官的に分解せずにより速く移動させることをめざす。
これに対して、電子技術は、初期の冗話技術においても、身体を何らかの恋味で全体としてとら
えるのではなく、声帯11聴覚という器官とその他の器官というように微分と秋分の論理で身体を
とらえようとする。砿子技術にとっては、身体をどこまでも微分し、それを有機的に総く口できる
こと、また身体11有機体たるものを器官の切片から積分できることが進歩であるとみなされるの
で、この技術は、頭脳H器官のコンピューター化や、遺伝子操作による〃人間"の複製にまでた
どりっかざるをえない。つまり、速度とは企体性を微分・秋分する強度の関数なのであり、技術
は、身体がカ能として発揮できる速度を超える速度を身体に供給するときには、身体を諦携官の
総合u有機体としてとらえ、それらの諦器官を技術的に代狩する方向を促進させるものとして機
能するのである。
 身体に対する未来派の姿勢のなかには、身体粋官を機械によって代林したい、そしてさらには
それらを消滅させてしまいたいという映りない歌聖を見出すことができる。たとえば、一九一七
年にマリネッティが発表した『未来主義的タソスの宣一一一一}』のなかで叙述されている「機関銃のタ
ソス」では、バフォーマーは「機関銃の形をまね、その手を銃身のようにまっすぐ突き出す」の
であり、また「飛行者たちのタソス」では、バフォーマーは、飛行機を模倣することになってい
る。このような例は、ほかにもいくらでもあるが、こうした「バフォーマーの機械化」の行き着
いた枇致は、 エンリコ・プランポリー二の『搬なる速度』(一九二八年)だろう。ここではバフォ
ーマーは、生ま身の人…ではなく、動きと色を変える電光と機械的・電子的ノイズ〃であり、
まさに身体推官は完全に消失するのである。
 同じような仰向は、ドイソの新即物主推のなかにも見出せる。武田忠哉の『ノイエ・ザッハリ
ヒカイト』(延設杜、一九一三年)は、この運動の総括的な研究ではなく、目くばりが広かったと思
われるこの著者が、多数のドイツ語文献をモンタージュしながら、当時のドイツの〃最新動向"
をとらえようとしたものだが、ブレヒトの『リンドバーグ飛行』(『大洋横断飛行㎞)も新即物主義
の作品とみなしている木㍗は、そうした誤解のしかたをも含めて、ドイツ表坊主義の傍系として
発展したこの新即物主義がなぜナチズムの美学へつながってゆくかを期せずして示すことになっ
ている。
 武田忠哉は、「都会のノィェ・ザッハリヒカイト的把握」という市のη頭に、「n動車・飛行
機・ワンダフルな機械・レコードーすべてメカニズムの力は、私にとって何らの魅力でない」
というピエトロ・マスカーニの言葉をひき、これに対して、「われわれはここで以前の未来派に
よって発見された機械美1(柵散弾のようだ自動車の疾走から生じるところの)1がいかに
理代のおどろきであるか、それに対する、正しい認識が、前世紀の芸術にむかって、どういう改革
1(感情の数学的系統化)1を作川しえたかについて、再びくり・かえす必.袈をみとめない」
(注-引川に際し、表記を以代流に改めた)と断言する。というのも、ハインリッヒ・ハウザーが
「機械との平和』(一九一一八年)で一一.]うように、「今日、反機械主義作家は、タィブライターをもち
いて、彼等の反機械工大的な作^を生産する。明□、彼等は、それをディクタフオーソによって
流布するであろう」からである。武田によると、「すでにアクティヴィストによって椛成された
表理主推測は、しぱしぼそこでは『機械の破映』、が捉州されたにもかかわらず、それの茱調を制
約したスピード  (シナリオ的戯曲と映画的演出)  は、徹頭徹尾、機械的なものであった」。
 だから、、ベルリンは、ゲオルク・シュタインハウゼンが一.、言うように、「全生活のスピード」、
「交通機関と機械の騒音、速度、家と〃住地の変化、小作雌箏、エゾターテーソメソトヘのはげし
い追求、新しいものに対する永遠のハンティング」、「大都会市^の神経牛.沽」、「神休火弱から神
経症への移動」のゆえに"新川物主災的"たのであり、野秋放送は、(ただし「ノイエ・ザッハ
リヒカイトに沿うアナウンサー」が)「つねにルールに作拠しながら、試くHの逃、胆とミートした、
必災かつ充分な八H□内的報作を提出する」がゆえに"新川物キ.拍的"なのであるというわけだ。
 テクノロジーに対する礼讃も、ギュンター・ミュラーに依拠しな.から次のように示唆されてい
る  「『技術的なものの・、一つの"浪池派"。それは、危険の多い企業にふくまれた、特殊なも
の、大胆なもの、向うみずたもの、すなわち、コロンブスの企業のような一つの"浪漫派〃、発
見者、発則新、かつ、スポーツマンの浪洩派にほかならない。』こうして、企業家浪泄派は、気
分浪池派への完全なアンティボードである。『いま、技術と経済は市パ鍬の乎で、おのおのの仙人
を強伽し一個人の経験と気分に少しもかまわずにそれみずからのコースを歩いてゆく。ノイエ・
ザッハリヒカイト文学はそれへ一致しなければならない』」。
 速度への執着は、速度の技術が生み出すディレンマであり、それを正当化するのがファシズム
である。速度の技術は、身体と諸器官と細胞、さらに電子情報の諸単位に分割ししかるのち
にそれらを統合しようとする。しかし、そのような微分化も積分化も決してうまくはいかないの
で、この技術は、これらの諦"部分"を一挙に無化する技術一つまりは死の技術-に行き祈
かざるを得ない。未来派、新川物主義、ハイテックーーハィタッチの美学と、ファシズムの.死のロ
マン主義とのあいだにはさほどの距離がない。
 今日の死は、ナチズムの強制収奔所における苦悶と恐怖の死ではなくて、核爆発に象徴される
一瞬の消火と忘却の死である。これは、ある菰味で、速度の技術が身体を排官化しようとするあ
まり、それを原質料にまで微分化してしまうことにほかたらない。このことを理解するためには、
浅田彰がドゥルーズとガタリの「堺官なき身体」に関して次のように言っていることが役に立っ
1「『ちびくろさんぼ』という童訴がありまして、トラが木のまわりを走り回るんですが、余り
にも速く走ったがために溶けてバターになってしまうという、きわめてイメージ喚起的た場面が
山てくる。〈播官なき身体)というのはそのバターのようなものだと。即ち逝醐がその楓眼にま
で逃したときに、いわば迦勅のn策としての静止、あるいは差火のn乗としての同一性の如きも
のが現われる。そういう一次元上の原賃料のようなものをく排官なき身体Vとよんでいるわけで
す」(逃走論 筑牒書房)。
 しかし、断わっておかなけれぼなら次いが、ここで言われているく器官なき身体)はドゥルー
ズとガタリが『ミル・プラトー』のたかで言っている「器官なき身体」とは無関係であり、それ
どころか、これは彼らの「榊官なき身体」を未来派的に巾解したものにすぎない。ドゥルーズと
ガタリは、逆に、今日の速度の技術が身体を電子的な「原質料」にまで解体してしまうような動
向に対して「いかにして自分n身を器官なき身体にするか」と問うているのであり、速度の技術
によってではなく、遅延の技術によってそれを行なおうとするのである。まさに、オルガスムと
は、こうした身体的た遅延の技術から来るのであり、"マゾヒスト〃が体を紺るのも、あなたが
射精抑制剤を使うのも、身体から速度の技術を追い出すためなのだ。ドゥルーズとガタリn身、
次のように言っている。
「器官なき身体をあまりに激越た莇作で解放したり、地胴を一思いにふっ飛ばしてしまったら、
平面を作り上げるどころか、きみはブラック・ホールにおちこんで、破局をむかえ、日分を死に
追いやることになりかねない。最悪なのは、地順化されたまま、紅繊され、意味され、胴服した
まま留まることではなく、地胴を自殺的錯乱的な崩壊に追いやって」まうこと、地膳がこうして
再びわれわれの上に、いっそう重.く、いつまでものしかかってくることなのだ。そこで、われわ
れのなすべきことは、一つの地層の上にまず落ち着くこと、それがわれわれに与える機会を試す
こと、そこに好ましい場所や運動、場合によっては脱領土、可能な逃走線をさがし求めること、
こうしたことを試みながら、あちらこちらで流れの結合を確立し、各線分ごとに強度の連続休を
試み、つねに新しい大地の小さな断片を手にいれることだ」(宇野邦一訳「いかにしてみずからを榊
官なき身体に作るか」、『理代思想』一九八二年二一月号)。
 遅延の身体技術とは、ドゥルーズとガタリ流に言えば、「動物になること、分子になること」
つまりは非電子的になることを可能にするためのものであるが、これは、身体が電子テクノロジ
ーを棄てて"裸身"に立ちかえることによって得られるわけではたい。むしろ、間魎は、アルト
ーが、「俳優の場合は、身体が呼吸によって支えられているのに対して、レスリングや肉体的体
操の選手の場合は、呼吸が体にささえられている」(安党信也訳『演蜘とその形而上学』内水柱)と言
っているように方向の相違なのだ。ハイテックを拒否する身体が電子的になってしまうこともあ
りうるのであり、今日のファシズムの問題は、むしろ、テクノロジーに対する選択がほとんど不
可能であるかにみえる点に集約されている。
  





遊歩と漂泊の終焉



〃漂泊"や〃亡命"という"、n菓のもつある種の魅力や喚起力は、これらの言葉が〃軌突"とのレ
フェレソシャルな関係を失い、概念のパラノイアを増殖させているところから来る。漂泊とはた
えざるさまよいであり、亡命とはつかのまの滞在である。しかし、現代は、漂泊することを不可
能にし、かつまた滞在することをも不可能にする。
 漂泊するためには差異が存在しなければならないが、それは、もはや概念と伍子的位柵のなか
にしかなく、〃現実"世界は同一性によって支配されている。また、滞在するためには持続が保
証されなげれぱならたいが、持続はいまや、電子の点的-瞬間性にとってかわられた。
 このような動向を一貫して思考したのは、マルティン・ハイデッガーである。彼の思考は、ヘ
ラクレイトスが『断片』第一一九で「エートス・アントロポー・ダィモーソ」と言っていること
が失われてしまったことの確認とその硲獲得のうえを動いている。ハイデッガーによると、この
断片は「人…が人間であるかぎり、人問は神の近くに住まう」と訳される(『ヒューマニズムをこえ
て』一九五九年版)。しかし、人…はもはや「神の近くに住んで」はいない。人問は、テクノロジ
ーとひきかえにあらゆる抑々を失ったからである。二-チエがのちに「神の死」としていささか
ヒステリックに言い表わした箏態をヘルダーリンはそれより一世紀もまえに「神の欠如」、「神々
の逃走」として洞察していた。ハイデッガーによれば、「神の欠如とは、いかなる神も人㎜や事
物を神白身の方にもはや㎜雄かつ一義的には來約することがなく、そして神がそのよう欣炎約作
用によって世界史と世界史のなかへの人…の滞在とを結びあわせることがない、という意味であ
る」(「森の辿」一九六三年版)。「神の欠如」の時代は、「世界の夜の時代」であり、その「乏しさ」
は時代が下るごとに度を加え、「もはや神の欠如を欠如として認めることができない」。ポスト・
モダンとは、モグソーつまりは「世界の夜の時代」-があたかも永劫…帰的に牢砿する叶代
であり、ハイデッガーが別の文脈で言ったようだ「飛び去った神々はすでになく、来たるべき抑
神もいまだないという二爪の欠乏と否定」(『ヘルダーリンの詩の解川』一九六三年版)が批高庇に高
まる時代である。この時代が、ある意味では最高度に"削るい"時代であるのは、「神性の輝き
が世界史から消え火せ」、「世界の夜」が最高度に暗さを珊したために、別の"光"を最高度に導
入しなけれぼならなくたったためである。二ーチヱの「もの狂いの人」(「悦ばしき知識」)は「白
昼から捉慨に卵がりをともして街の広場にあらわれ、『わたしは神を探している!私は神を探
している』と叫んだ」が、今日ではこの「捉雌」がコンピューターを内蔵したレーザー・ビーム
にまで過激化した。
「世界の夜」は、いまやそれを夜として認めることができないほど"白夜〃化してしまったので、
それをもっと明るくするためには核の大爆発を必班とするくらいだ。
 漂泊と亡命の不可能性は、都市の終末に対応している。かつてわたしは、「遍燃放浪とは、理す
るに、言語と身体性(意識と身体との総合)としてのミクロ都市をもち歩くことである」(KAWA-
SHIMA)第五号、一九八一年、および『都市の記憶』創林杜)と書いたことがあるが、こうした原都
市からフィジカルな意味での都市にいたるすべての都市の終末へ向かう動向の強まりのなかで、
漂泊と亡命は根底から.小可能になる。『テリトリーの不安全性』や『失蛛の英学』の著者ポール・
ヴィリリォは、シィルヴィル・口トリソジェとの対話集『純粋戦争』(一九八三年)のなかで、「わ
れわれは脱-那市化のただなかにおり」、「もはや大いなる遊牧的漂泊という恵味での遊牧社会は
ない」のだと言っている。「新しい灯郁は、ニューヨーク、パリ、モスクワのような空…的首都、
つまり特定の場所、逝脇の交差点に位附する都市、ではもはやなく、時…の突用性の交差点、換
言すれば速度の交差点に位附する都市である。おそらく、そのようなものがいまでは〃永遠の
都"たのだ。ローマやエルサレムのような伽域、帝国、信仰の首都ではなく、時間の終末の竹郁
である。
 このような班態が生じたのは、ヴィリリォによると、「代謝性の速度」を「テクノロジー的な
速度」に転扱する技術が過剰に発送し、速度の所有が暴力と権力となり、速度の生産と消費が経
済となったからである。ここでは、金や権力をもっているということは「速い」ということと同
義であり、政治も速度の閉胆となる。「地形学は時……形態学にとって代わられ」、ゲオポリテイク
スはクロノポリティクスになる。従って今日の軍事は、領土の追求ではなく、時間の追求となる。
「すでに、近代戦は空間から時間に移行してきた。近代戦はすでに時川の戦争である。むろん、
戦争は依然としてどこかの場所で起こるわけだが、その場所で皿.要なのは空間よりもはるかに時
㎜の方なのだ。軍事空間はまず第一に、技術空閑であり、時間の場、攻撃と反撃の速度の場なの
である」。その恵味で、「原子力の危険は、人口の破壊という観点からよりも、社会的な時則性の
破壊という観点から見られるべきである」。
 キューバ危機後、フルシチョフとケネディとのあいだにホットニブインが設雌されたが、これ
は、瞬間的な政策決定のはしりである。阯界政治をデモクラシーによってではなく、瞬…灼なリ
アクション・タイムによって決定することが核政治の基礎になったからである。ヴィリリオも言一]
うように、「テモクラツー、協議といった政治の基本には時間が必要である」が、そのような時間
はますます短縮されつつある。ヴィリリオが「迅走制(dromcrcy)」と名づける政治の"主体〃
は人々ではなく、コンピューター化された宙子機撚であ・る。たとえば、核を保有する超大的の一
方から他方に向かって核、、・ザイルが発射されたとき、それが大陸を枇断する時…はたかだか一五
分であり、それがドロウムクラシーの反応時…とたる。しかし、一九八三年三月のレーガン・ス
ピーチとともに打…胆になった「スター・ウォーズ打、山」は、映、川『スター・ウォー-ズ』のコンセ
プトをψ小的に大川化しようというものだが、一九九〇年代には北川段附に入るといわれるこの
レーザー光線一兵排のビームの到迷速度は教ミリ・セコンドという光速度となり、人…の代謝的な
反省時間が介入する余地はなくなる。光速度とは速度の楓眼であり、速、屹のかぎりない追求は、
光と光の技術へ向かわざるをえない。エレクトロニックスは、そうした技術の一つであり、その
ような技術がすべての知域を照らし出すとき、まさにフェリックス・ガタリが「脱属領化(deter-
ritorialisation)」と呼んだ運動過程が完成するのである。ここにおいて、時間の持続としての歴史
は終わり、脈…作と迦在性の支配がはじまるわけである。
 移勅が身体的な移動から機械的な秒莇に移行しようとしていた一九阯紀のヨーロッパ都市で、
源汕と亡命の日常的形態は街路における遊歩とショッピングであった。ボードレールは、「杵集」
(一八六一」年)という散文詩のなかで、「桝災のなかに浴みする」「孤独な、考え淡い遊歩.省」につ
いて、「己れの孤独を雑杵によってみたす術を知らない者は、劣■忙な行人の桝の巾にあって蚊早
ただ一人であることは出来ない」が、「た易く桝火と結婚する者は、熱狂的な快楽を知っている。
それこそ、焔のように閉ざされたエゴイストや、軟体莇物のよう・に足を傘われたなまけ杵には、
永久に未知のものであるL(『ボードレール全集』1、人文抑院)と誓いた。ワルター・ベンヤミンは、
のちにボードレールのこの「遊歩者」の帷史的煎味を鋭く捉えなおしたが、ベンヤミンによると、
「もしパサージュがなかったら、遊歩があれほど意味ぶかいものにまで充以することは、難しか
ったろう」(ヴァルターベンヤミン著作集』6、晶文杜)という。ボードレールの時代には、「パサ
ージュはまだ焚好されていて、そこでなら遊歩考は、歩行米を{.外にもかけずに行く馬小を、見
ずにすんでいた。群災に割りこんでくる苅行人もいたが、いまだに遊水ホもいて、他かであれあ
いた牢川を私的に利川しようとしていた。かれは一個の人格としてぶらつきながら、分業がひと
びとをψ門的峨莱人に仕立てることにたいして、またひとびとの灼勉さにたいして、プロテスト
していた。一八四〇年には一時、犯をパサージュで散歩させることが、上品なことと見なされた。
遊歩者は好んでその犯のテンポで歩いた」。
 このようた遊歩者は、ブルジコワジーの直系だが、その多くは厄介者、寄食者、年企火活者、
廃嫡考といったブルジョワジーの"おちこぼれ〃であり、ボードレールn身、水賃の支払い期限
がくると、友人宅から友人宅へといった漂泊化活をしたのだった。ベンヤミンは、実に魅力的な
箏致で、「街路が遊歩新の住〃となる。遊歩者は、市民が白毛の四方の雌のなかに住むように、
家々の正面と正面のあいだに住む。かれにとっては、商店のきらきら光る折板が、市民にとって
の客間の油絵と同じもの、それ以上のもの、壁の装飾なのであり、家の壁が書斎の机であって、
かれはかれのメモ帳をそこに押してある。新開売りの屋台がかれの抑庫、喫茶店のテラスがかれ
の出窓だ」1と書いているが、遊歩者には、もともとブルジョワジーの「室内」から追放され
ているという事情があったのである。
 漂泊者や亡命者は、支配体制からの自発的な脱出者であるか、支配体制の、再編によって追放さ
れた"難民"である。ボードレールが『悪の華』や『パリの憂愁』で詠ったパリは、体制の再編
を蚊もフィジカルにあらわす都市政遣によって、その相貌を変えつつあった。ベンヤ、ミンによる
と、ナポレオン三世の治下(一八四八~五二年)でジョルジューーウジエーヌ・オスマンが企てたバ
リの大改逃は、二月革命のような「内乱に対してこの都市を防衛すること」であり、オスマンは、
「バリ市内にバリケードを構築することを、未来永劫にわたって不可能ならしめようと欲した」。
それゆえ、ポiトレールは、一八六〇年に発表し、のちに『忠の華』のW版に収めた「白篶」の
なかで、「廿いパリは蚊早ない(都市の形は/人の心よりも尚早く、ああ、変ってしまうものだ)」、
「パリは変る! しかし僕の憂雌の巾では何ひとつ/莇いたものはなかった!新しい宮殿、組
んだ足場、心の塊り/古びた場末町、すべては僕にとって伐芯となった/そして僕のなつかしい
思い出は科よりも尚並い」(『ボードレール全集』1)と詠う。ボードレールは、ある恋味で、彼が
かつて住み、そこから追放された「室内」の記憶をパサージュの遊班のなかで再想起しようとし
ている。
 その意味では、パサージュは、旧体制から追放された潜在的な"造反分子〃を懐柔する文化装
雌でもあった。ガラスばりの天井をもつパリのバサージュは、オスマンの都市改造の産物であり、
その点では、極めて人工的な産物であったが、この人工的な遊歩空間は、それまでは馬車の交通
を気にしなければ行なうことができなかった街頭での遊歩を専念して行なうことを可能にした。
だからそれは、ある恵味で、旧体制の〃おちこぼれ。としての遊歩者の時間一それは歩くリズ
ムに象徴される1を閉いこむという形で管理する装雌にもなったのであり、そうすることによ
って、バリケードのようなフィジカルな造反だけでなく、都市の失われた記憶への欲求が充たさ
れないことから生ずるかもしれぬパラノイア的な文化的造反をまえもって阻止したのである。
 ナポレオン三世治下のバリの都市改造が、たとえば日本の全共闘運動以後に全面的に都市の敷
石をアスファルト化したような一面的な支配ではなく、身体時間の管理をも射程に入れた周到な
支配であったことを考えるとき、パサージュがやがて遊歩の場ではなく、ショッピングの通行路
に変質し、遊歩者が新しい消費者のモデルとしてシステムのなかにとりこまれていったことが納
得できるだろう。ボードレールは一八六七年に世を去るが、この年にパリ万国博覧会が開かれて
いる。これは、ブルジョワジーを消費者として再、編成する象徴的な国際行事であるが、こうした
プロセスのなかで出現した消政者は、その身体的な時間性を、ショッピングにおいては遊歩のゆ
ったりした時間性から、街路の通行においては機械の能率的な時…性から、適度に分業的に取り
入れた。ベンヤミンは、この間の変化をさりげなく、ボードレールの願いからすれば進歩の歩み
は「亀のテンポ」でなけれぱならなかったろうが、「しかし大勢を制したのはかれではなく、『く
たばれ遊歩』をスローガンにしたテイラーだった」と記している。いまや、遊歩老が群集のなか
を漂泊するのではなくて、群集が遊歩者をのみこんで消費老となる。ベソヤ、ミソは、「街路は遊
歩者にとっての室内だが、その古典的形態がバサージュたとすれば、その頽廃形態が百貨店であ
る」という鋭い洞察を加えているが、最後の遊歩老にとっては、「かつては街路がかれの室内と
なったのだが、いまやこの室内がかれの街路となっていて、かれはこの商品の迷宮のなかを、以
前都市の迷宮のなかを枕程したように、さまよい歩く」のであり、この最後の遊歩者と消費者と
の和連は、前者が金を所持していないという点にすぎないところまで進む。
 しかし、消費者が遊歩者から一方的に狸造されたものではなく、遊歩者白身も、同時に消費者
であったということを想起する必要がある。バリの遊歩老は、大凡皿生産品の消費に憂き身をやつ
しはしなかったが、「大都市で売淫がとった形態においては、女は商品であるばかりではなく、
精確な意味において大量生産品でもある」とベンヤミンが言う意味での娼婦を遊歩老は消費した。
従って、街路から街路、娼家から娼家を漂泊する遊歩者は、店舗から店舗、流行品から流行品の
あいだを漂泊する消費者の先駆形態であり、唯一のちがいは、前者が後者のように資本の流れと
しての時間によってまだ大衆として組織されてはいなかったということであろう。
 最後の遊歩者とともに、都市の漂泊と亡命は消滅しはじめるが、あらゆるテリトリーが電予的
に紅繊されようとしている今日でも、屈折した形で遊歩者は存在する。遊歩者は、全体性を有す
る"主体"としては消滅したが、本来的には漂泊や亡命を許さない現代のシステムがときにその
紅繊性のなかにある種の"ゆらぎ"や"きしみ"をはらむとき、あるいは現代のいかに組織され
たシステムであっても必ずどこかにもっているような"あそび〃ないしは"ゆるみ〃のたかで、
遊歩の身ぶりと形式がたちあらわれるのである。
 漂泊と亡命とは、それらの存在余地を奪われるにつれて、たがいに補完しあう形で生きのびた。
すなわち、さまよい続けることも、つかのまとどまり続けることも不可能になるにつれて、さま
よいながら立ち止まり、立ち止まりながらさまようことが、漂泊と亡命の共通形式となった。ま
だ漂泊や亡命が可能だったころ、漂泊と亡命は別々に存在することもできた。漂泊や亡命を規定
しているのは、別の時…性-制度化された時間性よりも遅延化された時間性1をつくりだす
ことだった。しかし、いまや別の時間性を構成することは不可能である。可能なことは、制度化
された時間性をつかのま切断し空虚にすることだげである。
 遊歩は、もはや逃延化によってではなく、持続の間断なき切断-シソコペィションとラグタ
イムによって規定されるのであり、遊歩は破竹の身ぶりをおびて、遊歩者は蛇行者に近づく。
アドルノは、雁屋へのベンヤミンの執着を批判している(一九三八年一一月一〇日付のベンヤミン宛
手紙、大久保健治訳『ヴプルタi.ペソヤ、ミソ』河川血H〃新札)が、両者のあいだには遊歩老の可能性
についての状況認識の柵違があり、ベソヤ、ミソはアドルノよりもオプティミスティックだったと
いうことが班実だとしても、ベンヤミンが遊歩者と柵娃との関係を洞察していたということは、
彼がすでに遊歩老の危機を知りぬいていたことを菰味する。ベンヤミンは、ボードレールの『悪
の華』(初版)所収の詩「推崖の酒」の前身をなす政文を引用しながら、詩人と府屋との類縁性を
次のように強調する。
「この長い揃写は、ボードレールの考える詩人のふるまいの、無数の隠楡である。暦屋であれ詩
人であれ屑にかかわりあう。両者とも、市民が眠りほうけている時刻に、ひとり白身の仕泰
へ向かう。両者にあっては身ぶりまでが同一である。ナタールはボードレールの刃心激で不規則
な歩きかた』について諮っている。これは、舳の獲物をもとめて市中を枕僅する詩人の歩みなの
だが、途上で侮一膀に立ちどまって口に触れたゴミを拾いあげる、府屋の歩みでもあるにちがいな
い」(『ヴァルター・ベンヤミン若作集』6)。
 ベソヤ、ミソは、ボードレールが府屋の諾特徴に「終始関心をいだき続けた」と言っているが、
そのようた関心はベソヤ、ミソにおいて一層強化される。すでに、ベンヤミンが詩人11遊歩者とし
てのボードレールを腋崖に近づけるとき、そこには遊歩者が危機に湖している二〇世紀の社会的
フィルターがかげられていることを否定することができないが、少なくともベソヤミンの時代に
は遊歩者は珊屋としてしか存在できなくなった。しかも、ボードレールの時代にはまだ「急激で
不規則」であった遊歩が、ベソヤミンの時代には、街路がショウウィンドをもつ商品の〃ギャラ
リー〃となり、歩行に"ウィンドショッピング〃のリズムが付加されることによってもっと変則
な蛇行となるのである。
 ハンナ・アレソトは、ベンヤミンの歩き方に関してマックス・リュヒナーが「進むと同時に立
ち止まる、両者の奇妙た況公物」と評しているのを引きながら、それを彼の思考の特徴とLてと
らえようとしている(阿部斉秋『眈い時代の人々』河出書房新杜)。おそらく、その遊歩の身ぶりは、
一九世紀の府膣の身ぶりよりもながく立ち止まり、そしてまた急激に歩きはじめるような飛蹄の
多い身ぶりであったはずだ。アレソトは、ここから、ベンヤミンの1いわば漂泊すると同時に
亡命する一遊歩者=屑屋的な===的思考を彼自身の論述と思考スタイルに結びつけて次のよう
こは書く。
「事物がその隠れた意味のなかにみずからを示すのは、かれにとっては大都市の群衆のなかを、
かれらの忙しい、目的のある活莇とはまったく対照的にあてどもなく遊歩するときであった。
『過去の真の表象はちらりとしか現われない』(『歴史哲学テーゼ)のであり、無為に歩きまわる
遊歩者だけがそのメッセージを受けとるのである」と。
 エルンスト・ブロッホもまた、ベンヤミンがベルリンの目抜き通りのクーアフュルステソダム
(従ってそこには流行商品をならべた商店がつらなる)を「もの思いにふけって、頭をうつむけ
て歩いている」のに出会ったと記しながら、彼が「刷次的なものへの感覚」、「恋味深い細部を見
る比類のない目を持っていた」と証言している(好村扁士彦監訳『ベンヤミンの肖像』西田書店)。ベ
ンヤミンの遊歩者的な思考は、いわば雌史を脱椎築することに力点が肝かれていたが、ブロッホ
によると、この「すぐれた歴史家は『背:・…アリキ』というオダリスクのいる娼家で自分のカを
消耗したりしない。彼はむしろこの連続性、歴史の述続性そのものを爆破し、〈いまという時V
とその消息を思うままあやつるすべを心得ている」のであり、このくいまという時Vにおいて、
「長いこと忘れられていたものが突然くいまVになる」のである(飾娼讐)。
 それは、平板に組織された時…の流れ、「抑圧された過去」にショックを与え、その流れを一
旦停止させることであり、そのとぎひとは"遊歩者〃になる。ベンヤミンは、「歴史哲学テーゼ」
(『ヴァルター・ペソヤ、ミソ新作炎』1、・㎜文杜)のなかで、「考えるということは、思考の運動のみた
らず、思考の停止をもふくむ」と言い、そのような「思考の立ち止まり」のなかで、ベンヤミン
が独得の意味をこめて使う「歴史的唯物論者」は、「生起するものを停止させるメシアの合図を
1いいかえれば、抑圧された過去を解放する闘箏のなかでの革命的なチャンスの合図を1認
識するのだ」と言っている。
 しカしながら、問題は、こうしたー時間の流れを根底から組替えてしまうようなー「立
ち止まり」が不可能にたり、「メシアの到来」が限りなくひきのぱされているということである。
どんなやり方で立ち止まるとしても、あなたは走り続けるエレベーターに乗っているのである。
また、これに対応して、雁厘であることも不可能になる。というのは、アドルノが言ったように、
「アウシュヴィッツ以後のあらゆる文化は、そのさしせまった批判ともども廃物」となり、府と
暦でないものとを区別することが困難になったからである。意味をすべてシニフィアンの然火に
還元する記号学がすべての領域で〃現実性"をもつようになるのはまさにこの「アウシュヴィッ
ツ以後」の状況においてであるが、その差異は、過去が未来と出会うことによって火花をもらす
たかで生まれるようなベソヤ、ミソ流の「弁証法的」差火ではなく、未来としてのプログラム化と
コード化とがそれらのストックとしてとらえられた雌史と無意識を椛成するところに生ずる差異
にすぎない。
"屑屋"的であれ、〃破竹"的であれ、遊歩1つまりは漂泊や亡命1を思考形式とみなす思
考は、ヘラクレイトスの「わたしにではなくて、ロゴスに聴従して、万物が一つであることを認
めるのが智というものだ」(『断片』第五〇)という言葉にさかのぼらなけれぱたらない。遊歩の思
考者にとって、この「ロゴス」は街路であり言語であるが、エレクトロニックスの時代には、こ
の「ロゴメ」が寛子の束とたる。近代の「わたし」は、街路と言語としてのロゴスにわが身をひ
きわたしたあとで、いまやポスト・モダンの「わたし」は、恒子としての「ロゴスに聴従する」
ことを要求されている。いずれ「わたし」は新しい「ロゴスに聴従する」適切な技術を見出すで
あろうし、「ロゴス」は、いずれ「わたし」を聴従させるだろう。しかし、「わたし」はすでにあ
まりに街路的・言語的に「ロゴス」化されてしまったので、そのわが身をまだ新たなロゴスに従
わせることができなくてテクノストレスに悩まされている。
 問題は、「ロゴスに聴従する」速度にある。街路と言語のロゴスは、「わたし」の代謝の速度に
さしあたりつきあった。が、電子のロゴスは、代謝の速度を無視して一挙に光速庇で「ロゴスに
聴従する」ことを要求する。速度への「わたし」の限りない飢餓はこのようにして生まれる。し
かし、電子的な「ロゴスに聴従する」ということは、「わたし」の代謝的速度を光速度にまで高
めることだろうか?
 ポスト.モダニズムを一つの歴史的位相としてではなく、歴史の終末とみなし、花子怖批資木
主義の現段階を歴史の到達点にすりかえる現状肯定論者のなかには、班布のテクノロジーの進歩
がいずれは身体の代謝的速度を光速度にまで近づけることを可能にすると考え、「わたし」のア
ンドロイド化に賭ける者がいる。しかし、それが可能であるかどうかという以前の㎜題として、
このポスト.モダニズムは、「わたし」が負っている歴史的れ債を一挙に踏み倒せると思ってい
る点で非現実的である。閲迦は、まだ「わたし」が新たな「ロゴスに聴従する」準備段階にある
ということを認めることであり、街路的 言語的なロゴスの歴史的負債をもうとりかえしがつか
ぬほど負っている「わたし」をとりあえずそこから解放することなのだ。言うまでもなく、ハイ
デッガーが「準備的思考」と呼んだものはそのようなものの一つであったし、ドゥルーズとガタ
リが行なっている街路的二言語的戦略も、この軌道のうえを動いている。
 たとえば、ドゥルーズとガタリは、『カフカ』のなかで、「世界の歴史は、全く永劫回帰によっ
てではなくて、つねに新しく、ますますしっかりしたセグメントの推進力によってつくられる
から、このセグメント化の速度、セグメント的なこの生産速度は加速され、セグメント化された
セリiはせきたてられ、そのセリーにさらに別のセリーが付け加えられるだろう」と言い、「加
速またはセグメント的な珊殖というこの方法」がやがて「絶対的な分子的脱属領化」をもたらす
だろうと言う(一九七五年版)。しかし、このことは、資本主義の現段階とテクノロジーの動向を
肯定し、それらをウルトラ資本主義に向かって「加速」させるということを主張しているわけで
はない。たしかにガタリには、あ・る種のテクノロジー的生産力主義のきらいがないでもないが、
この「加速の方法」は、第一義的には、「文学機械」における一言語的生産力とテクノロジーを加
速させる方法として提起されており、だからこそ、ドゥルーズとガタリは、「セグメントの沈殿
した連鎖を破るために公式の革命を期待することができないので、文学機械に頼るのであり、こ
の機械は、アメリカニズム、ファシズム、官僚制といったすべてのく悪しき力Vが構築されるま
えに、そうしたH〔資本主義的欲求、ファシスト的欲求、官僚制的欲求、そしてタナトスの〕沈殿の先に進
み、この力を超克することになるのである一すなわち、カフカが言ったように、鏡であるより
も進む鏡であること」というふうに言うわけである。
 ここでは、カフカが必ずしもこのようには言っていたいということをとやかく言う必要はない。
重要たのは、世界を「文学」としてではなく「文学機械」としてとらえる戦略であり、その有効
性である。「機械」にはもはや遊歩者が存在する余地はないだろう。「文学機械」に関わるのは遊
歩者ではなく、技術者であり、そしてメカニズムそのものである。しかし、これは遊歩者がすで
に置かれている現状であって、選択ではない。考えてみれば、遊歩がまだ可能であった時代にお
いてすでに、遊歩者は、制度化された生産システムからは追放されていたにしても、言語的生産
機械のもとで働く労働者であり、その技術者であり、そしてそのメカニズムだった。この世界は、
金融システムのような制度的世界からみれば、まだ多くの"あそび〃や"すき〃をもっているよ
うにみえたかもしれないが、情報の観点からみれば、碓突に組織されていた。ドゥルーズは、
『アンチ・エディプス』で「提案したのは、劇場とか家族といった無恋識のモデルを、ずっと政
治的なモデルにおきかえることでした。つまり、劇場のかわりに工場をおこう、というわけです。
ちょうど、ロシアの『構成主義』のような具合にね。そこから現われてきたのが、欲望機械によ
る欲望生産、という理念だったんです」(松枝到訳「『アンチ・エディプス』から『千の高原』へ」、『現代
思想』一九八四年九月臨時珊刊号)と言っているが、「欲望機械」、「文学機械」、「闘争機械」、「戦争
機械」等は、すでにそう呼ぱれてしかるべきであった離態を最終的にそう呼んだものであるにす
ぎず、こうした思考と表現がより一層徹底化することのなかで、漂泊と亡命の時代1つまりは
遊歩、街路、言語の時代一を最終的に超克する手がかりが得られるように思われる。
 とはいえ、このことは、ドゥルーズとガタリの思考と表現を特権的なものとみなすことを意味
しない。すでにハイデッガーは、このような戦略を、「物への関わりのうちにおげる放下」(『放
下』一九五九年版、チュービソゲソ)という言い方で示唆していたが、彼は既存の諦概念を「……機
械」と呼びなおすことを一歩進んで、その言語表現を「機械」として、従ってその言語の一つひ
とつを「アシャソスマソ」として組み立てることを実際に行なってみせたのだった。そうした
「機械」は、それ白身を解体させるために仮設されたのだが、それはまだ本来の機能を発桝せず
に回転じ続けている。
  




