批判の回路

後期資本主義の"延命策〃を異化する  
装置としてのアメリカ映画  
"SF"の語源学  
十九世紀の文化操作  
支配のミクロロギー  
天皇制=文化装置の構造  
ファミリーの解体と新しい支配様式  
アドルノの"越冬の戦略"  
横断的思考のための断章  
  1  ニュー.レフトを越えて  
  2  "破壊的"対抗文化の終わり  
  3 差別のポリティックス  
  4  "新右翼"とコンピューター  
  5  マーケッティングと批判理論のはざまで
  6  経験論と理性論v   
  7  支配装置としてのストライキ
  8  構造的文化操作  
  9  諜報=文化論  
  10 広告としての文学   
  11  ニューヨークのイタリア   
  12  支配のソフトとハード  
  13  アウトノミア   
  14  "読者〃であること   
  15  映画を"教条的"に読む  
  16  脱・勤勉社会の"勤勉"  
  17  造反無理? 
  18  横断的伝達の機械  

  あとがき





後期資本主義の"延命策"を異化する



 今日の状況を"危機"という言葉で形容しようとするならば、まず、それが何の、いかなる
危機であるかを明確にする必要があるだろう。資本主義経済の機能が失速状態に陥り、その有
効な対応策もない状態が恒久化しているかぎりで、この状況を経済的・政治的危機だというの
はたやすいが、危機とは来るべきものの予感をはらんだ一つの限界概念であるとすれば、未来
へのいかなる予感もなく、いたずらに"危機"をとたえることは、いささかも資本主義の批判
にはっながってゆかず、むしろその停滞に刺激を与えるフィードバックとしての役割を買って
出ることになりかねない。実際に1は、今日の"経済的・政治的危機"がただちに1経済的(大恐
慌)・政治的(革命、ファシズム)変革につながる可能性はほとんどなく、そのような"危機"
感は、むしろ、いよいよ深まりつつある冷笑主義のなかで以前以上に空無化しており、"危機"
の声はシステムの批判者の側からよりも、システムの擁護者の側からかまびすしく聞えてくる
状勢である。
 だが、資本主義の今日の状況を明確に一つの危機としてとらえ、資本主義システムの終末と
それを越える可能性とを限界づけることは、脱資本主義的理論の第一の機能であり、さもなげ
れば、脱資本主義的理論は、それがいくら脱資本主義をとなえたところで、文化商品として資
本主義イデオロギーの"アヴァンギャルド"の一つの機能をはたすことになるだろう。それゆ
え、"マルクス主義理論"が今日、文化市場ではその"老朽化"が叫ばれ、文化商品としての
"価値"も低下しているようにみえるのは、もともと資本主義の歯車の"砂粒"ではあっても
決して"油"ではないはずのマルクス主義にとっては、むしろ歓迎すべきことであり、いまこ
そ"マルクス主義理論"が資本正義の変質ないし再編成に有効に対応しうる本当の脱資本主義
的理論に発展されなければならないことを示唆しているのである。
 ところで、後期資本主義の危機を論じている諾理論のうち、七〇年代後半の状勢との関連で
きわめて重要だと思われるのは、一連の"正統性の危機"論である。"正統性"とは、国家、
党、マスメディア、教育機関等の社会・文化装置を利用して合法的に市民を管理することであ
り、従って"正統性の危機"とは、今日では、深まる経済不況、科学技術問題などを管理の操
作によって解決しえない事態を意味する。『後期資本主義における正統化の問題』の著者ユルゲ
ン・ハバマスは、アンジェロ・ボラフィとのインタヴユー(『リナシッタ』、一九七八年7月28目、8月4日号)
のなかで、西ドイツにおける今日の正統性の危機とそこから帰結しうる方向を「威嚇と訓練の
過程」、「システムがいかに機能するか、いかにそのコストを再配分するかということに対する
シニシズムとツニヵルな態度の増大」、「テロリズムおよびそれが行なう穏健かっ反動的な安定
化の効果」、「経済システムをのりこえる諾目標をそなえた新しい党の形成」という四点にかい
つまんで述べている。これらは、国々によって現われ方がちがってくるであろうが、基本的に
は、後期資本主義の世界で大なり小なり現われていることである。管理体制がうまく機能しな
いので、社会・文化政策は人々の主要な関心を威嚇的に経済問題  というより金銭問題
に集中させ、批判的たイデオロギー的関心の方は窒息させ、"平穏無事"な日常性に人々を馴化
させようとするが、システムの内部には次第次第に社会的・文化的荒廃が生まれ、生産力も低
下してくる。不況、倒産は恒常化し、システムの擁護者の側からも政策批判、頻発するストラ
イキ、市民のデモといった形でシステムに対する質的転換の要求がますます強く出てくるが、
これは全くの悪循環である。従って"正統性の危機"とは、とりもなおさずシステム全般の危
機であるようにみえるが、それをあえて"正統性の危機"として問題にするのには理由がある。
 アメリカ資本主義の歴史を、「疎外された政治」による「国家の物象化」への昂進過程とみ
なす『正統性の限界』(一九七七年)のなかでアラン・ウォルフは、アメリカ資本主義の現段階を
その官僚制化にみ、「官僚制は、後期資本主義国家に特有の政治的選択が終末に達したことを
象徴している」と述べている。アメリカではこれは、中央集権化政策を強力におしすすめたニ
クソンの時代にトータルな形で顕在化した。ニクソンは、議会を彼の掌中に囲いこみ、行政部
門を再編成し、また、CIA,FBIの独走をおさえる一方でホワイト・ハウス直属の監視シ
ステムをつくろうと試み、さらに対外的には、外交政策を大統領と国務長官のあいだの密室政
治に変えたが、これはニクソン個人の特殊性から生じたものであるよりも、システムの内外で
昂進する矛盾を解決しようとする国家が必然的にとる形態でもあった。だが、ウォルフによれ
ば、「国家が、階級内部および階級間の衝突を権威主義的な諾決定を行なうことによって規制す
る必要が出てくれぱくるほど、不可避的な官僚制化がますます大規模に現われてくるのである
が、こうした国家の介入は、その問題を解決するのではなく、二つの重要な、だが、たがいに
矛盾するやり方でそれを変形するのである。一方においては、究極目的をめぐる階級的な衝突
を公共機関が制度化するのに失敗することによって、新しい部局が要請されるが、それはます
ますその失敗を深めてゆく。自分のディレンマからのがれることのできない後期資本主義の無
力を象徴するものとして、それがっくり出す拡散的、非合理的、矛盾だらけの、浪費にみちた
官僚制の右に出るものはない」。
 このことは、後期資本主義のシステムにおいては、官僚制がますます促進されると同時に、
官僚制では決して満すことのできない欲求が蓄積されるということでもある。ここに至って後
期資本主義が選択できる道は、ウォルフに。よれぱ、非資本主義に、身をひきわたすか、後手後手
に問題を処理するアド・ホック・ポリシーによって現状を維持するしかない。つまり事態は、
「正統性の全面的な危機が人民の大規模なコントロールか、あるいは人民による大規模なコン
トロールか」という点まで達しているのであり、前者の可能性がニクソンの失墜によって消え
去ったとすれば、アメリカの資本主義が生きかえる道は、もはや後者の遺すなわち"社会主義"
の道しかないというわげである。
 ウォルフのこうした主張は、ハバマスやクラウス・オフェのなかにも見い出せるものだが、
直接的には、『国家の財政危機』(一九七三年)の著者で、雑誌『カピタリスデイト』のメンバーで
あるジェイムズ・オコーナーのテーゼを受けついでいる。すなわちオコーナーの「生産的労働
と不生産的労働」(『政治と社会』、一九七五年、第5巻3号)によれば、後期資本主義社会を近年特徴づ
げている資本蓄積の欠如と不景気は、衰退しつつある資本主義的生産様式の体内に「原始的杜
会主義」の形態が現われつつある徴候だという。ちなみにオコーナーは、「われわれが資本主
義社会に対して、生産的労働、蓄積、資本主義的発展の理論をもっているとすれば、われわれ
はまた、不生産的労働、資本の非蓄積、社会主義的発展の理論を必要としている」という見地
から、マルクスを「資本の非蓄積の理論」として読みたおすことを行なっているのであるが、
「不生産的労働」とは、ここでは、単に商業労働や事務、サーヴィス労働のことを指すのでは
なく、第一義的に一は、資本主義的生産に寄与しない労働を意味し、従って「不生産的労働の増
加は、賃労働を宿命的にひきうけることの減少、ないしは自己を組織することの保守的あるい
は進歩的な形態の増加を意味する」。オコーナーはかくして、「不生産的労働の増加」のなかに
「潜在的た階級意識」を見い出し、ここから労働者がみずからを組織する方途を求める。
 これに対してウォルフは、オコーナーのテーゼをさらに一般化し、社会のより欠きた批判的
実践の文脈のなかへ位置づけようとする。ウォルフによれば、今日の"正統性の危機"は、資
本の蓄積そのものの危機ではなく、まさしく、それをコントロールする正統性の危機、つまり
蓄積と正統性とのあいだの矛盾であって、この矛盾は、資本主義を越える、質的に異った正統
性の出現によって止揚されうるという。
「蓄積と正統性とのあいだの矛盾を取り除く道は、デモクラシーの原理を応用して、人民に投
資を行なう参与権と、人々がもっと直接的な政治的決定を理論的に行なえる配分決定権とを与
えることである。この蓄積のデモクラシー化を社会主義と呼んでよいが、重要なのは、その名
称ではなく、その背後の概念である。社会主義が、本書で論じられた政治的諸矛盾を回避でき
ると提言することは、実際に"社会主義"と名のつく社会ではそうなっている主君っているの
ではなくて−蓄積に導入されるデモクラシー化の度合は相当ちがっているとはいえ  蓄積
のデモクラシー化は、権力を掌握する、人民を代表しない集団が自分の私的利益の拡大に都合
のよいようにデモクラシーのプロセスを利用して蓄積をおおいかくすのを防くであろう。」
 ここでウォルフがいう"デモクラシー"という概念は、ブルジョワ.デモクラシーでないこ
とはいうまでもなく、反対に、『共産党宣言』のなかで、「プロレタリアートを支配階級にまで
高める労働者革命の第一歩は、デモクラシーを闘いとることである」と言われたものの延長線
上にある。すなわち、ウォルフによれば、「デモクラシーとは、ここでは、同意された共通目
標へ向う万人の共通な、思慮ある意図にもとづく共同体をつくるために市民全員が最高度に参
加することを擁護する政治概念として定義されるであろう。その意味では、すべての社会主義
社会がデモクラティックであるわけではないが、純粋にデモクラティックな社会はいずれも社
会主義的であらざるをえない」。
 ところで、ウォルフにおいて、デモクラシーという概念はリベラリズムというこれまた彼に
よって解釈しなおされた概念と相関的に用いられている。すなわち、彼は次のように言う。
「本書においてわたしは、リベラリズムという言葉を、ますます重要になる資本主義的生産様
式を正当化するために、十七世紀、十八世紀、十九世紀に現われた市場のイデオロギーを指す
ために用いる」。従って「リベラルた政治処理とは、労働力の市場に対する伝統的な障害を取
りのぞき、白已利害にもとづく人間概念を奨励することによって、そして社会的な地位をもっ
た人々よりも経済的た事務能力をもった人々によってシステムのコントロールを促進するよう
な政府構造をつくり出すことによって、資本の蓄積を促進しようとする試みであると定義でき
るだろう」。その意味では、また、「資本主義社会の全都が全部リベラリズムではないが、リベ
ラルな社会はすべて資本主義である」。
 このように考えてくると、「正統性と蓄積という二つの不可避性のあいだにとらえられてい
る」後期資本主義のディレンマは、デモクラシーとリベラリズムとのアンチノミーにほかなら
ないことがわかる。ウォルフは次のように言っている。
 「こうした二重性を象徴する政治的表現がリベラルニァモクラシーである。というのも、リ
ベラリズムは蓄積を正当化するイデオロギーとなり、デモクラシーは正統性の重要さ、つまり
ある種の民衆参加とある種の平等決議の重要性を保証するものとなっているからである。リベ
ラルニァモクラシーの苦境は、リベラリズムがデモクラシーの論理を否定し、デモクラシーが
リベラリズムの論理を否定し、にもかかわらず、一方は他方なしでは存在できないところにあ
る。ブルジョワジーがいなければリベラリズムはなく、労働者階級がいなければデモクラシー
はない。リベラルニァモクラシーが後期資本主義の完壁な政治システムであるのは、このシス
テムを構造づけている中心的た矛盾をそれがとらえているからである。L
 すなわち、リベラリズムとは、もともと、国家を越えて現実的な目標を追求しようとするブ
ルジョワジーの哲学であるかぎりにおいて、政治的であるよりも非政治的つまり道具的、実利
的であるのに対し、デモクラシーの理念は、民衆が参加するその政治性にあり、このことは、
その理念が十分現実化されていなかったにもかかわらず、ギリシャのポリス以来、フランス革
命をへて今日にいたるまで変わることがない。それゆえ、資本主義の発展は、リベラリズムが
デモクラシーを圧倒し、デモクラシーがブルジョワニァモクラシーに嬢小化され、政治が非政
治化してゆくプロセスでもある。それは政治が閉じられたオフィスの仕事となりはてる官僚制
において頂点に達するが、それは同時に、このプロセスの矛盾が顕在化する限界点でもある。
ウォルフは、政治の非政治化が極度に進んでいる"自由の国"アメリカ合衆国の市民が陥って
いる矛盾を「精神分裂症」と呼ぶ。実際、デイヴィッド・イートンとジャック.デニスの「政
府についての子供のイメージ」(『アメリカ政治社会学会年報』、一九六五年、三六一号)で詳しく分析されて
いるように、アメリカでは子供は、彼や彼女がもともともっている政治性を家族や仲間や学校
などの、非政治化を促進する社会・文化過程のたかで急速に失ってゆくのであり、また、ガブ
リエル・アーモンドとシドニー・ヴァーバの『市民文化』(一九六五年)で詳細に記述されている
ように、アメリカの市民は、その能動性を単に資本の蓄積に奉仕するだけの経済的な能動性.
実利性に嬢小化されてしまい、分極化された"政治"的能動性の方は、一部のエリートの手に
ゆだねられるのである。
 しかしたがら、今日の経済不況のなかの市民生活がすでにその徴候を示しているように、ア
メリカの市民は、その能動性を経済的・実利的な活動のなかだげで十分に発散することはもは
やできないところまで来ているのであり、その抑圧されたコンプレックスは、いずれ政治的能
動性として奔出せざるをえないようにみえる。というのも、ウォルフも言うように、「エリー
トによる後期資本主義国家のコントロールが非政治的であらざるをえないとすれぱ、国家の決
定を支持することを期待されている普通の市民は、依然として彼らの政治的役割を保持してい
る。自分たちの生活にかかわる諾決定に普通の人々が参加しようと試みることは、後期資本主
義の非政治化された役割と対決し、政治的エネルギーの新たな源泉をひき出すのを避けること
はできない」からである。
 とはいえ、ウォルフは、彼白身、「歴史的観点から考えて、リベラルニァモクラシーはその
最後の段階に達しているかもしれないが、その段階の長さは決定しがたい。その未来は、多数
派の階級と少数派の階級とが、それを越える正確な瞬間がいつ起こるかを決定する諸々の計算
にかかっている」と言っているように、社会主義が資本主義から自動崩壊的に到来するなどと
は決して予断してはいない。彼が行なったのは、後期資本主義の限界確定であり、資本主義は
その本性上決してデモクラシーを実現できないという不可能性の確認にほかならない。従って
この確認はまた、後期資本主義システムの内部でそれを浸食し、未来を開く実践の重要性の示
唆でもあり、そのような実践のあらゆる潜在形態を"デモクラシー"という概念を通して鮮明
化する作業への挑発でもある。
 だが、この確認を理論的実践の側から受けとめた場合、資本主義が依然延命を保持している
この過渡期においては、未来への実践の可能性を理論的に追求することもさることながら、そ
のようだ実践をはぱんでいる"反実践"−システム自身が行なう延命策  のすべてを白昼
にさらけ出すことも、理論的実践にとって少なからず重要な課題であると言わねばならない。
もとより、未来を開く実践は、決して理論によってあらかじめ基礎づげられるものではなく、
理論にできることは、そのような実践の有効性の検証と、そうした実践の可能性を開放状態に
おく作業でしかたいからである。
 この意味で、批判理論の第一世代とりわけテオドール・W・アドルノが、最終的に、後期資
本主義を危機に瀕しているシステムとしてよりも、社会と文化を統合・管理するしたたかなメ
カニズムとみなしたことは、後期資本主義に。対して批判理論の第一世代が理論の実践性の破産
をみずから宣言し、ペシミズムに陥ったとみなすよりも、むしろ、このシステムが依然存続し
ているかぎりにおいて、システム自身の延命策を執勘に暴露する作業に理論の実践性を求めた
とみなす方がはるかに生産的であろう。ハバマスは、先のインタヴユーのなかで、「資本主義
の適応能力はひじょうに強く、信じられないくらい柔軟です」と述べたあと、次のように言っ
ている。
 「フランクフルト学派の理論家たちがアメリカ合衆国に行ったとき、彼らが理解したことは、
そこでは危機の現象よりも、むしろ統合化を行なう資本主義のキャパシティ、とりわけ文化的
統合のメカニズムを説明しなげればたらないということでした。今日、わたしはこの問題意識
をひじょうに重要だと考えています。衝突が経済的メカニズムによってひきおこされているこ
とは、いままでにかなりわかっています。全くわからないのは、どのように衝突が緩和され、
コントロールされ、システムの周辺的な部門と区域に移されてゆくか、そのために払われる代
価は何か、他にどのような衝突がその中心的な衝突にとりかわって起こるか、ということです。」
 批判理論のこうした含意は、近年ポール・ピッコーネの"人工的否定性"論(二次元性の危機」、
『ティロス』、一九七八年第35号、抄訳『未来』、一九八一年6月号)によってアメリカ社会理論の文脈に導入
された。ピッコーネによれば、アメリカの資本主義システムは、独占資本主義の段階を極限ま
でのぼりっめ、システム全体の"一次元"的な"合理化"に成功してしまった結果、もはやそ
れ以上の合理化を進めるとシステムの破壊か反生産性に陥るようになったので、システムの自
己保存と再生のため、一次元化されたシステムにたえず"人工的な否定性"を注入してゆく必
要が生じたという。
 いいかえれば、一九三〇年代以降、企業家的資本主義から独占資本主義への再編成を開始し
たアメリカ資本主義のシステムは、システム内部の諾矛盾を「一次元化」し、「分散化」する
ことを着々とすすめ、「テイラー主義化、資本集約型テクノロジー、文化産業、消費主義が、資
本関係の浸透を促進するための自動車と軍備の支出にもとづく生産システムと結合した」。し
かしながら、資本主義の発展を不断の合理化と官僚制化とみるウェーバーの説とは反対に、官
僚制化は、「それが合理化しようとしているものに首尾よく浸透するまさにそのときに、反生
産的となる」。これがすなわち二次元性の危機」であり、マルクーゼが『一次元的人間』(一九
六四年)のなかではまだ取りあつかわなかった事態である。具体的には、構造的経済不況、テク
ノクラシー的管理の破綻がここから現われる。だが、ピッコーネの"人工的否定性"論は、シ
ステムがこうした事態のなかで起こす驚くべきしたたかさに注目する。すなわち、ピッコーネ
によれば、この事態に至ってシステムは、「全面的な破壊が起こるはるかまえにラディカルな
再考を行なわざるをえなくたり」、「それなくしてはシステムが機能しない否定性を人工的に再
構築するようになる」という。マルクーゼが分析したような二次元性の過渡期においては、
いかなるタイプの反対勢力も  それが現実のものであれ、想像上のものであれ−均質化の
プロセスのなかで排除されなければならなかったのに対し、過度の官僚制化はその反対者を要
求するのである。システムが機能するために、システムはラルフ・ネーダーやバリー・コモナ
ーのような、システムの生育を保証するコントロール装置を必要とするわけである。しつこい
反対者は、いまや、迫害されるどころか、致命的た混乱状態にある官僚制の機能を保っために
支持されなげればならなくなるのであるL。
 こうした傾向は、一九七〇年代に入ってはっきりと制度化されてくるのだが、まさにその過
渡期であった一九六〇年代に一、外的にはヴェトナム戦争のディレンマ、内的にはニュー.レフ
ト、エスニック・パワー、ドラッグ・カルチャー、フェミニズム運動、地域主義等の反体制勢
力が結集されたのは偶然ではない。ヴェトナム戦争は、一九四〇年および五〇年代からひきっ
いだ冷戦の論理、つまり世界の政治・経済システムを一次元化し、システムの機能の合理化を
はかろうとする論理、従ってまた社会と文化を物象化しつくす論理にささえられていたが、こ
の戦争のプロセスは、そうした論理をそれ以上昂進させてゆくとシステムそのものの枯渇と破
壊をもたらさずにはおかないことをシステムそのものに認識させた。いまや、システムが生き
のこるためには、それ以上合理化が進まないように自己を抑止する装置と、白已活性化のため
のある種の前近代性を内部にそなえる必要がてきたわけで、それが一九六〇年代後半以降、コ
ミューン運動、カウンター・カルチャー、新外交政策、ウォーターゲイト事件、ロッキード事
件といった形で姿を現わすのである。ピッコーネによれば、一九六〇年代後半から七〇年代前
半にかけてのアメリカのニュー・レフトの活動も、こうした人工的否定性によって保証された
のであり、システムに属する大学、役所、会社、メディアといった社会・文化装置のなかにシ
ステム自身が自己の活性化のために許容し、あるいは積極的に惹起したフリー・スペース(反
大学、対抗メディア、コミューンといった対抗機関)のなかで一連の反体制文化や反体制運動
が生動しえたのであるという。
 かくして、あらゆる反対勢力、否定性を閉塞し、統合しようとしたマッカーシーイズムとは
反対に、反対勢力や否定性を保護し、さらにはシステムの側から進んでそれらを作り出すこと
さえおこなわれるようになる。実際、ローゼンバーグ夫妻を電気イスに送った五〇年代とジェ
ーン・フォンダをヴェトナムで英雄あつかいした七〇年代との相違は決定的で、今日のジミー
・カーターの政策ではこうした変化をはっきり認識して、ヒエラルキー的司令機構にもとづく
ニューディール的官僚主義からパーソナル・インセンティブなシステムヘの転換、単一福祉国
家システムからパーソナル・マネージメントを重視した新しい連邦国家への転換、つまりは脱
中央集権的な"対抗官僚主義的官僚主義"への転換が志向されている。
 いまや、あらゆる反対勢力が、システムの弱体化からではなく、逆にシステムの再強化のプ
ロセスのなかで生じてくるのだから、マルクーゼ流に、一方に反対勢力があり、それが"操
作"され、"抑圧的寛容"のやり方で軟構造支配されるのともちがうわげである。反対勢力は
反対勢力として一応の"勝利"をおさめさえするが、それは決して体制を根底からくみかえる
有機的否定性とはならずに、逆に体制の存続と再生を大いに促進してしまうというパラドック
スが問題である。
 一面でニュー・レフト運動を−従って彼自身の六〇年代の活動をも  相対化してしまう
このテーゼに対しては、ピッコーネの率いる『ティロス』グループの内部にも強硬な反対意見
もあるが、このテーゼのやや先験主義的・機能主義的な面を差引けば、その極度に醒めたリア
リズムは有力であり、システムの延命策の一つを異化していることは否めまい。
 しかしながら、ここでピッコーネは、今日の資本主義システムが"人工的否定性"というレ
ベルに恒久的な延命策を見い出したと考えているわけではない。たしかに、"人工的否定性"
への注目は、ある点までは効果をあげるし、このシステムが相対的に"活気"をみせるのは、
この"人工的否定性"によってである。こうした"人工的否定性"政策によって生じた変化を
詳述しているティム・ルークの「人工的否定性の時代における文化と政治」(『ティロス』、第35号)
によると、新しい官僚制は、その内部に造反的要素をセットし、情報遺漏、内部告発、反官僚
制的立法を推進することによって、「官僚制的政策決定をもっと責任あるものにし、全体的な権
力や絶対的な知のアウラを官僚制的作業からとりのげる」。また、連邦的な事業よりも地方事
業を、州の事業よりも地域事業を重視し、市民参加を促進する傾向もここから出てくる。こう
して、「個人的な政策決定を組織社会のなかの否定性の強力な源泉として再活性化することが、
市民委員会、コミュニティ連絡事務所、公聴会といった形で官僚制的な伝達システムを改善す
る不可欠の要素とたる」、という。だが、このような延命策もまた、問題を解消するよりは、
新たな問題を生み出してしまうのである。ピッコーネは前にあげた論文のなかで次のように言
っている。
 「システムがひきおこすこうした否定性に伴う問題は、この否定性白身が官僚制の論法で是
認されているかぎりにおいて、コントロールを必要としている当の官僚制の一つの延長になり
かねない点である。その結果、資金ぐり、報告、理由付といった書類作業にわずらわされて、
この否定性は、それが挑戦するはずであった官僚制の論理を単に延長するだけで、反生産的な
ものになってしまう。ところでその際、こうした挑戦を首尾よくやるのに必要な有機的否定性
というものは、官僚制的な管理のわく組の外側で発展しなければならない。が、有機的なコミ
ュニティも個人の方も、均質化を急速に進めた過渡期のあいだに大きく破壊されてしまったの
で、脱中央集権化や脱官僚制化という文脈のなかでならぱ、管理可能な内的反対勢力の復活、
つまり是非とも必要なコントロール機構の復活に、容易につながるであろうような諾条件は、
もはや存在しないのである。」
 つまり、人工的否定性を単に利用するだけではなく、それを積極的に惹起しようとする体制
側の戦略は、実際にはそれほど成功してはいないわげで、システムのなかに、人工的否定性が
機能しうるフリー・スペースをもうげても、結果的には笛吹けと踊らずということになるわげ
である。これは、今日、エネルギー政策をラディカルに改革したい現存システムのイデオロギ
ー的"アヴァソギャルド"1人工的否定性1として期待されているノー・ニューク"
(核反対)運動が思ったほどの盛りあがりをみせないことをみても明らかである。
 "人工的否定性"政策のこうした限界は、おそらく、本性上その機能がシステムの"下部構
造"にまでおよびえないということにあるだろう。今日のアメリカ資本主義のシステムは、一
面で、その下部構造におけるスロー・ダウンをシステム全体の再統合のために利用しているわ
けだが、そうした下都構造の否定性は、もともとシステムによって人工的に惹起されたもので
はなく、システムを破壊しようとするニレメソトから生じたもの、つまりオコーナーが言う
「不生産的労働」から来る"危険"な否定性であって、 システムが現状維持のためにこれをも
利用しなければならないというのは、システムにとって相当困難た状況を意味しているし、ま
た、もし、システムがこの否定性を積極的に利用しはじめるとしたら、このシステムはもはや
資本主義のレベルにふみとどまることはできないはずである。それゆえ、"人工的否定性"政策
は、可能であるとしても、上部構造にのみ適用可能であって、下都構造には不可能なのである。
が、下部構造のスロー・ダウンが、システム全体を当面は"安全"な"貧血状態"においてい
る現状では、システムには上部構造で"人工的否定性"をひきおこす必要も余裕も全くないわ
げである。そこで必要なのは、対抗文化や反大学、諾々の対抗国家装置ではなく、現存する消
費文化、教育機関、諾々の国家装置を現状維持し、可能であればその現存機能のわく内ででき
るだけ効率をあげようとする保守的な姿勢なのである。このことは、見方をかえれば、"人工
的否定性"論は、アメリカの支配システムの延命策の一つを白昼にさらけ出すことに成功した
が、システム白身は、その間に、それをのり越える延命策  それが何かしら"弱者の詑計"
のようなものになってきているにしても  を体得しつつある、ということである。批判理論
のなすべき仕事は、まだ終ってはいないのである。





