トランスローカルなウェブへ(11)

『マックパワー』1996年2月号

  コンピュータは本を無用にしてくれるかのようなポーズをと
っているが、その実、コンピュータほど本に依存しているメカ
はない。わたし自身、コンピュータについての本をずいぶん買
ってきた。自分が使っているコンピュータについて書いてある
本が出ると、それが一見してオソマツなものでも買ってしまう。
わたしが理想とするコンピュータ本は、それを読んでいると、
あたかもそのマシーンの裏技まで知り尽くしたヘビーユーザー
になったかのような気持ちにさせる本であるが、現実には、出
版社は違うのに、打ち合わせでもしたかのように同じことを同
じように論じて入るものが多いのだ。
  NeXTの本も出ているものはみな買ってみた。NeXTには、唯一、
『NeXTのすべて』(吉田広行/高原利之編著、光栄刊)という、
一度読むとNeXTが欲しくてたまらなくなる名著があるが、一歩
踏み込んでNEXTSTEPのデヴェロッパー環境を駆使するために役
立つ本ということになると、あまりないのである。事情は英語
でも同様である。少し前、わたしは、Gene BacklinのDeveloping 
NeXTSTEP Applications (SAMS PUBLISHING, 1995)という魅力的
な本を手に入れたが、遅かりき由良の助、すでにわたしは、
NEXTSTEPデヴェロッパー環境の価格のバカげた高騰ぶりに愛想を
つかし、デヴェロッパー環境のヴァージョンアップをやめ、NeXT
に見切りをつけてしまっていた。
  Indy についての日本語の本は、わたしの知るかぎり、3冊出
ている。1994年に技術評論社から『すべてがわかるスーパー
・グラフィクス・コンピュータ INDY』が出、翌年『もっと知り
たいINDY』が出た。前者には、その魅力を語るプロユーザーへ
のインタヴューや、阪野六一「INDYを使ったインターネットア
クセスとフリーウェア」という――Indyがグラフィックコンピ
ュータのみならずネットワークマシーンとしても群を抜いてい
ることを活写した文章があるが、全体としては、SGI の広報資
料を疎述したような本だった。後者は、CD-ROMを付録に付け、
厚さも倍近くになり、ネット上に置かれているFAQを編訳したも
のを載せるなど、Indyユーザーにとっては前者よりもユーザビ
リティが増したのであるが、これからIndyを買おうというエン
ドユーザー予備軍にとっては、イマイチとっつきが悪い。
  11月の初め、山形国際映画祭でデイヴィッド・ブレアのWAX
とそのネット版のWAX WEBについての解説をさせられた後、金沢
に遊び、本屋にふらりと入ったら、コンピュータ本の棚に『Indy
 ユーザーのための IndigoMagic 入門』(瀬川鳥緒著、オーム
社刊)という新刊が目に入った。IndigoMagicというのは、Indy
のOSであるIRISのGUI環境である。内容は、「ワークステーショ
ンとは何か」から書き出し、Indyの基礎的な使い方を一通り解
説している。いかにも、Indyの個人ユーザーが増えていること
を裏書きするような入門書である。
  だだ、不思議なのは、これらのIndy本はどれも、 Indyのマル
チメディアライクなバンドルソフトであるShowcaseについて、
ほとんどページをさいていないことだ。10月号でも触れたが、
このソフトは、バカにできないスグレモノである。米SGIの社員
がプレゼンをやるときは、一様にShowcaseを使うというくらい、
文字・画像(静止画・動画)・音声のファイルを一つの画面に
統合し、それをスライドショウやムービの形で保存することが
簡単に出来る。Indyの使い方を解説したデモムービも、この
Showcaseで作られているという。だから、Showcaseの詳しい使
い方、裏技解説は、Indy本にとっては不可欠のはずなのだが、
それがまだないのである。
  わたし自身に関していえば、Indyを使いはじめてから、しば
らくの間、Showcaseの真価を知らずにいた。2次元のプレゼン
ソフトは、NeXTで十分可能だったからである。そのスゴさを知
ったのは、VRMLに深入りし、3D画像を作るようになってからで
ある。まあ、3D画像を作るといっても、わたしはプログラマー
ではないから、ツールボックスから既存の立体をドラッグ&ド
ロップしてきて作る程度にすぎないが、Showcaseの場合、DXF形
式での出力をそのまま読んでしまうので、CADを含む大抵の3D
ソフトのDXF出力を受け取って、加工することができる。
  Showcaseに飲み込ませてしまえば、それは、さらにVRMLの兄
弟ともいえるOpneInventorの形式のファイル (xxx.iv) に出力
できるので、Showcaseを中継メディアとすると、VRMLファイル 
(yyy.wrl)を作りやすいのである。VRMLブラウザ WebSpaceの最
新ヴァージョン1.1には、VRMLファイルから直接OpneInventor
の形式のファイルに出力できる機能が付いたので、 Showcase
が普通の3DソフトとVRMLとを媒介する幅がさらに拡がった。
  ちなみに、いまわたしのホームページ(http://anarchy.k2.
tku.ac.jp/) のなかに置かれているVRMLファイルの一つは、つ
ぎの手順で作った。
  Macintosh上のPoserによる作画 → DXF での出力 → イーサ
ネットを介してIndyに取り込む→ trコマンドを使って改行コー
ドの変換(Macの改行コードはLF、UNIXのはCR)→ Showcaseに
読み込む→ Showcaseで色・形をアレンジ→ OpneInventor形式
で出力→ ivcatでascii形式に変換(Showcaseのxxx.ivファイル
はバイナリー形式でセーブされる)→ ivToVRMLを使ってyyy.wrl
ファイルに変換。
  このプロセスは、今後、IRIX(IndyのOS)の側からも、また
VRMLブラウザの側からももっともっと簡易化されるだろう。が、
いずれにしても、すでに、Indyを介せばVRMLと一般の3Dソフト
の距離がなくなっているわけであり、このことは、VRMLのサイ
トで発表されるインタラクティヴな3D画像をMacintoshやその他
のパソコンに取り込んで自由な3D画像作りができるということ
である。
  むろん、Indyを介するというのは、過渡期的な操作であり、
すでにVirtus  Walkthrough VRML1.0のように、MacやWindows
上の3DとVRMLとの距離を取り払ったソフトが出はじめているか
ら、Indyのこうした特権はじきにくずれるにちがいない。
  ところで、わたしが最近Virtus Walkthrough VRMLを試用す
るきっかけをつくってくれたのは本であった。数カ月前、JRの
山手線に乗っていたわたしは、池袋で発作的に電車を下りた。
すぐそばの階段を登ると、そこは、東部デパートで、そのまま
エスカレータに乗って5階だったかの旭屋書店に入った。そし
て、たまたま通りかかったところの棚を見ると、そこにMark 
PesceのVRML Browsing & Building Cyberspace (New Riders 
Publishing, 1995)があり、その付録のCD-ROMのなかにVirtus 
Walkthrough VRML1.0が入っていたのである。
  VRMLの創始者であるマーク・ペシの発言は、インターネット
上を飛びかっていたので、彼がいまさら本というメディアを使
って発言をするとは思わなかった。しかも、その序文を書いて
いるのは、スイスのCERNでWWWブラウザを最初に開発したティム
・ベルネ=リーである。ここでも、コンピュータと本との不可思
議な関係が目の当たりにできる。
  この本の大半は、VRMLの機能の説明とVRMLファイル作成のマ
ニュアル的な記述で占められているが、そのあいだでペシがさ
りげなく書いてることがおもしろいし、彼が単なる機能追求の
テクノフリークではないことがわかる。いわく――