アンドロイドか身体か?



 情報資本主義の白已転換的側mと自己崩壊的側面とを自らの身体を賂げて思考した思想家の一
人にワルター・ベソヤ、ミソがいる。ベンヤミンについてはすでに多くが語られ、杯かれてきたこ
とを知りながら、あえて一」のようなもってまわった言い方をするのは、ベンヤミンの生涯とベン
ヤミンの思想に対して従来とは別のアプローチを提起しようとするためだ。
 わたしがワルター・ベンヤミンの名を知ったのは、彼のカフカ論を迦じてだった。ハリー・イ
ェルフの『ヵフヵ11文献』(一九六一年)を片手に、まるで古木の取引き業者のように、片端から
チェックして、手に入るものを読みあさっていたとき、アドルノ編の『著作集』第二巻(一九五
五年)所収のカフカ論に出会ったのである。
 その間に、ベンヤミンは、「芸術品の技術的な複製可能性の時代における芸術品」(邦訳「複製技
術時代の芸術作品」)の作老として、また、多少の違有感を感じさせるが一フランクフルト学一派Lの
胴辺に属してファシズム文化批判を行なった特異な思想家として定着し、さまざまなところで目
に触れる存在になっていった。これは、明らかにニュー・レフト運動の影響であり、とりわけハ
ーバード・マルクーゼがニュー・レフトの"教祖的"存在になり、フランクフルト学派やへーゲ
リアン・マルクス主義への関心が急に尚まり、その副産物としてベソヤ、ミソにも関心のスポット
が当てられたのである。その意味で、一九六五年にマルクーゼのあとがきが付いて出された普及
版『性力の批判によせて、および他の論文』(邦訳川娃力批判論』)は、ベンヤミンの"大衆化〃に
大いに貢献した。
 しかし、〃大衆化"されたベンヤミン(あるいはベソヤ、ミソ像)は、それがフランクフルト学
派の流れのたかから引き出される場合も、また「複拠技術時代の芸術作品」におけるメディア論
から再柑築される場合も、どこかで撞着を起こす。ベソヤ、・・ソを一つの顔で表象するのは難しい
のであって、彼が一九四〇年にフランス岬枕沿いのスペインの村ポルト・ポゥで睡眠薬n殺した
とき、ニューヨークの亡命紙の『アウフバゥ』がベンヤミンの肩篶きを「著名な心理学者」と記
したのは、必ずしも新…の非常識のためではなかった。彼の仕事を既存のジャンルに分類するこ
とは難しく、そもそも"学者〃、"ジャーナリスト〃、"…心想家"、"エッセイスト〃といった職業的
分類が彼には通用しなかったのである。
 いまでは、英語にも"哲学者批評家"という言葉があり、これは、ベンヤミンにこそふさわし
い肩書きであろうが、それでは彼が一体どのような"哲学者批評家"だったのかという段になる
と、大いに意見が分かれるのである。すでに生前から、彼は決して一定の思想傲向のなかで動い
ていたわけではなかった。しばしばベンヤミン伝で問題にされるブレヒト、アドルノ、ショーレ
ムとのあいだを揺れ助く彼の思想的距離関係と見えるものは、必ずしもベンヤミンの彼らに対す
る人間的.思想的な関係の迷いや動揺を意味しているのではなく、彼の関心と間越意識の脱領域
的な性格を示唆していると解すべきだろう。
 ベンヤミンは、別に、"左翼〃としての体裁を保っためにブレヒトに近づき、ブレヒトの叙事
詩的洲劇の技法を支持したのではなかったし、また、同様に、ショーレムの"ユダヤ神秘宝鶏〃
への関心は、彼のマルクス主義的な関心の対極にあったわけではなかった。彼にとってマルクス
主義もジュタイズムも、身体技術とテクノロジーへの関心から発したものであって、このことは、
「歴史哲学テーゼ」からも十分察することができる。あえて図式的にいえば、ベンヤミンにとっ
て、マルクス主裁は身体技術の現在的位相を、ジュタイズムは身体技術の過去的位相とテクノロ
ジーの未来的位和を論じうるかぎりで重要だったにすぎないようにみえる。ブレヒト演劇への関
心は、テクノロジーに攻㎜された身体をテクノロジーのやり方とは別様に、身体技術(「身ぶりの
引一川」)を動員して「処世」しようとする点で生じたのであり、ジュダィスムは、その神秘主義の
方向においてではなく、むしろ、テクノロジーが光膿した時点において理おれるだろう人工匁能
やアンドロイド(「新しい天使」!)の世界をそれが先取りしているかぎりで意味があったのだとい
えるような射程をも含んでいる。
 ベンヤミンにとってマルクス主義やジュダィスムよりも方法論的に重要だったのは、いわば
"ミクロロギッシ戸な("微視学的"とでもいうべき)方法であり、これが、アドルノとの持続
的な関係の底にあった(拙劣H批判の回路』創樹杜、参照)。アドルノは、このことをはっきりと見
抜き、「ベンヤミンは、大きな真実内容をミクロロギッシュたディテールにおいて探求した」(「ベ
ンヤミン哲学の映閉」、大久保健治秋「ヴァルター・ベンヤミン』河川世〃新杜)といっている。
 このミクロロギッシュなディテールヘの執祈は、いうまでもなく、すでにヵフヵにおいて徹底
的に跳使されたものであり、この点を確実にとらえている点でベソヤ、ミソとアドルノとのあいだ
には1その思考方法と関心の杣連にもかかわらずーカフカ理解の共通項を見出すことができ
るのである。おそらく、ベンヤミンにとって、カフカは、単にこうした方法論上の共感において
だけでなく、間魍恋識や気質の面においても、非常に身近な存在であったはずだ。カフカにおい
て、最大の閉胆は、情報と身体技術とテクノロジーであったからである。すでに、「カフカを世
俗的に読む」、「越境するシュールレアリスム」、「文化的」たたかさの底流」、「ブレヒトの異母兄
弟」(以上「主体の帳吹』未来社、所収)でも指摘したように、イーディヅシ演劇へのカフカの関心
も、その身体技術の可能性のためだった。披近ではパソス・ツィシュラーが「限りない楽しみ。
フランツ・カフカが映画に行く」(判フライポィター』第ニハ号、一九八三年、ベルリン)のなかで詳し
く追跡Lたように、無声映、画がカフカの創作に与えた影響は少なからざるものがあり、たとえば
『変身』は一つの無声映画的世界1したがって主人公は声を出さない/出せない一だという
解釈も成り立つのであり、映画に締集されているテクノロジーが人問を「変身」させるその極眼
をカフカは常に意識していたといってよい。
 パソス・マイヤーは、「ヴァルター・ベンヤミンとフランツ・カフカ」という論文のなかで、
「あの亡命時代披初の数年問のベンヤミンにとって、フランツ・カフカは1おそらく1かれ
の絶対的な同化像となる。ベンヤミンは、カフカの挫折において、かれ白身の挫折の不可避性を
指し示そうとし、おそらくはまた、それを正当化しようとした」(好村富士*訳「ベンヤミンの肖
像』西田書店)といっているが、ここでいわれている「挫折」は、カフカとベンヤミンがともにそ
の]的や願望を達成できずに終ったというようなことにとどまるものではない。たしかに、カフ
カは、自らの死を悟り遺稿の焼却を友人マックス・フロートに依煩した。ここならぱ生活してゆ
けると思った唯一の都市であるベルリンに移住したのも火の間、六ヵ月後には病気が悪化してプ
ラハに帰り、それから間もなく世を去るカフカの生涯のイメージは「挫折者」がふさわしい。ま
た、アドルノやホルクハイマーに励まされながらようやくニューヨiクベの亡命を決意し、多く
の困難と闘いながらピレネー越えをしてフランス国境近くのスベイソの村ポルト・ホウに到着し
ながら、ニューヨークヘの船が出るリスポソまでの列車のトランジット・ピザがおりず、絶望し
て死の道を選んだといわれるベンヤミンの生涯は、「挫折老」のイメージにふさわしい。
 しかし、見方を変えるならば、ヵフヵは自分の生涯を必ずしも「挫折」とは考えていなかった
ようにみえる。また、ベンヤミンも、マイヤーのいう「現代の都市住民および大都会の人問とし
てのカフカ」、「遊歩者カフカ」に心理的な同化を感じていたことは確かだとしても、カフカを通
常の意味での「挫折者」と考え、彼に同化していたのではなかったし、その死の瞬間においても
ベンヤミンは、自分を「挫折者」とは考えなかったのではないかと思う。
 マックス・フロートが、全集版の『審判』のあとがきのなかでふれているヵフヵの遺言的なメ
モのなかには、不思議なくらい感傷というものが感じられない。それは、カフカの自宅と窮務所
に残されている日記、ノート、手紙、原稿の類いをすべて焼却してくれることを依蜘したメモな
のだが、これでは、フロートがその"遺言〃に従わなかったのも無理もないと思われるような淡
淡とした調子で要件が述べられている。これは、カフカが自分の人生を失敗だと思い、その作品
をもはや無駄なものだと考えていたということを意味するのだろうか? それとも、彼は、彼一
流の逆説を弄しているのだろうか? どちらもちがうだろう。それよりも、これは、文字通りカ
フカの「最後の希望」(このメモは、「親愛なるマックス、これはぼくの最後のおねがいだ」で始まってい
る)を表わしていた。
 ヵフヵがこの"遺言〃でフロートに焼却を依煩しているのは、すべて"手〃の痕跡を残すもの
である。カフカは、つねづね、自分の日頃の作業を"書く"ではなくて"ひっ掻く"という言
葉でいい表わしていたが、これは、書くということが彼にとっては概めて身体技術的なことであ
ったということであり、同時に、彼が、書くということの別の形態を煎識し、それとは別の方向
での書くことを選ぼうとしていたことを恵味する。実際に彼は、班務所でタイプライターを使っ
ていたし、将来、今日のワープロや、さらにはホログラフィのようなやり方で文字を虚空に描き
出すテクノロジーが登場することをも予知していた。それゆえ、彼が"掻く〃ことに執着したと
いうことは、"誹く"ことのたかでもとりわけ身体的な方向に執着したということであり、"書く"
ことを単なる記録作業としてではなくて、歌や踊りのような身体技術的な一自分の身体を使っ
て対象世界を変える1作莱にすることが彼のつねづねの希理だったということである。彼が、
自分の"掻い"たものを友人や妹に朗読して聞かせることを好んだというエピソードは、彼自身
の日記からも裏付けることができるが、朗読するということは、そうした"掻く"ことの身体技
術的な作業の最終過程にほかならなかった。そしてそれは、身体技術の行使の単なる記録として
中ぶらりんの状態で残存してしまうかもしれないものを、他者の身体的宇宙に向かって解放する
ことであった。
 カフカにとって、"掻か"れるべきもの一言語ないしは情報一は、つねに身体とともにあ
るべきであって、そこから切り離されて(逝典や箏物として)存在すべきではなかった。それは、
"ひっ掻く"彼の手の下においてか、あるいは彼または誰かの記憶のなかに存在すべきであった。
たとすれば、"掻かれ"たものが〃手"や生きた記憶を離れて残存するということは彼の「希望」
に反する・」とであり、必ずしもそうした「希望」が完壁にかなえられたとはいえない彼の生涯
(なぜならば、彼は、"掻い"たものを活字にすることをしぶしぶながらも承諾してきたから)の
最後に臨んで、そうした「希望」を実現することは、実際、彼の「最後の望み」だったことがわ
かる。
 一方、ペソヤミソの場合、その身体技術の〃処雌"のたかで中核を占めるのは、必ずしも"掻
く"ことではなかった。彼は、カフカと同じように「手紙の人」(アドルノ)であったが、彼は
"掻く〃よりも〃書く〃こと1思考を定着すること1を望んだ。ベンヤミンは、「文士作法一
三カ条」といういささか鼻につくところのあるアフォリズム風の文章のなかで、「霊感が途切れ
たら、できあがったところまでを浄書したりなどして問をつなぐことである」、「著述の諾段階
思考-文体-文字。その定着の過程で、注意が、もうわずかに美災という一点だけに払われ
るというのが、清書の意味である」(二万迦行路』品文杜)といっているように、ベソヤ、ミソにと
っては、「清書」は〃書く"ことに欠かせないことだった。というよりも、彼にとっては、"書
く〃プロセスよりも、"かれたもののほうがより皿.、嬰であった。これは、彼の"餅と蔵書への執
介を説明するものだ。
 ベンヤミンは、「物祁作者」(川支ツのκ機」^文什、所収)のなかでu舖文学に思いをよせ、その
引川的機能を指摘しているが、彼にとって、"くことは一椰の引川であり、つまりは"読む"こ
とであった。それゆえ、篶くことの卿叩  つまり讐けること-の枇映には読めること一つ
まり蔵廿--が位肚している。ベンヤミンは、「蔵讐の荷解如、」をする」(川郡市の肖像」^文祉)の
なかで、大昔から「本を読まないことが鬼火家の特徴」であることを示唆しているが、まさに、
「読まない」で所有するということは、読めることの池上の形態である。
 とすれば、カフカにおいて〃抵い"たものを焼却することが意味していたものは、ベンヤミン
にとっては、図書館を所有することになるはずである。が、その際、カフカが自分の〃掻い"た
ものを蜘桃することで焼却を代償させてきたように、ベンヤミンにおいては、「遊歩」がその代
償機能を火たしてきた。というのも、「遊歩」とは、都市を、群炎を〃篶物"として、そのあい
だに身を任せることであり、この〃む物"には並大抵の凶篶鮒にある蔵篶とはくらべものになら
ない無限の蔵篶数があるという点でも、その「遊歩新」は、読めることのなかに身を埋没させる
ことができるのである。
 これは、麻薬の作用に似ている。ベンヤミンは、「ボードレールにおける第二帝政期のパリ」
(『ボードレール』□用文社)のなかで.「群集は被追放者の最新の避難所であるだけではなく、見捨てら
れた者の最新の麻薬でもある。遊歩者は群集のなかに見棄てられてあり、したがって商品と同じ
状況を分けもっている。……それは麻薬のように浸透してきて遊歩者をうっとりさせ、その多く
の屈辱を償うことになる」といっている。おそらく、ベンヤミンにとって、遊歩と麻薬的陶酔と
は、同じ身体技術の〃処雌"に属していたと考えられる。
 しかし、ここにおいて、ベソヤ、ミンは醐らかにカフカから離れることになる。そしてこのこと
が、カフカにおいてはその「批後の希里」を友人にメモを託す(したがってその実際的な結果に
ついては"愚鈍〃を決めこむ)ことで済ませることができたのに対して、ベンヤミンにおいては、
大冊の睡眠薬を飲むことによってその「披後の希望」を白ら確認しようとするという形をとらせ
たのである。それは、n殺のためではなく、陶酔のために1遊歩のために1蔵杵に埋まるた
めにー書くために(「書物を手に入れるあらゆる方法のうち一冊称誠に仙すると〔されている
のは、自分の手で許くことだ」)、必要な身体技術的な〃処附"であったのである。だが、厳併に
はそれは、身体技術的な〃処附"ではなくて、むしろテクノロジーによる〃処附"であり、身体
状況を変えることによってではなくて、身体そのものをテクノロジー的千段によって変.えようと
することであった。これは、カフカが〃掻く"ことにおいて最後まで抵抗したことであり、"掻
く"ことに残された可能性を放棄することであった。
 これはカフカの時代とベンヤミンの時代との状況的柵遠からくるのだろうか? それとも彼ら
の洞察力の違いによるのだろうか? ベンヤミンは、ヵフヵの『城』をとりあげながら、「Kが
城山の麓の村で生きているように、こんにちの人間は、自分の肉体のなかに生きている。つまり、
この肉体をより高く、より包括的な秩序に結びつけている捷については何ひとつ知らない、そん
たひとりのよそ者、締め出された者として、こんにちの人問は自分の肉体のなかに生きているの
だ」(「ヵフヵ『万里の長城が築かれたとき』」、『新しい天使』)といっているが、この「肉体」状況は、
テクノロジーの発展と相関関係にある。ベソヤ、ミソは、的確にも、カフカの物語の登場人物たち
の身ぶりに無声映画の俳優の身ぶりを想起しながら、これがテクノロジーの現況と相関している
ことを次のように書いている。
「人間相互の疎外の度合いが行きつくと-」ろまで行きついた時代、計り知れないほどの媒介によ
って生ずる関係だけが唯一の人問関係になった時代、このような時代に映画と蓄音器は発明され
たのである。フィルムのなかでは、ひとは自分の歩き方を見分けることはできないし、蓄音器の
たかの自分の声を聞き分けることもできないのだ。このことは実験で証明済みなのだ。そしてこ
の実験における被実験者の状況がちょうどカフカの状況にあたるのだ」(「フラソッ・カフカーサ
ンチョ・バソサ」、『文学の危機』)。
 が、このような状況のたかで、「ペーター・シュレミールが売り渡した自己の影をふたたび手
に入れるように、失われた身ぶりをふたたびつかみとること」は可能なのだろうか~ ペソヤミ
ソは、フロートが記しているヵフヵとの対話を引きながら、ヵフヵにおける「希望」について論
じている。「ヨーロッバと人類の没落」という問題をめぐるこの対話で、カフカはフロートに、
「われわれの世界は、神の不機嫌の一例、どうもおもしろくない一日、という程度のものにすぎ
ないのだ」と語る。そこでフロートが、「じゃあ、われわれの知っているこの世界という現象形
態の外に希望がある、とでもいうのかい」とたずねると、カフカはほほえみながら、「あるとも、
あるとも、希望は大いにある一ただ、われわれにとってではないだげさ」と答えた。ベンヤミ
ンは、この対話を解釈して、次のように書いている。
「この言葉は、あの極めて奇妙なカフカのイメージヘの橋渡しをしてくれる。彼らだけが家庭の
ぶところから離脱しており、おそらく彼らには希望が残されているだろう。それは動物ではない。
あの猫と羊の雑種でもオドラデクのような糸巻用具でもない。これらのものは、すべてまだ家庭
の圏内に安住しているといえよう。グレゴール・ザムザが毒虫となって目を覚ますのが、まさし
く両親の住居であり、なかば小猫のような、なかば羊のような、あのかわった動物が、父親の遺
産のひとつであることも、また、オドラデクが家長の心配のたねであることも、みないわれのな
いことではない。しかし、あの助手だけは、事実、このグループから脱落している。
 ……インドの伝説には、薄明期の生物であるあの未熟な被造物カソダルベがあらわれる。カ7
カの助手はこのような類いの存在である。他のいかたる人物群にも属していないが全く無縁でも
なく、かれらのあいだにはさまれて使者の役割をつとめる。……彼らは、自然の母のぶところか
ら月満ちて生まれたものではない」(「フラソッ・カフカーポテムキソ」、『文学の危機』)。
 カフカもベンヤミンも、この「実体のあいまい」な、「生物としては発育不全な未熟なものた
ち」が、実際にどこに、どのような形で存在しているのかについては語っていない。しかし、こ
れらは、今日では、エレクトロニックスの世界として現われつつあることに思いつくことは、そ
れほど困難なことではないだろう。エレクトロニックスとは、われわれの身体から影を奪ったテ
クノロジーの最先端であり、また同時にそれは、その影を別の形で取り戻させる最初のテクノロ
ジーである。カフカは、おそらく、このような世界を無声映画を通じてうすうす感じとっていた。
『審判』が、いわば、無声映画のテクノロジーを全般化させた世界であるとすれば、『城』は、そ
の表象を現象学的に〃白⊥…変更。しながら表象した限りでの電子テクノロジーの世界である。
『城』をそうした1主人公Kが後にしてきた世界とはテクノロジー的に典質の1世界として、
村人をアンドロイドとして読み直してみるのはおもLろい。しかし、その際、カフカは、『城』
の村がKに代表される人間には決して同化できない異郷であることを最後まで強調しつづけた。
 ベンヤミンも、タルムードや神秘主義の世界が新しいテクノロジーによっていまここの世界に
抽き出される事態が始まったことを知っていた。彼は、「天象儀」という短文のなかで、「人間集
団、ガス、電力が平野に投入され、高周波の流れが風景を貫き、新しい星ぼしが空に打ち上げら
れ、大気と深海にはプロペラが稔り、母なる大地のいたるところ、犠牲を捧げる壕が掘られた。
宇宙への壮大な求愛が、初めて遊足的な規模において、すなわち、技術の精神において成し遂げ
られた」(『一方通行路』)と許いている。ベンヤミンによると、世界大戦は、「宇宙的な力との、
かつて耳にしたことがないような、新たな結婚」を企てたものであり、「時とともにわれわれか
ら欠け落ちていった宇宙的な体験」のコンプレックスの現われなのである。
 しかし、ベンヤミンは、こうした状況がそもそもそのような「宇宙的外鹸」の不可能性を示し
ているとは考えない。彼は、「人間は、陶酔状態で宇宙なるものと共同体を形づくることによっ
て」か、それとのコ、ミュニケーションを持てないのだといえよう」といい、もしテクノロジーが
「帝国主義者」とは別のやり方で用いられるならば、そのテクノロジーがこの「陶酔」をふたた
び可能にすることを示唆する。つまり、ベンヤミンにとって次の事態は、身体にとって両義的な
ものとして映るのである。
「技術なるものにおいて人類には、民族とか家族のそれとは違った新しい触れ合いを宇宙と持つ
ようたある租の肉体が組織されてゆく。速度体験を思い出すだけで十分理解できよう。人類は、
速度たるものによって、時間の内部に向かう予測のつかぬ旅への準備をしている」。
 ここで、一レジャー産業と戦争テクノロジーがこうした「肉体」を「破滅」への「癩痂病みの至
福にも似た感覚」のほうへ運び去るとすれば、「新しい肉体を統御せんとする」もう一つの「企
て」があるとベンヤミンは考える。すなわち彼は、「プ回レタリアートの力こそが、この肉体の
健やかさの指標である」といい、テクノロジーの「プロレタリア」による奪遠に可能性を求め、
「生あるものが、破滅の眩最に打ち勝てるのは、ただ生耽の陶酔のなかだげである」という一文
で「天象儀」という文章を締ぶ。これは、「複製技術の時代における芸術作□㎜」の末尾で、ファ
シズムが「政治の耽美主義」を標桟するとすれば、「共産主義は、これにたいして、芸術の政治
主義をもってこたえるであろう」といったのと全く同じ論法である。
 しかしながら、すでにカフカの洞察のなかに見てきたものは、「宇市的体験」や「陶酔」とい
うものがもはや不可能であり、むしろそれらと「帝国主義」のテクノロジーとはその根源を共有
していることであった。テクノロジーがわれわれ-われわれの身体1を変革していく動向の
なかで「宇宙的体験」や「陶酔」を求めるならば、麻薬的な、あるいは破滅の「陶酔」しかもた
らさないこと、今日のテクノロジーは、「生殖の陶酔」を特権的なものにするいかなる階級も存
在しないところまで「肉体」に侵入するだろうということ、これらは、カフカが正しく洞察して
いたことだった。
 それゆえ、「希望」はテクノロジーの完全な申し予であるアンドロイドや「新しい天使」には
あるが、人間にはない。アンドロイドが〃神々〃にではなく、人間がアンドロイドに同化しよう
とする「身ぶりの変革」の果てには破滅しかない。これこそ、カフカが「希望は大いにある1
ただわれわれにとってではない」といったことの意味である。
 この洞察に従うならば、人間は、アンドロイドの誕生とその〃神々"への進化を容認しながら
1にもかかわらずみずからはテクノロジーに同化せずにーテクノロジーによって変えられて
しまった(つまりはアンドロイドのほうへ持ち去られてしまった)身体技術の残余にとどまって
生きるしかないだろう。その際、カフカの晩年の短篇「ジレーネの沈黙」が示唆しているように、
アンドロイドが〃神々。となり、人間がサンチョ・パンサや動物物語の主人公たちのように〃愚
鈍"になるとき、人間は久しく生き延びることができる。
 が、その意味では、ペソヤミソがスペインの村で睡眠薬を飲んだとき、彼が望んだものは、現
代のテクノロジーを、〃高度文明"の構築のためにではなく、"神々"の誕生のために放榔するよ
うな〃愚鈍"さであったかもLれない。しかしながら、そのような〃愚鈍"さは、少なくともテ
クノロジーの終末以前の時代にはーエレクトロニックス以前の、薬物のようなテクノロジカル
な方法によっては1決して実現されえないものであったので、ベソヤ、ミソの努力は、逆に彼を
出来損ないのアンドロイドに-つまりは死体に1導いただけなのだった。