装置としてのアメリカ映画



 日本に入ってくるアメリカ映画の九十九パーセントは、ガルフ十ウェスタン、ワーナー、コ
ロムビア、MCA、トランスアメリカ、二〇世紀フォックスのアメリカ六大映画企業の手にな
る商業映画であるが、これらの映画企業は、出版や放送のマス・メディア産業だけでなく、コ
カ・コーラから不動産業にいたる種々雑多な企業と資本を共有するコングロマリットであり、
映画都門で大きな収益があればそれを他の部門にまわし、映画都門で赤字が出れぱそれを他の
部門で収益をうめあわせてしぶとく生きのびている。ちなみに一九七七年のワーナーの総収益
のうち、五十六パーセントはレコード産業から、十三パーセントはエレクトロニック.ゲーム
産業から得、映画とテレビ部門からの収益竺二十一パーセントであった。
 こういうわげで、アメリカの六大"映画"企業はもはや映画の産業ではたく、映画が企業
の主力商品ではなくなりつつあるのだが、にもかかわらず、これらの企業が映画を製作しつづ
けるのは、『スター・ウォーズ』、『未知との遭遇』、『グリース』、『スーパーマン』のような商
業的大ヒットをまだ出せる見込みがあるからであると同時に、映画のもつ宣伝機能を依然重視
しているからにほかならない。最近のアメリカ映画が"社会的テーマ"を好んでとりあげるの
も主として後者のためであって、この傾向を"アメリカというのはすぱらしい国ですよ。だっ
てあれだげの強力な支配体制のなかで堂々と体制批判の映画を作ることも許されているんです
からね"などと言ってよろこんでいるわげにはゆかないのである。つまり、アメリカの商業映
画が"社会的テーマ"をあつかうのは、それなりのたくらみがあるからであり、商業的成功も
さることながら、六〇年代以降に生じた民衆の社会意識と社会的欲求の変化をひじょうに組織
的・有機的なやり方でコントロールするためでもあるのだ。いまや巨大にコングロマリット化
し、アメリカの支配的な経済機構に深くコミットしている"映画"企業の利害からしても、映
画のような流通規模の大きなマス・メディアが観客の社会意識を現存する社会・経済システム
の利害にみあう方向にコントロールする文化装置としての機能をいままで以上に強く意識する
ことはむしろ当然のことであろう。その際、映画は"社会的テーマ"を積極的にあっかうこと
によって、観客の社会意識を一定のわくにはめこみ、観客が自分の眼で社会をみることをはじ
めからさまたげる機能をはたすわげであり、映画は、文化商品であるだけでなく、操作と宣伝
の道具にもなる。
 アドルノは、一九五〇年代のアメリカのテレビの状況を論じた一文のなかで、「現代の大衆
文化は、想像を絶する心理統制のメディアに変わっている。現代の大衆文化は、その反復性、
同一性、遍在性のために、受け手の反応を自動的にしてしまい、個人の抵抗力を弱めるにいた
っている」(平沢正夫訳「テレビと大衆文化の語形態」、『現代人の思想』7、平凡杜)と言っているが、実際、
今日のアメリカの商業映画は、すべて大なり小なり文化装置である。
 だが、商業映画が、支配機構の一機能であり、観客の社会意識を支配の論理へ向げてコント
ロールする文化装置であるとすれば、商業映画をみるということは、わが身を進んで支配機構
のなかに晒すことしか意味しないのだろうか? もしそうだとしたら映画などみない方がよい
ということになりはしないか? だが、そのような拒絶は、支配機構を放任し、それが存続す
ることに協力することを意味する。それゆえ、問題は、文化装置のただなかでそれをどこまで
文化装置として批判的に意識できるか、そしてまた、それをどこまで脱文化装置化できるか
一つまり文化装置の製作者や所有者の予期する"意図"とは別のものに機能転換できるか、
である。その際、ある商業映画を文化装置として批判的に意識するということは、その映画の
なかに たとえそれが"非政治的"、"非社会的"た体裁をとっているにせよ一政治的、社
会的な"たくらみ"(志向性)を読みとることである。
 ところで、このような主張は、ひょっとして、『カリガリからヒットラーまで』の著者ジー
クフリート・クラカウアーの理論を想起させるかもしれない。たしかにクラカウアーも、一九
二八年に書かれた短文のなかで、商業映画の「営業上の利害は、製作者がその消費者の社会批
判的欲求を満たすことを求める。しかし社会の基礎をいささかでも侵害するような上映映画を
作るような誤りを犯すことはない。プロデューサーはさもなければ資本主義的企業家としての
存在を破壊することになる」とし、次のように言っていた。
 「今日の社会を探求するために一は、それゆえ、映画コンツェルンの製作品の幟悔を聞かねぱな
らないだろう。それはいずれも、本当はそうしたくないのだが、思わず知らずぶしつげな秘密
を口走っている。果しもない映画の洪水の中に、限られた数の典型的なモチーフが常にくり返
される。それは、社会が自分自身をどのように見ることを望んでいるかを暗示している。映画
のモチーフの総体は、同時に社会的イデオロギーの総和であり、それはこれらのモチーフの解
釈を通じて明らかにされる。」(平井正課「取るに足らぬ女子店員たちが映画を見に行く」、『カリガリからヒ、ト
ラーまで』、せりか書房)
 だが、問題は、ここでクラカウァーの言うところの"社会"である。これがもし、支配され
る民衆から区別された"支配的社会"、"社会の支配階級"の意味であるならば、クラカウァー
の主張は、ほぼ全面的に受けいれることができる。しかし、クラカウァーにとって、ここで言
われている"社会"が結局、社会そのものであることがやがて明確になる。すなわち、一九四
七年に発表される『カリガリからヒットラーまで』の序論では、彼は、映画が(支配機構ので
あるよりも)大衆の欲求を反映するものだとして、次のように言うのである。
 「人気のある映画  あるいはもっと正確にいえば、人気のある映画のモチーフとは、その時
代の大衆の欲望を満足させるものだと考えることができる。時折、ハリウッドは、大衆が真に
求めているものを与えないような映画を、うまうまと売りさぼいているといわれた。この意見
によれば、たいていのハリウッド映醐は、大衆の受動性と圧倒的た宣伝の力で、それを受け入
れさせているのであり、大衆を愚ろうし、誤った方向に導いているということにたる。しかし
ながら、ハリウッドの大衆娯楽の破壊的影響というものは、あまり買いかぶるべきではなかろ
う。操るといっても、その素材たる大衆固有の性格に依存しているのである。純粋な宣伝映画
だった、ナチの公認の戦争映画でさえ、でっち上げるわけにはいかない、ある種の国民性を反
映していたのである。」
 かくてクラカウアーは、一八九五年から一九三三年のあいだにドイツで公開された大衆映画
の"モティーフ"を分析することによって、そこにぷイツの"大衆"がファシズムをむかえい
れた潜在的欲求なるものを発見するわけだ。だが、しかし、そうだとするとファシズムは、全
くもって運命的な出来事であったということになりかねない。ここでは、大衆の深いレベルで
の欲求が支配機構によってすりかえられるということが顧慮されていないだげでなく、大衆動
員の数と大衆的アッピールの度合とが同一視されているのである。まさにこれは、大衆が戦前
の天皇制をぱかぱかしいと思いながらも暴力的に強制されて、不承不承それに従ってきた側面
を無視し、天皇制は日本の大衆の潜在的欲求にもとづいているものだとするのと同じことであ
り、また、宣伝につられて"評判"の映画をみに行きはしたものの、退屈で退屈でたまらなか
ったといった観客のミクロなレベルを全く無視しているのだ。
 これに対して、商業映画を文化装置とみなす主張は、あくまでも、被支配者としての大衆と
支配者との階級的区別、大衆の欲求そのものと文化装置によって担造された"大衆的欲求"お
よび"大衆像"との区別、さらには大衆は現状では常に"大衆像"を強制されているという事
実、を前提しているのである。と同時にこの主張は、文化産業や支配体制から与えられる文化
には、大衆が素朴に一つまり無批判に  享受できるようなものはもはやほとんどなく、杜
会の管理化がますます昂進する状況下では、与えられた文化(大量消費文化)に対して大衆が
できることは、享受ではなく、批判であるということを含んでいる。商業映画  つまり商業
的な流通過程をへてわれわれに与えられる映画一は、それが一見とんなに社会批判的・社会
意識的な身ぶりをそなえていようとも、徹底的に疑ってかかる必要があり、もしある作品がわ
たしに"感動"を与えたならぱ、そのような"感動"に陥った自分と、そのような"感動"を
もたらす社会的諾条件について徹底的な反省を加えてみなげれぼたらないだろう。また、わた
しがたとえ、製作者の"意図"からはるかに自由た"独創的解釈"をすることに成功したと思
われるときでも、そのような解釈もあらかじめ製作者によって予料されていたものにすぎない、
ということがありうることを検討すべきである。少なくとも、今日、商業映画をみるというこ
とに何らか積極的な意味があるとすれば、それは、このような批判の遂行のなかにしかないよ
うに思われる。
 たとえば、最近、世界的にヒットし、アメリカ国内でも六億ドルの総収益がみこまれている
『クレイマー、クレイマー』だが、ここでは、"女の自立"、離婚、離婚や別居後の親子関係、
田方親の子育てといったはやりの社会問題がとりあげられている。しかし、夫が仕事のために毎
日帰りがおそく、家にとりのこされた妻が"自立"をこころざし、子供を残して家を出るとい
う構図が、アメリカの夫婦や家庭の現実を全く一面的にステレオタイプ化したものだとすれぱ、
子供をおいてゆかれた男親が子育てで苦労するというのは一層紋切型のドラマ設定だ。まず、
この物語の舞台になっているニューヨークの一般的現実からすると、ダスティン・ホフマン扮
するミスター・クレイマーのようにろくろく子供の食事もつくれぬ男というのはむしろ例外に
属する。スーパーマーケットの買物客なども実に男性の客が多い。が、ミスター・クレィマー
は、朝食のフレンチ・トーストをつくるのに台所でドタバタ喜劇を披露し、夜は、冷凍のハン
バーグや、『アパートの鍵貸します』でジャック・レモンがまずそうに食べていた"TVディ
ナー"を食卓にならべ親子ともども判でおしたようにうんざりした顔で食べるのである。これ
は、ミスター・クレイマーがマンハッタンのアッバー・イースト・サイドに住む高給取りのサ
ラリーマンであることを考えると全く臓におちない。
 日本では、家事やまかないを全面的に女性にまかせているという支配的現実があるので、こ
のドラマ設定は説得力があるかもしれないが、ニューヨークの現実からすれば逆にこの部分が
虚構的にみえる。それに、ミスター・クレイマーのように料理がへたな男性がいるとしても、
ニューヨークのマンハッタンでいやいやながらTVディナーやマクドナルドを食べる必然性は
どこにもない。人がそういうものを食べるのは、ほかに食べるものがないからではなくて、安
易で手間がかからないからにすぎない。もし、そういうものにうんざりするなら、いくらでも
方法はあるのであって、多くのレストランで料理の"テイク・アウト"をさせているし、電話
一本で出前をする店も少なくない。総菜を売る店も要所要所にあり、むしろマンハッタンでは
自宅で料理をつくる方が趣味かぜいたくに属するのではないかといった気配すらある。食料品
や日用品の買物にしても、ミスター・クレイマーのように出勤まえにスーパーマーケットで買
いこんだ品物をかかえて出社し、上役のひんしゅくをかわなくても、大抵のスーパーが配達の
サービスをやっており、老人や身体障害者でも、貧しくさえなげれば、一人でも生活できる
"便利"さは確立されている。むしろその意味では、ニューヨークは、・・ドル・クラス以上の人問
にとって"家庭"ぱなれをするさまざまな条件がととのいすぎており、"家庭"をもはや経済
と管理の要所としない、後期資本主義の新たな延命策が軌道にのりっっあることの方がはるか
に問題なのである。
 にもかかわらず、この映画でダスティン・ホフマンが当面、こうした現実にポーカー・フェ
イスで臨む男を演じたげれぼならなかったのは、この映画にはもともと一つのたくらみがあっ
たからである。一言にして言えば、この映画は、料理も子育でも買物もからっきしダメな男が
だんだんそれらに習熟し、子供とも日常生活のチームワークのようなものが出来かかったとこ
ろで、子供をとりもどしたくなった妻があらわれて邪魔をし、観客をいらいらさせながらも結
局は彼は、料理も子育でも買物も一人でできる現代のニューヨークの"理想的男性"の仲間入
りをはたすというゾーブ・オペラなのである。それゆえここでは、ミスター・クレィマーは、
当面、何が何でも子育てや料理で苦労しなければならないのであり、それらがうまくゆきそう
なところで色々な邪魔が入って大詰めを印象深いものにしなげればならないのである。すなわ
ち、女は男から、男は女から"自立"することをよしとするミドル・クラス的"自由"を意味
づけるために、この映画は種々のステレオタイプを駆使するのである。
 ところで、最近のアメリカ映画では、ジョン・ウェィソやリー・マーヴィンに代表される
"マチョ"(男性至上主義的男性)タイプの男よりも、 ロバートニアニー口やブルースニァィヴィ
ドソンにみられるようなスウィートな要素をもった男のイメージが主流になりつつある。その
ため、俳優のなかにはイメージ・チェィンジをこころざす者もふえ、たとえばジエィムズ・カ
ーンのようにいっも腕っぷしの強い"マチョ"タィブの男やスポーツ・マンを演じてきた俳優
までも、最近の『第2章』では、死んだ妻のことをいつまでも忘れられたくて、事あるごとに
メソメソする"弱い"男の役にチャレンジしている。こうした傾向は、一面で、六〇年代後半
以降に活発になったラディカルなフェミニズム運動の影響で、"マギスモ"ないしは"マール・
ショーヴィニズム"と呼ばれる家父長的・男尊女卑的姿勢が反省されっっあることとも無関係
ではないが、そうした傾向に反応する商業映画の本当のねらいは、マギスモやマール・ショー
ヴィニズムを根底から止揚することではなくて、そうしたものに対する観客の関心にアッピー
ルする文化商品をつくり、あわせてそのような(本来は潜勢力にあふれた)社会的関心を骨ぬ
きにしてしまうことである。
 容易に気づくことだが、映画であづかわれる脱マチョ的タイプの男性は、ことごとくミドル・
クラスに属しており(さもなければ階級についての言及をさげて描かれる)、そこではマチョ
であるかそうでないかは、単なる意識の転換の問題とみなされている。だが、マギスモが社会
問題として重要なのは、階級関係に安住したまま何にでも"自由"になれるミドル・クラス以
上の人問にとってではなく、女は"自立"したくても家庭にしぼりっげられるしか生存の道が
たく、男は労働現場で日々に蓄積される肉体的・心理的抑圧を家庭でサド・マゾ的に発散・解
消するしかないようなロワー・クラスの人々にとってである。そこでは、マギスモは、ミドル・
クラスにとってのような"ライフ・スタイル"や趣味の問題ではなく、社会的な悪循環と化し
た一つの階級原理なのだ。この点を不間に付したまま、いくら男性の"女性化"や女性の"自
立"を問題にしても、それは、社会変革はおろか社会批判とも無関係である。むろんこのこと
はミドル・クラスの階級原理からすれば当然のことであり、脱マギスモや"女の自立"キャン
ペーンはちゃんとその原理にみあっているのである。というのも、日常的に妻に依存していた
男と経済的・心理的に夫に依存していた女がともに"自立"すれば、それだけ居住空間、車、
日常生活用具、金銭的ロスといったものの消費は倍増し、広大な"女性市場"が開拓されるわ
けで、これは、生産の能率的拡大と大量消費を原理とするシステムにとってはまことに好都合
なことだからである。ミドル・クラスの離婚・別居、独身生活をカッコよく描く最近のアメリ
カ映画は、こうした階級原理に整合した文化装置にほかならないのである。
 それゆえ、"女の自立"、"女の解放"論は、いまやアメリカでも日本でも、ひじょうにポピ
ュラーな文化商品として市場に出まわっているが、これは文化を通じての管理と支配という観
点からみると、六〇年代以降に世界中で顕在化してきたフェミニズム運動の潜勢力に対する既
存システムのしたたかなまきかえしであると言うことができる。既存の社会・文化システムは、
本性止、女性解放に根底から取り組むことなどできないのであるから、こうした傾向は、女性
の解放が一歩進んだということであるよりも、むしろ女性解放の問題をうやむやにする技術が
一歩進んだということにほかならないわげである。実際、日本の消費主義ジャーナリズムで問
題になっている"女の自立"なるものは、ことごとく、購買力のあるミドル・クラスの女性を
対象としており、"女の自立"があたかも彼女らの個人的な"実存的決意"だけで可能になる
かのような幻想がもてはやされている。そこでは、"とんで"ゆく妻がいてもその空いた座に
ほかの女がすわるというように、一人の女の搾取されている部分が単に他の女に転嫁されるに
すぎず、女性全体の解放、女性・男性関係の根本的な変革には全然っながってはゆかないので
ある。情報がひじょうに管理されている日本では、"女の自立"を、本来はそれと切りはなす
ことのできぬ女性解放運動の国内的・国際的現況から完全にひきはなすことが容易であり、毒
のある運動を口あたりのよい文化商品にしたり、人々の視界から消し去ることも、あまり難し
くないのであろう。
 しかし、だからといって、現存するフェミニズム運動が全部一種の"囮"なのだというわげ
ではない。イランやニカラグアにおけるフェミニズム運動の重要性や、イタリアのフェミニズ
ム運動の成果と潜勢力、最近ブラジルのサンパウロで会議を開いたラテン・アメリカのフェミ
ニストたちの活発な運動等、アトランダムにとりあげるだげでも枚挙につくせぬ注目すべき事
実があり、それらは、消費主義的マス・メディアがいかに黙殺しようとしても歴史の事実とし
て存在している。"女の自立"商品の主要輸出国である北アメリカですら、さまざまなレベル、
さまざまな種類のフェミニズム運動が展開されており、昨年(一九七九年)の五月には、はじめ
カo
て女性問題研究の全国大会がカンザス・シティで開かれた。
 北アメリカのフェミニズム運動は、概して改良主義的であるが、そのなかには、理論的にひ
じょうにラディカルなものもある。その一つは、"主婦の家事労働に賃金を!"というWFH
(ウェィジズ.フォー.ハウスワーク)運動である。この運動は、一九七一年にマリアローザ・ダ
ラ.コスタらによってイタリアで創始され、所帯をもつ男性労働者はその主婦が子供の世話を
し、買物や家事をするからこそ家庭の外で働くことができるのだからそうした主婦の家事労働
にも企業や国家は賃金を支払うべきだと主張する。
 今日のアメリカでも、ロワー・クラスの家庭には依然として"マギスモ"(男性至上主義)が支
配的で、共働きでも家事は主婦の仕事に属しており、女は家事的労働を無償で提供しなければ
ならない。究極的に、彼女らのこうした労働は、夫や子供たちを通じて現存の支配システムに
伝達され、システムに利益を与えているわげだからシステムは彼女らの労働を全面的に搾取し
ていることになる。まさしく、女性の家事労働は、資本主義システムの矛盾をたくみにごまか
す中枢機構に組みこまれており、システムは、すべての女性を"売春婦"や"家政婦"と化す
にもかかわらず、主婦のセックス労働や家事労働には一切賃金を払わず、それをあたかも"女
性に固有の""愛情"に発するサービスであるかのごとくみせかけることによってはかりしれ
ぬ不当な利潤を蓄積してきたのである。
 むろん、この論理は弁証法的なものであり、支配的たシステムが採用している資本の論理を
逆取りした戦略にほかならない。従って、家事労働に対して賃金を要求することは、もし賃金
をもらいさえすれぼ現在の家事労働をそのまま続けることを意味しはしない。まさに、この運
動をアメリカに導入した一人であるシルヴィァ・フエデリッチが言うように、「家事労働に金を
よこせというのは、家事労働が何であるかを目に見えるようにし、そうすることによってわた
したちが家事労働そのものを拒絶してゆくための第一歩なのである。」("WF昇運動のパンフレット
より)
 フェテリッチによれば、女性は、この社会において他者(とりわけ男性)に対するサービス
と媚を期待され、強制されるかぎりにおいて、すべて"家政婦"であり、"売春婦"であり
"レス"である。そして、女性は、自分をそういうものとしてとらえ、自分の隷属状態を認識
するときにはじめて、何に対して闘うべきかを理解するのである。
 むろん、こうした運動はマイナーなものにとどまっている。が、マイナーであるということ
は、無力であるということではなくて、メイジャーなもののようにシステムに奉仕することか
らまぬがれていることであり、しかも、マイナーたもののなかには、将来の根底的変革をひそ
かに準備する潜勢力をはらんだものがないわげではたいのである。むしろ、支配が全般化した
状況下では、マイナーであるということが、逆に、革命的変革の潜勢力の強さを意味し、メイ
ジャーであるということがそうしたものの欠如や弱さを意味しもするのである。
 ひるがえって、映画においても、今日、メイジャーなものから何か革命的一と言わぬまで
も  造反的なものを期待するのは不可能である。ソル・エーリックは、『地獄の黙示録』を批
判した一文のなかで、「この国での映画作りは、一つの資本主義的事業であり、大低は、ソフ
トな宣伝事業なのだ」主君っているが、このことは、政治や労働運動を一見ストレートにあつ
かった映画でもかわりがない。たとえば『赤旗』などでも高く評価されていた『ノーマ・レイ』
だが、これは、マッカーシーの赤狩りでブラック・リストにのせられ、その後、『寒い国から帰
ったスパイ』(一九六五年)、『ザ・モリー・マクガイヤーズ』(一九六八年)、『ボクサー』(一九七〇年)
『ザ・フロント』(一九七〇年)などの社会派的作品を監督したマーチン・リットが、アメリカの
南都で実際に起った紡績工場のストライキの話を映画化したもので、アメリカの商業映画とし
てはめずらしく社会批判の意識のみなぎる作品であるかにみえる。が、リットが監督のサラリ
ーの半分の二五万ドルを辞退して作られたというこの映画も、製作会社の二〇世紀フォックス
にとっては所詮、商業・宣伝映画であって、リットの意図にかかわらずごの映画を商品と文化
装置として利用できる目算があったからこそ配給網にのせられたのである。フォックスは、ア
メリカの六大"映画"企業のうちでは一番資本の多角化が少ない会社であるが、それでも、『ス
ター・ウォーズ』でもうけた金で、中西部のコカ・コーラ・ボトリング社とアスペン.スキー
会社の株を取得し、ますますコングロマリットとしての性格を強めている。
 この映画は、アメリカではかなりあたり、ノーマ・レイを演じたサリー。フィールドはアカ
デミー女優賞をとることになったが、これらは、同時にこの映画が文化装置として労働運動へ
の観客の関心を骨抜きにした度合をあらわしてもいる。おそらく、二〇世紀フォックスにとっ
てこの映画は、ストライキ闘争の映画であるまえに、都会の男と田舎の女とのある種のラブ。
ストーリーか、"結婚しない女"の労働者版でしかなかったにちがいない。が、そのような
"すりかえ"を可能にする要素はすでに登場人物たちのえがき方のなかにあった。『思想運動』
の映画時評(一九七九年9月−日号)で木下昌明空言っているように、ノーマ・レイの行動はときと
してヵツコよすぎる。
 「しかし、じっさいに、いまだ組合が工場側と対等にわたりあえる段階でないときに、そのよ
うな行為は工場側をいたずらに刺激させるだげで組合活動としてはぶちこわしになりかねない。
少なくとも彼女はそのことのためにあっさりと首になり、その工場では大切な活動家を失う羽
目となるのではないか。」
 ヵツコよすぎる点では、ルーベンという活動家もそうであり、彼の"沈着"で"寡黙"な行
動は、生身の人問のそれであるよりも、映画のなかのスバィの身ぶりに一脈通ずるものがある。
実際、ルーベンが七つ道具をつんだライトバンでどこからともなくあらわれ、モーテルを"基
地"にして活動を開始し、首尾よく事をすませて町を去る構図の雰囲気は、ちょっと『ジャッ
カルの目』か『スバィ大作戦』の雰囲気に似たところがある。そこでは、要するに、状況を変
える者と変えられる者との関係がステレオタイプ的に決まっており、その関係は最後まで変わ
ることがないのである。
 この点に関して、 アメリカの左翼系映画雑誌『シネアステ』の時評(一九七九年泰季号)のなか
でパット・アウブターハイデが次のように言っている。
「ノーマとルーベンとの関係は平等ではない。彼女は変わるが、彼は変わらないのである。ル
ーベンは、ノーマをさまざまな困難から脱出させ、彼女の成長を承認するためにそこにいるに
すぎない。二人の相互関係はそっげなく、彼が彼女に細々と注意を与えて後援し、(組合のた
めではあるが)彼女を無情に利用するといった域を越えてはおらず、そのやり方は彼女がすで
に知っていた助平な男たちと大してちがってはいないのである。……彼にとって彼女は、あき
らかに、彼の与える本を読みさえすれぱただちに社会的存在になれるような動物なのである。」
 ノーマ・レイのモデルは、ノース・カロライナの紡績工場労働者クリスタル・リー・サット
ソであり、ルーベンのモデルは、エリ・ズィヴコヴィッチである。二人は、三年問におよぶ闘
争の同志であり、夫婦でもあった。マーチン・リットは、この映画を作るにあたって、シナリ
オのモデル権のサインを二人に求めたが、事実をゆがめる個所に対して二人が要求した訂正を
受けいれず、契約はものわかれになった。が、リヅトがそのまま映画化をすすめようとしたた
め、サットンとズィヴコヴィッチは法的手段によってこれに対抗するかまえを示し、リットは
ストーリーの場所と目付を変更して映画製作の合法化をはかった。
 こうした、およそ左翼的連帯とはほど遠いリットのやり方に対して、サットンは、オスカー
賞をとった独立プロ製作のストライキ闘争映画『パーラン・カウンティ、USA』の監督バー
バラ・コップルと契約を結び、映画は目下、資金集めの目バ体的段階に入っている。





"SF"の語源学



 SFが"サイエンス・フィクション"の略語であることを疑う者は、今日ではあまり多くは
あるまい。が、ゾフィ・プシェクールの小説『モスコー、プラハ、ニューヨーク』には、主人
公の"わたし"がニューヨークのジャクソン・スクウェア近くのSF専門店で、アル中気味の
見知らぬ男から次のような話をきかされるくだりがある。少し長くなるが、全文引用してみよ
う。
 「"SF"というのは、ヒューゴー・ガーンズバックがつくった"サイエンティフィクション"
という新造語に由来するというのが定説になってるげど、これは一種の"神話"なんだ。まあ、
"サイユンティフィクション"が"サイエンティフィック・フィクション"を一語にしたもの
であることはたしかさ。しかしそれじゃ、"サイユンティフィック・フィクション"っていう
言葉は誰がつくったのかね? くせものはこの"科学的"ってやつよ。これがいまでは"自然
科学的"という意味になっているだろう? 地球物理学でも電子工学でも、とにかく数学的自
然科学のという意味でこの"サイユンティフィック"が理解されていることはまちがいない。
その結果、SF作家自身、たとえばレジナルド・ブレットナーのように、〈SFとは、作家が
科学的方法として知られる人問の行動の本質とその重要性を意識し、さらに、その行動によっ
て集積された人問の知識の体系を意識することによって、科学的方法と科学的事実とが人類に
与える影響、将来において与えるかもしれない影響を、小説中にとりいれたものであるVなん
てオメデタィ定義をする始末だ。これじゃあブリタニカ百科事典が、SFとばく未来の科学的
発見から生ずる人問のドラマ、闘争、冒険をあつかった小説Vなんていうわげのわからぬ定義
をしはじめるのも無理ないよ。
 しかしね、はじめはそうじゃなかったんだ。全然ちがうのだよ。"サイエンティフィック.
フィクション"という言葉はだね、もともとは"セミオロジカル・フィクション"の意味だっ
たんだ。つまり"SF"の"S"は本来、"セミオロジー"(記号学)の"S"だったのだ。だ
れがはじめに言いだしたかはわからないが、ロシアで今世紀の十年代にフォルマリズムがはや
ったころ、フォルマリストたちは、その分析対象にえらんだ作品を仲間うちで"セ、ミオロジカ
ル・フィクション"(記号学的小説)とよんでいたんだげれど、そのなかには今日的な意味での
"科学小説"も含まれていた。
 フォルマリストやその後の構造主義者にとって、"科学"といえば、第一義的に−は"記号学"
を意味していたことは常識だよね。だから彼らは、記号学によって文学作品を分析したり、演
劇や民俗衣装にアプローチしたりしたわげだ。デカルト的な数学的自然科学をモデルにしたの
ではたい科学、人問を数旦聖化しない"人間科学"、これは彼らにとっては"記号学"だったρ
そこで彼らは、ときには、この"セミオロジカル・フィクション"を"サイエンティフィック.
フィクション"とも呼んでいたんだ。
 ところがさ、ラジオ屋あがりの骨の髄まで数学的白然科学の申し子だったガーンズバックは、
どこでききこんだのか、この"サイエンティフィック・フィクション"という言葉に出会うと、
これこそジュール・ベルヌやH・G・ウェルズ流の"空想科学小説"を総称する格好の言葉だ
と思ったんだな。もっとも、やっこさんがこれを"サイエンティフィケイション"と改めたの
は、彼がその原義を知っていたからかもしれないよ。とにかく、"SF"は、彼が一九二六年
に創刊した"アメイジング・ストーリーズ"誌によって定着され、かくして、ロボットや宇宙
船やコンピューターが登場する空想小説が"SF"だということになってしまったのさ。こり
やあ、歴史的な詐欺じゃないか、君。
 ところで、この話にはもっとこみいったミステリーがあるんだよ。"SF"の原義であるは
ずの"セミオロジカル・フィクション"が、いまでは何人の記憶にもとどめられないくらい完
壁に抹殺されてしまったもう一つの原因は、三〇年代後半から四〇年代にかけてのソヴィエト
の政治状勢の大きな変化なんだ。この時代のロシアでは、メイエルホリドをはじめとして多く
の革命的文化主義者たちが粛清されたが、そのなかには、ミハイル・M・バフチンとならんで
ブリリアントた仕事をした記号学者ヴァレンティン・N・ヴォロシノフも入っていた。当時、
記号学の中心は、すでにロシアからチェコに移っていだけれど、とにかくロシアでは記号学は
もはやご法度で、まして"記号学的小説"なんて反体制文学以外の何ものでもないとみなされ
る状況になっていたんだね。むろん、"記号学的小説"というのは、小説の種類を指している
のではなくて、小説作品を読み、分析する態度って言ったらいいかな、つまり作品をどう読む
かという読み方のちがいを指しているんだが、実際、ロシアにはフォルマリズム以降、文学作
品を従来のようだ心理主義的な方法によってではなく読みなおそうとする動きが次第に有力に
なってきており、"セミオロジカル・フィクション"という言葉は、そういう新たな文学姿勢
を統合し、さらにはその新たな文学姿勢に明確な方向を与えかねない危険を当局に与えたんだ
ね。それかあらぬか、当局は、"科学小説"という意味での"SF"の出版を積極的に推進し
はじめ、アレクサンドル・ベリヤーユフやイワン・エフレーモフやアレクサンドル・カザンツ
ェフなんかの作品が読者層を獲得してゆくのさ。今日"SF"が共産圏でも活発なのは、こん
な事情もからんでいるんだよ。」
 あきらかに、この"新説"は奇想天外であり、立証するのはわたしの手にあまる。が、いま
仮に、この"新説"が事実だと仮定してみると、それまで"SF"に関して全く見えてこなか
った問題がほの見えてくるように思われる。
 最近のSFの傾向は、もはや、"空想科学小説"とか"科学小説"とかいう定義のわくをは
るかに踏みこえてしまった。半村長にしても筒井康隆にしても横田順彌にしてもかんべむさし
にしても、また、カート・ヴォネガット・ジュニアにしてもノーマン・スピンラッドにしても
ジエ回ーム・ピクスピィにしても、レィフェル・Aニフファティにいたってはむろんのこと、
かってシオドァ・スタージョンが言ったような、「SFは、どんな異様た状況を舞台にし、ど
んな異様な生物を主役にしていようと、それはつねに人問とその社会を、科学的要素を媒介と
して、描くことを目的としなければならない」などという定式にはまりきらなくなっている。
それどころか、今日のSFの最もイキのいい部分は、ダダイズムの実験や、ロシア未来派の
"ザーウムヌイ・ヤズィーク"(ナンセンス言語)にも似た言語的ドタバタ、言語のスラップステ
イックで占められているほどなのだ。手近た例をあげよう。

 白いものが、どろりとした黒い川面を舟つき場の方へゆっくりと近づきつつあった。人
間だった。白シャツ姿の男である。彼は腹のあたりから上だけを水面に出していた。それ
はまるで胸像が水に流されてこちらへやってくるように見えた。
「あれは立ち泳ぎをしているのですか」
「いや。ボートを漕いでいるのだ」親爺はそういった。「ボートに水が入り、沈没したの
だ。しかし転覆を免れたため、この濁った川の水の比重とボート自身の浮力と、乗ってい
る人間の重力で、ボートは一定の水面下にある。っまりあの男は水面下でボートを漕ぎな
がら戻ってきたのだ。自分だけ泳いで戻ったのでは、ボートを失くした罰金を取られるか
らね」(筒井康隆『脱走と追跡のサンバ』)

 一九七九年、アメリカは〈大宇宙おまんこ〉を計画した。これは、人類を宇宙のどこか
でぜがひでも存続させようとする真剣な試みであった。もはや地球上には、先行き生きて
いく望みはなかった。……〈宇宙おまんこ〉というのは、凍結乾燥した精液八百ポンドを、
その鼻づらにっめた口ヶツト船であった。それは、二百万光年かなたのアンドロメダ銀河
系にむけて発射されることになっていた。(カート・ヴォネガットk、伊藤典夫訳、『ザ・ピッグ・スペ
ース・フアツク』)

「あれは大陸断層が、たまたま心球断層と一致したものだ」大科学者のアーパヅド・アー
ガバラナンはいった。「あの谷は事実学マイルの幅があるが、それと同時に、事実五フィ
ートの幅しかない。もし、われわれが正しく測量すれば、そういう二元的な数字が出てく
るだろう。もちろん、これは気象学的なものだよ! 夢を含めたあらゆるものが、気象と
かかわりがある。これにごまかされるのは、かえって動物やカメラのほうなんだ。なにぶ
ん、ほんとうの次元認識に欠けているからね。人間だけが、その真の二元性を見ぬくこと
ができる。この現象は、大陸断層  大地が半マイル分のでこぼこをやりくりしなくちゃ
ならない地域1のぜんたいに共通しているはずだ。おそらく、樹木推移帯の全域にも伸
び広がっているだろう。あそこの樹木には二度姿を見せるものも多いし、一度も姿を見せ
ないものも多い。適当な精神状態の人問は、あの土地を耕作することもできるし、あの土
地で牛を飼うこともできるが、実際にはあの土地は存在しないんだよ……」(レイフエル.
A・ラファティ、浅倉久志訳、『せまい谷』)。

 これらのSFでは、"科学"はもはやテーマでも背景でもなく、それは言語表現をコミカル
なもの、ナンセンスなものにするための手段となっており、"科学"そのものはほとんど問題
にならない。この種のSFを"科学"の名において規定することはできないのであって、近さ
の点では"科学"の世界や"科学"の言語表現よりも、たとえば、イヨネスコの『授業』のな
かで、"教授"がしゃべる次の台詞の方がよほどこの種のSFと共通性をもっていると言える。

・・・《イタリア》という言葉は、フランス語では、《フランス》です。それが正確な翻訳
だ。《私の国はフランスです。》そして、東洋語で《フランス》は《東洋》だ。私の国は東
洋です。そして、ポルトガル語で《東洋》は《ポルトガル》だ。東洋的表現《私の国は東
洋だ》は同じような形でポルトガル語に翻訳される。私の国はポルトガルだ!

 だが、そうだとしたら、SFにはロシア未来派もダダイズムも不条理文学も何でもかんでも
含まれてしまうことになりはLないか? むろんその通りである。もはやSFを規定する特定
の素材や内容は何もないかにみえる。が、それでは、SFの"S"は何の"S"か?
 ところでこれまでSFに与えられてきた多くの定義をみて気づくことは、それらがみな一様
に、SFをその素材や内容から規定しようとしている点である。が、"無意識"と"意識"、
"夢"と"覚醒"、"狂気"と"正常"、"虚構"と"現実"等々のあいだの二元論的な区切りが
あいまいで可動的なものになり、前者は後者との、後者は前者との弁証法的関係においてしか
問題になりえないような今日の文化状況のなかでは、大衆文学と純文学との区別をもはやそれ
らの素材や内容からではなしえないという事態が生じているのと全く同様に、SFを他から区
別するものも、もはやその素材や内容のなかにはないのである。
 尾崎秀樹は、「大衆文学論にあっては、作家論・作品論とともに読者論・作中人物論が重要
な意味をもつ。それは大衆文学が読者によって創られる文学とされる結果でもあるが、だれが
何をどう描いたかだげでなく、その作品がどう読まれたか、どのような反応を生んだか、いか
なる『英雄のモデル』を造型したかが問われなければならない」(「読者の発見と伝統」、『大衆文学論』、
勤草書房)と述べ、くり返し"読者論"の重要性を強調してきたが、このことは今日では、"大
衆文学"を論ずる場合のみならず"純文学"を論ずる場合にも、否、いかなる文学を論ずる場
合にも重要なポィソトをたす。たとえば、ハンス・R・ヤウスは『挑発としての文学史』のな
かで、従来の文学理論は、「読者の立場を見落している」が、「文学作品の歴史的生命は、その
受取人の能動的な参与なしには考えられない」とし、次のように主張している。
 「生産の美学とか叙述の美学といった閉鎖的な領域は、これまでの文芸学の方法論がもっぱ
ら活動していた場であるが、それは、今述べた理由で、文学作品の歴史的継続をいかに文学史
の連関として把握すべきかという問題に対して、一つの新しい解答を見出そうとするならば、
受容と作用の美学に向けて通路を聞かざるをえないのである。」(轡田収訳)
 むろん、このような問題意識は、三、四〇年代のフォルマリズムや記号学の発展的な成果の
なかに含意されていたことであり、このような主張は遅きに失した観があるが、重要なのは、
この問題意識そのものよりも、この問題意識が三〇年代や四〇年代よりも一層強く一支配的
文化の側から−要請される今日の文化状況である。
 読者論との関連で記号学をみるとき、その最も基礎的なテーゼとたるものは、ソシュールの
「言語には差異しか存在しない」という有名なテーゼであり、それはすたわち、「〈意味される
ものVをとってみても〈意味するもの〉をとってみても、言語には言語体系に先立って存在す
るような観念もなければ音もないのであって、存在するものは、ただこの体系から生ずる概念
的差異と音声的差異だけである」(『一般言語学講義』)ということであるが、このよう空言語理論
が 肯定的にも否定的にも−妥当する射程は、今日のテクノロジーと消費の文化、ワルタ
ー・ベンヤミンの言う「複製技術の時代」においては、急速にひろがりつつあり、ある意味で
こうしな言語理論は、記号学やソシュールヘの知識とは無関係に、コピー.ライターやハチャ
バチャ・ドタバタSF作家などによって実践されていると言っても過言ではないのである。例
をあげよう。

  朝だ。雨がふっている。朝だ雨だ。(横田順彌「おたまじゃくしの叛乱」)

 言うまでもなく、この「朝だ雨だ」には、「浅田飴だ」が含意され、前二句とは全くちがっ
た意味(それをナンセンス・ユーモア主言おうと)が現われているわけだが、もし、言語にと
って意味というものが、未開民族や幼児の多かれ少なかれ"呪術的"空言語のように、"言霊"
として内在しており、「アサ」や「ダ」や「アメ」にそれぞれの意味があらかじめはりっいてい
るのだとしたら、このような「手術台のうえでミシンとコーモリガサが出会うときのような」
新たな意味はとうていあらわれない。つまり、"意味"は、ここでは、"記号"を再組織するこ
とによって生ずるのであって、それ以前に先天的に"神"や"絶対者"によって決定されてい
るわげではないのである。その際、"記号"を最終的に再組織するのは読者だから、"作者"も
また、作品なり言語表現なりの"意味"を先天的に決定する権利はない。現に、ゲーテの臨終
の言葉とされている、「もっと光を」は、それがテレビのコマーシャルで使われたとき、フラ
ッシュを内蔵したカメラを印象づける言語表現に変換された。今日の文化状況のなかでは、"作
者"の最初の内的モチーフなどは何ら必然性をもちえないのである。
 こうした傾向は、明らかに、今日の生産と消費のシステムの根本的な変化に対応している。
いうまでもなく今日では、製品は書物にかぎらずすべて、手工業的な主体的生産プロセスの産
物ではなく、高度化した機械的大量生産のプロセスの産物であり、その動向は、生産プロセス
から人間を追放(解放?)し、主体なき生産プロセス(オートメーション)へ向かおうとして
いる。事実、印刷技術や複写技術の発達は、前近代の写本技師をテキスト複製の生産プロセス
から追放し、その主体的な精神・肉体行為を活字や電子の物理的な反復運動に置きかえた。写
本技師にとってこの変化は一見、彼からその職業を奪いとりこそすれ、テキストを読み使用す
る彼の主体的な行為をかえって純粋な形で保証したかにみえる。なぜなら読者としての彼は、
いまやあの複写の労苦から解放されてひたすら読者・使用者としてテキストの自由な読書と使
用をエンジョイできるからである。だがはたしてそうか?
 話がSFからしばらくはなれるが、二十年まえには限られた人々しかもっていなかったトラ
ンシーバーがいまではおもちゃ屋やスーパー・マーケットの店先にならんでいる例をみるまで
もなく、今日、自分で製作・生産せずにただ使用・消費さえすればよい製品・商品の数は飛躍
的にふえ、そのいきおいはとどまるところを知らない。かっては、物を主体的に使用するとい
うことのなかには、それを自分で製作するということが大なり小なり含まれざるをえなかった
が、世界的には一九二〇年代以降、既製品を"自由"に組み合わせることによって"主体的"
な使用と消費の欲求をみたす傾向が徐々に昂進した。だが、ここには実は、論理とデロス(究
極目的)における恐るべき倒錯が横たわっていたのである。
 たとえば、本棚を自作ないしはあつらえる場合と既製を使う場合とをくらべると、材木を切
り、げずって本棚を製作する前者の場合、使えないものをあえて作るのを別とすれば、それは
使用するために作られるのだから、その製作プロセスは使用の論理とデロスによって決定され
る。言いかえれば、本棚の製作は、決して本棚の製作自身の論理によって決定されるのではな
くて、あくまでも使用のプロセスの一環としてあり、容れるべき本の大きさ、部屋のスペース、
位置等を配慮して材料、形態が決められる。これに対して、既製の本棚を使用する場合、サイ
ズ、材質、堅牢さ、形態、色等の選択がある程度許されているにしても、個々の使用目的と使
用方法にぴったり合うことはめったになく、使用の論理の方を逆に生産の論理に従わせなけれ
ばならない。ここではっまり、本棚の使用の論理とデロスが既製の本棚の生産のプロセスの延
長線上にいやおうなしに組みいれられ、生産の論理とデロスによって置きかえられるのである。
おそらく、科学技術の発達は既製品の限られた選択をもっとも柔軟なものにしてゆき、あらゆ
る使用目的にかなう既製品を田川意するところまでゆくだろうが、いずれにせよ、使用が既製品
の選択と組合せの同義語となる塊実の背後にそうした倒錯が横たわることにはかわりがないの
であり、本来きわめて主体的で一回的な出来事であるはずの使用という行為が、ここではメカ
ニカルな反復の生産プロセスの"寛容"さのなかに予測的に組みこまれてしまうのだ。
 その結果、大最生産品の使用者・消費者は、自分ではいかに"主体的"に物を買い、使って
いると思っていても、それはあらかじめその物の生産プロセスにセットされていた論理を忠実
に反復しているだげのことに。なりかねない。もとより、生産の究極目的は果てしなき利潤追求
にあるのだから、日分では使用と消費の側の諭理を行使しているつもりのこの使用者・消費者
は、生産の論理によって使用させられ、消費させられながら生産の側の利潤追求に奉仕するわ
けである。何のことはない、大量生産の時代の使用と消費は、労働からの解放であるどころか
労働への新たた呪縛であり、"労働時間"のあとにも独占的企業の生産プロセスのリモート・
コントロールを受けながら新たな労働にあくせくすることにほかならないのだ。"余暇"とは、
新たな労働時間であり、"労働者"は依然、睡眠以外のすべての時間を"労働"に拘束される
というわげである。
 このような圧倒的な状況のなかでは、生産の論理を使用の論理に一挙に転換することはもは
や不可能なので、生産プロセスを忠実に反復することに対して若干の距離をとり、生産プロセ
スに"怠惰"に従うことが唯一の反抗となる。だが、今日の生産プロセスは、そのような戦略
までも予測するほどのしたたかさをもっている。
 SFに話をもどせば、筒井康隆やっかこうへいのパロディの流行が端的に示しているように、
パロディさえも今日では商品化され、大量生産されるのである。読者や観客は、自分では生産
も再生産  パロディ的生産  もせずに、与えられたものを消費し、まじめに笑えはよいわ
げである。それゆえ今日のいわゆる"ドタバタSF"、"ナンセンスSF"、"ハチャバチャSF"
は、読者が作者や作中人物に心理的に同化することをよしとする1他の文学ジャンルではま
だまだ続いている1伝統をうちやぶり、この作品H読者関係のなかで組織される言語記号と、
それが表わす意味との関係を盗意的、相対的なものにし、読者を作者、すなわち作品の生産過
程への従属から解放するかのようにみえながら、実際には、それらはそうした批判と反抗の精
神を骨抜きにしてしまう巧妙な消去装置にたりかねないのである。結局、読者の解放は、今日
のSFがどんなに革新的にみえようとも、作品がまえもって与えてくれるものではなく、読者
自身がその読 みを、その再生産を、その消費をどう行なうかにかかっており、その意味では、
グラムシが記している中世の写本技師のサボタージュと、われわれのやるべきことはそれほど
ちがってはいないのである。
 「中世の写本技師は、原文に関心がわくと、写すべき原文に正書法、語形論、文章論上の変
更をくわえ、自分の教養不足でわからない文章は全部省略した。原文に関心がわいて何かの考
えがうかぶとそこに注釈を加えたりした。自分の方言や国語が原文と異る場合は、原文にない
ニュアンスをもちこんだ。つまり中世の写本技師は、原文を"改作"したわけであり、危険な
書記であった。」(『獄中ノート』)
 中世の写本技師は、原本の生産プロセスを忠実に反復するようなことはせず、あくまでも原
本の使用者・読者としての自分の利害と論理を堅持しながら原本の生産を主体的にやりなおし
たわげだが、問題は、今日、その"自分の利害と論理"自体があやうくなっている点である。





