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『霧の中の風景』あるいはヨーロッパの現在

 テオ・アンゲロプロスの映画『霧の中の風景』を見ながら、ヨーロッパの現在に思いをはせた。日本で公開されたどの作品——『旅芸人の記録』(一九七五)、『アレクサンダー大王』(一九八〇)、『シテール島への船出』(一九八四)——でもアンゲロプロスは、舞台をギリシャに設定し、ある特定の時代の、ある特定の出来事を描きながら、それをヨーロッパ全体のコンテキストのなかへ投げ返す。
『霧の中の風景』でも、それは例外ではない。また、この作品では、彼の過去の作品との暗示的な照応関係が多く、スケールは前述の三作よりも小さいが、もはや狂える道化としてしか存在しない〈父親〉という『アレクサンダー大王』、虚構と現実の「霧」のなかで〈歴史〉が回帰する『シテール島への船出』、そして歴史の〈常民〉のような存在である『旅芸人の記録』の諸テーマがすべて一歩進められた形で見出せるのである。
 ヴィーラ(十一歳)とアレクサンドロス(五歳)の姉弟は、毎日のようにアテネ駅に来ている。彼らは、家族を置いたままどこかへ行ってしまった父を探しにドイツへ行こうとしている。母は、彼らに父親がドイツへ行っていると告げたからだ。ギリシャでは、経済的に躍進している(とりわけ一九六〇~七〇年代)西ドイツヘ多くの人が出稼ぎに行ったので、こうしたケースは珍しくはなかった。が、事実はわからない。夢のような場面設定のなかで歴史=現実を浮かび上がらせるのはアンゲロプロスの得意な技法である。
 映画の冒頭で姉のヴィーラが弟のアレクサンドロスに「初めに混沌があった。それから光が来た。そして光と闇が分かれ、川と湖と山が現われた……」という物語を語って聞かせるシーンがあり、そして、最後は、逆に弟が姉に同じ物語を語って聞かせるところで終わる。おそらく、この物語を聞かされる者は、それを聞きながら眠りにつくのだろう。そこでは、「事実」と「夢」とが融合し、境目はあいまいになる。
 二人が、ある日、ついにアテネ駅から長距離列車に乗り込んでしまうとき、駅のアナウンスは、その列車が「ゲルマニア方面行き」だと告げていた。ギリシャ語で「ゲルマニア」とはドイツのことだが、フランス行きの列車などというものがないように、長距離列車はつねにベルリンとかモスクワとかの個別的な行き先があるはずである。これは、この映画世界が、まだミュンヘンもベルリンも区別できない子供の意識からとらえられたものであることを示唆するサインなのかもしれない。
 実際、この映画は、二人が体験する出来事を一見リアルに描いているようでいて、ディテールに注意すると、全体がまさに「霧の中の風景」のようにぼやけてくる。それは、大人では決して眠ることが出来ないような瞬間にも眠ってしまったりする子供の無邪気な意識の流れでこの映画世界が構築されているからである。
 ドラマのなかでの「虚構」と「現実」とをあいまいにする技法は、観客をいまここにある映像の制約から自由な想像へ向けて解放する。映像はいまや、「メタファー」といった近代主義の手垢にまみれた機能を捨て、次々と限りなく別の映像をレフェレンシャルに接合させるインデクスの機能を発揮する。
 歴史的にギリシャは、ヨーロッパの端緒であるが、アンゲロプロスにとっては、それは同時に終末である。『アレクサンダー大王』では狂える道化に頽落し、『シテール島への船出』では「映画のなかの映画」のドラマの主人公としてしか存在しない〈父〉は、『霧の中の風景』では、もはや全く姿を見せない。社会や諸世界を統合するものとしての〈父〉は、どこにもいない。そして、さらに、〈母〉の姿も希薄であることが興味を引く。
 ここでは、人は狂える〈道化〉になるか定住を拒否する〈旅芸人〉になるかである。映画のなかで、ヴィーラとアレクサンドロス姉弟が、精神病院か収容所のような場所の土手に向かって金網ごしに手を振るシーンがある。金網のなかでは一人の男が、二人に向かって両手を羽のように動かしている。おそらく、彼は、〈中心〉を失った世界で生き延びる術を知っているはずだ。
 だが、旅芸人の方は明らかに行き詰まっている。ヴィーラとアレクサンドロスが出会う旅芸人の一座は、芝居をする場所がなく、役者たちの衣装やバイクを売り払わなければならなくなる。すべての人間が〈旅芸人〉にならざるをえない時代にはもはや旅芸人の居場所はない。
 ギリシャは多くの出稼ぎ人口をかかえた国であり、西ドイツにも多くのギリシャ人が出稼ぎに行っている。ヴィーラとアレクサンドロスは、車掌や警察の目を気にしながら無賃乗車をし、ヒッチハイクをして旅を続ける。ヴィーラが強姦され、ときには売春まがいのことをして旅費をかせぎ、二人はついに命がけで国境を越える。これは、大なり小なり、出稼ぎ労働者が経験してきたことであり、それを労働者のドラマとしてではなく二人の子供の経験として描いているところがおもしろい。