3
  




日付のある情報資本主義批判 一九八三~八五



 一九八三年の思想状況をメディアとの関係で考えるとき、第一にあげなければならないのは、
旧中角栄有罪判決でも、戸塚ヨットスクール班件でも、また大韓航空機蝶墜班件でもなく、むし
ろワードプロセッサーの浸透である。
 この流行は、専務処理の現場ではすでに数年まえからはじまっていたが、一九八三年になって
作家、編集者、速記者だとの文学関係者のあいだにもワープ岬を使m川する者が日立って珊えてき
た。それは、印刷 出版機構を急遮に変えるだけでなく、文学そのものをも次第に変化させずに
はおかないはずである。その意味でワープロの出現は、漢字の導入に匹敵するほどの文化的な大
事件と考えることができるのであり、一九八三年という年は、そうした変化が全般化する端緒で
あるように思われるのである。
 ワープロは、欧米の作家のあいだでも広まっている。この場合、ワープロの浸透は、それがも
っている高度のプログラム能力や記憶機構のために、現実や言語に対する作家の姿勢を従来とは
違ったものにするだろうと予測されているが、日本の場合、それ以前に、ワープロは、長期にわ
たって続いた書き文字文化を一つの終末に追い込むという意味をもっている。
 アメリカでも原稿を依然として手書きで書く作家はいるし、手紙をペソで書く彊慣は決して失
われてはいない。しかし、"書く〃ということの主流は、タイプライターで印字することであり、
書き文字文化の主流は、サィソ(署名)ということのなかに残っているにすぎない。タイプライタ
ーが浸透したアメリカでも、手書きのサインは依然爪要であり、それは、ある種のカを依然保持
しているが、びっしりタイプ文字でうずまった紙の最後に一行だけ手帖きのサィソが見える手紙
を見れぱわかるように、書き文字文化の雌がれている位性は突にマイナーであり、形式的である。
実質的には、明らかにそれは有効性を失っているのであり、実際、バンク.カードやクレジッ
ト・カードなどのいわゆる"プラスティック・マネー〃の出現は、それまで小切手にサィソをす
るといった書き文字文化の有力な名残りすらも、時間をかけて弼得された書の技術を必要としな
い単なる電子的なスゥィヅチ操作に変えてしまうのである。
 欧米では、活字文化は個人用のタイプライターという形で日常生活に浸透していったが、日本
ではひら仮名、カタ仮名、漢字のすべてを打てる個人用のタイプライターは、販売されてはいて
も性能の割に高価であり、あまり一般化しなかった。そのため、活字文化は"書か"れるものと
してよりも読まれるものとして一般化し、そのために活字文化そのものは大きな組織や支配機構
から切り離されることがひじょうに少なかった。"書く"ことに関しては大衆はもっぱら書き文
字文化のなかにおり、読むことの近代的な大衆文化とのあいだで分裂を経験してきた。その意味
で日本では活字文化は、つねに支配的文化としてあり、それが本当の意味で民主化されることは
なかった。たしかに、複写機の普及は、手幾きの文字を大衆的なメディアにする可能性をすでに
与えているが、これは"書く。ことにおける活字文化の変化ではなく、むしろ書き文字文化の変
化であったと言わなければならない。
 ところが、ワープロの出現は、個人的に"書く"ことを即大衆的な"書く"ことへ拡大する可
能性を与えるのであり、欧米で活字文化がタイプライターの普及によって開いたのと同じ可能
性が日本でもはじめて開かれるのである。それゆえ、日本でこれまで活字がもっていた特権的な
側面は、確実に失われるであろうし、逆にそこから大衆的な活字文化が実現する可能性も出て来
る。   
 しかし、日本の場合、こうした活字文化の完了-活字を〃書く"こと、〃読む"ことが同じ
レベルに達すること1は、同時に書き文字文化の最終的な衰退でもあるため、この完了は、豊
かな可能性としてよりも、むしろ伝統と突然切り離されたときのショックとそれに伴う社会的病
理を生み出す可能性が強い。欧米の活字文化が五、六〇年にわたってタイプライターとともに経
験したことは、いわば書き文字文化への訣別の儀式として不可欠のことだったが、日本はそのよ
うな儀式なしに活字文化の最後期に入ることになる。しかも、ワープロは、活字文化から電子文
化に入ってゆくためのイニシェイション的機能をもっているため、ワープロの普及によって日本
社会は、謀き文字文化からも活字文化からも非常に不自然な形でひき離されることになる。
 こうした観点から一九八三年の社会・文化状況を考察してみると、話題になった多くの出来事
のなかに書き文字文化、活字文化、そして電子文化とのあいだの複雑な矛盾が現われていること
がわかる。やや意外な印象を与えるかもしれないが、一九八三年度のトップ・ニュースであった
ロッキード判決にも、この間魎が介在している。
 言うまでもなく、ロッキード事件は、米上院多国籍企業小委貴会(チャーチ委員会)の公聴会
で、ロッキード社の会計監査担当者が丸紅の褒金工作について証言を行なったことに端を発する
が、そこでは謎めいた文字がタイプされた領収書が重要な機能を果した。このタイプ文字は、丸
紅側のタイプライターで打たれたものであることが確認されたが、その文字を読むことによって
は、それが講によってタイプされたのかを断定することは不可能である。つまり、この事件は、
最初から書き文字文化ではなく、活字文化の事件として起こり、しかもその争点は、それが誰に
よって〃書か"れたかという極めて書き文字文化的なレベルで進行するという矛盾のなかにあっ
た。
 この事件の根本的な争点は、裏金の流れであるが、ここにも複雑な文化的矛盾が発見される。
今日、金の流れの主流は、金融市場から銀行の個人口座の取引にいたるまで電子情報化されてお
り、物質的な、形のある貨幣に代わって電子的な貨幣(エレクトロニック.マネー)が流通するよう
になっている。クレジット・カードやキャッシュ・カード等の"プラスティック・マネー〃と紙
幣との違いは、活字文化と電子文化との違いに対応しており、今日、〃キャッシュレス"時代が
はじまっていることは、加者から後者への文化的移行の問題と深い関係にある。つまり、今日で
は、かつてのように現金を手渡さなくても金の流れを作ることができるのであり、しかも印鑑や
サインといった書き文字文化に属するものを一切排除し、昭子的な操作だけで金の取引を行なう
ことが技術的に可能なのである。
 こうした傾向が急速に進むなかで、ロッキード裁判の最大の争点が、ダンボール箱にっめた紙
幣を被告たちが運び、手渡したという点にあったことはひじょうに象徴的で、彼らはまさに時代
に逆行するやり方でーオーラル文化の方法で1貨幣操作を行ない、告発されたのである。こ
の事件についてマス・メディアで大いに騒がれた"政治倫理〃であるとか、"元首相の犯罪〃と
いった観点をいまカッコに入れると、この班件は、一方で急速に進行しつつある電子的な金の流
れや金銭ネットワークの文化と、それに逆行するやり方で作られた金の流れや金銭ネットワiク
の文化とが矛瓜をひき起した、金融文化史的に見てひじょうに過波期的な小作であった。
 金を手渡すことがもはや時代おくれであるということは、それだけ素手の及ぶ領域が以前とは
真なる状態に肚かれるということである。実際に人と人とが直接出会うということはオーラルな
身体的文化の水木的な性格であり、市近代の文化はそうした要素をとどめていたわけだが、枢子
的な情報奨附が日常生活のなかに過剰に浸透するにつれて、こうした直接的な.要素は失われてゆ
く。が、その過剰さかまた中途半端な状態にあるときには、新たにはじまる文化とこれまで慣れ
剃んできた文化とのあいだにはさまれた人々は、弧度にアンバランスな菰謝状態に置かれるだろ
う。そして、このバランスをとるために人々の無恵識的レベルーつまりは身体1は、その意
識のレベルとは裏腹の対応を行なう。
 戸塚ヨットスクールの事件と枇浜の浮浪者殺害事件は、こうした身体的無意識における変化が
もはや恋識のコントロールを越えるところまで来ているということの一つの現われと見ることが
できる。向已および他者の身体を従来どおりには意識できない人々が生まれっっあるのであり、
彼や彼女らには自分の身体に加えられる暴力も、相手の身体に加える暴力も、これまでのやり方
では理解できない。戸塚ヨットスクールの班件に関して、"教育の荒廃"や"家庭の崩壊"を問
題にするのはたやすいが、それ以上に考えなければならないのは、ここでは生徒の身体意識とそ
れについての教師側の意識とがどうしようもなくくいちがってしまっているという文化的.メデ
ィア的問題である。
 生活世界がますます電子化されると、生まの肉声よりもスピーカーやヘッドフォンからの砥子
音一しかも何か生まの音の.再生音ではなくて砥子的に合成された音、肉眼で見える世界よりも
ブラウン管に映った映像を、よりリアルに感ずるような倒銚が起き、自分および他者の身体に対
する意識が希薄になってくる。戸塚ヨットスクールの子どもたちは、まさにこのような仰向が進
む状況のなかで育った子どもたちであり、彼や彼女の身体に対していくら"愛の鞭"を加えても、
それは従来ほどの教育的効果を上げることはたい。教師たちは、このことに気づかずに、身体へ
の暴力がコミュニケイションとしての機能を火した時代の文化に執着したまま、破〃を迎えてし
まうのである。
 このことは、〃フォーカス"理象とも関係がある。『フォーカス』が、売行きをのぼした背景に
は、スキャンダリズムと写真の暴κ姓とが衰退していたことに対する読者の、反動もあるが、たと
えそうだとしてもこの雑誌がひきおこすスキャンダルや写真による暴脾の衡傑度は、かっての
"トップ屋記箏〃や"スッパ抜き写真〃がもっていたインパクトにくらべると実に一過的である。
とくに、この雑誌がとりあげる死体写真は、その内容自体はいかにグロテスクなものであるとし
ても、それを見たときのショックはあまり持続しない。これは、読者の側においてあらかじめ身
体に対する意識が変わっていなければ不可能たのであって、われわれは従来ほど身体というもの
を迫力あるものとして意識しなくなっているのである。そして、それだからこそ、身体に対する
自分の意識が薄まった分を、こうした〃ドギツイ"写真で補わなけれぼならないわげである。
 こうした身体性の希薄化には、オーラル文化と書き文字文化への愛惜が含まれているが、電子
文化の台頭とともに、活字文化への愛惜も深まってくる。たとえば、総ルビを付した文章や多様
な活字を用いた本が"ポスト・モダン〃なものとして受けいれられてしまうこともその一つの現
われである。ここに潜在するのは、身体性を欠いた文字や絵つまりは符号化された記号への関心
であり、〃昭和軽薄体"や〃ABC文体"は、それを最も見えやすい形で表わしている。とりわ
け"ABC〃文体は、シニフィアンとしては最も活字的な活字であるアルファベットに執着する
にもかかわらず、シニフィエとしてはきわめてオーラルな要素を強調するのである。
 活字文化への屈折した形での愛惜は、都市においても発見される。欧米の近代都市は、一般に
諦物や活字とアナロジー関係を有しており、とりわけニューヨークのマンハッタンは、その碁盤
状の都市形態においても、また本のページを思わせるストリート・ナンバーにおいても、一冊の
本であるとも言えるが、このような都市は、日本の近代都市の主流とはならなかった。日本の近
代都市は、その形態においては依然として書き文字文化に属している。しかし、その素材、構造、
コンセプトは活字文化的、さらには電子文化的なのだから、まさに住宅のうえを高速道路が文筆
文字のように"奔放〃に走りまたぐというそれ自体としてはシュールレアリスム的な発想と形態
が、実際には都市生活を最悪のものにすることにしか役立たないのである。そのため、近年、活
字的に秩序のとれた街並みに対する関心が一方で高まり、それが実際の都市よりも先に文学作品
のなかで実現されている傾向があるが、これは、都市のなかでそれが実現できないからというよ
りも、むしろイメージのなかで活字文化的な都市への欲求不満をみたす方がリアリティをもっと
いった屈折した状況のためのように思われる。
 それは、西欧近代流の活字文化的都市も、もはや時代の主流ではなくなり、いまや電子都市の
時代がはじまりつつあることをわれわれが一方で知っているからである。実際、日本でも、ニュ
ー・メディアで武装した〃ハイテック・シティ"や"INS都市"が建設されており、既存の住
宅も、CATVやキャプテン・システムのケーブルで締びあった電子都市に変貌させる計画が進
行中である。このような状況下では、バリやロソドソの古い街並みに象徴されるようた活字文化
的都市を現実に愛惜するとしても、それは所詮ノスタルジアにすぎないことを人は知っているの
である。
 かくして、歴史的なものは、イメージのなかのもの、ないしはスゥィッチ操作ひとつでいつで
も解消できるシ、、・ユレイションとなってゆく。歴史的な存在としては、もはや過去のものでしか
ない自然食や闇市風のバザールが今日の都市のなかに出現し、誰も信じてなどいない農村的"根
性〃がテレビドラマ(たとえば『おしん』)のなかに登場し、関心を呼ぶ。これらは、すべて現実か
らの距離においてリアリティをもつのであり、まさにブラウン管のなかの映像がもつリアリティ
なのである。
 その際、政治家も映像の有力なタレントであるという点で言っておけば、歴代の首相のなかで
中曾根首相ほど、そのしゃべり方や身ぶりのなかに計算されたある種の距離があり、従来のオー
ラル文化的な身体性を欠いた首相はいなかった。すでにアメリカでは、ロナルド・レーガンとい
う、まさに俳優である大統領が存在し、そこでは彼自身の身体と演技された身体との区別はほと
んど不可能であり、このような大統領の出現は電子文化の時代に特徴的な出来事だと言うことが
できるが、日本でもそれと似たような状況が進みつつある。
 人問のアンドロイド(外見的には人間そっくりの人造ロボット)化は、電子文化の時代における不可
避的な現象であり、そうした傾向は、AI(人工知能)ないしは第五世代コンピューターの完成へ
のはてしない期待によっていやがうえにも高まってゆくが、人間が人問をやめるのでなげれぱ人
間は完全にはアンドロイド化されないわげだから、こうした傾向は、結局、アンドロイド化をま
ぬがれるひとにぎりの特権階級が大多数のアンドロイド化された大衆を支配する新しい寡頭制に
行きつくおそれがある。
 そうした方向を回避する可能性は、電子文化がもっている民主的な性格を過激に発展させるこ
とのなかにあるが、そのような思想はまだ十分には展開されてはいない。むしろ、電子文化を特
権的な方向へ向かわせるおそれのあるエリート主義的な思想が次第に登場しつつあり、たとえば
山崎正和の主張する"新しい個人主義"や西部遮の〃大衆"批判のなかには、明らかにこうした
方向室几進させるイデオ日ギー的要素が見出せるのである。       (一九八四年二月)
 


2
 ロッキード事件と田中角栄問題の報道と論評において、回本のマス・メディアはかってないほ
どのねぱり強い姿勢を示し、読者や視聴者の関心を七年八カ月ものあいだくりかえしこの問題に
ひきもどし、ある種の政治意識をよびさますことに成功した。
 マス・メディアの活動がこれほど長期におよび、一つの"文化キャンベーン〃の様相まで呈し
てくると、それは、政治的にも社会的にも決定的な影響力をもってくる。そのため、一つの権力
を糾弾しようとするメディアは、それ自身の行なう活動の政治的・社会的な意味と機能をたえず
問い直さないと、メディア自身がもう一つの権力として機能してしまう。これまでロッキード率
件と田中問題をあっかってきたマス・メディアの姿勢には、端的に言って、向已意識と自己批判
のフィードバック回路が欠如していた。
 なるほど、ロッキード.スキャンダルは、マス・メディアの執勧な批判キャンペーンがなけれ
ば、元首相田中角栄の実刑判決にまでは発展しなかったかもしれないし、すべてがうやむやに終
わる可能性もあった。しかし、マス・メディアに対して受動的な位置にいるわれわれの側からす
ると、ロッキード泰件はマス・メディアのなかで姿をあらわし、マス・メディアのなかでふくれ
あがっていった。われわれは、マス・メディアで報道される情報によって事件を知り、「首相の
犯罪」や金権政治の実情を学習した。むろん、その学習過程は、われわれにとってまんざら無駄
なものではなく、今日の金権政治がとりもなおさず高度成長をささえてきた支配的な階級の体質
につながるものであり、田中角栄は「中流意識」をもつ平均的な日本人の「内なる白已」である
ことをあぱき出しはした。また、誰でもが薄々は知っていた金権政治が、公の舞台で何はともあ
れ糾弾され、権力の中枢に位置する者の犯罪が問われていることを、マス・メディアを通じて知
ることによって、われわれは、日本の政治状況と政治過程のひどさをまのあたりにすることがで
きた。
 しかし、こうした学習が、市民意識の質的向上と民主主義の伸張にとってどんなに有力なもの
だとしても、それは、あくまでもマス・メディアによってたきつけられたものであって、もとも
と市民自身の内側から生じてきたものではなく、マス・メディアの熱狂がおさまってしまうと、
自動的にとだえてしまう気配が濃厚であることに問題がある。
 ここでわたしは、日本のマス・メディアが単なる世論操作の装置であるにすぎないなどという
ことを言おうとしているのではない。田中角栄を支持する人々のあいだには、田中問題やロッキ
ード・スキャンダルそのものが、「マスコミの握造と陰謀」だと主張する向きもある。むろん、
そのような主張は無理であり、日本のマス・メディアは、いくら均質的であるといっても、それ
ほど隅々まで統合されているわけではない。異質な議論や研究者の客観的な調査が公表される余
地はあるし、実際に、田中批判の基礎になっているのは、デマであるよりも、地道なリサーチに
よる情報である。また、上級霜の最終決定をみていない以上マス・メディアの田中批判は彼の
「人権」を無視したものだ、という主張も見当ちがいである。
 田中裁判は、告訴された一市民の法廷闘争とは全く性格を異にしている。田中は、一市民とし
て告訴されたのではたく、公人つまり公権力に荷担する者として訴えられたのである。このこと
は、それだからこそ彼は、その有罪・無罪を問わず、すでにこれだげのスキャンダルをまきおこ
した以上、公人としての責任を負うべきだ、といった常識的な批判にとどまるものではない。問
題はそれほど単純ではない。むしろそれよりも、このことは、公人として訴えられた田中は、告
訴さ九た一市民の場合とは比較にならないほどのめぐまれた防衛条件をもって裁判にのぞむこと
ができたということであり、従ってこの裁判には、公権力と一市民とのあいだの闘争という性格
ではなく、むしろ公権力内部の闘争という性格がっきまとっているということである。
 公権力の内部に二重権力が生じ、内部闘争が発生するということは、一面では現存する権力構
造の末期的な症状であるが、他面では、二兀化し、活力を失った権力が自己を再活性化するため
の常套手段である。
 ロッキード裁判には多分にこのきらいがあり、長期にわたる一党独裁を生んでしまった体制に
とって田中角栄的権力の出現は必至であったし、体制のそうした性格が変わらぬかぎり、むしろ
体制白身がそのような内部権力を分泌するのである。その意味では、現体制-与野党を含む総
体としての国家体制一にとっては、田中が現在のように、現体制によって半分拘束された形で
の"闇の権力"として機能することこそが望ましいのである。田中が判決後ただちに、「今後も
不退転の決意で戦い抜く」という声明を発表したのは、その点で首尾一貫したことなのである。
こうした側面についての分析は、ロッキード事件の国際政治の文脈での意味についての分析とと
もに、最も軽視されてきた部分である。
 田中角栄の報道に関しても、マス・メディアは、十分な白已意識をもっていたとは言いにくか
った。刑事被告人・田中角栄は、決して一市民ではありえないのだから、そこに市民のイメージ
をダブらせてはならないはずだが、マス・メディアは、そのスキャンダラスな報道によって、公
権力としての田中角栄を一個の人格的存在としての〃角さん"ないしは〃越後のワル"にまで血
肉化させる機能をはたした。彼が公人であることをやめないかぎり、大衆も彼の家族ですらも公
人以外の田中に接することはできないにもかかわらず、彼がアンチ・ヒーローとしてわれわれの
身近な存在になったのは、彼自身の大遊芸人的素質以上に日本のマス・メディアがこれまで行な
ってきた公人の報道のしかたそのもののためである。
 マス・メディアが、大衆のメディアであるならば、それは、大衆の一人ひとりがその公共性、
大衆性をチェックすることのできるような反省回路ないしは自己批判の回路をもたなければなら
ないが、ロッキード事件と田中問題の報道において々ス・メディアは、多くの場合、そうした回
路を欠落させてきた。その結果、二重化した公権力そのものを批判する力を十分に発揮すること
ができなくなり、むしろ二重化した公権力の一方の利益を補完する機能をはたすことになった。
 その恵味では、検察当局は、はじめからマス・メディアに一歩先んじていた。それは、ロッキ
ード事件に関する情報の高度な部分がすべて検察の独占的な管理下にあったということだけでな
く、検察当局は、たえずマス・メディアの機能を考量し、それを直接・間接に操作してきたとい
うことでもある。
 一九八三年一〇月一二日の判決公判で、岡田光子裁判長は、田中角栄、榎本敏夫、檜山広、伊
藤宏、大久保利春の各被告人に対する量刑理由の一つとして、「その社会に及ぼした病理的影響
の大きさにははかりしれないものがある」という点をあげている。これは、明らかに、検察がマ
ス・メディアによって国民のあいだに広めたこの事件の精神病理学的・文化的影響1つまりは
この班件のメディア効果1を、裁判所も十分に意識していたことを意味し、この裁判のもつ
"国民教育"的な機能を洞察していたことを物語っている。
 ある意味では、安保もオリンピックも万国博も、一つの〃国民教育"であった。現代の国家
(治療的国家)は、そういう形でソフトに国民を統合・管理するわけだが、こうした困家体制の
もとでは、マス・メディアが一種の〃国家機関"の機能をはたすことをまぬがれることがむずか
しいし、分権的な自律性に乏しい日本のマス・メディアの場合、その傾向はとみに強まる。
 こうした"国民教育〃にとって、その内容はさほど重要ではなく、むしろ、国民をこの一大イ
ベントによって一つの器のなかに統合できるという-」との方が重、要である。裁判所の量刑理由は、
一見、「公務の公正さ」に対して国民が信頼をもっということを正当化Lようとしているように
みえる。だとすれば、これは、とりわけ政治家白身によって判で押すようにくりかえし主張され
ている「政治倫理の確立」という形だけの要求にも結びつく。
 しかし、「政治倫理」などというものが可能なのはテオクラシー(神権政治)の時代だけであっ
て、理性が「道具的」になり、政治が技術になる時代(それは必ずしも否定的な意味しかもたな
いわけではない)に、「政治倫理」などという観念的な精神主義をふりまわしてもしかたがない。
それどころか、こういうやり方は、ありもしないものをあたかも現存するかのように主張し、そ
れにわれわれが拝脆することを要求するファシズム的な権威主義にも通じている。
「政治倫理の確立」をとなえる政治家たちが、このへんのことをどこまで意識しているのか、そ
のためには恐怖政治を導入することも辞さないのか、一度、凹碓た回答を提示してもらいたいも
のだが、われわれは、公務というものが決して公正なものではありえないことを知りつくしてい
る。ロッキード班件は、一方で、公務に対するそうした不信感と警戒心をよびさましてくれたの
であり、われわれのなかに深く根をはったこのシニシズムは、田中角栄の実刑判決などによって
は決して解消されはしないだろう。
 その意味では、もし裁判所が、ロッキード裁判によって国民に「公務の公正さ」などというも
のを教育しようとしているのだとしたら、それははじめから失敗していると言わざるをえない。
もっとも、"困民教育"の恵図が、その内容にではなく、その形式にあるとすれば、それがこの
裁判によって「社会的正携」を浸透させ、そういう形で国民を管理することができないとLても、
この長期の訴訟を通じて国民の関心を国家的な事件に一様にひきつげておくことができたという
ことで、その□的を達成しているはずである。
 では、こうした何とも不快な柑造をもつロッキード事件とロッキード裁判に対して、もつぱら
マス・メディアを通じてそれらに接触するわれわれは、どのようなやり方で異議を中し立てるこ
とができるのだろうか~
 いま考えられることの一つは、ロッキード間題のすべてをいまあえて、いったん、われわれと
は無関係なレベルで起きている出来事とLてとらえなおしてみることだと思う。これは、ロッキ
ード問題に対して無関心主義を決めこむことでは全くない。むしろ、この問題に対しでわれわれ
の生活世界のレベルからアプローチしなおすためにそうしようとするのである。
 一般に、田中角栄に代表される政権を支持してきたのは、彼らを選び、彼らに政治をまかせて
きた国塒大衆であるから、彼らの犯罪の責任の一端は国民の側にもある、といった論理が、した
りげにまかり通っている。議会主義と直接民主主義の論理を都合よくこきまぜたこのような論理
を支持するかぎり、現在の体制がいささかなりとも改善される糸口は見つかりはしないL、それ
を変えることなどとうてい不可能だろう。むしろ、ロッキード箏件は、われわれにとっては、あ
る日突然、あたかも災害のようにやってきたという表層の事実を受け入れ、その不条理に異議を
申し立てることの方が、はるかに強い起爆力をもつだろう。
 われわれは、田中にかかわる権力を何らかの形で支持したかもしれないが、その権力がロッキ
ード・スキャンダルで暴露されたような形で機能することを予期して支持したわけではないΦそ
れは、彼らが勝手に行なったのであり、それを裁く長年月の訴訟も、われわれが納めた税金を勝
手に使って行なわれたのである。
 言うまでもなく、このような言い方は戦略的なものであり、ロッキード裁判が行なわれなけれ
ぱよかったなどと言おうとしているのではない。それどころか、こうした裁判がいささかでもわ
れわれの要求を代表するものとなるためには、こうしたわれわれの日常生活の現場から間迦を提
起してゆく必要があるということなのである。
 同様に、マス・メディアに対しても、大衆の「公器」であるはずの新開の比重な紙面と放送の
貴重なエア・タイムが、七年八カ月にもわたってあのくだらない、狼雑な、そして後味のわるい
茶番劇のために使われてきたことに対して、今後どのようなうめあわせをするのかと間う必.典が
ある。
 むろん、このこともまた、マス・メディアはロッキード事件というグロテスクな箏作を榊逝し
なけれぱよかったなどということを芯味しない。そうではなくて、ロッキード班件が最もポピュ
ラーな〃大衆文化"であり、血中角栄が蚊も大衆的な〃スター"であるという今nの口木のメデ
ィア状況は、マス・メディアがつくり出す大衆文化の、貧しさを余すところなく物沽っており、そ
れは一日も早く克服されなけれぱならたいはずだ。          (一九八三年一〇月)
       


