「シネマノート」  「雑日記」


2008年 01月 29日

●1月は師走

毎年、1月17日が過ぎないと年を越した気がしない。大学が期末であることもその一つの理由だが、もっと(精神的に)慌しいのは、1月17日の「アーツ・バースデイ」と、その後のドキュメンテイションの作業だ。
毎年のことだから、もうちょっと効率よくやろうと思いながら、スケジュールもあいかわらず「ラースト・ファイブ・ミニッツ」方式。昨年の秋以後は、海外の用事もあり、早めの準備は土台無理だった。ラジオ・キネソナスのメンバー以外の参加者は、長谷川洋さんのおかげで、比較的早く決まったが、海外のメンバーの時間調整は、すべて「ラースト・ファイブ・ミニッツ」になった。neuroTransmitterのエンジェルとヴァレリーのように、メキシコに行ってしまって、本当のまぎわまで連絡が取れない面々もいた。しかし、あんまり「組織的」にやるのもロベール・フィリウ(「アーツ・バースデイ」の提唱者)らしくない。最近のKunstradio(ウィーン)は、ちょっと組織的になっている。ハンク・ブルがいきなり電話をかけてきて、「さあ、ファックス送ってよ」という調子でやったころがなつかしい。
3日間に行なわれたことは、すべてHDレコーダーに記録されているが、それをウェブにアップするには、それなりの作業がいる。電話で話した録音は、どうしても相手の音のレベルが低くなるから、Cool Editで調整する。HDのデータをそのままコンピュータにとりこめない(たまたまわたしのが古いので)ので、一旦ディスクに焼いてから取り込む。そして、ビットレートを落としてからアップするわけだ。
誰かに手伝ってもらえばいいのだろうが、分業は意外と時間がかかる。コンピュータは、何でも一人で出来るところに意味がある。
しかし、そのために、「シネマノート」のアップがあとまわしになってしまった。その間に、連載の原稿もあり、こちらはやんやの催促なので、あとまわしにはできず、頭は何重かの並列処理を強いられる。が、見たい映画もあり、外出して、意識的に「行方不明」になる。
とはいえ、「アーツ・バースデイ」の記録は、今日中になんとかアップできそう。
href="https://utopos.jp/about_jp.html"jp/kinesonus/20080117/index.html


2008年 01月 18日

●アーツ・バースデイ・ミシソガ

「1月17日」は、時差によってちがうので、カナダのトロント近郊の都市ミシソウガではこちらの18日がまだ17日だ。
最近、ミシソガに、ヴァンクーヴァーのウエスタン・フロントにいたZainub VerjeeやDB Boykoが新しい拠点を作った。今回、トロントのDeepWirelessのNadene ThxJ薗iault-Copelandも加わってArt&.html#39;s Birthday 2008をそのこけらおとし的なイヴェントにしたらしい。
この夜、わたしはそのイヴェントへの参加を求められたわけだが、国分寺からもどって休む間もなく、新しいセッティング。昨日とは違う体勢が必要だからだ。彼女らが求めているのは、送信機をわたしが作り、現場にいる挑戦者たちと完成までの時間を競うというもの。
わたしは、競争ということが嫌いなのでちょっと抵抗があったが、むかしからの知り合いの希望とあっては仕方がない。ズームアップしたカメラ(ストリーミングでライブ放送する)に向って10分ほどで送信機を作り上げる。
しかし、これがメインになるは本意ではないので、先日大阪でやったことを簡易ヴァージョンで演ることにした。
終わってからナディーンから来たメールには、「Your performance was fabulous! Of course, you won the transmitter race!」と書いてあった。こういう表現はお世辞でも元気づけられる。アーティストなんて、こんなことで一喜一憂するのである。まあ、子供みたいなのだ。
http://www.naisa.ca/


