もしインターネットが世界を変えるとしたら



あとがき


本書は、七年ぶりのメディア論である。一九八九年の『バベルの混乱 マスメディアは過激になれるか』以後、わたしは、メディアについてのまとまった本を一冊も出していない。だから、本書では、最初のメディア論である『メディアの牢獄』のときにおとらず、初々しい気持ちで作業に熱中した。
 発端は、津野海太郎さんからの一通の電子メールである。津野さんは、わたしのホームページを見て、「ネットワークを中心にデジタル文化にかかわる」本をまとめてみてはどうかとすすめた。彼は、『メディアの牢獄』以来、わたしのメディアの本をフォローし続けてくれた。自由ラジオの運動にもつきあってもらい、『これが「自由ラジオ」だ』という本をいっしょに作った。そして、その後、彼も、わたしに劣らず猛烈にコンピュータにのめり込み、その体験にもとづいて『本とコンピューター』、『本はどのように消えてゆくのか』というような魅力的な本を出し続けている。うん、津野さんのお声がかりでは、後には引けない。矢継ぎ早に電子メールが交換され、すぐに「コンテンツ」は決まった。
 というと話は簡単だが、そこに到るまでには、わたしのなかで相当な葛藤があった。基本的にわたしの関心は、直面する社会・文化状況がどこから生じ、どこへ行くのかについて考えたことを実験的に提起してみることである。だから、発表の場としては、本のようなスタティクなメディアよりも、書いてすぐ形になる新聞や雑誌の方が向いている。が、実は、それだからこそ、一年に一回ぐらい、それまでの「発作的」な思考作業を停止して、それまでの考えを整理してみるということが必要であり、事実そのために本を出してきたのであったが、ある時期から、そういうことを判で押したようにやっているのがいやになってしまったのである。
 まずいことに、この時期に、コンピュータとの新たな関係が始まり、本への消極的な姿勢をさらに強めさせることになった。八○年代の後半になって、わたしは、コンピュータのテクノロジーやそれが生み出す文化について書きながら、自分の手でその可能性をとことん試してみたいという誘惑にかられていた。わたしは、日々目を見張る様な変化をとげているコンピュータについて「知って」はいたが、それらを自らの体で「感じて」はいなかったので、好奇心の強いわたしは、とにかくこのかぎりなく拡がっていくかに見えるコンピュータの世界を自分で体験したいと思ったのだ。
 そこで、九○年代の初め、仕事の環境が変わったのを機会に、いままで使っていたパソコンと手を切って、NeXT[ネクストールビ]というUNIXのワークステーションと徹底的につきあってみることにした。NeXTというのは、あのアップル社を起こしたスティーヴ・ジョブズが、アップル社を追われた後に開発したコンピュータで、そのOSのNeXTSTEPは、八○年代末の時点で最も進んだ技術とコンセプトが投入されているといわれていた。実際、使ってみると、そのすばらしさはすぐにわかった。分子生物学や遺伝学のコミュニケーション・モデルを継承しているというだけあって、NeXTSTEPは、コンピュータが、計算をするだけでなく、使用者の思考や感覚を刺激し、発展させてくれるコミュニケーション装置であるとしたら、おそらくこれがそのプロトタイプになるはずだと思わせるようなところが随所に感じられた。
しかし、コンピュータというものは、NeXTのようなオブジェクト志向の、非常によく出来たマシーンとOSでも、およそ未完成なことおびただしい。そもそも、表現に至る以前のトラブルが多すぎる。おまけに――わたしは、このマシーンでインターネットの実験を始めたわけだが――商業プロバイダー出現以前の時代のインターネット環境は、わたしのような素人にはなかなかの試練だった。スティーヴ・ジョブズは、NeXTは、パソコンではなく「インターパーソナルなコンピュータ」だと言ったが、この意味は、人に頼らなければ単体ではろくなことができないということではないか、と恨[うら]むこともなかったわけではない。が、教えてくれる人は少なかったから、何でも自力で解決しなければならなかった。おかげで、UNIX全般のことも掘り下げて学ぶことになったが、こういうことをしていれば、本など書けるはずがない。時間がなくなるだけでなく、本をまとめるためには細部への判断停止と全体への視野が必要になるが、コンピュータ技術に関わりあっていると、どうしてもある種の視野狭窄に陥るし、またそれが要求されるのであった。