3



 英雄やスターは、大衆の夢を代わって実現してくれる権威主携的な人格であり、従って英雄や
スターの存在は、それだけ大衆の欲求が日常的レベルでみたされてはいないことを恋味する。国
家の危機や変革の時期に英雄が現われるのはそのためである。無理をして旧家などを姓設するの
をやめてしまえぱ、国民統合装置、大衆の欲求不満の概念的解消炎雌としての英雄など必班ない
わけだが、人間の歴史は、今日でも依然として国家建設と旧家延命の雌史である。全体として、
二〇世紀後半は大英雄の時代ではなくなっているが、その必、班仕は1たとえばイランのホメイ
ニのように1決して失われたわけではなく、状況次第で英雄はいつでも復活するだろう。
 しかし、今日がもし英雄不在の時代だとすれば、国家や権力はもはや大衆の欲求不満を解消す
プ.ω必、班がなくなっているのだろうか? ブレヒト流に言うたらぼ、われわれは英雄を必.真としな
いみたされた"幸福〃の時代に生きているのだろうか。
 むろん、そうではあるまい。むしろ、かつての"英雄"に代わる新しいタイプの欲求不満解消
装置が機能していると考えるべきだろう。
 ナチス.ドイツにおけるヒトラーの社会的機能をマス・メディアとの閉迦で調べてみると、た
とえぱ同時代のアメリカ合衆国とくらべて、マス・メディアのネットワークの発達がそれほど進
んでいなかったことがわかる。地域性が強く、地域地域には独uの文化(オーラルな文化)が根
をはり、それらを第三帝国という均質的な政治文化に統くHするためにはマス・メディア(その小
心はラジオ)だけでは十分ではなく、それを補強する何かが必要だった。というよりも、地域の
芸能、祭、大道芸といったオーラルな地域的大衆文化よりも、中央コントロールのできるラジ
オ・メディアの番組の方に大衆の関心を向かわせるためには、ラジオ・メディアの強力なスター
が必要だった。ヒトラーは、まさにこうしたメディア状況のなかで必然的にスターとなっていっ
たわげである。
 ヒトラーの成功は、彼がメディアのなかだけのスターであろうとしたことにある。彼には私生
活がなかった。実際にはあったとしても、それは巧妙に消去されていた。そのため彼のファンで
ある国民は、日常生活11私生活とは別のレベルの欲求不満の解消をすべてヒトラーにゆだねるこ
とができた。と同時に、その「私生活を犠牲に」ている」一人の「英雄」にならって、n分たち
もその私的な日常生活を犠牲にし、国策に従ったり、戦場におもむくことを当然のこととみなす
ようになっていった。
 これは、ハリウッドのスターたちの機能とは異なっている。彼や彼女らも、大衆のみたされぬ
欲求を代わってみたしてくれる役割をはたしたのであり、ハリウッドは、パウダーメィヵ1が青
ったように、「抄の工場」であったわけだが、彼や彼女らには私小活があり、それはゴシップと
いう形でマス・メディアのなかでもう一つの世界を形づくっていた。むろん、彼や彼女らの私生
活は、少なくともマス・メディアでゴシッゾとして凪閉されるかぎりでは、大衆の手のとどかな
い世界であり、それもまた大衆の欲求を代行する装附であった。しかし、それは、大衆にとって、
その私生活を彼牲にしてN家のために木化させるための政治装肚としてではなく、逆にその私生
活的な欲求を思いっきりースターの私化活なみに1拡大させるための消火主義的装雌として
機能した。むろん、これは、ナチス・ドイツと同時代のアメリカとでは管理の条件が火だってい
たからである。
 坦代は、"スター不在の時代〃だと言われる。それは、肖而、一九四〇~五〇年代までは存在
したと川心われているハリウッド刑…の人スターに対する愛*が感じられる。先日、日本テレビの
「火曜サスペンス劇場」で杜千秋㎜水・大林宜汐蛉督のテレビ映山『雌獅伝説』をみたが、ここ
にはそうした慢俗とスター不在の時代への映画人の秋年の無念さのようなものがよくえがかれて
いた。わたしは、この映画のなかで主役を演じた入江たか子を銀幕のなかのスターとして実感す
るには生まれるのが逃すぎ、彼女は、わたしにとっては、フィルムセンターのスクリーンのなか
にあらわれたかっての「大女優」の一人として実感されていたにすぎないが、端役で登場する佐
藤允の姿をみたとき、ああ彼がスターであった時代があったたという思いにかられたのだった。
 そうした思いは、『仁義なき戦い』シリーズで小林地をみるときにも感じられた。小林地は、
一九五〇年代末から六〇年代初めの時代に、「渡り鳥シリーズ」や「流れ者シリーズ」で日活の
スターの座を占めていた。芸能人や水帖売の世界の人のなかには、彼のかっこうをまねする人も
ずいぶん多かったと記憶する。一九六四年ごろだったろうか、銀バリには毎週金曜日の午後に
「フライデー・ジャズ・コーナー」というのがあり、金井英人、高柳^行、口野蜻正、山下洋輔、
富樫雅彦などがジャムセッションをくりひろげていたが、そのときマイルスばりのトランベット
を吹いていた若き日野沽止のかっこうが、小林地そっくりだった。
 しかし、わたし白身にとっては、小林地は、たとえば片岡千恵蔵とか市川右太衛門などにくら
べれば大スターに値しないように思えた。それは、世界への自分のみたせぬ欲求をどの時代のど
のヒーローに仮託したかの閉胆であるにすぎない。要するに、六〇年代にはわたしは、もはや銀
幕のなかにスターを求めてはいなかったというだけのことである。だから、小林地がスターとし
て片岡千忠蔵よりも"小つぶ"であり、映、両俳優は年々小つぶになるというふうにはわたしは思
わない。それは、表にあらわれる部分が〃小つぶ"になっただけのことではないのか? とはい
え、いまこの一九八○年代の芸能界をみわたしてみて、スターはいるのかと間われれば、いたい
と答えざるをえないだろう。少たくとも、われわれ大衆が椛威主兆的な同化の対銀とすることが
できるようなスターはほとんどいないと言うざるをえない。それは、俳優自身の能力や才能の問
題ではなくて、大衆の欲求と管理方法とが変化したためである。
 一九二〇年代には、政治の分野ではまだ"英雄"顔をし、"英雄"の機能をもつ人々が多数い
たが、芸術の分野では、明らかに、アンチ・ヒーローの時代がはじまっていた。チャップリン、
カフカ、ブレヒトらの主人公は、一九世紀的な意味でのヒーローではなかった。しかし、こうし
た傾向が文化のレベルにおいてだけではなく、政治や社会のレベルにおいても普遍化してくるの
は、政治の官僚制化と社会のマス・メディア化が尤逃してからである。官僚制にとっては、カリ
スマ的な英雄は不要であるどころか有害ですらある。マス・メディアとりわけテレビのネットワ
iクが浸透した社会では、"英雄〃もドラマの登場人物としては必要だが、それはブラウン管に
電流が流れているあいだだけ生きのびれぱよい存在である。
 資本主義社会における官僚制の光進とマス・メディアの浸透は、同時に、消火杜会の確立を忠
味する。従って国家や権力による大衆の欲望管理は、大衆の欲求を抑圧し、その代償を椛威(英
雄、スター)への同化によって観念的なレベルで解消するというやり方ではなく、逆に大衆の欲求
をあおりたて、衣食のレベルにおいても文化のレベルにおいてもかぎりない消火の欲求をいだか
せるようなやり方をとる。
 しかし、こうした欲望加速社会には、つねに、〃決して自分の欲求はみたされない"という慢
性的な欲求不満がつきまとい、まさにこの不満がこの社会を活性化するという悪循環があるので、
この社会は、こうした恒常的た欲求不満を解消させる回路をつくっておかなげれぼならないので
ある。それは本性上、決してみたされることのない-また決してみたされてはならない1欲
求不満だから、かつてのような権威主義的英雄への同化によっては決して解消されるものではな
い。むしろ、それは、同化によってではなくて異化によって解消(うやむやに)されるのでなけ
れぼならない。
 その意味で、道化的な主人公というものは、大衆によって笑われ、愚弄されることによって大
衆の前述したような恒常的な欲求不満を解消する機能をはたす。チャップリンやキートンの映η
には、社会を鋭く風刺する.要素があるが、それらは、同時に、大衆の文化的なレベルに蓄秋され
た欲求不満を笑いとともに雲散霧消させる管理装置としての役制もはたしたことを忘れることは
できない。
 この点に関してわたLはかって、「天皇制1-文化装置の稚造」(『批判の川路』創桝杜)という一
文のなかで、天皇が日本のマス・メディアのたかで国民的なアンチ・ヒーローの役割を果してい
る面を指摘し、その意味を論じたことがある。が、今日では天皇は、むしろマス・メディアから
遠ざかることによってそうしたアンチ・ヒーローからもっと□だたぬ-しかし強力な力をもつ
1存在に転身しようとしているようにみえる。これは、マス・メディアでとことんアンチ.ヒ
ーローの役目をはたした田中角栄と対照的であるが、逆に言えば、天皇は、叩中角栄の山…肌によ
って、国民的なアンチ・ヒーローとして棚笑や批判の対象となることをまぬがれたのである。こ
のことは、田中間題を論じたさまざまな論文のなかでも、ほとんどなおざりにされてきたことで
あるが、今後もっとたち入った論議がなされなければならないと思う。
 マス・メディアは概して田中角栄をアンチ・ヒーローとしてあつかってきたが、テレビにはも
どもと人をアンチ.ヒーローにする機能がある。テレビは木来同化のメディアではなく火化のメ
ディアであり、テレビにはどんなに"偉大な"スターが登,扮しても、それを閉笑や触介の対壊に
してしまいかねないところがある。その恋味で、テレビの"スター〃の呼び名としては、『火鮒・
悪漢・馬鹿」(飯…茄泄訳、新人柱)のオリン・E・クラップによる「堕落的英雄」というのが一冊
ふさわしいだろう。
「堕落的英雄とは、悪漢であるには善良過ぎ、英雄であるには忠過ぎる、また道化であるにはま
じめ過ぎ、忘れ去るには興味がもて過ぎる、そういった連中のことである」。
 こうした英雄は、観客が同化しようと思えぼできないことはないが、それは決していつまでも
観客の期待にこたえてはくれないし、また御客の方も、メディアの持続時…のあいだだけのっき
あいだと川心っている。これは映胴の場合と大分箏帷がちがう。映画でも、「堕落的英雄」はひじ
ょうにポピュラーだが、映画の場合は、メディアが登場人物をそのような存在にしてしまうので
はなくて、もともとそうであるような人物ークラヅプが列記しているところでは、「①粗暴な
男、②せこいやり手、③一匹狼、④善悪両面性格、⑤偽りの好漢」ーが登場するのであり、観
客はそうしたキャラクターをありのままに受けとることを要求される。そのため、テレビにくら
べると映画は、ときにはひじょうに挑発的なメディアとなる。観客は、そこでは依然として大な
り小なり登場人物に同化しているのであり、同化がうまくいかないときには怒り出す観客も出て
くるのである。
 テレビが、恵味を無意味に、そして無意味を恵味に転化する機能は、一面では、映面化された
対象への批判的な姿勢を保証するかにみえる。しかし、現在の円木のテレビでは、そうした機能
は十分発揮されていない。むしろ、そうした機能を発仰でき次いようにする機能が独調されてさ
えいる。異化というテレビの機能を徹底させるならば、それは確実に現実批判のメディアとなる
はずだが、それを抑止するために、同化の機能が巧妙にとり入れられている。
 今日、われわれ大衆は、「堕落的英雄」には一時的に同化できるかもしれないが、英雄らしい
英雄には大抵反発をおぼえる。しかし、われわれは同化の欲求を失ったわけではなく、日常的な
レベルではたえず自分のアイデンティティー同一性1-臼已証明-を求めている。失われたの
は、国家や権力から直接強例された一本当はなくてもよい1非日常的欲求を代理的にみたし
てくれる人格へ同化する欲求であって、同一化の欲求そのものではない。言いかえれば、われわ
れは、-以前よりももっと具体的な場面で誰かに同化したいと思っているのである。
 こうしたナルシシズム的同一化の欲求にとって、どこにでもいそうなπ閉気をもった人物がブ
ラウン管に登場してくれることは、実に好都合なことであり、さらに机聴者のどんな欲求にも対
応する数だけのタレントが登場すれぼなおさらよい。その意味で、テレビのインタヴエアーが人
に好みをたずねるときに、好きなタレントの名をきくことがよくあるのは、ひじょうに今日の状
況を示唆していると思う。たしかに大スターはいなくたったかもしれないが、スターの機能は依
然必要とされているのであり、つまりはスターが機能分化し、多様化しただけなのである。これ
は、大衆の欲求を多様化しながら管理をすすめる方法の一形態である。
 しかしながら、これは、われわれ大衆の側からすると、本当は"スター"であり、ある柵の権
力であるものをわれわれと同等の位附にいるものとしてみてしまう危険をはらんでいる。少なく
とも、一7一レビのブラゥソ術のたかで大衆的な人気をもっことができるということは、その人気が
椛威主張的なものではなく、くったくのない身近さをもったものであるにしても、一つの文化的
怖力なのであり、自分に同化する大衆をもっているということがすでに椛力なのである。鈴木他
二などは、この点をどの程叱恋識しているのだろうか?
 おそらく、スターは、アイデンティティ信仰がなくならたいかぎり件、共」続けるだろう。水当は、
自己を同一化する相手などどこにもいはしないのだ。〔己(わたし)n身がすでに差火なのであ
る。身近さはくせものである。、フラウソ作のなかで身近さを感じさせるものはくせものである。
が、ビートたげしのようにたえず自分を異化しているようにふるまっているのもくせものである。
すでに、彼の〃毒舌"は、多くの人々によって快く同化されはじめている。要するに、テレビの
なかには同化すべきものは何もないのであるというところから出発しなければ、このしたたかな
文化装耐の蝿にはまるだけである。スター不在? いや、スターがスター・ダスト(星雁)にな
っただけである。                        (一九八三年一〇月)
       


4



 一九八四年になって天皇や皇室についての記事や報逝がマス・メディアで日立つようになった。
聞くところによると、広省・宣伝業界では天皇問魎が早くから一九八四年の推燃〃文化商^"と
みなされていたという。それは、いわゆる〃xデー"-昭和の終わりの日1が近づきつつあ
ることを予想したうえでのことだろうが、ここには昭和をそろそろ終わりにしたいという変革願
躯が秘められていることもたしかである。
 変革願則と危機意識は表裏一体をなしており、咋年(一九八三年)のように東京大地震のことが
とりざたされる場合にも、そこには、突如ふりかかる災箏に対する危機菰識とともに、「大地庚
でもなければ大口の引きく…いは塑めない」といった姓築業界の人々がうっかり口をずべらせるせ
りふに示されているような変革願望が潜在している。
 Xデーにはいやおうなく天皇と国家の問題が岡民の皿天な関心事になるということは、これま
でくりかえし言われてきた。この日には日木のすべてのテレビとラジオが平常の放送をやめ、追
悼のための特別番組を放送し、新開もn山な報道活動はできないだろうという。そして、日本同
内はある租の戒厳令下に附かれ、ふだんは手びかえられている市民の警察管理・チェックが大規
模に強化され、またこの機に乗じて天皇君主制の復活や国家主義を標楼するファシスト勢力の大
手をふった行動が黙認されるようになるだろうと言う人もいる。
 そこで、市民の多くは、Xデーに危機意識をいだき、逆に天皇主義老や国家主義者たちはこの
ことを状況変革のための格好のチャンスとみる。その恋味では、現在、"革新〃や"反体制〃が
既存の市民社会的価他を守る立場に立たされ、保守主義者や反動派が変推にいきごむという皮肉
な側向が生まれようとしている。
 天皇間胆のこうした屈折は、高度経済成長を通じての日本社会の桃造変化と無関係ではない。
他の先進産業国とくらべてはるかに政治の中央集椛化と文化の均質化の傾向が強い日木でも、こ
の二〇年間にある程度の分権化と多様化が進み、国家からn律して機能できるかにみえる市民社
会の層がわずかに厚みをもってきた。これが、国家主義者の同には国家の危機と映り、そこから
国家をいまよりももっと可視的なものとするために国家茸主を奉る天皇淋主制、倫理の強化、凪
俗の浄化、教育再編成等々への志向が表面化してくるのだが、こうした"右傾化"路線は、日本
で市民社会が国家からn律していると付しる単純な市民主逃のちょうど衷がえしであり、資本主
溢システムのしたたかさを知らぬ近視眼的発想にもとづいている。
 この二〇年間に日本の市民社会がわずかに厚みを増したかにみえるのは、市民社会が国家から
本当に口律しはじめたからではなくて、旧求がその管理・統介の装雌、とりわけ電子情報の川賂
を拡充することによって市民社会に初対的な"n律〃を与えられるほどの余力をっけてきたから
なのであって、国家の危機とは正反対である。
 このことは、資木主我旧家が高度化するにつれて国家自身が市民社会の"自律"を許容してゆ
かざるをえないという逆説でもあるが、日本の場合には、残念ながらこの逆説があまり発揮され
ずに終わる条件がはじめからととのっている。日本の関家形触は依然として天皇制であり、天皇
制は「日本固の象徴であり口木四民統合の象徴」である(籔法第一条)が、このことは、このよう
な旧家のもとでは、困民ははじめから統合されるべきものとみなされており、ほらの意志で他者
と迎合して祉八ムを形成するものとはみなされていたいということを忠味する。言いかえれば、日
本囚家は、その川家原理からすると、旧民を統合・管理することだけを前提にしており、柵対的
にですら旧民に旧家からの"n律"を許す-」とができないのである。
 これは、□本国家が資本主錐の論理を追求してゆく際の桂枕となり、すでに旧境を旭える企
業は海外の汎場で天皇制的旧家の諭理と資木生炎経済の諭理との矛爪に直面している(たとえば
多様な民族的背姓をもつ労働者をかかえる工場では統合的な労務符理はしばしば非牛.派的であ
る)。
 今日、先巡産業閑は、大なり小なり情榊資木主裁への旭を歩もうとしている。円木も例外では
ない。しかし、帖微資本主義は、旧家に対してその逆説も含んだ〃莇度の可能性を発推すること
を要求するため、口木の場合、天}側が日本閑家の資本キ義的発映のための阻火〔瑛困にならざる
をえない。というのも、情報資本主義は、既存のあらゆるシステムを多様化するだけではなく、
多様化したシステムそのものを白ら分泌してゆかなければならない(情報とはもともとそういう
ものだ)が、天皇制的な統合の論理はこうした多様化を阻害するからである。
 そうした矛κはすでにマス・メディアのなかで挑われている。マス・メディアは、怜報資本主
泌以前の段榊では胴民ないしは大衆を統合する楽附としての作格を強くもつが、情報資木生荻の
股附では旧家と市民社会とを媒介し、市民柵互のコミュニケイションを活性化しながらそこから
帖報資木を作、み出してゆく機能をはたすことが期待されている。ところが、Xデーにおけるu本
のマス・メディアは、情報張本主義以前の機能つまり岡N統令の機能しかはたさなくなると予想
されているのである。
 マス・メディアのこうした反応は、Xデーの予想される小態にかぎられたものではなく、ずで
にロッキード難件や「疑惑の銃弾」事件でくりかえし現われている。日本のマス.メディアは、
まさに天皇制と気脈を通じあったかのように、市民をつねに統合されるべきものと考えている。
だが、これでは、マス・メディアは決してニュー・メディアにはなれないだろうし、ニュー.メ
ディア政策はマス・メディアのこのような旧態依然とした体質のまえで行きづまるだろう。だか
ら、その点では、いま天皇制をまじめに考えなおさなけれぼならないのはポ翼や左翼であるより
も、日本の資本主披的発展を願う企業人であるはずだ。
 それぞれが遮った存在であるはずの市民が、単なる旧民として、しかも統合されるべき四民と
みなされているということは、市民が決して一人前の"大人"とはみなされていないということ
を恋味するが、実際、日本のマス・メディアほど他者依存の強い幼児的な世界に価値を見いだし
ているところはない。「疑惑の銃弾」事件で明らかになったように、日本人がいま□常性を超え
るということは、"芸能人"になる、"芸能人"のように振る舞うということであり、日常性の向
こう側には"芸能人〃の世界しか存在しないのである。しかも、その際、"芸能人〃になるとい
うことは、完全に他者依存の人削になるということであり、セックスから仙人的外腋にいたるす
べての私的側域を他者のサディスティックた支配にゆだねることである。
 央原形は、『政治の詩学』のなかで、天皇制が日本人の技術くn理性と共同性を何分配する源泉
になっていることを指摘しながら、「閉迦は、天皇制が私たちn身の坐庇さの彬だということに
つきる」と言っているが、マス・メディアは、まさにこうした「影」の代償として機能している。
それは、この「影」の空虚さを感じさせないようにするわけだが、その実、マス・メディアが過
熱すればするほどこの空虚さは深まり、天皇制はますます完壁に機能するのである。
 この魔術的な回路を断ち切ることはできるだろうか? できなければならないし、その重要な
銃を握っているマス・メディアはそれを第一の課迦としなければならない事態に直面していると
…心われる。誰しもが現在のマス・メディアを一面ではうんざりしながらマゾヒスティックに受け
いれている現状は、もういくところまでいっているのだから。       (一九八四年四月)
       


5



 一九八四年が明けて新閉を開くと、「ニュー・メディア元年」という文字が飛び込んできた。
その後、さまざまなマス・メディアでこの青葉に出会った。とすると、"ニュー.メディア〃騒
ぎに㎜け暮れた昨年二九八三年)は、まだ".塔年〃だったのかということになるが、考えてみる
と、なるほど今年は、昨年論議されていた"ニュー・メディア〃の多くが具体的にその活動を開
始する。
 そのうち、社会的にも政治的にも、また文化的にも経済的にも重要な意味をもつと考えられる
"ニュー・メディア〃は、一月二三日に打上げられた〃尖㎜川放送衛足BS12〃「ゆり2号a」で
ある。同じ放送犯波を(そして可能的には軍事通信を)日本全土に均等に放射することのできる
この衛里は、すでに失われつつある空間的な地域性を最終的に消滅させ、日本全土を一つの電子
旧家共同体にする端初となるだろう。これは、ある意味で、地上から天に向かって鋒え立っ塔と
ユソトツの文化の終焉であり、すべてが地上とは無脚係に空中で、すなわち人間の生活世界を越
えた"観念的〃な化子世界で行なわれる時代の端初である。折しも、一月二二日、米空軍は、衛
〃を破壊する攻撃兵推ASATの第一回発射実験を行なったと発表した。これは、国家や国際政
治の単位が〃地上"から〃大気閥外。に移りつつあることを恵味している。
 こうした状況のなかでわれわれの生活世界はどうなってゆくのか、ニュー・メディアを一方的
に押しつけられるわれわれ大衆にとってそれはどのような意味があるのか、といった分析は楓度
に乏しい。大半は、ニュi・メディアを符理する側に立った設問と論述である。たとえば、「情
報・ネットワーク社会〕木の可能性」(『中火公論』一九八四年二月号)のなかで今井賢一は、情報化
社会に対する「楽激派と悲概派」とがともに「微汎的にすぎる」とし、「楽伽派は、光と形とい
った見方をこえて、われわれが陥るかも伽。れぬ地獄を児批えておくべきであり、他方、否定派は
沽榊化がもたらす可能性を内在的に検討すべきだと思う」と述べ、現状を客観酌に展望しようと
する。しかし、この論述企体は、怖報化のもたらす「地獄」などを考察するっもりは全くなく、
もつぱら情報化の「可能性を内在灼に検討す」ることに終始している。
 なるほど、現在の〃ニュー・メディア"路線は後退しないだろうし、後逃すれば現在の政治・
経済体側は立ち行かないだろう。しかし、それは、「地獄を見据えておくべきだ」とか言いなが
ら、そんなことはせずに中途半端な現状肯定に終始する識論がこの路線を援護しているからでも
ある。今井は言っている。「ニューメディアの発達が、人と人との直披の接触を不要にしたり、
連結点での人を不要にするというような見方は、一部にそのような可能性があるにしても、誤れ
る強調であり、多分に誤解である」。
 しかし、それならば、今井はその一部の可能性-「地獄」一を詳細に提示すべきである。
世界中の個々人が旭予H神経システムに.編入されるとき、人工衛足やメディア・センターは、そ
の電子=神経中枢となるが、それらがたとえぼASATによって破壊されたときの「地獄」も素
摘すべきである。今非は、「犯話が発達して人々の会合がむしろふえたように、データ通信がい
かに発進しても、フェイス・ツゥ・フェイスの接触の派要性は決して失われない」と言っている
が、間魎は会合の回数ではなくして質である。それに、班語メディアと。ニュー・メディア〃と
は、その規被においても、機能においても異なっている。
 会合がふえ、人と顔を合わす機会がふえても、一回的で新鮮なコミュニケイションがなりたた
なくては仕方がない。今井の論述は、こうしたコミュニケイションの可能性を論じたものではな
く、産業の安全と刊雄性を暇題にしている〔現在の日本では一産業細繊の印に迦鋲的な分業がも
のすごい勢いで州殖しつつある」が、こうして「細分化された仕班をつなぐ連結の仕班」をする
のが、今非によると、ニュー・メディアなのである。従って、ニュー・メディアがあれば、労働
の細分化や専門化は産業効率をさまたげるものとはならない。ネットワーク社会が提唱されるの
もそのためで、それは、「ω小さな琳境の変化にも対応しうる敏感性をもち、㈹その適応の仕方
に多様性、異質性を確保することができ、㈹予期せざる環境の変化に対する脆弱性が小さい、と
いう長所をもっている」。しかし、この「長所」は、今井にとっては、もっぱら産業効率を上げ
るためであって、それぞれの生産単位が旧家から自律するためでは決してないのである。
 それゆえ、ここでいくら「ミニメディア」だとか「『小さな』メディア」だとか「手づくり情
報」だとかいう一どこかで開いたような-ことを今井が強調し、「強制的な分業や、なんら
かの統制の下でn山を抑えられた分乗は、連帯や統合を生みださない。われわれが情報通信系の
分甘で執鋤に政府統制を排除しようとするのはこの理由からである」と言っても、彼の言う「ミ
ニメディア」とは、困枕を越えてひろ、がる他子11神経システムの一見〃多様"にみえる端末にす
ぎないと思うのである。
 一九八○年代になって〃珍味性"の川大が庁定的に論じられるようになったのは、いわば糊が
かりの多様性を可能にする条件が小一してきたからである。小沢新一の『チベットのモーツァル
ト」(せりかはH〃)と渋川杉の『椛逃と力』(鋤小火〃)に対するり、ス・ノディァの過剰な反応は、
このような条件が生じてきたことと無脚係ではたい。
 中沢新一は、「榔教に都市と資本主菰(郁巾の本性はほんらい資木t義的だ)を形成する連動
阯ときわめてよく似た迦動性が内蔵されて」いるという卓抜な概点から、「それは、生の力の多
様性を禁止し限界づける共同体の『桃造†.雌」的ニヒリズムを批判する行醐であり、おおらかな
肯定性とともに.μ大な多様性のなかに蹄入込んでいく川中命」を息昧している」と.一」[っている。
 わたしは、本{が倍数を倣庇的に脱神秘化し、それを一仰の情報論としてとらえているところ
に典昧をお.ほえたが、しかし、中沢とはちがってH水人が「資水上共のふるえる先…舳部にたつ」
とは見えず、むしろわれわれは、天}次の〃家風"を"→、イ・ホーム"の宗風にさせられるとい
った近代以前のN氷支削のなかにいると思っているわたしには、「炸界をその解体にむけていざ
なっていく」「資本主我のユートピア」を中沢のように沽ることは、それだけでは、所詮"棚が
かりの牝様性"を州孤させるにすぎないと川心うのである。
 浅川杉の場くH、木文より読みやすく仰がれている「序に代えて」だけで彼の思想のマス.イメ
ージがつくられているきらいがあるが、そのマス・イメージの一つは、㎜らかに、次のような個
所から生じている。
「始源を求め*ったとき見出されたのは始源からのズレにほかならなかったということを知っ
た以上、もはや、表われた至福の此界、あるべき姿の世界を信ずるわけにはいかない。少なくと
も、自然回帰や肉体礼讃がやすやすとファシズムに傾斜していった過去を知る者は、しなやかな
心と体を介したコスモ四ジヵルな全体性の回復を説いたり、コソヴィヴィァリティ……などとい
う御題目を唱えたり、それほど楽観的でないにせよ、カオスの象徴秋序への板乱に賭けたりする
前に、『英知においては悲棚主義者たれ』というグラムシの言葉を銘記する必要があろう」。
 グラムシがこのような教訓めいた調子でペシミズムとオプティ、ミズムについて語ったことは一
度もなかったことは別として、浅田の言わんとすることはわからぬではない。
 しかし、日本ではシステムが"多様化"すればするほど岡家の介入と国際…胆の依存関係が強
まることを中沢新一の状況認識に対して対置しなけれぼたらないのと同じように、浅…杉に対し
ては、ファシズムやスターリニズムの時代とはちがい、ニュー・三7一イアが浸透し、生活世界を
アンドロイド化する条件が強まっている今日の状況下では、浅田が、既約しているいかたる"オプ
ティミズム〃も、また彼n身の"ペシミズム"もはじめから術子的に柵対化されており、都合の
悪いときにはスウィッチを切ればよいよう欣ものになり下っていることを強調せざるをえない。
 竹内啓は、「無邪気で危険なエリートたち一現代を支削する技術合理主義を批判する1」
(「世…介』一九八四年二月け)のたかで、現代のH木が、次第に、「一定の体系化されたル門知識とそ
れにともなうノゥ・ハウ:…・を武器とした技術エリiトによって支配された社会」になりつつあ
ることを指摘している。その際、竹内は、技術エリートたちのあいだで西部迦の「大衆への反
逆」が受けている例を引きながら、そこに、彼ら「以外の多くの人達、すなわち大衆が、ものの
わからない、厄介な連中であるという考え方」が吹き出しているのを鋭く見抜いている。彼らは、
「自分達の技術論理を越えるような理念や倫理に対しては、あまり関心を持っていない」のだが、
こうしたアンドロイド的な姿勢は、ニュー・メディアの浸透とともにますますファッショナブル
なものになってゆくように思われる。                 (一九八四年一月)
       