十九世紀の文化操作



 映画をその一貫した筋書からではなく、その"補助的"な背景の方からみるというのは邪道
かもしれないが、デイヴィッド・リンチ演出の映画『エレファント・マン』にちらりと出てく
る一八八○年代のロンドンの裏街の見世物小屋のシーンは、それがどの程度歴史事実に忠実な
のかはわからないが、この映画の筋書をこえてさまざまなことを考えさせるインデックスとし
てなかたか効果的だった。
 桑野隆の『民衆文化の記号学』によると、東ヨーロッバの場合、「見世物小屋は二〇年代初
頭には姿を消し、民衆演劇もまれになってゆく」そうだが、こうした見世物小屋の衰退の端初
は、イギリスの場合、一八八○年代一つまりマルクスの最晩年  にすでにめばえていたよ
うだ。むろん、この時点では"衰退"といってもそれは、一八五〇年代一つまりディッケン
ズ文学はなやかなりし頃−以前の見世物小屋と比較した話であって、第一次世界大戦以降、
別の形態の大衆娯楽の出現によって駆逐され、まさに廣末保の言う"悪場所"的た衝撃力を失
ったところのものとくらべれば、それは依然そうした力を失ってはいなかった。が、それがす
でにこの時点で一つの危機に直面していたことは、この映画のショットからも読みとれるので
ある。
 "エレファント・マン"というのは、頭部が生れつき象のような"奇形"になっている実在の
人物ジョン・メリック(一八九〇年残)にっげられたあだ名だが、この人物は、一八八三年にロン
ドン大学の医師フレデリック・トリーヴスによって発見されるまで"フリークス"(奇形人間)
の見世物芸人として、幼少の頃からイギリスや西ヨーロッパの諸都市を興行師といっしょに旅
してまわったらしい。当時のヨーロッバでは、こうした大道芸人がいわばサービス産業の労働
者として想像以上に劣悪な非人問的条件の下で働いていた。当時のロンドンの最下層階級の生
活を独力で調査し、『ロンドンの労働とロンドンの貧民』全四巻(一八五一〜六二)を書いたヘン」
リー・メイヒューは、その中でこうした貧民をstreet-folkと呼び、それを"街頭の物売り"、
"廃品回収業者"、"拾い崖"、"大道芸人"、"街頭職人"、"街頭労働者"の六つに分類している
が、そのうちの"大道芸人"には「人形芝居、軽業・曲芸、猿芝居、鳥や鼠つかい、道化師の
ほか、大男や一寸法師、白子や豚面女・六本足の馬とか二頭の胚といった人間や動物の見世物、
のぞきめがねや運勢占いにいたるさまざまなものがあった」(角山栄「庶民生活の哀歓」、『生活の世界
歴史10』)。
 が、映画で、"エレファント・マン"の小屋が警察にチェックされ、興行師が蜂一一官に「これ
はフリークですぜ」というと、警官から「これはひどすぎる」と言われて営業停止処分を受け
るシーンがあるように、時代も一八五〇年代以降になると、見世物でもあまりに"醜悪"なも
のや"残酷"なものは法律で禁じられる傾向が出てきた。言いかえれば、見世物小屋への公権
力の介入とコントロールがはじまったのである。
 これは、映画でもみられるように、一面で家畜同然の生活を強いられてきたフリークたちに
とっては"人道主義"の恩恵に浴する機会が到来したことのように見えるが、他面においてこ
こには、当時大いなる危機に直面していたイギリス資本主義の"文化操作"が隠されてもいた。
いうまでもなく、当時のイギリスは、大不況に直面していたにもかかわらず  否、それゆえ
に1工業化社会への道を薙進しつづけ、それにともなう1すでにエンゲルスが『イギリス
における労働者階級の状態』(一八四五年)のなかで観察していたような  諾矛盾が、社会や文
化のあらゆる局面でひきっづき顕在化しつつあったが、社会の底辺のレベルでは、工業への偏
重から来る都市への過剰な人口流入、それに対応する農村の疲弊、都市のスラム化、病気の蔓
延、犯罪の激増はますます為政者の悩みの種となっていた。が、こうした社会約諾矛盾の解決
は、農業資本主義から工業資本主義へ−つまりは前近代的なものの一次元的合理化へむかっ
て−っきすすむロジックのなかにはもともと含まれてはいないものであって、それゆえこの
矛盾は、この回ジヅクを徹底的に1変革することによって解決するか、あるいは"精神"という
名のよろず"解決"箱のなかでうやむやにされるしかないのである。現実には、イギリスの支
配体制は、前者への諸々の対抗勢力をふりきり、あともどりがきかない支配体制の御多聞にも
れず、後者の道をとることにたる。すなわち、サミュエル・スマイルズの『自助論』(一八五九年)
が啓蒙しているような勤勉、貯蓄、節約、真面目等を強洲する精神主義や、所詮は自分たちの
利害のことしか頭にないのに、そうした無意識的・意識的欲望をおおいかくすための"人道主
義"、国家を家庭という単位の方から強化することを含意としてもつ福音主義、といった観念
論的キャンペーンによって一観念的にではなく現に物質的に存在する諾矛盾を単に意識のレ
ベルで"解決"する(つまりはうやむやにする)ことにたるのである。
 こうしたキャンペーンのうち、具体的には大衆娯楽のレベルで推進されたものを見のがすこ
とはできない。ピューリタニズムは、怠惰をいましめ、娯楽を怠惰とみなすイデオロギーを宣
伍するのにあくことがなかった。それは、"時は金"でもなく、"怠惰"が悪で"勤勉"が善で
あったわげでもない前近代の労働倫理を工業資本主義にみあったものにするためのキャンペー
ンであった。福音主義もまた、伝統的な娯楽の形態をいましめ、戸外で集団を組む祝祭的な娯
楽よりも家庭内でのっっましい団簗をよしとするイギオロギーをふりまいた。これは、一種の
家族再編成のキャンペーンである。さらに、"人道主義"のキャンペーンは、闘牛、闘犬、闘
鶏のような見世物は動物を虐待するものとして法律的に禁じる方向で動き、フリークスの見世
物も当局によって取締りを受けるようになる。ちなみに、この時代はすでに、"王立動物虐待
防止協会"(一八二四年)、"動物愛護協会"(一八三二年)などの民間団体がいくつも創立されてい
たし、"動物の虐待に関する法律"(一八三五年)も制定されていた。
 "エレファント・マン"との関連で言えば、このあたりの事情については映画よりも、"エレ
ファント・マン"ことジョン・メリックをひろいあげた医師フレデリック・トリーヴスによる
回想記『エレファント・マンおよびその他の思い出』(一九二三年)一これが映画のストーリー
の原型をなす  の方がより正確な記述を与えている。映画では、元の興行師が病院に保護さ
れていたジョン・メリックをある夜、どさくさにまぎれてっれ出し、ブラッセルでふたたびフ
リークの見世物の舞台に立たせるのだが、すでに身も心も"文明"のめぐみにそまってしまっ
た"エレファント.マゾ"はもはやそのようた芸を続ける体力も気力もなく、結局、腹を立て
た興行師にさんざん痛めつけられて捨てられるということになっている。が、トリーヴスの回
想記によると、興行師がメリックを手ばなしたのは、メリック白身の事情によるよりも、むし
ろこの種の見世物に対する公権力の取締りがきびしくなり、それ以上興行が続けられなくなっ
たからであった。
 「興行師は、絶望してブラッセルにのがれた。が、その受け入れは彼をがっかりさせるもの
であった。ブラッセルの取締りはきびしくその見世物は禁止された。それは残忍で卑狼で不道
徳であり、ベルギーの同内では許可されなかったのである。そのためメリックにはもはや一文
の値打もたかった。彼は追いはらわれるしかなかったわげだ。興行師は、メリックのわずかな
たくわえをうばいとったのち、ロンドン行の切符を与えて列車にのせた。」
 トリーヴスの回想記では、ロンドンに出たメリックは、その異様な風体のためにたちまち衆
人環視の的になり、やじうまにとりまかれているのを警官に保護され、たまたま彼がもってい
たトリーヴスの名刺からロンドン病院に連絡が入り、ここではじめてトリーヴスと二年ぶりに
再会することになる。これは「劇的な再会」だったとトリーヴスは書いている。というのも、
彼が二年まえにこの"エレファント・マン"に会ったのは、医学の研究材料としてその身体を
調べるためであって、興行師から彼をかりうげたあとでふたたび彼に会うことなど考えていな
かったし、まして彼を保護するつもりは特になかったからである。映画はこのあたりの時間的
順序をずらせ、脚色をくわえ、トリーヴスはメリックを一目みたときから彼をあわれに思い、
この再会以前にすでに彼を病院で保護し、メリックの名もこの再会以前に世間に知られていた
ということに。している。いずれにしても、トリーヴスの回想ではこの再会後はじめて  映画
ではこの再会後ますます  ジョン・メリックはトリーヴスをはじめとする病院側の手あつい
保護をうけ、ついにはヴィクトリア女王の特命によって病院内に永住することを許される。
 このことは、一見、偶然的な出来事のようにみえるが、よく考えてみると、それは決して偶
然ではない。というのも、当時推進されっっあった前述の"文化的"キャンペーンからすれば、
まさにメリックのようだ人物を"救済"することは、支配体制のタテマエとしての"人道主
義"を宣伝するうえでこのうえなく役に立つと考えられるからである。第一、メリックのよう
なめぐまれない人物は当時いくらでもいたはずで、普通では、ロンドン病院の理事長からヴィ
クトリア女王までが救助の手をさしのべて彼に中流階級なみの生活をおくらせるなどというこ
とは考えられないのである。言いかえれば"ニレフアント・マン"は、支配体制による福祉政
策の貧しさを観念的におぎなう政治ショウのアンチ・ヒーローでしかなかったのである。
"エレファント・マン"の"救済"がいかに組織的かつ政策的なものであったかは、映画では
メリックのことを新聞で読み、どうしても会いたくなって病院を訪れる有名女優、ケンドール
夫人が、その実ートリーヴスの回想によると−決して彼女の自由意志でそうしたのではな
く、トリーヴスの依頼でそうしたのだという点にもあらわれている。トリーヴスは次のように
書いている。
 「わたしは、わたしの友人で若くて美しい未亡人に、 メリックの部屋に笑顔で入ってゆき、
おはようを言い握手をしてくれるだろうかとたずねた。彼女は、やってみましょうと言い、そ
うしたのだった。彼女が彼の手を握ったとき、彼は頭をひざにうずめ、」やくりあげ、決して
泣きやむことがないと思われるくらい泣きっづげた。対面はおわった。彼があとでいうには、
彼女は自分に笑いかげてくれた最初の女性であり、生涯のうちではじめて自分に握手してくれ
た女性であった。この日からメリックに変化がはじまり、乱調をきたした物から人間へと少し
ずつ変わっていった。それは重言するに価するすばらしい変化であり、わたしを魅了すること
を決してやめることのない変化であった。L
 むろんここには、ながいあいだ抑圧されて人並の社会から疎外されてきた人物が、たとえ操
作的であれ、"愛情"のこもった身ぶりによってその疎外から解放されてゆく感動的な側面が
ないわけではない。が、問題は、この見事な精神療法が、やがて彼をマス・「二・・と上流社会の
寵児にしてしまう先がげとなっている点だ。もし、彼を有名にすることでなく、社会復帰させ
ることが本来の目的だったなら、彼に"愛惜"療法をほどこす女性はケンドール夫人のような
有名人でなくても、病院の看護婦でもよかったはずではないか。それをあえて有名人にしたと
ころに、社会的効果をねらった意図がどうしてもすげて見えるのである。
 いずれにしても、"エレファント・マン"がヴィクトリア後期のイギリスで、今日の福祉国
家でものぞめないくらいの待遇を受けたことは、きわめて組織的た操作なしにはありえないこ
とであって、民衆は一方でその操作にたぶらかされながら、他方ではうさんくささをうすうす
感じていたはずである。その意味では、映画でも  ある夜メリックが、病院の警備係の先導
で見物にやってきた下層階級の連中によってむりやり酒を飲まされたり売春婦をだかされたり
していたぶられることになったのは、メリック自身には全くの災難だとしても、支配階級の無
意識的・意識的操作に対する被支配者階級の無意識的・意識的反抗という意味で不可避的なこ
とであり、これを映画が支配階級の側にも被支配者階級の側にも味方せず冷徹に描いているの
はすぐれたやり方である。
 "人道主義"的な立場からすれば許しがたい彼らの野蛮な行為も、ろくな福祉にもめぐまれず、
劣悪な条件のなかで生活させられている彼らからすれば、むしろ筋がとおっているのであって、
それというのも、たとえ本人の意志でないにしても、支配者階級の仲間入りをしてしまったフ
リークなどは、凌辱されることを待っている体制の道化以外の何ものにもみえないからである。
もしこれがフリークではなく、"並みの"身体をもった芸人であれば、下層階級から出て世界
のスターになったチャップリンのように、下層階級の人々からも凌辱の対象にではなく賞讃の
対象になったかもしれない。が、フリークの見世物芸人はもともと下層階級の人々から凌辱さ
れることを機能としているといった一面があり、フリークの見世物をまえにして被支配者階級
は、自分たちより抑圧されている人問(つまりフリーク)をながめることによってっかのま自
分たちの抑圧を忘れる一というよりも、ふだんは被抑圧者である自分たちが、金を払うこと
によってっかのまの心理的な抑圧者(フリークを見物する者)になり、自分たちの本来の抑圧
を忘れるといった面もあるのである。
 してみると、"エレファント・マン"ジョン・メリックとは、下層階級のあいだにあっては
フリークとして最下層の位置におかれ、下層階級カタルシスの道具となり、上層階級のあいだ
にひきいれられては当時の文化操作の道具に使われるという、一個の対自的な人問としては全
くむくわれない生涯を送ったことになる。
 彼は「詩篇」の「……たといわたしは死の陰の谷を歩むともわざわいを恐れません。あなた
がわたしと共におられるからです……」という言葉を暗唱していたが、おそらくそれは彼の屈
辱的な生活にわずかの救いを与えていたのだろう。つまり信仰が彼にとっての抑圧の解消装置
にたるほかはなかったのである。映画の最終場面で、彼が自分の母親だと教えられてきた写真
の美しい女性の顔にだぶって「決して、決して、何も死するものはない、小川は流れ、風は吹
き、雲は漂い、心はときめく、何も死するものはない……」という彼女のものとおぼしき声が
メリックをさとすようにきこえてくる。それは「伝道の書」の「……いっさいは空である。日
の下で人が分するすべての労苦は、その身にたんの益があるか。世は去り、世はきたる。しか
し地は永遠に変わらない……」というくだりをただちに想起させるのだが、それはまた、現世
ではあらゆる意味で救われることのない被抑圧者に対する権力のソフト・ヴォィスのひびきが
した。
 メリックの突然の死は自殺だという説もあるし、また彼をあわれんだトリーヴスがひそかに
安楽死へ導いたことを暗示する説もある。





支配のミクロロギー



 すでにマックス・ウェーバーは、『経済と社会』(一九二一年)所収の「支配の社会学」のなかで、
「支配は、支配者と被支配者とにおいて、権限根拠、つまり支配の"正統性"の根拠によっ
て、内面的に支えられているのが常であり、この正統性の信念を動揺させるときは、重大な結
果が生ずるのが常である」(世良晃志郎訳)と述べ、支配における"正統性"の問題の重要性を強
調したが、それは今日、支配を論ずる際の中心問題となっている。ハバマスの『後期資本主義
における正統化の問題』(一九七三年)やアラン・ウォルフの『正統性の限界』(一九七七年)はこの
問題を専門的に論じているが、"正統性"とは、さしあたり、クラウス.、・二ーラーが次のよ
うに言っているものと解してよいだろう。
 「正統性は支配への自発的な服従を促すので、すべての政治体制は、自分の支配が正統であ
るという信念を植えっげようとするであろう。そしてこの際、正統性の根源は何であってもよ
いのである。民主主義社会は、民主主義の正統性信念を維持するために、市民教育というもの
を制度化した。他方、絶対君主制は、自由主義的見解を支持する者を迫害した。ナポレオン・
ボナパルトは当時誕生しつつあった民主主義信念に訴えるため、国民投票を実施した。しかし
ナポレオンは、正統性に関する君主制の伝統をも利用した。彼は自ら皇帝の座にっいたり、皇
帝の娘と結婚したりした。皇帝の正統性とその玉座の正統性は疑いえない事実だったからであ
る。こうすることによって彼は、自分の横領した王権が真正であることを証明しようとしたの
である。」(辻村明・松村健全訳、『政治と言語』)
 容易にわかるように、"正統性"は、支配における文化的側面であり、それは何らか"教
育"や"演出"と関係がある。グラムシは、幽閉された獄中のたかで、この問題を国家装置、
すなわち支配体制が行なう"教育"という観点から論究し、国家の概念を次のように定義しな
おしている。
 「国家は、ふつう、政治社会(すなわち、与えられた時代の生産様式と経済に人民大衆を適
応させるための独裁、すなわち、強制的機関)として理解されていて、政治社会と市民社会と
の均衡(すなわち、教会、組合、学校、等々のような、いわゆる民間組織を通じて行使される
ところの、国民社会全体にたいするある社会集団のヘゲモニー)として理解されていません。
そしてまさにこの市民社会においてこそ、知識人は働いているのです(たとえば、ベネデット
・クローチェは一種の俗界の教皇であり、たとえ時には、あれこれの政府に反対するとしても、
きわめて有効なヘゲモニー装置なのです)。」(一九三年九月七目、タチヤーナ宛の手紙、上杉聰彦訳『愛と
思想と人間と』)
 グラムシがここで言わんとしていることは、国家の文化権力の問題だ。国家は政治的・物理
的権力とともに文化権力をもつのであって、その権力者は支配的な知識人なのである。むろん、
このことは、グラムシの指摘をまつまでもなく、歴史の現実であり、文化権力は理に存在して
きたわけだが、グラムシは国家が文化権力を所有する仕方を閑趣にしている。
 国家が本来、市民的理念を代表するものであるならぼ、そこでは政治社会(政府N狭義の国
家)と市民社会(文化権力)との関係が"均衡"の関係、すなわち弁証法的関係でなければなら
ないが、近代岡家の理実は前者が後者を従属させる関係になっている。そのため、国家(政府)
はいかにして市民社会を手だっけ、コントロールするかということに腐心し、また、その対抗
勢力はいかにして政治・物理的権力を奪取する(そしてしかるのちに文化権力を掌握する)か
ということを革命の中心問題にせざるをえない。これに対してグラムシは、国家による市民社
会のコントロールのしたたかさとその傾向のますます巧妙になるであろうことを洞察していた
ので、すべてに先立って市民社会の文化権力を市民がみずから奪還するのでなげれぼならない
と考えた。
 グラムシは、「"純粋"な自然発生性などというものは歴史上存在しないということに注目す
る必要がある」(『グラムシ選集』1)と述べ、支配体制の側に厳然と"意識的な指導"が存在し、
市民社会を文化的に操作している以上、それに対抗する"意識的た指導"があってしかるべき
だとする。(グラムシは、彼を肉体的に拘束している監獄の恐るべき暴力すらも、国家にとっ
ては市民社会を威嚇し、操作するその文化的た機能が問題なのであることを知っていた。)グラ
ムシによれば、こうした"意識的指導"は、"党"を通じて行なわれる。が、この"党"は単
なる政党を意味するのではなく、「ある一つの新聞(または一群の新聞)、ある一つの雑誌(ま
たは一群の雑誌)、こういうものもまた"党"であり、"党分派"であり、"党機関"であると
いう観点から」(前掲書)、市民社会のあらゆる文化機関やメディアが"党"とみなされ、その
ヘゲモニーが間われるのである。
 だが、こうした革命思想を逆利用して、既存体制の延命に最も役立てたのは先進資本主義国
家であったというのは−さもたげれば生き残る道がなかったにせよ一歴史の皮肉である。
すなわち、グラムシのヘゲモニー論や文化運動の理念は、少なくとも現状では、既存体制の文
化操作に役立てられているのである。アドルノとホルクハイマーは、『啓蒙の弁証法』(一九四七
年)において、近世のブルジョワ革命のなかで開花した"啓蒙的理性"が"道具的理性"に変
質するプロセスを説得力をもって論述したが、これは、グラムシの国家論が逆利用されている
現実を説明しているとみてよい。
 "啓蒙的理性"とは、これをグラムシの言葉で言いかえれば、「新しい、より高い文明をつく
り出し、最も広範な人民大衆の"文化"と道徳を生産の経済機薄に適合させ、その結果新しい
型の人問を、肉体的にすらも、つくりあげる」(前掲書)理念と能力であるが、これはいまや、
風俗的に「新しい」、科学的技術的に「より高い」文明をつくり出し、最も広範なアトム的な
「大衆」の"大量消費文化"と"道徳"を生涯の生産の経済機韓に適合させ、その結果流行的に、
「新しい型の人間」を、肉体的にすらも、っくりあげる道具に頽落した。それにつれて国家は、
政治社会が官僚主義的な政府に硬直化し、市民社会が文化装置に萎縮し、アラン・ウォルフの
言う"精神分裂症"に陥った。言いかえれば、グラムシの言う「政治社会と市民社会との均
衡」は、弁証法的ではたく、ますます二元論的なものとなり、政治社会と市民社会は分業化し、
前者がもっぱら経済的利害にみあった立法と行政を行ない、後者が、前者のそうした機能を円
滑に推進するための"国民教育"を受け持つのである。
 この"分業体制"は、政府の官僚組織と民間の文化産業とが癒着するといった顕在的レベル
での連動が行なわれなくても、両者が全く独立したまま機能しながら、それにもかかわらず両
者が連動するというところまで整備される。極端に言えば、政府は統治するだけで、政府と文
化産業(ひいては市民社会)の利害が自動的に合致してしまうのである。このような予定調和は、
マス・メディア、公教育、医療、都市化、コンピューター化などによって市民社会のあらゆる
部分にまで一従って個人の心理と身体のレベルにまで−管理化が浸透するという仕方で現
実化した。というのも、この管理化は、社会のあらゆる個々人を一次元的な集団性のなかに統
合し、それによって、そもそも伝統的な意味での"個人"の存在を不可能にし、あらゆる個人
が知らず知らずに連動しあっている官僚制的ネットワーク(無意識の官僚制!)を形成するか
らである。それゆえ、"国家的なもの"(政府的たもの)はいまや、顕在的な国家介入が行なわ
れない場合でも、市民社会のたかに存在するわけであるから、とりわけ国家による文化管理が
問題である場合には、民間の文化機関や文化産業のあらゆるレベルでの国家教育が問題にされ
なげればならないのである。
 一例をあげよう。占星術は、日本では一九六〇年代に流行「しはじめ、今日では安定した文化
商品にたっている。それは、むろん、政府が指導したのでも強制したのでもなく、文化産業の
"新しい"文化商品として、たとえば門馬寛明の『西洋占星術』や鶴書房の小冊子や女性週刊
誌などによって民間べ−スでひろめられたのであり、そうした文化産業の意識上の目的はと言
えば、それは国民の政治的教化や啓蒙であるよりも、あくまでも経済的利潤の獲得であった。
が、にもかかわらず、この点でも先駆的モデルを提供しているアメリカでの占星術の流行を分
析してアドルノが言っているように、この流行は、「生活の社会化が著しく進んでいること、
個人が管理された社会の無数の触手によってとらえられていること」と無関係ではないのであ
り、占星術は、結局のところ、「全体として体制順応の代弁になっているのである」。アドルノ
は、この体制順応的な文化装置の錯綜したからくりを次のように分析している。
 「初期の市民階級がいだいていた自由主義、少なくともそのイデオロギーのなかでは、社会に
対する原則的な従属が、たいていの人びとの眼から、隠されていた。たとえば、個人を自律的
に構成され白山に維持されるモナドとみる諭理において、そうである。今日そのヴェールはは
ずされた。社会的なコントロールの過程は、もはや、その法則性について個人がなんにも知ら
ない匿名市場の過程ではない。社会の管理と管理されているものとの問にあって両者を媒介す
るもろもろの段階的た手続は、あきらかに消滅し、個々の人間は再び、支配の頂点から発する
指令に直接向かいあう。こうしてあらわになる従属は、人問を全体主義的イデオロギーに侵さ
れ易いものにする。占星術もこのイデオロギーに前駆として奉仕する。しかし、深まりゆく従
属を認識することは、その認識を弱めないかぎり、ほとんど堪えがたい苦痛である。人間は、
このような従属を率直に認めるならば、これを変革するための客観的な可能性も見えず、その
心理的な力も自分のなかに感じていない状態を、もはやとても我慢するわげにはいかないであ
ろう。それ故、責任を免除してくれるなにものかに一、従属を投射する。それが星であろうと、
国際的な銀行家の陰謀であろうと、かまわないのだ。占星術の信者が、避けられないことに慣
れる訓練のために、従属を装い、それをだれに見せるともなくひとりで誇張することに、人は
気づくであろう。いったいにかれらの多くは、自分の信念を、かならずしもまじめには扱わず、
かすかな自潮をこめてこれを皮肉るものである。占星術はたんなる従属の表現であるのみなら
ず、従属するもののための従属のイデオロギーでもある。L(三光長治・市村仁訳「二蚕烈じの迷信」、『ゾ
チオロギカ』、イサラ書房)
 個人の心理と身体の内奥にまで侵入するこうした"国家介入"を顧慮するとき、国家支配の
今日的形態は強制よりも教化や"治療"に向かうことがわかる。クリストファーニプーシは、
『ニューヨーク・レヴュー・オブ・ブックス』(一九八○年6月12日号)の長文の書評的エッセイのなか
で今日の国家形態をフィリップ・リーフとニコラス・キットリーにならって"治療的国家"
とよび、フーコーやジャック・ドンゼロに言及しながら、十九世紀以降、ヨーロッバ社会がそ
のあらゆるレベルにおいて"権利"によってではたく"技術"によって、"法律"によってで
はなく"正常化"によって、"処罰"によってではなくて"コントロール"によって支配される
ようになり、そこでは医者、犯罪学者、精神病医、ソーシャル・ワーカー、精神分析医、教師、
結婚カウンセラー、育児専門家、小児科医、保護司、少年裁判所判事といった職業人が、新た
な"社会復帰装置"として登場することを詳述している。
 近代ヨーロッパの国家は、新たに工業労働者層を形成する必要にせまられたが、こうした国
家目的にとって、ルンペン・プロレタリアートの結束、非嫡出、近親相姦、売春、性病の蔓延
はきわめて不都合であった。このような社会的矛盾に直面した国家にとって、その国家目的を
遂行するためには、上から旧体制的な強力た権威主義的国家を再建するか、あるいは下から社
会主義革命を行たうかの二者択一しかないようにみえたが、ラージによれば、ヨーロッパの近
代因家は、社会のあらゆる矛盾部分に"保護監督の装置"をしのびこませることによって、プ
ロレタリアートの潜勢力をまるめこむと同時に、強権的な家父長的権威主義国家への後退をも
回避し、"治療的国家"、つまり権威と強制による支配ではなく、後見と福祉による管理国家へ
の道をひらいたのである。
 この転換は、プロレタリアートにおいては"慈善救済"の形ですすめられるが、ブルジョワ
ジーにおいては、家族のなかに職業的権威が"侵入"するという形ですすめら牝た。たとえば、
それまで"民間"的領域に属していた妊娠、出産、さらには夫婦の性的問題に専門医が介入す
ることによって、夫婦の性関係は公的なものの制御下におかれる。また、子供をあつかう専門
的権威が確立され、その教育が学校にゆだねられることによって、裁判官や教師は子供に対し
てその親以上の権限を獲得する。こうしていまや、それまで家長を権威として成立していた家
族権力が公的なものに統合され、夫婦関係、親子関係は"近代化"される。この"平等主義的
家族"のなかでは、父親は権威を失うが、これは"父親なき社会"、より正確には"父親なき
国家"の形成と完全に連動しあっている。まさしく、父親なき家族は、父親なき国家を日々生
産するのであり、この再生産を通じて"社会的なもの"が国家H家族的なものにすりかえられ、
人々は知らぬ問に与えられた国家形態を支持させられてゆくのである。
 ところで、マルクスはまさしくこのような国家装置としての家族の機能を批判したが、二十
世紀後半の国家的支配の動向は、マルクスの批判を空無化しかねない方向にすら進んでいると
言えるかもしれない。というのは、今日、マス・メディアとサービス・システムの発達、消費
主義の浸透は、家族を国家的なものu社会的なものの"学習"の場としても、消費の単位とし
ても次第に"おくれた"ものにし、より直接的な国家装置(マス・コ、・・ユニケーシヨソ)と消
費単位(モナド的"個人")の形成に向かって進んでいるからである。
 ジャック・ドンゼロは、その刺激的な著『家族の取締り』(La Police Des Familles)のなか
で、ケインズが社会領域を市場規制のなかに統合し、アナーキーな自由主義経済と権威主義的
なセントラリズムを回避しようとした手口をおさえながら、「フロイト主義は、司法と医療の
領域を規制する柔軟なメカニズムを提供することによって、似たようだ操作を可能にしたと言
えるのではないか」と述べているが、実際、管理が"無意識"のレベルにまで及ぶ"治療的国
家"においては、精神分析が"国学"となるのであり、のみならず、フェリックス.ガタリが
言っているように。、精神分析が単なる理論ではたく−反動的にも革命的にも1社会的実践
にもなるのであり、精神分析のレベルが熾烈な変革の舞台にもなるのである。ガタリは次のよ
うに言っている。
 「無意識とその分析の問題は、精神分析に用いられる〕長椅子の関係、つまり精神病理学的関係
に限られるわけではない。この問題は、潜勢的なものの増殖と活動をさまたげるすべてのもの
にかかわっている。換言すれば、フロイトによって指摘された欲望の投資と超自我的な投資と
のあいだの対立は、精神図式や精神力学によって解除されるのではなくて、政 治によって、
微視的H政 治によって解除されるのである。分子革命は、次のようにたわむれはじめるのだ
 君がファシストか革命家であるならば、それはまず、君自身との関係、君の超自我のレベ
ルにおいてであり、身体や感覚への君の関係、君の夫や妻、子供、同僚との関係、正義や国家
たどを君自身のなかにはらむ君のやり方においてである。ここには不可分の連続性があるわけ
だ。」そして、それゆえに「政治活動を行なうことが、分析を企てることのシノニムにならな
ければならないし、その逆も同様だとわたしは思う。」(『リベラシォソ』、一九八○年6月28・29日号)
 ところで日本の場合、政治社会と市民社会の"分業体制"は、戦後、市民社会(民間権力と
家庭権力)を一方的に政治社会に従属させる旧天皇制国家が瓦解してから、やっと緒についた。
が、この"分業体制"が予定調和的・自動制御的に機能しはじめるのは一九七〇年代後半にな
ってからであり、それまでは、依然として、政治社会(イデオロギー)が市民社会を直接随従
させることで国家体制を維持してきた。安保闘争は、結果的に言って、政治社会が市民社会を
イデオロギー的に教導・強制する支配形態から、政治社会が"市民教育"を市民社会の手に
委託する"治療国家"の支配形態へ向かう最初の強引な"国民教育"であった。他方ではまた、
急速に発達した文化産業とマス・メディアによって市民社会のなかに着々と文化管理の有形、
無形のネットワークがはりめぐらされ、日本は、個々人がバラバラのまま大衆という単一にし
て全国的な集団性を構成する大衆社会への準備をととのえていった。
 池田勇人の時代(一九六〇〜六四年)には、国家の支配形態はまだ政治社会先導体制であった
ので、国家(政府)は生産力主義と大量消費主義のイデオロギーを文化機関や文化産業に注入
し、そのようなイデオロギーを注入された"傾向文化"(島津貴子、国産一号原子炉、日生劇場、
観光渡航の自由化、東海道新幹線、オリンピック東京大会等々)を市民社会に浸透させるとい
う形で"国民教育"を行なうほかはなかった。が、一九七〇年代に入るとこうした上からの"教
育"は次第に下からの−というより"迎合的"1教育にとってかわられる。学生を主体と
した七〇年代の闘争は、まさにこうした状況のなかで起こったのだが、それは実は、こうした
"抑圧的寛容"の状況によって許容されたのであり、"治療国家"へ向げて進もうとする国家体
制にとって最初の"貴重た"耐性実験の機能をはたしもした。
 このような時点において、土帰健郎『「甘え」の構造』(一九七一年)が出版され、ベストセラー
になったことは、まさに"時代状況がそれにふさわしい主体を生み出す"という言葉を思い起
こさせる。というのも、この本(およびそのヴァリェィションのすべて)は、"治療的"支配
をまさに"治療国家"の時代にふさわしいやり方で"理論化"し、また、それを読むこと白身
が、"治療国家"へ向げて市民社会を体制順応的に教育する文化装置として機能することにな
ったからである。著者白身言っているように、この本は、「日本の社会における種々の営みを
貫く一本の糸が甘えであることを示そう」としているわけだが、その論証の根拠は大部分、著
者の個人的体験や臨床体験にもとづいている。が、このことで本書を批判することは無意味だ
ろう。というのも、本書はまさにそうした"一面性"によって読者にアッピールするのであり、
それによってベストセラーになったのだからである。すなわち、読者は、特殊な体験的明証を
"言語学"的、"社会学"的、"哲学"的、"文明史"的明証にまで普遍化する著者の恐るべき思
考様式に同化できる場合にのみ、この"甘え"理論を承認し、この本に魅惑される仕組みにな
っているからである。本書は、読者に大なり小なりナルシシズム的読書姿勢を要求し、読者は
そうしたナルシシズム的読 書を通じて自分が"甘え人問"であるという精神的外傷を愛撫さ
れ、そういうやり方で増殖的に"廿え"を再生産するわけである。
 他方、ちょっと本書の論述をはなれて、"廿え"という現象それ自身を現象学的に考察して
みると"甘え"は、『「いき」の構造』の"いき"たどとはちがい、甘えるを直接指示している。
そしてそのノエマ.ノエシス的構造は、甘えるH竹やかすであり、甘える者と甘やかす者との
相互関係を指示している。ひるがえって『「甘え」の構造』のなかで著者は、かわか卦かにつ
いてはそれが日本人一般であることを明示しているものの、甘やかす主体については何ら立ち
入った検討を加えないことが注意をひく。が、甘える主体が、もし著者の主張するように日本
人一般であるとすれば、甘やかす主体とは、甘える主体を支配する権力以外の何ものでもない
はずだ。そしてその際、その支配の様式は、文字通り甘やかす支配すなわち寛容的、教育的、
治療的一つまりは文化操作を優先する1支配にほかたらないはずである。妄言すれば"甘
え"の社会は竹やかす支配を前提としてのみ可能であるのだから、"廿え"の概念によって杜
会を論理化(管理)しようとすることは、甘やかす支配を暗黙にあるいは公然と支持している
ことを暴露しているのである。
 今日、『「甘え」の構造』がどの程度読まれているかは不明だが、それが支配の文化装置とし
て有効な機能を果してきたことは、たとえば、「日本人は父親を発明し損なった文化である」
とする佐々木孝次・伊丹十三『快の打ち手の小槌』のような書物に『「甘え」の構造』の文化操
作的構造が確実にうげっがれ、それがすでに少なからぬ効果を発揮していることによってもわ
かるだろう。いずれにしても、こうした傾向は、国家が市民社会のなかに無数の"基地"をも
ちはじめたことを意味し、最近の清水幾太郎の発言のように、御用学者もあわてるほどの"国
家主義的"発言が市民社会から自動的に出てくるような状況にぴったり対応しているのである。





天皇制"文化装置の構造



1 戦後日本の資本主義は、一見ファシズム的経済体制をおもわせるような高い効率で独占資本
主義への再編成を成功裡にすすめてきた。浅田光輝によれば、ファシズムとは「危機における
独占資本主義国家の非常形態」の一つであり、同じ独占資本主義でもそれが機能する国家形態
の特殊性によって必ずしもファシズムの形態をとるとはかぎらない。それゆえ、ドィッの場合、
「中央集権政府にたいする近世以来の州都国家(テリトリウム)の分裂傾向がきわめて根強く残
って」いて、「ワイマール体制下の経済的な独占資本主義における集中化の傾向が必ずしも国家
の政治的た国民統合ないし権力の集中化という傾向と重たり合わなかった」ため、「暴力的な
独裁による国民の同質化、あるいは国家権力の集中の強行」を必要としたが、戦後の日本にお
いては、「大衆消費社会における国家独占による国民的な均質化の傾向」が成功裡に進められ
たため、そうした荒療治を行なわずして資本主義が"円滑"に機能しえた(『市民社会と国家』)。が、
それではなぜ「国家独占による国民的な均質化」がかくも円滑に進められたのであろうか?
 マーティン・ブロンフェンブレナーは、「不思議なことに、日本の企業経済で『近代的』な
いし『大企業的』な部分は、アメリカ経済よりも、さらには筆者の知るかぎり他のいかなる経
済よりも、ガルブレイス教授の描く新産業国家のイメージに近いのである」と言い、「白已の
成長に要する資金をまかなうため、世間一般との取引、あるいは系列会社や子会社(商業銀行、
投資銀行を含む)との有利な取引から生まれた社内留保の利益金を利用する、また自社製品に
対する民間および公共の需要を操作するため広告や推進活動を行ない、自社で生産しようと決
めたものをなんでも有利に売りづけることができる」等々の日本の大企業の生産システムの特
性をきわめて説得力をもって分析している(「日本のガルブレイス的経済」、平恒次訳、D・ベル、1・クリスト
ル編『今日の資本主義文化』二〇五〜二一二ベージ)が、日本の資本主義経済の"効率のよさ"は、その
生産システムの特殊性だげからは解明されえないだろう。国家や大企業が"国民の同質化"を
推進するためにっくり出す文化装置の機能とその特殊性に注目しなければならないのであり、
その単に意識的なレベルだげでたく、その無意識的な操作のレベルまで注意をはらわなげれぱ
ならない。実際、日本の高度経済成長は、企業の生産成長であっただけでなく、個人消費の爆
発的成長、大量消費社会の成長であったが、このようなことが可能であるためには、狭義の文
化装置一だとえば広告一を通じての企業側の意識的な操作だけでなく、いまや大衆文化そ
のものと化した広義の文化装置が連動的に機能し、生産成長を個人の無意識のレベルから推進
してきたのでたげれぱならないはずなのである。では、そのような無意識の文化装置は一体、
どのようた構造をもち、どのような射程で日本の大衆の生活を操作しているのか?
 このような問いを問うためには、経済が文化と交錯しあう消費の領域に焦点をあてざるをえ
ない。ところが、「経済学の歴史をふりかえってみて、生産、分配、交換などと比較して、個
人的消費が積極的にとり上げられたことはなかったし、その点では消費不在の経済学だったと
いっていい。A.ス、、・スやD.リカードの古典経済学もそうだし、J・S・ミルでも消極的な
取扱いだったし、K.マルクスの『資本論』でも、賃金論や再生産論の内部で個人的消費がと
りあげられているにすぎなかった。さらにA・マーシャル、J・M・ケインズの経済学でも、
有効需要の構成要素としては重視されていても、理論体系の内部に重要な地位をあたえられて
いたとは思われない」(「消費者主義と地域主義の経済思想」、『現代思想』、一九七七年3月号、二二ページ)と
大内秀明がいっているように、消費の問題を論究する場合、従来型の経済学をあてにすること
はできたいのであり、わずかに、ガルブレイスのある部分やアメリカのラディカル・エコノミ
ックス(ハーバート・ギソタス「消費者行動と主権概念」、青木昌編著『ラディカル・エコノミックス』)、イタリアの
フェルチオ・ローシーーランディ(Ferruccio Rossi-Landi:Sprache als Arbeit und als Markt,1972 Carl
Hanser Verlag)、フランスのジャン・ボードリヤール等のなかに、消費から出発して経済11文
化を根底的に解明しようとする志向と試みを見い出せるにすぎない。そういうわげでここでは、
消費の現象をそのきわめて表層的な部分から考えてゆかざるをえない。すなわち、日本の消費
者が消費に対して平均的にどのような姿勢をもっているかという点からである。
 "外人"の眼から日本の文化と経済を観察したジョージ・B・リングワルド『日本人たちの
「神話」』(石原栄夫訳)によると、日本の消費者の実状は、「無から有を生じた日本の"経済的奇
跡"という伽話」にもかかわらず、概ね次のようなものだと言う。
 「(一)日本の消費者は日本の産業を海外で競争できるようにするために、そして競争価格の
 外国製品が日本にはいってこないようにするために、高い価格で物を買っている。
 (ニ)日本の消費者は、まやかし商品を押しつげたり、品質保証やサービスの不足に対する
 不平にそっぽを向くような温室育ちの日本産業を保護するために金を払っている。
 (三)日本の消費者は、狭苦しい家、危険で、混雑した道路に耐え、下水、歩道、公園のような、
 生活を快適にするもののはなはだしい欠乏に耐え、信じられないほどの環境破壊と環境汚染
 に耐えている1それら破壊と汚染のすべてが、政治家や実業家たちがおごそかに"国家
 利益"であると公言したものに対して消費者が払わされる犠牲の一部である。(民衆でなくて、
 だれが国家であるのか。そして、だれのためかわからぬ国家利益ではなく、"民衆利益"
 が守られるようになるのはいっの日であろうか。)
 (四)日本の消費者は、消費団体によって"保護されて"いるが、これらの団体の努力は、
 よくいっても素朴で非効果的であり、悪くいえば道徳的に疑わしい。L(八○ぺ−ジ)
 リングワルドの指摘は、決して目新しいものではないにしても、鋭い部分を含んでいる。た
しかに日本の消費者はこのような矛盾を背負ったまま行動しがちだ。しかし、問題はこのよう
な矛盾を日本の消費者は決して知らないわげではないということ、日本の消費者はこのような
不条理をはじめから大なり小なり承知しだから消費行動をとっていることである。が、その
"自覚"は、消費者白身が自発的に1認識したものではなく、まさにリングワルドのような書物
から社会批判的な身ぶりのテレビ・ドラマの一シーンにいたるさまざまなマス・コミュニケイ
ションを通じてあらかじめ教化されたものなのである。すなわち、日本の消費者は、リングワ
ルドが指摘したような諾矛盾を背負わされているだげではなく、自分で現実を認識するまえに
既成の"批判"を与えられることによって、潜在する不満と批判を相殺されてしまい、白已の
矛盾した行為を"わかっちゃいるげどやめられねえ"的なものとして肯定してしまうようにさ
れているのである。 一例をあげよう。引用するのは、"ニューヨークから四年ぶりで里帰りし
た高校生の感想"と称するものである。
 「帰国した翌日、小学校時代の友人たちと落ち合って、原宿に行くことにしたんです。駅で
待っていて、久しぶりに顔を合わせた三人の旧友を見て、びっくりしてしまいました。みんな、
ヒザ下一〇センチぐらいの長めのワンピースを、申し合わせたように着込んでいるんです。し
かも、ドレスの色も、そろって大人びたシックな黒。人違いしたんじゃないかと思われるくら
い、めかし込んでいました。あっけにとられている私を見て、彼女たちは『アラ、だれでもこ
んな格好をしているのヨ』『別に不良ってわげじゃないんだから』と口々にいうのです。……
流行なら、自分に似合おうと似合うまいと、日本人は右へならえするんでしょうか。ニューヨ
ークの私のクラスメイトたちは、もっと自分の個性を大切にします。」(東京新聞、77年10月31日号)
 ここで問題にしたいのは、この感想の正否ではなく、このような感想がマス・メディアを通
じて報道されるときにそれが果す文化装置としての機能である。もとよりこの感想自体は、き
わめて適切であり、日本の消費者一般によくみかげる矛盾を指摘している。が、われわれはこ
れまで、日本人の外国旅行者・生活者の手記や見聞録からこのようなことを幾たびきかされて
きたことだろう。日本の消費者にとってこのような"批判"はいまではほとんど自明のことで
あり、わざわざ指摘されなくても暗黙に了解していることである。が、それにもかかわらず、
このような"批判"は日本人によって好んでマス・メディアに流され、また、日本人によって
好んで受けいれられている。つまり、このようた"日本人批判"は、マス・コミュニケ−ショ
ンのレベルではもはや本来の批判の機能を発揮してはおらず、むしろマゾヒズム的な自潮の回
略として、個々人が行ない感じている諾矛盾を誰でもが陥っているあたりまえのもの(セニフ・
ヴィ!)として、公共性のなかで解消してしまう機能をはたしているのである。実際、一九七三
年のトイレット・ペーパー買占め騒ぎにしても、一九七七年頃の女性問のブーツの流行にしても、
角川文庫のベストセラーにしても、それらの愚劣さを大なり小なり意識しなかった者などいな
いのであって、問題はそれらの愚劣さ白身ではなく、個々人にとっては愚劣と意識される消費
行動が、公的な白醐の回路を通過するとそうでないものにすりかわってしまうことだ。従って
これを、大最消費という明らかにそれ自体矛盾した行動を消費者にとらせようと欲する側から
いえば、このような白瑚の回路を文化装雌としてっねに整備し創出することが、根底的な批判
と変革から身をまもるために不可欠のこととなるわげである。では、このような文化装置の最
高形態とは何か? が、そのまえに、今日の消費の文化装置の一般構造と機能を瞥見しておこう。



