「シネマノート」  「雑日記」


2008年 11月 17日

●試写室の筑紫哲也(転載)

映画のなかの喫煙シーンをとりあげるということで始めた連載だが、銃や自動車の使い方にくらべて、映画のなかのシガレットは、かつてガンエフェクトが小道具係の余業であったときにように、まだ特化されてはいないのだった。そこへアメリカから始まった禁煙・嫌煙の動きが世界化し、映画のなかの喫煙シーンは減っていった。一回も喫煙シーンがない作品が次々とあらわれ、わたしをあわてさせた。
これから映画のなかの喫煙はどうなるんでしょうね、と一度たずねてみたいと思ったのが、筑紫哲也さんだった。氏は、アメリカをずっと見てきた人だし、映画が好きで、しかもヘビースモーカーだった。が、その機会はもうなくなった。11月7日、筑紫さんは73歳の生涯を終えた。
個人的なつきあいはなかったが、何度か仕事をさせてもらった。その印象は、一見「いいかげん」だが、原則は崩さないリベラルなモダニストだった。
わたしは、1983年1月から高瀬昭治編集長時代の『朝日ジャーナル』の書評委員をすることになった。毎月、有楽町にあった旧朝日新聞社の部屋で書評を掲載する本を選ぶのである。そんなことを続けて1年以上たったある日、委員が集まる部屋にぬ~っと筑紫さんが入ってきた。やや酩酊ぎみで、ただ遊びにきたのかと思ったら、近々編集長が交代するのでその挨拶だという。ちなみに、酒を飲んでいたのは筑紫さんだけではなく、書評委員の全員がすでにアルコールを入れていた。わたしは、委員になるまで、書評の本は飲みながら選ぶということを知らなかった。
筑紫さんが編集長になったある日、委員の佐和隆光氏が海外出張中の代役として浅田彰氏を送り込んで来た。彼は、ユニークな人で、本の選択をレコード店でマニアが今で言うビニール盤をあさるような手つきで進めるのだった。一冊づつとりあげて中身を見てなどということはしないが、選んだ本のコメントは的確だ。筑紫さんは、すぐに浅田氏に惚れ、それが「若者たちの神々」へつながっていく。
バランス感覚のよさも筑紫さんの天性だった。あるとき、「天皇制の特集をやりますから、粉川さんお願いしますよ、手加減しないでいいから」と言われ、わたしは、すでに話題になっていた「Xデイ」に際しての政府のだらしなさを書いた。2週間後、活字になったものを見て、笑ってしまった。「新右翼」の鈴木邦男氏の文章と抱き合わせになっていたのである。
ニューヨークが好きだった筑紫さんは、ニューヨークタイムズのようなクォリティペイパーがつくりたいとよく言っていた。だから、低調だった『朝日ジャーナル』の部数を飛躍的に延ばしたにもかかわらず、その紙面づくりに満足しているわけでもなかった。それは、彼がテレビやラジオに対するなみなみならぬ期待からもなんとなくわかった。
1987年5月、TBSラジオから「筑紫哲也のニュースジョッキー」への出演依頼が来た。筑紫さんがヨーロッパの自由ラジオについて話を聴きたがっているというのだ。自由ラジオの実践者としてマスメディアには距離を取っていたが、筑紫さんなら自由に話ができるだろうと引き受けた。面白かったのは、まだ宵の口だというのに、筑紫さんの顔がわずかに朱を帯びていたことだった。さらに興味深かったのは、彼が新聞社で会うときよりも仕事を楽しんでいる風情だったことだ。
番組は、わたしがヨーロッパで録音したテープをかけながら、ほとんど「自由ラジオ」風に話が展開した。日本のラジオでイタリアの「過激派」の獄中者が作ったラジオ番組のテープを流すなどということは筑紫さんでなければできなかっただろう。上機嫌の筑紫さんは、ドイツの自由ラジオ局が放送開始の音テストでマイクをたたくところを聴くと、「やってみましょうか」と言って、スタジオのマイクをいたずらっぽくたたいた。エンジニアの顔が一瞬緊張したから、そのマイクは相当高価なものだったのだろう。
筑紫さんは、マスメディアに異質なものを持ち込むことが必要なのだと考えていた。1994年の12月、すでにNews23のキャスターとして有名人になっていた筑紫さんから、わたしは番組への出演依頼を受けた。絶対に編集はしないから3分間自由にテレビ批判をしてくれというのだった。しかも、カメラクルーがわたしの仕事場まで来てくれるという。筑紫さんは、当時わたしがインターネットのことを書きまくっているのを知っていたらしい。当時は、インターネットはまだ一部のものであり、それがテレビを変える力を持つとは考えられていなかったが、筑紫さんは気になっていた。わたしは、いい機会なので、インターネットのようなメディアが登場した時代にテレビ、とりわけ日本のテレビは全然そのことを重視していないと語った。これは、同じコーナに登場した島桂次、橋本大二郎、大宅映子といった論客の「正論」からすると見当はずれな印象をあたえたようだが、いまではそうまちがってはいなかったと思う。
筑紫さんと試写室で最後に会ったのは、もう大分まえのことだが、いきなり「粉川さんはヘビースモーカーだよね」と言われてとまどった。わたしは、タバコは吸っていたが、一度もヘビースモーカだったことはなかったからである。それは、筑紫さん一流の「いいかげんさ」ないしは「いいかげんさ」を利用した社交術であったのだと思ったが、いま考えると、もしわたしがタバコを吸うのなら、いっしょに外で吸わないかという誘いだったのかもしれない。すぐに筑紫さんは、右手でタバコを吸う身ぶりをして、席を立っていった。まだそのころは試写室の廊下でタバコが吸えたのである。
(『TASC MONTHLY』、No.396、2008.12、pp.14-15)
http://anarchy.translocal.jp/mp3/19870522TBS_chikushitetsuya.mp3