6



 一九六〇年代の熱狂がすっかり白け、〃支配"や〃附級"という概念が全く有効性をもたなく
なってしまったかのような風潮と、そのような風潮を正当化する知識人(ニュー.ライト)が続々
と登場したとき、アルヴィソ・W・グールドナーは、『知識人の将来と新附級の台卿』(一九七九
年)という短いながらも知的地燃力に溢れた論争の秤を著わした。
 このなかでグールドナーは、既存の階級概念、加術党神話、支配関係等を批判したのち、「に
もかかわらず新附級は支配の終わりなどではあ・りえたい。その究枢的なな味は古い企鈍化された
支配の終わりであるが、新階級とは、また、新」いヒエラルキーの核心をたすものであり、文化
資本という新しい形態のエリートでもある」と言ったが、この言葉は、いままさに「新階級」と
しての「文化的ブルジョワジー」が台頭し、その"イデオローグ"としての「知識人エリート」
が「ニュー・アカデミズム」や「……ニュー・ウェイブ」として登場しはじめている日本におい
て、かえってリアリティをもつように思われる。
 グールドナーが言うように、この新階級はパラドキシカルな存在で、「解放的であると同時に
エリート主義的」なのである。従って新階級の文化スタイルは、「既存の支配を批判するための
基盤をなし、伝統からの逃亡に倣えるが、それは同時に新しい支配の獅子をはらんでもいる」。
そこでグールドナーは、こうした両義性の解放的側面をエスカレイトさせる可能性をさぐったわ
けだが、アメリカのその後の動向は、彼が十分に予見したとおり、新階級による附級支配が動か
しがたいものになっていった。
 日本でも、八○年代に入って、「新階級」が次第に力を貯えるにつれて、それをメディア的に
バック・アップし、支配階級としての階級形成に手を貸す知識人が登場するようになった。彼ら
のディスクールは、批判的であると同時にエリート主義的なところが特徴で、そうした二つの要
素が小器用(スマート)に、不器用(密教的)に、あるいは老猜にこきまぜられて姿をあらわす
のである。
 いずれの場合にも、そこには今日の状況に正しく拮抗する批判的要素が二面で保持されてはい
るのだが、その批判は、現状を根底から批判しようとするためのものではたく、ある特定の階級
の前進と擁護をはかるためのものであることが次第に解呈しはじめている。むろん、このことは、
問題の知識人たちの無意識的機能を含めて言われるのであるが、とりわけ西部迦の場合のように、
そうした自分の祉会的機能がほぼ十全的に意識された形で行なわれることもある。
 その意味で、西部が吉木隆則と行なっている対談(「大衆をどう捉えるか」上・下、『エコノ、ミスト』
一九八四年二月七/一四□妙)は、両者がそれぞれどのような階級の利害に荷担しているかがよく
見えでおもしろい。
 ここで吉本は、夏泳ぎに行った漁師町で、一〇年以上まえだったら「暗い部屋の隅でポツネソ
として一日暮らしているとか、ゴ四ゴロ寝ているとか、いずれにせよ、そうやってあとは死を待
つ」だけだった老人たちがゲートボールに打ち興じているのを兇て「感動」したという例をあげ、
「柵対的にそこまで大衆祉会レベル、経済レベル、健康レベルとか、保雌管理レベルを向上させ
た」現状を肯定する。
 これに対して西部は、部屋の隅っこでネコか何かのように死んでゆくのを腹立たしく感じた老
人が、自分で努力して小銭をため、そのあげくにゲートボールをやるというのなら別だが、「そ
れをみんたがやるということが、なんか無条件に許せない」と言い、彼の基本的姿勢を次のよう
に開陳する。
「マルクスの言うような階級的、物質的定義ではなくて、;口で言うと、安楽を欲しいと思う、
というより安楽を飽くなく追求する人々をブルジョアと呼びたいということです。そうたってく
ると、これは職業としてインテリだろうが、政治家だろうが、産業人だろうが、だれでもいい、
とにかくそういう人ならばブルジョアというふうに呼びたい。ぼくにとっていまほとんど目の敵
みたいな言葉というのは、『安んじて楽しい』という『安楽』という言葉なんです。…:・安楽ご
ときを至上の価値となす、そういういまの産業祉会というのはロクでもたいものなんだというふ
うに、どうしてもぼくは言っておきたい」。
 吉本と西部の観点は、たがいにズレているが、両者に共通するのは、彼らがともに概念的な現
実しか見ていないことだ。吉本は、出来合いのレジャーを受けいれるしか余裕のない階級を知っ
ているが、他の方法も可能なのに彼や彼女らにそのような単一なレジャiを与えて安んじている
システムの存在そのものには無脚心であり、そのために現実への批判を欠いた肯定的ディスクー
ルのなかにおちこむ。
 西部の場合、ゲートボールについて、「ぼくはそういう光景をあまり見たことがないけれども」
と言ったのちに上述の発言を行なっていることでもわかるように、彼には、吉本が問題にしてい
るような榊級への関心はなく、「安楽」を価値とするか否かを自分の意志だけで1つまり社会
システ一ムが現状のままで1選ぶことができるようにたる〔覚めた「大衆」だけが間脳なのだ。
むろん、それは概念的な大衆である。
 西部にとって、彼の「大衆」概が概念的であるのはむしろ意図的なことであり、その点が、シ
ステムに対する無知のために大衆を観念化Lてしまう吉木とは異なっている。西部はそうした意
識的な大衆無視-大衆の観念化1によって「新階級」のイデオローグとなるのであり、現実
には"小泉"の文化的・経済的利害でしかないものを大衆の批判と変革(彼の言う「反逆」)の
モデルにすりかえることができるのである。
「新階級」の文化とは、まさにすりかえの文化である。それまで〃反権力"の側に賦していた理
論も、マイナーな理論も、装いを新たにして再登場する。そこでは、理論や概念装附は、全く正
反対のデロス(究概u的)の方向で理解され、用いられているのだが、逆にそのことが論述を"斬
新"に見せることもある。岩井克人「キャベツ人形の資本主披」(『中央公論』一九八四年三月サ)は、
そのような一例となるものだが、同時にそれだけにつき次い側面をもっており、わたしは一冊お
もしろく読んだ。
 岩井がここでとりあげているのは、昨年(一九八三年)来光閑でフームになっており、口木にも
"上陸"するかもしれないと言われている〃キャベツ人形"である。いま、資本主荻とは、「杣対
的な差異の存在によってしかその絶対的要諦である利潤を創出しえない」ものであるとすれぼ、
「もはや搾取すべき遠隔地も労働者附級も失いつつつある資本主義にとって、残された道はただ
ひとつ-内在的に差異を創遣するよりほかはない」。その意味で、「コンピューター技術によっ
て、顔の表情、エクボやソバカス、目の色、髪の毛、洋服に靴といったパラメーターを組み合せ、
二つと同じものが存在しないというこの人形は、従来差異性を生み出すためにはそのたびごとに
新たな陥□…を考え出していかなけれぱたらなかった資本主張にとって、いわば極限的な差異創造
の方法を示している」と、岩井は考える。
 たしかに、岩井が「キャベツ人形」に資本主義の現在の位杣を見たのは鋭い着眼であり、この
人形がひとつひとつ主席されるたびごとに市場において拡げられてゆく差火性のネットワークは、
「消火考の差異化の社会的欲望を無限に包みこんでしまう可能性を持つ」という指摘は、すでに
帖推の分野では現実化している。
 しかし、わたしがすでに"竹榊資木生推"と呼んだ段附に達した資木主義は、決して「外部」
や「附級差」を失ったわけではない。むしろそれは、情報的に"搬か"な附級と"貧しい"階級
とをいままでの附級差以上に枢川舳な差において存在させ、最終的に個々人の身体(エコシステム)
のみを「外部」としてもつ以外にはないところまで逃むため、抑圧された「差異化への欲望」は、
旭子的な情報裟附を川いたナルシシズム的・オーナニi的な、「祭やポトラッチや戦争」の個人
的等価物においてしか満たされたいところまで行くのである。
 新井は、そのような側.mを決して見ないため、木諭の水圧を、「だが、これが果して資本主携
がみずからの限界に到迷したことを地味するのか、それとも資本主義には限界がありえないこと
を意味するのか、もはやキャベツ人形は何も諮ってくれない」とあいまいに縮んでいる。
 しかしながら問題は、そもそも「限界」をそのようにn線的な概念としてではなく、歴史的
的・地平的な概念としてとらえ、そのつど歴史的に生起する地平的眼界のなかで何をしなげれぽ
ならたいかを問い、火脹することではないのか? むしろ川石井の拠所する疑……形は、そうした
"限界"を隠蔽し、つまりは企伐、が怖報として〃純化"されることによって貨幣の永逝のn己州
砿という資本主荻のデロスがより一胴あらわになると同時に、そこに淋在するもう一つのテロス
ー革命のデロス(それは、「祭やポトラッチや戦争」のデロスとは厳密に区別されたければた
らない)がよりひんぽんに作兄されうるようになるというパラドックスを完全に覆い隠す役割を
果していると一行わざるをえない。                   (一九八四年二月)
       


7



 日本を離れるたびに痛感するのは、日木は決して民主主義門家などではなく、あいもかわらず
天皇制国家であるということだ。
 これは、日本杜会に民主主張が存在しないとか、他の社会にくらべてそれが乏しいといったこ
とではない。国民を管理・支配する旧家形態が民主主義ではなくて、天皇伽(ないしは天皇家主
義)だということである。
 そのため、社会や文化のレベルにどんなに賑かな民主主泌があっても、そこでは、ひとたび国
家がそうした社会や文化のなかに姿を以わすときには、その民主主雅的な要素が全くなかったか
のように小が逃行Lてしまう。困家が姿を軌わさないときや、旧家が炎を現わさないかに見える
レベルでは、天皇制などもはや形骸化しているように思われるかもしれない。が、国家とはその
本性上、形骸であり、その本来は形骸化している形式が㎜迦であるところのものなのである。
 たとえばパスポートであるが、□本国耕を有するわたしのパスポートの表には金色の菊の紋章
が押されている。行うまでもなく、これは、天坐塞の級車(衣紋)であり、このパスポートを所有
する者は、大小家の一員であることがこれによって則示されている。しかし、わたしは残念なが
ら天皇家の一員ではない。いずれにしても、何η方かの数がある"家"や"家柄"を天皇家とい
う一つの匁で代火させてしまうのは、山民一人ひとりのn律的存在を(従ってその"家"や"家
柄。をも)認めることを原則とする民主主義とは正、反対のことであり、それは、象と国家とが癒
杵した前近代的な旧球のやり方そのものである。
 象徴天皇制のタテマエからすると、天皇は閑民統合の象徴であって人格ではないのだから、旧
民を統合するためとあれぱ、何にでもたれるようなまさに盗恋的な記号そのものである。従って、
天皇は、菊の紋のような何か特定の一滋的なマークによって限定されてはならないのであり、パ
スポートにおける菊の紋章の押印は、象徴天皇制の原理にすらも反するのである。
 今日、記号論は、いつのまにか「超え」られてしまったかのような趣きだが、象徴天皇制とい
う記号諭的旧家形態のもとにある日本では、記号論は全然雌えられてはいないし、むしろ、記号
論を支附と竹理の原理としておさえることをせずに、記号論があたかも畑えられてしまったかの
ように一青うことは、逝にその管理と支配の性格をうやむやにすることに大いに役立つ。
 日本国民は、天皇制によって〃近代化"(モグニセイシヨソ)をなしとげたのだとすれぱ、ポス
ト・モダン・エラとは、日本の場合、天∴制によるこの"近代化〃の後期のことであり、ポス
ト・モダニズムとは、天皇制の肚終的な遍在化と瓜微をめざす助きだということになる。従って、
日本におけるポスト・モダニズムは、必然的に新しい1支山原理としてより洗練された一天
皇制をめざす動きにならざるをえない。それは、早晩、はっきりとした形で理われてくると考え
られる。
 今月(一九八四年三月)は、この原稿をヨーロッパの旅先で糾いているので日本の現状を論じた
印刷物に触れる機会が乏しいのだが、パスポートや旧境のことをいやでも忘れることができない
生活のなかで、久野収・インタヴユー「初めて閑境を越えた。そこで考えた戦後の今日」(『ベソ
ギソ・クェスチョご四月号)をおもしろく読んだ。
 久野収は、このなかで、「間際化というのはH本では外へ出て行くことだけなのですね。出て
行くのと同じ数の外因人を受け入れて、職業を提供して彼箏と一緒にやろうとするのが国際化だ
が、そっちの方は全然やっとらん」と言っている。全く同感である。しかし、それは、国民性と
か国民意識の"欠陥"からそうなったのではなくて、そういうやり方でもっぱら国家が-国家
支配が1∬徴されてきたということである。
 たしかに、久野の言うように、「向由が、自分たちが作り出した秩序を伴う自由であるという
感覚が、日本人にはなかった」、「自律の臼由……、個人だけではなしに、集団にしても家にして
も構成貝が姐体を相談して自分で立ててゆくという白山が非常に足らなかった」ということも、
こうした国家支胴を生み出した一因であるだろう。が、それ以上に、日本因塞は、「自律の白山」
を閑民が発展させる余裕を与えない管理を徹底させてきたことが指摘されなければなるまい。白
山のための闘いが無数にあったし、いまもあるにもかかわらず、それが「自律の自由」のための
閉いにならずに「何かからの自由」への闘い1つまりは抵抗や批判-になってしまうのは、
それだけ権力がしたたかだからであり、とりわけ天皇制という岡家形態が存在するためである。
 口木にいると、とかく閑境を地理的な概念だと考えやすいが、ヨーロッパの鉄道に乗ると、国
挑とは完全に旧家権力とそれに仕える従僕によるきわめて人工的な1従って管理と支配の1
概念であることがわかる。
 ヨーロッバの鉄道は、「自由主義圏」と「社会・共産主義圏」のいかんを間わず、国境を越え
柵互に乗り入れしているから、列車のコンパートメントでねむっているあいだにたとえば西ドイ
ツと東ドイツとの地理的国境を越えてしまうということもありうる。しかし、この場合、国境を
越えれば、その列車はその国の管轄下に入り、車内にはその国の警察官が乗りこんでくる。列車
が通過するだけの国の駅でもパスポート検査があり、あやしいと見なされた老は拘留される。
 西ベルリンからフライブルクヘの列車のなかで、同じコンパートメントに乗っていた青年がシ
ートに靴足をのせていて東独の警官に見つかり、五マルクの罰金を取られた。これは、ヨーロッ
バ鉄道の規則に従ったものであり、この警官はそれを厳守したにすぎないが、所定の規則をどう
いうやり方で守らせるかは困家とその従僕によって異なるわけで、それが、物理的には同じに見
える列車のコンバートメソトの氷㎜気をそのつどがらりと変えてしまうのである。
 日本国家の〃繁栄"は、ヨーロッバでも自動車と電子機器によって象徴されている。それはヨ
ーロッパの同種の産莱をおびやかし、ヨーロッバで働く労働者の労働を雅ってきた。Lかし、趨
勢はすでに変わりはじめており、日本の企業は目木で生産したものを輸出するのではなく、現地
に工場を建て、現地の労働者を雇ってn動車やVTRを生産せざるをえなくなってきている。こ
の場合、ヨーロッパ中に臼本の車やVTRがあふれたとしても、日木で生産したものは、その製
品を生産するためのアイディアや情報だけだということになるわけだ。
 この締果、日本の産業はますます情報志向を強めざるをえず、その反面、日木のマーケットに
流れる日本の商品ですら、日本で最終的な生産をしたものではないという1すでに柵当顕在化
している1現象がいま以上に尤進する。多国雑化Lた企業にとっては、どこで生産しようと儲
けは儲けであり、それならば労賃の安い所で生産した方がよいわけである。
 このようなやり方が、日本の産業労働者の失業率を高めないためには1そしてまた、情報で
勝負しなければならなくなる日本の大きな座薬が生きのびるためにも1労働者を情報労働者に
転換してゆくことが必要になってくる。しかし、情報労働は、従来の"肉体"労働とはちがって、
少数の"精鋭"労働者で高い生産効率を上げることができる性桁をもっているから、産業が情報
志向を強めれば強めるほど失業率が高まるのを抑えることはむずかしい。
 このため、一方では情報労働を奨励し、他方では労働そのものを価値下げする二重政策が現わ
れざるをえない。そして、この政策を"円滑〃に推進するための装帷として、それに見あった文
化がメイジャーな文化として祉会のなかに浸透させられる。
 それは、申付根の"教育改革"の路線のなかですでに賠示されているように、"頭脳"的な上
昇志向と白山競争を至上の価値とするが、"肉体。的なレベルでは怠怖や逃避こそファッショナ
ブルであるとする文化であり、その方向での教育が進められることになる。
 しかし、このような"天才"願塑型の文化(そこでは"天才"は、"頭脳"的に勤勉で〃肉体"
的には怠怖であることになっている)が浪透した場合、一般に人は、"肉体"労働を中なる遊び
以外のものとしては枕力避けるようになるだろう。これは〃内体"を使うロボット化できな
い)労働の分野で火変をまきおこすであろうし、"外人"による心火脈の収得が概度に難しい日
本ですら、近年、セックス産業の労働者を火焔アジアから導入せざるをえなくなっている現状が
それを物語っている。
 が、この場合、天皇制はこうした労働者をつねに〃身内"でない者として排除するから、"頭
脳〃労働者と外胴からの"肉体〃労働者とのあいだの差別はますます広がってゆくだろう。その
意味では、今後こうした〃外人労働者"が〕本にもっと大竹に入ってくることになっても、オー
ストラリアや西ドイツのように、休制を組みかえるおもしろい動きがその衝突のなかから現われ
る可能性は少ないかもしれない。むしろ、その衝突は、体伽を紅みかえるのではなく、体制を犯
乱に陥いれるにすぎない不毛な衝突になる公算の方が強い。その意味では、いま天皇制のことを
本気で間魎にしたけれぼならないのは、白已の"円滑〃な存続を願う体制自身でなければならな
いはずなのである。                        (一九八四年三月)
       


8



 日本に海外の政治・社会運動情報が伝わらなくなってしまったのはいつからのことだろうか?
ニューヨーク、ベルリン、バリ、ローマといったブランド都市の"タウン情報〃については現地
のタウソ誌よりも詳しい情報が伝えられることはあっても、そうした都市で展開されているさま
ざまな政治・社会運動については、あたかも検閲で削除されたかのように言及されることがない。
 以前にくらべれば世界的に迦醐が後退していることはたしかだが、何も新しい運動が起こって
いないなどということはありえない。"支附"や"管理〃さらには"権力〃という言葉すらも死
語になったかのごとき"平和〃な状況にある〔水でも、口だたぬ所でさまざまな連動が腿閉され
ている。そういう運助をやることは「アホなこと」だと言う人がいるとしても、そういうアホな
ことにすら弾圧の手をのばす権力が現に存在Lている以上、支配や抑、圧や仰理という言葉をあん
まり安易に捨て去らない方がよいのではなかろうか?
 自由ラジオ川をたずねたがら西ドイツ、スイス、イタリアを縦断してみて、一九七〇年代から
八○年代の四巾ヨーロッバでは、ドイツ語で"スパスゲリラ(ぜ嚢碧實・;晒)活動〃と呼ばれる迎
助が展開されたことを知った。これは、術頭における落篶職術やスクウォッティソグ(牢屋{拠)
としてよく知られているものだが、その方法は多様であり、イタリアのアウトノミア運動で行た
われた公共料金のアウトリドゥツィオーネ(仙則り一戦術も同じ文脈のなかでとらえることができ
る。"」スパス〃とは冗談やいたずらの菰味だが、スパスゲリラたちは、その名のとおり、いつも
大胆でユーモラスなやり方で権力の土台をゆさぶった。
 こうした連動は、ベルリンでは一九八二年にピークに達し、そんな状況のなかでロック:ミュ
ージックやパフォーマンスが活気づいたのだったが、ベルリンを現地取材している『ブルータ
ス』(一九八四年四月一五□号)の特集配箏には、むろんそんなことは一語も書かれていない。あた
かも自然発生的に"おもしろい"文化状況が出現したかのようにベルリンが論じられ、歴史と政
治が見事に消去されている。それは、政府の検閲のためでも、編集者や執筆老の自己規制のため
でもなく、双突を単なる愉しい消費と見物の場としてしかあつかわたいときには必然的に生じる
帰結なのだ。
 ベルリンにはトルコ人やクルド人が多く住んでいるが、彼らを中心として"外国人の敵視に反
対する〃運動が展開されている。毎日、"壁〃に近いクロイツベルクの集会場で講演、ディスヵ
ツション、映画、音楽、パフォーマンスの夕べが開かれ、三月一七口にはオラニエソプラッツで
街頭集会が開かれた。彼らは、もともとは高度成長で不足した労働力供給のために"ガスト〃(客)
として招かれたのだったが、いまでは休欄のお荷物になっている。が、彼らは観光客のように別
物や見物に来たわけではないから、用済みになって失業しても柑住を即座に中止して故郷に帰る
わけにはゆかない。体制は向已保存のために彼らを陰に陽に排除し、彼らもそれに対して執勘に
抵抗する。ベルリンには、こうした排除の連動とそれに抵抗する運動、さらにはそれをとりこむ
運動と弾圧する運動とが依然として比較的見えやすい形でさかまいているわけで、この都市のダ
イナミズムは、単なる観光客の観点からではなく、運動の観点からはじめてとらえることができ
るだろう。
 しかし、ベルリンの回教徒の場合のように見えやすい形で両側の運動が存在することは1先
進産業社会では一次第にまれになってきている。とくに日本の場合、生活水準の平均化が急激
に進められ、同時に、突はそうした表層的な平均化の基杣となってきた天皇例が階級や集団のあ
らゆる社会的差異をいわばホログラフィックな操作で見えなくさせるため、抑圧し弾圧する迦動
も、それに抵抗し異議申し立てする運動も、まるで存在しないかのような幻覚状況ぶりが作られ
やすい。
 この傾向は、日本社会の脱工業化、情報化つまりはポスト・モダニセイションと杣神的た関係
にあり、日本は、北アメリカ、西ヨーロッパ、口木の〃先進的〃企業人と政治欲から成る〃三極
委員会"が披近の報告のなかでH木に西側世界への新たた軍班的・経済的援助を行たうことを提
起するほど間際的に見て"雌か"にたる一方で、あたかもそれと杣反するようたしかたで旧企体
が"国粋主義〃化するのである。ニュー・メディアと宗教、情報論と獅数論の同時流行も、これ
と同じ関係にある。
 内藤正敏は、「御真影-写真技術史よりみたその呪糾機能-」(『箏兵装桝」九号)のなかで、
遠野地方に残っている昔の肖像字典(『内藤正徹写真集・遠蜥物語』布秋祉)がそのつど一枚だけであ
るのに対して、御真影は一枚のネガから大虹に複製が造られたこと、御真雌のまえで全国の校長
が教育勅語を読むとき、それは「天皇の声となって全国の児琉を呪縛していた」ことを指摘して
いるが、こうした情報環境の終わりが近づきつつあると言われる今日、逆にこの「呪糾機能」は
弱まるどころか強まっているように思われる。
 天皇が非神格化されたとき、御真形は消えたかに見えるが、消えたのは天皇と皇后の像であっ
て、御真影の形式と機能は、そっくりそのままマス・メディアのなかにひきっがれ、やがてテレ
ビにおいて最も完成された形で日常化した。
 ここでは、天皇・皇后の像と、そのまえで教育勅語を読む校長との組み合わせはそっくりその
ままブラウン管の向こう側に移しかえられ、しかもその形態は、単一の像に全くこだわらない無
眼の象徴作用として全般化される。このテレビ天皇制にとって、御真影の像の部分に充当される
のは山口百恵でも三浦和義でも誰でもよく、すべてのもの書いが、"教育勅語"となる。そして
この御真影nテレビは、天皇制に対する崇拝から憎恕にいたるすべての天皇受・界史を永久反復的
にくりかえす。
 日高六郎は、中曽根内閣の教育改革が、教育の「多様化」をうたいながら、その炎「横の多様
化」ではなく「縦の多様化」つまりは教育格差を強化するものであることを桁摘している(「小竹
根首相のフォークポールー私見・教育改革論議-L、『世界』一九八四年五月号)。ポスト・モグニセ
イションには「横の多様性」を推し進める逆説的た可能性もあるわげだが、それを抑止するため
に、その可能性を縦軸に向けかえるわけである。
「縦の多様化」とは、旦^によれば、ヒエラルキーの複雑化であり、被拠の多孔爪性が「柿の多様
性」の代理をしているにすぎたい。そして、これはまさに御輿影の〃多様性"であり、またそれ
以上に日本のテレビの"多様性"である。複数のテレビ局の一日の冊紅を同時に別々に録画して、
それらを同系統の番組順に細集しなおしてたがいに比較するならば、□本のテレビ局は、単に時
間をズラせて同系統の番組を流しているという印象を受けるだろう。
 教育やマス・メディアが両一化してしまうのは、政府の国家統制が強いためだげではなくて、
国家が天皇制困家として一政府をも超えて1遍在しているからである。
 この国塞は、元号、戸籍制度、祝祭、儀礼といった形でわれわれの時間惹識や歴史意識を直接
規定しているので、狭義の政治権力としての国家の介入がなくても、組織や制度が大規棋に統合
されると、そこにおのずから閑次的なものが現われ、根を張ってしまうのである。日本人が連帯
すると日本国家人になりやすいのもこのためだが、実際、われわれは単なる政治制度にとどまら
ず、各人の身体的無忠誠に沈澱したミクロな天皇欄旧家をしょいこまされているのである。
 スタンフォード大学の文化人類学者別府春海は、「□木の国際化を憂う」(『忠独の科学』一九八四
年三~四月号)というすぐれた日本論の結末で、「国際化は、最も確実た最短距離で、日本を世界
共同社会へ導くかわりに、少なくとも日本では、反対の世界へ日本人を導き、国際化のそれぞれ
の過程は、新たな国家主張に回転させるUターンの遭であるかのように思われる」と言い、「同
際化のかくれ蓑の下で進展する悶料化」の危険を警告している。
 しかし、こうした国際化H国粋化は、今後ますます強化される可能性が強い。すでに、日木に
は国家を超える国家がつねに機能しているのだから、国家権力が国粋的な方向を選ぶときには、
その国粋化は急速な勢いで進む。印材根内閣は、この国際化11国粋化を今後も強化してゆくため
にアメリカとのあいだで軍都的な取引を行なう。だが、アメリカが核巡航ミサイル「トマホー
ク」を東アジアに配倣することを是認し、アメリカとの軍事同盟における日本側の箪琳負担を増
加させ、合衆閑が目木の国際化11胴料化を黙認する約束を取りつけるとしても、この間際化11国
粋化が合衆国以外の国々とりわけ東アジアの国々に与える圧迫と介入は増強されこそすれ、弱ま
ることはないのだから、その果てにあるものは、ひじょうに危険な国際的孤立であるかもしれな
い。                                 (一九八四年四月)
      