2 言うまでもなく大量消費社会は、科学技術の飛躍的な発展による大最生産と、機械化と合理
化にともなって自由時間と任意所得を獲得した労働者が消教者の新たな一群を形成することに
よって足を踏み出したのだが、大豆里消費社会が確実な地歩を占めるためには、過剰生産や過少
消費に陥ることのない合理的な経営システムをもった資本主義体制が確立されなければならな
かった。アメリカの場合、マーケッティングの今日的な概念は、ラルフ・スター・バトラーや
アーチ.W.ショウらによって一九一〇年代後半には明確化されっっあったが、これが実際に経
営.宣伝活動の有力な技術として配備されるのは、アメリカ経済が大恐慌を絆駄し、競争資本
主義から独占資本主義体制へ完全に脱皮する過程においてであった。日本の場合、広告人会議
『広告を考える』(五四ページ)によると、「この言葉は昭和三〇年代のはじめに日本生産性木部が
アメリカから持ちかえって、さかんにふれまわったものであり、この三〇年代から、産業界は
イノベーション
技術革新.設備投資に熱中し、大量生産・大量消費を叫ぶようになった。この大量生産・大量
消費のための促進役としての大量宣伝が重視され、広告はこの一環として位置づけられ、作っ
たものを売るという従来の概念から売れるものを作るという考えの下に商品化計画が行なわれ、
これらを包括した概念としてマーケッティングという言葉が使われるようになった。」
 マーケッティングを導入することによって資本主義のシステムは、それまでは市場メカニズ
ムを通じて需要を蓋然的・一方的に決定していたのに対して、市場外の全く新たなメカニズム
すなわち組織された宣伝システムを通じて消費者白身の欲求をコントロールし、消費者の"自
発的"需要と、供給に対応する有効需要とを整合させ、原理的には、供給がそれ白身の需要を
作り出すところまで進む。こうして資本主義のシステムは、その機能を最高度に合理化してゆ
くわげだが、ここで重要なことは、それまで生産・分配・交換の経済的システムにとどまって
いた資本主義システムが、消費のレベルの完全な統合化をめざして社会・文化・歴史をとりこ
んだトータルなシステムとして普遍化・遍在化しようとするに至った点だ。とりわけ文化は、
それまで経済活動の埼外におかれていたが、いまや、このシステムの機能に不可欠の装置とし
て経済活動の射程に組み入れられるに至る。文化が文化装置となるのである。今日の産業が、
飲みたい・食べたい・眠りたいといった"実質的"欲求の充足をこえて、劇場やレストランに
出かけたり、本を読んだり、流行品や骨壷品を購入したり、絵を描いたり、スポーツをしたり
といったいわゆる"レジャー"の文化的欲求の充足をも消費活動のなかに算入することに成功
し、文化産業、レジャー産業が大量消費の主力になる傾向が生じてきたのもこのためだが、こ
のような大量消費社会ではもはや、消費者の"実質的"欲求というものは考えられず、すべて
の欲求が大なり小なり文化的な係数をもったものとなる。
 大量消費社会の商品は、たとえそれが単に"生物学的"欲求をみたすためだげに購買される
ものであっても、決して実質的な形で消費者に手わたされることはたく、それは必ず包装され
ている。しかもこの包装は、製品の輸送や貯蔵のコストダウン、大最生産や生産の合理化に伴
う製品の規格化、の目的をみたすだげでたくさらに一歩進んで、購買者には一つの媒介物を通
じてしか商品の実質に関与できないという点を利用して、製品を実質以上のものにみせ、消費
者の欲求を操作するための、"欲望の戦略"の手段として機能するようになる。ダニエル・J・
ブアスティンは、『アメリカ人  大量消費社会の生活と文化』(木原武一訳)の「バッキングか
らパッケージングヘー欲望の新戦略」という章のなかで次のように言っている。
 「すべての品物には  粛をみがく、髪をとかす、舌を楽しませる、などというように一そ
れぞれ違った目的があるのにたいして、すべてのバヅヶージには唯一の目的、つまり、売るこ
としかなかった。パッケージの中身が何であろうと、その目的が何であろうと、すべてのハッ
ケージは、この同一の目的に向けて作られた。そして、新しい販売方法はすべてのパッケージ
を他のあらゆるものと競争関係に置いた。
 とんだパッケージも、いかに中身を保護・保存できても、売れなければ、失敗である。した
がって、パッケージの重要にして、本質的で、また不可欠な特性は、気が向かない客、あるい
は無関心な買い手に買わせることであった。このような新しい視点から、色、大きさ、形、材
料、機能たどがすべてのパッヶ−ジについて逐一検査された。このパッケージは見込み客にい
ったいどんな印象を与えるだろうか、と。たとえば、パッケージにとって主要な大きさとは、
党かげの大きさのことであった。L(一五九〜ニハ○ページ)
 まさに、「パッケージから、商品を出してしまったら『味の素』と『地味』の区別はまった
くできなくなってしまう」と加納光(『パッケージ戦略一一〇ヵ条』)が言っているように、パッケー
ジニァザィンが大なり小なり商品に意味を与えることができるとすれば、言いかえれば、消費
を欠乏の経済学によってではなく、文化的欲求の演出法によって操作することができるとす
れぱ、このマークッティングーードラマトゥルギーにとって、消費者の文化的欲求の射程、文化
的動態のすべてをっかむ必要が生じるのは当然である。事実、マーケッティングは、へたな社
会学や文化人類学などおよびもっかぬ規模でそれをやってきたわげであり、マーケッティング
の理論書にも必ず文化をあつかった章が見い出せる。どれでもよいがたとえぱジェラルド・ザ
ルトマンの『行動科学とマーケティング』(廣瀬芳弘・来住元朝訳)には、「文化とマーケット・コ
ミュニケーション」たる章があり、その冒頭には、「新製品の伝播と受容についてのいかなる
分析も、文化から始めなければならない」(七べ−ジ)と書かれている。ザルトマソは、文化とは
「人びとの生活行為において彼らに役立つように彼らによって考えだされる一組の着想、態度、
習慣  もし人がそう呼びたいなら、『規則』一である」というA・L・グレーバーの文化人
類学的定義から出発し、サブカルチャーに注目する。
 「アメリカ合衆国の文化というような一つの文化のなかには、通常多くの副文化〔これは"サ
ブカルチャー"にあてられた訳語だが、この訳語の問題点に.っいてはのちにふれる〕が存在する。 一つ
の副文化は、それ自体の他ときわだって異なる行動様式をもつ一つの文化の一部分である。黒
人、生産財買付代理人、一〇代層、プロの運動家、大家族の主婦、ハリウッドの映画スターは、
ある意味において合衆国の文化のなかでの種々な副文化である。合衆国の文化は、それ自体西
欧文化の副文化である。かくして、大部分の文化は、より広い視野からみれば、副文化として
考えることができる。
 副文化は、マーケッティング・リサーチの関連分析単位である。それらは、ある特定製品の
限定しうる標的集団およびより大きな市場の細分化のための論理的単位を表わしている。L(七〜
八ぺージ)
 むろん、今日のマーケッティングはもっと高度化しており、文化的スタイルをこのような社
会的属性から判断する段階にとどまってはいない。すなわち、消費者の文化的欲求を年齢、性
別、職業、宗教、人種、生活圏、階級等でつかむ分類法から、より一層"キメの細かい"分類
法へ進んでいるのである。もとよりこれには、たとえばアメリカの社会学者ダニエル・ベルに
みられるような、今日の文化状況の認識に"正しく"対応した企業の敏感な姿勢がうかがえるρ
 「中産階級の上層部の家庭で、若者たちが、黒人や労働者の生活スタイルをとりいれること
を"自由"と考え、喜んでそういう暮らし方をしている例が実に,多い。だが一方、そういうこ
とをしない若者もまた多数いるのだ。子供の教育方法のパターンは、今まで長い問、階級の違
いを示す指標として認められてきた。だが、これもいまや、すっかり変わってしまって、今で
はどこでも同じになって」まった。
 これは結局、経済において"任意所得"の増大が社会に1もたらしたことが、文化においても
起こったということかもしれない。経済では、生活の必要を充たした後の所得の余裕("任意
所得")が大きくなると、種々の商品を買い、変わった生活態度(水泳ブール、ボート遊び、
旅行だと)をとるようにたる。同様に、高等教育が普及し、同時に寛容な社会的雰囲気が増大
したため、"任意の社会行動"とでもいうべきものが生み出された。すなわち、個人の生活態度
を決めるとき、既成の社会的バターンよりも、個人の経験がますます重要になってきた。個人
のパーソナリティの特徴や、からだっきや、両親との関係、友人とのつきあいの体験などが生
活行動をきめる大事なものとなってきた。L(林雄二郎訳、『資本主義の文化的矛盾』上、八七〜八八ぺージ)
 ここでも"新傾向"を先取りし論理化して体制に奉仕しているベルヘの批判はさておき、こ
のような文化状況に対応して、たとえば歯みがき会社は、従来は単一な種類しか売っていなか
った状態から、ライオン油脂の製品を例にとれば、ホワイト・エンド・ホワイト、ホワイトラ
イオン、エチケットライオン、テンターライオン、ザクトライオン、タバコライオン、エチケ
ット・アルファー、ラィオソ子供はみがき(イチゴ、オレンジ、バナナ)、スーパーライオン
油製、エチケット水ハミカキー(以上一九七八年現在)1といったように、いかなる文化スタイ
ルにも対応できる商品を開発するところまで進む。
 しかし、このような傾向は、"個人の尊重"や"主体性の重視"などとはいささかの関係もな
いのであって、マーケッティングが表むきにとっている"消費者は王様"という姿勢は、もと
もと戦略的なものにすぎない。そのデロス(究極目的)は利潤の追求と、現存するシステムの
恒久的な存続にあるわけであり、他面、アドルノが言ったように、もとより「文化的なものの
木質規定と、科学的悟性にほかならぬ管理の本質的合理性との問には難問がある」(三光長治・市
村仁訳、『ゾチォロギヵ』、一九べージ)ため、企業は文化の多様性に対して十全的に対応できるわけで
はないし、またそのっもりもない。マーヶツティソグの行きっくところは、文化を消費文化と
して均一的に管理化し、みせかけの"新しい"文化を創出して消費者の文化的欲求を画一化す
ることであり、それをハードな直接的暴力に訴えずに、最高度にソフトに行使することであるρ
たとえば、田中利見「カルチャー・マーケティングヘの一試論」(『アドバタイジング』、一九七七年
10月号)が行たっている"きわめて時宜にかなった"提案にみられる次のようなイヤらしいソフ
ト・ヴォイスのやりくちでもってである。
 「文化マーケティングの本質は、やはり長期戦略にあるといってよい。これまでのマーケテ
ィング戦略は、文化を所与の環境として想定してきた。しかし、文化は著名な女性政治学者ハ
ンナ・アレントの指摘するように、過去の記念碑を保護するという意味だけではなく、自然を
開発して人問の住み家にするという意味がある。(『文化の危機』八九ページ)人間の営みによって変
化させることができるのである。マーケティングは、まさに、人問の営みであり、自然−市場
を開発し、人問とそのっながりにおいて商品が住めるようにすることであると思う。文化要因
を所与とした時からマーケティングの堕落が始まる。しかしそれは、また、文化が自然に対し
てそうであるように、市場−文化を支配下に置くというよりも、愛情ある世話を意味するとい
うことだげはっげ加えておきたい。L(四四べージ、傍点引用者)
 ボードリヤール至言ったように、今日の独占は、生産手段の独占というよりも意味作用のコ
ードの独占という形をとるのであって、現実は、今回新たに改正された独占禁止法をのりこえ
てしまっているのだ。カルテルとは、根本的に言って、コードの協定にほかならないのであっ
て、たとえばサントリーが行なっている「サントリー世界の名酒頒布会」にみられるように、
現実には、自社の製品を他社の製品に対してきわだたせるよりも、ウィスキーの消費文化その
ものを育成することの方が、結局、企業利益につながることの了解、つまりは暗黙の文化カル
テルが進行しつつある。



3 マーケッティングが消費者の欲求や文化的スタイルを組織する最大の手段は広告である。広
告は、企業と消費者を媒介するメディアであるが、今日の広告ではその機能は伝達によりも効
果におかれている。ところで、広告自体は、それが映像であれ印刷物であれ音響であれ、一つ
のシニフィアン(意味するもの)であり、それによって意味されるもの(シニフィエ)は、こ
のシニフィアンがどのようなコードないしはコンテキストに従って組織されるかによって決重
る。すでにエイゼンシュテインは、映像にっいてではあるが、次のように言っていた。
 「これらの考察は、それぞれのショットはそれ白身のなかに単独の意味をもっかというよう
た非弁証法的な問題の提出の仕方を、全く斥る。ショットは決して、柔軟性のないアルファベ
ットではありえない。ショットはつねに、多様の意味をもっている表意文字〔つまりはシニフィ
アン〕でなければならない。そして、それが表示する特定の意味は、他のショットと並置され
てはじめてわれわれに判読できるものとなる。この点においても、ショットは表意文字と同じ
である。表意文字は、基本となる象形文字が、読み方なり、ちいさな意味なり1いいかえれ
ば、正しい解釈を指示する別な象形文字と、組合わされて(時には、相互の対立関係において)は
じめて、特殊な含蓄を得、意味〔シニフィエ〕を得、さらに特別な発音をすら獲得するのであ
る」。(佐々木能理男訳編、『映画の弁証法』、五五ページ)
 要するに、あるシニフィアンがもちうる意味ないしは効果は、そのシニフィアンがどのよう
な前後関係におかれるかによって決定されるわけだから、原理的には、意味の創出とは、ジニ

フィァンをどのようなコンテキストに位置づげるかの問題であり、意味の効果とは、そうした
コンテキストを読み手(ここでは広告の読者11観客としての消費者)にいかに習熟・了解させ
るかの問題となる。
 このような記号学的洞察もまた、今日のマーケッティングではほとんど自明のものとして取
入れられている。たとえば、サントリーのテレビCMに、サミー・ディヴィス此が登場するもの
がある。このCMフィルムから、商品名が指示されるショットをとり除くと、この映像の示し
うる意味は、多芸なエンターテイナーとしてのサミーが、これまで映画やテレビでみせてきた
ショーの一シーンとほとんど同質のものであり、それが直接"サントリー"に短絡するわけで
はない。が、実際には、このような一連のショットが、商品名を表示するショットやパッケージ
を示すショットなどとたくみに組み合わされることによって、全体の映像の意味は、エンター
テインメントではたく、広告作用となっている。要は、ショットをどのようなコンテキストに位
置づけるか、言いかえれば、ショットをどのようなコードに従って読ませるかであり、そうし
たコンテキスト、コードのとりかたによってそのショットは、広告的効果を発揮するのである。
 すでにナチスの宣伝相ゲッベルスは、宣伝の技法を反復にみていたが、テレビのCMにおい
て最たる広告の反復性は、このようなコンテキスト、コード、つまり読み方を視聴者に植えつ
けることを本来的な目的としている。従って、CMの成功とは、教化さるべきコードが視聴者
の日常的なコード、文化的コンテキストのなかに常住的に組みこまれることである。日本では
テレビのCMの技法として、一九六〇年代後半以降、いわゆる"タレントCM"が流行してお
り、前述の例もその一つだが、タレントCMで有名人やスターが起用されるのは、商品に権威
をもたせるためであるよりも、むしろある商品コードを日常的なコード総体のなかに組みこみ、
公共的なものにするためなのだ。というのも、大最消費社会の消費者は、王侯貴族ではなく大
衆であり、大衆の欲求構造(コード)は日常性の構造にほかならないからである。アンドレ・
ゴルツは、デヴィッド・リースマンに依拠しながら次のように言っている。
 「大量生産が消費を規格化してしまい、従って人間全体の基本的好みや欲求を規格化してし
まった。それでもなお、人気スターたちはかくかくの製品を使っていると宣伝しようとも、そ
れはスターたちが最高の者たちだからでも、彼らの好みに権威があるからでもなく、彼らに人
気があり、みんなから承認されているからであり、"あなたが認めているひとびとが認めてい
るものを、あなたは認めないわげにはいかないだろう"からである。従ってスターの好みはみ
んたの好みを集約したものとして呈示される。"蚊高"としてではなく、最も代表的なものと
して呈示されるのだ。」(権寧訳、『疎外の構造』、二二三〜二二四ページ)
 このようにしてコマーシャル・コードが既存のコード(日常性)のなかに組みこまれてゆき、
最後には、既存のコード総体つまりは文化をコマーシャル・コードによって埋めつくしてしま
う。そこでは人々は、タレントたちのしぐさと雰囲気で、ウイスキーやコーヒーをのみ、スー
ツやコートを着ることを標準的とみなし、複写を"ゼロックス"、月経を"アンネ"、チリ紙を
"グリネックス"、男性用がつらを"アデランス"と言うことをより普通のことと思うようにな
る。こうしていまや、文化的世界と広告的世界との境界線はあいまいになり、文化的行動とは
消費行動以外の何ものでもなくなるところまでゆく。
 マーケッティングにとって、これは実に好都合なことである。というのも、日常的行動を動
機付けるコードがコマーシャル・コードに接近すればするほど、消費者に対して購買を動機付
ける者(セールスマン、店員)は、不要になるからである。原理的に言って、消費者(購貰予
定者)が広告を通じてあるコードを習得している場合、このコードに従って意味(効果)作用
を起こすはずの商品  それはパッケージ・テザインされたシニフィアンである一1にこの消
費者が直面すると、彼または彼女はこの商品をきわめて身近なもの、それとかかわることによ
って自分をより公的に出来るもの、それとの出会いを待ちうげていたもの等々と感ぜざるをえ
ない。この消費者にとっていまや、商品を買うことは広告を見・読むことと記号学的に等価な
ものとなっているので、購買を新たに動機付ける者がいなくても(いない方がよりよく)商品
を"自発的"に  つまりあらかじめ植付けられたコードの声なき声に従って一手にとりあ
げるわげである。実際、これは決して原理的な可能性ではなく、すでに起こりつつある現実だ。
たとえば、アメリカで開発され、高度経済成長期に定着したスーパーマーケットのセルフサー
ヴィス.システム、これは今日、日本では、小さな食料品店でも競って導入されつつあるが、
このシステムの積極的な意味は、商店側の省力化や購買者の自主性の尊重などであるよりもむ
しろ、消費者をかくのごとき記号学的状況に誘導することにある。セルフサーヴィスの空間が
消費者に与える自発性は、いまや文化と化した広告環境のなかであらかじめ射程範囲をセット
された偽=自発性なのであり、消費者は、このような、ギャラリーにも似た夢遊空間のなかを
"自由"に、軽やかに遊行するのである。
 今日の文化が消費文化として均質化される傾向は、今日の大衆的ユーモアの質のなかにも現
われている。たとえば次のような例は、テレビのショウのなかではいくらでも見い出せるもの
だろう。
 「陳さんは四十五、六歳の小太りの紳士。丸い顔に愛嬬のある丸い目がクリクリしている。
亀家万年堂のナボナみたいなひとだ。」(横田順彌『宇宙ゴミ大戦争』、七八ぺージ、傍点引用者)
「『酒飲みますでしょ』『はいつ、ウィスキーを……』『なにっ! ウィスキーッ!』『ウィスキ
ーだと!』『ウイスキーかっ!』『ウイスキー』『ウイスキーやで?』『ウ、ウイスキーというの
はまずかったかな』『ヒソヒソヒソ、よし! せ一の、ばつ! どこのウィスキーたつ!』『チ
ャントリーウイスキー』『わ一っ!やった!』『やった、やった』『やった一っ』こうして私は
チャントリとチャントリーウイスキーを飲みながら一晩あかしたのだった。」(高信太郎『元禄大変
記』、一八四〜一八五ぺ−ジ)
 「アルバィトニュースを読んでいたらこういうのがあった〔求ムァルバイト若干名ーダス
キン多摩〕」(『ビックラゲーシヨソ選』、七ぺ−ジ)
 むろんこれらのギャグには、見方をかえれば、広告によって埋めつくされた今日の文化を異
化している側面がないわけではない。が、広告的コードに安易に依拠して作られるこの種のギ
ャグが飽の何ものにもましてユーモアの効果を発揮するという文化状況は、決して豊かな状況
ではあるまい。なぜなら、このユーモアの意味作用をささえているのは、視聴者や読者が主体
的に組織した文化的コード、コンテキストではなくて、どこにでもある出来合いの消費文化コ
−ドであるからだ。このような状況の極限においては、それまでどんなに上層文化が支配的で
あっても基底文化の担い手として存在していた民衆は、そのエネルギーを消費の欲求にすりか
えられ、バラバラで匿名の大衆に解体・再編成され、まさしく先のザルトマンの引用文で翻訳
者が"適切"な訳を与えていたように、基底文化は、消費文化に従属する副文化となりはてる。
ここにはもはや、上層文化と基底文化、ルカーチが言った意味での「旧文化」と「新文化」
(池田浩士編訳『ルカーチ初期著作集』第二巻、三重房、一一〜二八ぺ−ジ参照)とのあいだで闘われる歴史の
弁証法は存在せず、消費文化ののっぺりした永続のなかだげでめまぐるしくコードを変換して
いるにすぎないモードが歴史の別名となる。



4 ひるがえって、文化的コードの支配が今日の権力形態であることを承知している企業にとっ
て、日本文化ほどその基本コードを一挙に掌握し、文化装置へと組織しやすい文化はあるまいρ
というのも日本は、マス・メディアの高度な発達以前から、きわめて効率の高い決定的な文化
装置すなわち天皇制11文化装置による支配の歴史をもっているので、企業はそこからたやすく
消費コード、広告コード、マーケッティング・コードとしての新たな文化装置を構築すること
ができるからである。
 すでに藤田省三は、一九五四年に発表された一文のなかで、「アメリカニズムの流行は、そ
れが日常生活の回転を安易にし、また生活の便宜化をもたらすかぎり、平穏生活の一つの手法
として歓迎され、街や村における『天皇制』と日常生活におけるアメリカニズムとが相互に補
強しながら、社会の深部に。おいて結合している。この両者の結節点は戦前どことなることなく、
無数の小生活集団の長、つまりいわゆる『中問層第一類型』である。買弁天皇制の足場はここ
に定着する。」(『天皇制国家の支配原理』、未来社、一九五ぺ−ジ)と述べ、戦後の大量消費社会における
天皇制の新たた機能と、天皇制的文化と文化装置の不死鳥的性格を示唆していたが、まさに今
日の時点で天皇制を論じる際に必要なことは、明治から戦後の昭和にいたる天皇制を、たえざ
る構造変換を行ないながらも一貫して機能しつづけている文化と文化装置の最高形態としてと
らえなおすことではなかろうか。
 しかし、文化装置はそれ固有の文化のなかでそれ特有の機能を発揮するとはいえ、両者の関
係は決して必然的・決定的なものではなく、あくまでも作為的・二者択一的なものであり、日
本文化が天皇制以外の何ものでもないがゆえにその文化装置が必然的に天皇制的となったので
はなくて、日本文化の天皇制的側面が天皇制的文化装置として意図的に構築されたのであるこ
とはくりかえし銘記しておかねばならない。吉本隆明によれば、「すくなくとも現在の古典研
完の水準だげからいっても、わたしたちは〈日本人〉的という概念を、歴史的な〈天皇(制)〉
以前にさかのぼって成立させることができる」にもかかわらず、そしてしかも「わたしの当時
のく天皇のためVには、天皇個人の人格がどうであるかという問題はふくまれていなかった。
また天皇が現人神であるということを科学的に信じていたわげではない」にもかかわらず、わ
れわれは「日本人的であるということと天皇(制)にたいする感性とを同一のものとみなす」
錯覚を犯してきたのであり、「戦争期に頭から全身的にのめりこみ、その体験に挫礁し、それ
をひきはがすために悪戦してきた」のである(「天皇および天皇制について」、『国家の思想』、二七、五、三
七、三ぺージ)というが、まさしく天皇制とはこうした擬制を意図的に組織する装置以外の何も
のでもないとみなさないかぎり、天皇制批判はいささかの有効性ももちえまい。
 他面、松浦玲が「日本人の大多数は、戦争期に、吉本が考えたような意味で天皇を絶対感情
の対象とすることはなかった」(『日本人にとって天皇制とは何であったか』、辺境杜、一〇二ぺージ)と言っ
ているように、戦前の天皇制はつねに吉本が言っているほど"効率よく"機能していたわげで
はたく、今日の文化装置とくらべれぱその洗練さに一おいて劣り、それゆえにこそそれは、その
弱さを補強するためにテロルを行使した側面に留意しておく必要があるだろう。さもなければ、
戦前の異民族(とりわけ朝鮮人)支配において本来その民衆文化とは無関係の文化から勝手に
構築されたものである天皇制H文化装置を異民族に強制し、当然のことながらそれは文化装置
としては"円滑"た機能を発揮せず、非道た桐喝と暴力の単なる暴力装置と化していった側面
が見落されかねないからである。
 ところで、文化装置を提造するしかたは、民衆の公的た関係を規定しているコミュニケーシ
ョン回路を独占的に管理・統合することによって行なわれるわげだが、戦前の天皇制11文化装
置においてはそのコミュニケーションの回路が、家父長的な家族関係を範型とするそれであっ
たのに対し、戦後のそれは、いうまでもなく高度化したマス・コミュニケーションである。が、
重要なことは、文化装置の中核をしめるこうした戦前のコミュニケーション回路と戦後のそれ
とのあいだに本質的な共通性があり、前者は決して伝統的な家族制度と村落共同体の崩壊とと
もに消滅したわけではなく、後者によって継承され、拡充されたのだという点である。戦前の
天皇制11文化装置がマス・コミュニケーションの高度化以前の時代にありながら大規模な効果
を発揮したことと、戦後のマス・コミュニケーションが短期問にきわめて均質的なマス・コミ
ュニケーション回路を構築しえたこととは連関しあっているのである。ここでは、戦前の家族
関係的コミュニケーションと戦後のマス・コミュニケーションとのあいだにある本質的な共通
性を、試みに、"超越論的主観(性)"という本来は哲学の専門概念を発展的に使用して考えて
みよう。
 "超越論的主観"(旧帝大系の哲学者の習慣では"先験的主観")の哲学史的た意味については、
九鬼周造『西洋近世哲学史稿』下(特に四〇〜四四ぺ−ジ)の周到な説明にゆずるが、ドイツ観念
論の枢軸概念として知られるこの用語が含意していることは、決して哲学に  ましてドイツ
観念論に−とどまるものではなく、近代の知と文化の領域におよんでおり、近代史をこの概
念の変化史としてとらえることも不可能ではないほどだ。というのも、超越論的主観とは要す
るに、普遍性を統括するもののことであり、近代の知と文化を特徴づける最大の変化の一つは、
普遍性の根底的な変化であったからである。周知のように、デカルトに一おいて普遍性(ここで
は"真理性")を統括するのは"コギト"であるが、この"コギト"はまだ人問的主観(つまり
主体)としての具体性をとどめていた。が、カントにいたると普遍性の統括者は、"越超論的
主観"という含蓄ある命名にもかかわらず結局のところ、"匿名のX"として無規定なものと
なり、きわめて抽象的なものになってゆく。しかし、この変化は実は、主体に根ざしていた普
遍性がその主体を追放してオートマティックた論理の束と化し、そのような過程のなかで抽象
的真理を至上とする近代科学とその論理によって構築された物象化世界とを成立させる変化に
対応しているのであり、人問的理性からフランケンシュタイン的理性への変化を意味している。
 それゆえ、二十世紀になってやっとフッサールがその現象学的思考において、なぜ超越論的
主観が近代において無規定なものとなってしまったのか、普遍性というものがなぜ近代数学や
近代科学におけるような主体なき抽象的普遍性、数学的理性だけを意味するようになってしま
ったのかをラディカルに問いはじめたとき、ここでは哲学のみならず文化全般における近代の
超克の課題が一歩踏み出されたのだとみることができよう。フッサールによれば、越超論的主
観とは決して"匿名のX"などではなく、それは"生ける現在"のなかで存在する具体的な主
観、われわれ白身がそれであるような"相互主体的"主観であり、近代の知が至上としてきた
抽象的普遍性は、その思いこみとは逆に、われわれの身体性を拠点とする具体的普遍性から派
生じたもの、"生ける現在"のいわば澱みにすぎないのであって、近代は具体的普遍性と抽象
的普遍性との関係を倒錯し、前者を後者へ一義化、一炊元化してきたのである。フッサールの
生涯の仕事はもっぱら、身体性のレベルで超越論的主観性を救い出し、再1−人間化する作業に
向けられたが、それは単に知覚や行動の研究ではなく、物象化された文化を批判し、超克する
積極的な試みとしてもとらえられるであろう。
 さて、このようた試みを前提としてコミュニケーションの構造を"超越論的主観(性)"の
視点から記述すれば、コミュニケーションの基軸は超越論的主観であり、それによってわたし
と他者とのあいだに"われわれ"という普遍性が保たれる、と言うことができる。その際、一
対一のヴァーバル・コミュニケーションからマス・コ、・・ユニケーションのレベルにいたるにつ
れて、その普遍性が一義化、一次元化してゆくが、これは、コミュニケーションの普遍性を統
括する超越論的主概が、特定の具体的な主観から誰でもない不特定多数の"大衆"(マス)とい
う無規定た超越論的主観になってゆくこと、主言いかえることができる。
 ところで、問題は戦前の家族関係的コミュニケーションにおける超越論的主観(性)の特質
である。それははたして、今日のマス・コミュニケーションのそれに通じるような無規定的な
ものであろうか? 問題の超越論的主観が、具体的に誰かといえば、それは"家父長"である。
というのも、戦前の家族関係的コミュニケーションの"公"的性格を保証するのが家父長ない
しは家父長を範型とする何者かであるからである。むろん、"家父長"は一個の生ける具体的
人格である。だが、家父長的コミュニケーション回路の統括者としては決してその人格を代表
するのではなくて"世間"("世間様に中し訳がない"!)を代表するのであり、マス・コミュ
ニケーションにおける"公衆"や"公共性"が人格としては本来誰一人としてそれらを体現で
きないと同様に、程度の差はあれ、もともとみずからをもってみずからを代表しえぬもの、つ
まりは無規定た超越論的主観である。しかも、家族関係的コ、・・ユニケーションの方には今日で
も、こうした無規定な超越論的主観に依拠する特質が残っており、たとえば、ハリー・H・L・
キタノが次のように言っているようにこの特質を日常的に再生産しているのである。
 「アメリカのしつけ方で『お母さんを愛しているのだったら、言うことをききなさい』という
よりも日本の子供は、『あなたの務めだから、お母さんの言うことをききなさい』という方が
聞きいれやすい。おそらくは、このような早期の教育において非個人的な相互作用を強調する
ことが役立って、日本人は、アメリカ人よりも容易に官僚政治制度のようだ機構に入って行け
たのである。」(内崎以佐味訳『アメリカのなかの日本人』、二一八べージ)
 ここではこれ以上、日本的コミュニケーションの構造を超越論的主観の現われかたとして考
察する余裕はないが、高取正男(『神道の成立』、『日本的思考の原型』)も指摘しているように、家父長
制的天皇制が明治政府によるきわめて近代主義的な構築物であることを考えるとき、近代にお
いて"匿名のX"と化した超越論的主観をフッサールのように戸い人問化しようとするのでは
なく、それを"無"や"絶対者"の方に収敏させようとした西田幾多郎や田辺元の哲学が、必
然的に家父長制的・天皇制的文化を擁護し、さらに近代科学的論理の蚊屈と物象化的近代世界
の存続とを一その宗教的なよそおいにもかかわらず、石そのゆえに  補助してきた点を想
起するならば、超越論的主観(性)の観点から日本文化を論ずることが、単なる概念的操作や
思いっきではないことがわかるだろう。
 このように考えてくると、戦前の家族関係的コミュニケーションにおいて超越論的主観とし
てその最高位に位置していた"現人神"天皇が戦後の日本国憲法で「日本国の象徴であり日本
因民統合の象徴」であると規定しなおされたことは、"象徴"とはエドガール・モランの簡潔な
定義をかりて、「それ白身ではない何か他のもの、あるいはそれ以上のものを示唆したり、含意
したり、顕示したりするすべてのもの」と解せば、少なくともその超越論的主観としての機能
に関してはより純化されたことを意味し、国家的規模のコミュニケ−ション回路を統括する超
越論的主観としての十分な資格をととのえたことを意味する。とはいえ、一見すると、戦後の
マス.コ、ミュニケーションは天皇(制)からほとんど自由であり、あれほどマス・コミをさわ
がせた"ミツチー.ブーム"にしてもあれは所詮、マス・コミュニケーションが天皇家の一族
を単なる"出演者"として利用しているにすぎないかにみえる。そしてその限りでは、吉本隆
明が言うように「皇太子の結婚パレードに血道をあげようがあげまいが、そんなことは、大衆
のなかに天皇制的な発想が、どの程度のこっていて、日常社会や政治感を支配しているか、と
いう問題とはなんのかかわりもない」(「天皇制をどうみるか」、『吉本隆明全著作集』13、四六一べージ)か
にみえる。それに、マス.コ、・・ユニケーションを通じて民衆のまえに姿を表わす天皇白身は
"タレント"としての魅力はおろか人間としての魅力にも欠け、きわめて消極的な存在でしか
ないようにみえる。村上兵衛は言っている。
 「私の兄は供奉将校として、また宮城の守衛隊将校として頻繁に天皇に接する機会を持った
のだが、彼も天皇の印象を『木偶のようだ感じ』と率直に語っている。外国使臣の接見の時で
も、相手の手を握る瞬間はニコニコ表情が崩れるが、握手し終った途端に彼の表情は、能面の
無表情のなかに吸いこまれてしまう。外国使臣の接見の際にはこれこれこうせよ、と誰かに指
図されて、それを忠実に果している感じが、つねにつきまとうのである。人問の感情の交流な
どは、少くともその所作からは感ぜられない。このことは戦後のニュース映画などによって、
国民の前に広く明らかにされた。映画に天皇が現われると、きっと失笑が起るのは、そのため
であろう。」(天皇の戦争責任」、『中央公論』、一九五六年6月号、『国家の思想』、三〇一べージ)
 だがそれにもかかわらず、天皇のイメージは、ぶざまなアンチ・ヒーローとしてであれ戦後
三十数年のあいだにマス・コミュニケーションのなかにしっかりと再定着され、いまやく天
皇Hぶざまさ11潮笑vがごくあたりまえのこととして受けとられるほどに逆説的なポピュラリ
ティを回復した。実際、一九四五年八月十五日の"玉音放送"は  その当事者の意図、その
聴取者の直接的な印象はどうあれ1天皇をぶざまなアンチ・ヒーローとしてマス・コミュニ
ケーションに浸透させる発端をなすものであり、以後マス・コミュニケーションは、それを強
固なものにすることにますます加担してゆくのである。一九六〇年十一月に『中央公論』(十
二月号)に発表された深沢七郎『風流夢課』がまきおこした波紋は、いまだ天皇をアンチ.ヒー
ローとして受けとる傾向の地盤が軟弱であることを示したが、他面、われわれの日常的意識の
なかには天皇や天皇家の人々をここまで侮辱し潮笑することを欲する欲求が根強くあることを
範例的に示した。一九七〇年十一月の三島由紀夫の割腹自殺事件では、大衆がもはや天皇(制)
との関連では彼の死を深刻には受けとらず、潮笑されるアンチ・ヒーローとしての天皇がもっ
ている普遍性にくらべると忠誠の対象としての旧・天皇像は、もはや普遍性をもっていないこ
とを裏書きしたともいえる。一九七五年十月三十一日の天皇"世紀のテレビ出演"も、こうし
た"新しい"天皇像が着実に定着しつつあるという当事者側の自信と確信のうえに可能にたっ
た。そして一九七七年の今日、かかる傾向はますますひろまり、天皇を茶化した芝居の濫造を
批判して佐伯隆幸が、「ニムベラーのみが先験的に笑うべき商品であるという帝国主義文化の
『喜劇昭和の世界』は悲しい」(『日本読書新聞』、一九七七年u月21日号)と言っているように、社会批
判的身ぶりの演劇や文学、漫画において天皇は、潮笑とくすぐりの欲求をみたす格好の素材と
たっている。
 むろん、このような状況はわれわれが"天皇制の呪縛"から自由になったことを意味するど
ころか、むしろ天皇制文化と天皇制H文化装置の新たな呪縛のなかにより深く繋縛されたこと
を意味する。というのも、〈天皇1−ぶざまさH醐笑vをあたりまえのこととみなす傾向が生ず
ると、言いかえれぱく天皇1一ぶざまさ11潮笑vが日常的な文化コードと化すにいたると、文化
コードというものはその許容範囲のなかではその最初のモチーフとは無関係にいかようにも変
換されうるため、〈天皇11ぶざまさ11醐笑vという文化コードは、天皇とは無関係の意味作用
のなかでも機能しうるものとたり、あらゆる矛盾を吸収してしまう文化装置として機能するよ
うになるからである。高度資本主義のシステムはその本性上、公的なものをうさんくさいとす
ることがそのうさんくささの真の批判とはならずに、そのうさんくささの元凶に対する保安装
置の機能をはたしてしまうような屈折した文化装置を育成するが、天皇のぶざまさを醐笑する
笑いは、その存在を笑殺し、その矛盾を超克せしめる力をいささかももたず、矛盾の現実を弱
弱しく笑って済ませる白醐でしかないならぼ、この笑いが定着されたところからまさに本論の
「一」で示唆した自瑚の回路のような文化装置が構築されるのである。





