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ブロードウェイのダニー・ローズ

 ウディ・アレンの映画には、ヴォードヴィルやイーディッシの〈一人芝居〉に通じる一面がある。語りの重視、突然の飛躍、特定の地域の住民やグループを意識したディスクール……。指摘すればきりがない。彼の映画は一種の落語ないしは講談であり、その話自体はいつも〈出来すぎて〉いる。
 だから、映像をちらりと見るだけで、あるいはそのサウンドをちょっと聴くだけで、そこにウディ・アレンのディスクールを感じとることができるわけで、すべては最初から〈形〉にはまっている。アレン映画の観客はむしろ、その型を見、聴きに行くのである。『ブロードウェイのダニー・ローズ』は、アレン映画のそうした性格と方法論を意識的に示した作品だ。アレン自身、一九五〇年代には、ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード、ザ・ブルー・エンジェル、ザ・ヴィレッジ・ゲイトといったクラブの常連であり、彼自身も、これらの場所でコミックの台本作家として、またコメディアンとして働きはじめた。
 映画は、ある一定のディスクールをもった口調の話し声と飲食店の内部らしいざわめきからスタートする。それは、〈カーネギー・デリカテッセン&レストラン〉という店で芸人たちが昔話をしていることを示す映像にすぐひきつがれるのだが、この店は、ブロードウェイの劇場街の近くのセブンス・アヴェニューの八五四番地にあり、実際にこの店には演劇関係者がよく集まる。映画では、セットではなくて〈本物のカーネギー・デリカテッセン〉が使われている。
 しかし、この映画はあくまでも?沫詞黽翌ナあり、ドキュメンタリーではないし、疑似ドキュメンタリーを意図しているわけでもない。話は、一九五〇年代に設定されている。それは、ダニー・ローズというウディ・アレンが演ずるところの芸能エイジェントがかかえている歌手ルウ・カノヴァ(ニック・アポロ・フォルト)がクラブでコール・ポーターの〈オール・オブ・ユー〉を歌うことでも暗示されている。この曲は、?嚮ヲの靴下』i一九五七)の主題歌であり、サラ・ヴォーンが歌ったものはジャズ・バラードの古典になっている。三流歌手といった趣きで登場するルウ・カノヴァは、明らかに、サラのパクリをやっている。
 昨年(一九八四年)、『jューヨーク・タイムズ』に、フレッド・フェレッティという人が、一九五〇年代のウディ・アレンについて書いているおもしろい文章があった。ザ・ヴィレッジ・ヴァンガードの支配人のマックス・ゴードンの記憶では、アレンは、「シャイで、どこか臆病な若者」だったという。当時のアレンは、この映画で彼自身が演じているようなマイナーなエイジェントと契約しており、その意味でこの映画は、彼が昔世話になったマイナーなエイジェントや興行師たちへの追想にもなっている。
 マックス・ゴードンによると、当時、ブロードウェイの芸人たちが集まっていたのは、カーネギー・デリカテッセンではなくて、〈リンディズ〉だった。そこでは、シンガーはシンガーたちだけで、コメディアンはコメディアンたちだけでかたまり、真夜中までおしゃべりを続けていたという。
 こうした世界は、いまのブロードウェイにはなく、リンディズはもはや存在しない。演劇関係者は、カーネギー・デリカテッセンのような店に集まるが、その相互関係は以前とは全くちがっている。第一、この映画に出てくるような手品や縄抜けやその他の雑芸をする芸人たち−−映画では、サンディ・バーロン、コーベット・モニカ、ジャッキー・ゲイル、モーティ・ガンティ、ウィル・ジョーダン、ハワード・ストーム、ジャック・ロリンズ、ミルトン・バールなどの昔なつかしい芸人たちが実名で登場する−−の仕事は、ブロードウェイではますます少なくなってきている。
 当時ナイト・クラブがいまより活況だったので、さまざまなタイプのエイジェントがいたし、彼らに売込む芸人たちも多様だった。ときには、スコセッシの『キング・オブ・コメディ』のような強引な売込みも実際に可能だったのであり、そういうやり方で世に出たコメディアンは数多くいた。
 落語や講談がそうであるように、『ブロードウェイのダニー・ローズ』は、そうした失われた世界へのノスタルジアであふれているが、単にノスタルジアだけをかきたてるためならば、アレンは、もっと時代的なディテールに凝っただろう。が、ここにいるのは、ウディ・アレンであって、ダニー・ローズというキャラクターではない。彼は、それを演じているかもしれないが、たとえばジャック・ニコルソンが『シャイニング』のジャック・トランスと『女と男の名誉』のチャーリー・バルテナとを演じ分けるような意味では、アレンは何も演じていない。彼は、つねにアレンでありつづける。
 だから、どんな時代を映画で扱っても、彼の映画が描くのは現代なのである。つまり、彼の映画に現われるのは、かつてあった人間関係や社会ではなく、いまもある−−少なくとも映画のなかでは存続可能な−−別の人間関係であり、スペースなのだ。実際、この映画に前述の芸人たちが出演することによって、アレンや彼らの共同作業のなかで普通とは別の人間関係がつかのま持続したはずだ。わたしは、それと気づかなかったのだが、終わりに出たキャスト名を見ていたら、いかさま催眠術師に女房が催眠術にかけられてあわてる老人役で、ヘルシェル・ローゼンが出ているのだった。彼は、一九三〇〜四〇年代のイーディッシ演劇集団〈アルテフ〉の主要メンバーだった人だ。まさに、この映画は、アレンの五〇年代の友人たちのためのパーティでもある。
 アレンは、『マンハッタン』の場合もそうだったが、ニューヨークの都市の光(太陽光線)をロサンゼルスや他の都市のものとは厳密に区別し、その相違を映画に定着しようとしている気がする。『マンハッタン』もこの映画も、ともに白黒で撮られているのはそのためかもしれない。それは、ニューヨークを撮る一つのやり方である。
前出◎85/ 9/14『月刊イメージフォーラム』




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