9



 一九八四年六月には、いよいよ米国の核弾頭付き対地攻撃型巡航、ミサイル「トマホーク」が[□
木および東アジアの艦船に配備されるが、これにイラン・イラク戦箏、ペルシャ湾のタンカー撃
沈、ソ連のロサンゼルス・オリンピック出場中止、予定されているハワイ沖での日米合同再班大
演習といった出来事を考えあわせてみると、数年まえにフランスの『リーブル』(一九八○年第八
号)誌上に掲載されて議論をまきおこしたコルネリウス・カストリアディスの「戦箏に臨みて」
の一節を…心い出す。すなわち、「現在、そして疑いなく今後は、戦争の見込みをまず第一に考慮
するのでなければ世界情勢について考えることができない」というくだりである。
 カストリアディスのこの論文は、ガボiル・リッタースボルソがわたしとのインタヴユー(『日
本読書新聞』一九八二年九月;一/二〇/二七日号)のなかで指摘しているように、「右翼的な反ソ論
と」て書かれているのではないが・…:事実は右翼的たそれにひじょうに近いものとなってしまっ
ている」。というのも、カストリアディスは、ソ連はアメリカや[□木のようだ「消費社会」を実
現する代わりに、軍を「ロシア社会の真に唯一の近代的なセクター」にしてしまい、社会全体が
「軍部政治」に支配された戦争マシーンになっていると主張しているからである。
 しかし、いまになってこの論文を再読してみると、カストリアディスがここで言ったことは、
世界の全般状況への警告としては正鵠を射ているのではないかと思うのである。それは、その後
のアメリカの姿勢が、あたかもカストリアディスの誇張をうのみにしたかのようにソ連との軍事
的緊張をますます激化させる方向に醜いていったからであると同時に、カストリアディスがいさ
さかパラノイアックにその小例をソ迦社会のなかに見ようとしたところのものは、実は、先述産
業国家のなかにこそ潜在し、それがやがて八○年代になって明確な形で姿を現わしはじめたから
である。
 一九二〇年代にはじまった大衆消費社会は、いまや、明らかに先が見えつつある。マーケッテ
ィングの此界でも、「消費者」の代わりに「生活開拓者」という概念を用いるべきだという主張
が出ている。消火社会は、本来、旧家主導の戦争・軍備経済とは異質のものであり、市民社会の
山発的な荷担なしには成長することができない。しかし、消費社会の高度化は、帖終的にはジョ
エル.コヴェルの言う「無忠誠を机民地化する」ところまで及ぶ市場細分化をはてしなく推し逃
め、消費者がもはや何も…以いたいものを見山すことができないところまで行こうとしている。
「消費考のモノ離れ」やリサイクル・ショップの出現、物々交換の流行(渡辺土「米川社会に定粁す
るバーター取引」、『エコノミスト』一九八四年二月七口号)等々は、そうした傾向への一つの反動であ
る。
 消費祉会の終末は、エレクトロニックニアグノロジーの発述と密接な関係がある。このテクノ
ロジ」は、物品の代わりに情報を新たな生産・消費の対象にすることを約束するかにみえながら、
物品経済が依然として支配的な段階では、これを阻害するものとして機能しうるので、このテク
ノロジーの発達は、これまでの消火杜会をささえてきた経済構逃を危機に追いこむ。当面、エレ
クトロニックニァクノロジーは、パソコンやワープロのような消火財を化産し、消火経済に奉仕
するかもしれないが、こうしたコソピュiター機器をたとえば白動車と比校してみると、いずれ
は全くちがった局、mを生み出すだろうということがわかる。
 バリー・ジョーンズは、『眠れる者よ、円覚めよ! テクノロジーと労働の将来』(一九八二年)
のなかで、コンピューターとn醐巾とをパラダイム的に比佼し、前者と後考との柵遮を、集則的
糾繊で使川する/個人ないしは家族で使川する、操作者は所存しない/操作者が所有する、稼動
停止時間が比校的ながい/ひじょうに短い、装雌の規模が小さい/比佼約大きい、労側集約型で
はない有線ネットワiクに依存/姐設し維持するのに労働集約型の巡略システムに依存、性能の
向上にもかかわらず値段が下がる/性能が向上すれば値段が上がる……というように特徴づけて
いる。
 エレクトロニック テクノロジーのデロス(究楓H的・勅向)に従うかぎり、労働や消火という
概念を従来のものとは根脈から変えてゆかたけれぱならたいこと、がここからわかるが、そうした
変革を拒否して肌布の路線をあくまでも固持しようとするとき、政治は「堆都政治」に、経併は
戦争・巾伽維済に向かわざるを得ないのである。しかし、概箏・軍舳経済は、決してエレクトロ
ニッ久ニアグノロジーを〃、介してそれ以前のテクノロジーを爪.祝するわけではない。エレクトロ
ニック.テクノロジーを別のデロスにおいて用いるのである。
 もし、エレクトロニックスがそれ自身のデロスに従って使用されるならば、犬長生産と大鼓消
費、最大限の利潤という路線は行きづまらざるを得ない。が、それが物品生産と物品消費のため
にのみ充当されるならば、話は別である。民間レ、ベルでのニュー・メディアは、まさにそのよう
た路線のなかで生じてくるのだが、これは消費が確実に保証されている場合には役立つが、これ
。u身によって消費を拡大するには限界があり、逆に消費を行きづまらせるおそれがある。
 かくして、最も効率の高い生産と消火を約束するはずの典雅の生産と消孜がクローズアップさ
れ、エレクトロニックニアグノロシiはこのためにもっばら奉仕することにたる。すなわち、兵
器のコントロール機椛と軍班監視システムヘのエレクト同ニックスの全面的関与である。
 核弾頭を装備したトマホークが配備される際、その一発は世界核戦争に直結するおそれがあ・る
以上、これを秋んだ艦船はペンタゴンやNORAD(北米大陸防空軍司令部)と決して誤ることの
ない高度の情報ネットワークで結ばれていたければならない。それには、米本土から東アジアま
でを超長波による水中通信、ハワイ・グワム・口米本土などを中継地とした無線通信、衛星を使
った通信等々によって派、胴的にカバーしなければならない。トマホークが六月に記術されるとい
うことは、それまでにそうした高度の耶箏通信綱が完成されているということであり、東アジア
地域に打上げられた衛竺しては零^い灌をつ「ゆり2一三もi蕎きは「実用放送
衛星」だがートマホiクのための通信・監視綱と無関係であるとは、ほとんど考えられない。
 最近、NHKは、「ゆり2号a」の班波中継増帷器の一つが故障したため、当初に予定してい
たニチャソネルの放送を一チャンネルだけに断念すると発表したが、「ゆり2号a」には、三台
の中継増幅器が付いているはずだから、もし三台のうちの一台が公開されていたい用途に使われ
ているのでないのなら、ニチャソネルの放送を断念しなくてもよいはずなのである。
 日本で生産されるICやLSIがアメリカの軍事産業で使われていることはよく知られている
が、エレクトロニックスは、たとえば自動車の生産テクノロジーなどよりもはるかに[然の形で
戦争・軍舳経済と結びつく。現に、民生用のニュー・メディア機器と軍事用の監視システムとの
あいだには、たとえばブルドーザーと戦車などのちがいはない。
 とすれば、エレクトロニックス産業をかぎりなく推進させたいと願う側としては、民心。州のニ
ュー・メディアなどに手を出すよりも、軍事用の監視・通信システムを商売にする方がよいとい
うことになる。それに、エレクトロニックス産業をはっきりとそのような方向にもって行った場
合、それに付随して前エレクトロニックス的な生産  つまりは潜水艦や大砲など、民間レベル
では斜陽にたっている産業の技術を用いた産品の生産  も再加熱できる。しかし、軍事川の監
視システムの生産と消費をいつまでも保証するためには、それに核兵雅の生産が加わらたけれぼ
ならたい。というのも、核兵器は、それを使うことができないという点で、生産することがすな
わち消費であり、「消費社会」なき完壁な生産11消火旧家を可能にするからである。
 最近企業サイドから国家についての談論がさかんに出はじめているのは、こうした心情と無脚
係ではない。エレクトロニックスに依存する段階に達した企業は、必然的に新たな旧家形態を選
択しなげれぱならないからである。岡崎久彦『戦略的…心者とは何か』(巾公新井)、それに対する
批判を含む永井陽之助「班代と戦略1~」(『文裟昨秋』一九八四年一月号、以下続)、岡崎久彦、江藤
津、天谷直弘、小嶋繊維、永井陽之助へのインタヴユー・稲が、武「日本に困家戦略はあるのか」
(川ポィス』一九八四年六月号)などは、明らかに日本経済の今後の方向を旧防との閉辿でとらえよう
としており、事態が「戦争の見込み」のレベルにまできていることを示しているが、エレクトロ
ニックスの転倒されたデロスにひそむより深い危機への洞察が感じられないのは、これらの論者
がみた"現実主義者〃だからだろうか?                (一九八四年五月)
       


10



 西ドイツ最大の労働組合であるIGメタル(組合貝総数二六〇万人)が一九八四年五月一四目にジ
ュトヴッツガルトで招集したストライキは、その後全国の自動車関連工場に波及し、六月二〇日
までに四〇万人の組合員がストに参加した。六月一五日には、調停が始まったが、解決には至っ
ていない。このストライキの影響で西ドイツの今年(一九八四年)のGNPは減少する予想が出て
おり、ストライキがこのまま続くと西ドイツ経済は深刻な打撃を受けるだろう。
 しかし、このストライキで注目されるのは、このストライキが呪在の迦四〇時…労働を三五時
問に短縮せよという要求をかかげていることである。つまり、このストライキは、賃上げを.要求
するストライキではなくて、白山時閉の獲得を要求するストライキなのである。これは非常に重
要な惹昧をもっている。
 IGメタルが三五時間制の実施□標を掲げたのは一九七七年であり、この㎜の経緯については
仲井斌「週35時間制をめぐる左右の確執」(『エコノ、ミストL一九八四年回刀二四口号)に詳しいが、
こうした戦略が浮上してきた背景には失業の則大と低成長という今日約な条件がある。今後、西
ドイツで雇用が地大する可能性は薄いが、労働時間の短縮泌求は、経営者側がもしこの要求を受
け入れた場合には、それによって不足した労働力を補うために脈川を州やすか、あるいは生産力
そのものを減力するかの選択をしなければならないというディレンマをシステムにつきつける。
 IGメタルのこの時間短縮ストは、低成長の時代に入って賃、上げの班求を川すことが非切実性
をおびてきたということと無関係ではないが、むしろそれだからこそ、このストライキは、西ド
イツのみなら・ず"先進産葉旧〃がどのみち内包している間脳を嫉出させ、それをのりこえる一つ
の方途を示唆しているのである。すなわち、システムは生産力を映りなく高め、焔用を珊大させ、
労働者は大いに働いて高賃金を得るという制度の終焉と、それをこえた新たなワーク・エシック
の誕生である。
 とはいえ、西ドイツの連邦政府と企業は、アメリカや日本のように、ハイテックやバイオテク
ノロジーを主力とする産業への構造転換をしようとしている。そうした一環として、自動車関連
産業や金属産業のプラントの閉鎖や人員整理が生じ、それが今回のストライキの引金にもなって
いるわげで、昨年度の自動車産業部門の工業総生産の伸び率は○・七パーセントにとどまった。
その際、エレクトロニックス部門の伸び率は、まだ一パーセントにすぎないが、AEGテレフン
ケンは、一九八三年、一五年ぶりに増収になったと発表しており、ジーメンス・グループも今年
上半期に一八パーセントの増収があったと発表している。
 西ドイツのマイクロチップス・テクノロジーは、日本のそれよりも三年遅れていると言われて
いる(『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』一九八四年四月三日号)が、西ドイツでは、目下、
ISDNという全世界的規模でのコンピューター・ネットワークのプロジェクトと、ハンブルク、
ハノーヴァ、デュッセルドルフ、ジュトゥッツガルト、ニュールンベルク、西ベルリンを締ぶB
IGFONという光ファイバー・ケーブル:平ヅトワークのプロジェクトが進められている。
 しかし、西ドイツは、日本やアメリカの路線をそのまま追いかけることはないし、それは不可
能だろう。ハイテック路線に転換するには、旧型の産業を〃始末。しなければならない。が、た
とえそれが組合の抵抗なしに可能になったとしても、新型の産業は、旧型の産業からはじき出さ
れた労働老を引き受けることはできない。ハイテック産業は、熟練した労働者や専門家を必要と
する。
 また、ハイテック産業の発達は、軍班灼た"商品"の需要と不可分の関係をなす。その場合、
この軍事的な消費をコントロールしているのは米ソ関係であり、西側においては、アメリカとの
軍事同盟関係をたえず州強するという形でこの消火が拡大されている。軍事的緊張が疵まれば高
まるほど、軍事経済は高度成長する。その意味では、レーガンも中行枇も実に商売が上手い。本
年、防衛庁は、新型の自動防空警戒管制組織(パヅジ.ツステム)を口木鬼気、日立、富士迦、三
菱電機、日本アビオニクスなどのエレクトロニックス産業に発注した。これによって防衛庁から
民……企業に流れる金は、□本化気とのあいだだけで九六一億門に逃すると言われている。
 この新バッジ・システムが完成すれば、それにみあった高性能のミサイルや軍川機がアメリカ
から輸入され、口米の経済がうるおうというわけである。安保条約というのは、口米経済の安全
を保障する条約なのであり、中村孝俊『日木の巨大企業』(川石波新^)が正しく指摘しているよう
に、安保体制とは、「一方では、日米間の貿易、資本の自由化をすすめ、他方では、アメリカの
廿…介破唯に添って、此外的な規桃において、経済政策の展開への協力をすすめていこうとする」
ための取引契約なのだ。
 西ドイツは、米囚のパーシング・ミサイルの配備を受け入れたが、独米関係は日米関係のよう
には"円滑〃にはいかないだろう(ちなみに、口米の"経済牒擦〃などというものは、両者の経
済関係を活性化するためのゲームでしかない)。というのも、西ドイツではすでに見たような労
働側からの突き上げのためになりふりかまわぬエレクトロニックス路線に体制がっつ走れないか
らであるとともに、根強い反核運動のためにエレクトロニックス産業がいまひとつ飛躍できない
からである。
 エレクトロニックスの技術は、バッジ・システムのような"ニュー・メディア〃においてだげ
でなく、核プラントのコントロール・システムにおいても不可欠であり、それはエレクトロニッ
クス機俗の大口需要の一つをなしている。西ドイツで、一九八四年上半期のジーメンス・グルー
プの収益が少し上昇したとはいえ、その製品の旧内榊婆は昨年度にくらべて四・三パーセント減
少しているが、これは、反核迦動のインパクトで昨年は核プラントの建設が逃れ、プラントから
の大口の}要が減ったためである。
 ハーバーマスは、今日の西ドイツについて、「七〇年代後半以来、いまひとつの新しい抵抗運
動が形成されて来ている」と言い、その例として、ホソの中距離核配備反対大集会、ブロックト
ルフの核プラントの反対デモ、ヴィールにおける原発雄設現場の占拠、グ回-ソデの反原発村、
フランクフルト空港西滑走路雄設反対運動、クロイツベルクなどにおける空屋占拠などをあげ、
「今日の抵抗逝動は、成熟」た政治的文化の基本的あり方としての市民的不服従がドイツにおい
ても理解されるための初めてのチャンスなのである」(三島無一訳「核時代の市民的不服従」、『世界』
一九八四年七月号)と言っている。
 ハーバーマスは、この論文のなかで、ここで言われている「市民的不服従に枇ざす行動」が、
「暴力的破壊に走る小さな、しか」神出鬼没の突撃隊の不法行為」と同列にあつかわれてはなら
ないことを強調している。ここでハーバーマスは、新しく股閉しはじめた運動がイタリアのアウ
トノミァ運動のような不幸な"結末〃を迎えないために、その「スパスゲリラ」的な行動のなか
にも「市民的不服従」のモーメントを見山そうとしているように見える。これは、国家権力の抑
圧の地大と迦動の後退のなかで生じるテロリズムをどう越えるかという間脳に対するハーバーマ
スの口答でもある。抵抗のための違法行為は、「多数派の認識能力と正義の感覚に訴えるために
のみ為される」のでなけれぽ無効である。それというのも、「政府の気持を変えうるのは、その
政府にとって正統性の喪失が危快される…切合のみである」からである。
 興味深いことに、ハーバーマスは、アウトノミア迦動の最も将来性のある部分をにたっていた
人々も愛読したジョン・ロールズの『正泌の理論』(一九七一年)に依拠しながら、市民的不服従
の原則を次のように定荻している。
「市民的不服従は、逝独的な杁拠をもつ抵抗であって、仙人的利害だけにもとづいてはならない。
また、それは公の行動であって、迦常はあらかじめ予告された上で為されるとともに、その経巡
が警察によって予測しうるものでなけれぼたらない。さらに市民的不服従は、個々の法規に対す
る故意の述反を含んでいるが、法秩序に対する服従を破るものではない。そして、法規に違反し
た場合の法的納火を引き受ける用恵が必要であるし。
 思うに、このような条件を満たす抵抗迦莇は、空……を占拠したり侵したりする闘争のなかにで
はなく、時…を{処し、侵す闘争のなかにのみ存作する。IGメタルのストライキにそのような
側面を見出すことも無理ではないだろう。               (一九八四年六月)



11       



 福島第二原子力発電所をめぐる住民訴訟に対して国家=福島地裁が下した七月二三口の判決は、
周辺住民一人ひとりの生命、身体の利益を保維したものであるはずのコ原子炉等規則法二四条一
項」が、実は川辺化民の個別的な利害と椛利を無視し、「公益.」という名の国益だけを尊重する
ものであることを見事に暴露した。
 国外的には、国籍法改正、男女雇用機会均等法、化犯公社の民営化の動き等、国家介入の度合
が軽減されるような倣向が現われる一方で、国内的には、教育や司法のレベルで腕骨な旧家介入
が目立っているわげであるが、この国外的・国内的た動きは、日本の資本主義の新しい段附とみ
なされるべきではないかp ここでは、資本の多角化(多国籍化)と統合(岡家管理)とが最も
"理想的"な形で火班しているのであるが、質木の規模と回転を巨大化させながらこんなことが
可能なのは日本だけであり、それはこの国の天里制的同家形態のたせるわざである。
 経済発展のためには市民や仙人の権利を躁醐し、同をあげて事にあたらせるというこの旧のや
り方は何も変わっていないのであり、「円木の国際化」という美名の下で進行しつつある新たな
国粋主義化に榊煎する必要があろう。
 この国家にとっては、市民生活など常に二の次であるということを知る必災がある。ニュー・
メディアにしても、この産業とビジネスを発展させるのは、市民生活とコミュニケイション状況
を班かにするためではなくて、結局は、INSのようだ長期的な投資を可能にし、軍小のような
決して食いっぱぐれのない経済にまでまたがっているエレクトロニックニアグノロジーを流木の
諭理で展開するためである。
 福脇第二原発を維持しなけれぼたらないのは、旧内のエネルギー供給のためであるよりも、核
ブラント建設とその犯常にともなう投資の長期作のためであり、また核プラントを旧外に売って
ゆくための〃ショー・ルーム"としても同家独占資木体制にとっては不可欠なのだ。ちなみにH
木政府は最近、一〇億円を上まわる原発の炎竹を巾旧に輸川することを許可し、三菱重工がその
納入にあたることが決定している。
 岡籍法の改正は、その"門戸開放〃的なよそおいにもかかわらず、その主眼は、男女脈川機会
均等法が来たる一九八五年夏に控えている閑迦の婦人差別禁止条約の批准に呼応したプロパガン
ダ的な性格を強くもっているのと同様に、それほど突質的なものではなく、実質的という意味で
は、むしろ、これまで父親が日本人である場合にしか日本胴籍を取得できなかったのを改めるこ
とによって、資本としての新しい〃血"がこの岡の資本システムに流入しやすいようにすること
にある。
 考えてみると、皇太子呪■仁と正旧美智子との締柵は、同家独占流木の多角化ないしは脱属領化
(デ.テリトリザシォソ)の泉徴的出来事であり、同家活動の変化のミクロ・モデルをなしているが、
天皇家がその閉ざされた「属領」を脱して民間人とのあいだに婚姻関係をもつということは、
旧家がそれまでの「属領」を旧際的な「凧個」に向かって越え山てゆくことのミクロ・モデルで
ある。
 口木企業の多胴締化は〃芯遮に進んでおり、『フォーチュン』誌による一昨年(一九八二年)の「世
界の五〇〇杜ランキング」(総収益のランキング)でも、その三分の一近くを日本企業が占めてい
たが、・EC諦同のように同家n休がすでにある和の"多同締化"をすることができるようにはな
っていない日木H天皇制同家は、外部からたえず新しい"血"を導入することによって「脱属領
化」をはからなければ、国家的機能を果すことができなくなるわげである。
 婚姻的な「脱属領化」をミクロ・モデルとした天皇制国家の自己再生は、そのルーツがつねに
不明瞭な天皇家を特権的属領として保ち、それが一般人の「属領」に「脱属領化」してゆき、い
わば国家の内部で"国際化"を実現するといった形態をとるため、ここでは真の国際化は不可能
であり、国家はつねに統合と独占の機能をもちつづけざるをえない。
 しかし、今日の日本経済の急遮なトランスナショナル化は、天皇制国家がこれまでのような閉
鎖的た向已再生の方法にとどまってはいられないところに四家を追いっめているようにみえる。
 こうした状況に対して旧家がどのような対応をしようとしているかは、浩宮の結婚がいかたる
形態をとるか、またとりわけ、九月六口に予定されている韓国のチヨソ・ドゥホァソ(企斗燦)
大統領との会談で天皇がどのような発言をするかによって明確になるはずである。
 現在の趨勢から判断して、天皇制国家は「空虚な中心」(粟原形)を極力埋める方向に進むだろ
う。言いかえれば、天皇を「異人」として不明瞭に特権化するのではなく、そのルーツをうやむ
やにしたまま、まさに不卵瞭に一般化し、その征服王朝としての性格をカモフラージュする方向
に進むだろう。すでにそうLた方向は、皇太子が民間人と結婚することによってすでに布石され
たわけだが、一九八四年七月二八日付の『勅日新聞』がドッブで報じた「好太王碑論争に新質料」
の記事は、こうした方向をさらに推し進めるキャンペーンの開始の機能を果すかもしれない。
 この記事によると、中国吉林省文物考古研究所の研究グループは、長期にわたる調査の結果、
一九七二年に李進熈によって提起された好太王碑改叙説-倭が海を渡って朝鮮半島を襲撃した
ことを示す「来渡海破」は旧日本軍による捉遣であるとする説1を、否定する緒論に達し、朝日
新聞社はその資料を入手したという。
 この調査が信用に価するものだとすれば、それは、学㎜川的には市一Hばしいことだろう。しかし、
このニュースが果す文化装雌としての機能は、その学問的締果とは必ずしも同じではない。そも
そも、李進熈テーゼのπ災作は、その単なる学㎜的な信恋性よりも、むしろそれによって旧口木
班の大陸支配のさまざまな文化拠作の衙蝶的な諦事実への関心をよびおこし、また天皇を祖とす
る日本人=単一民族説を前批としたうえでの「日韓同祖論」を粉砕した点にあったのだから、今
回の「新資料」は、六〇年代の反権力闘争のすぐれた文化逝産の一つとも言うべきこうした雌史
批判をふたたび断絶させてしまうことに役立ちかねない。
 ……迦は、一般紙と専門誌・丼とは社会的機能が異たるということであり、その機能が十分n覚
されないままに情報が流布されるとき、それが、専門誌・冊で煎味することとは全く別の煎味を
もってしまうということだ。
 好太王碑については、最近ではたとえば浜田耕策「好太王碑が語る高句臓と倭・百済の激戦」
(『歴史読本』一九八四年六月臨時棚刊号-特集「古代天皇家はどこから来たか」)が、吉林付文物考古
研究朋の王健郡の論文一好太王碑的発現和撫拓」にも触れながら、碑文がiすりかえ」られたも
のであるかどうかにはかかわりなくそこから読み取れるイデオロギー的意味を、鋭く開示してい
るが、そこで論じられているような歴史的事実のディテiルを先の新間記事に求めることは不可
能であり、それは、ただただ李進煕テーゼが否定されるべきものであるというイメージだけを読
者に植えつけかねないのである。
 浜田緋策によれば、この碑文は高句麗の好太王の勲紙をたたえることをH的としている以上、
「辛卯年来波海破」を単純に「辛卯年条に、倭が百済と新羅を破ってこれを倭の臣民にした、と
読んですましてはいけないのであって、ここにも碑文の内面的研究がするどく加えられなければ
たらない」。
 ここでは浜田の「碑文の内面的研究」をたどることはできないが、浜田によると、百済と新一雄
を属民とみなす岡是を掲げた高句麗の立場からすれば、倭が百済と結び(あるいは百済が倭を呼
び入れて)新羅を侵す怖汎は、同是に反するものであり、そこで「『旧(高句醜の)属民ナリ』で
始めた文脈上、倭がこの二国を臣民としたというように、高句麗にとっては放雌できない事態と
して前概き文を結んだ」のであって、ここからして、「碑文を通して倭の動静を知るには、辛卯
年を前提とせず、六年以降の紀年記布をさらに重視すべきであろう」という。
 情報の階級脚色は、「友好的なファシズム」よりももっとミクロで目立たないレベルで閉われ
ているのであり、天皇制の問魎はこの闘争の最重.要テーマである。その意味で、今月作見した諾
論文のうち、平井玄「情報のポリティックスの中でく浅田彰Vを読むードゥルーズーーガタリを
めぐる附級閉争」(『イソパクッヨソ』三〇号)が印象に残った。平井玄がここで行なっているのは、
浅田彰における「ドゥルーズーーガタリ」が、ドゥルーズとガタリの思想から決定的なもの1共
産主義(コ、、、ユニズム)一を消去していることを暴露する。しかも、それは、単に浅m彰の〃誤
読"や操作の結果ではなく、「『先進国に固有のく異物受容Vのシステムとでもいうもの、創造す
ることを妨げるシステム』(ドゥルーズ)としてのメディア炎附の、最も今目的な"消去〃」の結
果であることを則らかにしている。
 ちなみに、最近ガタリはトリー:平グリとの共同執筆論文「述帯の新しい諦路線」〔「共産主雅の
新しいく線〉」、『インバクシヨソ』三五号〕の草稿をわたしに送ってくれたが、その第一班は、「われ
われはコ、ミュニズムを呼び求める」と題されており、コミュニズムはまず「個人的たらびに集団
的な唯一性(サソギュラリテ)の解放の方法」と定義されている。これは、「〈器官なき身体Vの最
高の段蹄(プラトー)をく共産生滋vと呼ぶ」とする平井玄のドゥルーズーーガタリの解釈の正当さ
を裏付ける。思考のラディカルさは勉強的理性ではなくて、想像力から来るのである。
                                  (一九八四年七月)



12



「放送大学」の一期生募集が始まる。その『学生募集大綱』(一九八四年八月発行)によると、放送
大学はテレビ(UHF)とラジオ(FM)を通じて「正規の大学教育」を行なうものであり、「簡
易速成教育や教養講座」ではなく、「放送大学の学生は単なる大学利用者ではなく〃大学の人"」
であるという。これは、いわば会社における〃在宅醐務。の大学版であり、現在の大学形態に対
するチャレンジであると言ってよい。
 この放送を視聴可能なエリアは、東京タワーの胴㎜約七〇キロと群馬県伊香保町ニツ岳(UH
F・TV)と吉井町牛伏山(FMラジオ)の周㎜約三〇~四〇キロであり、大学が存在しないエリ
アではない。青いかえれば、放送大学は、通常の大平施設がないために大学教育のサービスを受
けにくい地域に対するニュー・テクノロジーの公共サービスとして導入されたものではない。た
しかに、身障未のような通学することが困難な者にとっては、このような教育施設は役立つであ
ろうが、放送大学のカリキュラムには一週一n程度の「而披推茱」が課せられており、この「大
学」の主□的は身陳新対策ではない。
『季刊クライシス』の一九八川年夏臨時州刊号「げっとぼせ『臨教籍』」所収の「国家にとって
の大学.学生飯乱以後」のなかで、大平洋は、放送大学のカリキュラムが主婦層を意識したもの
であるとし、次のように言っている。
「これはしかし、主婦にも高等教育の場をという『温情』ではない。戦後口本質本主羨が産み出
してきた家庭の崩壊は、福祉切り捨てに林る高齢者対策・『障害者』対策等と相まって、国家と
しても放置できない課迦になっている。これに対応する家庭基盤充実政策を支える『国民常識』
を『科学的知識』として浸透させるために、『大学』を利用しようとしているわけだ。:…・さら
に、資格を得た女性たちを地域ボランティアのリiダーとして地域管理の末端に組織し得るし、
また、良質のパート労働者の育成にも利用できる、というところまで国家の射程は広がっている
ように思える」。
 これは鋭い指摘である。が、放送大学は、そうした新しい受講者を紅繊することにとどまらず、
「教育臨調」で方向づけられた大学の将来を先取りした側面をも有しているように見える。同じ
特集号に入っている降旗節雄「高度成長の破約から教育臨調へ」は、臨調の専門委眞としてその
理念づくりを批当した公文俊平の見解(『IDE・理代の高作教育ド節二三四号)に依拠しながら教育
臨調のめざすところを次のように指摘している。
「公文によれば、国家的な食糀確保を目標とした食竹伽度が、今や農民の所得保障制度に転化し
たように、義務教育の公立学校制度は、教師の雇用保陣の機糀となっている。農業の改革のため
には食管制廃止から畏茱基本法の見直しにまで進まなげればならないように、教育改革のために
は、教育基本法……の見直しにまで進まねばならぬ。具体的には、大学の紅繊.迦営を弾力化し、
公・私立を間わず大学の維批は授業料でまかない、奨学金には通常の利子率を課す、というので
ある。……要するに塊務教育も有償化し、公教育の財政負担を可能なかぎり減少させ、教六1-は原
則として私的機関にまかせ、受益者れ担とせよ、というのである」。
 このようた方向が実際に進められた場合、これまでの大学はそのマスプロ教育的な側面を切り
捨てて、大なり小なり"高級化。するか、ψ門学校化するしかなくなるだろう。が、その際、現
在の大学のマスプロ教育的機能をひきうけるものとして、放送大学は、ひじょうにコスト.パフ
ォーマンスが高いし、これを迦営していれば、現在の大学から"大衆"向きの部分を切り捨てた
としても、同家の福祉義務のエクスキューズになるであろうし、また実際に、それは、大教室に
学生をつめこんでおざなりの教六1』をやるよりも、ましなサービスを提供するかもしれない。
 しかし、このような方向が、柵祉の合理化と削減を地味するものであることはいうまでもなく、
それは必然的に弱者の無視と切り捨てにつながってゆく。
 アメリカの場合、似たことが一九七〇年代の後半に行なわれた。それは"ティイソスティテュ
ーショナリゼイシヨソ"(脱公共化/税制度化)と呼ばれるが、ニューヨーク市の場合、それは精神
病の患者にとくに深刻な影響を与えることになった。この政策によって、それまで州や市の大病
院に収容されていた比較的軽度の精神病患者は、新薬(医学におけるニュー・テクノロジー)を投与
されて在宅治療にまわされるようになり、ニューヨーク市では、一九六五年に州立病院に八万人
いた精神病患者が、一九八一年には二万人に削減された。この結果、身よりのない患者は、医療
手当を受けたから市内の安ホテルに唐住せざるをえなくなり、そのなかには、やがてショッピン
グ.バッグ.レディやバムのようだ浮浪者の位雌に転落してゆく者もかなりいた。この仰向は、
レーガン体伽になってさらに強まり、浮浪者の数がますますふえてゆく〔「ホームレス・ピープル
ー脇上の廿婦人たち」、『ニューヨーク帖榊原桃論』^文杜、所収〕。アメリカにかぎらず、公共サービ
スをカットして、私企業や市民のn已角担にすりかえてゆくこの"脱公共化"は、国家が"福祉
旧家・から"危機国家〃へ転身する際にとる必然的な政策である。
 韓国のチョン・ドゥホァソ(全斗燦)大統伽が九月六口に来Hすることに対して韓閑とH本の両
回内で来日反対の動きが強まっており、現在日本では毎〔各地で反対集会が開かれ、九月二日に
は「全斗炊の来日に反対する全国集会」が芝公幽二三号地で開かれるが、幣視庁は、こうした動
きに対応するかのように、微、一備体制を…めている。
『ニューヨーク.タイムズ』が報ずるところによると、警視庁は、最近、三〇〇〇人の警官を動
員し、その一方を火炎瓶を持ったデモ隊、他方をヘルメットと楯で武猿した機動隊に分け、デモ
隊が警備のラインを犯したという想定で実戦演湖を行なったという。一九八三年一一月にレーガ
ソ大統領が来日したときには、毎日二万三〇〇〇人の警官が動員されたが、今回は、それをはる
かに上まわるだろうと言われている。
 チヨソ.ドゥホァソ大統伽の来日の]的としては、「束からトマホーク、西からは全斗炊」(日
韓調査迦勃発行州緊急パソフレツよ)と言われるような□・斡・米の軍事同盟の強化、昨年の日韓
首脳会談で合意された一兆円にのぼる対韓縦済援助の具体化、チョンが天坐から戦中・戦前の目
帝支配に関する何らかのメッセージを取りつけることによって国内勤央を上げること、などが考
えられるし、この点については、たとえば『新口本文学』(一九八四年九月号)「緊急特集H全斗燦
訪口に反対する」にも詳しいが、彼の来日が日本の国家体制にとってどのような機能を果すのか
については、まだ十分には論じられてはいないように見える。
 天皇会談がその要をなすことは明らかだが、そこには、「不幸な歴史の"総決算"」とか、新た
な杣民地支配の正当化といったことをこえた問題が含まれているように思われる。教科讐閉魑が
起きたのちに訪韓した中竹根音杣は、この間趨を前提したうえで、「日韓両国の㈹には遺憾なが
ら過去において不幸な歴史があったことは事実であり、われわれはこれを厳粛に受けとめなけれ
ばならない」という公式発言を行なった。
 これは、それを首相の単なるゼスチャーやリップサービスとしてではなく、国家の論理として
見る止き、教科書の検閲で現われた岡家作理を否定するものであり、国家が国球を白ら否定する
行動を示したことを意味する。象徴天皇制とは、天皇が「戦争背任」をとることをうやむやにで
きるような国家システムであるが、もしこのシステムのなかで天皇がチョン・ドゥホァソに対し
て白已の「戦争貨任」をいささかでも表則するならば、それは、困家がみずから戦後の象徴天皇
制的国家を否定することになる。危機管理とは、国家がそれ口身のうちに国家の否定をも含みこ
まざるをえないような管理なのである。
 しかしながら、天火加とは、否定をすべてのみこんでしまうような絶対肯定のシステムである
から、締肋のところ、このような"、荷定"も、ただちに肯定に転化されてしまうであろう。これ
がまさに、中付根内閑のディレンマであるのみならず、天皇制のもとで危機管理を行なわなけれ
ばならない体制のディレンマである。
 いずれにせよ、「天皇会談」に含まれるミクロ・ポリティクスに細心の注意を払おうではない
か。                                 (一九八四年八月)