もともと、UNIXマシーンというものは、コンピュータ同士をリンクする「連帯」機能を前提に設計されており、「インターパーソナル」があたりまえのはずだったが、現実には、そうではなく、機種ごとの「派閥」があった。NeXTは、そのなかのマイナーであり、プロユーザーに言わせると、「いいマシーンだけど、実用にはちょっとねぇ・・・」というのだった。理論的には、すごいことが出来るはずだったが、それを実現するにはえらく時間と金がかかった。自力で「簡単」にプログラムを作れるというのもうたい文句だったが、マニュアルに書いてある程度のことをマスターしたぐらいでは、大したプログラムを組むことができなかった。そうなると、結局、NeXTでなくても同じだということになるが、にもかかわらずわたしは、その未来主義的な「無能」さの方から多くのことを学んだ。
一つのコンピュータが対話状態になっており、さらにそれが外部とかぎりない対話関係を結ぶことが出来るというのがNeXTの根本思想である。それは、現実には、十分に具体化されてはいなかったが、その思想がひしひしと伝わってきたことは確かで、おかげでわたしは、インターネットのような外部にだけでなく、室内のような距離的に近い外部においても対話的なコンピュータ環境をつくることに関心をいだくことができた。むろん、そのようなことは、コンピュータを使う事業所ではLAN(ローカル・エリア・ネットワーク)という形で使われていたわけだが、わたしは、複数のコンピュータで何らかの事業をやるためにではなく、異なるOSや言語のコンピュータ――つまりは多言語的・多文化的なマシーン――同士を「対話」させるというコミュニケーション論的な関心から、自分が持っていた新旧のすべてのワープロ、コンピュータをNeXTに連結し、その間で画像や音を送り合う実験を行なった。今日のインターネットは、実は、こうしたイントラネットを拡大し、たがいの連結をさらに多重化したものにすぎないため、わたしは、やがて一般化する「ワールド・ワイド・ウェブ」(WWW) のインターネットの極小モデルを手元に持ったことになった。
ところで、コンピュータ・ビジネスの皮肉は、いいコンピュータは決して大衆的な普及を望めないという事実である。NeXTもそのご多分に漏れず、熱烈なユーザーと世界の各地に生まれたユーザー・ネットワークにもかかわらず、売れない→コストがかさむ→さらに売れないという悪循環をくりかえしたのち、一九九三年になって、その製造が停止されることになった。そのOSだけは、やがてパソコンのプラトッフォーム上でも走るようになったとはいえ、当分このコンピュターの進化につきあっていこうと思ったわたしの夢はあさりと潰[つい]えた。手元にあるNeXTは、まだまだ使えるし、それを使うなかであらたな発見があることはわかっていたが、コンピュータで哲学ばかりやってはいられないという気にもなった。
折も折り、画像処理のコンピュータのメーカーとしては定評のあったシリコングラフィックス社(SGI)が、エンドユーザーをも射程に入れたインディIndy [インディールビ]というコンピュータを出した。フェアーに行って触ってみると、なかなかすごいマシーンである。瞑想的なNeXT とはちがって、こちらはおしゃべりで、派手好み。が、やるべきことは遠慮せずにバシバシやってしまう大胆さがある。ユーザーとしては、非常に疲れるマシーンだが、とにかくいまあるコンピュータの能力を最大限出し切ってしまおうというコンセプトが明解だ。わたしは、一目で魅了されてしまった。
Indyを使いはじめたのは一九九四年からだが、Indyであれこれ試行錯誤を繰り返しているうちに、状況の方もわたしに味方してくれた。インターネットである。インターネットの様相が、一九九三年を境にガラりと変わり、それまで、NeXTのユーザー同士でしか出来なかったことが、普通のパソコンで、誰でもが出来るようになった。(ちなみに、インターネットにおける最初のウェブ通信の実験は、NeXTで行われた)。それまで、電子メールやニュースのために使っていたインターネットが、この時期にワールド・ワイド・ウェブ化し、ブラウザを使ったホームページが登場したのだった。そして、驚いたことに、このIndyは、当初、グラフィックスやデジタル・ムービーの制作に向いたマシーンだと思っていたのに、実は、インターネットのマルチメディア化を主なターゲットにしていることがわかったのである。そして、使い込んでいくうちに、このマシーンとOS (IRIX)が、インターネットを実り豊に、楽しく使ってしなやかな表現を実験している人たちによってたえず改良され、工夫されていることがわかってきた。
