『マックパワー』1996年8月号
ネットスケープ・ナビゲーターでクリッカブル・イメージの 上にカーソルを移動したときのように、コンピュータの画面で 通常の矢印カーソルが手の平型のカーソルに変わるとき、マウ スを操作する手が瞬間むずがゆい感覚をおぼえることがある。 いわば、画面上の簡略化された「手」と生身の手とが〈感応〉 を起し、生身の手の方がそのことに抵抗を示しているわけであ る。が、これは、身体の基本性格からすると、きわめて「正常」 なことなのだ。 身体は、皮膚に包まれたメカニズムではなくて、いわば皮膚 を溶け出しているファジーでヴァーチャルな要素をもつ〈場〉 的なシステムである。だから、「幻影肢」と呼ばれる症例に見 られるように、事故や手術で四肢の一部を失った者が、すでに ない手や足先の部分(つまりヴァーチャルな部分)に痛みやカ ユミをおぼえたりすることがある。逆に言えば、このことは、 身体が肉以外のものにも同化できるということであり、すべて の道具は、身体のこうした性格を利用しているわけである。最 初は、その道具に対して拒否反応を起し、それを異物として抵 抗するが、やがて、身体はそれを受け入れ、身体の一部とみな すようになる。 身体にとって、一番同化しやすいのは、身体と似た形をもつ ものであり、身体と似た動きをするものである。キーボードは、 その点で、身体の類似物ではなくて、指の延長物にすぎない。 それは、身体に〈感応〉するのではなくて、整合するにすぎな い。だから、キーボードは、インターフェースとしては、未熟 なのだ。 コンピュータが、ユーザーの命令を理解するためには、一度 は、ユーザーのある命令を含んだ身ぶりと連動した動きをしな ければならない。たとえば、ユーザーが、手を開いたら、画面 のなかで同じ形をした立体が同じように動くというように。い まは、まだ、マウス→カーソル/アイコン/ポインターという ように、この連動を身体の延長というやり方で行なっているに すぎない。が、将来のインターフェースは、この連動作用を、 身体の類似物の現前というやり方で行なうようになるだろう。 そして、そのとき、インターフェースは、文字通りの〈感応〉 装置になる。 毎年、サンノゼで開かれるVRWORLD(なお、この会議は、 95年以前は "VR'94"、"VR93"という風に呼ばれていた)でお もしろかったのは、VRテクノロジーを用いたインターフェース の最新の傾向と実例を知ることができた点だった。しかし、6 回つづいたこの会議も、今年は、どたんばになって中止になっ てしまった。いつも4月ごろになると、主催するメックラーメ ディア社から案内が届くのだが、今年は、5月になっても連絡 がなかった。そのくせ、『VIRTUAL REALITY』誌には6月11日 から会議が開かれるという予告が載っている。 そこでわたしは、メックラーメディア社がいつもVRWORLDの情 報を載せている http://www.iworld.comに直接アクセスしてみ たが、そこには、昨年の記録しか出ていなかった。あきらめき れないわたしは、今度は、http://altavista.digital.com/の サーチエンジンで"vrworld"を検索してみた。すると、一点、 興味深い文章に出会うことができた。それは、「デイブ・ブラ ックバーンがVRWORLD 96のコンフェランス・コーディネイター に任命される」と題されたニュースで、それによると、これま で会議をコーディネイトしてきたサンドラ・ヘーゼルに代わっ てデイブ・ブラックバーンがコーディネイトをやるというのだ。 デイブ・ブラックバーンといえば、サンタモニカでWWWのイン ターネット以前から電話や無線を使ったテレコム・アートの実 験をやってきたエレクトロニックス・カフェ・インターナショ ナルのメンバーとして、わたしもその名を知っている。つい先 日も、彼の名で「サイバータウン」( http://www.cybertown. com/)のなかに「マルチな関与ができる」3-D VRML会議室が作ら れ、VRMLについての議論を行なうので参加してほしいというメ ールが届いたばかりだった。 もともとVRWORLDは、企業や軍にとってのVR技術を積極的に とり上げる一方で、カウンターカルチャーや60年代アートと の関係も深いダン・ダンカンや、VR技術のパブリック・アクセ スとでもいうべき側面に力を入れてきたバーニー・ローエルら の基本路線がしっかりとあり、そのために、日本でよく開かれ る企業一辺倒のものとは一線を画していた。これは、ひとえに サンドラ・ヘーゼルのセンスにもとづくものだったのだろう。 とはいえ、昨年の会議では、どう見ても参加者の数が減って おり、先行きが思いやられないでもなかった。