「シネマノート」  「雑日記」


2007年 07月 30日

●「賢明」よりも「愚か」に

ケータイサイト中止の文章を書いたら、この「日記」をいつも読んでくれている人から「賢明なこと」だというメールをもらった。
いや、わたしは、「賢明」であるかどうかというようなレベルでそう決定したわけではないんです。そのことはすぐに返事で書いたが、そもそも「賢明」という言葉が嫌いなので、蛇足を書いておきたい。
「賢明」であることの反対は「愚かな」ことである。わたしは、ウェブを受信する形式がさまざまなケータイのために複数のケータイサイトを作るのが「愚か」であると思ってやめたわけではない。ある意味で、わたしは、「愚か」なことしかしてきていない。
それよりも、ケータイのiモード能力に失望してしまったということの方が、サイトを中止した最大の理由であり、しかも、その利用者が、それをみずから改良しようとはしていないことにがっかりしたのだ。
わたしは、ケータイを過信していたのである。これは、かつて「国民機」といわれたNECのパソコン「98」(Windows98ではない)と同じような「国粋主義的」な機械である。iモードなどはただの飾りであって、ウェブに接続しようとするコミュニケーションの意識が希薄なのだ。
現に日本のケータイは、国境ひとつでも越えられないではないか。コミュニケーションには、ボーダーを越すこと、越させることが前提である。そういう意識があまりに薄すぎる。
しかし、「賢明」ではないわたしは、そのうちまた、たまたままわりにいてケータイを使う人たちが最新のマシーンを持っていて、ウェブにサクサクとアクセスしていたりするのを目撃し、ふたたびケータイサイトを作ろうとするかもしれない。
とにかく、いま、「賢明」をよしとする人が多すぎるような気がする。


2007年 07月 29日

●ケータイサイトはやめた

ケータイサイトを開設したことを書いたら、早速何人もの人がサイトをチェックしてくれて、受信状況を知らせてくれた。
ところが、その状況があまりにまちまちで頭をかかえた。比較的若い人は、「見れました。便利です」というメールをくれたが、高齢者の反応は、これでも重い、文字が化ける、リンクのところが読めない、スクロールできない・・・等々、問題ありの感想。
え~っと思い、数人の知り合いに頼んで本体を借り、異なる種類のケータイで実際にアクセスしてみた。大体問題はなかったのだが、一人だけ、ちょっと古めで、「カメラは壊れてしまった」とかいう機種のがあって、それで見ると、なるほど、上に書いたような現象がモロに出る。それはそうだ。今回立ち上げたのは、最近のiモード対応HTMLを前提にしており、文字の大きさも横スクロールもダメという初期のもののことは考えていなかった。
かつて授業のレジュメを載せたときは、「iモードHTMLシュミレーター」を使って、実際に自分のパソコン上にケータイの画面を作り、いちいちそこでチェックしながらケータイサイトを作った。今回は、iPAQなどのPDAでモバイル用のIEやFirefoxで見る画面を極力「減量」しようとしただけだ。
「若い人」が持っているケータイの場合は問題ないようだが、だからといって、感想までもらってしまうと、「高齢者」おことわりというわけにはいかない。iモードのサイトを立ち上げる以上、すべてのバージョンを満足させなければならない。いまの「進んだ」iモードは、いずれ、PDAなみにウェブサイトを受信できるようになるだろう。それは、現存の「シネマノート」サイトでよいわけだ。
この状況を能動的におさえるなら、さまざまなヴァージョンに対応するサイトを作ることだろう。実は、いろいろな反応があったので、cinemanote.jp の下に index2.html、index3.htmlというのを作ってはみた。しかし、これを毎回作るのはわたしには無理である。というより、わたしのサイトは「万人」をねらっているわけではなく、利用者が多ければ多いほど好ましいとは考えていない。
というわけで、わがケータイサイトは、参議院選のつかのまの熱狂とともに、泡沫のような消えることになる。
選挙には行かない主義(ベルギーだったら罰則を食う)なので、その結果は、たまたまテレビをつけたときに見るスポーツ競技の結果とかわりがなく、「あっしの知ったことじゃござんせん」だが、ケータイサイトも、ケータイを使っていないモンがやったのではやはり腰が入らないのですね。しかし、わたしは安倍とはちがうから、ダメならすぐに辞める。
でも、安倍って、小泉の置き土産だよね。「小泉さんは天才だが、安倍さんは・・」というような物言いがよく出るが、これはおかしい。もし責任云々をいうのなら、小泉とその一党がとらなければならない。
それにしても、安倍政権というのは、メディア感覚の乏しい政権だった。敗北に対する対応も、ダメな会社が経営不振に陥ったときのもたもたした反応と同じように、あまりにノリが悪い。それは、閣僚の「不祥事」や「不適切」な発言への対応においても同じだった。
その点では、民主党は、自民よりは多少「グローバル産業」時代の企業の手口を学習しているのかな。というより、現実に票を伸ばしたのだから、そうなのだろう。
いまの選挙は、会社経営の観点から見た方がいい。たとえば、当選した川田龍平は、「ベンチャービジネス」的当選である。今後、彼が、その「ベンチャービジネス」をどこまで続けることができるかだ。堀江のように日本では」「ベンチャー」は目立つとすぐ潰されるからね。
「民意」「民意」というが、選挙の「民意」は、ある製品が売れたか、売れなかったかという違いのレベルで考えた方がいい。
http://cinemanote.jp/