ファミリーの解体と新しい支配様式



1 最近のアメリカ映画では家庭や家族の問題がよくとりあげられる。『クレィマー、クレィマ
i』、『シャイニソグ』、『普通の人々』などはまさにその適例だが、『ヤング.ゼネレーション』、
『ランニング』、『結婚ゲーム』、『ジャグラー・ニューヨーク25時』、『オール.サット.ジャズ』、
『第2章』、『レイジング・ブル』、『ジャズ.シンガー』のような作品でも親子、夫婦、離婚、
再婚といった問題が副次的以上のテーマになっている。こうしたテーマは、以前でも、大都会
を舞台にした映画では決してめずらしいものではなかった。が、最近の傾向は、中西部(『普通
の人々』の舞台はイリノイ州レイク・フォレスト)や辺境地帯(『シャイニソグ』はロッキー山脈の人里
はなれた避暑地)を含むアメリカ全土がそうしたテーマの舞台となっており、いわば家族問題は、
映画にみるかぎり、アメリカで最も普遍的なテーマになりつつある。
 とりわけ、ロバート・レッドフォード第一回監督作品『普通の人々』をみると、アメリカの
中西部に,も  アメリカの支配階級を形づくっているワスプ(WASPHホワイト.アンクロサク
ソン・プロテスタント)の牙城にも−ニューヨークあたりではもう慢性化しつつある"社会病"
がようやくはびこりはじめたことが実感される。
 ヴェトナム戦争の時代にアメリカの文化や社会がラディカルに変化したということは、今日
では通説になっている。しかし、アメリカ合衆因全体からすれば、そうした変化はごく一都の
出来事で、それが広大な合衆国のすみずみ、多様な社会層の全体に,まで浸透するには、それか
ら十年以上の月日を必要としたのである。なに1せアメリカ合衆国というところは、ニューヨー
クやロサンジェルス、サンフランシスコのようなところは別として、ジョン・ブアマソの『脱出』
に出てくるようたおそるべき辺境地帯がまだまだ残っているからである。が、七〇年代の後半
には、穴○年代に一部で湧出したカウンター・カルチャーや反体制運動の要素がアメリカ全土
に、そして保守的な中・上流階級のあいだにもじわじわと浸透しはじめ、アメリカ人の日常生
活には、かってのバカでかい車やパッパッと使い捨てるティッシュ.ペイパーやペイパー.タ
オルに象徴される消費主義にかわって、"スモール・イズ・ビューティフル"や"セイフ・エ
ナジー"(省エネではなくて節エネ)のあい言葉がゆきわたり、ニューヨークなどでは数年ま
えまではふんだんに使わせてくれた紙ナフキソを特にたのまなげれぼ出してくれないようなピ
ッツァ屋(ピッツァは日本のラーメンにひってきする)まで出てくるようになった。
 こうしたトラスティックた変化は、一面では、アメリカが"健全さ"をとりもどしたという
ことでもあるが、現実には、何事に老身のこなしの早いニューヨーカーだとは別として、大多
数のアメリカ人は、あらゆる部分で新旧交替が激烈に1進むこの過渡期のなかでとまどい、混乱
させられていると言った方がよいだろう。そこでは、ピルが発達したためにフリーなセックス
が一般化したものの、何のためにセックスするのかわからなくなるとか、信仰や伝統、民族性
をきずなとした人問関係がくずれ("ルーツさがし"は、そういうものがくずれたからこそ流
行した)、従来流の家庭やコミュニティが崩壊の危機に,ひんするとかいった社会現象が深刻な
問題どたり、とりわけ、夫婦、親子の問題が表面化してきた。また"夫婦"や"家庭"という
ものは本当に必要たものたのか、"セックス"や"結婚"は何も男と女のあいだだげに限られ
ず、男と男、女と女もセックスし、結婚してもよいのではないか、といった問題も深刻な社会
問題にたってきたのである。
 『普通の人々』は、 アメリカでは、予想以上にヒットし、レッドフォードはすでに監督とし
てのクレジットを獲得したようだが、それは映画の出来不出来以上に上述のような社会事情が
からんでいるはずである。映画自体は、ダーノルド・サザーランド、メリー・タイラー・ムー
アの達者な役どころをそろえ(息子役のティモシー・ハットンー故ジム・ハットソ二世−lI
も悪くない)、手がたい作品になっているが、アメリカのジャーナリズムがこの映画を実質以
上に高く評価し、ほとんど口をそろえて絶賛するのをみると、今日のアメリカ社会で何が一番
の関心事であるかがよくわかるような気がする。ちなみに、アメリカの新聞や雑誌のなかから、
ジャーナリズムの反応ぶりをいくつか引用してみよう。
『普通の人々』は、"寡黙な権威と激しい感受性をもって演出され、強烈な感動をよびお
こす映画"である。"このブリリアントに仕上げられた映画を感動に涙せずしてみること
はほとんど不可能だ。"(キャサリーン・キャロル、「ティリー二;ーズ」、80・9・19)
"これは、疑いなく、本年度の最高作に近いアメリカ映画であり、評価がどうあれ、この
家族と同じ苦悩を耐えしのんでいる者には深い感動を経験させるはずだ。"(アーチャー・ウィ
ンステン、「ニューヨーク・ポスト」、80・9・19)
"『普通の人々』は、最も上質のアメリカ映画を代表している。繊細な技巧と効果的な演
技に1よる重厚た作品である。"(ジムニワイト、「ザ.レコード」、80・9・19)
 たしかに、この映画には、アメリカに蔓延しつつある"社会病"から回復する方法が示され
てはいる。これまでのアメリカの中産階級の社会や家庭は、すべてキレィごとで維持されてき
た。性を抑圧し(そのために、一九五〇年代にはヘッディングが性風俗となる−つまりキレ
ィごとのセックスだ)、不満があって空言いたいことを言わずに自分をおさえることが"正常"
であるとみたされた。そんな抑圧社会に住む若者たちが精神的に1おかしくなっても不思議でな
い。ふだんはスポーツなどで解消されていても、何か事が起こるとこの抑圧はすぐさま表に出
てくる。『普通の人々』のコンラッド青年の場合、兄とヨットのりをしていて遭難し、兄を失
ったことがきっかげとなる。彼は、自分が兄を死たせたという自責の念をいだき、それが昂じ
て自殺をはかる。命をとりとめ、四ヵ月間精神病院で治療を受けたあともその自責の念は消え
ず、悪夢にうなされて目ざめることもある。
 アメリカ人は、気分が長くすぐれなかったり、精神的た悩みがあると  まるで歯医者にで
もかかるように−精神分析医をたずねるのだが、コンラッド青年も、父にすすめられて精神
分析医のクリニックを訪れる。この映画で一番ドラマティックなシーンは、コンラッドが精神
分析医のところで自分を発見してゆくプロセスだろう。バーガーというユダヤ人の分析医(ジ
ャド・ハーシュ好演)は、コンラッドがはじめてそのクリニックをたずねると、ステレオか何か
を修理していて、ひどくさえない感じなのだが、面接の回をかさねるごとに、この男がたかな
かのテクニッシャンであることがわかる。一見なげやりにみえる彼の素振りは、患者が自発的
に自分を発見するための挑発であった。そして、コンラッドは、彼のたくみた挑発にのせられ
て、"ファック・オフ!"という  それまで決して口にすることのなかった  露骨な言葉
を発し、それがきっかけとなって、それまで自分を抑圧していたものの一部が解除されるのを
経験する。
 考えてみると、アメリカのトラスティックな変化は、レニー・ブルースらが公衆の面前で
"ファック・ユー"や"ファヅキング・…:"("ウォ、ット・ファッキング・タイム・イズ・イッ
ト?"というふうに使う)を堂々とn一にするところからはじまったのだった。そしてその後の
趨勢は、もともと労働者や下層階級のものだったこれらの言いまわしが、中・上流階級の言葉
のなかにも浸入してゆくことになった。あらゆる意味で、キレイごとで済ませることはもはや
ナウではないのであり、そんなことに固執するベス(コンラッドの母親)のようだタイプは、こ
の時代から引退するしかないのである。その意味で、ベスが夫(サザーランド)に愛相心をっかさ
れて家を出ていったのは、いわば時代の趨勢だった。とすればベスの出ていった朝、庭で父と
子が途方に1くれたようにぽっねんとすわりこんでいる最終シーンも、今日のアメリカの中・上
流家庭の姿をスナップ・ショットしていると言えるかもしれない。旧時代は去りつつあるが、
新しいものはまだ来ないというわげだ。



2 こうした映画の世界がただちにアメリカ社会の現実だということにたらないのはいうまでも
ないが、少なくとも、家族問題が今日のアメリカで最も大きな関心事の一つになっていること
だけはたしかだ。また、伝統的な夫婦関係、親子関係がラディカルに変化しはじめていること
も事実で、賃料によると、アメリカ合衆国全体の離婚率は一九六二年ごろから徐々に増加して、
今日では離婚件数が一九六二年の二・五倍に達し、離婚をしたことのない男女の夫婦は全体の
十二バーセントにすぎなくなってしまった。また、結婚をしない男女の数も急激に増加してい
る。こうした傾向は、一面で、アメリカ社会の深刻な危機であるかにみえるが、理状ではそれ
が祉会や国家の脅威になっていないところをみると、これはもっと別の角度からとらえなおさ
れなければならないと思う。
 家庭は、たしかに、これまで個人と個人とを結びつける重要な絆であり、社会や国家の基礎
単位だった。しかし、"子供"や"死"のような−これまで"超歴史的"なものとみなされ
がちだった1概念が実際にはそれほど絶対的なものであったわけではない(フィリップ・アリュ
ス『アンシアン・レジームにおける子供と家族生活』1邦訳『子供の誕生』1や『死に直面した人間』参照)ように、
"家族"や"家庭"(以下両者を統合して"ファミリー"と呼ぶことにする)も、やはり歴史的
概念なのであって、ファミリーが存在しない社会もあったのであり、また今後もありえるので
ある。しかも、今日"ファミリー"と言う場合、近世ヨーロッパ流のブルジョワ.ファ、・・リー
がモデルにたっていることを思えば、それが変化・消滅する事態が出てきても、少しも不思議
なことではない。
 重要なことは、ファミリーが、社会の基礎単位であるかどうかということよりも、むしろ、
社会体制を維持・制御するための装置である点だ。ファミリーとは、その根本的な機能からす
ると、歴史上の支配体制に1よってっくられ、維持されてきた神話的装置であって、ファ、・・リー
は、西欧ではたとえばエディプス神話というような形で個々人を反近親和姦的・家父長制的な
一定のわくのなかにはめこむ機能をはたしてきたのである。のみならず、ファミリーは、また、
支配体制が個々人をわくにはめる際に個人に課す抑圧を解消させる場でもある。
 むろん、抑圧は支配の様式とともに変わるのだから、社会的抑圧の解消の場としてのファミ
リーの形式も、支配の形式の変化とともに変わってゆく。支配の様式が、何か権威主義的な強
力な人格によるものであるときには、ファミリーも、たとえば家父長制のような権威主義的な
ものとなる。アメリカでも、劣悪た条件の下で働いている労働者が、屈辱的な職場でうっ積さ
せた抑圧を、家で妻や家族に同様の屈辱や抑圧を与えることによって解消するというのは決し
てめずらしいことではなく、"虐待"は離婚原因として高い位置にランクされている。
 それに一対し、人格的な支配よりも匿名的な支配  つまり誰が支配者がわからないような支
配  が一般的となる今日の高度産業・官僚制社会では、抑圧は、いばり、強制する特定の上
司の権威主義的・直線的たタイプのものから、むしろ、コンピュータやハイ.テクノロジーの
機能の操作に忙殺される最中に、知らず知らずのうちに蓄積されるような  まさに誰が抑圧
しているのかわからないータィブのソフトで広範な抑圧へ移行する傾向がある。そのため、
職場での主人=奴隷劇を家でジャン・ジュネの『女中たち』のように倒錯的に再上演するやり
方では、とうてい複雑た抑圧を解消できなくたってくる。"ニュー・ファ、・・リー"の発想は、
まさにこうした状況のなかで出てくるわげで、そこではファミリーは、社会や職場から切りは
なされ、職場や仕事のことを完全に忘れることができるほど"祝祭的"に快楽を志向できるヘ
ドニズム的空間として構築しなおされるのである。
 しかしながら、ファミリーを職場や社会とは異質のヘドニズム的空間として再構築する機会
にめぐまれているのは限られた者だけであって、一般の人々にとっては、街の既存のレジャー
施設  とりわけ諾々の性的文化装置  の方がヘドニズム的には、はるかに効果的に抑圧を
"解消"(うやむやに)してくれるのが現実である。第一、抑圧は全般化し、かってのファ、・・リ
ーのように、夫が外で働き、妻は家事に専念し、子供は親の庇護の下で遊び学ぶ−といった
構図はなりたたなくなり、夫も妻も職場で、子供も学校(日本では塾がそれに加わる)でとも
に抑圧を蓄積して家に帰ってくるという状態が昂進するので、家庭を"祝祭的"空間にするな
どということは、逆に、会社で働く以上の労苦と抑圧を加重し一従って"祝祭空間"として
の家庭をもつことは特権階級の趣味となる1、実際には家庭は、抑圧を体いっぱいかかえた
家族同士がその欲求不満をぶっっげあうすさまじい修羅場になりかねない。
 かくして、今日の高度産業・官僚制社会においては、何らかの形でのファミリーばなれが不
可避的なものとなる。離婚もその一つだが、最近のアメリカで顕著になってきた傾向は、はじ
めから結婚=ファミリーという人問関係を拒否するライフ・スタイルだ。マーティンニァィヴ
イッドソン監督の『ニューヨークの恋人』には、そんなライフ.スタイルを体現している女性
(アゾ・アーチャー)が出てくる。彼女は、ベッドをともにした男がずっといっしょに暮したい
素ぶりをすると、わたしは自分をもっとためしたいし、自分の時間がほしいからそんなことは
できないときっぱり拒絶するのである。この映画は、ニューヨークをあっかいながら全然ニュ
ーヨーク的でない−従って彼女のそうしたライフ・スタイルもずく腰くだげにたる一のだ
が、このシーンだけは大変ニューヨーク的だった。というのも、家庭をもたず、バラバラに住
み、気がむいたときだげっかの間のパートナーシップを組む人たち一これらは"シングル"
と呼ばれる一は、ニューヨークでは大変一般的だからである。
 日本でもシングルは少しずっふえているが、日本におけるファ、・・リーばなれはアメリカより
も屈折した形をとっているようだ気がする。わたしはそれをファ、・・リーの官僚制化と呼び、そ
の象徴的な構図として、夫が居間で寝ころびながらテレビをみ、妻が寝室で友達と長電話にふ
げり、子供が自室でステレオをきく1といったテクノロジーを媒介とした分業的な家庭生活
  そこには、全体をとらえられない無力感と局地的な独占欲が支配している一1、そしてま
た、住宅ローンの長期的な支払いがその存続を保証しているようだファ、・・リーを想定したいと
思う。むろん、家族の生活が分業化した形態のファミリーはアメリカでもあったし、また現在
でもあるが、それは、文字通りの家族解体つまりシングルの郡への解消、の前段階にすぎない
のに対して、日本の官僚制的ファ、・・リーは一種の他律的集団性として、そのもともとの自律性
を"見事"に形骸化させたまま存続しつづげそうな気配なのである。



3 アメリカでファミリーばなれが率直た形で進んだ背景には、セラピー(精神療法)の普及と浸
透ということが一つあるだろう。アメリカでは一九四〇〜五〇年代を通じて、セラピーが人々
の日常生活のなかに浸透していったため、『結婚しない女』や『普通の人々』でもみられるよ
うに、悩みごとを相談する相手は日本のように一と言っても最近は少し事情が変わってきた
が1親や先輩や友人であるよりも、むしろ、セラピストである一というのが普通になって
いる。従って、個々人の内面は"社会化"されており、心の"うち"は必ずしも"うちわ"の
人々に開かれているわげではないのである。
 セラピーが制度化されている社会では、個々人の内面(およびそのうっ積)はファミリーや
準ファミリー(たとえば友人)に属する人々によってよりも、むしろその外部  究極的には
支配体制一に属するセラピストや準セラピスト(例えば教師)によってコントロールされる
わけだ。そのため、セラピーが効果的に機能するならば、ファミリーのようなものはなくても
支配体制は、それが不可避的に一生み出さざるをえたい抑圧の矛盾をうまく"解消"することが
できることにたる。だが、ブライァンニァ・パルマ監督の『殺しのドレス』でセラピスト(マ
ィヶル・ヶイソ)白身が殺人狂であるように、抑圧が全般化した今日の状況下では、もはやセラ
ピーも大した効果を発揮できなくなる。
 とはいえ、セラピーは、今日、それ白身を増殖させ、個々人がかかわるあらゆる社会的制度
をセラピー化していると空言える。たとえばマス・メディアだが、これはもともと、レジャー
を媒介し、個々人の抑圧を集団的に忘却させる点で一種の集団セラピーでもあった。今日のマ
ス・メディアは、送り手側の多様化(たとえばアメリカにおけるケーブルニァレビや無数のF
M局)と受け手側の個別化(たとえば"パーソナルニァレビ"やヘッド・フォーンの普及)を
推進することによって、いわば個々人が好きなときに"セラピー"(ただしここではレジャー
11白已忘却としての)を受けられる体制をっくりっっある。
 いずれにしても、こうしたージョェル・コヴェルがいみじくも"内面的なものの植民地
化"(『日本読書新聞』一九八一年2月9〜23日号参照)と呼んだ現象は、社会のあらゆる部分で進んでい
るのであり、この現象とファミリーの解体とは密接なつながりをもっているのである。





アド"ノの"越冬の戦略。



 今日の文化と社会の根本動向を考えるうえで、「アウシュヴィッツ以後の文化」を「廃物」
(く畠)とみなすテオドル・W・アドルノの見解は、依然、示唆に富んでいるように思われる。
アドルノは、『否定的弁証法』の有名なくだりのなかで次のように言っている。
 「アウシュヴィッツ以後のあらゆる文化は、そのさしせまった批判ともども、廃物である。文
化は、その辺境で抵抗なく生じたものに従って白已を回復するにつれて、潜在的にそうであっ
たイデオロギーに完全になりかわったのである。」
 この「廃物」という概念は、そのきわめて凝縮力の強いアフォリズム的表現のために、決し
て理解しやすくはたいが、ここですぐ思い出されるのは、ワルター・ベンヤミンがやはり文化
を"廃品"(彼はMullではなく、Abfalleという語を用いているので、さしあたり、前者を
"廃物"、後者を"廃品"と訳しておく)とみなしていることである。すなわち一この点につ
いては、わたしはすでに『主体の転換』所収の一文「廃品回収の技法」で空言及したがーベ
ンヤミンは文化をあつかう彼の方法を、「現実をもっとも目だたずに定着しているもののなか
に、いわば現実の廃品のなかに、歴史のイメージをしっかりとらえる試み」(一九三五年八月九目
付G.ショーレム宛『書簡2』、晶文杜)と呼んでいる。また、彼は、ジークフリート・クラカウアーの
『サラリーマン』に対する書評のなかでクラカウァーを「くず拾い、早朝の  すなわち革命
の夜明げ方の1くず拾い」(『選集』2)と評したことがある。
 こうした対応関係は、"廃物"、"廃品"という概念に対するアドルノとベンヤミンの相違を
吟味してみたい誘惑に導く。一見してわかることは、アドルノが"廃物"という概念をひじょ
うに否定的に使用しているのに対し、ベンヤ、・・ンは"廃品"という概念を肯定的に1便っている
点である。いわば、アドルノにとって"廃物"は現代文化の行ぎついた極であり、もはや"回
収"不能だが、ベンヤ、・・ンにとって"廃品"は"回収"可能であり、まさにそこから新たな文
化が生まれる、といった趣きがある。実際、ベンヤミンは、"機械的複製可能の時代における
芸術作品"の意味はその作品が置かれた社会・文化的コンテキストによって決定されることを
いたるところで論証している。同じ広告写真が、たとえばジョン・ハートフィールドのフォー
ト.モンタージュでは、ナチの支配階級のではたく、ナチに反対する諸勢力の社会・文化的利
害を代表する政治的意味をもつのである。それゆえベンヤミンは、「複製技術時代の芸術作品」
では、彼の直面するファシズム文化−政治を耽美化しようとする試み一に対して文化の
"共産主義的政治化"を対時させようとしたのだった。すなわち、均質的な大衆としての資本
集約的な集団性を労働者H民衆を担い手とする集団性へ転換することを構想したのだった。
 こうした選 択は、『主体の転換』でも検討したように、カフカ、ブレヒト、エイゼンシュ
テインなどのなかに見い出せるだけでなく、二〇世紀前半期のほとんどあらゆる理論的・実践
的試みの中核をなしているといっても過言ではない。そして、そうした試みの根底をなすのが、
回収されうる、それ自体としては中性的な廃品という思想なのである。
 しかしながら、アドルノが"廃物"と言うとき、このようた思想ははじめから拒否されてい
るようにみえる。というのも、アドルノは今日の状況を次のようにみているからである。
 「全体主義の政体にたっていなくても社会の統合は進んでいると見なければならない。社会
体制は反体制をも包み込んでその意識を一定の型にはめ込むところまで来ている。政治的には
ブルジョア.イデオロギーに反対する理論武装で身を固めたインテリたちも規格化の過程に組
み込まれており、彼らの方にも大勢に順応する気稚えがあるものだから、口先では正反対のこ
とを唱えながらも結局世上一般の精神と大差ない存在となり、その見解にしても、あまり根拠
のない好みや、自分に与えられたチャンスをどう見積るかでどうにでも変るような有りさまで、
行き当りぼったりの傾向が強まる一方である。彼らが主観的にーラジヵルだと思っていることも、
客観的には全体の枠組みの中でインテリ層のためにしっらえられた一部門と化しているような
あんばいで、ラジカリズムと称されるものが、当節のインテリが何について賛成し何に反対し
なげればならないかをほどよく弁えているという一種の資格証明、いわぼうわべだけの体裁の
ようたものに堕している。(……)
 文化の所産は、大勢順応型でないものも含め、おしなべて大資木の流通機構に組み込まれて
おり、世界中で一番進んだこの国〔アメリカ合衆圃一〕において、量産品の印のついていない産物
は、書物にせよ、映画にせよ、また音楽にせよ、まず一般大衆の手もとには川がないものと相
場が決っており、そのためにひとと違ったものを求めてもはじめから入手できたい仕組みにな
っているのである。こうした状態で、カフカの作品までが、また借りした書斎の備品と化して
いるOL(『ミ二・モラリア』、第二ニニ節)
 こうした状況は、支配的な勢力が反対勢力を併呑し、かつてベンヤミンが期待したような反
対勢力による"ヘゲモニー"の奪取の道が閉されていることを意味する。実際、アドルノは、
マックス.ホルクハイマーとの共著『啓蒙の弁証法』のなかでも、いまや「広告が芸術以外の
何ものでもなくなった。〔広告こそ〕芸術のための芸術、それ自身のための広告、社会的権力の
純粋表現である。『ライフ』や『フォーチュン』といったアメリカの最も影響力のある雑誌を
ちょっと覗いてみても、広告を編集部による写真や本文から区別することは、もうほとんど不
可能なのだ」、と言っているが、まさに言語的記号がすべて等価なもの、すなわちベンヤミン
的な意味での"廃品"となる状況へのいわぼ革命的選択として出現したはずの記号学が、今
日、その説明原理としての有効性を最もよく発揮するのは広告の分野においてであるという事
実が示唆しているように、科学技術的なコ、ミュニケーション技術、広告・宣伝技術が日常生活
のたかに深く浸入した時代には、"廃品回収"1すなわち記号を新たな社会・文化的コンテキ
ストに組みかえること一すらも、支配的勢力の平面上の出来事にすぎなくなってしまうので
ある。というのも、そもそも絶対的な意味で質的に"新たな社会・文化的コンテキスト"とい
うようなものが存在しにくくなってきたからである。アドルノは、ベンヤミンの「複製技術時
代の芸術作品」のテーゼとは反対に、近代の新しいテクノロジーの手段が、文化を集団的に新
たに、能動的に受容する可能性を与えるどころか、そこから帰結する資本主義的な都市化と文
化産業を通じて、伝統的な集団性のみならずそうした集団性や集団的記憶の基礎そのもの一
すたわち"歴史的次元" までも破壊してしまうと考える。いまや、かくあるべき"自発的
集団性"はますます不可能になり、それにかわって人工的な集団性が文化産業や管理体制によ
って組織されるのである。
 この点に関して、デイヴィッド・グロスの「文化と否定性−カーニヴァルの理論へのノー
ト」という一文(『テイロス』、第36号、一九七八年夏期号)はきわめて示唆に富んでいる。彼はこのな
かで、カーニヴァルの社会的機能の変遷をたどりながら、かっては大道芸人が「一種の自由に
浮遊する否定性1すなわち、手綱をっけることのできない、しかもそれにもかかわらず、あ
るいはひょっとしてまさにそのために、人々の想像力にアッピールした否定性であったために、
教会権力から神をおそれぬ不道徳なやからとして非難された」が、今日そのような否定性は消
滅しつつあることを指摘しているのだが、これは今日の文化状況全般にあてはまる。
 「カーニヴァルは、その前H工業的な環境のなかでは、現実的な否定〔拒絶〕のための潜勢力
をはらんでいたかもしれないが、二〇世紀のなかばまでに□アメリカでは〕単なる抽象的な否定
にたりはててしまった。……最近十年問には、カーニヴァルは、さらに、ニセの否定の段階に
まで達して、つまりは、いまやカーニヴァルはいかなる否定をも代弁しなくなった。」
 こうした変化は、近代のテクノロジーの産物であるテレビジョンの発達や浸透と無縁ではな
い。というのも、グロスによれば、かっての見世物とは「対照的に、今日のテレビ文化は、労
働からのくっろぎと気晴しを否定性なしに与える」からであり、「かって娯楽が共同的、公共
的であったのに対して、娯楽はいまや、きわめて私的なものになった」からである。
 このような状況のもとで、伝統的た集団性をそのまま回復しようとすることは、ニセの集団
性を揖造することなしには不可能である。といってこのことは、今日の状況下ではブルジョワ
的個人性こそ現実的である、などということを意味するわけではない。もはや、自律的に独立
した、自活するモナドとしての個人だと存在しないのであって、むしろ、バラバラの"個人"
の存在を容認するかのようにみえながらその実、ひじょうに機械的に組織された集団であると
いうのが、高度管理社会におけるわれわれの状況なのである。個人はいわば走る列車のなかの
客  室のようなものであり、客室内での管理された"自由"は許されているにしても、全体
としては一つの集団的原理に従っているわけであり、しかもその集団性はもはや人問的な集団
性(相互主体性)ではたくて機械的な集団性、サルトルの言う"集則性"である。
 ところでアドルノは、「個人がいっぱし社会的主体であり得たのは個人そのものにおげる種
種の媒介的要素の賜物だったので、そうした要素が解消するとともに個人自体も弱体化して粗
野になり、その挙句に社会の単なる客体に成り下るのだ」(『ミニマ・モラリァ』、第九七節)と君って
いるが、にもかかわらず彼は、この客体化が完遂されるとは考えない。たとえ文化がいかに物
象化され、管理がいかに昂進しようとも、いやしくも文化と管理は生ける主体あってのものだ
から、物象化からまぬがれた自発的な主体の要素が残されているわけである(「文化と管理」、『ゾチ
ォロギヵ』)。アドルノがその思考のなかで集団によりも個人に関心を示す趣きがあるとすれば、
それはまさに、「没落に瀕した個人」のなかにそのような自発的な主体的要素の痕跡を求めよ
うとするからであり、新たな"社会的個人"や"集団性"が生ずる可能性もそこから見い出せる
だろうと考えるからである。(それゆえ、この点において、たとえばアクセル.ホネットが
「彼〔アドルノ〕の批判理論はいかなる社会集団にも差し向けないし、また実践に翻訳可能な社
会化のモデルを提供しえない」と言っているのは浅薄だと言わねばたらない。)
 このことは、方法論的に言って、アドルノは、ベンヤミンの"微視学"を「没落に瀕した個
人」に適用したのだと言うことができる。ベンヤミンがディテールに執着したのは「ただ細部
においてのみ全体へ到る通路が期待される」(『ヴァルター・ベンヤミン』)からであったが、管理化
の力が個人の内奥にまで浸透する今日の状況下では、個人は社会から自律することは全く不可
能であり、社会全体の"ミクロコスモス"とたらざるをえたいので、そのかぎりにおいて一個
の個人が社会全体をうつし出すプリズムとなりえるのである。だが、このことは、逆に"個々
人の心かげ次第で全体の有り様も定まる"などということを意味するわけではない。アドルノ
は、「ハックスリーやヤスパースのような個人主義者」を批判して、「彼らは人問が寄り集まっ
て生活を営んでいるのが社会であると単純に考えている。だから、個々人の心がけ次第で全体
の有り様も定まると見ているわげで、個々人命、取り込んで奇形化するばかりでなく、かって個
人を個人として確立した人木主義の向うらまでくまたく浸透している一つの体制として社会を
見る視点を欠いている」(『ミニマ・モラリァ』、第九七節)と言っている。
 それゆえ、アドルノの思考をブルジョワ的個人主義の伝統に結びつけようとするアドルノ解
釈は全く無意味であり、あのユルゲン・ハバマスがアドルノを次のように批判しているのは、
ハバマスに対する失望感をいやましにする。
 「アドルノは、越冬の戦略(eine Strategie des Uberwinters)を遂行するが、あきらかにその
弱さは、その防御的な性格にある。興味ぶかいことに、アドルノのテーゼは、文学と音楽から
得られる事例によって立証されるのだが、それは、文学と音楽が孤独な読 書と瞑想的な傾聴、
すなわちブルジョワ的個人化への王道に導く受容技法、をしむける複製技術に依存しっづける
かぎりでしかない。ところが、建築、演劇、絵画、さらにはエレクトロニック・メディアに依
存する商業文学や商業音楽だと  集団的に受容される芸術には、単なる文化産業を越え出た
発展、一般化された世俗的啓蒙にかけるベンヤミンの期待をかえって裏づける発展がみられる
のである。」(「意識化する批判がそれとも救出する批判かーワルター・ベンヤミンの現代性」、ジークフリート・ウ
ソゼルト編『ワルター・ベンヤミンの現代性によせて』、一九七二年)
 これは、中年すぎてロック・コンサートに行ってみてすっかりロックにイカれてしまったス
ーザン・ソンタークにまさるともおとらない甘い現状認識であるだけではなく、一九三〇年代
から四〇年代にかけてのベンヤミンとアドルノとの理論的な連帯関係から積極的なものを見い
出しえぬ怠惰な思考ではなかろうか? アドルノは、ベンヤミンの思い出のなかで、「自負を
ぬきにしてそう言うことを許されるとするなら、われわれは共同で哲学するという烙印さえも
打たれていたのである」(『ヴァルターベンヤミン』)と言っているが、ベンヤミンもまた自分とア
ドルノとの連帯関係を十分意識しており、アドルノヘの手紙(一九三八年上万九日付)のなかで次
のように言っている。
 「ぼくはぼくの論文〔「複製技術時代の芸術作品」〕で、肯定的なモメントをはっきりさせることに
つとめたが、きみは否定的たモメントをはっきりさせることにっいて同じことをやっている。
だからぼくは、ぼくの論文の弱点をなしていたところに、きみの論文を見る。産業によって産
出された心理的類型をきみが分析し、その産出されかたを描出しているところは、まったくみ
ことだ。事象のこの側面に、ぼくとしてももっと注目を払っていたたら、ぼくの論文には歴史
的な立体性が、もっと加わっていたろう。L(野村・高木・山田訳、『書簡2』)
 いま、アドルノとベンヤ、、・ンとの柚互関係を前提し、そしてまた、"具体的ユートピア"に
執着し"遠大な真実内容を微視学的なディテールにおいて探求する"ベンヤミンの思考からア
ドルノが少なからず影響を受けたことを前提したうえで、アドルノが今日の状況をベンヤミン
よりもより鋭く洞察していると主張するとすれば、われわれは、ベンヤミンがその早すぎた死
によって決して経験することのできなかった後期産業社会の管理と文化の様相を、アドルノが
−とりわけそのアメリカ体験によって一体験しえた点を顧慮しなければなるまい。むろん、
いまでは"否定的弁証法"と総称することのできるアドルノの思考方法は、たとえば、ベンヤ
ミンがバリの路地を論じた草稿のなかで、くず拾いを"貧困の下限をなす限界人物"として定
義し、そこにある種の解放的積極性を認めようとしたのに対して、アドルノがそれでは「くず
拾いの資本主義的機能、すなわち乞食さえ交換価値に従属させる機能が明確にされていない」
(一九三八年十一月十目付ベソヤ、・・ソ宛の手紙、『ヴァルター・ベンヤミン』)と批判するときに、すでにはっき
りとあらわれている。だが、彼が、「個人や社会の暗い面でなく、明るい面について語るべきで
あるというのは、まさしくその筋に覚えのよい、羽振りの利くイデオロギーである」(「修正され
た精神分析」、『ゾチォロギヵ』)と断言するにいたるには一九四〇年代の彼のアメリカ体験を必要とし
たのである。以後アドルノは、ますます"否定的なモメントをはっきりさせること"、"個人や
社会の暗い面に−ついて語ること"に意を用いてゆくが、その際彼は、白已の方法を依然マルク
スの弁証法の発展形態のなかに位置づけようとしている点は重要だ。一九六六年に発表された
『否定的弁証法』の序文で、彼はその弁証法をあえて"否定的弁証法"と呼ぼざるをえたい理
由を次のように説明している。
 「否定的弁証法という言い方は、伝統を愚弄するものである。プラトンにおいて早くも、弁証
法は、否定の手段によって肯定的なものを実現することを意味した。そしてのちには、"否定
の否定"という思考様式がその簡潔た呼び名となった。本書は、弁証法の有限性を減ずること
なく弁証法をそのようた現状肯定的性格から解放しようとする。本書の逆説的た課題は、まさ
に弁証法の目的を表明するものだ。」
 アドルノにとって弁証法とは、要するに、人間的主体の本質をなす否定性を救い出す理論で
あり、従って、今日の状況下で要請される否定的弁証法の実践とは、そうした否定性を肯定性
として囲いこみ、骨抜にしようとする支配の諸力を、そうした諸力がそれ白身の存続のために
取り残しておかざるをえない極限的な否定性IIいわば主体性の最後の残りカスーにおいて、
それを最後のバリケードにして、異化する実践である。ベンヤ、ミンの"期待"も、アドルノの
この"越冬の戦略"に裏打されるのでなければ、この厳しい"冬"の状況のなかでは、つかの
問ひらめくことも不可能であろう。





