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家族の絆

 母・父・子によって構成される核家族の歴史はさほど古いものではない。だから、核家族というものがなくなって、いまとは全く別の形の家族が生まれても不思議ではないわけだ。
 この二十年ほどのあいだにアメリカ社会で起こった家族様式の変化をみると、核家族はもうじき終わってしまうのではないかという気がしてくる。たしかに、八〇年代に入ってから、ひところの〈女性の自立〉ブームに代わってふたたび結婚や家庭の見なおしが始まった。それは、最近の−−『バチェラー・パーティ』のような−−映画にも反映されている。しかし、女性がふたたび結婚するようになったとしても、離婚する夫婦の数は減っていないのだから、母子家庭の数は、むしろ増えており、家庭の形態は確実に変わってきているのである。
 マイケル・アプテッド監督の『家族の絆』は、「ファーストボーン」(長子)の邦題だが、これは、むしろ母子家庭の絆をテーマにしたドラマである。十五歳のジェイク、十歳のブライアン、まだ三十代の母親から成るリヴィングストン家は、アメリカの地方都市の典型的な中流母子家庭だ。子供たちは父親と定期的に会い、別れた夫婦同士の関係も「フレンドの関係」としてもはやしこりのないものになっているようにみえる。しかし、父が週末、例によって子供たちを迎えに来、父子が外でいっしょに食事をしたとき、子供たちは父親の再婚の話を聞かされて淋しさを隠せない。長男のジェイクは、大人びた態度で父親に「おめでとう」を言うが、次男のブライアンは、家にもどると自室のベッドで泣いてしまった。
 ちょうどそんなとき、母親の恋人がこのリヴィングストン家に越してくる。アメリカの家庭らしく、母親は、「あの人を家に置いていいかしら」と子供たちに一応許しを乞うのだが、子供たちにとっては、事実上、望みもしない新しい父親がやってきたようなものだった。その男は、ドロップ・アウトとドラッグに象徴される典型的な六〇年代人で、そのうさんくささをピーター・ウェラーが好演している。
 映画は、この男を〈平和〉な母子家庭を台なしにする悪役に仕立てており、関係がどんどん悪化すると彼は、狂暴になり、ついには母子に見さかいのない暴力をふるう。しかし、追いつめられたジェイクにこの男が股間を蹴られて屈服し、すごすごとこの家を去ることになる最終シーンを見ると、三界に家がないのは、もはや女ではなく男なのだという気がわたしにはするのだった。
監督=マイケル・アプテッド/脚本=ロン・コスロー/出演=テリー・ガー、ピーター・ウェラー他/84年米◎85/ 1/12『ミセス』




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