「コンフェッション」の時代へ

マドンナは、わたしのウェブページを見ている。時差を計算に入れると、彼女はわたしと同日に生まれている。わたしは、彼女がニューヨークのダウンタウンの大きな古書店で働いていたとき、彼女と顔を合わせている。高いスツールのうえに座り、黒い網タイツをはいて脚を組み、黒い帽子を頭にのせていた。わたしと目が合うと、フンといった表情でそっぽを向いた。
むろん、これは半分嘘である。が、一九七八年にマドンナ・ルイーズ・ヴェロニカ・チッコーネが、ミシガン州から「スーツケース一つと三五ドルをポケットに入れただけで」(「三〇」あるいは「三七」ドルという説もある)マンハッタンにやってきたとき、わたしはニューヨークのブリーカー・ストリートに住んでいた。近くには数分のところに The Bottom Lineがあり、ブロードウェイを越えるとCBGBがあった。Mercer Arts Centerも近かったし、Max's Kansas Cityもさほど遠くなかった。ま、これらはパンクのスポットで、マドンナは、パンクよりもむしろダンスに関心があったらしいから、こうしたヴェニューで彼女と出会うことはなかったろう。ただ、誰でもそうだが、生活するのと旅行者とはちがうのであって、日本から来てわたしのところに泊まり込み、毎晩フォーティーン・ストリートあたりのナイト・クラブ通いをしていた友人や知り合いがいたが、わたし自身は日々の生活と、映画や芝居の新作を見るのに精一杯で、ディスコ通いはしなかった。が、おそらく、ニューヨークに来たばかりのマドンナも、そんな余裕はなかっただろう。

ブラッドフォード・メイのテレビ映画『マドンナの真実』(一九九四)は、自分のためには周囲を利用することをためらわない女としてマドンナを描いているが、彼女がタクシーで初めてのマンハッタンに来て、それからバックストリートの路上で一夜を明かし、翌日、ドーナッツ・ショップでアルバイトを見つけ、それから「ルース・ノヴァク」のダンス学校のオーディエンスを受けに行く一連の描写は、なかなかいい。ここでダイアナ・レブランクが演じている「ルース・ノヴァク」は、おそらく、実在のマーサ・グレハムをモデルにしているはずだ。マドンナは、実際、同時期にグレハムの指導を受けている。ということは、彼女のダンスへの関心は決して半端ではなかったということだし、クラブ通いで中途半端にダンスをおぼえたハスッパ女とはちがうということである。
ところで、この映画は、クリストファー・アンダーソンの「伝記」にもとづいており、そのために邦題の『マドンナの真実』をそのまま映画の邦題にもしているが、映画の原題(Madonna: Innocence Lost)と本の原題(Madonna:  Unauthorized)とは微妙にちがっている。アンダーソンの本は、最初から「未承認」と題されているように、第二次資料にもとづき、「真実」から程遠いという批判もある。しかし、「伝記」というものは、もともとそういうものであって、真実の伝記などというものはなく、伝記から引き出せるのは、相対主義的な事実関係の力学である。
この映画でマドンナを演じるテルミ・マシューは、マドンナをどんなに模倣しても、マドンナその人ではない。が、マドンナが歩いたであろう場所に彼女が立ち、時代的結構をほどこすことによって生まれる相対的な関係性が、実在のマドンナが生み出した一回的な関係性と構造的なシンクロを起こすときがある。ドキュドラマにできることはそういうことだ。その意味では、マドンナ自身をドキュメントしたフィルムやビデオにしても、それらが「真実」をストレートに提示してくれるわけではない。

一般的に入手できるマドンナの最初期のドキュメントは、マドンナがようやく日本で有名になったときに『マドンナ in 生贄』というタイトルでビデオ発売された映画だ。これは、のちに『マドンナ  堕天使』というタイトルで再発売されたが、原題は、『A Certain Sacrifice』である。このフィルムは、スティーヴン・ジョン・ルウィッキーという、ほとんどこの一作でしか世に知られていない監督(ちなみに、この映画の出演者はみな「無名」で、唯一、ほんのチョイ役で出ているサンディ・スターンが、のちにプロデューサーとして、『今夜はトーク・ハード』、『マルコビッチの穴』、『ベルベット・ゴールドマイン』などを製作する)によって一九七九年九月に撮影された。
この作品は、プライベート・フィルムとしては公開されていたが、マドンナが有名になり、一九八五年になって劇場公開される段になって、マドンナ側は、その公開を阻止しようとして、五〇〇〇ドルで権利をルウィッキーから買い取ろうとしたが、彼は拒絶した。この映画にマドンナが出演したのは、単なるアルバイトにすぎなかったというのが定説だが、見てみればわかるように、必ずしもそうではない。いまでは著名なマドンナとの関連で、この映画をクソミソに批判する向きもあるが、それほどひどい映画ではない。低予算の「学生映画」と言えば言えないこともないが、ここには、七〇年代のニューヨークの空気が確実に定着されているし、そういう時代に、地方から出て来て、その空気を存分に吸い、新しいことにチャレンジしてみようとしている「小娘」の姿がヴィヴィッドに定着されている。

