国際化のゆらぎのなかで 9

《日本主義》の輸出

 週末のある夜、数週間ぶりに六本木に行った。海外から来た知人が六本木に行きたいと言ったからである。二時間あまり中国料理と会話を楽しみ、外に出ると、歩道には人があふれ、祭りのような雰囲気があった。商店のウインドウは明るく、昼間以上に客が入っていた。サクソフォンの音が聞こえ、人だかりがしているので、近づいてみると、アメリカ人と思われる青年がアルトサクソフォンでジャズを演奏していた。このストリート・ミュージシャンを取り囲んでいる客たちは、日本人だけではなく、アメリカ、ヨーロッパ、アジア、アフリカなどのさまざまな地域からやってきたと思われる人々であった。  少し散歩をしようと思い、外苑東通りを狸穴方向へ少し歩き、細い道を左にまがった。マンションというよりも、「アパートメント・ビルディング」と呼んだ方が適切な建物が幾棟も並んでいる。大きなガラスのはまった入口のドアーのそばにインターフォンのボタンがずらりと並んでいる。ロックされているドアーのガラスごしにロビーが見えが、人影はない。  「いつのまに六本木はニューヨークかパリみたいになったんですか?」    六本木は十年ぶりだというその知人は言った。わたしも、歩きながらふとニューヨークのウエスト・ヴィレッジを思った。六本木交差点はさしずめイースト・ヴィレッジだ。街の構造は全然ちがうのだが、人々のこの街の《使い方》がどこかでニューヨークと共通性をもっているような気がしたのである。  ニューヨークでもパリでも、週末の夜の繁華街は、レジャーと観光を楽しむ実に雑多な客でにぎわい、祭りのような雰囲気に包まれる。そこは、もはやアメリカやフランスの都市ではなく、どの国にも属さない《ボヘミアン・シティー》であり、人々につかのま国家や国の存在を忘れさせる。  六本木の界隈は、東京でも家賃や土地価の高いエリアであり、住人の階層は中流以上である。外国人を優先的に入れるアパートもあり、住人は、おのずからヤッピー的な階層に限られてくる。だから、マンハッタンを規準にアメリカを論じることができないように、六本木を規準にして東京を論じることはできない。が、六本木には、いま日本で起こりつつある変化の尖端部分が顕在化していることは確かであり、情報やサービスにウエイトを置くシステムには必要な「多様性」と「興奮」(ディリリアム)の集約が感じられるのである。  数日後、わたしは、表参道の喫茶店で、アメリカから日本の研究・調査に来た研究者のインタヴューを受けた。その人の話では、日本ではまだアメリカやヨーロッパの影響を問題にする学者が多いが、これからは、日本が海外に与える、あるいはすでに与えている影響について研究しなければならないという。  これが従来の「日本論」と違うところは、論者の基本姿勢である。わたしの印象では、「日本の影響」を論じる者は、日本の「実力」、「大国化」を前提しており、それに対して批判的ではないのである。そのため、この種のテーマの研究者と話をしていると、たとえば日本の教育制度のように、こちらにはどうしようもないものと見えるものが、相手には価値あるものとして認識されており、話をするうちに互いに相手を別の世界の人間とみなさざるをえなくなるのである。  似たような経験をわたしは、先日試写会で見たヴィム・ヴェンダースの『東京画』に感じた。これは、小津安二郎に捧げた愛すべき小品であり、小津に「仕えた」とも言うべき俳優の笠 智衆とカメラマンの厚田雄春へのインタヴューのくだりなどは、なかなか感動的であるのだが、この映画には、今後、日本的なものを無差別に全面肯定するために使われる方法の萌芽があるように思えてならなかったのである。  ヴェンダース自身は、むしろ、小津の映画を通じて知っていた東京のイメージ(画)が、「もはや存在しない」ことをこの映画で描こうとしている。彼はナレーションで語る。「現実の東京には脅迫的な、時には非人間的な映像が溢れているので、かえって小津映画に現われる神話的東京の、優しく秩序ある映像が一層、大らかで崇高に思われてくる」と。  しかし、小津の『東京物語』のショットを見せながらヴェンダースが、「小津の作品は、最も日本的だが国境を超え理解される。わたしは彼の映画に世界中の、すべての家族を見る。わたしの父を、母を、弟を、わたし自身を見る」と語っているように、非常に個別的なものを偏愛しながらそれを普遍化するヴェンダースの姿勢は、日本の「国際化」と日本の「アイデンティティ」とを同時に追い求めている者たちには恰好の方法を提供しそうである。  歴史的に見ても、ナショナリズムは、「国際化」と手をとりあって進む。戦前・戦中の日本主義は、アジア主義と補完関係にあった。そこでは、個別日本的なものが、ある時点から、「アジア」化され、「国際化」され、非日本的な世界に強引に押しつけられることになる。  それは、個別日本的なものをどこまでも徹底できないところに生じるいなおりではないか? ナショナリズムとは、個別的なものの徹底化ではない。それは、「ナショナルなもの」とすらあまり関係がないかもしれない。むしろ、画一化と統合の一次元的理性、ホルクハイマーが「道具的理性」と呼んだところのものから派生するのであり、ナショナリズムは、その表面的なよそおいとは裏腹に、極めて狡猾かつ冷酷なロジックに支配されているのである。  日本の社会と制度は、いま、方向としては「多様化」と「分散化」の道を歩みつつある。それは、明治以後、つい先ごろの高度経済成長期まで続いてきた方向の転換であり、脱工業化への産業の横すべりと、はからずもの経済的な躍進とによって加速された。  この分で行くならば、脱工業化の道を歩んだ他の国々と同じように、そしてまた経済の門戸を外に開いた国々が経験したのと同じように、日本は、民族的にも個別文化的にも、多元主義の方向をもっともっと強めていくはずである。  