ワークステーションというのは、通常、そこに何百万円もするソフトを入れて、ガンガン使おうという精神で導入されることが多い。プロがある目的のために使用するとすれば、そうなるのが当然だ。だから、ワークステーションのなかには、処理能力を誇る「箱」だけを売って、「中身」は勝手に入れてくれといった体の道具主義的なものも少なくない。しかし、わたしのように、プロでなく、それで商売をするわけではなく、めずらしい本を読んだり、海外の見知らぬ街を放浪するのと同じような感覚でコンピュータとつきあい、そのなかで新しい表現と思考を実験するチャンスを得ようとするだけの者からすると、この手のマシーンは、魅力がない。NeXTは、まさにそのような「箱」としてのコンピュータに反抗するところに立っていたので、なんでも入れられる「箱」という側面を軽蔑し、軽視した。そして、それが商売としては裏目に出たわけだが、Indyは、独自のコンセプトを押し出し、なおかつ「箱」としても有能である点が、他のマシーンとは違っていた。これは、ある意味で、NeXTでは潰えた夢をよみがえらせてくれたことになる。
コンピュータに深入りすると、「いっそすべてをコンピュータでやってしまおうか」という無謀な発作にしばしば襲われるものだが、九四年という年、わたしはは、まさにそんな発作に襲われどうしだったと言えるかもしれない。こうなると、本への関心はますます薄れていく。読む対象としては依然強力でも、自分から出す対象としては、二の次になってしまうのだ。そして、さらには、本の持つカプセル的な性格、知識や情報を集積し、独占する性格が鼻についてくる。これに対して、コンピュータの先進的な部分では、もはや独占や蓄積や浪費の思想は有効性をもたなくなっている。
インターネットでは、しばしば、自分のサイトにつくった部屋、別の人が別の(実際に遠い距離にあることもある)サイトにつくった部屋、都市等々をたがいにリンクしあって、一つのコミュニティをつくるというような「遊び」が行なわれているが、このような物理的な距離を越えてトランスローカルに連帯する発想は、新しいタイプのコミュニティの基礎になるだろう。そこでは、国土と一体になった国家の発想は終わっており、近代国家の先にあるものが示されているのである。
  だから、このような状況を知りながら本を出すとすれば、その本は、「本」本来の特性を極度に意識したものであるか、あるいは、本の終末とそれを越えるメディアとの過渡的な状況を確認するための方法的な本にならざるをえないだろう。そんな原則的なことを言ったら、何もできないではないかと言われるかもしれないが、メディアを論じながら、自分が使うメディアの特性を不問に付したのでは、お話しにならない。さて・・・?
 救いの手は、津野さんから差し伸べられた。本書の草稿を読んだ津野さんは、即座に『もしインターネットが世界を変えるとしたら』というタイトルを思いついたのだ。なるほど、これは、本書のテーマとそのメディア性を同時に言いえて妙である。本というメディアが所詮は閉ざされたカプセルにすぎないとすれば、その本領は、問題をフィクション(仮定=「もし」)という形で読者に差し出し、読者自身にそれを自由に使ってもらうことによって発揮されるだろう。また、そうすれば、「デジタロン物語」のような「小説」的な批評の意味もはっきりする。かくして、この本は、ようやく本格的な制作の軌道にのりはじめたのである。



本書をまとめるために、津野海太郎さんを初めとして、多くの方々のお世話になった。とりわけ井手和子、小野寺篤、楠見 清、斉藤直樹、佐々木修、清水 均、田中和男、鶴見俊輔、戸田千代、中神和彦、中島伸夫、中島 崇、服部 滋、前田恭二、松山晋也、山本光久の各氏には、各章節で展開している思考の出発点を用意していただいた。心からお礼を申し上げたい。また、晶文社の足立恵美さん、装丁の平野甲賀さんの協力がなければ、本書は出来上がらなかった。ありがとうございました。

1996年8月

粉 川 哲 夫