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ベルリン・シャーミッソー広場

ベルリン・シャーミッソー広場 この三月から東京ドイツ文化センターで開かれている「ドイツ映画大回顧展」は、残すところヴェンダース(十月二十九日〜十一月四日)、女流監督の映画(十一月十二日〜十八日)、「新しいリアリズム−−ロード・ムービーと『下品な小映画?寉。(十一月二十六日〜十二月二日)の三つのパートだけとなったが、これまでにこのフェスティヴァルで公開された一九四七年以来の百数十本のフィルムのうち、〈大作〉や〈名作〉あるいは〈問題作〉にまじって、小品ながら印象に残るフィルムが数多くあった。
 ルードルフ・トーメ監督の『ベルリン・シャーミッソー広場』(一九八〇)は、そんなフィルムの一つで、これは、映像的な新しさをもっているだけではなく、七〇年代後半からはじまった西ベルリンの文化ルネッサンスの現場をかいま見させる貴重なドキュメントにもなっている。
 シャーミッソー広場というのは、ベルリンの壁に近いクロイツベルク地区の有名な通りであり、第二次大戦で大半が瓦礫と化したベルリンで唯一ここだけ前世紀の古い街並みが生き残った場所である。ボブ・フォッシーの『キャバレー』の原作であるクリストファー・イシャーウッドの『さらばベルリン』(一九三九)にもこのあたりの描写が出てくるが、三〇年代にはここはボヘミアンや左翼の活動家が多く住んでいた。
 そうした都市の記憶がひき継がれたかのように、この地区は、ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジにも似た〈ボヘミアンの街〉として戦後も生き続け、七〇年代には次第に高まる政治運動や文化運動に対応して、この地域の街路文化は急速に活気づいた。また、この地区は、六〇年代から七〇年代にかけて西ドイツに流入したトルコ人の労働移民(ガストアルバイター)が多数住みついた場所としても有名であり、そうしたエスニック的な文化混合が都市文化を活気づけた点も見のがせない。
『ベルリン・シャーミッソー広場』は、シャーミッソー・プラッツに近いウィリバルト・アレクシス通りの古い建物に住む二十四歳の女子学生アンナと、この地区の再開発計画に加わっている四十三歳の建築家との出会いからはじまる。このような街に学生やボヘミアン的人物、さらには移民労働者たちが集まるのは、一つには、そこにある建物が老朽化していて家賃が安いからだが、都市の近代化をはかろうとする役所の側からすると、このようなところは〈スラム〉であり、〈犯罪と事故の温床〉である。ちなみに、シャーミッソー・プラッツを含むこのクロイツベルク一帯は、西ベルリンにおけるスクウォッタリング(空家占拠)運動の中心地としても有名であり、七〇年代後半以降には占拠された建物に〈都市コミューン〉がたくさん出来、そこから新しい音楽やアートが生まれた。しかし、このような場所は、都市管理を合理化しようとする当局側としては好ましくないわけで、古い建物を壊して、そうした〈うさんくさい〉要素を一掃しようとするプロジェクトが組まれ、現在も進行中である。
 アンナは、一九世紀のおもかげを残すこの街を愛し、再開発反対の運動を進めている。その仲間には、ラディカル・ペーパーを発行している青年や非合法のラジオ放送をやっている若者がおり、ときどき泊まりにくるセックス・フレンドのイェルクもいる。アンナがマルティンに会ったのは、この地区の都市再開発について推進者側の意見をきき、その話をヴィデオに撮るためだったが、妻と別居しているこの建築家は、若くて活発な彼女にひかれ、次第にこの運動にコミットするようになる。
 この映画が非常にユニークなのは、若い女子学生と中年男の出会い、逢びき、そして彼女の妊娠といったありきたりのストーリーを描きながら、決してテーマやストーリーを構成せず、まさに映像を都市に語らせていることだ。マルティンは、アンナにたのまれて、再開発計画の情報をもらす。彼のオフィスは共同経営であり、共同経営者は彼がアンナとの逢びきのためにオフィスをあけがちなのを心よく思わない。だからストーリーを構成しようとするのならば、マルティンの〈裏切り〉が共同経営者にばれてしまうような方向を考えることもできる。メロドラマ的な映画ならばそうするところだろう。しかし、ルードルフ・トーメ監督はそれをしない。アンナがマルティンを仲間たちの内輪の集会につれてゆき、座が白けるシーンにしても、そこからアンナが仲間たちと気まずい関係になるとか、マルティンが、世界のちがいや世代の相違を痛感させられて落ち込むとかいうふうにストーリーが展開していっても不思議ではないが、映画はすぐ、別の日常的挿話に進んでゆく。アンナは妊娠し、悩み、公園を一人でさまよったりはしても、このことが何かドラマティックな筋立てになるわけではない。
 トーメは、この映画の着想をロッセリーニの『イタリアの旅』から得たと書いている。が、わたしはこの映画を見ながら、ジョン・カサヴェテスの『アメリカの影』(一九六〇)を思い出した。そこではチャーリー・ミンガスなどのジャズが効果的に使われていたのに対して、『ベルリン・シャーミッソー広場』では、ニュー・ジャズが随所で使われている。この映画が『アメリカの影』のようなインパクトをドイツの映画シーンに与えたとは思えないが、時間を増幅した形でニューヨークとベルリンとを通底させているようなところがおもしろかったし、事実この二つの都市は、文化的に通底しあっているところがあるのだと思う。
監督=                             ◎84/ 9/27『カメラ毎日』




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