そこでは、たとえばアメリカ合衆国でさまざまな民族のエスニック文化が誇示されるように、多様に分散した個別文化の小ブロックが多元的なアイデンティティとして称揚されることはあっても、民族と国家とが一体のものとして考えれた価値が他の民族や国家に押しつけられることはない。  しかしながら、そうした「多元化」を何らかの理由で推進できなくなるときに、ナショナリズムが出現する。「多元化」とは、窓を開けて外の風をどんどん入れることであり、たえざる流動性を価値と認めることである。  従って、「多元化」に身をさらす者は、あたかも「自分」が喪失されるような危機感をおぼえる。もちろん、実際には、「自分」はなくなってしまうわけではなく、より重層化された横断的な自己として、他者と多様な関係をもつようになるのだが、中心を固定できないことが、そのような不安を招く。  同じ理由で、「多元化」は、一面で侵略的要素を含んでいる。この「多元化」は、あくまでも産業の発展として進められるのであるから、それは、実際には、資本の多角化、国境を越えた経済活動を加速する。規制緩和、民営化、そして自民党の崩壊・再編等の現象として現われる「多元化」の過程は、すべて日本経済の「国際化」と重なり合っている。  その意味では、真の多元主義は、資本主義のもとでは決して実現できないのかもしれない。情報資本主義が、資本主義の終末形態であるとわたしが言ったのはこのことで、それは、一方において、情報を資本として回転させなければならないためにシステムの「多元化」を必要とするが、他方、それは、その「多元化」を追及すればするほどシステムの個別部分に対立と軋轢をまき起こすのである。  日本が、いま、少しずつ国家的「アイデンティティ」への欲求を強めている背景には、工業化時代に植えつけられた価値観を逃れることができないヤカラが「多元主義」を抑止しようとすることに加えて、日本の経済進出に反発する国々の「外圧」がある。  「多元化」の道を選択するのならば、海外に進出するだけでなく、国内市場を開放しなければならない。現状では、日本は、外へ向かっては「多元主義」のポーズを取り、内に向かっては、限られた部分でしか「多元化」を許してはいない。そのため、西欧とアメリカは「開放経済」だが、日本は依然としてそうではないという認識が世界にはある。  一九九二年をめどに行われるはずのECの「単一市場」は、日本の経済進出を封じ込めることを一つのねらいとしている。とすれば、ヨーロッパにとっては、日本をまるごと礼賛するのと非難するのとは、同じ効果をもつ。なぜなら、日本を「国」文化の側から礼賛することは、日本の「多元化」を否定することにほかならないからである。その意味では、来たるべき《日本主義》は、ヨーロッパから来るのかもしれない。  その場合、この《日本主義》は、同時に《アジア主義》でもあるだろう。というのも、アジア諸国には、すでにある種の《日本主義》が輸出され、当地の生活文化を変えつつあるからである。  『ビジネス・ウィーク』(一九八九年三月二〇日号)が作成したグラフによると、一九八四年から一九八八年のあいだに、中国、香港、インドネシア、マレーシア、フィリッピン、シンガポール、韓国、台湾、タイへの日本の投資額は、フィリッピンを除き、みな二~三倍以上に増えており、この地域への日本の進出がいかにすさまじいものであるかがよくわかる。  これが「多元化」であるのなら、投資の増大に比例して輸入や輸出の方も増大しなければならないが、こちらの方は、それほど極端な増大を示してはいない。それらの国々から物が輸入され、それによってこちら側が「多元化」するという率は、むしろアメリカの方が高く、アメリカ合衆国は、台湾、韓国、シンガポール、香港からは日本の二倍以上の品物を輸入している。アジアに関しては、これらの国々から日本が変えられる率よりも、日本が文化侵略する率の方が高いだろう。  だから、六本木あたりを規準にして日本の周囲をながめると、不思議な光景が展開しているのがわかる。つまり、日本のある限られた部分には、ヤッピー、フェミニズム、ゲイ、ハッカー、サイバー・アナーキズム・・・等々、情報資本主義と「多元主義」の尖端部分で起きていることの大半があるのに対して、アジア諸国には、働き中毒、マチズモ、歌謡曲、白痴化のためのメディア等々の《日本主義》文化がはびこっている。  山崎早苗は、『OCSNEWS』に連載しているエッセイのなかで、ニューヨークのあるホテルで開かれたパーティで、「五十がらみの日本男性」が連れの女性に向かって、憮然とした面持ちで、「日本に帰ってからも、こうしてオーバーを着せかけてもらえると思ったら、大間違いだぞ。外人の手前こうしているだけだからナ」と言いながら、「まことにぎごちない様子で毛皮のコートを後ろから着せかけていた」と書いているが、この手の日本男性は、おそらく、アジア地域では、さぞかし傲慢にその《日本主義》を貫くだろう。  こうした《醜い日本人》は、皮肉なことに、「国際化」が進めば進むほど増えてくる。それを避けるためには、すべての風通しをよくしなければならない。いかなる単位の《ブロック化》も排するようにつとめなければならない。このことは、アメリカやヨーロッパに関しても言うことができる。  情報資本主義の展開は、ブロック単位で覇権を競うゲオポリティクスでは遂行不可能である。そのことがわからずに、依然としてゲオポリティクスに執着し、相手を封じ込めようとするならば、本来脳のような構造をもつしかない情報資本主義の世界システムは、その内部に「腫瘍」をもつことになろう。  ある意味では、いま、アジア地域でそうした「腫瘍」が肥大しはじめていると言える。それが致命的なものに増殖するのを避けるには、アメリカとヨーロッパが日本を封じ込めないようにすることとともに、日本がアジア政策を多元主義の観点からもう一度再検討することである。



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