2007年 07月 26日

●「美食」の一日

マイケル・ムーアの『シッコ』をやめてシェフの映画を2本見ることにした。まず新橋のワーナーで『幸せのレシピ』を見、京橋に地下鉄で行き、メディアボックスで本命ではない『ホステル2』を見たあと、20分ほどあたりを散歩し、コーヒーを飲んで同じ場所にもどり、『厨房で逢いましょう』を見た。
タランティーノは、「グライドハウス・ムービー」をたたえてロバート・ロドリゲスと「グラインドハウス」2部作を作り、2本立てで上映したが、2本立て、3本立てで見る作品としては「洗練」されすぎている。その点、これもタランティーノがプロデュースしている『ホステル2』は、彼自身の作品以上に「グライドハウス・ムービー」だ。こいつが間に入ったので、3本見ても疲れなかった。
『幸せのレシピ』は、キャサリン・ゼタ=ジョーンズとアーロン・エッカートだから、名シェフの動きをモーションキャプチャーして変形した『レミーのおいしいレストラン』のようなわけには行かない。美食への入れ込みもうわっつらだ。ゼタ=ジョーンズやエッカートが作った一品が誰かを甘美な気持ちにさせるという直接的な描写はない。その周辺部のドラマは面白いが。
その点では、『厨房で逢いましょう』の方がしっかりと撮っている。ヨーゼフ・オステンドルフが演じる巨漢のシェフはの料理にハマってしまう人妻を演じるシャルロット・ロシュの演技が実に「耽溺的」だ。ただし、ドイツのシェフ、フランク・エーラーが料理指導をしているせいか、肉料理がメインなので、美食への欲望をそそられることはなかった。
3本を見終わって、すでに8時ちかく。何かを食べようと思ったが、今日は普通のモンは食えないなぁと思い、青山に足をのばすことにした。京橋の試写室の近くには、昔わたしの家の近くにあったフランス料理店が移転して店を開いており、久しぶりにシェフに会いたいと思ったが、映画でフランス料理ぜめだったので、フランス料理はもういいと思ったのだ。
『厨房で逢いましょう』で、問題のシェフのところに通いつめる妻を不審に思った夫が、彼のレストランに行く。テーブルが3席しかなく、来年まで予約が一杯というその店に潜入した夫が味わったその料理が具体的にどう作られ、どういうメニューなのかは映画ではよくわからなかったが、夫も含めて、客たちがスタンディング・オベイションをするシーンがある。ここはとても納得がいく。
むろん、わたしもこの夜、そういう気持ちで青山の店を出た。シェフが出してくれた料理は、鰯のシシリー風の前菜、蛤にサフラン風味のラグーソースのパスタ、リゾットのうえにソテーした鱸とラタトゥーユ風の野菜をのせたメインだった。料理のときは主としてガス入りの水を飲み、あいだのゆったりした時間に2003年のサッシカイヤを飲む。デザートはマンゴーとココナッツのジェラート。あとは、エスプレッソを飲み、バッサーノのグラッパでしめる。
うふふ、こういう調子だったら、『グラインドハウス・ムービー』を見たあとは、人殺しでもしなければなるまい。
http://cinemanote.jp/