2008年 01月 17日

●アーツ・バースデイ・東京

毎年、1月17日は、(日本では阪神淡路大震災のいまわしい記憶の日だが)1960年代にFLUXUSのロベール・フィリウの提唱にしたがって、アートの誕生を祝う日になっている。
ヴァンクーヴァーのハンク・ブルやウィーンのロベルト・エイドリアンらが「復活」(70年代まではその提唱はごく私的なレベルで継承されていただけだった)したこともあって、この祭りは、リモートメディアを使ったネットワークのパーティとして広がった。最初は電話とファックスを使い、90年代になってインターネットを使うようになった。
2000年代になって、ヨーロッパのいくつかの放送局が積極的に加担し、通信衛星も使うようになり、だんだん規模が大きくなり、個々のアーティストがその現場でアートの誕生を祝い、ネットなどのリモートメディアでつながりあうという雰囲気はやや薄れた。
わたしは、初期の精神を維持したいと思うので、日本時間の17日0時を期して開始する回は、わたしの仕事場のコンピュータにネット経由でつながった外部からの個々のアーティストによるライブ送信とあらかじめ送られて来たファイルをDJ的な仕切りでRadio Kinesonusのネットに流すという方法を採った。
が、それだけではつまらないので、個々のアーティストの出番の合間合間にこちらから国際電話をかけ、コメントをもらった。
少し睡眠を取り、東京経済大学のスタジオに直行。今度は、ここでライブストリーミングだ。1時からのスタートは、先日の大阪の会場で「インフォショップ」という「インスタレーション」を出し、現場につめているイルコモンズこと小田マサノリさんとSkypeでむすぶセッション。彼とわたしのトークを向こうの映像入りでネットに流した。
パート3は、U.F.O.の矢部直さんのノンストップDJプレイ。あいかわらず彼は聴く者の情念をノセてくれる。バーもなく、酒もタバコもダメなつまらない会場だったが、がんばってくれた。
パート4は、xJ◇qui avec Gabriel、ASTRO、Reiko.A、Kelly Churkoのライブ。アーティストは、みな、ASTROこと長谷川洋さんが集めた人たち。今回は、みな、「美しさ」が混入したノイズだった。
終わって片付け。手伝ってくれたSさんと駅ビルの店でビールを飲む。が、これで「アーツ・バースデイ」が終わったわけではない。
href="https://utopos.jp/about_jp.html"jp/kinesonus/


2008年 01月 13日

●金曜日でない13 ジンクスとか縁起にこだわるほうだが、この日、大阪のremoの甲斐賢治さんが呼んでくれて、心斎橋の「大阪市立近代美術館(仮称)心斎橋展示室」でワークショップ的なプレゼンとパスカル・ブースさんとのトークをやることになった。
この日、土曜の13日だが、新幹線に乗ったら、13時13分発だった。13x13x13で何かあるなと思ったら、車中で事件があった。立ち上がったとたん、床に置いた重いバッグに引っかかって、転倒し、わきの人が持っていたコーヒーを床にぶちまけてしまったのだ。車内販売で買ったばかりだったらしく、蓋がしてあったので、その隣の人に熱いコーヒーをあびせることはまぬがれたが、2人の席の床にコーヒーがあふれ、わたしは、床にはいつくばり、手持ちのティシューで床掃除をすることになった。
京都にホテルを取ったのでチェックインしたら、その部屋が713号でこれまた13につきまとわれた。
それから出向いた心斎橋の会場は、もと出光美術館だったところだが、なんと会場が13階。こいつは、本番でどうなることかと心配した。
さいわい、13が3回重なって終わりになったらしく、パフォーマンス的プレゼンもことなきを得た。
パスカルさんは、フランスのキュレイターだが、たまたま京都の日仏会館のアーティスト・イン・レジデンスで半年滞在していた。実は、彼とは10年前にブリュッセルで会っている。パレ・ド・ボザールで送信機のワークショップをやったとき、来ていたというのだ。その後このときのことが載ったパリのアート誌『BLOCNOTES』(1999,16)にも、別のページに彼は寄稿している。
そんなわけで、トークもうまくかみあった。話は、ポスト「メディアアート」の話。送信機のようなメディア装置も、もう、コンテンツを入れ替え引き換えしていてもしょうがないだろうというわけだ。メディア装置を使うのなら、その装置そのものの機能を変形することで勝負すべきなのだ。
終わって(どこも混んでいて)ワインバーで打ち上げ。「大阪の用事なのに、どうしてお泊りは京都なんですか?」と問われ、「会いたい人がいるので」と応えたら、みんな意味ありげに笑った。別に意味はないのだが。
http://www.remo.or.jp/j/index.html


