政治=演劇のアクティヴィズム

 
 演劇の衰退を憂えるのは、演劇の観客であるよりも、政治家
である。政治は、つねに演劇からその「強度」モデルをくすね
てきた。劇場は、ある意味で政治の実験室である。
 政治の上演方法自体がマルチメディア化している今日、政治
家は、演劇のみならずパフォーマンスもインスタレイションも、
むろんのことメディアアートもテクノアートも何でもかでも、
とにかく新しい「上演」技法をほしがっている。
 だから、演劇の危機とは、演劇自体の危機であるよりも、む
しろ政治の危機であり、政治のマンネリズムなのである。
 政治はたしかに演劇から多くの技法を窃用するが、その窃用
が突然変異的な側面をもち、演劇に対して何らかのフィードバ
ックをもたらすこともある。だが、この数年、政治=演劇は完
全なマンネリズムに陥っている。
 この数年間のあいだで、特筆すべき政治=演劇的出来事とい
えば、一つは「ヒロヒトの重体と死」であり、もう一つは、
「PKO法案審議」である。
 「ヒロヒトの重体と死」では、主役は決して観客のまえに姿
を現わさなかった。ただ、その「下血」という肉体パフォーマ
ンスが、血圧、体温、脈拍といった極度に簡略化された数学的
記号によってテレビメディアを介して提示され、劇的緊張を生
み出した。また、「記帳」という観客参加のストリート・アー
ト的パフォーマンスが上演のなかに組み込まれ、それがさらに
テレビや写真のメディアに乗せられてフィードバック回路を形
成するという上演構造も仕掛られた。
 実験的な演劇を見なれた者にとって、これはミニマリズム演
劇技法の剽窃であり、ここで観客に期待された感性的反応は、
退屈と失望であったはずだが、もっと直情的な反応をした観客
もかなりいた。結果的にこの政治=演劇は、ロバート・ウィル
ソンもブロードウェイ演劇もうらやむであろうほどのロングラ
ンに成功した。この成功のおかげで、政府=劇団は、その後に
続く、役者、準備、コンセプト・・・あらゆる点で欠陥だらけ
の古典芸能的・形骸宗教的な儀式=舞台を、どうにかこうにか
上演し、必要な観客を動員することにも成功できたのである。
 「PKO法案審議」劇は、演劇の形態をとりながらも、また
しても、テレビ・メディアに過度に依存した投げやりの演劇で
あった。従って、この舞台では、社会党=劇団による「牛歩」
ミニマリズム劇が夜を徹して続けられたが、そのクライマック
スないしは核心ともいうべき「疲労」と「排泄」の肉体パフォ
ーマンスのディテールを一般観客が身体的に共有することはで
きなかった。
 しかしながら、この政治=演劇では、これまでの政治=演劇
では決して起こることのなかった別種の次元が生まれ、国会=
中央舞台でのパフォーマンスをたえず脱中心化しながら、その
周縁にもう一つの舞台を生み出していたのである。
 六月三日、国会議員面会所前(通称「議面」)には、最初は
組合や政治組織によって動員された形でPKO反対の抗議集会
が開かれた。が、それは、やがて、「議面」広場への泊り込み
という形に展開し、未組織の人々がぞろぞろとそこに集まりは
じめた。
 別にそこで過激なデモや警官・起動隊との衝突が展開された
わけでもない。人々は、ただそこにとどまり、寝ころんで本を
読み、ウォークマンに耳をかたむけ、おしゃべりをし、ときた
まビラを配ったりしていた。が、それから十二日間、「議面」
広場は、緊張のある「演劇的」な演劇とも、退屈を売物にする
ミニマリズム演劇とも全く異質の「強度」をそのスペースに生
み出したのだった。
 さりげなく流されたテレビの映像(ただ人々が居座っている
映像)を見て、新たな人々が「議面」広場にやってきた。とき
には型にはまったスローガンや抗議の声も叫ばれたが、従来の
政治集会の広場とは異なっていた。このつかのま開かれたトポ
ロジックな空間を「議面コミューン」と呼ぶ者もいるが、それ
は、六八年パリの五月のソルボンヌ広場や八九年北京五月の天
安門広場のミニチュア版ともちがっていた。
 それは、決して台本に従って構成された劇ではなく、中央舞
台のミニマリズム演劇と批判的・逆説的にリンクしながらそれ
とは異質の「強度」を持続させた。この「議面コミューン」の
「支援」のおかげであの「牛歩」劇が長時間続いたという意見
もあるが、「議面」のアクションは、議会で展開されたはなは
だしく「強度」に欠ける月並みな劇とは全く異質のものだと考
えるべきである。
 この「議面」アクティヴィズムほど、日本の政治=演劇の場
が中央=舞台にはないことをあからさまに示したものはない。
政治=演劇は、中央=センターを必要とはしないし、特定の活
動スペースも役者/観客もいらない。いまここが政治=演劇の
場となるのである。
 これは、演劇史的には決して新しいことではない。しかし、
政治と演劇とが既存の政治場からも演劇場からもはずれた場で
出会うという事態は、政治と演劇の新たな再生、新たな関係の
始まりを予感させないでもない、といまはひとまず言っておこ
う。

LES SPECS、478号、1992年11月号、pp.48-49