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リキッド・スカイ

『リキッド・スカイ』には、最低限二種類のエイリエンが登場する。一〈人〉は、エンパイア・ステイト・ビルディングに近い建物の屋上に降りるフリスビーのような形をした円盤のなかにいるはずの異星人であり、もう一人は、このUFOをベルリンから追いかけて来た外人科学者のヨハン(オットー・フォン・ウェルンヘール)である。
 エイリエン(異星人、外人)である以上、どちらもニューヨークの外からやって来るが、ヨハンの乗ったジェット機が地上に下降してくる望遠の映像は、見なれたジェット機というよりも、スペース・シャトルか、異形のUFOのようにも見える。円盤の方は逆に、大型のフリスビーかパラボラ・アンテナの椀状部分を思わせるので、ヨハンの方が実は本当の異星人ではないかとも思われてもくる。
 映画は、円盤内にひそむ異星人の知覚像をコンピュータ・グラフィックス的なものとしてとらえている。この異星人は、人間がセックスやヘロインを通じて感ずるオルガスムをエネルギーにして生きているということになっており、円盤が降り立った建物の真下にあるペントハウスで、そこに住む女性マーガレット(アン・カーライル)に言いよった彼女の教師が彼女の体のうえでオルガスムを感じると、そのエネルギーを吸われて絶命してしまう。そのときに画面は、マーガレットのうえにうつぶせになった教師のうしろ姿が、極彩色のシルエットになり、それから脳細胞の電子顕微鏡写真のようなものがそのシルエットをおおってゆき、あたかも異星人が電子の眼で人間世界を見ているように描かれる。
 ヨハンは、手さげの大型バッグに望遠鏡を持ち歩いており、その望遠鏡には何やらデジタル・センサーのようなものが付いていて、円盤の存在を遠くから感知する。しかし、エンパイア・ステイト・ビルディングの展望台にその装置をすえてUFOの所在を発見してからは、その装置は、もっぱら望遠鏡としてのみ機能し、彼がたまたま知りあった中年女性のアパートにその装置をセットしてマーガレットのペントハウスをのぞく様は、『裏窓』や『ボディ・ダブル』の主人公と大差ないのである。が、いずれにしても、彼は、ニューヨークを望遠鏡のレンズを通じてながめるのであり、そのことがむしろ彼をエイリエンにしてもいる。
 教師とセックスをしていたマーガレットがエネルギーを抜かれなかったのは、彼女がレズで、男とのセックスにオルガスムを感じることができないからだった。だから彼女は、やがてこのことに気づくと、しつこく言いよる男や、自分の性とパーソナリティを裏がえしたようなゲイの美少年ジミー(アン・カーライルが二役を演ずる)を逆に誘惑して消してしまうのである。
 マーガレットもジミーも、またどう猛な野ネズミのような目をしたエイドリエンも、ある意味ではエイリエンである。エイドリエンは、レズで、ロック・クラブでは自分の心臓の鼓動をマイクで聞かせ、それをシンセサイザーにインプットしてビートを作り、それに合わせて歌うというパフォーマンスをクラブでやる。マーガレットとベルリンへ行く希望をもっているが、マーガレットに異星人が付した〈超能力〉を試そうと、彼女を犯し(エイドリエンはいつもパンティをはいていないらしい)、見事にUFOに吸いこまれてしまう。
 マーガレットは、自分に嫌気がさしたかのように、ヘロインを自分で打って異星人の餌食になろうとする。彼女の危険な気配を望遠鏡で見ていたヨハンは、彼女のもとに駆けつけて説得するが、彼女に刺されて倒れてしまう。マーガレットは思いどおり、屋根に登り、UFOに吸いこまれ、UFOはいずこへか飛び去るが、背中を刺されたヨハンがあれっきり画面には姿を現わさないところを見ると、この人物こそ実は異星人であり、ペントハウスの屋根に着陸したUFOは、エネルギー採集用の舟艇であり、彼は、オルガスム=エネルギーの一杯つまったUFOを回収して、いずこの異星にか帰っていったのだ−−と思えてくるのである。
 ただし、この映画的情報環境において、最もエイリエン的位置にいるのは、われわれ観客だろう。ニューヨークは、そこを訪れる者をつねに新たなエイリエンにしてくれるが、この映画は、あなたがあなたの身体技術的な諸装置を総動員してニューヨークに対応しても決して得られないだろうニューヨーク=像を与えてくれる。それは、決して体験することのできないニューヨークなのだから、それをあえて〈ニューヨーク〉と言う必要はないと言う者がいるかもしれないが、〈ニューヨーク〉という概念には、否、すべての概念には、つねにそうした〈虚〉の部分が含まれているのだ。
 監督のスラバ・ツッカーマンと撮影のユーリ・ネイマンは、ともにモスクワ出身のエイリエンであり、そのことが、ニューヨークをエイリエンの目で見るうえで大いに役立っていると言ってよい。この映画は、街路のシーンと街路から上を見上げる視角はほとんどなく、空から見下ろしたり、傍観したりする視角と室内の視角が多いが、未知の都市を訪れた外国人が当面最も多く経験するのは、このような視角による知覚である。
 この映画が封切られてから二年たったいま、ニューヨークでは、明らかに、フリー・セックスとヘロインは後退している。エイズの流行はフリー・セックスに歯止めをかけ、米伊合同の麻薬シンジケート撲滅作戦はヘロインの経路を細くした。以前よりも一部で流行しているコカインは、ヘロインのようなオルガスムをもたらさないから、エネルギー採集のUFOは、もはやニューヨークへ来ても大した収穫がないかもしれない。が、してみると、六〇〜七〇年代のカウンター・カルチャーやパンク・カルチャーというのは、異星人の陰謀だったのか−−という思いがいまふと頭に浮んだ。
前出◎85/ 8/12『月刊イメージフォーラム』
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