2008年 01月 02日

●ベルリンのマイクロラジオ

年賀状をコピー機で作ろうと、例の原稿をセットし、ハガキをまとめて手差しトレイに突っ込み、ぼ~っとしていたら、表裏逆にプリントしてしまった。ハガキを裏表まちがえてセットしたのだ。わたしは、普通はプリンターをほとんど使わないので失敗したのだ。これで40数枚がパーとなり、「限定部数発行」のわたしの今年の年賀状の部数はこの分だけ減り、受け取れない人が出ることになる。どの道、正月明けにどこかでハガキを手に入れて、「増刷」ということになるだろうが、「発行」が遅れることは必至である。
「年賀の現象学」という戯れ文(ざれぶん)で書いたが、年賀の遅れは色々と心理的問題を生む。一番困るのは、いつも年賀をやり取りしている人が、今年は返事として年賀をよこしたと思って、来年の年賀を手控えたりすることがあることだ。日本は繊細な「交換の文化」におおわれているから、そういうことがままある。しかし、それは、本意ではないから困ってしまう。

なんとかまともに刷れた分に万年筆で宛名とメモ書きをしていたら、ベルリンのmikro.FM の Heiko Thierlがインタヴューで電話をしてくる時間になってしまった。が、時間になっても電話が鳴らないので、Skypeをかける。インタヴューの話があったとき、わたしは、Skypeでいいのではないかと言った。実際にSkypeでは彼と話をしている。が、彼は、「Skype は信頼できない」と言い、国際電話をかけると言った。たしかに、Skypeは途切れたり、エコーがかかったりすることがある。
Skype は、すぐつながり、結局、それで放送することになった。ベルリンではいまある種の自由ラジオ/マイクロFMブームで、小さなラジオ局がいくつも出来ている。先日わたしが行ったのも、そういうコンテキストのなかでだ。そのなかで、mikro.FM は、非常におもしい局の一つだと思う。この数週は、世界のマイクロラジオを紹介しており、今週はアジアだという。
しかし、いま日本では、マイクロラジオといっても、政治からアートまで「先端」(マスメディアより)を走ろうとしているようなところは(わたしが知らないだけなのかもしれないが)見当たらない。とはいえ、わたしが思うに、マイクロラジオにとっての「政治」は、マクロではなく「ミクロポリティクス」で、気分や微妙な感情の動きなどのレベルと関係がある。その点では、「だらだら」とおしゃべりをしているだけのような「放送」をやっているところこそが、逆に面白い。おそらくそういう局はあるはずだし、メインストリームの局の番組の一部(ある時間)にそういう要素が出ることもあるだろう。ただ、そういうことを電波とストリーミングとの両方でやっているところは見当たらないので、なかなか発見しにくいということなのだ。
そこで、「だらだら」しゃべるということと、通常の放送のしゃべりとの違いの例になる録音をHeikoに聴かせたら、その「だらだら」「のんびり」のディスクールのポジティヴな面に関して、少なくとも「理論的」にはわかってくれたようだ。このレベルは、その言語に親しんでいない人にはなかなかわかりにくいので、どのこまでわかってくれたかはわからない。
Heikoと話していて感じたのだが、mikro.FMのように毎日24時間ばっちり「放送」しているようなところは、どうしても「組織」的な面があり、「ミクロポリティクス」のレベルは理屈ではわかっても、どこかそぐわなくなる恐れがあることだ。「ミクロポリティクス」というのは、わたしやあなたが、ぐたぐたっとして、引きこもったりするようなところにも「政治」を見る視点が必要になるので、「組織」としてちゃんとした「仕事」をこなしていくという体勢のなかでは、見失われてしまうからだ。
http://mikro.fm/