2007年 07月 25日

●「シネマノート」携帯サイト開設

自分ではケータイを使わないのだが、ケータイのメディア的可能性は認めすぎるほど認めているつもりだ。すべてのケータイが、アップルのスティーヴ・ジョブズのiPhoneのプレゼン通りのレベルになれば、そのなかの最高機種を持ちたいものだと思っている。
「ケータイで見れないサイトはだめでしょう」と言った知り合いがいるが、インターネットが始まったことには、トップページを軽くするというのは原則だった。しかしいまでは、回線状況が格段とよくなったので、誰も、ページの重さなどを意識することはなくなった。
ケータイは、いまのところ、回線速度が限られているので、インターネットの初期のころの原則が通用する。いずれ、ぐんぐんスピードが上がって、光やADSL並になってしまうだろうが、画面のサイズの小ささは残るだろう。これも、いずれ、奥を覗き込むと奥に向ってず~っと広がるような3次元スクリーンができ、機体のサイズの小ささが問題にならなくなるかもしれない。
しかし、当面は、ケータイの画面は小さく、通常のウェブを前提に作ったウェブサイトをケータイのIモードで見ると、見にくいと言わざるをえない状況がつづくだろう。
以前、学生向けに、講義のレジュメをケータイ用に作ったことがある。それは、パソコンを持っていなくても、ケータイは持っているという学生が増えたので、役立つのではないかと思ったからだ。しかし、すぐにわかったのだが、そういう学生のなかで(いまとは違い)Iモードもやっているのはごく一部で、そういう学生はパソコンも使っていて、ケータイにこだわる意味がないことがわかったのだ。
それから3,4年たち、いまでは、ケータイを持っている人はだいたいウェブも見ている。文字情報をチェックする程度ならケータイだけでも何とかなる。というより、わたしの「シネマノート」サイトの場合、「ケータイで見ているけど重くてしょうがない」という感想を何人かの人からもらい、改善の必要を感じてきた。ためしに無線LANに接続するPDA(たとえばHPのiPAQなど)で見てみると、たしかに「シネマノート」のトップページは重い。
そこで、ちょっと徹夜仕事(まあいつも徹夜だが)で今月分のページを作ってみた。まだリンクの部分までは軽くなっていないので、リンクに触るのは要注意だが、今月わたしが見た試写の「ノート」と「今月気になる作品」の情報の部分は8分の1ぐらいまで軽くした。どなたかケータイで実際にチェックした感想を聞かせてくれるとありがたい。
重い一続きのページを1日ごとのページにぶった切る作業では、以前菅居浩志さんが作ってくれたperlのプログラムを変形して使ったが、彼にお礼を言おうと思ってメールしたら、戻ってきてしまった。元気なのかな?



2007年 07月 23日

●FLUXUSラジオ?

とうとうBarbara Heldからメールが来てしまった。バルセロナの現代美術館 MACBA でラジオプロジェクトをやるので刀根康尚といっしょに関わらないかというのだ。
この話は、すでに刀根から知らされていたが、「刀根さんとじゃ、畏れ多いなあ」と敬遠していた。だって、ラジオアートの根元の部分に影響をあたえてきたようなFLUXUSアーティストと「いっしょ」というのは、少なくともわたしが日本語を使って生きているかぎりは、とても遠慮なのである。
しかし、不思議なことに、バーバラの英語のメールを読むと、そういう遠慮が馬鹿げたものに思えてきた。このへんが、言語の持つ不思議な力だ。英語を使っていると、実際には色々なしきたりがあるのに、人間みな「対等」みたいの気分に一時なれる。反対に日本語を使っていると、なんらかの意味で「上下関係」を意識する。敬語があるし、男女、大人子供・・・のあいだの言い回しの違いもあるわけだから、あたりまえである。
刀根康尚は、わたしが尊敬する数少ない「日本人」アーティストにして思索者である。その名は1950年代末からよく知っていたが、あくまでも観客・読者としてだった。1975ごろニューヨークのヴィレッジの本屋で刀根を見かけ、声をかけたことがあるが、それもあくまで観客・読者としてだった。
たしか1978年だったと思うが、『日本読書新聞』の編集者から創刊早々の『月刊イメージフォーラム』の編集者になった服部滋(当時は田村正和によく似ていた)がニューヨークにやってきて、わたしのアパートに泊まり、ある日、刀根さんのところへ行くが、いっしょに来ないかと言った。それが、刀根康尚とサシで会う最初となった。
刀根さんには、その後、ソーホーやブルックリンで電波を出す手伝い(文字通り)をしてもらったりもしたが、ナムジュン・パイクやジョン・ケージを紹介してもらったり、世界と視野を広くしてもらった。バーバラ・ヘルトも、刀根さんと共演するのに招待され、初めてそのフルート演奏を聴いた。
まあそんなわけで、「いっしょに」というわけにはいかないのだが、まえまえからわたしのネットラジオRadio Kinesonusで刀根さんに何かやってほしいと言い続けてきたこともあり、何かできれば光栄だ。
でも、刀根さん、わたしが「アート」でやっていることなんざ、すべてお見通しだよね? radioartは「アート」とはちょっと違うと思ってくれれば、何かできるかもしれない。