ベトナム戦争がアメリカの敗北に終わり、ニカラグアで革命が起こり、ニクソン大統領が逮捕され、そしてまた金とドルとの兌換停止(一九七一年)から始まった本格的な「情報資本主義」化が形をなして来るなど、七〇年代のニューヨークは、生活者として街を歩いているだけでも、時代の過激な変化が体感できた。『A Certain Sacrifice』には、マンハッタンのダウンタウンに住む若者ダシール(ジェレミー・パットノシュ)とどこにでもいるような街の小娘ブルーナ(マドンナ)とのボーイ・ミーツ・ガールのドラマ、学生8ミリ映画風スタイル、七〇年代のパフォーマンス・アート的要素が見いだされる。この映画のなかで、ブルーナは、当時なら誰でもが「右翼ファシスト」とカテゴライズしたであろう中年男レイモン・ホール(チャールズ・クルツ)にレイプされる。後半はこの男をダシールとブルーナの仲間たちがカルト宗教集団的な「連帯」を組み、復讐するくだりだ。作りは粗いのだが、街や安アパート、レストランなどのショットが時代の空気と共鳴しており、いま見ると七〇年代のニューヨークがよみがえる。
しかし、わたしがこの映画で一番七〇年代を感じるのは、ダシールがセカンド・アヴェニュあたりのと思わせるコーヒーショップ(簡易食堂)のカウンターで食事をしていると、そこへ赤いセーターの中年男レイモン・ホールが入ってきて彼の隣に座り、コーヒーを一杯注文してしつこく話しかけてくるシーンだ。ダシールは、「一人にしてくれ」と敬遠するが、この男はきかない。まず、「近頃のニューヨークはひどい、犯罪だらけじゃないか」と「治安の悪化」をなげく。この男によると、ニューヨークの治安を悪くしているのは黒人たちで、「おれは朝鮮にもベトナムにも行って”チンクス”(中国人、アジア人の蔑称)を殺してきたが、今度は黒人をやっつけなければならないな」と言う。ダシールは、仕事を聞かれて「哲学者だ」と答える。わたしはこのせりふを聞いて大いに笑ったが、レイモンは、いまの日本の平均的な大人たちが「フリータ」に反応するように、「おまえらみたいなのが世の中を悪くしている」と嘆く。
おそらく、レイモンの口ぶりは、いまのアメリカでは「あたりまえ」に響くかもしれない。そしてこの男に対するダシールの冷ややかで皮肉な対応がかえって不自然に感じられるかもしれない。が、当時の少しでも社会批判的な意識をもつ者には、米国在郷軍人会に入っているなどという奴はとんでもない手合いであったし、国旗をうやまえとか、治安がどうのこうのと説教をたれることは、右翼ファシストの発想だといった通念があった。「治安」は、自由の関数であり、警察がのさばるよりも「治安」が悪いほうがましだという考えがあった。実際、「治安」が悪いといっても、真っ昼間に街路を歩いていて殺されるわけではない。無法がまかり通っていたのではなく、ラディカルズもいれば、強盗もホームレスも大金持ちも「共存」できる場がある程度(あくまでもある程度)あったということだ。

マドンナの最近のCDは、『Confessions on a Dance Floor』と題されている。このなかに「I Love New York」というソングがあり、そのなかで彼女は、「街は好きじゃないけど、ニューヨークは大好きだ」、他の街はわたしを「いらつかせ」、「悲しく」させる。「ニューヨークっていうのは、きゃあきゃあ言う娘っ子の街じゃない」、「もしその熱さ・暑さに耐えられないのなら、街から出て行って」・・・と歌う。大変なニューヨーク賛歌であるが、だとすると、このCDのタイトルの「あるダンス・フロア」とは、当然、ニューヨークという都市そのもののことだろう。カソリック出身のマドンナがあえて「Confessions」と言えば、単なる「告白」ではなくて、「告解」や「懺悔」であるが、それも、複数形になっているところが意味深長である。過剰に解釈すれば、このCDは、彼女の文化的・政治的な《参照点》となっている七〇年代ニューヨークが失われてしまったことへの彼女の「懺悔」なのである。そして、あとで考察するように、この「懺悔」は単なる宗教的な懺悔ではない。