 二人の行き先はドイツということになっているが、〈中心〉を求めて旅する〈ヨーロッパ人〉=ヴィーラ/アレクサンドロス姉弟の行き先がドイツであるというのは実に示唆的であろう。ドイツはいま東西「統一」に向かって進みつつあり、その趨勢は、一九九二年から始まる「EC単一市場」の運用にはむろんのこと、ヨーロッパの未来を規定する力をもっており、米ソ関係や日米関係にも大きな影響を及ぼすはずである。
 しかしながら、たとえドイツが「統一」されるとしても、それはおそらくヨーロッパにふたたび〈中心〉をもたらすことはないし、あってはならないだろう。東西ドイツをとりまく国々(とりわけフランス)がいま一番懸念しているのは、西ヨーロッパで強い経済力をもつ西ドイツが東ドイツと合体したとき、ヨーロッパのヘゲモニーがドイツに集中することである。だが、より重要な問題は、この「統一」が、九二年の「EC単一市場」形成の基底にある〈脱国家〉の理念とは正反対の「民族主義的」情念に支えられているのではないかという点である。
 その意味では、ドイツ統一は、西ヨーロッパの諸国が、そして構造的に呼応した形で東ヨーロッパの諸国が、進めてきた〈脱国家〉の動きを止めてしまう反動的な可能性をもつわけであり、両ドイツはいまや、今後の世界情勢の鍵を握っていると言ってよい。
 いまヨーロッパで進行しつつある動きの能動的な面は、決して、小国が統合されて大国になるような〈帝国化〉ではなく、十九世紀に世界的なレベルで制度化された近代国家そのものが終焉し、《ネットワーク国家》になっていくプロセスなのだが、そのことが一向にわからず、この動きによって「地域」文化や「民族」の独自性が失われてしまうという懸念をもつ者が依然としている。もはや「民族」はもとより「地域」とか「コミュニティ」とかいう概念自体が終わりつつあるにもかかわらず。
 おそらく、昨年(一九八九年)、アラン・マンクの『大いなる幻影』(ベルナール・グラッセ書店、パリ)がフランスでベストセラーになったのも、こうしたディレンマ状況と無縁ではないだろう。マンクは、国境を取り払い、「単一市場」を形成したところで、共通する文化をもたないかぎりヨーロッパに未来はないと考える。しかし、来たるべきヨーロッパを「統合」する文化は、どこかの国からもって来ることは出来ない。それは、歴史の逆行である。かくして「ユーロペシミスト」と呼ばれるマンクの結論は、いささか皮肉めいたものになる。彼は、フランスに対して、もしECのイニシアチーヴをとりたいのなら、もはや「栄光」にしがみつくのはやめるべきだと言う。「今日の世界では、『栄光』ではなくて陳腐さこそがリーダーシップの条件を構成する」、と。
 そう言えば、「民族的」にも「言語的」にも「地域的」にも「無数の異なる単位」からなるアメリカを「合衆国」としてネットワークしてきた「アメリカ文化」とは、まさにハリウッド映画やポップスに代表される「陳腐さ」であった。
 統一をめざす東西ドイツは、はたして、「ドイツ民族の独自性」などをふりまわさずに「陳腐さ」の文化を構築しうるであろうか?
 たまたま目にとまったドイツの新聞(『マンハイマー・モールゲン』一九九〇年一月三十日号)に、「ゲーテとドイツ統一」という記事が載っており、そこにゲーテが一八二八年十月二十三日にエッカーマンに向かって語った興味深い言葉が引用されている。
「ドイツが統一されないという心配は、わたしにはありません。とりわけ愛の交流において一つになってほしい。そして、ドイツのターレルやグロッシェン(通貨)が全国で同じ価値をもつように統一してほしい。わたしの旅行トランクがドイツのあらゆる国々で開かれなくても通過できるように統一してほしい」
 とはいえ、この記事で心配なのは、原文から都合のいい部分だけが抜き出されているうえに、ゲーテがこの言葉の次の段落で言っていることについての言及が全くないことである。彼は、こう言っていた。
「しかし、ドイツ統一が、より一層大きな国家が唯一の首都をもち、そしてこの大きな首都が個々人の偉大な才能の発展や国民大衆のためになるなどと言う意味なら、それは思い違いだ」(ヨハン・ペーター・エッカーマン『ゲーテとの対話』)。
 ゲーテによれば、「ドイツの偉大さ」は、その制度と文化が多くの中心をもち、多元的であることである。しかしながら、この忠告を無視して「唯一の大首都」を作り、ドイツを統合したのは、ビスマルクであり、ヒトラーだった。
[霧の中の風景]監督=テオ・アンゲロプロス/脚本=テオ・アンゲロプロス、トニーノ・グエッラ他/出演=ミカリス・ゼーケ、タニア・パライオログウ他/88年ギリシャ・仏[旅芸人の記録]監督・脚本=テオ・アンゲロプロス/出演=エバ・コタマニドゥ、ペトロス・ザルカディス他/75年ギリシャ[アレクサンダー大王]前出[シテール島への船出]前出◎90/3/5『流行通信OM』




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