  「もし、われわれがグローバルなインフォ・オルガニズムを
本当に作り上げるとしたら、[・・・]われわれは、それを人
間の経験にひとしく感覚的にリッチなものにしなければならな
いだろう。」
  「VRの本質は、コミュニケーションと経験であって、リアリ
ティや没入ではない」
  「サイバースペースは、人間の身体の終焉ではないというこ
とを理解する必要がある」
  「VRは、テクノロジーの知的魅力を秘めた集合体としてデザ
インされた――そのこと自体はいいアイデアであった。しかし、
全体としては、それは、冷たく、非友好的で、快適さを欠いて
いた。」
  「ほとんどが男性で占められているVRプログラマーがよく皮
肉を言うように、女性は『髪が乱れるのを恐れて』HMDをかぶり
たがらないのである。[・・・]つまりHMDが彼女らを傷つけ、
彼女らの身体自身の感覚から彼女らを切り離してしまうので、
かぶりたがらないのである。」
  「サイバースペースについてのいかなる議論も、信じるとい
うことについての議論である。」
  「かつて暖炉は神聖な場所であったが、テレビの置かれる場
所は、暖炉の20世紀版であり、このことは、テレビがわれわ
れの信仰のなかで占める位置について多くのことを語ってくれ
る。」
  「スペースは眼のなかにあるが、プレイスは耳のなかにある。」
  「VRMLには、新しいアートのフォームになる可能性があると言
えるだろう。」

  ――こうしてみると、マーク・ペシは、ビル・ゲイツなんかと
はずいぶん違うタイプの人間だなという感じがする。が、世の中
は、マーク・ペシのセンスでよりも、ビル・ゲイツのプランで動
いてしまうから困ったものだ。