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映画と音

 最近のアメリカ映画やイギリス映画を見ていると、音に対する意識が非常に強まっているのを感じる。話題を呼んでいる『プラトーン』にしてからが、音の使い方が従来のハリウッド映画よりもはるかに〈主観的〉になっている。ジム・ジャームッシュの『ストレンジャー・ザン・パラダイス』や『ダウン・バイ・ロー』におけるジャズやブルースの使い方もかなり斬新だった。
 しかし、あの程度ならば、ウディ・アレンの『ハンナとその姉妹』だって、ジャズのスタンダード・ナンバーを実にうまく使っているということができる。最近目立つ傾向はもう少しちがったところにあるのだ。
 すでに音を映画の〈主役〉にしたのは、『パッション』以降のジャン=リュック・ゴダールだった。またマルグリッド・デュラスも、早くから映画を音の側からとらえていた(このへんが日本の映画評論家によってあまり論じられることがないのは不可解である)。
 映画における音の問題に関してゴダールやデュラスがあれだけのことをやっている以上、今日の映画作家たちは音に無頓着ではいられまい。とすれば、今日の映画で過去のヒットソングが使われるような−−一見安易に思える−−場合でも、それは単なるノスタルジアではないはずだ。
『未来世紀ブラジル』では一九三〇年代にヒットしたザビア・クガートの「ブラジル」が重要な要素をなし、『モナリザ』はナット・キング・コールの歌う同名の曲が、そしてデイヴィッド・リンチの問題作『ブルー・ベルベット』では、ボビー・ビントンの歌う同名の曲が、それぞれ映像の随伴機能以上の役割を果たしている。
 こうなると、映画は単に見られるだけではなく、聴かれるものとなるわけだから、それを見る=聴く場所や環境(つまりはある種のサウンドスケープ)が重要になってくる。映画がいまスクリーンをぬけ出しつつあるのだ。
[プラトーン]前出[ストレンジャー・ザン・パラダイス]監督・脚本=ジム・ジャームッシュ/出演=ジョン・ルーリー、エスター・バリント他/84年西独・米[ダウン・バイ・ロー]前出[ハンナとその姉妹]監督・脚本=ウディ・アレン/出演=ウディ・アレン、ミア・ファーロー他/86年米[未来世紀ブラジル]前出[モナリザ]前出[ブルー・ベルベット]前出◎87/ 4/ 5『朝日新聞』




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