13



 韓国のチヨソ・ドゥホァソ大統伽の来日に際して行なわれた行小と警舳体制は、天皇の「お言
葉」をも含めて、ほとんど予測されたとおりであり、むしろそれらが。プログラムどおりに進行し
たことにこそ問題があったわけだが、煎外であったのは、チョン来Hを批逝したマス・メディア
の予想以上の〃おとなしさ"であった。
 これは、新開の読者やテレビの視聴者でもある一般市民が、チョンの来□に対して無脚心であ
ったということではない。都心の交迦規制はまさに戒厳令下そのものであったし、道路に面した
郁腱を使えないようにさせられたビルもあった。一部の駅では改札口を通過する一乗客の持物を警
官が検査Lさえした。暴醐は起こらなかったが、権力のこうした市民権無視の抑圧行為に対して
市民たちが怒りや不満を感じたかったはずはない。ところが、マス・メディアは、そうした怒り
や不満を代理表現する機能を果さずに、はじめからそれらを快作し、あるいは無視することに専
念した。チョン来日当日のテレビが、迎資舳の付近には次るべく車を乗り入れないように呼びか
けているのを何度か耳にした。
 もっとも、軸ほ新聞杜が全国の「布権者三千人」を対匁にして行なった世論洲査では、チョン
の来日を「よかったと思った」人が企体の六九パーセント、「そう川心わない」が一四パーセント、
大皇の「お言葉」を「よかったと思った」人が七五パーセント、「そう㎜心わない」が一〇パーセ
ントだったという(『袖口新川』一九八四年九月二二口)。しかし、世論洲査が世論を代表するもので
はなく、それはむしろ一つの世論操作になることは、今日のコミュニケイション論ではほとんど
常識であり、このことは、チョン来日に先立って韓国放送公社とテレビ朝日とが行たった閑釜フ
エリー船上での「日韓文化人シンポジウム」で、韓国側の司会者がとりあげたアンケート調査の
結果に対して大略洛が脾骨に示した反発(「ぼくはこういうアソゲiト、ナンセンスだと思う。一つの国
の国民を全体としてどう川心うか。これは誘導「糾…であって、ぽくなんか答えたくないわけ」、『刺日ジャーナ
ル』一九八四年八月一〇日号)にもよく現われている。
 この「シンポジウム」における大島滞の「バカヤロー」発".〕については、少し論じておいた方
がよいかもしれない。この「シンポジウム」がチョン大統領来□の脇払いてあることは縦の口に
も明らかだったし、出席した文化人たちもそれを承知しているはずだった。だから、このシンポ
ジウムとそのテレビ放映は、玄界灘に浮かぶ〃阿呆船"のうえの〃舳る阿呆"とそれを〃見る阿
呆"のための悶家儀礼であり、はじめから皆が"阿呆"(旧次事火者)になることが必要であった。
ところが、〃阿呆〃になるなり方で対立が起こった。
 斡困側の司会役のキム・ヨソジャク(金栄作)は、わたし流に翻訳すると、「今日は同家にどっ
ぷりつかった阿呆になって語りあいましょう」と皆に呼びかけた。これに対して大島淋は、「お
れは旧の代表と」て来てるんじゃない。まったくの個人だ」と言ってキム・ヨソジャクと対立し、
そのあげくに「何言ってるんだ、バカヤロー」と言ってしまった。これに対してキムは、すかさ
ず日本語で「バカヤロー、何言ってんだ、貴様」と対応したが、これは(テレビでは放映されなか
ったキム発言1『朝目ジャーナル』八月一〇n号の採録参照1によると)「個人的には言いたくなか
ったが、韓国人が聞いたらどうなるかと思って『バカヤロー』生言い返した」のだという。
 しかし、すでに述べたように、このツソポジウムは、もともと"阿呆船"なのだから、ここで
国家を支持するキムと個人を擁護する大島とが対立したと考えるのは単純であって、むしろ皆が
「バカヤロー(アホー)」と叫びあってこそこの場にふさわしかったのである。
 とはいえ、大島とキムとのあいだでは、「バカヤロー」のニュアンスがちがっていた。両者は
ともに相手を"阿呆〃(旧家主義新)よぽわりしたわけだが、両者のあいだでは国家のイメージが
異なっていた。大ルは、「]本人に民族的な良心を期待しないでください。近代化が終わったら、
もう民族的良心なんかないんです」と言っているように、彼の]にはキムは、〃民族岡家"のど
うしようもない支持者と映ったが、キムからすると大島は、自分たちを一段上から見下ろしてい
る〃市民胴象。の代弁者であった。
 話をアンケートの問題にもどせぼ、そもそも、問いを車純化しておいて、イエスかノーかを尋
ねるのでは、かえってくる答えの方もそれなりのものでしかないのであって、そのようにして得
られた数北的データーを世論にすりかえてもらっては困るのである。それに、間魑は数ではない
だろう。たとえ大多数の人がチヨソ来日の戒厳令状態にそれほど抵抗を感じなかったとしても、
それを極度に不口山と感じた者はいたのであり、そのマイナーな雌株を放雌することは、権力に
とっても扱なはずなのだ。ちなみに、自民党本部への「過激派」による放火事件は、あの戒厳令
的な警察権力の誇示がなかったら起こらなかっただろう。
 こうしてみると、今日の権力は1その無意識レベルをも含めて考えた場合一むしろテロリ
ズムをあおっているのかもしれない。都市を警察権力の要狼と化し、市民に権力の予想外の行動
をとらせなくするカが市民生活にのしかかっているにもかかわらず、その不自由を一百語表理で代
償することをマス・メディアがやらないということは、そういうやり方でマス・メディアが権力
のテロリズム待望を助成していることを意味する。むろん、マス・メディアも権力である。だが、
権力には強圧的な権力と治療する権力とがあった。"民主主義"が保障されるのは、権力の力点
、が後者に移っているときであり、そのときマス・メディアは、"権力批判"をもいとわないもの
として機能する。人は、このまえもって与えられる〃批判の回路"を遡ることで、それまでの怒
りや不満を帳消しにするわけだが、権力の方は、そういうやり方で市民との直接対時を回避する。
ところがいまや、マス・メディアは、権力からわずかに身をもぎはなして市民との媒介的機能を
果すことをやめ、権力そのものと合体しようとしている。これは危険な状況だろう。権力と市民
は媒介を失って、たがいにむき出しの身をたがいに激突させるしかなくなるからである。
 マス・メディアが市民社会と国家との媒介的機能をはたさなくなる傾向は、新聞においてより
顕著である。チョン来日の厳戒体制に対して、新聞もテレビもおざなりの報道しかしなかったが、
同じニュースを伝えても、テレビの方がその表現力は強力であったし、ニュース.キャスターや
放送記者の口ぶりに批判の表肌を感じることもできた。今日の大所閉は、傾向として、テレビ・
ニュースの後追いしかしていたい。テレビが、検問の光景をワソ・ショット映したからといって、
同じ情報を新聞が文字でくりかえすだけでは新開の機能をはたせたい。その映像を見たわれわれ
が、なぜ警察にはこんな権利があるのかと思う疑問に、活字メディアは何らかの形で答えるべき
である。が、新聞は、道路や駅椛内での市民の権利と義務を条例集から列記することすらしない
のである。
 新開が電子メディアの後追いをして、その固有機能を生かしていないことを示す優れた論述が
ある。旦局敏は、「ロス・オリンピック報逝にみるニューメディア戦争」(『カメラ侮□』一九八四
年一〇月号)のなかで、刺口と読売がともに冊子スチルカメラを用いて競技写真を批りながら、普
通のカメラと電送装碓を使った侮日に、掲載された写真の出来ぐあいからして、敗けていること
を詳述している。テレビと新開とでは、時問機能がちがうのであり、新開にとって正.理なのは、
「電子スチルカメラによる鵬宋作業不要という時…の短縮」ではなくて、「むしろ概訂n線という
伝送系の確保の間脳」である、と見納は言っている。新開の機能は、いまや、遮靴性ではなく、
情報の棚密性と批判的姿勢である。
 鶴見俊輔は、述載「新川〕録①」(『潮』一九八四年九月け)のなかで、「木は情報として新開にお
くれており、新開はテレビにおくれている。だが、新開の世界では、テレビの世…分ほどに、東京
がそのまま日本ということにはなっていない」と言い、マイナーた活字メディアをきめ細く紹介
し、論評している。この述載は、同時に、「戦争中から現在まで一貫して侵略や軍拡を言論界で
すすめている文塾春秋杜」に鶴見が協力していると批判した本多勝一との論争にもなっており、
本多のように「もし、まだらなものすべてを排して『真実』一色の雑誌を求めるなら、雑誌は存
在しないだろう」とする鶴見に対して、『潮』の一九八四年一〇月号で本多勝一は、「一〇〇%完
全に反動丸出しだけの雑誌」たどない以上、"反動的"な「雑誌の主目標としているところを免
罪するというのでは、『ドイツ国民にも良い人がいるから、ナチ・ドイツも認める』という論法
とどこが違うのでしょうか」と反論している。
 本多の言い分には聞くべきものがないではないが、その〃倫理主義"的ディスクールが示唆し
ているように、今日のメディア状況では、鶴見の言い分にリアリティがあるように思われる。一
言にしていえぱ、問題は、『諦君』や『文塾春秋』のような"反動"メディアも、『朝日ジャーナ
ル』のような"進歩的文化人〃メディアも、マス・メディアはともに民衆のメディアとしての機
能を失いかけており、大新聞においてはその傾向がとくに著しいということなのだ。
 メディアの「まだらな性格」を重視しようとする鶴見俊輔の主張は、その点で、大活字メディ
アの低落傾向を暗黙的におさえており、現状では、大新聞や大雑誌には、メディアとしてそのよ
うな可能性しか残されてはいないように思われる。
 テレビ・メディアの過剰化のなかでの活字メディアの機能変化は、知識人の機能をも大幅に変
えつつある。ただ、悲惨なのは、活字メディアにあっさり見切りをつけてテレビに乗りかえたい
と思ってもうまく行かない知識人たちで、その結果彼らは、活字メディアでテレビ芸能人的にふ
るまうことになる。
 吉本隆明は、すでに『mazar』(一九八三年九月号)で、目をむいてスイカにかぶりっく珍演技
の写真を披露していたが、「an an](一九八四年九月二一日号)では、彼の「ファッション」をご
披露している。これは、最近よく言われるように、彼が「脳軟化症にかかった」からではなく、
彼白身の意図から出たものだ。
「『枠組』の見えてしまった若者たち」(『中央公論』一九八四年一〇月号)という川本三郎を「聞き
手」とする墾百のなかで吉本は、「自分の〈アングラ〉的感性を自分白身で炉体する方法を探り、
同時に、外部から笑いとぱされてしまう、こわされてしまう、そのこわされ方を自分でちゃんと
見ていく-この二つのやり方を同時進行できなければ、ぼくにとっての一貫性・持続性は保て
ないことになる」と言っている。これは、吉本に活字メディアを通じて接してきた読者にとって
は、耐えがたい発言だろう。
 しかし、そのようなことをやろうとするならば、吉木はそれをテレビで行なうべきなのであり、
それをやらずに、活字メディアで"語り"形式の発言をくりかえし、より一属活字的たメディア
では、「この本はほんとは深刻で難しく、暗い木だが、明るい軽い本と」て、読まれなけれぱ本
としては、その分だけ未熟で駄目なのだとおもう」(『マス・イメージ論』)と讐かざるをえないとこ
ろが、吉本隆明の悲脚である。
 ジル・ドゥルーズは、「ヌーボー・フィロゾフ及びより一般的……魎について」(川肌代思想L九八
四年九月臨時珊刊号)のなかで、七〇年代における新哲学派の連中のテレビ・タレント化を、「舳
造的機能」が活字メディアにおいて「作者-機能」を廃位した状況下において「作者」がテレ
ビ・メディアのなかに「再椛築」される理鍛としてとらえ、テレビ・映山ニフジオの可能性は、
そのような「再椛築」にではなく、むしろ、そうした「作者」を廃位するところにあると育って
いる。
 マス・メディアは、活字メディアもテレビ・メディアも、根底から変わらなけれぼならたいと
ころに来ている。                            (一九八四年九月)
       


14



 マス・メディアの機能変化の点から最近の出来事を考えてみると、チョン・ドゥホァソの来円
のほかにグリコ・森永事件が注口される。グリコ事件については、すでに対抗権力的な竹搬操作
の側から論じたことがあるが,それを利いてから四カ月たった今日の時点では、この小作が当初
もっていた反権力的な側面は、ぽぽ完全に権力のなかにとりこまれてしまったように見える。と
いうのは、この事件が、マス・メディアと一体化した情報11食^、グリコ製品を巧みに操作しな
がら企業・マスコミ・警察をきりきり舞いさせていた段階から、いまでは〃不癖な人問"を見つ
けたら警察へ通報しようという警察1-マスコミの呼びかけに多くの市民を動ハするための焚雌に
なってしまっているからである。
 これは、ロッキード泰件から「疑惑の銃弾」事件に到って変化したマス・メディアーとりわ
けテレビーの機能と比べて、さらにもう一段大きな変化であると言わなければたらない。ロッ
キード事件(国会における証人喚間から田中有罪判決まで)のときには、それにテレビや新脚を
通じて反応する視聴者と読者は、まだ班件を一つのドラマとして距離を脆いて見ていた。実際、
役者にも事欠かず、田中角栄を主役とするブロワェッツコナルな役者たちが次々と登場し、視聴
老と読者を楽しませてくれた。それは、テレビ時代にはむしろ古くさいと思えるほどの仕掛けと
ドラマトゥルギーに依存した〃新劇。的舞台であり、人々は久しぶりに絵にかいたような芝帰を
見ることができたのだった。
「疑惑の銃弾」泰件の主役を演じる三浦和義氏と田中角栄とのちがいは、前者がわれわれとどこ
かでっながっている市民的人物としてマス・メディアのなかに存在したのに対し、後者は、一般
の視聴者・読者にとって、それがどんなに「庶民的」なイメージをとって現われるとしても、ど
こかで抽象化されている公人(従って、わたしは"敬称〃を付けない)であるという点だ。そのため、
田中角栄に対してテレビの視聴者がどんなに憎悪をいだいても、またその逆にどんなに好感をい
だいても、それは所詮、ドラマのヒーローに対していだく印象のレベルにあるのだが、三浦和義
氏にそうする場合には、われわれが自分の仲㎜…を拒否したり支持したりするのと同じレベルの閉
胴が生じるのである。
 このことは、マス・メディアを操作しようとする側(むろん、それは単一ではないし、すべて
がすべて芯識的であるとはかぎらない)からすると、ロッキード班件で視聴者と沈考は、他人を
挽い椚蝋することの正当性と楽しさを見箏に〃学弼"し、「疑惑の銃弾」事件で、その仰い終え
たばかりの技法を実際に市N側の人……に適用して、その学押ぶりを披脈したのだった。ただ、こ
の段附では、「疑惑」の対象は、はじめから三汕氏一人にかぎられており、その意味で艇うとい
うアクションは、週刊誌やテレビのうえでのシミュレイションにとどまっていたが、森永小作で
は、隣人を斑うというところまでエスカレイトするのである。
 回ツキード班件、「疑惑の銃弾」箏件、グリコ・森永箏件という三つの疑惑のレッスンをへて、
われわれは、いまや疑惑の総勘員休制のなかにまきこまれつつある。ここには一面で、総理大臣
から隣人までを盲信ぜずに疑惑の目で見れる1従って権威や権力を安易に信じない1という
積極的な面があるように見えながら、その突、他人の代わりに〃自分"だけを信じ、そして〃自
分〃を信じさせてくれる者ならば、何でも無批判に受けいれてしまうという傾向のほうが強まる
のである。そのため市民は、警察やマスコミの権威をいささかも信じていないとしても、自分の
生活の安全が脅かされるかもしれないというだけで、その脅威の"元凶"とみなされるものを安
易に指弾する行動に出てしまう。
 しかし、このようになるのは、単に国家権力が抑圧を強化したからでも、単にわれわれがそれ
に屈しやすくなったからでもない。むしろ、あらゆるものが実際に疑わしくなってきたからであ
り、"最後の柴"がなくなってきたからである。グリコ・森永事件で今回警察1ーマスコ、ミを通じ
て流された「不審の男」のヴィデオ映像は、「犯人」のものであるかもしれないし、そうでない
かもしれない。しかし、問題は、そうした真偽ではなくて、現在のメディア.テクノロジーとメ
ディア環境の水準からすると、はじめからそのような,区別が閉魍にならないということなのだ。
 ウッディ・アレンの映画『カメレオン・マゾ』は、このことを示す端的た例である。これは、
過去のドキュメンタリー・フィルムとアレンが登場するフィクション・フィルムとを技術的に合
成し、〃ゼイリーク。なる歴史的人物とその歴史・物語をでっちあげてしまった傑作だが、うっ
かり見ていれば〃本当。にこういう人物が今世紀前半のアメリカ史をにぎわしたのかと思えてく
るほどその合成技術は見荻である。ただ、日本で封切られた版では、『レッズ』を蹄に茶化した
ような〃歴史的証人"の談話の部分の声がすべて日本諦で吹き替えられており、オリジナルがも
っているこの部分の擬似リアリティが薄らいでしまっている。
 いずれにしても、今日のテクノロジiは、従来のリアリティの茱作をつきくずしてしまったの
であり、たとえば大日木印刷にあるレイアウトスキャナー「レスポンス」のような装附を使うと、
写真のなかの人物や風物を消したり付加したりすることがn巾にでき、それはすでにグラフィッ
クの分野で商業的に利川されている。つまり、ある映像が□パ体的な身体締鰍の再班として拠.外さ
れるということを水準にして映像を訊るということが不可能になる事態がすでに生じているので
あり、映像はすでに…一束班の信ずべきドキュメントではありえ旋いのである。
 このことは、最近論じられることの多い高庇附報化社会における法律……胆にも㎜…わってくる。
すでにアラン・M・チューリングは、人間から「身体的能力」を排除していって、それを「知的
能力」だけで花成しなおすこと(つまりは人工知能の可能性)を考えていたが、今□のニュー・
メディアの抑念は、人間を「チューリング・マシーン」としてとらえることである。しかし、そ
のディレンマは、われわれがまだ"身体〃と"脳n知性〃との矛爪のなかにとどまっていること
であり、身体性を"聖域〃とせざるをえない諦条作が少なからず代っていることだ。だから、フ
ーコーが楓勧に分析したように、権力関争の前線はつねに身体性なのであり、それは旧家権力に
とっても、個人にとっても〃兜域。であるかのようにあつかわれるのである。
 しかし、それを〃聖域〃とみなす方向は、両者のあいだでは正反対であり、ニュー・メディア
が浸透した社会では、(商品の)販売者と購賞者とのあいだでも、このくいちがいが起きる。自
動販売機からキャプテン・システムにいたるまで、エレクトロニックニァクノロジーによる売買
システムは、身体性を電子怖報性に変換し、身体的な〃誰"を無化することのうえになりたって
いる。従って、これらの装置は誰でも使えるわけだし、原理的には誰も契約関係に拘束されない。
しかし、売買関係は、依然として誰かと誰かどの契約関係であり、販売者は身体をもたない瞳名
のXを購買者として契約することはできない。言いかえれば、電子化された売買システムは、原
理的にその無断使用や〃犯罪。的使用をそれ白身の機能としてもっているにもかかわらず、それ
を許すことができたいのである。そしてそのために、個人の素手の領域への電子テクノロジi的
な侵犯を激しく行なう一方で、そうした領域を〃聖域"化してゆかなけれぱ、システムがなりた
たないという矛盾が生じる。
「八五年体制」は、このような論理を正当化することに専念するものであり、象徴天皇制とは、
それ自体において、このような矛盾(天皇は身体性をもちながら、身体性を欠いている)を正当
化しているような困家形態だから、天皇の身体性をそうした〃聖域"のモデルにすることは、日
本の場合最も手っとりばやい国家管理であり、それはすでに行なわれてもいるわけだが、問題は、
その身体性が一且解消されるXデーが遠からず想定されており、国家はあまり天皇制を頼りにで
きなくなってもいる点だ。ひとつの選択として、今後、国家が何らかの宗教のプロモーションに
のり出さざるをえなくなることは必至であり、疑惑のレッスンは、新たな国家信仰のための予備
訓練になる可能性は大である。                    (一九八四年一〇月)
    


15



 思想は状況との関連においてLか批評できないというのが、わたしの持論だが、一九八四年に
現われた〃思想"のうち、状況との関連で論じがいがあった〃思想"は、やはり〃ニュー・アカ
デミズム"の人々のものだった。それは、彼らの〃思想"が〃思想史"のレベルで卓越していた
からではなくて、それが状況のなかではたLている役割が十分批判に伍するからである。
 日本の定期刊行物は、年末号と新年号でにわかに歴史意識をとりもどし、前者では一年の回顧
と総括を、後者では来るべき年の展望や予測を行なうのがならわしだが、近未来の展望に並々な
らぬ意欲を見せている点では、「創業一〇〇年」を迎えた『中央公論』の新年号が注口される。
 鶴見俊輔杢冒ったように、メディアには「まだらな性格」があり、一冊の雑誌をつねに一つの
統合された全体として論じることはできないし、特集に収められた論文をつねに統合的に論ずる
こと怯メディアの制約を戦略的に逆用しようとしているような論文の意図を無視してしまうこと
になるが、『中央公論』の一九八五年新年号の二つの特大は、その点、実に確合的に編入されて
おり、編集者の手並は見事というほかはない。
「二十一世紀日本の条件」という特集で廿…坂正尭、天谷直弘、矢仰脇、川崎正和、内椰逃、小此
木啓吾の面々を登場させるというのは誰でも思いつくことだ。また、もう一つの付火である「ヒ
ューマン・サイエンスを超えて」で洩旧彰、吉成真山美、中沢新一の三人を並べることも、あま
りに安易である。しかし、この二つの特集を同じ号に並列させるということは、そう並の編集技
術ではない。ここでは、それぞれディスクールも目的意識も火だるはずの個々の論文が、一つの
大きな流れのなかに位性づげられてしまうからである。
 その典型的な例として、浅田彰の「ポストモダン・サィェソスの条件」を読んでみよう。ここ
で論じられていることは、彼がこれまで言ってきたことのくりかえしにすぎず、ごく最近も『現
代思想』(一九八四年二百号)の「免疫と自己組織化」の特集に寄せた「ヴァレラと遭遇する」の
擾頭で十分に言いっくされている。それによれぼここ一〇年ほどのあいだに、ブリゴジーヌの
「散逸構造論」、アィゲソの「ハイパーサイクル論」、ハーケンの「シナージェティクス」などの
怜報論的ないしは数学的展開のなかで「自己組織化というテーマ」が多くの関心を集めるように
なったが、そこにおいて「形なき物質に出来あいのパターン(怖榊)を押しつける㌧」とで秩序を
形成し、ネガティブ・フィードバックによって安定的に制御していくという構図に代わって、ゆ
らぎをはらんだ物質の広がりの次かからポジティヴ・フィードバックを通じて白ずと秩序が形成
され、ダイナミックに変容していくという構図が前面に浮かび上がってきた」という。
 その結果、「ポストモダン・サィェソスの条件」によれば、「世界に意味の網の目をはりめぐら
して温もりを帯びた閉域に変え、その中心に安住する、あるいはそれと内なる深層との異和に衝
き動かされて疎外と回復の単線的な物語を生きる、主体としての人問」は姿を消し、それに代わ
って「開かれた白已組織的なサイバネティック・システム」(アンリ.アトラン)が現われる。フー
コーが『言葉と物』(一九六六年)でニーチェとク日ソウスキーを継承しながら指摘したのも、ま
さにこのような事態だった。
 むろん、浅田彰のこうした確認は、極めて正当であり、何もフーコーをまたずとも一九四〇年
代にハイデッガーなどが言っていたことである。浅㎜は、「ロゴス中心主義の閉域から逃れ去ろ
うとするポスト椎造主義の思考は、公理主義的な数学体系ではなく、その場その場で具体的な対
象との対話によって膿脚される数理科学の営みから、大きな刺激を受けてきた」と言い、その数
理科学一だとえばマンデルフロートによる「自然のフラクタル幾何学」1は、コンピュータ
ーニアグノロジーの発達によってその視座の転換をはたすことができた側面が強いという。
 しかし、(浅田は粗雑にもフッサールをラッセルとならべて「数学上の論理主.張」の流れに位
置づけているが)ハイデッガーの批判を吸収したうえで書かれた『形式的ならびに超越諭的論理
学』以後のフッサールにおいてすら「閉じたシステムとしてのく人…v」や「完結した椛造」な
どはとうに越えられているわけだから、浅田の言う「ポスト椛逃主義の思考」は、三〇年代のプ
ラハの構造主義者とフッサールとの実りゆたかな交流を、所詮は「抗い学」の一歩遅れた再犯櫨で
しかない数理科学による最終的な顕在化に支援されてようやく生かすことができるようになった
ということになる。
 問題は、現状認識とりわけ権力の認識の柵違にあるのだと思うが、わたしには、浅田が「新し
い」とみなす思考がひとつも新しくはないと川心えるのであり、彼が「マイナーな科学」とみなす
ものが、すでに彼の言う「国家製雌の一環として遊歩と調和を]桁す工逝科学」になりつつある
と思われるのだ。たしかに、「感性」は「天才の感性」によるよりも、むしろ「テクノロジーの
結果としてある」というのは正しい。が、フェルメールの桧山がレンズの発達、光学的解像力の
拡大によって決定的な影響を受けたとしても、そのテクノロジーは、その時代における般も先述
的なテクノロジーであったはずだ。ところが、洩山の論述には、テクノロジーに対する帷史的・
批判的対応が希薄なために、エレクトロニックスのマーケットのレベルで最も"北逃的〃なテク
ノロジーがあたかも「新しい知見」を生み川すかのような伽念をふりまいてしまう。
 もっとも、彼は、"ニュー・サイエンス"や"ヒューマン・サイエンス"の「反動性」を指摘
してはいる。とりわけ、今日万能概念として流行しつつある「ホロン」の概念について彼は次の
ように言っている。
「ホラーキー(各々のホロンの総体)とはつまるところソフトなハィァラーキーにほかならず、若
千のあそびを許しはするもののトゥリー状の椛図を峻かも担すものではないのであって、横断的
な結合や非合法のループが生み出すリゾーム状の動きは、あらかじめそこから排除されているの
である」。
 ある恵味では、そうしたコ反動性」があまりにひどいために、そこから「逃走」し距鮒を脆く
ことが波田にはあたかも「突発的な巡歩」にみえるのかもしれない。しかし、浅…川は「サイエン
ス」の解説をしているだげであり、決して先進的な「サイエンティスト」ではないのだから、そ
うした反動性をこそ執勘に批判しなければ、単にメイジャーな科学の傾向のお先棒をかつぐにす
ぎなくなるだろう。
 たとえば、大平内閑の政策研究グループの一八として「ホロニック・パス」を提唱し、バイオ
ホロニックスの砕蒙につとめている池水博は、「ホロンとしての人間ーバイオホロニズムとは
なにか」(『、ミグ回コスモスヘの挑戦』中山篶店)のなかで、「ゆらぎ」や「自己組織化」の概念を駆使
して歴史と社会を論じ、ついには天皇制の山来まで同じ論法で説刎してしまうのだが、浅田彰も
清水と似たような機能を果すことになりかねない。
 海水によると、「大陸方面から、先進的な文化や政治・経済のツステムが次々に流入し、日本
は歴史的に外部からの活性化と『ゆらぎ』の中に絶えずさらされてきた」が、「朝鮮海峡で大陸
から隔てられていたために、極端に激しい『ゆらぎ』からは守られていた」。「こうした結果、硬
い核をもたない、すなわち秩序の固い固形化のない、一見無原則なまでに危険な、日木の政治シ
ステムが生み出されたと考えることができます。その典型が『天皇制』という政治的伽皮です」
というわけだが、この歴史意識を欠いた発想の反動性はどうだろう。この手で行げば、チョン・
ドゥホァソの来日も戸籍問魎もXデーも危機管理も、みなバイオホロニックスで片がついてしま
うだろう。
 現状はこれほどひどいのだから、浅田彰がコァクノロジーの発達」を-それが何のどのよう
な発達であるかを具体的に示さずに1強調すればするほど、それは、たとえば同じ『中央公
論』新年号のもう一つの特集に収められている「情報・電子文則への移行の前提」と題する論文
で迦商,産業省願間の天谷直弘が言っていることと共鳴しあい、それを補完してしまうのである。
 天谷の論述がいかに傾向的なものであるかは、彼が「情報・冗不文則は、情報へのアクセスと
利用の民主化を要諦している。ヨーロッパ社会はこの要討にこたえるためのモビリティが不足し
ている」などといったーアクセス権の確立や放送の民主化が日木などよりはるかに進んでいる
ヨーロッバの具体的状況を全く無視した1論述を読むだけで十分であるが、天谷によれば、
「石油、電力文明の後発国であった日本は、その故に最新鋭のスモーク・スタック産榮を建設す
ることができた。しかも日本は、最新鋭のハードにマッチするすぐれたソフトーいわゆる『口
木的経常』を開発することに成功した。……しかし、何年後とは言えないけれども早晩、日本の
石汕・電力文明型産業も、米欧の同業が現に経験しつつあるような困難に遭迦する可能性が高い
と考えざるを得ない」という。
 そこで、「日本が明治時代および昭和後期に、奇蹟的経済発及を実現することが出来た最大の
理由」を考えるに、それは、「欧米技術の導入と同時に、日本社会のシステム、倫理、化活様式
を大棚にかつ適切に変更したからであると思う」と天谷は言い、「今日、情報、冊子文㎜の時代
に入るに当ってもまた、社会のシステムと倫理および生活様式の適切な改変が必.嬰である」とす
る。
 しかも、その際、天谷は、「たにが適切た改変かということは、現段階では必ずしも明らかで
ない」と言いながら、つまるところこれを行革の問題にし、「行革とは、行政に寄生している
既得権の整理であるが、行革は狭義の行革から、社会全体の行革へと拡大深化されたげれぱなら
ない」と述べる。これは、佐藤達也が「第二次巾付根内閑は何をめざすか」(「季刊クライシス』一
九八四年冬臨時期刊号・中曾根行革を総決算する)のなかで、「中付根流の軍拡・改憲路線に対する自
民党内の〃歯止め"がなくなりつつある」と言っていることを裏付けており、また、『思想の科
学』の一九八四年二一月号で山川晩夫(「個別n術権から集団的向術椛へ一木枠的な閑軍化に向かう自
衛隊」)や青木日出雄(「分からないことだらげの危機管理-中央指抑所閉設事件」)が指摘しているこ
との重大さを改めて確認させるだろう。
 一九八五年は、よき人材を得て、先進テクノロジーと新国家主競の洗練された、そしてグロテ
スクな合体を目のあたりにできるにちがいない。           (一九八四年二万)
  