横断的思考のための断章
 


 1 ニュー・レフトを越えて
 むろんジャーナリスティックな誇張にすぎぬとしても、一九六〇年代後半から七〇年代初頭
にかけての一時期が"三Mの時代"と呼ばれたことがあった。"三M"とは、マルクス、毛沢
東、マルクーゼの共通のイニシャルであることはいうまでもない。少なくともこの時期のアメ
リカ合衆国では、マルクーゼはニュー.レフトの理論的支柱であったし、ヴェトナム反戦運動、
諾々の反体制運動、解放闘争、左翼文化運動に直接、間接に与えた影響にははかりしれないも
のがある。理論的には、マルクーゼはヨーロッパのいわゆるへーゲリアン・マルクス主義(フ
ランクフルト学派、ブロッホ、ルカーチ、コルシュ、グラムシ等)、またフロイト、フッサー
ルの脱資本主義的含意を合衆国に導入し、一九三〇年代以降低迷状態にあった、というよりも
依然素朴な位置にとどまっていた合衆国の脱資本主義的な諸理論を急速にレベル.アップする
役割をはたした。
 が、"三Mの時代"から十年近い月日がたとうとしている今日、マルクーゼの名は合衆国で
も次第に人々の関心から消え失せつつある。これは、彼を参照し、彼を必要とした状況が一つ
の窒息状態に一陥っていること、また、理論的にはアメリカの脱資本主義的な理論が多様化し、
いわば群雄割拠の状態に1入りっっあることにもよるだろうが、マルクーゼ白身、一九七二年の
『反革命と叛乱』以降あまり多くの著作を発表していないことに一もよる。今回彼の客死(一九七
九年七月)が報じられるまで、近年、彼についてのニュースがジャーナリズムにとりあげられる
ことはほとんどなかったし、今回の報道にしても、マルクーゼが住んでいた西海岸から遠いニ
ューヨークでは、わずかに1"タイムズ"が人名中辞典風の記事をのせたにすぎたかった。
 しかし、マルクーゼは一九七二年以降、七十歳をこえる高齢にもかかわらず、ますます意気
軒昂であり、私生活では一九七七年に、弟子エリカ.シュローヴァと三度目の結婚をし、"三
M時代"に提起した諮問題を深化・発展させようとしていた。そのうちでも彼が最も力をいれ
たテーマは、『解放についての試論』(一九六九年)や『反革命と叛乱』でも論じられていた"新し
い感性"の問題で、それは一九七七年にドイツ語版(『十云術の永続性 確定的なマルクス主義美学に反し
て』)が、一九七八年に英語の増補改訂版が出た『美学的次元』にもはっきりとあらわれている。
 また、この時期に彼は、毎年ヨーロッパの各地で講演を行ない、国内でもサンディエゴ、ロ
ザンジエルス、サンフランシスコ、カンザスシティ、ポストンなどで多くの講演を行なった。
今回の訪独はマックス・プーランク研究所の招きに一よるもので、五月に1当地スタンベルクで講
演を行ない、最初の予定では、そのあと彼を招いたハバマスらとともにスペインに旅行し、マ
ドリッドでも講演を行なうはずであった。こうした講演の草稿はいまのところ未出版であるが
そのうち最も重要なものとみなされているのは、昨年四月六日にサンディエゴのカリフォルニ
ア大学で行なわれたアドルノ残後十周年追悼講演である。この講演でマルクーゼはアドルノの
"否定的弁証法"、つまり主体と客体の非同一性の弁証法の意義を検討した。晩年の弟子たちの
話では、近年の彼は、"ベンヤミンの『ドイツ悲劇の根源』とかアドルノの『否定的弁証法』と
かの、以前には全然理解できなかった本をよく読んでいる"ともらしていたそうだが、とりわ
けアドルノの"否定的弁証法"に対する彼の新たな関心は、晩年のアドルノのきわめて"ヘシ、、、
スティック"な見解を、資本主義が高度化した時代状況とその戦略に対する峻厳な白已批判と
して能動的にとらえかえし、脱資本主義的理論の新たなる再生を試みようとしたためであったρ’
マルクーゼは、"正統派"マルクス主義の理論に対しても、また、現存する社会主義の社会的
.文化的システムに対しても厳しい批判を加えてきた。そのため、彼はマルクス・レーニン主
義の立場からはマルクス主義者とはみなされず、たかだかボランタリスティックなアナーキズ
ムのイデオローグ、悪くゆけぼ結果的に"反共のイデオローグ"として資本主義体制の活性剤
の役割をはたす者とさえみたされることもあった。しかし、伝統的マルクス主義に対する彼の
批判は、今日の資本主義を決して甘くみないということから発しているのであり、マルクス主
義が資本主義をのり越えようとし、しかも資本主義が依然としてしたたかな自己再生を続けて
いるところでは「全世界的な独占資木主義に対抗する革命はプロレタリア革命以上のもの、そ
れとはちがったものである」はずであって、そこではマルクス主義はたえず批判的に再構築さ
れつづげなげれぼならないという考えから出ていたのである。
 すでに彼は、いたるところで、高度資本主義のシステムのしたたかさと、その支配と管理の
巧妙さを別扶してきたが、『反革命と叛乱』の末尾で、六〇年代のニュー・レフト運動の後退
を冷厳にみっめたがら、「次の革命は、数世代の関与するものとなるだろう。そして、"資本主
義の最期の危機"までにはほとんど一世紀を要するかもしれない」と書いた。だがこのような
慎重さは、決して実践を永久に一ひきのばすためのはったりではなく、資本主義をみくびらない
一方、革命というものを可能なかぎり根源的に、ラディカルに受けとらなげればならないとい
うことにほかならない。実践的レベルでは、七〇年代に入って独占資本主義の再編成と反革命
の制度化がいよいよ徹底し、六〇年代に燃えあがったアメリカのすべての解放運動が全国的レ
ベルの連係を失い、また労働運動、女性、黒人、チカーノ、ゲイなどの解放闘争が相互の連関
を失って孤立的に闘われる傾向が強まってきたことをマルクーゼは最も懸念し、弟子たちによ
ると、アメリカのレフトは、さまざまだ地域のさまざまた解放運動を連合する全国的なネット
ワークを構築することを七〇年代の政治課題にすべきであると考えていた。その意味では彼は、
これまで考えられてきたほど"党"というものに対して全く拒否的な態度をもっていたわげで
はなく、全体主義と権威主義をのり越えた新しい集団性にもとづく全国的なネットワークとし
ての"党"の構想をもっていたという。
 マルクーゼがこの十年問に最も精力をそそいできたテーマは"新しい感性"の閉魍であるが、
これは同時に、解放を求める個々人を新しい集団性へ向かって媒介する文化の問題でもある。
彼はすでに,『反革命と叛乱』で次のように書いていた。「まさしく、いかなる質的な社会変革
も、いかなる社会主義も、新しい合理性と感性とがともどもに個人そのもののなかに出現する
のでなければ不可能である。」が、このことは、個々人がそれぞれの"自発的"な欲求のおも
むくままにドロップ.アウトするとか、個々人が"独自"のライフ・スタイルを生きるという
ようなこととは無関係である。問題は社会に対置された"ブルジョワ的個人"を止揚し、真の
"社会的個人"をつくり出すことである。だが、それはいかなる場において、何をモデルとし
てなされるのであろうか? むろんその場は、解放を求める個々人の具体的な生活と闘争のな
かに求められるしかないが、そのモデルは、マルクーゼにとっては、芸術的実践のなかに理想
的な姿で見い出すことができると考えられた。なぜならば、「芸術は世界を変えることはでき
ないが、それは、世界を変えようとすれぼできる男や女たちの意識と推進力を変革する一助と
たりうる」(『美学的次元』)とマルクーゼが考えるからである。
 とはいえ、ここでマルクーゼは伝統的なマルクス主義美学が考えたように、"労働者階級"
や"革命"のために創造された"革命芸術"のみがこのようなモデルを提供できるとは考えて
いないのであって、『美学的次元』ではむしろ次のように言っている。「芸術の政治的潜勢力は、
芸術白身の美学的次元のなかにしか存続しない。芸術と実践との関係は、無情なほど間接的で
あり、媒介を受けており、障害をはらんでいる。芸術作品は、それが直接政治的であればある
ほど、ますます異化の力を弱め、変革のラディカルで超越的な諾目標を格下げてしまう。この
意味では、ブレヒトの教育劇よりもボードレールやランボーの詩の方がより破壊的な潜勢力が
あるのかもしれない。」(7ページ)

 要するに一、マルクーゼは芸術の革命性を、「芸術がつねに不自由の痕跡を残しており、不自
由と敵対しながら芸術がその自律性を達成する」弁証法のなかにみ、こうした解放の弁証法の
なかに、あらゆる解放闘争の原初的モデル、「未来の自由な社会のイメージと価値」を発見で
きると考えた。そしてそのようなモデル、つまりは"具体的普遍性"を個々人がみずから経験
し、同時にその経験を他者と共有できる真に"破壊的な対抗文化"の場は、この資本主義シス
テムのなかでも見い出せるはずだし、革命が放棄されるのではないかぎり、見い出せるのでな
げれぼならないと考えていた。こうしたオプティ、・・ズムは、マルクーゼが最後まで失わなかっ
たものであり、少なくともこのオプティ、・・ズムだけは、今後も彼の読者を熱く挑発しっづげる
であろう。



2"破壊的"対抗文化の終わリ
 アメリヵを形容するのに好んで用いられる日本語表現に"人種のルツボ"という言い方があ
る。おそらく、"ザ.メルティング.ポット・オブ・レイシィズ"の直訳と思われるこの表現
は、今日のアメリカでは、もはや歴史的な用法として以外には有効性をもたない。というのも、
この言いまわしは、かつて合衆国が世界中から来た移民を融合して"新しい単一のアメリカ
人"をつくろうともくろんでいた時代のものであって、今日では、そうした政策はあきらかに
過去のものとなっているからである。いうまでもなく、"メルティング・ポット"とは、異る
物質を高温で溶かして融合させる容器のことであって、その形容の力点は、あくまで、融合に
おかれているが、日本語で"人種のルツボ"と言う場合には、雑多たものがいりまじっている
その多様性の方に力点がおかれており、それは"ルツボ"というよりもむしろ"ナベ"に近い。
 ところで、アメリカの社会と文化を論じる場合、"人種"という歴史的不可避性をともなっ
た概念を使うことは、あまり有効ではないように思われる。たしかに、表面的にみれば"人種
的な多様性や対立"は続いており、最近もアンドリュー・ヤングがユダヤ系の組織の圧力で国
連大使を辞任し、ユダヤ人と黒人とのあいだのかねてからの対立が激化している、ととりざた
されている。しかし、もう少し現実を直視するたらば、アメリカの社会と文化における"人種
的た多様性や対立"は、人種というような決定的た要因にもとづくものであるよりも、むしろ
今日のアメリカの支配的なシステムの現在的なレベルでの政治的・経済的利害の"多様性と対
立"にもとづいており、たとえば先のユダヤ人と黒人との"対立"にしても第三世界をめぐる
多国籍企業間の利害の"多様性と対立"の一つの現われであって、その要因は、"民族の伝統"
のなかにではなく、その外部つまり支配のシステムのなかにあるのである。
 が、ここで思い出されるのは、"新保守主義"のイデオローグ、ネイサン・グレイザーとダ
ニエル・P・モィニハンがやった"人種"概念のたくみたすりかえである。彼らは、著名にな
った『メルティング・ポットをこえて』(一九六一二年)の再版(一九七〇年)に付した長文の序文のな
かで、"エスニシティ"とは人種の概念ではなく、文化の概念だと説いたのち、たとえば、子
供たちの安全を心配して白人の親が子供を里州人の多い学校にやるのをいやがる場合、あるいは
逆に、黒人の親が白人の多い学校に子供をやりたがらない場合、これらを"人種差別"として
とらえるべきではたく、むしろ、具体的現実に根ざした心配から発する問題としてとらえ、解
決すべきであると示唆している。また、「住人が街の性格とその諸機関を変えたがらたい場合、
われわれはこれをまじめにうけとるのか、それとも、またしても人種差別だとわめくだろう
か」、と言い、人種差別の現実をたくみにすりかえる。
 だが、アメリカのように、"人種"という概念自体が人工的・他律的とたりつつあるところ
では、"人種差別"で問題なのは人種を差別することであるよりも、むしろ、もはや実体性を
失いかけている差異に固執し、自己を特権的な位置におこうとするセクタリァニズムである。
それは、エスニシティを人種性から文化性におきかえ、人種差別を文化の差異の個人的た選択
の問題にすりかえたところで同じことで、むしろそれは、"差別"をより洗練された形で遂行
することになるのである。
 こうした状況下では、エスニシティを否定的媒介にして真に破壊的な対抗文化や対抗社会機
関をつくることは、もはや不可能になってくる。この点に一関して、『ニュー・ジャーマン.ク
リティック』の共同編集主幹ジャック・ザイペスは、最近会ってこの問題を論じた際、彼が児
童演劇の理論的・実践的活動を通じて経験したアメリカとヨーロッパの子供、親子関係、コ、・・
ユニティ等の特質の相違を比較しだから、その相違を伝統の問題に帰着させた。ザイベスによ
れば、ヨーロッパの社会と文化は、概ね、どの小単位をとってもそれぞれが依然強固な伝統の
支配下にあり、このことによってヨーロッパの社会と文化は、その構成単位のあいだに根の深
い多様な差異の存在を許しており、そのため、自己の属する地方的な文化的・社会的単位を固
執することが、依然、社会と文化の全体的な均質化、合理化に対抗する戦略になりうる。これ
に対して、アメリカの社会と文化の伝統は、まさに伝統の忘却であり、伝統を忘却し、不間に
付すということがアメリカのアイデンティティになっているため、もともとは移民やモビリゼ
イションによって生じた多様性も、例外的なエスニック・グループの狭い世界内以外では、ご
く表層的なものにとどまるほかはないという。それゆえザイペスは、アメリカではもはや、従
来のような"対抗文化"としての政治演劇の可能性はますます狭ぼまっており、かって政治演
劇がになっていた対抗的文化装置としての機能は、いまや、ブロードウェイの商業大演劇のな
かの否定的含意を"反面教師"として能動的に利用することによって代替されるしかないとこ
ろまできている、と考える。いずれにしても、アメリカの状況は、支配システムと有機的な対
立関係に立つことができるということを想定した"対抗−"という概念そのものが再検討さ
れたげればならないところにきているようだ。



3 差別のポリティックス


 いま、合衆国のアジア系アメリカ人によって最も持続的に闘われている闘争の一つにチョ
ル・スー・リー擁護闘争がある。チョル・スー・リーの事件についてはすでに1『日本読書新聞』
(安田修「アメリカ合衆国の民族運動」④、一九七九年5月7日号)で簡単に紹介されたことがあるが、この
闘争はとりわけ、日本の帝国主義的支配のもとで他民族との連帯に深い不信感をきざみこまれ、
とかく閉鎖的な傾向をもっとされてきた韓国人コ、・・ユニティ(この十数年のあいだに急速に発達
した、韓国からの新移民を中心とするコミュニティ) のたかにはじめて大規模な形でめぼえた連帯
的運動である点できわめて頂要である。
 チョル・スー・リー擁護闘争の発端は、一九七三年にサンフランシスコのチャイナタウンで
起こった殺人事件の容疑者として韓国人移民の一青年チョル・スー・リーが逮捕されたことに
さかのぽる。この逮捕は、いかなる物証にもとづくものでもなく、目撃者の不確実な延言にも
とづいて行なわれたのだった。殺された被害者がヤクザ・グルーブに関係していたこともあっ
て、多数の人々がこの殺人を目撃しているにもかかわらず、莚言を申し出た目撃者はたった五
人の観光客で、その莚言はたがいに1くいちがっており、十六歳のときに撮られたチョル・スー
の顔写真を警察で選び出した証人はたったの一人だけであった。その後あらわれたもう一人の
証人を含めて行なわれた"面通し"でも、リーを含めてならぼせられた六人のアジア人のなか
からリーを犯人として選んだのは三人の証人であり、二人は別の男を選び、一人の証人は、リ
ーが犯人では絶対ありえないと断言した。にもかかわらず、一九七四年六月三日からサクラメ
ントで開かれた裁判では、チョル・スーは、第一級殺人の罪で終身刑を宣告された。しかも、
この裁判では、"面通し"でチョル・スーを犯人とはみたさたかった三人の証人は一人も召喚
されなかったのである。
 おそらく、そのままゆけば、チョル・スー・リーは、アメリカ合衆国の社会的底辺に住む少
数者が警察権力のもとでこうむってきた典型的な運命の道をたどったことだろう。事実、その
後の彼は、カリフォルニアで最も凶暴な刑務所の一つといわれているデュール職業訓練刑務所
で"態度、行動ともに優秀"の評価を受けながら、模範囚として服役するしかなすすべがなか
った。しかし、その問に第二の事件が起きる。
 一九七七年十月八日、刑務所の庭でチェスをしていたチョル・スーに一人の若い囚人が隠し
もったナイフをひきぬいておそいかかり乱闘のあげく、逆にチョル・スーによって殺されると
いう事件が起きた。この事件は、新聞にも大きく報道され、世間の関心をよびおこし、とりわ
けサンフランシスコの韓国人コミュニティのあいだにチョル・スーの一連の事件と彼の現状に
対する同情と関心がわきおこり、一九七八年初頭には、学生コミュニティの若い活動家、教会
関係者、職業人などによって最初のチョル・スー・リー擁護委員会がサクラメントに結成され
た。この運動はやがて、短期問に、アメリカ全土の韓国人コミュニティ、さらには同じような
条件下にある貧しい少数者のコミュニティのさまざまな活動組織と連帯しながらデモンストレ
イション、抗議集会、コンサート、弁護団の組織、新たな各地委員会の結成へと拡大していった。
現在、ベイ・エリア、サクラメント、ロサンジェルス、サン・ジョゼ、シアトル、ソルト・レ
イク・シティ、オマハ、フィラデルフィア、シカゴ、アトランタ、ホノルル、そしてニューヨ
ークに委員会があり、持続的た活動を行なっている。
 一九七九年に入ってチョル・スー・リー擁護委員会はチョル.スー.リーに対する"人身保
護令"をとりつけることに成功し、最初の事件に関する再審理の道がひらげた。しかし、その
一方では、権力の抑圧はチョル・スーのうえに重くのしかかろうとしていた。はじめ、最初の
事件が完全に一解決されるまで延期されることになっていた第二の事件の裁判が突如開始され、
三月には死刑の宣告が出ることになったのである。この意外な処理は、あきらかに、合衆国全
土にもりあがりっっあったチョル・スー・リー擁護運動に・対する対抗処置であり、さらに、貧
民、少数民族、新移民への人種差別と抑圧を告発した大衆運動の影響力に対する権力側の恐怖
を反映しているといえる。というのも、この運動は、これまで行なわれてきた少数民族の闘争
から一歩ぬきん出たものをもっているからである。
 チョル・スー・リー擁護運動の最大の意義は、それが主としてアジア系アメリカ人によって
行なわれているにもかかわらず、同じアジア人同士といったナショナリズム的なアイデンティ
ティに1よりかかって行なわれているものではなく、少数者であるがゆえに1、新しい移民である
がゆえに、そして貧しく無力であるがゆえに一抑圧されているという事実に対する政治的なアイ
デンティティに一もとづいて異なる民族的背景をもつ少数者たちが連帯し、闘いを進めている点
である。
 いうまでもなく、その構造をしたたかに変化させてきたアメリカ資本主義のシステムのなか
では、もはや、宗教的、カースト的、半固定的な差別よりも、流動的、暫定的、経済的差別の
方が強力で、人々は黒人であるがゆえに、スペイン系であるがゆえに1、アジア系であるがゆえ
に差別されるのではなく、貧しく少数者であり、経済的に無力であるがゆえに差別されている
のである。そしてアメリカの支配体制は、こうした差別をたくみに利用しながら、体制白身の
もつ矛盾をおおいかくしているわげである。そのかぎりにおいて、アメリカ合衆国のスラムに
は、幾千人、幾万人のチョル・スー・リーがおり、経済的なゲットーのなかで非人問的な状況
のなかにおかれているのである。彼らがこのようなゲットーからのがれる道は、一時的には暴
力やヴァンダリズムであり、恒久的には、苦学するとか猛烈に働くとかいった自力(個人主義
的た形態の努力)で他人を出しぬいて貧しさから脱出し、エリートや金持にのしあがるという
方法である。が、貧しい少数者がバラバラに一勝手に上昇志向をするかぎり、貧しい少数者同士
の大きな連帯はますます不可能にたってくることは当然であり、もともと少数者の利害を決し
て代弁しえぬ資本主義システムにとって、このようた傾向はねがってもないものとなる。それ
ゆえ、支配体制としては、意識的にも構造的にも、少数者同士の連帯をはばむために、マイノ
リティを孤立化させ、マイノリティ同士を敵対させる狡智た差別政策をとるわけである。
 このような差別政策は、少数者のコミュニティの内部だけではなく、合衆国内のあらゆるゲ
ットー空間にみいだせるもので、現にチョル・スー・リーがっながれていたデュール職業訓練
刑務所では、受刑者の民族的背景の相違、派閥抗争をあおることによって全体をコントロール
しており、チョル・スーにふりかかった第二の殺人事件も、刑務所がチョル・スーをヌエスト
ラ。ファ、、、リアという一派閥に組みいれたために一、この一派に激しく敵対するアリアン・ブラ
ザーフッドの一員にねらわれることにたったのだった。刑務所はこのような差別的管理によっ
て、受刑者の刑務所そのものに対する欲求不満や怒りを相殺してしまうのである。
 他面、このような差別政策は文化政策と手をとりあって行なわれていることは言うまでもな
い。支配体制にとって民族的差異というものがきわめて有効だとすれば、その差異を決定する
民族文化の温存と推進はきわめて重要な課題である。事実、政府や多国籍企業に属するさまざ
まな文化財団は、民族文化の温存と推進にきわめて熱心である。そのため、文化とはあたかも
民族文化であるかのごとき先入観が支配的となり、文化的アイデンティティと民族的アイデン
ティティとが短絡されてくる。しかし、民族的差異というものが支配と管理の有効た機能とな
っているアメリカ合衆国では、文化を民族に短絡させることは文化を商品文化のふところに送
りこむことでしかたい。現に、今日のアメリカの商品文化は、映画であれ、演劇であれ、モー
ドであれ、食品であれ、読み物の素材であれ、"多様な"民族的差異を意識しないものはない。
民族的差異を温存じだから、質的に1は全く同じものを大量に供給すること、あらゆる民族的差
異にも対応できるかのごときフレキシブルな、マニュアルな部分をもった文化商品をつくるこ
とが今日のアメリカ商品文化産業の主導的理念である。
 それゆえ、少なくともアメリカ合衆国においては、支配的な商品文化に対抗しうる文化は、
もはや民族文化のたかにはありえない。というよりも、商品文化を越える可能性は、どこかの
民族のなかにあるのではなく、支配と管理の抑圧下にある少数者のなかにあるのである。その
少数者は、いまのところ、民族的少数者として民族的なゲットーのなかに隔離されているが、
その民族的たニセの壁は早晩こわれざるをえないだろう。
 チョル・スー・リー擁護の運動は、民族的なゲットーの壁をのりこえて、少数者としての政
治的アイデンティティの何たるかを示した。だが、死刑の判決を受けて、いまサン・グウェン
ティンの獄舎につたがれているチョル・スー・リーを最終的に擁護する運動を続けるためには、
この運動がさらにさらに深化・拡大され、民族としてではなく、少数者としての文化的アイデ
ンティティが獲得されるところまでゆかなげれぱならないだろう。チョル・スー・リー擁護闘
争の課題は、アメリカン・レフト全体のきわめて今日的な課題である。



4"新右翼"とコンピューター
 アメリカではこのところ"右翼"勢力が活発に一なり、一部では早くも"新右翼運動"という
言葉まで出てきている。共和党のロナルド・レーガンが大統領候補としての地位を急速に一築く
ことができたのも、こうした右翼勢力の台頭によってであった。
 最近クノップ社から『権威』を上梓したリチャード・セネットは、「ニューヨーク・レヴュ
ー・オブ・ブックス」(一九八○年9月25日号)でこの問題を詳しく論じている。セネットによれば、
"新右翼運動"は、決して一つに組織された運動ではなく、さまざまなレベルと分派があるが、
それらは二つの勢力に大別することができる。その一つは、ここ十年ほどのあいだに発展した
性行動の解放(とりわけホモセクシュァリティ、妊娠中絶、女権拡張)に反対し、伝統的な家
族を擁護しようとするさまざまのグループである。
 もう一つは、アメリカの保守主義の伝統につながるもので、福祉、政府の規制、税などに反
対し、民間企業の優先と合衆国の"覇権"を旗印にし、共和党を支持するグループである。こ
うした二つの潮流は、方向や利害の点で矛盾しあっており、たとえば、前者が必ずしも共和党
支持ではなく、伝統的な家族形態を救うために1市民生活に政府が強力に介入することをよしと
し、働く女性、離婚する女性を家庭に"復帰"させるために連邦政府が援助の手を差しのべる
べきだと考えるのに対し、後者は、政府、企業、労働組合の巨大化に反対し、分権政策を支持
する。
 が、それでは、なぜ今日、こうした一見対立しあう勢力が一様に"新右翼運動"と呼ばれる
のだろうか? それは、これらが究極的な方向や利害の点で必ずしも一致してはいなくても、
"共通の敵"を見い出しているからである。ジョン・パーチ協会のような旧右翼勢力にとっては、
その"共通の敵"は"共産主義者"であり、それは"外部"からやってきて合衆国を侵すこと
になっていたが、今日の"共通の敵"は"内部"に一あり、合衆国はいま、この"敵"によって
滅ぼされようとしている、というわけだ。すなわち、古い性的タブーから自由で、妊娠中絶、
ホモセクシュァリティ、女性の自立等をよしとする人々が、"新右翼"の"共通の敵"として
措定されたのである。
 俗説では、アメリカの右翼は西南部を中心とし、西部のタフなカウボーイや辺境に住む自作
農の家族様式を理想とするといったイメージでとらえられてきたが、"新右翼"は決して地方
に固有のものではなく、都市と地方の区別にとらわれないのを特徴としている。では、なぜ広
範な地域とさまざまな階層の人々がバラバラのまま全体として"新右翼運動"を形成するよう
になったのだろうか? セネットは、クロフォードに依拠しながらその理由を三つあげているρ
第一は、一九七〇年代に1性の解放が高まり、それが労働市場への女性の急激な流入とあいまっ
て、保守的な人々にショックを与え、保守勢力の意識を結束させることになったこと。
 第二は、それまで既存の党に頼っていた市民運動の団体がダイレクト・メイルやコンピュー
ター・テクニック、マス・メディアを使った組織方法を駆使しはじめたこと。第三は、ウォー
ターゲイト事件を期に行なわれた選挙法改正(一九七四年)によって、候補者一人あたりの運動
資金が千ドル以内に削減されたため、党組織外のさまざまな組織をも大いに1活用しなげれぱな
らなくなり、逆に五ドルか十ドル程度の献金しかできない人々が、数をふやすために重要な存
在になり、全体として組織が多様化したことである。
 "新右翼"の諾組織が最もカを入れているのはダイレクト・メイル作戦である。それはコンピ
ューターに記憶された購買者情報やときにはFBI,CIAの情報をも借用してメイリンク・
リストを作り、伝統的家族の擁護、反ホモセクシュァリティ、反男女同権の趣旨を、あるとき
には激しく、あるときにはひじょうにソフトに説得する手紙や文書を直接個人宛に発送し、地
域から川へ、州から複数の川へ、州と州から合衆国全体にまたがる組織をつくり出してゆく。
 それゆえ、この"新右翼"組織は地域や階層によって特徴づげられるものではなく、まさに、
メイリンク・リストによる"ペーパー・オーガニセイション"たのである。これは、かってマ
ルクーゼなどが考えていた左翼の柔軟な全国的ネットワークの組織化という課題を実践的レベ
ルで横取してしまったと言えるかもしれない。
 いずれにせよ、"新右翼"の台頭は、やはり、情報管理の発達した時代における"ファシズ
ム"のにおいがっきまとう。というのも、すでに述べたように、"新右翼"にとっての"共通
の敵"である"性のラディカル"たちは、赤狩時代の"共産主義者"たちとはちがってつねに
"内部"にいるのだが、このように社会的現状への不満や未来への不安を内部の者に転嫁し、
スケープゴートをつくり出すやり方は、まさにヒットラーのナチズム体制においてユダヤ人に
加えられた手口だからである。
 アメリカの今日のディレンマは、減税をするには軍備費を削減しなければならないし、また、
軍備を増大すれば減税は不可能であり、またたとえ軍備を凍結してもインフレはとまらたいと
いうところにあるが、このディレンマは、次期大統領にレーガンが選ばれても、カーターが再
選されても、決してのりこえられそうもない。
 とすれば、台頭しつつある"新右翼"の要求は危険な軍備競争のペースを高め一時的にごま
かすか、赤狩りならぬ"ホモ狩り"によって攻撃対象をそらせるしかないわけで、アメリカは
内的にも外的にもますます困難の道に−向かって進んでゆくことにたるわけである。



5 マーケッティンゲと批判理論のはざまで


 アドルノ著『権威主義的パーソナリティ』と題された訳書の出版広告をみたとき、わたしは
ちょっと奇妙に思った。というのは、もし本書が有名な『ジ・オーソリタリアン.パーソナリ
ティ』(一九五〇年)の邦訳だとすれば、著者はアドルノだけではなく、エルス・フランヶルーーブ
ランズウィック、ダニエル・J・レヴィンソン、R・ネヴィット・サンプオードの四人でなけ
れぼならないはずだからである。そこでわたしは、勝手な想像をした。本書は、原著のうちア
ドルノ白身が執筆した第四部「イデオロギーの質的研究」を全訳したものたのだろう、と。
 が、訳書を手にしてみて、その想像は完全に誤りであることがわかった。本書は、原著の抄
訳であったが、その構成は、原著におけるアドルノの部分と含意に特に力点をおいているわげ
ではなく、ホルクハイマーの序文などを含めると二〇〇〇ページを越す原著、すなわち実証主
義的立場をとる"バークレイ世論研究"グループと批判理論に立脚する"社会研究所"との共
同作業の所産をまんべんなく紹介しようとするものであったからである。
 だが、本書が"アドルノ著"とされているのは、まんざら不当なことでもないような気がす
る。というのも、本書の原典は、今日、もっぱらアドルノの観点から読まれてこそ有効性をも
ちうるからである。いうまでもなく原著は、実証主義的データーにもとづいて反ユダヤ主義
的.ファシズム的宣伝に動かされやすいパーソナリティのバターン、アメリカにおけるファシ
ズムの潜在形態を分析したものであるが、二〇〇〇人以上の被験者から集められたデーターそ
のものもいまでは歴史研究的意味しかもちえないし、"バークレイ世論研究"グループによる
実証主義的な分析方法を今日そのまま反復しても何の役に1もたたない。「『権威主義的パーソナ
リティ』が刊行されて三十年、アメリカにおいても西ドイツにおいても、はたまた日本そのも
のにおいても、ファシズムの新たな胎動もしくはその再生への兆しが見えはじめている……今
日、私たちの生活と意識をめぐる"文明の病い"に眼を向け、すすんでそれらの病巣を別挟す
る作業こそは、私たち白身の課題であるだろう」と訳者の一人は書いているが、それはそうだ
としても、今日の社会.文化状況は、アメリカでも日本でも、原著が発表された時期とはいち
じるしく変化しており、ファシズムの規模も質もちがっている。
 本書で行なわれている集団研究は、「私たちの研究は、これまで非常におろそかにされてい
たファシズムの心理的側面に限定されており、宣伝の製作には関心を寄せていない。私たちは、
むしろ宣伝の消費者、つまり宣伝の対象とされる個人のほうに注意を向ける」と言われている
ように、一種の消費者研究であり、実際この研究に一は、当時アメリカのマーケッティングの分
野で理論的・実践的に行なわれていた消費者研究の最も進んだ部分が積、極的に横流しされてい
るが、しかし、今日の急速に発達したマーケッティングのレベルからすれば、それらはもはや
古典的常識の域を出ない。ここで行なわれているような"消費者"研究は、ファシズムがイデ
オロギーならびに商品の広告という形でソフトに全般化した今日の状況下では、第一線の社会
学者や心理学者、文化人類学者を配下におく広告代理企業のとっくに"学習"しおわったとこ
ろのものであり、この研究成果を武器にして今日のファシズムに一抗することは不可能である。
 とはいえ、"序文"のなかで、「反民主主義的た潜在力の本性と強さについての知識は、民主
主義的な活動のための諾々のプログラムを与えるであろう。そうしたプログラムは、いっそう
民主主義的に行動するように人びとを操作するための装置として解されるべきではたく、いか
なる種類の操作をも不可能にするような自覚と自主性を強化するためにもっぱら用いられるべ
きである」と言われているように、原著  および本書一の真の有効性は、元来は"消費者"
の管理と操作(今日では"民主主義的"た操作もファシズムのプログラムに入っている)に使
われるはずの"広告"テクニックが、ここではーアドルノの参加に・よって−"消費者"を
とりまくファシズム的状況の批判のために役立てられている点である。
 この集団研究は、しばしば、批判理論が実証主義的社会学とかわした"最後の蜜月時代の産
物"などと称されるが、そのアドルノの執筆部分−本訳書で収、その半分が訳出されている一を
一読するならば、この研究が、批判理論に一とっては、経験社会学との妥協の産物などではなく、
アドルノはあくまでも経験社会学には一線を画し、その技法セ管理や操作のために・ではなく体
制批判のためにたくみに逆用していることがわかるだろう。彼は、本訳書では省略されている
部分で、彼の受けもつ"イデオロギーの質的研究"において収、資料の量化よりも、「理論的
定式化にもとづき、面接からの引用によって例証される一つの現象学を発展させること」が重
要だと言っているが、今日、原著  および本書−から学びうる積極的た面があるとすれば、
それは、その経験社会学的な側面ではなく、こうした現象学樹.批判理論的な側面である。



6経験論と理性論


 ノアム・チョムスキーが、一九六〇年代以降、アメリカの帝国主義イデオロギーの糾弾、数
数の鋭い異議申し立て(ごく最近も、イタリアの左翼弾圧に対する反対声明を発表した)によ
って、政治的た思想活動にもコミットしてきたことはすでに一有名であるが、チョムスキーに1お
いて彼の言語研究とイデオロギー批判とはどのようなつながりをもっているのであろうか?
 ミツ・ロナによるチョムスキー・インタヴユーをまとめた『チョムスキーとの対話』は、チ
ョムスキーの言語理論の全体像を平明に手引きすると同時に1、まさにこのきわめて興味ぶかい
問題をチョムスキー自身の言葉によって示唆してくれる。
 むろん、彼の言語理論とイデオロギー批判との関係は決して直接的なものでない。彼によれ
ば、言語の科学的な研究は「前提として専門的で技術的な訓練、知的た拠り所が要求される」
が、イデオロギー批判には「視野の広さと知力とがいささかあり、それに健全なシニシズムが
あれば十分である」。「祉会科学一般、とりわけ現代の事件の分析は、これに十分関心をもとう
とする者ならだれにでも完全に手が届く。こうした問題の"深奥"とか"抽象性"とかいった
ことは、イデオロギーの取締り機構が撒き散らす幻想に属するもので、そのねらいは、こうし
たテーマから人々を遠ざげることにある。」すなわち、チョムスキー白身は、彼のイデオロギ
ー批判の作業を言語科学者にではなく、「自分たち白身の問題を組織し、後見人の伸介なしに
社会の現実を理解し」ようとする一市民に属するものとみなしている。
 しかしながら、『ことばにっいての省察』(邦訳『言語論』)にはっきりとあらわれているよう
に、チョムスキーの言語論とイデオロギー批判とは哲学的レベルにおいて完全な一貫性をもっ
ている。実際、彼が言語学のレベルで、「石器時代の人問をっれてきてニューヨークで育てて
みたまえ、ニューヨークっ子になるだろう。アメリカ人の赤ちゃんをニューギニアで育てれば
"生まれつきの"バプァ人にたるだろう。」「一定の言語共同体の中では、子供たちはきわめて
違った体験をするためにそれぞれ非常に差があるのだが、やがて似通った、ほとんど同一とも
いえる文法をもつようになるのだ。説明しなげれぱならないのはそれだ」、と主張するとき、
これは、人種差別のイデオロギーとは哲学的に絶対に両立しえないであろう。というのも、チ
ョムスキーにとって、人問の最も普遍的な本性は思惟だけであり、皮膚の色や性差は本性的な
ものとは考えられないからである。
 こうしてみると、彼が一九五九年にB・F・スキナーの新著『言語行動』に加えた批判は、
結局、経験論そのものの批判であり、今日の支配の論理とイデオロギーの基底を間接的に暴露
させる試みでもあった。情報科学やサイバネティクスにもとづくコンピューター管理や、消費
をコントロールするマーケッティングニァクニックにみるまでもなく、今日の管理体制は行動
主義の哲学を一つの潜在的な主導理念にしていると言ってよい。そこでは、人問性は、経験的
に与えられる偶然的な特性の総和とみなされ、従って人問性自身は、ある一定の刺激を与えれ
ば同一の行動に走るはずの装置、本来は字の書かれていない"タブラニフサ"(白紙)、「うっろ
で、指導しやすく、統御でき、支配できる等々の有機体」となってしまう。
 これに対してチョムスキーは、人間は本来そのようなものではなく、それは、人問が一つの
言語を習得すると、以前にはきいたこともないあらゆる種類のセンテンスを理解し、形式化で
きる人問の一人種や階級、文化、個性を越えた−言語能力にあらわれていることを彼の言
語研究を通じて証示する。わたしには、個々の言語に対する彼のこれまでの深層研究がどの程
度まで"言語普遍者"ないしは"知の体系の一般構造"を開示しているのかを判定することは
できないが、普遍性や理念的構造を仮定するこうした理性論的姿勢こそが、チョムスキーのイ
デオロギー批判の射程と有効性をささえていることはたしかである。



7 支配装置としてのストライキ


 八月九目(一九七八年)にはじまった二ユーヨーク・タイムズ、デイリー・ニューズ、ニューヨ
ーク・ポストの新聞ストライキも、ポストが十月五日に、タイムズとニューズが十一月六目に
発行を再開し、街に1もふたたび、読み捨てられた新聞紙が目につくようになった。
 スト中も、日刊のウォール・ストリート・ジャーナル、週刊のヴィレッジ・ヴォイス、ソホ
ー・ウィークリー・ニューズは健在で、シティ・ニューズ、デイリー・プレス、デイリー・メ
トロ等の"インタリム・ペイパー"(暫定新聞)も出ていたが、タイムズやニューズの規模には
およぼないので、新聞ストは、ただでさえゴミ処理に音をあげている市の衛生局をよろこぱせ
たのだった。
 べージ数の点でもタイムズは群を抜いており、特にその日曜版は、幼児では持ち歩けないほ
どの厚さと重みがある。それは、各々四、五〇ページはあるニュース、ニュース詳報、芸術・
娯楽、ビジネス、財政、週間論評、スポーツ、不動産、求人、旅行、の各分冊に、一〇〇〜二
〇〇ページの大飯グラビア雑誌、ザ・NY・タイムズ・マガジン、ファッション・オブ・ザ・
タイムズ(隔週)、九〇ページほどのザ・NY・タイムズ・ブック・レビュー、の二二分冊から
成り、これらのほかにデパートだとの広告パンフレットやチラシが付く。
 通常、土曜の午後には早くも、ニュースのセクションを除いた部分が新聞スタンドの店先に
うず高くっまれ、夜に一なってニュースのセクションが届くと、店の者が両者を手早く組み合せ
て、七時すぎにはセット(75セント)を売りはじめる。スト解除後最初の日曜版が出た十一月一
一日の夜は、慣例通り、七時頃から新聞スタンドのまわりに人が集まりだし、たちまち長蛇の
列ができた。わたしが住むヴィレッジでは、とうとう土曜の夜にはニュースのセクションが届
かたかったが、それたしで買ってゆく客もあり、早朝完全なセットがととのってから十時頃ま
での数時問に日曜版はスタンドから姿を消した。
 ふだんでもタイムズの日曜版が午後まで残っていることはまれなので、この現実は驚くにあ
たらない。日曜版は、ミドル・クラス・ニューヨーカーの生活教典であり、彼や彼女らはレジ
ャーや買物の予定を日曜版の情報でたてるといっても過言ではないからである。タイムズ、と
りわけ日曜版は、ニュース・メディアであるよりも、むしろ広告メディアであり、紙面の九〇
パーセント近くが広告でうめっくされている。たしかにそこには重要た記事も載りはするが、
この新聞がはたしている主要機能は、演劇、映画、本、美術、旅行等のレジャー産業や生活消
費財をあつかう商業と消費者とをむすびっける消費メディアなのである。
 それゆえ、八十八日間の新聞ストの意味も、労資関係の観点からよりも、消費メディアにお
ける影響の観点から考えてみた方が問題が鮮明になるように思われる。ある意味でこのストラ
イキは、すべてのものが商品化されるこの街の人々にとって、そうした消費生活を判断中止す
る絶好のチャンスでもあった。が、それはそうした商品化を促進する支配のシステムそのもの
をゆさぶる危機なので、システムはそんなチャンスを許すはずもない。当然、このシステムの
代理人(広告主=企業)は、すぐさま、失なわれた消費メディアの代替物を求めることに・奔走
した。その結果が、先の"イソダリム・ベイバー"の出現であり、ヴォイスなどの小新聞、ラ
ジオ、テレビ等の既存メディアにおける広告の急増という現象である。
 が、ここで重要なのは、広告収入の増加に伴う既存メディア側の変化ではなく、このことを
契機にしてラジオ、テレビという新聞とは質の異るメディアヘの関心と依存度が以前以上に高
まったという読者姿勢の変化である。つまり、新聞の読者は、新聞ストによってはからずも、
購買欲や政治的関心をより効果的にコントロールしうるホットなメディアの方へなお一層近づ
けられたのである。
 折しもラジオとテレビは、全米野球戦を放送中で、ただでさえ人々はラジオ、テレビに関心
を内かる機会が多かったため、新聞ストはそうした姿勢の転換に1とってきわめて効果的に機能
したのだった。そして−この期間はまた、十一月七日のエレクション.デイ(投票日)をまえ
にした選挙キャンペーン中であり、ラジオとテレビはあの手この手で候補者の売り込みに一熱を
いれていたのである。ということはつまり、新聞ストは、結果的に言って、新聞があるときよ
りはるかに効果的に市民を政治教育する機能をはたしたということである。
 むろん、これははじめから仕組んでもできるわげではなく、支配のシステムが白已保存の法
則に従って機能することに成功したとき必然的にとる形態にすぎない。が、それにしても、タ
イムズの復刊号が出たのが、丁度投票日の前日だったというのはあまりに出来すぎている。選
挙の結果は保守の勝利におわったが、ホットな学習のあとに(一夜づげでも)クールな復習を
ほどこされた市民がシステムの"試験"に満点をとらないはずはないではないか。新聞ストは、
結局、支配装置の機能の一部でしかなかった。