2008年 11月 14日

●新しい戦略

ニューヨークの刀根康尚に教わったのだが、昨日、マンハッタンの街頭で「イラク終戦」を報じるフェイクの『ニューヨークタイムズ』を配るというポリティカル・パフォーマンスが行われた。120万部刷られたというその号の一面には、「Iraq War Ends」と大文字の見出しがあり、夕焼けの空を飛ぶヘリのシルエットを映した写真が載っている。ただし、日付を見ると、「Satruday, July 4th, 2009」とある。つまり、この号は、フェイクであると同時に「未来」を「捏造」しているのである。
これは、権力の暴走を笑う新しい戦略だ。何よりも、一本調子の主義主張よりも、ユーモアのセンスが横溢しているのがいい。
こういうファイク新聞の発行は、なかったわけではない。日本でも、1989年のXデイのときに、新天皇がたちまち再「崩御」を伝える新聞が関西で撒かれた。それは、皮肉に満ちた内容で、政治的サチールとしてはなかなかのものだったが、といえ、この発行の先にはポジティヴな未来は見えなかった。
今回のニセ『タイムズ』は、反権力の側から見て「あるべき」そして「あるはずの」ことが先取りされた形でもりこまれているところがユニークだ。
この「技法」は、単なる「糾弾」や「批判」よりも、そのためには何をやるべきかを示唆する点でもポジティヴだ。
なお、このフェイク新聞は、ファイクのウェブサイトが対応しており、その「video」を開くと、ニューヨークの街でこのファイク新聞を読んで喜ぶ街の人々の「インタヴュー」映像も見える。
反対運動というのは、まず権力の方から何かを出され、それからそれを反対するという形式を踏む。逆にいえば、何かが権力側から出てこないと何もできないということでもある。
そんなことはやめて、権力とは別の展望を文字と映像と音でシュミレートし、未来「報道」した方がいい。
タイムズそっくりのデザインで、の偽物が配られたそうです。120万部が刷らればらまかれたという話ですが、あいにく入手できませんでした。
http://www.nytimes-se.com/