2008年 01月 01日

●謹賀新年の思い

大学が休みになり、原稿のシメキリも旧年の分はこなし、試写もく、自由時間は出来たはずだが、年越しの夜も、朝まで整理仕事をしていた。
今年早々に大阪で演ること、2月末の北イギリスでの発表とワークショップのことも気になるが、それよりも、11月の「シネマノート」の後半が、メモを書きちらしたままになっているのが一番気がかりで、それにかかろうとしたが、向こうから迫ってくる時間から解放されているので、ついつい普段やらずにいた遊びに手を出してしまう。
昨年の10月だかに出たFedoraCore8を落として、Core2Duoマシーンにインストール。色々新しい工夫が見られるが、WindowsとMacをやめてこれ一本で行けるほど多才ではない。そもそもコンピュータを一本化するということがまちがいであり、それは重々わかっているのだが、新しいOSにはいつもそういうことを期待する。
1月17日のArt&.html#39;s Birthday 2008のことも気になる。すでに出演者は手配済みだが、Radio Kinesonusのページ( href="https://utopos.jp/about_jp.html"jp/kinesonus/ )にスケジュールをアップするのが終わっていない。
電波の方に実験は、始めたらやめられないので、手を出さない。「実験室」のドアは開かないことにしている。

昨日は、そうこうしているうちに人が来て、たまたま京都から届いたうまいものを食いながら、しばし歓談した。人が来たり、突発的なことで予定の仕事が出来なくなるとういのが、わたしには一番いい。電車が止まったり、停電したりすると、「革命の日」のような気分を楽しめる。予定とメカニズムの社会に住んでいると、こういうことでもなければ、自由になれないのだ。ところで、「ストライキ」というのは、本当は、なにもしないということではなかったろうか? それが、いつのまにか、「闘う」ことになってしまった。闘いというのは、「労働」でしょう?

予定では、年賀状を年末に書き、正月へ向う深夜にポストに投函する「予定」だったが、これは延期になった。年賀状というのは、ある種のシメキリ的な要素を持っている。こちらは、年賀状は1年1回だけ宛名を手書きでやろうと思っているから、手間がかかる。いつも、予定の半数ぐらい書いて、あきらめてしまう。手書きで原稿を書いていた時代の記憶がよみがえるのも逃げをあおる。でも、一応以下のような文章は作った。

大学で教えたり、原稿を活字にしたりする仕事をだんだんなくしていって、日々のウエイトを〈電波とのたわむれ〉(play with airwaves)に置きたいという思いがつのっています。「ラジオアート」といわれる活動ですが、ヨーロッパにはその場所をもうけてくれる人や機関があり、昨年は、グラーツとベルリンに招かれました。また遊民(ノマド)になりつつあります。

最後のくだりは、厳密には事実に反し、シュー・リー・チェンのような本格派の「ノマド」に失礼なのだが、まあ気分はそんなとこだ。

電波といえば、年末にミズホ通信の高田継男さんから、新旧の電子部品をダンボール一杯「お歳暮」にもらった。「不要なので、よかったら使ってください」という。開けてみて、びっくり。コンデンサーや抵抗にまじって、いまではヴェンテージものになっているポータブルの電界強度計まである。かつてミニFMの自由ラジオ運動をやっていたとき、これがほしかった。これがあれば、電波監理局の突然の襲撃を心配しないで送信するのに役だったからだ。存在は知っていたが、恐ろしく高価で手が出なかった。機能的にはいまでは「ジャンク」だが、内部を覗いて見ると、その設計思想が読み取れて面白い。これも「電波とのたわむれ」の一つ。
というわけで、シネマノートも年賀状も、三箇日が明けるまで無理かもしれない。