時間操作の政治



 政治や運動をテクノロジーの側からとらえる必要があるのではないか? というのも、支配シ
ステムと支配様式は、つねに、どのようなテクノロジーが支配的となるかによって決定されてき
たからである。
 今日の支配的テクノロジーは、いうまでもなくエレクトロニックスであるが、このことは、す
べてのものが冗子テクノロジーに依存するということでは必ずしもなく、むしろ、すべてのテク
ノロジーが冊子テクノロジーを某礎にして再柑築されるということを芯味する。たとえば、どん
なにエレクトロニックスが発達しても、少なくともいまのところ当分は、生身の身体を使って逝
賂を歩いたり、食物を食べたりするわけだが、このような何千年来変わらぬように見える身体技
術、が、火は、そのつど支配的なテクノロジーによって規定されており、そのためにいっの時代に
も同じであるかのような身体技術や身ぶりがそのつど異なった政治的意味をもつのである。
 ニレクトロニックスのテクノロジーの浸透は、エレクトロニックス機排の普及であるよりも、
むしろエレクトロニックニアグノロジーの機能であるところの同時性ないしは光速度への無限接
近という理念の普及である。つまり、それ自体としてはエレクトロニックスなしにn仲できるも
のが、何かと同時的に存在したり、何かに向かって映りなく速い速度で移動することがいままで
になく全般化するのである。エレクトロニックスの機器が、要諦され、姿をあらわすのは、むしろ
このあとからなのである。まず、電子的な速度への限りない要求があり、しかるのちに、その要
求を満すための装置として電子機撚が出現するのである。
 従って、同じ電子機辮でも、エレクトロニックスが過剰に浸透する以前と以後とでは、その機
能が異なる。たとえば、マイクロフォンであるが、その機能は、以前は、単に音最を拡大するこ
とであったが、いまでは、これは身体の速度を表現する機能をもたらす。歌手がステージで握っ
ているマイクは、その声を増幅するためのものであるよりも、むしろその身ぶりをより速く、よ
りリズミカルに動かさせるためのものである。ロック以後、この傾向は明確になった。カラオケ
にしたところで、その構造白体は拡声機だが、その機能は、その使用者の声を川幅することであ
るよりも、むしろその行動をせかせることである。また、ウォークマンも、空間を北的に拡大す
る装飾ではなくて時…操作の装置であり、同じ時間内に〃歩く"ということと"聞く"というご
ととを同時に機能させるのである。
 電子テクノロジーは、空間性に手をつけずに時間性を操作することができる。このため、空間
の政治にだけ気をとられていると、時間性のレベルで起こっている大規模な時間操作が見失われ
かねない。
 たとえば、ケーブル・テレビは、かつて空間的にはサービス・エリアの小さな地域メディアで
あった。しかし、エレクトロニックスの発達によって衛星通信が普及すると、この地域メディア
を衛星で中継し、その放送を地球的規模の地域に流すことができるようになる。この場合、従来
の空中波を用いた放送とちがい、ケーブル↓衛星↓ケーブルという回路を通るので、ケーブルを
敷設したところでだけ放送を受信させ、その点では空間的な差異を温存したまま、時問的には同
時的である(あるいは異なっている)操作が可能となる。空中波の場合、放送される電波がどこ
の縦によって受信されているかをあらかじめ知ることは難しいが、ケーブルの場合は、それが可
能となる。従って、空中波のように、つねにある一定の1決して小さいとは言えない単位の
ー集団を空間的にまとめるというのではなく、ある空間(地域)内の少数の人々1場合によ
ってはたった一人の人問1を空間的には一切拘束せずに、別の空間内の人々と1両者が時間
的に同時に同じ番組を見ているという仕方で1結びつけ、時間的な集団を作り出すことができ
る。そのため、ある人が自分の住んでいる地域では自分だけしか見ていないと思われ、また実際
にそうであるような番組を、地域の裏側で同時に見ているということがありえる。言いかえれば、
ケーブルと衛星によるメディアニァクノロジーは、個人を空間的には"自律〃させたまま、時間
的に自由に他者と統合させることができるのである。
 電子テクノ回ジーの時代には、時問的な同時性で結びつけられ、また時間的な差異性によって
対立させられたり差別されたりしている個人や集団や国家の政治が間趣なのであって、空間的な
同一性や差異性は第二義的となってゆく。このような時間政治にとっては、個人や集団や国家を
空間的に〃解放"することが支配にとってむしろ必要であり、そうした空間的〃自由。を前提に
して時問的統合の政治が遂行されるのである。
 差異性や差異化の〃重要性"を強調する論調が、これまでのこの国の慨向とは逆に主流になり
はじめているのも、このような背景にもとづいている。たとえば中沢新一は「砂漠の資本主義
者」という一文のたかで、資本主義の現状を肯定するためにそれを「ユートピア」めかして次の
ように言う。
「資本主義のユートピア、費本主義の夢とは、蓄秩することでもなく、世界を新しい秩序のもと
に組織しなおすことでもなく、いわば世界をその解体にむけていざなっていくことにほかならな
い。それはただ貨幣の抽象力だげをたよりに、人や物を専門分化した構造のなかに組織だてるあ
らゆるコードの働きを解体させながら、より白血な交通の形をとりもどそうとする。商人は国家
を組織するよりも、国家と国家を枇断的にっないでいく交迦のほうをめざした。彼らは人と物の
流れの交差点に無数のバザールを『点』として形成するだけで、国家の領土を区切る『線』を描
こうともしなかったし、また批をあらわす『面』によって蓄積と所有をほこらしげにしめそうと
もしなかったはずなのである」(Hチベットのモーツァルト」せりか篶〃)。
 いまここで、国家と商人との歴史的な関係をくそまじめに論じるつもりはないし、その必要も
ないだろう。ここで言われている「商人」は、「ユートピア」ないしは「妙」のなかの商人であ
って、どこにも存在したことがないものである。しかし、すでに多国籍企業は、「国家と国家を
横断的につないでいく交通のほうをめざし」てきた。それは、資本の蓄秋と所有が、主としてま
だ物品の生産と流通のレベルで行なわれていた時代には、蓄積と所有の論理を逸脱しそうになっ
ているかのような印象を与えることもあったかもしれない。しかし、蓄秋と所有が怖報の生産と
流通のレベルで行なわれるようになると、それが物品の場合のようには空間的に可視的とならな
いということが、まさに蓄秩と所有の性格を規定するのである。
 それゆえ、中沢がここで言っていることは、「資本主義のユートピア」ではなくて、情報資本
主義の理実である。物品の超越諭的な代表としての金銭を資本とする資本主義は、超越論的なレ
ベルというものを措定することなく、同時に物品であり金銭(記号)でもありえる電子情報が資
本となる情報資本主義に転身しつつあり、そこでは蓄積も所有も時閉的に行なわれるようになる。
情報伽他は、単なる量の間趣ではなく、速度の問題であり、究極的にはゼロ速度1つまりその
語の波高の芯味における同時性一へ眼りなく近づく間魎である。
 瓶子情報においては、生産と流通が同時に行なわれ、物日…のように生産物が蓄稜されたのちに
流通されるのではなく、あたかも無から物が立ちあらわれるかのように生産され流通されるのが
侃子情報である。ここでは、蓄秋とは、いかなる情報をも生雌でき、いかなる怖報をも流迦させ
ることができるような裟肚と口脇-つまりはメディアーを独化するト」とを意味する。
 だとすれば、本貫灼なことは何も変わってはいない。支配や抑圧がルをひそめたわけではない。
それをあたかも資本主張がみずから武装解除したかに言うのは、装いを新たにし、その抑圧の機
能を微細化した権力を挑維することでしかないだろう。権力が多様化し、その抑圧機能がミクロ
化したのたら、その批判も微細で過敏なものにならざるをえまい。が、それにもかかわらず、浅
田杉は1中沢新一よりは正直中械的な表現をするので-『逃走諭』(筑燦輩〃)で次のように
言う。
「いよいよ大予言が下されるべき時だ。すなわち一くパラノ人…Vからくスキゾ人問Vへ、〈住む
文明>からく逃げる文明>への大転換が進行しつつある。この大転換を企面的に肯定せよ!」
 その際、「ドゥルーズーーガタリにならって」というよりも、むしろクレッチマーの「躁うつ気
筑」と「分裂気賞」をドゥルーズーーガタリ的なフレイバーで味付したにすぎない「パラノ人間」、
「スキゾ人問」とは、浅田によると、次のように定義される。
「パラノ型というのは偏執型の略で、過去のすべてを積分11統合化して背負いこみ、それにし
がみついているようなのを言う。パラノ人間はく追いつき追いこせv競走の熱心なランナーであ
り、一歩でも先へ進もう、少しでも多く蓄積しようと、眼を血走らせて頑張り続ける。他方、ス
キゾ型というのは分裂型の略で、そのつど時点ゼロにおいて微分1-差異化しているようなの
を言う。スキゾ人間はく追いつき追いこせV競走に追いこまれたとしても、すぐにキョロキョ回
あたりを見回して、とんでもない方向に走り去ってしまうだろう」。
 いつの場合にも分類学は、発見学を触発するかぎりで有効性をもつにすぎない。しかし、分類
学に時間軸をもちこむとき、それは確実に政治的イデオロギーの機能をおびる。「パラノ人間」
から「スキゾ人間」へという時間性を設定して、前者から後者への流れを"進歩〃とみなすとき、
ここには確実に戦略が始動しはじめる。その際間触は、この戦略が、既存の権力の延命と強化に
役立つのか、それともその解体と弱体化に与するのかどうかである。
 地子怖報化社会では、「そのつど時点ゼロにおいて微分1-差異化」することはすべての基礎で
あり、価他である。こうした傾向は、日本では一九七〇年代の後半にはかなり可視的となってい
た。それは、もはや口新しい傾向ではない。浅田は、言う-「スキゾ的な而に注ほするとき、最
近の子どもたちの表現力には驚くべきものがある。自分白身をく"むありとあらゆるものをやすや
するとパロディー化してしまう軽やかさ。パラノ的な問いをあざやかにはぐらかし、総合から逃れ
続けるフットワークのよさ。重々しい言葉を語っているつもりで、その笑うすっぺらな紋切型を
反復しているだけのパパたちに比べると、うすっぺらな言葉を逆手にとっていわぱオブジェとし
て使いこなし、次々に新たな差異を作り出しては軽やかに散乱させる子どもたちの能力の方が、
はるかに大きな可能性をもっている。彼らはまさしく差異化の達人なのだ。そうした能力はメデ
ィアさえ与えられれぼいくらでも伸びていく可能性を秘めていると一首ったら、いささかほめすぎ
になるだろうか」。たしかにそのような子どももいるだろうし、そうでない子どももいるだろう
し、一人の子どもがそうであるときと、そうでないときとがあるだろう。「重々しい言葉を語っ
ているつもりで、その笑うすっぺらな紋切型を反復しているだけのババたち」というのは、テレ
ビ.ドラマのなかにしかいないかもしれないが、現実の「パパ」は、一面ではそういうことをす
るときもあるだろう。要するに、ここで言われていることは、具体的な子どもやパパとは無関係
である。しかし、浅田がここで揃いた「子ども」たちの姿勢をよしとしていることだけはわかる。
だが、このようなタイプは、現在の資本主義システムにとって新しいと言えるだろうかp
 浅田彰が批判されるとすれば、それは、彼の述べていることがその装いとはうらはらに少しも
新しくはない点にある。言いかえれば、彼の主張は、このシステムを解体させることにはむろん
のこと、加速させることにすら役立たず、むしろそれを現状維持のままにとどめておく機能を果
すのである。
 マーケッティングの分野では、「差異化」ということが三、四〇年まえから咽えられている。
日木では、マーケットの「差異化・微分化」戦略は、一九六〇年代の後半になってようやく一般
化しはじめた。それは、周本ではそれまで高度消費杜会が成立していなかったからである。一九
六六年にダイヤモンド社から出された『マーケット・セグメンテーション 消費者創造の新戦
略』の第一章には、次のような文筆が見える。
「マーケット・セグメンテーションということがわが国のマーケッティング界でやかましく論議
されるようになったのは、ここ二、三年来のことである。そのキッカケとなったのは、衣料品や
カメラ、家庭電推などの業界でとくに顕著になった、俗要の頭打ち、市場の飽和ということであ
り、それがたまたま三十九年の後半からはじまった日本の経済界の不況とくに最終消費需要の減
退という現象とからんで、マーケッティング…介で大きく問題にされるようになった」。
 この租の本は、その後数多く出版されており、その時点においても大して重要な本だとは言い
難いと思うが、出版俊二〇年近くたった今日この本を改めて読んでみると、この二〇年間に日本
で行なわれた文化管理のプログラムがここに記されているのを発見することができるだろう。
「マーケット・セグメンテーションの戦略を進めるための問題点の一つは、セグメントをどう設
定するか、どの程度消数者脳を細分化〔11差異化〕するかということである」と書く第一章の著者
は、次のような冷酷な発言をする。
「たとえば〃若い女性”という消費者腫を考えてみよう。戦前においても若い女性が存在してい
たことはいうまでもない。しかし戦前の若い女性層は、商品の購買態度や生活慣習、消費意識な
どの面で、他の一般の婦人臓に比べて、とくに区別」て考えなければならない特質を強く持って
いたとはいえない。:…・これは婦人雑誌をとりあげてみても、戦前は『婦人倶楽部』、『主婦の
友』という婦人全体を対象にしたものだげが、圧倒的た強味を誇っていたことによってもうかが
われる」。
 戦前の「若い女性」が「他の一般の婦人魑に比べて、とくに区別して考えなければならない特
質を強く持っていたとはいえない」のは、実際に彼女らが無個性だったからではなくて、消費シ
ステムが、女性を「若い女性」というセグメントに差異化Lたかったからにすぎない。差異化の
手段は単に雑誌メディアだけではないが、「『婦人倶楽部』、『主婦の友』という婦人全体を対象に
した」雑誌メディアしかなかったことが、女性が向分を「若い女性」として自己差異化しない要
因の一つなのである。このへんの微妙なニュアンスははっきりさせておかなけれぽならない。つ
まり、「若い女性」というコードに従って女性を差異化することと、ある女性が自分をたとえば
「わたしは子どもの頃からセックスが好きな女だった」と差異化することとはわけがちがう。前
者は管理であるが、後者は必ずしも管理ではない。
 マーケッティングの歴史は、あらゆる白已差異化を組織とメディアによる管理11差異化に変え
てゆく歴史である。差異化の自発性が完全に失われてしまったわけではなく、差異化がどんなに
精紋にプログラム化され、欲望が細かくセグメントされるとしても、そうしたプログラムやピン
ポイント.セグメソテーシヨソとは無関係に行なわれる差異化は存在するだろう。しかし、そう
した差異化をすべて予測しておこうというのがマiヶツト・セグメソテーシヨソの理念だとすれ
ば、あらゆる差異化がつねに管理の網の口にとらわれていることを意識したいわけにはゆかない。
さもなければ、批判も対抗も存在することができないだろう。
 しかし、浅田彰や中沢新一が少しも新しくないというのは、こうした組織の側からほとんど出
しつくされんぱかりに出ている差異化に対して無知のまま自己差異化の”進歩性”を提唱してい
るおめでたさのためではない。そうではなくて、マーケッティングの分野では、こうした差異化
の戦略が遅くとも一九八二年には限界に達し、別の消費管理を考え出さざるをえなくなり、差異
化という方法は、現在のシステムを管理する方法としてはもはや白卵の理以上のものではなくな
っているからである。
 たとえば、グループ.ドゥ.タンク欄という集団がまとめた『生活開発者をつかめ』(ダイヤモ
ンド社)という「これからのマーケッティングとニュー・メディア」を論じた本のなかで、「執筆
者一同」は、「私たちは、”価仇観の多様化”という俗塗言葉一つで、この混迷の時代を片づけて、
こと足わりとサる安易な考えカにはなじまない」と宣言している、ここには、市場の単なる差異
化によって〃価値観の多様化”をはかろうとするだけではもはや「押し寄せている大きな変化の
波」に対決することは不可能だという危機意識があらわれている。ちたみにこのグループ・ド
ゥ・タンク棚という集団は、カバーの説明によると、「商品開発、販売促進、広告、調査、小売、
新規業態開発など、広義のマーヶヅティソグ各分野で活雌している実務者達の集団。特に一九九
〇年代に向けて社会構造、産業構造が大きく変革していくとの認識の下に、そのトリガーとなる
ニュー・メディアを利川した流通・小売のありようを探っている」という。
 本書の基本約な主張は、かつて「消費者」と呼ばれ単に受動的にものを消費するとみなされた
人々は、広告やマーケッティングに怖単におどらされなくなり、むしろ「向分の生活を自分で設
計し紅立てるという生活開発者(ライフ・デザイナー)の城に遠しつつある」という-」とである。
しかし、この主張も、『マーケット・セグメンテーション』の場合と同様に、現実がこうなって
いるということの認知としてよりも、班突をそのように変えたいというシステムの頗閉としてと
らえる必要がある。つまり、いまシステムの”先端的“な部分は、符珊に無能におどらされる
「消火者」ではなく、ある秋度白分勝手に行動する「生活開発考」を必要としているのである。
 その意味では、川中川栄も三浦和滋も、雌近のマスコミのヒーローたちはみな、「生活閉究
者」である。少しまえ、藤竜也のタバコのコマーシャルに、「おれ好きだよ」というせりふがあ
ったが、これは、あなたが好きだろうが嫌いだろうがそんなことはどうでもよく、間題は自分の
好きなことをやることなのだという文化、がもはやシステムの無恵識として根づいていることを示
している。浅田彰がもてはやされたのも、彼の主張が受けいれられたからでも、その「気持ち悪
い秋解」のためでもなく、まさに彼の「生活……発者」的姿勢が時流にぴったりだったからである。
とりわけその『逃走論』は、彼の主張では逃げるという部分にアクセントが雄かれているが、現
実には走るという部分で評価されているのである。というのも、「生活開発毛」は、物ではなく
時間を買うことを好み、とりわけ速庇ということに限りない欲塾を示すからである。その点では、
浅田彰の文革は、適度のスピード感にあふれているし、また彼の行動のしかたもなかなかすぱし
つこいように見える。
『生活開発者をつかめ』によると、食事を自分で調理するよりも近くのコンビニエンス.ストア
で食べものを…以ってきて、好きな音楽をよけいに聴くことを遭択する考は、そういうしかたで
「自己の時間を買っている」のだという。こんたやり方で時間を…以わなければならないというこ
とは、時……がいかに独占され拘束されているかということを示しているが、マーケッティングと
竹理はまさに仙人の時㎜…のレベルに推しているのである。
 これは、今後の「ハイタッチ商品」が怖報であり、情報は物とはちがって「生活開発者」の自
発性一つまりは叶間作一を二応専乖.しなけれぼならないからである。そこで、これからのマ
ーケツティソグは、強制ではなく、「共生技術」だとグループ・ドゥ・タンク欄は主張する。し
かし、賓本主義的企業は公共サービス機関ではないし、意識化された管理技術を用いることを前
提とする以上、組織と個人がどんたに〃円滑な”共存を行なったとしても、それを共生と呼ぶこ
とはできない。
「共生の技術」が登場しはじめたということは、セグメンテーションの技術が、行くところまで
意識を植民地化してしまい、もはや個人がその自発性を十分に発揮できなくなったということを
示唆している。すなわち、今後はある程度個体の自発性を導皿し、個体にある限度内で「不良精
神」を養ってもらい、マーケットの方は、その個体が気まぐれにであれ何らかの欲望を示したな
らば、それにすばやく応える体制をとろうというのである。ニュー・メディアのネットワークは、
まさにこのような対応を最も能率よく可能にするものとして期符されているわけだが、ここで伽
体の自発性が臼山に解放されているわげでは全くなく、むしろ、挑発されるというしかたで操作
されていることに注意する必要がある。
 時閉操作によって欲印を起こさせる最も初歩的な技法は、時…を不足させて焦燥感を起こさせ
ることである。「走る」という欲塑は、このような技法によって発生させることができるが、そ
れを単に「追いつき追いこせ」のやり方で「走る」のではなく、「とんでもない方向に走り去っ
てしまう」ような「逃走」に方向づけるには、時間をいつでも皿える状態にして不足させるので
なければならない。これは、高度経済成長が終って、誰でもが「追いつけ追いこせ」とやみくも
に「走ら」なくなった時代においては、支配体制にとって必要な時間操作である。
 しかし、時間を…只わせるだけでは、その買われた時間がどのように使われるかが不明瞭である。
これは、管理の好まぬところだ。そこで管理は、この時間をいかに用いるかを指導しようとする。
『逃走論』は、まさにそのようなことを指導しようとしている点で関心をもたれたのであり、ま
た、マス・メディアの今後のπ芸能人”は、まさにこのような時間の思いきり勝手な使い方-
趣味の時間性1をそれぞれに示すモデルであることを求められているのである。
 今日、時間操作の政治は、われわれの日常生活のレベルにおいてだけではなく、間際政治にお
いても普遍化しつつある。核とは、まさに人類の歴史的時間を〃人質”にとり、「もはや一刻の
猶予もない」、「もはや時間がない」というしかたで人を走らせる時間操作の政治を可能にする。
核兵器の珊強と軍事監視システムの発展とは、たがいに比例しあっており、核戦争の危険が強ま
れば強まるほど電子的な軍班監視システムは拡充されなければならず、また監視ツステムを発展
させることによって核兵器の珊強が”正常化”され、容認されもする。その恋味では、エレクト
ロニックスのテクノロジーの発及は、核兵癖を使った時閉操作の政治的産物であるとも言える。
ニュー・メディァヘの加速する関心と欲望は、潜在的には、核への危機意識に発しているのであ
る。
 日本の場合、天皇制は、天皇の死という一核爆発よりは確実性があるが、だからといηてア
メリカの大統領の任期のように確定されているわけではない1あいまいな時間性をたくみに利
用して大衆を管理してきたが、時間の政治がまさに前面に山て来ざるをえなくなった電子怖報化
時代において、Xデーという時間性が因家管理の最も効果的な手段として使われる可能性がある。
 それでは、こうした時間権力に対してどのようた反権力的選択があるのだろうか? それは、
明らかに、走らないということ、システムによって期待されている時間を概月遅らせるというこ
とではたいか? それが具体的にどういう形態をとるかは、このことを実映する伽休と集団の具
体的理場で決定されるしかないが、少なくとも、今□のテクノロジーを巾にが.仰することによっ
て走らない、遅らせるというのではなくて、テクノロジーを治川しながらこの戦略を遂行するの
でなけれぼならないことはたしかのようだ。





あとがき
 


 本書は、今日の□木の状況全般の某本動向を電子テクノロジーとの閑迦で論じようとしている点で、
『メ一7一イァの牢獄』や『ニューメディアの逆説』の諸テーマを引きついている。
 そのねらいは、言葉の厳密な地味における状況批判であるが、批判は必ずしも非難ではない。それは
もっと硫概的な意味をもっているのであり、批判なしにはいかなる現状も決してあらわにはたらないだ
ろう。
 かつてカントは、『純粋理性批判』を著わしたとき、その「批判」の菰味を解説し、それは、人問の
思考能力つまり「理性」の可能作と眼界をはっきりと見きわめる作業のことだと言った。『弁証法理性
批判』のサルトルも、『ツニシズム的理性批判』のペーター・スロターダイクも、「批判」を似たような
意味で用いており、そこには単なる批判=非難という意味はない。
 本書は「理性」を閉脳にしているわけではないが、限界を両足するという惹昧での「批判」を行なお
うとしている点では、そうした「批判」の作業に属すると言えるだろう。
 その際、「批判」が向けられるべき対象は、「怖榊費本主裁」と呼ばれる。この語は、「文化裟概の現
在」(『美術手帖』一九八一年一一月号)のたかではじめて使い、その後の文班のなかでくりかえし用いてき
た。「産業資本主義」、「後期賞本主義」、「独占資本主携」、「法人資木生漆」等々、ただでさえさまざま
た「資本主義」が造語されているのだから、このうえ「冊棚資木主張」などという新語を作るのは、言
葉を混乱させるだけかもしれないが、もL、質木主北が、イマニュエル・ウォラスティンの言うように
「歴史的」なものであり、ルシアソ・カーピィクの言うように「テクノロジー的発股」の規定を受けて
いるのだとすれぱ、皿子的な怖報テクノロジーによって大きく規定されている今日の資本主義は、榊扮
資本主義と呼ばれることによってその本性を最も明確に蝪呈させるだろう。
「情報資本主携」という語を川いはじめてからしばらくして、ある出版社から、近々この訴をサブタイ
トルに使った雑誌を出すのでロメソトをもらいたいという旭話があった。それは、コンピュータi関係
の雑誌であったが、当時はもっぱら資本主裁の竹理的な側面に沽卜爪をあててこの語を川いていたにもか
かわらず、資本主錐のパラ色の未来を約束するらしい雑誌のサブタイトルにあえて-」の語を選ぶしたた
かさとうかつさのなかに、わたしは、まさに情報資木主義の本性をかいま見る気がした。
 資本主鶉は、情報費本主語として変質したのではなくて、むしろ”発雌”の版に逃しつつあり、その
語の本来の意味における”危機。すなわち根木的な転機のなかにある。そこでは、賞本主携が内包し
ている極端な可能性がすべて現われ、楓めて反動的な要素と全く新たな局面とが同時に川現するように
なる。
 今日、われわれは、数年問のあいだに資本主殺システムの数世紀にわたる歴史を維鹸するような終末
状況のなかにいるのであり、すべてが以前よりも保守化し、反動化するかに見える一方で、確実に新た
な変革が生じるという逆説のなかにいる。
 おそらく、ここでは、資本主義自体にしがみつくことが処芯味であるのと同様に、これまで公認され
てきた一切の”革新思想。が無効になるだろう。そして、これまで見過されてきた日立たぬ、ミクロな
新しい変化がやがて一挙に前面に吹き山てくるだろう。思想や理論は、つねに、そうした変化をあとか
ら追いかけ、確認するにすぎない。むろん、本書も、そのような”追思”の一つの試みであるにすぎな
い。
    


※
 


本書を仕上げるまでには多くの方々のお世話にたった。「情報費本主裁と企業の文化」は、『刺目ジャ
ーナル』の巾町広志氏と『週刊読讐人』の武秀樹氏が担当したそれぞれの特集がなければ決して書かれ
なかったろう。「時間犯罪の時代」とコ一〇二四年のコンピューター」とは、『ペソギソ・クエスチ目
ソ』の中西昭雄氏と『O匡}O』の橋本五郎氏がわたしを…山いもよらぬテーマに挑発した結果山来上が
った。「コンピューターと〈手〉のあいだ」と「未来派の速度政治」は、『ユリイカ』の歌固㎜弘氏と西
館一郎氏の世話になった。「電子文化のポップ感覚」、「遊歩と洲泊の終、焉」、「アンドロイドか身体か?」
ばすべて『現代思想』の斎藤公孝氏が投じた諸テーマを受けとめようとしたところから生まれた。「目
千0付のある情報資本主義批判」は、「朝日ジャーナル」の千本健一郎氏、旧「図書新聞」の高橋敏夫氏と
澤田博氏の誌紙面で邦かれたものをなるべくそのままの形で再録している。「時間操作の政治」は、『イ
ソパクション』の深川車氏のおかげで苫き上げた論文を元にしている。
 本書の企画を筑摩書房の井崎正徹氏から依楓されたのは、ずいぶん前のことだったような気がする。
状況のなかで怜閉して出いた諸々の文章を一つの流れのなかに位肚づけるために徹底的に再椎成して作
りあげた原.冊を、ル崎氏は詳細にりを迫し、貨並な批評を加えてくれた。また、阿部忠雄氏はカバーの
ためにオリ、シナルなイラストを揃いてくれた。
 右のすべての人々に心から感謝したい。
   一九八五年一〇月三日                      粉川哲夫