他方、メックラ ーメディア社は、数年まえから、サンノゼの会議を二番煎じす る形でニューヨーク、ロンドン、シュトゥツガルトとVR会議の 世界展開をはかり、コンフェランス・ビジネスとして成功をお さめてきた。コンフェランスもビジネスと化せば、儲からない ものは切り捨てられる。が、単にビジネスだけをやってきたわ けではないこの会社が、その基本となる会議をやめてしまうと いうのはどうも解せないではないか。 しつこいわたしは、そこで、事務局に問い合わせのメールを 送った。すると、予想に反して、折り返し、メックラーメディ ア・イベント・グループのプレジデントであるカール・S・プ ウ氏から返事が来た。さすがである。氏は、率直に、これまで の「会議が赤字であって、今後それをとりかえせる見通しが全 くない」ので中止したという。そして、氏は、この会議が「エ ンジョイさせるものであり、長年にわたって多くの友達を生み 出す交流の場であっただけに、それがなくなったことを寂しく 思う」と書いてきた。 ところで、トータルな観点からすると、VRWORLDの終焉は、 VRが、実験や冒険の段階を終え、具体的な応用のレベルに達し はじめたことを示唆している。実際、VR技術のなかから躍り出 たVRMLは、すでに実用化の技術である。 VRMLのこの半年間の動きは、実に急である。1995年8月, マークペシ、トニー・パリシ、トム・メイヤー、ジャン・ハー デンバー、リック・カリー、ブライアン・ブラウ、ガヴィン・ ベルの8人でVAG (VRML Architecture Group) が組織されたが、 彼らは、当初、VRMLの1.1のテクニカルなデザインを構築するの を目標にしていたが、10月の会議でそれを、VRMLに関心をも つ組織やデヴェロッパーに対するガイド設定に方向転向するこ とにし、96年1月に公式のプロポーザル(Request-For- Proposals=RFP) を発表した( http://vag.vrml.org/参照)。 これは、95年12月初めにソニーが「拡張版VRML」を発表し たように、インターネット上の3Dソフトとしてオープンな可 能性をもつVRMLが、早くも分散化の兆しを見せはじめたことに 対する賢明な対応だった。 これによって、96年2月には、今後のVRMLモデルとして、 マイクロソフトからActive VRML、GMD他からDynamic Worlds、 サン・マイクロシステムズからHoloWeb、SGIとソニー他から Moving Worlds、アップルからOutofThisWorld、IBM Japanから Reactive Virtual Environmentが提案されることになった。こ の結果は、周知のように、3月の最終投票でMoving Worldsが VRML2.0(VRML1.1は放棄された)のモデルとなることが決まっ たわけである。 現在、VRML2.0は、SGIのサイト(http://webspace.sgi.com/ moving-worlds/)などでその実例を見ることができるし、VRML1.1 から2.0へのコンバータや、ネットスケープ上でVRML2.0を見る プラグインも配布されはじめている。 しかしながら、かくいうわたしは、まだ2.0を見てはいない。 というのも、SGI がCosmoPlayerというプラグインをFTPサイト で配布しているというので、早速アクセス(ftp://ftp.sgi.com/ pub/cosmoplayer)してみると、何と、そこにあったのは、 Windows 95とWindows NT用のものだけで、肝心のIRIX 用は、 「近日」配布の予定なのであった。シリコンよ、お前もウイ ンドウズに色目を使うのか?! ちなみに、SGIのOSであるIRIX の新バージョンでは、Windows 95のエミュレーターがバンドル されるという噂がある。まあ、そんなわけで、Windows嫌いの わたしも、秋葉原に行くと、ついついMebius なんかを触って しまうこの頃である。 PS. 先月の本欄で、大阪大学のNeXT路線が終焉したかのよう な書き方をしたが、その後、送られたまま読まずにいた『大阪 大学新聞』(96年2月18日号)を開いたら、「ネオ情教始 動」という見出しで、情教つまり情報処理センターが、Black NeXTのあとがまとして、ソニーのQuarterLを500台(!)導 入し、それにNEXTSTEPを載せることにしたという記事を発見し た。頼もしいかぎりである。 OpenStepと名が変わるNEXTSTEPの4.0は、米では6月、日本 語版は12月ごろの発売だというから、その全容は見当がつ かないが、意外と、この辺でNeXT の巻き返しが起こるかもし れないという話もある。そうならば、わたしも当分またBlack NeXTとの縁が続きそうである。