家庭を映画館にする――これがホームシアターの当面の方向である。しかし、これは、メディア的には新しいことではない。『セブン・イヤーズ・イン・チベット』のダライ・ラマのように、35ミリフィルムの上映を自分の家で楽しむ者は昔からいた。ホームシアターの装置とスペースは、VR体験のためにも使えるし、広帯域の回線と結びついて映画にとどまらないコンテンツを提供する場になりえる。
が、いまここで考えてみなければならないことは、ホームシアターがもっと普及したとき、家庭(ホーム)はどう変わるかという点である。
テレビは家庭を大きく変えた。食事の仕方をはじめとして、家族関係も変えた。しかしながら、ある時期からテレビは居間から家の個室に分散化されるようになった。一旦居間に集まった家族は、個室にパーソナルテレビを持ち込んで居間を退去した。
ホームシアターは、居間とは別に、あるいは居間をやめて、もう一つ別の共同空間(シアター)を家のなかに作ることをめざす。これは、かつてヨーロッパの富裕な家がちょっとした図書館スペースを作ったのに似ているかもしれない。そこでは、家族が普段の関係を離れて自由に本の世界にひたったり、客をまじえたパーティやサロンが開かれ、本の朗読や知的な会話がくりひろげられた。
ホームシアターを家族だけで使っていても面白くない。他人を招待してこそ、「シアター」に値する。いま、日本ではホームパーティが流行りだが、ホームシアターは、小映画館をまねるよりも、最初からパーティやサロンの空間として使えるように作った方が、そのテクノロジーのポテンシャルを発揮できるだろう。そうすれば、えてして「プライバシー」で閉塞しがちな家庭のなかに、風通しのいいコミュニケーションの場という意味での「パブリック」スペースが生み出されるはずである。
(音元出版 ホームシアターファイル編集部 川嶋隆寛)