8 構造的文化操作


 いまニューヨークの新聞、雑誌を大変にぎわしている映画がある。それは、ワルター.ヒル
監督の『ザ・ウォリァズ』(戦士たち)という映画だが、それ自体の出来はあきらかにB級で、
普通ならそれがこれほど話題を呼ぶこともなかっただろう。ところがこの映画、二月九目(一
九七九年)に全米の六四一館で封切られると、週末のたった三日問に三、四七八、○○○ドルの収
益をあげ、のみならず、この映画の若い観客が各地で喧嘩や乱闘さわぎをおこし、サソフラソ
シスコで二人、ボストンで一人の死者を出し、映画館はガードマンをふやし、配給元のパラマ
ウントでは宣伝のタッチをやわらげねぼならなくなったというのである◎
 こういう事態は、映画をみるかぎりちょっと信じられないことだ。"ウォリァズ"という名
の愚連隊の一夜の行動を描いたこの映画は、暴力映画としても、ヤクザ映画としても、ラブ・
ストーリーとしても、ニューヨークの都市映画としても中途半端であり、表層的でありすぎる。
見せ物となる他の愚連隊との武闘シーンは、カラテ映画のそれのように様式化されすぎており、
まるで彼らの肉体は痛みも疲れも知らないかのようだ。その集団行動は、ヤクザのそれである
よりも"ゴレンジャー"や"バット・マン一家"のそれに近く、その根はスターリニズム的集
団主義である。九人の"ウォリァズ"には少数民族をちりばめ、いかにもニューヨークの愚連
隊らしい体裁をとっているが、これは、所詮、多様た観客層をねらったたくらみの域を出ない。
グループのリーダー、クレオンにほれるフーテン少女を演じるデボラ・ヴァン・ヴァルケンビ
ュルホはチャーミングだが、肉体性を欠いた世界ではとってつげた感じになってしまう。ドラ
マの重要な書割とたるマンハッタンの地下鉄のあつかい方にいたっては粗雑さもいいところで、
いわば東西線、銀座線、千代田線の区別を無視した編集のしかたをしており、B列車が数秒後
のショットではD列車に変る場面まである。
 しかし、いまここで、ニューヨークの現実的コンテキストが無視されているとか、登場人物
が肉体性を欠いているとか言ってもこの映画の批判にはなるまい。観客の反応を含めた文化現
象の総体にアプローチするには、この映画がはじめからそういうものとしてあるのだと(つま
りこの映画を"現存在"として)受けとらなげれぼならないのであり、さもなければ観客の存
在はすりぬけてしまうだろう。
 たとすれば、この映画が具体的現実をなおざりにしているということは、この映画がニュー
ヨークの具体的現実とはいささかの関係もないということを観客に示している、と理解しなけ
れぼたらない。愚連隊も街も地下鉄も武闘もここではみなファンタジーであり、アメリカン。
コミックや劇画の世界に近いものであり、むしろ映画よりディスコの方が効果的に表わすであ
ろうような世界なのだ。われわれはそこできわめて具体的なものに接しているような気がして
も、実際に一は、その具体性は、現に存在するものに向かって開かれた具体性ではなく、閉じら
れた世界の人工的なニセの具体性なのである。ニセの具体性は、本当の具体性を知っている者
にはバヵバヵしいとしても、観念の世界を増殖させる素材としてはきわめて有力である。この
映画が引金をひいたとされる暴力事件がほとんどみなニューヨーク市の外で起きていることも
示唆的だ。
 それにしてもこの映画"事件"は、最近のアメリカにおけるメディア操作のやり方とそれに
対する大衆の反応を知る一つの事例である以上に一、現状の支配的な文化装置が造反的な潜勢力
をいかに自己のシステムのなかにとりこんでゆくかを知る格好の例でもあるように思われる。
というのも、ソル・エーリックによるこの映画の原作(一九六五年)は、およそ映画とは反対に、
一見ニューヨークに実在する愚連隊の一夜の出来事を"リアル"に描いているだげにみえなが
ら、これをより大きな社会・歴史的文脈のなかで読むと、これは愚連隊というそれ自体反社会
的な集団の行動をかりて、すでにジャンキー的・実存主義的眠りから醒めつつあったアメリカ
の反体制的集団主義の能動面と否定面とを、やがて台頭するニュー.レフト運動への予感をこ
めて描いた社会小説であって、映画の解釈とはまるっきり反対の方向に位置するものであるか
らだ。こうした方向は、『フエルティーク』(一九六六年)、『バッグ』(一九六八年)、『君のような
人』(一九七二年)、『孤島の死』(一九七五年)などのその後の彼の作品のなかでより鮮明な形で読
みとれるが、『ザ・ウォリァズ』の映画化は、彼の作品の潜勢力が今日の支配的な文化システ
ムのなかでいかに構造的な文化操作を受けているかをよく物語っているρ



9 諜報=文化論


 ソル.エーリックは、いつも台所の丸テーブルで仕事をしている。人が訪ねてゆくと、その
台所が応接間にもたる。彼のいれるコーヒーをのみながら、わたしは幾度もこの台所で話をき
いたが、文学から入っても映画から入っても、話の方向は自然に勿副線岱隷と瀞靭牒情の問題
に向かうのだった。彼に一よれぼ、多国籍企業はローマ帝国の時代からあるし、ダンテの『神曲』
はスバィ小説であるという。一見無関係なもののたかに、本質的に同一なものを洞察する直観、
予想外のイメージやアイディアを大胆に接合する想像力のゆたかさが彼の思考と語りの本領で、
それは、彼が小説とは別に新聞や雑誌に書いた数多くの文章のなかでも読みとれる。
 エーリックによれば、今日の文化と社会はH鼻①;σq彗8すなわち"知性"という意味をも包
括した最広義の"情報操作"によって特徴づけることができるという。が、彼の思考のユニー
クさは、ここから演絆的な論理などを展開しないところで、彼の論法は、たとえば、情報操作
のプロがスパイたら、文化人とはスパイであり、文化的活動は諜報活動、文化機関は情報局で
ある…三というふうに進んでゆく。『日本読書新聞』の「ニューヨーク通信」に彼のことを書
くのでテープをまわしながらっとめて総括的な話をしてもらったとき、予言者のような風貌の
エーリックは、外見とは逆のシャイな口調で次のように語った。
 「今日の状況の特徴は、情報操作がわれわれの生活のあらゆる側面に浸透しだということで
す。情報操作といってもここでは、情報局によって行なわれる意識的た情報操作だけでなく、
マス。メディア、電話、郵便、企業、銀行、大学、教会等のあらゆる社会・文化施設が意識的・
無意識的に錯綜した形で行なう情報操作も含まれます。つまり、情報操作とは、今日の政治で
あり、文化であるわげです。言いかえれば、情報操作が政治的認識論の形式になっているのが
今日の状況です。
 ここでは、情報は、中央情報局(CIA)のような中央集権的た機関によって組織されている
だげではありません。さまざまな"情報局"があるわけで、それらのあいだでは、情報をどう
認識するか、自分の言ったことがまさしく自分の言ったことであるのを知るにはどうしたらよ
いのか、要するに何がリアリティなのかをめぐって激しい対立があり、この対立は、具体的に
は、愚連隊やマフィアの抗争から少数民族問の反目、さらには多国籍企業同士の対立、企業と
政府の対立にまでおよんでいます。これは、今日CIAが中央局としての機能をはたさず、た
とえば私設情報局、地方敬一一一案情報局、州警察情報局、FBI,CIA、さらには外国の情報局
   のあいだに実に複雑た対立.抗争があることに−もあらわれています。
 このように情報操作の方向があいまいになる状況下では、"何がリアリティか"という間い
が、あらゆる"情報局"にとっての最大の問題になってきます。ところで文学にとってもまた、
"何がリアリティか"という問いはきわめて根底的な問いです。しかし、政治.社会的状況が、
文学によってつくり出される現実の多義性(あいまいさ)よりもはるかに1多義的であるため、今
日の文学は、リアリティをつくり出すテクニックを情報局の活動の方から仕入れる傾向に向か
います。スパイ小説、推理小説だけでなく、二十世紀の文学が情報操作や暗号解読、それにと
もなう多義性に関心を向けてきたのも偶然ではありません。しかし、このことは、今日の文学
が政治(の情報操作)や政治が生みだす現実の多義性に追いっけず、政治(の情報操作)を包
括する高度の情報操作をそなえた文学、つまり本当の意味での政治文学を作ることが困難にな
っているということです。
 他面、CIAが六〇年代後半以降さまざまな形で純文学の活動を援助し、コントロールしよ
うとしてきた(麻薬をやめてからのアレン・ギンズバーグはその種の"協力"者の一人)のは、
文学がときには政治上のリアリティ、つまり高度の情報操作を形成しうることをCIAが知っ
ていたからです。ところでわたしがプルーストに依然関心をもつのも、文学のこうした点でし
て、彼が高度に多義的なリアリティに到達しているからです。情報操作という観点から西洋文
学をみた場合、そのヒーローはジョイスですが、ボルヘスもまた、洗練された形で情報操作の
多義的た現実を作り出すことに成功しています。L
 あきらかにエーリックは、文学の政治性を語る際に、文学と政治とを二元論的に接合させる
素朴さをはじめからのりこえている。このような観点に立つならば、文学の政治性は、それが
単に"政治"的素材をとりあつかうこととは無関係であることがわかるであろうし、また政治
の方も、情報操作や、何をリアリティとして情報を操作する−"読む"−かという点におい
て、文学と同一のレベルを共有していることがあきらかに1なるだろう。
 だが、今日の情報操作は、エーリックが、印刷を待つぼかりの大著『アメリカ銀行を焼き殺
す』のなかで詳細に論じているように、あらゆるコミュニケ−ション・システムを独占してい
る大なり小なり多国籍的な企業の支配下にあり、情報操作のリアリティは、多国籍企業の本質
をなすニセのインターナショナリズムを規準に1して決定されている。その意味で、今日ほど真
のインターナショナリズムが要求されている時代はないにもかかわらず、すべての闘いは、こ
のニセのインターナショナリズム(政府、地方主義、エスニック・パワー、伝統等に立脚する
立場)との問で闘われている。エーリックは、こうした状況の突破口の可能性の一つとして、
新たなパブリック・ブロードキャスティング(公共放送)の構築を提案し、その理念を「グロー
バルな情報時代における人問的欲求  世界情報秩序かそれとも孤立と世界情報戦争か?」と
いうレポートにまとめているが、そこで、彼は、今日、通信のテクノロジーが極度の発展をと
げているにもかかわらず、一般にはその百分の一以下の可能性を利用することしか許されてい
ないこと、従って今日緊急に必要なのは、テクノロジーの開発であるよりも、むしろ新たな、
つまり被支配者側からのテクノポリティクスであることを力説している。



10 広告としての文学


 いうまでもなく、今日の"大衆"概念は、習俗や血縁、共同体によって結びついた前近代的
"民衆"から、もはや金銭と高度に発達したマス・メディアによって結びっいているだけの"マ
ス"に変貌したが、他方で(とりわけ七〇年代後半になって)この均質的な"マス"のなか
に"地域性"や"利害別のコミュニティのような"多元的"な差異を人工的にとりもどそう
とする政策が登場しつつある。こうした状況において、程度の差はあれ"売れる"ことを価値
としている大衆文化は、どこまでいっても決してこのような状況を覆す要因とはなりえない。
大衆文化は、今日の支配的な社会システムの円滑た機能を保証する作用をはたすのであり、マ
ス.メディアと能率本位の流通機構によって流布される大衆文化は、システムが本性上決して
満たすことのできない民衆的不満の爆発を、ソフトなやり方で防止し、コントロールする文化
装置としての機能をはたすわけである。
 上野昂志『紙上で夢みる』(蝸牛杜)と岡庭昇『犬の肖像』(三書房)がそれぞれ問題にしてい
るのも結局はこうした文化装置がどのように機能しているか、そこで民衆はどのような状態に
おかれているかという点だが、上野の場合、次のような鋭い状況認識からして、岡庭よりも一
層意図的にそれを行なっていると言えるかもしれない。
 「現代においてはあらゆるものが広告化される。商品の違いが広告に違いをもたらすのでは
なく、広告の違いが商品相互の差異を生み出すのである。(……)本当に売られているのは広告
なのだ。資本の自己表現としての広告一それが純粋化された商品であると同時に表現である
というところに、現在の我々の文化の基本的な状況がある。(−…・)ところで……広告とて、大
衆の欲望に依拠」、またそれを曲りたりにも映し山さたい限りは、広告表現としての生命を得
たいということを、わたしは、もともと白明の前提というように考えていたが、六〇年代後半
以降、そのことに懐疑的なものである。広告は、いまでは、大衆の欲望を映し出すのではたく、
逆に広告として表現されたものだげが大衆の欲望になるのではたいかと。」
 こうした認識のために、「五木はいちはやく広告を文学化したのだ」とする上野の五木寛之
論は、五木に"仮面"という観点からアプローチする岡庭のそれに比べて、よりアクチュアル
なものになっている。だが、他面、あらゆるものの広告化という状況に1もかかわらず、大衆
(民衆)は沈黙を余儀なくされながらも、実存しっづけざるをえないかぎりにおいて、岡庭の
実存論的アプローチは精綴で説得力があり、それはとりわけ川上宗薫を語るときに効果的に発
揮されている。
 そこでは、上野が川上宗薫の小説を、「高度成長経済の下で、生活全体が商品化され」、性が
単なる「快感」に倭小化される状況下で浮上する「"快感"という観念のための実用文」とし
てしかみないのに対して、岡庭は、川上の小説とその読者の受容のなかに、民衆にとっての
「性をとりまくこの現実の、わびしさや不自由さ、疎外構造」を、言いかえれば、土着も自然
も奪われている民衆がぼかぼかしいとわかりながら行なう屈折した身体的白己表現の声たき声
を聞きとるのである。というのも岡庭は、大衆小説の読者が現実を忘れるために"仮構のなか
に逃げこむ"代償行為よりもむしろ、「現実(という名前)がみずからの身体感にとってどう
にも不自然である、とうげとめた生活者たちがより真実な現実をもとめて仮構へおもむくとい
うプロセス」を重視するからである。
 しかしながら、いま、一九八○年代に入ってよりはっきりと顕在化してきた動向を考えると
き、問題は、岡庭がせっかくとり出したこうした大衆の屈折Lた「身体感」も、ますます社会
の場から文化の場におしこまれ、つまりは文化装置のプログラムに組みこまれ、それが造反的
な勢力として社会的に物質化する可能性を完壁に封じられっっあるということである。
 かってわたしは、〈天皇11ぶざまさ11潮笑vという社会・文化的な身ぶりが、七〇年代後半
の生産と消費のシステムを補助していることを指摘したことがあるが、この社会・文化的な身
ぶりは、まさに岡庭の言う「どこにも"現実"を形姿としてもちえない生が、かろうじて白已
仮託にはたす虚構の空間」として、支配的システムの安定と存続のために(従って岡庭とは反
対の意味で)役立ってしまうのである。とすれぼここでは、上野が「"プロレタリアート"の
立場というようなものが運動としても幻想としても崩壊した時代における"プロレタリア作
家"という逆説的な存在である」として肯定する五木寛之も、文化装置のまさしく"前衛"と
して支配的なシステムに役立っているにすぎないのである。



11 ニューヨークのイタリア


 棄権を含む批判票の増大という結果に終ったイタリア総選挙をはさんだ一時期、ニュ−ヨー
クは、イタリア演劇のいくつかの新しい傾向に接する機会にめぐまれた。その一つは、五月三
十一日(一九七九年)から六月二十四日まで開かれた第四回イタリア演劇祭であるが、そこで上演
された芝居のうち、イタリアのブレヒトといわれるラファエル.ヴィヴィァニの詩、散文、音
楽にもとづくファシズム批判劇"イオ、ラファエル・ヴィヴィアニ"(アギーレ.、、、口演出)、コ
ーオペラティヴァ・ナポリ・ヌオヴァ㍗による支配階級誠剣劇"アモーレ.エ.コメディア"、
観客に一知覚様式の変更をせまるオドラデクニァァトロ・グルッポの実験劇"コスモラマ"、マ
ルコ・ポー口を近代資本主義の創始者としてシニカルに描いた、・・ユージカル"マルコポーロ.
エンド・カンパニー"は、何でもあるかにみえるニューヨークの演劇界に1とっても少なからず
新鮮な刺激であった。
 これらの舞台には、いずれも強い社会・政治意識がみなぎっており、現代イタリア演劇が状
況と民衆にいかに密着しているかをかいまみさせてくれた。とりわけ、"アモーレ.エ.コメ
ディア"は、 コメディア・デラルテのプルチネラ(北部ではアルレッキーノと壬一口う)のスタイルで
登場する召使いが、はじめはあやっり人形的た身ぶりで主人たちへの屈従と現状への無批判な
姿勢を示すうちに一、だんだん事態が逆転し、最後には主人たちの方があやっり人形的た身ぶり
になってしまうというしかたで、被支配階級の階級的めざめと支配階級の没落の弁証法をきわ
めて演劇的に提示することに成功していた。ここでは、プルチネラは、諏刺される者の象徴で
はなくして、諏刺する者すなわち民衆の象徴であり、そのこっげいた身ぶりは、彼白身のおろ
かさを意味するのではなく、主人たち支配階級に対する痛烈な批判となっている。この点は、
ミラノのピッコロ・テアトロにおけるアルレッキーノのあっかい方でも同じで、それだからこ
そ一〇〇年もまえのゴルドーニの作品"二人の主人を一度に持っと"が、見方によっては、キ
リスト教民主主義党と共産党とのあいだで右往左往させられているイタリア民衆のメッセージ
とも受けとることが可能とたるのである。
 ところで、政治・社会演劇の可能性という点では、イタリア演劇祭とは別に、五月四日から
一週間ほど、ファビオ・マウリの演出のもとでこちらのイタリア系学生俳優に一よって上演され
た"ファシズムとは何か?"は演劇的環境に対する観客の従来の関係を根底から変革しようと
する刺激的な試みであった。一九三九年にイタリアのファシストによって実際に行なわれた祝
典の一部をリアリスティックに再現し、観客自身にその意味を批判的に考えさせることをねら
ったこの上演では、いまだ、伝統的な演劇の要素が多分に残っているため、実際に観客の姿勢
をラディカルに変革するまでにはいたらなかったとはいえ、この上演においては少なくとも観
客白身がつねに自己選択をせまられるということは、はっきりと示された。
 たとえば、この上演では、観客は、祝典に臨席するファシストたちの位置にすわり、その
祝典をみるため、もし観客がそこで行なわれるフェンシング競技とかローラー.スケート.バ
レーなどに魅惑されて拍手をすれば、彼ないし彼女はファシズムに対する肯定的姿勢を自ら提
示したことになる。いずれにせよ、この上演に接することは、観客にとって、観客自身のファ
シスト的パッションを自己判定する実験となるわけだ。実際、ニューヨークの観客たちはこの
上演に対して大変楽天的な拍手をおくっていたが、ファビオ.マウリによれば、この作品を一
九七一年にローマで上演したときには、観客たちはきわめて深刻な反応を示し、誰一人として
拍手をおくる者などいなかったという。ひょっとするとこのあたりに、ニューヨークの消費文
化とそれをささえる観客のなかにひそむ潜在的なファシズム的パッションが露呈しているのか
もしれない。
 もともとはデザイナーであるファビオ・マウリ(一九二六年生まれ)は、"ファシズムとは何
か?"のほかに、観客論的により大胆な実験を試みた"ユダヤの女"をローマで上演している。
この作品は、一見展覧会の体裁をとり、イタリアのファシストの遺品や拷問具などを展示して
いるにすぎない。が、それが単なる展覧会ではない点は、この会場の片すみに強制収容所の一
室を再現した空間があり、そこで乳房に捕虜ナンバーを、胸にダビデの星のマークをいれずみ
された全裸の女が自分の髪をハサミで切っては歯ミガキペーストで洗面鏡にはりっげ、ダビデ
の星をつくるというパーフォーマンスを行なっている点である。ここでは観客は、演劇のよう
にその体験のしかたまでもコントロールされることはなく、この会場を自由に歩きまわりなが
ら、自分白身の反応をみずから判断することになる。
 今日の演劇は、観客に対して効果的であればあるほど、そして観客が舞台に共感を示せば示
すほど、皮肉にも、他者を自己に同化するファシズム的パッションに依存し、一種のファシズ
ム的文化装置として機能しかねたい。観客一人一人の政治意識と批判意識の自発的た昂揚をも
たらすはずの政治演劇ですら、それは観客に1対して"魅力"ある政治商品の消費を行なわせる
心地よい場所を提供するものとなってしまいかねないのである。それというのも、上演と観客
との関係は、そのたれあい的な関係を撤廃しようとしたブレヒトの試みにもかかわらず、依然
として、集団的た目印揚と懲依をもって上演の成功とする立場をのりこえてはいないからであるρ
かくしてマウリは、自己の方法を演劇から厳密に区別して、それを"イデオロギー的パーフォ
ーマンス"と呼び、従来の演劇の観客の姿勢を根底から変革しようとしているわけである。
 もっとも、ジャン・ジュネは、『女中たち』の一九五四年版への序文のなかで、現代の演劇
とは"気ばらし"であり、それはその語の"散らばらせる"という意味と関係があるのだとし、
「わたしは、観客同士をたとえ一時間でも結びあわせるような戯曲を知らない。それどころか、
戯曲が観客たちをひとりひとりにするのだ」(一羽昌子訳)と一言っている。こういう観点に立では、
マウリの言う"演劇"と"パーフォーマンス"との区別は消滅する。わたしは、彼の"パーフ
ォーマンス"を批判的演劇の一つとしてみた。
 いずれにしても、決してその最良の部分が来たとはいえない今回のイタリア演劇においてす
らこのように刺激的なものを発見できるということは、今日のイタリアの演劇的環境がいかに
すぐれたものであるかを暗示すると同時に、数の上ではあいかわらず華麗なにぎわいをみせて
いるニューヨークの演劇界が、社会・政治的な衝撃力の点ではいかに不毛な状態に 陥っている
かを示唆していると言えなくもたい。



12 支配のソフトとハード


 八○年代は、日本でも、強権的な支配からソフトた管理的支配への実質的な転機がはじまる
という。だが、支配のテクニックがハードた側面を用済みにするということは、ほとんどあり
えないだろう。
 アメリカの場合、体制は、反体制的なものを栄養源、批判装置とし、前者と後者はたがいに
補完しあうセルフ・レギュレイションのシステムをなす一面があるが、体制が造反的なものを
利用するのは、体制白身を改良主義的に1"活性化"するためであると同時に、そういう形で造
反的なものの効力を弱めるためである。従って、造反的なもののうち、体制が利用しきれない
部分、利用というしかたでは骨抜きにできない部分では、依然、権力によるハードな弾圧が行
使されているわけである。
 五月三十日(一九八○年)付の「ニューヨーク・タイムズ」によると、ニューヨークの第五回イ
タリア演劇祭にまねかれて訪米することになっていたイタリアの演出家ダリオ・フォとフラン
チャ・ラーメ夫妻は、アメリカ国務省によってヴィザの発行を拒否され、招腸先のニューヨー
ク大学演劇科の関係者およびソル・エーリック、リチャード・フォアマン、エレン・スチュア
ートらの知識人は、タウン・ホールで抗議集会を開いたという。
 ダリオ.フォ夫妻の入国を阻止した国務省の見解は、彼がイタリアのテロリズムを支持して
いるというものだが、この拒絶反応は、はからずも、イタリアで集中的にあらわれている反動
的状況が、実は世界のいたるところに一潜在しており、この動向に対して世界の諾権力は陰に陽
に結託しあっていることをあらわしている。ダリオ・フォは、その意味で、体制の反動的度合
を判定するためのすぐれた試金石となったわけである。
 フォは、一九二六年、北イタリアのロンバルディアに生まれ、早くから民衆演劇と反ファシ
ズム運動の環境のたかで育った。一九五九年、彼は妻のフラソチャ.ラーメと共に『ラ.カン
パニア・ダリオ・フォ/ブランチャニプーメ』を創立し、やがてそれは、民衆演劇、グロテス
ク・コメディの技法を媒介にして政府の官僚主義、軍隊、カソリック教会、企業、警察機構、
さらにはアメリカ帝国主義とヴェトナム戦争を諏刺・批判する政治演劇の主要勢力となり、は
ぱひろい観客層を獲得してテレビや商業演劇の分野にまで進出した。
 が、一九六八年、ヴエトナム戦争に対する世界的規模での反対運動、フランスの学生と労働
者の蜂起、中国の文化大革命、そしてイタリアに一おける労働不安の目印進などの新しい状勢にう
ながされ、ダリオ・フォは、それまでのように所詮は知識人やミドル.クラスの観客を中心と
したコミュニケーションから、もっと新しい観客層とのコミュニケーションを可能にする方法
を求めなければならないことを痛感するようになった。すなわち彼は、"ブルジョワジーの道
化を演じることをやめ"、イタリアの労働者と革命運動に彼の演劇を役立てようと決心したの
である。
 『ラ・カソバニァ』にかわって新しく組織された劇団『ヌオヴァ・セーナ』は、イタリア共産
党の支持を得、全国の工場、労働組合、労働者クラブ、諸政治組織、農業協同組合などの、以
前にはカバーできなかった新しい観客層を急速に拡大していった。『ヌォヴァ・セーナ』は、
こうして、全国の労働者の熱烈な支持を獲得してゆき、この劇団の舞台の特徴をなす最終場で
は、それまでに行なわれた劇の諸テーマをめぐって観客と出演者とが即興的に議論をし、その
議論が数時問におよぶこともまれではなかった。
 が、『ヌオヴァ.セーナ』のこうした大衆的支持の拡大とはうらはらに、共産党は次第にこ
の劇団の活動に対して批判的となり、さまざまな干渉を加えるようになった。一九七〇年、自
己批判と激しい内部論争の末"ブルジョワ"(商業演劇)からも"修正主義"(共産党の文化機関)
からも独立し、労働運動の革命的左翼と連帯する自立演劇集団『イル・コレクティヴォ・テァ
ドラーレ.ラ.コムーネ』として再出発することになった。
 折しも、一九六九年十二月十二日、今日の左翼弾圧の発端とたる事件が起きていた。ミラノ
の国立農業銀行で爆弾が破裂し、十六名の死亡者が出る事件である。警察は、この事件を機に
全国の左翼狩りに着手し、一万四千名あまりをブラックリストにのせる一方、ジュゼッペ・ピ
ネリという鉄道労働者を事件の容疑者として逮捕した。ところが、ピネリは不可解にも、取調
室の窓から"転落"して死亡してしまうのである。この事件を機に、左翼活動家のあいだでは、
この事件の真相を独自に究明する努力がなされたが、ダリオ・フォの『一アナーキストの事故
死』は、時代と場所の設定をずらせてはいるものの、この事件において権力が担造した"事件"
に演劇が創造した"虚構"を対時させることによって、前者の虚構性を暴露し、センセーショ
ンをまきおこした。
 今日この事件が、国内の造反勢力を一掃し、軍隊と警察、右翼諸勢力の存在意義を社会に肯
定させようとする国家権力の策略の一環であり、この事件には国内のネオ・ファシストの機関
のみならず、国際的なファシスト機関やアメリカのCIAもからんでいたことが暴露されてい
る。昨年(一九七九年)、アメリカの演劇雑誌『シアター』が「七〇年代の諏刺と政治」という特
集号を出したとき、編集長のジヨェル・シェクターは「拝啓ターナーCIA長官殿」ではじま
る辛辣た手紙を「序文」とし、そのなかで、CIAは演劇の破壊的性格を認めていたいようだ
が、「もしダリオ.フォの政治誠刺がアメリカにあらわれ、後継者を獲得したならば、貴局は、
演劇の現状と国家について危倶の念をいだくようになるでしょう」、と書いた。ダリオ・フォ
の入国を拒否した国務省は、愚かにもこのジョーダンを真に受けたわけである。



13 アウトノミア


 いまヨーロッパの一角で起こっているきわめて深刻かっ重大な事件が、日本では全く報道さ
れぬままになっている。事件というのは、昨年「ニューヨーク通信」(『日本読書新聞』、一九七九年7
月16n号)でとりあげたことのあるイタリアにおける大規模な左翼弾圧のことである。
 イタリアの左翼状況に関しては、日本では、イタリア共産党の活動とイタリアの左翼活動の
全体とが混同された形で紹介されるのが普通で、いわゆるイタリアン・ニュー・レフトの活動
がきちんと紹介されたことはなかった。そのため、イタリア共産党の活動が後退し、その活動
のなかからはこれといった話題も出てこたくなると、おのずから、イタリアの左翼状況につい
ても全く語られなくなってしまったのだった。
 しかし、イタリアの左翼状況は共産党によってのみ形成されてきたのではない。それどころ
か、一九六八年以降のイタリアの(とりわけ労働者、学生による)左翼連動の躍進は、イタリ
ア民衆のあいだに、党に代表される"左翼"イデオロギーよりももっと柔軟でラディカルな合
意が醸成されだからこそ可能になったのである。共産党は、いわばイタリアの左翼連動全体の
代表者のふりをすることができなくなったのであり、そのことは、少なくとも一九七三年以降
の"歴史的妥協"政策によってはっきりした。
 実際、一九七三年は、イタリアの左翼状況において真にラディカルなものが検証される転機
であって、一方では共産党の後退がはじまると同時に、他方ではヨーロッバの左翼運動の歴史
を画する新しい試みが現われもした。党を越えた労働者組織"ポテーレ・オペラィオ"(労働
者権力)による新しいタイプのストライキ、サボタージュ、学生との連帯、選挙の能動的なボ
イコット、さまざまな日常的領域とレベルにおける被抑圧者たち一主婦、売春婦、ゲイ等々
−の解放運動、家賃・電気・ガス・電話・交通料金に関する不払い闘争、スーパー・マーケ
ットで金を払わずに"買う"いわゆる"ポリティカル・ショッピング"闘争、政治ソングを歌
うロック・グループのコンサートのオルガナイス、政治演劇(たとえば、トリノでダリオ・フ
ォが主宰する政治群衆劇)、政府や企業に依存しない独立放送局(たとえばボローニャの"ラ
ディオ.アリチェ")、実験教育(注目すべきものとしては、演劇的な技法を教育にとりいれた
"アニマチオーネ"運動)などが一九七三年以降に展開しはじめ、一九七七年には一つのピー
クに達した。
 こうした新しい運動は、総括的に"アウトノミァ"(呂律・自治権)運動と呼ばれる。この連
動の理論的指導者としては、いまではマリオ.トロンティ、アントニオ・ネグリ、セルシオ・ボ
ローニャ、フランコ・ピペルノ、オレステ・シャルツォーネ等が有名であるが、この運動は−
まさにこの点がこの運動の新しさなのだが1何か綱領のようなもので組織された単一のグル
ープによるものではなく、さまざまな運動グループやネットワークが自然発生的に二つの方向
を形成してゆき、自発的に連帯しあうなかでおしすすめられてきた。従って、この運動の構成
単位を"アウトノミァ・グループ"と呼ぶのは正しくないわげで、そう言ってしまうと、この
運動のユニークさ−すなわち分散したまま連帯しあう側面一が抹殺されてしまいかねない。
 ところが、イタリアの国家権力は、あえて単一の「アウトノミァ・グループ」なるものを裡
造し、さらに、この担造された運動主体を一連のテロ事件の不明瞭な主体に関連つげ、イタリ
アにおける"反国家的"、暴力的な運動のすべてを「アウトノミァ・グループ」なるもののう
えに1そっくり転嫁したのである。一九七九年四月七日未明、警察はパドーヴァ大学教授アント
ニオ・ネグリをはじめとする左翼理論家・政治家二十二名をアルド・モロ誘拐・殺人の関連容
疑で逮捕した。その後、疑わしきは、四十八時間まで拘留できる法律が制定されたことによっ
て、イタリアは、ヨーロッバで最も多くの"政治犯"をもつ(一説では、目下ニハ○○名を越
える"政治犯"が獄中にいるという)国となった。
 "アウトノミア"関係者逮捕の"証拠"として当局は、ネグリとジャーナリスト、ジュゼッ
ペ・ニコトリがモロ夫人とかわしたという電話の盗聴デーブを提出したが、このテープは逮捕
に先立って声紋分析をほどこされてはおらず、しかも、イタリアの警察当局には声紋分析の装
置がないという。また、何よりも奇妙なことに一、モロ首相誘拐事件当時ネグリは、ソルボンヌ
大学の正式の招聰を受けてバリでマルクスの『要綱』の講義をしており、誘拐を組織すること
は物理的に不可能であった。
 こうした情勢に対して、イタリア内外の知識人たちはいっせいに1批判ののろしをあげ、各地
に「四月七日の弾圧に抗議する委員会」が組織された。この弾圧に署名や抗議声明を発表した
知識人のなかには、故サルトルをはじめ、ベルナルド.ベルトルッチ、ウンベルト.エコー、
ルイジ・ノーノ、ウジェーヌ・イオネスコ、レイモン・アロン、、・・ツジェル・フーコー、フェリ
クス・ガタリ、ジル・ドゥルーズ、ルイ・アルチュセール、アラン・ジュフロア、アンドレ.
グリュッグスマン、ノアム・チョムスキー、ポール・スウィージー等、日本でも著名な人々が
加わっており、『ル・モンド』や『ニューヨーク・タイムズ』のようだ一般紙もこの事件を報
道した。が、そうした国際的な異議申し立ての努力にもかかわらず、アウトノミァ運動の加担
者に対する弾圧は熾烈さをまし、イタリアの「四月七日の弾圧に抗議する委員会」は早くも解散を余儀なくされた。
 ところで、去る四月二十五日(一九八○年)付の「リベラシオン」紙によると、「赤い旅団」の
活動家として二月に逮捕されたバドリツィオ・ベチが白白をはじめ、当局は、モロ事件の主謀
者はアントニオ・ネグリではなく、目下逃走中のマリオ・モレッティであって、彼こそ「赤い
旅団」の黒幕だという見解を固めつつあるという。だが、それでは、マリオ・モレッティとは
誰か? わたしは、昨年ニューヨークで開かれたイタリア演劇祭で、彼がヴィクトール・シク
ロフスキーのエッセイに触発されて書いたという一種のミュージカル・コメディ『マルコポー
ロ・エンド・カンパニー』(インコソトロ劇団上演)をみたが、マルコ.ポー口の半生を明るいサ
チールとユーモアをもってえがいたこの劇の社会的含意は、「赤い旅団」たるもののうえに全
面的に転嫁されている陰気なテロリズムとはどうしても結びっいてこない。
 ネグリが国家権力によってスケープ・ゴートに給されだというのは定説だが、今回の"進展"
は、犠牲の役割が他に移しかえられたにすぎないのではないか? すでに、イタリアのシニカ
ルな雑誌『イル・マーレ』は、喜劇俳優のウーゴ・トニヤッツィを「赤い旅団」の"黒幕"に
したてたユーモア記事をのせ、読者の笑いをさそおうとしたが、驚くべきことに、この記事は、
それをまにうけた多くの"きまじめな"読者の反応によって、スキャンダルをひきおこした。
このことは、イタリアでは今日、多くの人々が、いまの情勢下ではどんなことでも起こりうる
と考えていることを示唆しており、かくなるほど状況はニヒリスティックになっているのであ
る。
 いずれにしても、国家権力がこのように血まよった弾圧に走るのは、アウトノミァ運動がも
ともと国家にとってきわめて"危険"な要素をもっているからであり、国家はいま必死になっ
てアウトノ、・・ア運動の可能性を抹殺しようとしているわげである。フェリックス・ガタリは、
この弾圧を「ヨーロッバの経済的・社会的危機に対応して昂進された暴力」だとみるが、事実、
イタリア警察の"アウトノ、・・ア"弾圧が、西ドイツのヴィースバーデンにある連邦犯罪局に集
まる西.南ヨーロッパの警察情報を利用しだということが事実だとすれば、今度の事件が西・
南ヨーロッバ全体を警察国家化する組織的な動きの第二段階(第一段階は西ドイツで起こった)
であることも疑いえない。
 ニューヨークのコロンビア大学を中心に、これまでフランスのラディカル思想の"輸入"に
力を入れてきた『セ、・・オテクスト』誌は、突如内容を一新して、三二〇ページの特集号「イタ
リー.アウトノ、、、アーポスト.ポリティカル.ポリティックス」を出したが、"政治への回
帰"と題する序文のたかで編集主幹シルヴィル・ロトリシジェは次のように書いている。
 「アウトノミアのゆるやかさというものが、革命運動の歴史のなかにある革新的なものをう
ちたてたことを認めなげれぼたらない。『アウトノミア』は、権力の安定をゆさぶろうとする闘
いのなかでは、これまで決して獲得することのできなかった柔軟性を与える。また、その流動
性によって責任の実質的にートータルな転換が可能となるつかまえどころのないネットワークに
直面して、国家がその控造の才を証明し同質異像的な曲解をこととする告発の様式をでっちあ
げたことは驚くにあたらない。」
 ひるがえって、今日、日本では、ヨーロッバの、とりわけその左翼思想・文化に対する関心
が極度に低下している。そして一部では、ヨーロッパから"教わる"ものはもうなくなったと
いう声すらきこえる。だが、インターナショナリズムとは、"教える"とか"教わる"とかい
った権威主義的姿勢を越えて、他者とディスカッションに入りうる姿勢であるかぎりにおいて、
こうした傾向は反インターナショナリズムであり、きわめて反動的な状況を意味している。
「アウトノミァ」やその弾圧に対する日本のジャーナリズムの無関心は、まさにこの反インタ
ーナショナリズムの度合を示しているように思えてならない。