2007年 07月 22日

●Live CD Linux

がはやりだ。これは、740MBぐらいが限度のCDディスク1枚にOSを詰め込み、それをコンピュータにそのつど突っ込んで起動させて使う。最近は、たいていのLinuxOSが正規のヴァージョンとは別にLiveCDヴァージョンを作っている。昨年末、サイズを増やすことにしか関心がないかのような展開を見せてきたFedoraCoreまでがLiveCD版を出した。
LiveCDは、いまのところ、さまざまなLinuxの「簡易版」の形態をとり、実際に使ってみると、半端なものが多いが、この過熱の仕方の先には、今後OSがネットブートに向って進むという動向がある。それぞれのコンピュータにいちいちOSをインストールせずに、ネットのどこかに蓄えられているOSをネット経由で呼び出して使うという方式だ。いまでも、ある程度の回線容量があれば、LiveCDのデータをネットに保存しておいて、そこからコンピュータを立ち上げることは可能である。
数十種類もあるLiveCDを10種類ほど試してみて、1つだけイケると思ったのがあった。チェコのTomas Matejicekがほとんど独力で作ったSlax(この語は、明らかにslackerを示唆している)である。
正規版でも、Linuxですべてのことをやろうとすると手間がかかる。ウェブで色々なフォーマットの映像や音楽をプレイし、Skypeやライブストリーミングをするというのは、安いWindowsマシーンでも簡単だが、Linuxとなると、そうはいかない。ところが、Slaxは、リアルメディアでも再生してしまうし、さまざまなモジュールがあって、Windowsと互角で実用になる。
わたしは、このSlaxに惚れこみ、小さなノートPCのハードディスクからも起動できるようにしている。ちょっとLinuxの環境が欲しいときに起動させて便利に使っている。
Slaxにかぎらず、LiveCDを使うときに思い出すのは、Linuxが登場したばかりのころのことだ。初期のLinux (たとえばRedHat)は、サイズが小さく、動きが軽るかったので、Windowsでは動きが遅くて使えなくなった古いPCにインストールしても、軽快に作動し、古いマシ-ンが生き返ったかのような感じがした。だが、その後、LinuxOSは、どんどんサイズが大きくなり、重いOSになってしまった。いまでは、ハリウッドの映像処理にもLinuxのOSを使っており、WindowsやMacにかけるほどの金をLinuxにかければ、Linuxで何でも出来ることは確かだ。しかし、オープン・ソースが基本にあったLinuxには、高速のCPUと大容量のメモリーに頼ったバブリーな上位化よりも、無駄をそぎ落として行く軽量化の方を期待してしまう。とにかく、Linuxを入れることによって古いマシーンがよみがえるのを目の当たりにするハッピーな経験を忘れることが出来ないのだ。
http://www.frozentech.com/content/livecd.php


2007年 07月 20日

●「定期試験」とは何か?

