『マックパワー』1996年1月号
ようやくホームページを立ち上げた。アドレスは、http:// anarchy.k2.tku.ac.jpである。"k2"は、kogawa the second (粉川2世)、"tku"は、tetsuo kogawa unlimitedだと言いた いところだが、残念ながら、「東京経済大学第2研究センター 」の略称である。要するに、組織のネットである。ささやかな 抵抗は、ホスト名をanarchyにしたぐらい。 ホームページを立ち上げようとしたことは何度もあった。そ れを阻んだのは、主に、経済的な理由である。とても個人で月 何十万という回線使用料を払う余裕はない。それを10人ぐら いでシェアーすればよいということも考えたが、インターネッ トをやる人間というのは、みなわがままでなかなか足並みがそ ろわない。 そのうち、アメリカの NetComのようなプロヴァイダーがハ ードディスクの賃貸を始めた。やがて、続々とこの種のサービ スが始まり、友人のOは、新興のWebComが安くてサービスがい いと教えてくれた。彼は、すでにそのネットのなかにホームペ ージ(http://www.webcom.com/~float/)を開いており、そこ で東京の都市写真を展示したり、英語のタウン情報などを流し たりしていた。 わたしもOのまねをしてアメリカのネットにディスク・スペ ースを借りようかと思ったが、ホームページを開くなら、直接 回線でなければならないという持論にこだわって、その機会を 逸した。その代わり、HTMLのおもしろさに魅せられていたわた しは、HTMLで書いたファイルをフロッピーに収め、(ウェブブ ラウザのない人にはMOSAIC をいっしょに)配るということを 始めた。 とかくするうちに、日本のプロヴァイダーも、ダイアルアッ プIPのクライアントに5メガ程度のディスク・スペースをおま けに貸与するといったサービスを始めた。流行りになってしま うと、すぐに熱がさめてしまうわたしは、これで、完全に貸デ ィスク・スペースでのホームページ作りへの関心を失った。そ れから約10カ月後、ようやく最初の願いを実現したわけであ る。 しかしながら、いざホームページのサーバーになってみると、 けっこう気苦労が多い。大学の電算室からIPアドレス、サブネ ットマスク・アドレス、ブロードキャスト・アドレス、デフォ ルトゲイトウェイ・アドレス、DNSをもらい、わが研究室のシ ステムにそれらを書き込んだのが10月の初め。システムは、 以前さんざんクサしたことのあるSUN SPARC Station 4 (SS4) とSolaris 2.4 である。ところが、まず、立ち上げたNetscape が、「DNSが見当たらない」という表示を出すのだ。通常、こ れは、/etc/resolv.confファイルをちゃんと書いていない場合 に起こるが、わたしは、それはクリアーしている。 そこで、こちらは一時保留にし、ウェブサーバーの動作をテ ストすることにする。 わたしのシステムには、 IIJのFTPサイ ト(ftp://ftp.iij.ad.jp:/pub/network/WWW/cern/)から取っ てきたCERN WWWサーバーがインストール済であり、自分のシス テム内でのテストは済んでいる。夏休みの間、このSS4を自分 の仕事場にもってきたので、IndyやNeXTとイーサネットでつな ぎ、そのなかでホームページを立ち上げるテストも済ませてい る。あとは、外部に出すだけである。 だが、本誌編集部のTさんに電話し、わたしのアドレス http://anarchy.k2.tku.ac.jpを打ち込んでもらった結果は、 ノーであった。ダイムアウトになってしまうというのである。 そこで、202.235.・・・という数字のアドレスの方でアクセス しなおしてもらう。今度はすんなりとホームページが立ち上が ったという。こんちくしょう。IndyやNeXT では苦労のないこと が、どうしてSUN ではこんなに苦労しなければならないのか、 と思いながら、その一方で、謎解きにチャレンジしているよう な好奇心をそそられもする。 こういうとき、本来ならば、tkuというネットのシステム管 理者である電算室が、しかるべき指導をしてくれるのがあたり まえなのだが、常識が通用しないところが、この世界の常識な のであり、そうしたアナーキーさをおもしろいと思わなければ、 コンピュータの世界はストレスしかもたらさない。とにかく、 気力と体力がいる世界だ。 ここで、話が混乱するといけないので、まず、Netscape が 使えないという問題の行方の方を先に書いておく。ウェブサー バーを第1目的にしているSS4では、ネットサーフィンをする つもりはないので、この問題は後回しにしたのだが、ここでも コンピュータ世界の不条理さ(アナーキーナばかばかしさ、電 子のスラプスティック)が露出することになったので、それに ついて話しておきたいのだ。 