14 "読者"であること


 二年ぶりに日本に帰ってきてみて気づくことは、世をあげて左翼的と呼びうる思想の埋葬行
事がアメリカやヨーロッパ以上に進んでいるという印象だ。この行事は、"歴史の必然性"と
いう体裁をとって進められているので、左翼的と呼ばれてきた思想家の死は、左翼思想を"一
時代の終わり"のなかに埋葬するための格好の葬具となる。折しも、昨年(一九七九年)はマルク
ーゼが死に、つい先頃、サルトルが逝った。その問、ニコス・プーランツァスが新著を胸にい
だいて窓からとび降り、ルディ・ドゥチヶが浴槽におぼれ、ロラン・バルトが自動車に1ひかれ、
それぞれ不可解と言えなくもない死をとげた。
 むろん、左翼思想は、こうしたスターたちの独占的な所産ではなく、左翼的と呼びうる読者
たちの無言の地平をも含み、むしろそうしたものによってささえられてきたのだが、こうした
作家たちの死は、いわば自著の"読者代表"として読者に刺激を与えてきた側面が失われてし
まったかぎりに1おいて、やはり一抹のさびしさを与えずにはおかない。とりわけサルトルの場
合、彼はつねに一自著の最もラディカルな批判者、解釈者であったので、読者はいまや、すべて              、   、  、   、
を自分ではじめたけれぼたらたい創造的た困難さのたかに立たされることにたった。
 もっとも、恒久的な"作者"を想定したがる"くそまじめな"読者にとっては、サルトルは
ひどくやっかいた"作者"であった。『存在と無』の発表後、その邦訳も出そろい、真筆たサ
ルトル研究家たちがその内容をおおむがえしに語りはじめた頃、サルトル白身はすでに、他の
誰よりもきびしい『存在と無』批判を展開しようとしており、その結論部分とたるべく予告さ
れていた『倫理学』も放棄してしまう。「私は二千ページの覚え書を作っていましたが、それ
を見限りました。惜しいとは思いません。なぜたら、そこには価値があったはずの記述もあっ
たとはいえ、全体としてはまったく度しがたい観念論に汚されており、とりわけ倫理学が可能
であるという観念に汚されていた、と思うからです。今日では、あなたがたも仰承知のように、
唯一の可能な倫理とは闘争だと考えています。」(「私の文学と思想」、『又芸』、一九六六年12月号)
 たしかに、サルトルの自己批判は一貫しており、そこにはいささかの自己弁護もごまかしも
みられたい。『存在と無』は、その興味ぶかい他者分析の章にもかかわらず、他者を欠いた意
識を本来的なものとしており、だからこそサルトルは、『弁証法的理性批判』において新たに、
他者を内包した意識、つまりは集団性の分析を展開した、というわけである。だが、このこと
を、真理に対する思想家の誠実さといったようなものとして受けとるならば、サルトルのこう
した白已批判的姿勢も、所詮は白已の作品言語のなかに自己の意志と論理とをすみずみまで貫
徹させようとする"作者"の作者至上主義的欲望に還元されてしまうだろう。そして彼の思想
的営為のすべては、絶えざる"挫折"にもめげずすべてを最初からやりなおすシジフォス的な
一つまりは、デカルト・カント主義的虚構主義の一試みに還元されてしまうだろう。
 だが、作者が作者であるのは、たかだか作者がその作品を書きっづげている最中でしかない
というかぎりにおいて、サルトルのあの徹底的な自己批判と出なおしの試みは、作者1ーサルト
ルの試みとしてではなく、読者1ーサルトルの試みとして受けとらねぼたらないのではないか?
が、そうだとすれば、彼の自己批判には単なる自己批判ではなく、作品と読者との関係に対す
る、言語的レベルでの彼の一つの戦略がこめられているはずである。たとえば、コ言葉』の末
尾にある有名たくだりをみてみよう。
 「……特に私は事物とその名称とを混同してしまった。それは信仰するということである。
私は錯覚に陥ったのだ。この錯覚がつづく限り、私は、自分がうまく切り抜けた人問と受け取
ったであろう。私は三十歳のとき、錯覚に見事な一撃を与えることに成功した。:…のちにな
っては私は愉快そうに、人問は不可能な存在であることを主張した。私自身も不可能な存在で
はあるが、この不可能性を表明する唯一の委任があることによってわずかに私は他人とはちが
っていた。私のこの不可能性は、たちまち変質し、最も内密の私の可能性に一なり、私の使命の
対象、私の栄光のスプリング・ボードにたった。私はあれらの明白た証拠の囚人であったが、
証拠を見ていたというわけではなかった。可能性を通して世界を見ていたのだ。骨まで詐術の
犠牲となり、かつがれた私は、われわれの不幸な条件について楽しげに書いていた。独断的で
あった私はすべてを疑ったが、疑惑の選ばれし者であることを疑わなかった。私は、片方の手
で破壊していたものを、一方の手でこしらえ直していたのである。そして不安をば私の安全さ
の保証と見なしていた。私は幸福だった。」(白井浩司訳)
 ここには、一見、"作者"自身による素直な"自己告白"があるかにみえる。だが、サルトル
は、白已の作品を絶対化すること(作品と読者との関係を惰性的.権威主義的なものにするこ
と)をたえず拒否し、ほとんどすべての作品に批判的距離をとろうとしてきたのだから、この
"白已告白"のなかにも何らかの批判的距離が存在するはずである、そしてその際、この批判
的距離は、作者が恒常的た作者=像とたることをやめる方法と、そうなることをくいとめる戦
略として機能するはずである。実際、サルトルは、この言語的レベルでの方法と戦略によって、彼の読者を能動的た読者=
大衆の方向へ近づけようとしたが、この方法と戦略は、彼の死によ
って、いまや全面的に読者の手にゆだねられることになった。が、今日の状況は、読者が彼の
死からサルトルー1作者=像への追憶をではなく、そうした偶像の破壊と読者のたえざる自己超
克をうながすサルトル白身の最後のメッセージを読みとることからはほど遠いようにみえる。



15 映画を"教条的"に読む


 一九六〇年代のロック・ミュージックのスター、ジャニス・ジョプリンの晩年からヒントを
得たというアメリカ映画『ローズ』(マークニフィデル監督、一九七九年製作)は、配給金杜(20世紀フォ
ックス)のパンフレットの言うところの一"バーブラ・ストライザントを越える人気を持ち、
歌唱力と演技力をそたえ、数々のヒット・アルバムを持つベット・ミトラー"が主役を演じて
いるため、最も怠惰た見方をするならぼ、彼女が劇中で歌う適度に"反体制的"なフレイバー
をもったロックニ・エーシックをきいて済ませることもできる。劇中にはたびたびコンサート・
シーンや、主人公のローズが行きずりのクラブやバァで即興的に歌を披臨するシーンがあり、
ベット・ミトラーの熱演は、そのようた要求にも十分応えてくれるだろう。
 が、映画のもっと怠惰な見方は、むしろ、ストーリーのある映画をストーリーに従って見る
ことではなかろうか? というのも、ストーリーとは、観客がどんたに受け身であっても何と
かっかめる、映画の最低レベルの論理であるからだ。これは、映画を文化装置として利用する
側にとっては、一番関心のある部分である。実際、それかあらぬか、配給金杜がつくるパンフ
レットでは必ずストーリーの紹介が主要な位置を占めており、それは問題の映画を"どうかそ
のよジつに見てもらいたい"と注文しているかのようである。
 『ローズ』の場合、そのストーリーーつまり製作者が勧める映画の論理一は、自由奔放
にみえてひじょうに他律的た女であるローズが、専用の双発機のタラップを重病人のような足
どりで下りてきて、待ちうげているマネージャー(アラン・ベィッ)の高級車に乗りこむシーン
からはじまる。このとき、ローズのヒッピー風の頭陀袋からアルコールの壌がころがり落ちて
くだげ、彼女が心身ともに相当まいっており、やっとコンサートの巡業を続けていることが示
唆される。それゆえ、次のマネージャーのオフィスのシーンでは、早速ローズが彼に休暇をほ
しいとせがみ、マネージャーがそれをっっぱねる。三百万ドルでマネージャーと契約している
この歌手は向う三年問のスケジュールがびっしりつまっているのである。が、こうなるとこの
映画のストーリーはほとんど予想がつく。マネージャーはビジネスの鬼たのだろう。ローズは、
このビジネスの"非情な"世界で苦しむのだろう。マネージャーが最後に折れるのか、それと
も、歌手が破滅するのか、はたまた第三の道があるのか?
 ストーリーは、Lぱらく、第三の道、つまりヴェトナム戦争下の軍を逃亡した男、ヒュース
トン(フレデリック.フォーレスト)とのラブ・アフエアーをからませ、ローズにつかの問の"平
安"を与える。この男は、ローズの付人のような役で巡業にもっきあうことになり、マネージ
ャーも、"ローズを頼む。過去の男はたくさんいたが、長続きしなかった。君が彼女の錨にな
ってほしい"とか言って彼を是認するが、その"平安"も長続きはしない。大詰は、彼女の念
願であった故郷フロリダに錦を飾るコンサートの目である。スタジアムにLっらえられる大が
かりな会場の準備は着々と進み、事務所ではマネージャーがローズの到着を待っている。彼女
は例によってそんなことにはおかまいたく、故郷の思い出の場所を付人の若者の一人に見せた
りして、やっとマネージャーのまえに姿を現わす。が、マネージャーは意外にも、"今日のコ
ンサートは中止することに決めた"と彼女に宣告する。そして、動転して泣きわめき、懇願す
るローズを強くっっぱねて行ってしまう。
 映画はここで、ふたたびヒューストンをローズに再会させる。発作人問であるローズは、た
ちまちマネージャーのこともコンサートのことも忘れたかのように、彼と街に出かけてゆくρ
かくて、コンサートの開始時間が目前にせまっても、ローズの行くえは皆目わからなくなるρ
ローズのでたらめさに業を煮やしたというより、明らかに、彼女にこの辺で"大人"になって
もらうためにこの戦略を試みたマネージャーとしては、少々当てがはずれてあわてる。しか
し、その頃ローズは、またしてもヒューストンとトラブルをおこし、彼から愛想をつかされて
いた。街のバァにいたとき、彼女の幼友達の一人が"また輪姦ごっこをやろうよ"といったよ
うなことを彼女に言ったので、ヒューストンはこの男をなぐりつげてしまうのだが、ローズは
幼友達のじょうだんを解せぬヒューストンに激怒して彼の頬をなぐり、彼に毒づいてしまうの
である。
 もともと歌うことしか能のたいローズにとって、ヒューストンがいなければ、帰るところは
マネージャーのところしかない。が、彼女はどうやってコンサート会場に1もどったらよいのか
わからないのである。このあたり、この女の甘ったれた幼児性がなかなかよく描かれている。
公衆電話で局の交換手に1たのんでやっとマネージャーと話ができたときには、彼女は、そのあ
いだに飲みっづげ、打ちっづげた薬物のためにロレロレの状態に1なっている。それゆえ、マネ
ージャーによってようやく"救出"され、ヘリコプターでスタジアムに運ばれたとき、映画が
彼女をステージのうえで"殺す"ことになるだろうという予想はっく。ストーリーの大詰にふ
さわしい回ーズの最後の"絶唱"があり、予想通りローズはステージにぱったり倒れる。配給
金杜のプログラムは書く一「愛を求め、愛に1傷つき、一つの時代を体当りで生きた一人のス
ーバー・スターの最後であった。」
 じょうだんじゃないよ、というのが、この映画の記憶中ストーリーに従って再構成してみた
わたしの印象である。要するにこの映画は、ストーリーを追って見れば、一時代の大衆を熱狂
の渦にまきこんだ一人のスーパー・スターが、その熱狂を彼女がいかなる代償のもとに一作り出
したかをいささか楽屋落ち的に物語っているわけだが、それにしてもずいぶんいい気だものじ
ゃないかと思うのである。
 もっとも、この映画は、そのストーリーに従って見る場合でも、もう少し別の見方もできな
くはない。この映画は、ヴェトナムの戦況を伝えるラジオ放送とか、空港待合室にいるヴェト
ナム出征丘ハ土の姿などによって一九六〇年代末のアメリカということを暗示しており、そのた
めこの映画をその時代のアメリカの歴史的表現とみなすことも不可能ではない。とすれば、ロ
ーズの甘えきった幼児的姿勢、スターというものに1白已のアイデンティティを見いだす権威主
義的=ーナルシシズム的な聴衆という構図は、なるほど、六〇年代のアメリカ社会の性格をそれ
なりにとらえていると言える。クリストファー・ラーシーは、『ナルシシズムの文化』(一九七八年)
のなかで、「競争的個人主義の文化、すたわち、その頽廃によって個人主義の論理を万人に対
する万人の闘いという極限状況にもってゆき、幸福の追求を自己へのナルシシズム的な没頭と
いう袋小路にっれてゆく競争的個人主義の文化」が一九五〇年代以降のアメリカで支配的であ
ったこと、そしてこの"ナルシシズム"は、結局、国家や企業やその他諾々の官僚組織に個人
が依存する心理的次元であるということを指摘しているが、『ローズ』はこの意味で、この時
代のアメリカ社会の性格を映像化していると空言えるのである。とすれば、ちょっと見には何
といい気だものだと思われるこの映画も、いい気なものだった時代を映像化しようとしている
のであって、単にいい気な物語への感情移入を要求しているわけではないことになる。だが問
題は、ポピュラー.、ミューシックの現役として強力な影響力をもっているベット:・・ドラーが、
そのような異化作用よりも同化作用をより効果的にひきおこしやすい点である。また、外国映
画は、その社会.文化的コンテキストが切り離された形で作品だけが輸入されるわけだから、
たとえば、アメリカの観客にとっては味気ない時代の一表現と映じた『アメリカン・グラフィ
ティ』(一九七三年)が、日本では一つのカッコいい風俗として受けとられてしまったように、
『ローズ』も、甘えとナルシシズムの時代の一表現としてよりも、カッコいい一人の女の話と
して受け取られる可能性が十分あり、映画自身もそのようた可能性を促進する条件をより積極
的に提供している点が問題である。
 他面、この映画は、もう少し怠惰でなく一つまり、ストーリーや登場人物の具体性をカッ              
コに,入れ、イメージの細部が自由に喚起するものに従って読みなおしてみると、これをもう一
つのヴェトナム映画として読めないこともない。ローズと飛行機との関係は、ヴェトナム爆撃
に進攻するアメリカ兵とB52との関係の社会的ヴァリェィションである。ローズをあやつるマ
ネージャーは、コンサートの開始を目前にひかえながら彼女の行くえがわからたくあわててい
るスタッフに向かって、"やつは必ず現われる、おれにまかせろ、おれはヴェトナムで気違い
といっしょに暮していたんだ。気違いのあつかい方にはなれている"と豪語するが、これはまた
さしくペンタゴンの司令官と同じ身ぶりを思わせる。兵士たちは、ペンタゴンの冷徹な計算的
理性によってあやっられ、ヴェトナムに送られて人殺しをし、自らもそこで死んでいったが、
それはまさしくローズの宿命にもあてはまる。彼女は幾たびか逃亡を企てる。それを"手引"
するのが実際の逃亡兵ヒューストンだというのも暗示的だ。エレクトロニクスと物的資材をぶ
んだんに投入したコンサート会場は、さだから戦場の雰囲気である。そして、銃たらぬマイク
をつかんで必死に歌う(闘う)ローズにやんやの喝采をおくる聴衆の姿は、まさにヴェトナム
の虚しい"戦勝"に酔いしれるアメリカの操作された大衆の姿と瓜二つである。
 このように見ると『ローズ』は、ボブ・フォッシーの『キャバレー』(一九七二年)がナチの暴力
を間接話法で印象づげたように、ヴェトナム戦争下のアメリカ政治において顕在化する"理性
の腐蝕"を社会や個人意識のなかに発見させる点で、『地獄の黙示録』や『ディア・ハンター』
などよりもより具体的.暗示的にヴェトナムを扱っていると言えなくもない。だが、問題は、
この映画をそのような方向で見ようとしても、そのようた発見はここでは単なる歴史上の出来
事として完結してしまい、ヴェトナム戦争とその時代のアメリカ社会を単なる過去のナンセン
スな出来事として回顧するにとどめてしまう点だ。この映画をもう一つの"ヴェトナム"、ヴェ
トナム戦争の社会.心理的次元として見ても、そこから帰結するものは、あの時代は何てばか
げた、甘ったれた時代だったのかといった不連続な歴史認識にすぎず、今日も続けられている
"ヴェトナム戦争"のレベルがこの認識によって逆にたくみに忘却させられてしまうのであるρ



16 脱・勤勉社会の"勤勉"


 ラジオの交通情報には"自然渋滞"という言葉がよく出てくるが、交通渋滞はもはや人為的
なものではなく、"自然現象"の一つに入っている。それと同様に浮浪者というものも、昨年
(一九八○年)新宿駅西口広場でバス放火事件があったあと、一都の予想に反し、公権力による大
規模な浮浪者狩りがなかったことをみてもわかるように、もはや公権力にはコントロールでき
ない"自然現象"になってしまっている。公権力にできることは、彼や彼女らをあえて"普通
人"の方にひきあげるか、あるいは"自然物"として物の世界にうめこんでしまうかのいずれ
かである。
 今日の浮浪者は、かつての"ルンペン"とはちがって、社会の異分子的存在ではなく、社会
の構成員の一人一人が大なり小なりもっているある種の"無意識"をちょっとぱかり"専門的"
に代表しているにすぎない。われわれは、以前にくらべれぱはるかに怠惰になっているのであ
り、何かきっかげさえあればいっでも新宿や銀座の地下道の住人に1なりうる潜在性をもってい
るのである。
 すでにアメリカあたりでは、"ポスト・インダストリアス・ソサエティ"(脱・勤勉社会)
という言い方で今日の社会をとらえようとする試みがある(ジヨソ・P・ロピソソソ「脱・勤勉社会へ向
げて」、『パブリック・オピニオン』、一九七九年8/9月号)が、工業社会が勤  勉社会であったと
すれば、脱・工  業社会はたしかに,脱・勤勉社会であるはずだ。その際、脱・勤勉社会では
情報をもち、操作できる者が"資本家"ということになり、労働の方も、肉体労働よりも精神
労働が重視されるが、それは、肉体労働の側からみれば肉体を怠惰にし、精神を勤勉に一するこ
とを意味する'から、肉体的怠惰さというものが大なり小たり脱・勤勉社会の社会的性格となら
ざるをえない。
 が、"肉体"と"精神"という区別は抽象的なものであって、現実には両者はたがいに交換
しあい、まじりあっているのだから、この肉体的怠惰さが突如として精神的怠惰さに転化する
こともないわけではない。実際、福祉のディレンマはここにある。福祉が発達すれば人は肉体
的に一働かなくなるが、その分たけ精神的に勤勉に1なるという保証はどこにもなく、むしろ、
"英国病"にみられるように精神的怠惰の方も昂進するかもしれない。要するに脱・勤勉社会
は、肉体的にだけではなく精神的にも怠惰であることが社会的性格とならざるをえないのであ
る。
 これは、既存の社会体制にとっては大いなる危機であろう。ただし、この危機は必ずしも
"人類存亡"の危機ではなくて、既存のシステムの危機であるにすぎないことは注意を要する。
現在のテクノロジーの潜勢力からすれば、人があくせく働かなくてもよいようた社会をっくる
ことはそれほど不可能ではないが、そうなればまず"国家"というようた観念は崩壊せざるを
えないため、テクノロジーは支配のテクノポリティックスによって規制され、そのような潜勢
力を発揮できたいようにされている。
 この点に関しては、ナム.シュン・パイクが谷川俊太郎との対談(『月刊イメージフォーラム』、一九
八一年一月号)のなかでおもしろいことを言っていた。バイクによれば、現在アメリカではケー
ブル・テレビジョンが猛烈な勢いで浸透しつつあるが、これがアメリカ人を「もっとポスト・
インダストリアライズして」労働のモラルを低下させ、いわゆる"英国病"を蔓延させること
になるかもしれないという。だが、思うに、ケーブルニァレビジョンのような"ポスト.イン
ダストリアル・メディア"は、もともと"英国病"や破壊的た怠惰さをコントロールしようと
するところから現われたのではないか?言いかえれば、アメリカ社会は、すでに脱.勤勉社
会へ向げての先手をうちつっあるのではないかということだ。
 バイクが言っているように、アメリカは日本より早く脱・工業社会に入った。脱・工業社会
においては、ハード・ウェアよりもソフト・ウェアの方が資本を生む効率が高いから、自動車
産業などよりも情報・文化産業が重視され、自動車では日本に立ちおくれても、情報や文化商
品の生産では優位に立つ。アメリカは決して帝国主義を捨てたわけではなく、七〇年代を境に
して工業集約型の帝国主義から情報・文化集約型の帝国主義に"ラディカル"な変貌をとげよ
うとしているのである。
 ここでは、情報や文化は人を精神的にも肉体的にも怠惰にさせないための装置にたるのであ
って、人は労働時間が短縮された分だけ余暇を手に入れるが、その余暇をテレビやスポーツな
とのいわゆるレジャーという"労働"で勤勉にすごすわげである。おもしろいことに、アメリ
カでは普通のテレビの浸透と並行して(自分の家や水泳クラブのプールでの)水泳が中流アメ
リカ人の日常生活に浸透したが、ケーブルニァレビジョンの浸透と並行してジョギングが猛烈
に流行し、それはみごとに彼や彼女らの日常生活のスケジュールのなかにくみこまれた。つま
り、テレビをみることによって生じる肉体的怠惰さは、ちゃんと解消されるようになっており、
脱・工業社会が本当に怠惰な(つまり人問的な)脱・勤勉社会に向かわずに一、つねに勤勉社会
(つまり資本の社会)にとどまるようた仕組が出来ているのである。
 この意味で、ハル.アシュビーが映画演出した『ビーイング・ゼア』(邦魑『チャンス』)の主人
公は、決して未来人問などではなく、逆に、アメリカの最もエスタブリジメントな模範的人問
像を代表しており、彼が大統領に選ばれるとしてもそれは決して不思議ではない。というのも、
彼はたしかにテレビ中毒だが、その一方では庭仕事をして肉体を使い、決して自分を肉体的怠
惰のたかに埋没させはしたいからである。
 当面、アメリカでは、そもそも怠惰ということが不可能なようなシステムが出来あがってお
り、それが蔓延すれば現存の社会的メカニズムの機能が停止してしまうかもしれないようた怠
惰、トニー.リチャードスンの『ザ・ラブド・ワン』で四六時中ベッドに寝ていて運ばれてく
る料理を片っぱしからむさぼり食うことしかしない大デブ女の破壊的な怠惰、は決してめぱえ
ようもないが、他面ではそのような怠惰が、今日、アメリカのテレビ人問の無意識のなかに少
しずつ蓄積されているような気もする。



17 造反無理?


 コリン・ヒギンズ監督の『9時から5時まで』は、ひねくれた見方をすると、なかなか意味
深長た作品で、それは、"反体制"とか"造反"というものが高度管理社会のたかではたす機
能について考える素材を与えてくれる。むろん、この映画の表層の"メッセージ"はそんなこ
ととは無関係で、例によって主演のジェーン・フォンダや製作関係者の周囲から伝わる"雑
音"によると、この映画は"いまだ大企業のたかで働く女性の地位と権利は低く、男性優位は
変わらない"現状を批判し、茶化したものだという。
 たしかに、表向きは一つまり作品のもっている無意識のレベルを考慮に入れなければ一
この映画は、三人の女性社員(ジェーン・フォンダ、リリー・トムリソ、ドリー・パートン)が男性
至上主義の副社長(ダニー・コールマン)に造反し、結果的に会社を改革する話である。造反の発
端は、トムリソが副社長のコーヒーに砂糖とまちがえてネコイラズを入れてしまい、それに気
づいた副社長から脅かされることに端を発するのだが、なりゆきで副社長を監禁した彼女らは、
堅苦しい社内を片っぱしから改革する。タイム・レコーダーを撤廃し、出勤を自由時間制にし、
賃金の格差をなくし、タピになった昔の仲間を再雇用し、身体障害者にも職を与え、社内に1保
育施設をつくる。社内の雰囲気は一変し、まるで無秩序な空間になる。だが、リチャード.セ
ネットの『無秩序の活用』の理論を地で行ったのか、この"変革"は、杜の営業成績を飛躍的
にのばし、彼女らは、会長からじきじきにおほめの言葉をちょうだいする、まさに、造反有理
となったわけである。
 しかし、ひねくれた見方をすれば、この造反有理には裏がある。映画は決しでそんなことを
暗示しはしないのだが、考えようによっては彼女らの造反は会社の上層部によって仕組まれた
会社システム改造劇だとみなすこともできなくない。有体には、"純真"た三人の女性たちが
偶然のたりゆきと感性のおもむくままに造反し、それが結果的に会社のブラスになってしまう
のだが、システムのなかにある程度の造反的要素や批判の回路を残しておいた方がシステムは
うまく機能すると考える"対抗官僚主義的官僚制"などのような方向を積極的に取りはじめて
いる今日のアメリカの大企業にとって、男性優位主義のような過去の亡霊にしがみついている
副社長などはシステムの障害以外の何ものでもない。とすれば、この会社の上層都が、事務所
の湯わかし場に砂糖といっしょにまぎらわしい包装のネコィラズをおかせるぐらいのことをた
くらんでも何ら不思議なことではないだろう。彼女らの造反を会社のトップ.レベルがはじめ
から承知していてやらせていたということも決してありえないことではないのである。
 ところで、もしあらゆる造反がこのように所詮はシステムにとりこまれてしまい、造反はシ
ステムの増殖に役立つだけだということになると、システムを根底からくっがえすような造反
はどのようにして可能なのだろうか? すでにポールニフファルクは『急げる権利』のなかで、
労働への執着と信仰が続くかぎり、そこでの造反は所詮新たな労働への隷属に一すぎず、従って
最もラディカルな造反は労働の放棄すなわち怠惰にしかないことを力説した。
 たしかに怠惰はシステムにとって最も危険な造反である。それゆえ、システムはこれまで、
あらゆる方法で怠惰をとりこみ、怠惰の危険な否定性を取り除くことに腐心してきた。その結
果、はじめは怠惰の強力な組織化であったはずのストライキも、今日ではシステムの生産増強
を刺激する重要た装置にたっている。また、レジャーの大型化は労働時間の短縮(一種の怠惰)
なしには不可能であり、フトン乾燥機は万年床の怠惰を、惣菜屋は料理することへの怠惰を必
要とするように一、今日のサービス産業は怠惰によって栄えている。
 しかしながら、システムによる怠惰のとりこみは、はたしてどこまで成功するのだろうか?
すでにヨーロッパの諸政府は、福祉の"行きすぎ"(η)が人々を怠惰にし、システムの存続
をあやうくするというので、福祉の削減を本気で考えているらしい。また、テロや内ゲバのよ
うな暴力的た造反をひそかに奨励し、それをくたびれたシステムのカンフルにしようとする傾
向もある。が、こうした場あたり政策のはてに1は、まさにジャック・ステルンベールが『五月
革命棚』で描いたような大規模なサボタージュの勃発がないとはいえない。そしてその運動は、
指導者はおろか、綱領も、練り上げられた計画も全くなしにある目突然はじまるのである。
 「増大する汚染にうんざりし、税金に追いつめられ、天逝保証書を手にし、なんの慰めにもな
らない家庭と都会生活に1疲れ果て、日々の労働で頭を膝騰とさせた多くの人々が、ついに、我
慢できなくなって、すべてを放棄し、成り行きに身をまかせたのである。この責任放棄は、下
は労働者から上は重役連中まで、あらゆる社会階層、あらゆる職業に広がった。事務員はスタ
ンプを投げ捨て、労働者は退屈な労働の流れを破壊し、医者は患者の尻の穴に体温計を突っ込
むのをやめ、俳優はっまらぬ苦悩に一身をまかせることに嫌気がさし、役人はフル・タイムで働
くことを拒み、教授は自分の根を断つことにのみかまげる学生たちになぜラシーヌを教えなげ
れぱならたいのか分からたくなり、建築家はコンクリート製の糞の山をうず高く積み上げるの
に吐き気を催した。L(田村源二訳)
 かくして地球は"怠惰な時代"に入り、人々は所有を捨て、ただ怠惰に暮すことのみをよし
とするようになるのだが、ステルンベールの物語では、それから十年後の一九九六年、宇宙の
かなたから人間そっくりの、ただし"一九五〇年代の人問そっくり"の異星人がやってきて、
あっという問に地球は征服され、かつての勤勉社会がふたたび出現してしまうのであった。



18 横断的伝達の機械


 文化が文化装置と化す時代には、芸術作品を、一個の主観(作家や作中人物)が生産、表象
"代理する"意味"の統一体としてとらえることはできない。それはまた、多数の主観(集団
意識)が生産し、表象=代理する"意味"の統一体としてとらえることもできない。"意味"
はもはやどうにでもたる春意的・相対的・暫定的なものとなる。
 芸術作品は、いまや装置となりそして人問も装置となるのだから、存在するのは"意味"で
はたく、機能であり、これまで"意味"と呼ばれてきたものも機能としてとらえなおされるだ
ろう。むろんこの帰結は両義的である。なぜたら、われわれはここから単純な機能主義に向か
うこともできるし、また、このような動向が全般的であるとすれば、それをのりこえる可能性
もそこから求めるしかないということを承知している批判的な"機能主義"に進むこともでき
るからである。
 人問のあらゆる活動を"機械"、"仕−組"と呼んでためらわぬフェリックス・ガタリとジ
ル.ドゥルーズが、ヵフヵのたかにみるものはまさにこうした状況に対する戦略である。
 ガタリとドゥルーズによる『カフカーマイナー文学のために』(宇波形・岩田行一訳、法政大学出
版局)によれば、カフカの試みは、支配と権力の機械のなかでまさに「一枚の鏡であるよりもむ
しろ進む時計であること」つまり、「資本主義的欲求、ファシズム的欲求、官僚的欲求、そし
てタナトスも、すべてがドアをノックしに来ている」時代と、そうした欲求を集約したオース
トリアーーハンガリー帝国の街プラハにあって、そのような《悪しき力》を実験的に昂進させる
ことによって「《悪しきカ》が全部構築されるまえに、それらのカを超克すること」であったρ
 だが、公式の"革命機械"に代わるこうした"文学機械"による機能転換の戦略は、これま
での支配的たカフカ.アプローチのようにカフカの作品に寓意や"私生活"の表現などを求め
るのでは、決して開示されないだろう。それゆえガタリとドゥルーズは、彼らの基本姿勢を示
唆して次のように言う。
 「われわれは、想像的でも象徴的でもないカフカの政治学しか信じない。われわれは、構造
でも妄想でもないカフカのひとつの機械またはいくつかの機械しか信じない。われわれは、解
釈や意味付をするのではたく、もっぱら経験の書式から出発して、ヵフヵの実験作用だけを信
じるのである。」
 実際、本書には、イメージの実在モデルをさがし求めたり、イメージを"創造的"に読みか
えたり、イメージの意味を解釈したりするアプローチはどこにもみい出せたい。また、ガタリ
とドゥルーズは「不在の神について語るよりも、マイナーの文学、プラハのユダヤ人の状況、
アメリカ、官僚機構、欠きた訴訟といった問題について語る方が価値がある」とし、「ヵフヵ
についてのリアリズム的た、そして社会的な解釈を弁護すべきだ」としながらも、決してここ
にもとどまりはしない。ガタリとドゥルーズは、ヵフヵの作品を対象として表象するのではな
く、従って自分たちを主観として措定するのではなく、まさに、カフカの機械に入りこみ、そ
の部分品として、その素材として機能し、この機械の機能を一層増進させ、その仕−組を一層
増殖させようとする。
 それゆえ本書は、カフカヘのわれわれの習慣的た姿勢を転換させずにはおかないだげでなく、
言語、作品、欲望、権力、集団等へのわれわれの習慣的・伝統的な姿勢の転換をうながさずに
はおかないだろう。少なくとも、本書の読者は、読者と作者をともに越える"超越的意味"の
ようなものを本書に求めることはできないのであり、その不可能性は、常識的にはひどく"わ
かりにくく"みえる訳文のなかに正しく伝達されている。読者は、本書に直接的な伝達ではな                        トランスヴエルサール
く、"横 断 的 伝 達"を求めるべきであり、本書を"横 断 的"思考の"道具"と
して使い、読者自身の"自発性"を誘発すべきたのである。
 *なお、ガタリの問題意識に対する筆者のアプローチは、筆者が行なった彼への三つのインタヴユ
ーを参照してほしい1「分子的無意識と革命」(『日本読書新聞』、一九八○年11月10日号)、「社会闘
争・多様性・精神分析」(『日本読書新聞』、一九八一年6月22日、6月29目、7月6日号)、「メディア
ヘの異議申し立て」(『月刊イメージフォーラム』、一九八一年8月号)。



あとがき

 本書は、主として一九七八年から一九八○年にかけて書かれた文章を素材にして再構成され
た論集である。その"素材"の多くは、ニューヨークとアメリカの社会・文化状況を一つの利
用可能な視角にしているので、出版の順序が事情により逆になった『ニューヨーク街路劇場』
が本書の序文的な役割をはたすかもしれない。
 木書の主要な関心事は、後期資本主義社会の基本動向であるが、一九七八年に上梓した『主
体の転換』よりもはるかに支配や操作の問題に重心がおかれている。そうした思考の重心移動
がいっどのようにして生じたかは、モンタージュ的な再構成の段階で不明瞭になったかもしれ
ないので、参考までに"素材"の出典を明記しておこう。「 」内は初出時のタイトルである。

 後期資本主義の"延命策"を異化する  「同上」、季刊クライシス、第3号、一九八○年
 装置としてのアメリカ映画       「文化装置としてのアメリカ映画」、社会評論、第28号、一九八○年9月
                「構図としてのアメリカ文化」⑭、日本読書新聞、一九八○年8月4日号
"SF"の語源学           「S……?」、早稲田文学、一九七七年12月号
                  「"まじめ"な複製と"ふまじめ"な複製」、グラフィケーション、 一九七
                   八年3月号
十九世紀の文化操作         「同上」、社会評論、第32号、一九八一年5月
支配のミクロロギー         「同上」、新目本文学、一九八○年u月号
                  「構図としてのアメリカ文化」⑮、日本読書新聞、一九八○年9月8日号
天皇制い文化装置の構造        「天皇制文化の消費構造」、国家論研究、第16号、一九七八年5月
ファミリーの解体と新しい支配様式   「今日のアメリカの一面」、キネマ旬報、一九八一年2月上旬号
                  「ファ、ミリーの解体と支配」、グラフィケーション、一九八一年4月号
アドルノの"越冬の戦略"       「同上」、未来、一九八○年10月号
                    Adorno' "Strategy of Hibernation" Telos", no.46Winter 1980−81
ニュー・レフトを越えて        「破壊的対抗文化 マルクーゼの客死にふれて」、日本読書新聞、一九七九
                   年8月27日号
"破壊的"対抗文化の終わり      「構図としてのアメリカ文化」⑪、日本読書新聞、一九七九年u月5日号
差別のポリティックス        「アジア系アメリカ人のたたかいし、水牛、第6号、一九七九年8月−日号
"新右翼"とコンピューター      「構図としてのアメリカ文化」⑰、日本読書新聞、一九八○年10月20日号
マーケッティンゲと批判理論のはざまで 「〈書評〉T・W.アドルノ著『権威主義的パーソナリティ』」、日本読書新
                   聞、一九八○年12月−日号
経験論と理性論            「〈書評〉、・・ツ.ロナ編『チョムスキーとの対話』」、日本読書新聞、一九八0年7月28日号
支配装置としてのストライキ      「構図としてのアメリカ文化」①、日本読書新聞、一九七九年−月22日号
構造的文化操作           「構図としてのアメリカ文化」⑤、日本読書新聞、一九七九年5月21日号
諜報=文化論            「構図としてのアメリカ文化」⑥、日本読書新聞、一九七九年6月4日号
広告としての文学          「〈書評〉上野昂志『紙上で夢みる』、岡庭昇『犬の肖像』」、日本読書新聞、
                    一九八○年8月18日号
ニューヨークのイタリア        「構図としてのアメリカ文化」⑨、日本読書新聞、一九七九年8月13日号
支配のソフトとハード         「構図としてのアメリカ文化」⑬、日本読書新聞、一九八○年7月7日号
アウトノミア             「血迷うイタリア国家権力」、日本読書新聞、一九八○年6月2日号
"読者"であること          「サルトルの方法と戦略」、日本読書新聞、一九八○年5月5日号
映画を"教条的"に読む        「歴史の忘却装置」、社会評論、第29号、一九八○年u月
脱・勤勉社会の"勤勉。        「脱・勤勉社会の勤勉」、月刊イメージフォーラム、一九八一年3月号
造反無理?              「造反無理」、月刊イメージフォーラム、一九八一年5月号
横断的伝達の機械           「〈書評〉G・ドゥルーズ/F・ガタリ『カフカ』」、日本読書新聞、一九七
                    八年8月14日号

 最後に、木書の作製に献身的な協力をしてくれた友人の米田卓史氏に心から感謝したい。ま
た、本書を最終的に物質化してくれた創樹杜の玉井五一、米田順の両氏、本書の"素材"とな
った文章を動機づけた各誌紙の"仕掛人"の諸氏、とりわけ筆者の思考の断  絶に持続的に
つきあってくれた日本読書新聞の高島直幸氏に、この場をかりてお礼を申し上げる。

      一九八一年七月七日

                                      粉川哲夫