毎年、この時期には不本意な「試験監督」なるものをやらされる。不本意というのは、わたしは監督付の「定期試験」には反対であり、自分ではそういうものをやらない主義だからである。
主義を通してボイコットすることも可能だが、その分を誰かがやらなければならなくなるということがわかったので、答案配りや本人確認などの作業だけは果たすことにしている。その代わり、試験にあたっての注意事項の告知とかカンニングの監視のようなことはしない。それは、そういうことをよしとする担当者がやればいいからである。
試験には、「持ち込み自由」と「持ち込み不可」というのがあって、「持ち込み自由」ならば、パソコンなどを持ってきてもいいと思うと、ケータイも不可なのだ。要するに活字が主要なメディアであった時代の基準でしか「可/不可」が決められていない。
皮肉なことに、「持ち込み可」の試験で学生たちがどんなものを「持ち込」んでいるのかを見てみたら、「ウィキペディア」からプリントアウトしたものを持っている者が多数いた。データはネットからなのだ。ならば、そのつどアクセスして手に入れた方が無駄がないだろう。
でもなぁ、「ウィキペディア」の記述を丸写しして回答できるような試験って、何だろう? そんなことをする意味があるのだろうか?
「持ち込み不可」の試験の場合、記憶を試す設問が多い。記憶は重要である。しかし、記憶のなかでも低次の、単語や数値や概念規定に関する記憶をコンピュータや辞典に頼って悪いはずはない。試験は、なぜ記憶の反復ではなくて、記憶の応用、記憶にもとづく創造をめざさないのか?
「定期試験」は、授業には出席しないで、試験だけで単位を取るという学生には便利な制度である。しかし、単位と授業とは同じではない。授業はライブである。ライブを見ないでレビューは書けない。もしそれが可ならば、そのライブは現場に足を運ぶにたらないライブなのだ。
単位というものが、もし、授業を受けた結果についての判定であるとすれば、それは、個々の授業でするよりも、卒業時に出す卒論や卒制で判定すればいいだろう。そんなことをしたら、学生は大学に来ません――というなら、大学なんて閉鎖した方がいい。学生が来たくなる授業をしないのなら、先生も辞めた方がいい。むろん、大金を払って、単位は3年間で取り、4年は「就職活動」と称して大学には近づかないというような学生も、学生を辞めた方がいい。
毎年、セメスターの終わりになると、「シュウカツで忙しくて出られなかったんですが、単位の方はよろしく」といったことを言ってくる学生がいる。単位をつけるのも、教員の仕事に一つになっているから、「就職先も決まっているので」となれば、合格の単位をつけざるをえないが、こういう作業は授業とは関係ないという思いにかられる。連続ライブをやっているミュージッシャンのところへ行って、「あなたのライブ、ほとんど聞けませんでしたが、一応チケットは買ったという証明はください」と言いに行くようなもので、ミュージシャンとしては、それはおれの仕事じゃない――でも、買ってくれたのなら、ばかやろうとも言えないなという気持ちになるだろう。
単位を英訳するとcreditとなるが、単位には「信用」がつきまとっているのだろうか? creditには「信用貸」という意味もある。それは、「社会に出る」ための「信用貸」なのか? もし、単位=信用貸なのなら、授業が始まるまえに出してしまい、あとは「信用」でやってもらうという方が、授業をやる側にとっては精神衛生上いいような気がする。その場合、むろん、「信用貸」の「額」つまり単位数を決めるのは学生の側である。
その場合、単位は、社会への「信用貸」としては、ほとんど何の意味もないのだから、入学時か学期開始時期に「信用貸」しして、卒業時か卒業後に「清算」するというのがまっとうなことだろう。そういえば、「出世払い」という言葉があった。単位もそんなところでいいのではないか?
そんなことを考え、以前に、「自己採点」というのをやったことがあったが、そうすると、「実直」な学生は、やけに低い自己採点をし、ろくすっぽ授業に出ないちゃっかりしたやつが「A」を点けたりする。そのばらつきがやっかいなので、ままよと全「A」にしたら、あとで、事務の方にクレームをつけてきた学生がいた。「ちゃんと出席したのだから「A」はおかしい。Sのはずです」と言うのだ。「S」? そんなカテゴリーがあるのは知らなかったが、いつのまにか「A」を上回る「S」(=スーパー? スペッシャル? シンギュラール?)というカテゴリーが出来ていたのだった。
なら全部「S」にしてしまい、社会に出てから自分でその「信用」の始末をつけてもらうのもいいだろう。しかし、全員に「S」をあたえるのはマズいらしい。確認してはいないが、「S」は全体の10%ぐらいにあたえらえるべき評価とか。しかしねぇ、遺伝子は、各人それぞれみな「スペッシャル」ないしは「シンギュラール」(独異的)のはずだけどね。


2007年 07月 19日

●Rebooting Berlin! International Berlin Backyard Radio!