その問題は、またしてもSUN自身にあった。いま、Macであれ Windowsであれ、ネットのソフトでDNS対応になっていないもの はないだろう。ところが、SUN+Solarisはそうではなく、NIS 参照が標準なのだ。これでは、Netscapeが行くべき道筋を見つ け出せずに機能を停止してしまうのは当然だ。このことは、漠 然と知っていたので、では、どうしたらこいつをDNS 対応にで きるのかということを調べようとした。 が、「それはちょっと難しいですよ」などと言う人もあらわ れて、わが額に蛭子能収のマンガの主人公がうかべるような汗 の粒が吹き出るのをおぼえる連続の日が続いた。驚いたことに、 SUNに相当詳しい人でもこのことがわからない。結局、購入先の 代理店の人をさんざん脅かし、かつ平身低頭して調べてもらっ た結果は、Solaris2.4から、/etc/nsswitch.confというファイ ルのなかのある行に "dns" という3文字を書けばよいという のであった。実際に、これだけで、Netscape は外部のサイトに つながるようになった。ねばってみるものである。それにして も、こういうことをやっていると、一体他のユーザーはみんな 天才だけなのではないか、それともこのマシーンは、わたしだ けしか使っていないのではないかと思えてくる。 さて、問題は、wwwサーバーである。アルファベットのアドレ スではダメだが、数字では可能ということは、大学が設置して いるドメイン・ネーム・サーバー(DNS) が働いていないという ことである。ネットにつながっているマシーンは、あるアドレ スへのログインが指定されると、まずこのDNSサーバーに行き、 それ以後の行き先をチェックするようになっているからである。 そのことを電算室に伝えたのだが、そういうことに精通してい る人がいなくて、ラチがあかない。数日後、返事があったが、 またしても、こちらに問題があるのではないかと言われる。で は、証拠を突きつけるしかない。 TCP/IPのネットワークには、nslookupという恐るべきコマ ンドがある。これは、LANであれインターネットであれ、いまあ なたのホストマシーンが接続されているネット上にどのような マシーンがつながっているか、そのIPアドレスが何であるか等 々がすべてわかってしまうのである。むろん、DNSがどういう名 のマシーンかということもすぐわかる。 まあ、ネットの素人であるわたしが、このことに気づくには数 日を要したのだが、とにかく、事が起こってから約1週間後、 ついに証拠を発見した。これで調べると、わたしのマシーンの ホスト名anarchyは、10月14日に登録されている。ところが、 DNSのファイルは、10月6日に変更されたままなのである。と いうことは、anarchyは、DNSにはまだ登録されていなというこ とになる。事実は、その通りであり、わたしの話を聞いて、さ すがに慌てた管理者が、すぐにDNSをリロードしてくれたら、 一瞬にして問題が解決した。 まあ、そんなわけで、ホームページの文化的側面にエネルギ ーを集中したいと思っていたわたしは、はからずも、理系的な 側面ですっかり消耗させられてしまったのだったが、11月に 入って、ようやく文化的な側面に集中できるようになった。テ クノロジーとは、語源的には、テクノ+ロゴスであり、その際 テクノはテクネ(手仕事)に由来し、ロゴスは言葉、表現を意 味するのだから、テクノロジーと文化とは、切っても切れない 関係にあるのだが、現実には、テクノロジーは機器や道具の方 に矮小化され、そのなかのロゴスは、冷たい論理性に一次元化 されている。 わたしが、テクノロジーとのつきあいのなかで、思い切りそ れを揺さぶり、それを〈猥雑〉なものにしようとしているのは、 いまのテクノロジーに失われがちなある種の《身体性》(テク ネ性)とロゴスの本来的なカオス性やアナーキー性を取り戻せ ないものかと考えるからである。 とはいえ、偉そうなことを言っても、ホームページはホーム ページである。それが、見栄えのするものでなければ、どうに もなるまい。当面、大学とは別の仕事場からtelnet とftpでア クセスして作業を始めているが、いずれは、毎週ページが様変 わりするようなものにしたいと思っている。 いま開いているその第1ページには、ワルター・ベンヤミン の「大部分が引用から成る作品を書くこと、想像できるかぎり でのクレイジーなモザイクの手法」という言葉が見える 。こ れは、わたしがホームページを作る際の当面の基本的な方法で あり、実際に、大部分がリンクから成るホームページで、しか も、それが 「想像できるかぎりでのクレイジーなモザイク」 になればよいと思っている。