「シネマノート」  「雑日記」


2009年 04月 29日

●豚インフルエンザというグローバル・クーデター

なるほど、と思った。先のブッシュ政権で使われた「テロの撲滅」という手口は、「洗練」されて継承されたのだ。
メキシコ・シティに端を発する豚ウィルス騒ぎは、たちまち、グローバルな規模で危機感をあおる力を得た。毎年インフルエンザで死ぬ人はかなりの数にのぼるが、ビンラディンよりもわかりやすい豚ウィルスという単一の要因から死の危険が世界にひろまるという構図は、説得力がある。
実のところ、豚インフルエンザが今後深刻な症状を起すように進むのか、それとも消滅してしまうのかはわからない。が、マスメディアとしては、軽く報道してあとで批判されても困るので、WHOの警告をさらに強調し、トップニュースで報道する。これでは、状況はどんどんパニック化していく。現に、豚インフルエンザ騒ぎ以来、マスクをする人が激増している。が、マスクには、この種インフルエンザを防御する力はないというにもかかわらずである。つまり、マスクは、危機の衣装なのである。
パニックを抑えたいのなら、状況を判断できる実のあるニュースを、新聞なら1面ではなく内ページで、テレビならニュースではなく、分析的な特番で報じればいいのだが、そうはならない。だからパニックは、今後ますますエスカレートする。テロもそうだが、パニックは、人を政治的にあやつる初歩的技法である。
報道の加熱ぶりでは、まるでメキシコ全域に豚インフルエンザが蔓延し、国境が封鎖されているかのような印象を受けるが、最初にブロックされたメキシコ・シティに関しても、「やりすぎ」だったという批判もある。しかし、他の市でも「豚インフルエンザの疑いのある患者がみつかった!」ということになり、事実上、メキシコ領内の人間は、外に出られなくなった。ある種のクーデターである。
そう、豚インフルエンザは、クーデターとして見た方がいい。しかも、そのクーデターは、世界中から支持され、国々は、それぞれに同じクーデターを起すようになる。現に、成田空港(の検疫体制は、すでにクーデター的状況である。
グローバルな規模が拡大すればするほど、国境の壁が高くなるというグローバリズムの矛盾とディレンマは、豚インフルエンザでは、労働や消費のレベルでのグローバリズムよりも高まる。