ベルリンのDiana McCatyから、またベルリンに来てラジオのネットワーキングに加わらないかというメールが来た。彼女は、パートナーのPit Schultzとメディア活動をしてきた人で、「Juniradio」とか「Radioriff」とかいった変な(?)企画にわたしを巻き込む「問題の人」の一人だ。
ベルリンでは、いま、ふだんはニューヨークを「拠点」とするラディオアーティスト・ユニット「neuroTransmitter」(Valerie Tevere とAngel Nevarezによる)が、インターネット経由でニューヨークのユナイテッド・ネイションズ・プラザにヴァーチャルなラジオネットワークを作って気を吐いている。
http://www.unitednationsplaza.org/radio.html
ニューヨークでは国連広場にWiFi(ワイファイ)の小規模スポットを作り、ベルリン市内では微弱電波のミニFM局を開き、両者をリンクして、ベルリン側からアメリカの政治や生活に批判のノイズを入れようというもの。
「ラブパレード」なんかには興味がないが、久しぶりにベルリンに行きたくなった。


2007年 07月 17日

●「ミクロ/マイクロ」なレベルのこと

日本にいると、というより、わたしのいまの環境がそうさせるのだが、ちょっと窒息しかかって、新鮮な空気に飢えていたところへ、ニューヨークからマーチン・ルーカスがやって来た。彼は、ディーディー・ハレックにさそわれてPaper Tiger Televisionの創設に関わった人物だが、いまは、ハンター・カレッジでメディア・アクティヴィズムを教えている。
西海岸のバークレーが最もホットだった時代にバークレーで青年時代を送り、少しづつ批判的な政治活動が電子メディアの方に移動していく流れのなかで、ニューヨークに移り住んだ。わたしがニューヨークの街頭をほっつき歩きながら、財政が破綻する一方でさまざまなボヘミアン・カルチャーが噴出し始めていた様に毎日インスパイアーされていた同じ時期のニューヨークを、われわれは、たがいに顔を会わすことなく、共有していたらしい。
いまの時代を考えるとき、わたしは、「マクロ」ないしは「メイン・ストリーム」、「ローカル」、「ミクロ」の3つのレベルを考えるのだと言うと、彼は、その分類に賛成しながら、「マクロ」と「ローカル」とのあいだに「オールタナティヴ」を入れてはどうかと言った。そうかもしれない。
たとえば、アメリカのメディアの場合、CNNやCBSのようなメディアは、「メイン・ストリーム」のメディアである。それらとは別にケーブルや地域志向の強い「ローカル」メディアがある。しかし、NPR (National Public Radio)のように全国展開しているような局で、決して「メイン・ストリーム」ではない路線のメディアがある。
昨日、わたしのウェブサイトを見ているというアムステルダムの人からテレビの送信機に関する質問が来たので、こちらでも彼が直面したトラブルを再現してみようと、ちょっとした実験をしていたら、テレビの音声にFENのラジオの音が混じってきた。数分だったので、誰が発言しているのかはわからなかったが、ブッシュ政権を批判する内容だったので、へえと思ったら、FENがNPRを中継していたのだった。たしかに、こういうメディアは、「メイン・ストリーム」に分類することはできない。
さて、わたしがいま(というよりずっと)関心をもち、その世界の動きに多少なりとも何らかのインプットをしていると思っているのは、「ミクロ」ないしは「ミニ」のメディアである。
おそらくこのレベルではじめてメディアとアートとが接点を持つようになる。
そして、フェリックス・ガタリが方向づけた「ミクロ・ポリティクス」という概念のおかげで、一見「瑣末」に見える日常的な行為や態度のなかに潜む「政治」が問題になるのも、この「ミクロ」なメディアのレベルにおいてなのだ。
いま、日本のえらい知識人たちは、学生や「若者」の政治意識の欠落を嘆く。が、その「政治」は、「マクロ」な政治であり、「ローカル」な政治は問題になっていないし、まして「ミクロ」な政治は全然問題になっていない。
ミクロな政治は、闘争や戦略のなかよりも、鬱積や自嘲や失意や沈黙のなかにこそあり、それらを「正常化」という名の抑止技術でコントロールする精神医学やセラピーとは別の方向に広げていくことができるかどうかが問題だ。
マーディンと会うまえ、渋谷で試写を見た青山真治の新作『サッドヴァケイション』は、原田眞人の『伝染歌』などよりは、はるかに「ミクロ」レベルに触れているように見えた。『伝染歌』は、自殺やシニシズムといった今日的な問題をあつかっているかにみえながら、それらのうわつらをジャーナリスティックになぞっているだけだった。そして、その点では、先日見たパク・チャヌクの『サイボーグでも大丈夫』が、なかなか「ミクロ・ポリティクス」的な示唆に富んでいた。