このCDのマドンナの歌詞に耳を傾けると、一方で非常に個人的なこと(告白)をしながら、同時に、七〇年代といまのニューヨーク、さらには「アメリカ」に向って語りかけているような仕掛けがあることがわかる。「Hung Up」とは、「電話を切られた」という意味だし、「Waiting for your call」とは、「あなたの電話を待っている」というありきたりの意味だが、七〇年代のニューヨークから「電話を切られた」という含意を読みとってもいいだろう。「あなたを待つのが疲れた」、「もううんざり」、「何をしていいかわからない」、「もうあなたを待ち続けてはいられない」、「あなたがまだためらっているのはわかる」、「わたしのために泣かないで」、「いつかあなたは目がさめるでしょう、でもそれは遅すぎる」。次の「Get Together」(「わたしたち、いっしょになれるの?  ほんとに、ほんとにあなたといっしょにいたい」、「わたしたちが未来を変えられると思う?」、「みんな幻想なんだわ」)にしても、「Jump」(「ジャンプの用意をして、決してふり向いてはだめよ」)にしても、ただの抒情的な個人的想いを歌っているにすぎないように聴こえる歌詞が、相手を抽象的な「ニューヨーク」にすり替えてみると、えらく意味深いものに変わる。
ロンドン・カバラ・センターの導師イツァック・シンワニを参加させた「Isaac」で、シンワニがヘブライ語で詠っているのは、マドンナが『ビルボード』のインタヴューでが解説しているところによると、「すべての寛容な人たちの家の門が閉ざされているとしても、天国の門はいつも開いているだろう」という意味だという。この場合も、この歌をユダヤ教との関連で理解する必要はない。単純に「天国」を「七〇年代のニューヨーク」と考えれば、「あなたの暗黒と格闘して。天国があなたの名を呼んでいる。天使たちが言っていることが聞こえる?  あなたは同じままでいられる?」といった歌詞の意味も途方もなく拡大される。

マドンナがいかに七〇年代のニューヨークから養分を得ているかは、彼女が出演しているすべての映画から読み取れる。彼女が、あらゆる反対を押し切って主役を獲得した『エビータ』(一九九七)は、彼女が、自分を、貧しい生活から身を起こし、アルゼンチンの大統領夫人になり、国民的な人気を得たエバ・ペロンになぞらえているというのが大方の解釈であるが、この映画が、七〇年代のブロードウェイで大ヒットしたミュージカル(ハロルド・プリンス演出、エレーヌ・ペイジ主演)の映画化であることを思うと、別の解釈が生じる。この時代のニューヨークのラジオからは、七九年のブロードウェイ公開に先だちロンドンでジュリー・コンヴィントンが歌い、七七年一二月以降全世界でヒットした「A New Argentina」(ロイド・ウエバー作詞)がひっきいりなしに流れていた。そして少しして街を歩くと、いたるところにこのミュージカルのポスターが目につくようになるのだった。
『エビータ』は、脚本へのオリバー・ストーンの参加もあって、やや単純な政治性とブレヒト風の異化効果がないまぜになった作品に仕上がっており、マドンナ自身がそういう「政治性」を求めたかのような印象を受けるかもしれないが、わたしには、彼女がこの映画でやりたかったのは、まさに七〇年代ニューヨークのポジティヴな一面を彷彿とさせるあのヒットソング「ニュー・アルゼンティーナ」を歌うことであり、しかも大観衆のまえで歌うというシーンを撮ることだったのではないかと思う。このソングは、そろそろジェントリフィケーション(街の浄化)やヤッピー(レーガン政権をささえた階級)の登場によって陰りが出て来た「七〇年代ニューヨーク」の最後の「夢」の部分を象徴しているように思えた。

マドンナが映画で「本格的」な主演を果たすのはフェミニスト監督のスーザン・シーデルマンの『マドンナのスーザンを探して』(一九八五)からであるが、パンクの皮ジャンを着たニューヨークのすれっからしの街っ子というキャラクターは、実にマドンナによく合っている。この時期マドンナは、当時ニューヨーク発の最もイキのいいテレビ番組だった『サタデー・ナイト・ライブ』にも出演(一九八五年一一月九日放送)して、ケネディ兄弟が結束してマリリン・モンローを殺すという設定のパロディ・ショウのモンロー役を演じている(「Simple Minds」)。これは、のちに日本でも放送されたが、いかにも七〇年代のニューヨークらしい批判的シニシズムの横溢する辛口のドラマだった。

メインになっているものに対して批判的な距離を取るシニシズムは、マドンナがいまでも維持しているテイストだが、彼女の場合、たとえばロバート・アルトマンの映画のように、七〇年代的シニシズムどっぷりというのではなく、他方で思いきりポップでハッピーなところがあることが、彼女をスターにし、「メイジャー」なトレンドメイカーにもしてきた。
自分の夢、「アメリカン・ドリーム」を着々と実現していく「マテリアル・ガール」としてのマドンナへの批判はいくらでもあるし、その批判は不当ではない。いくら、ブッシュ政権やアメリカに批判的なポーズをしてみせても、ミリオン・ダラー・ベイビィであることには変わりなく、サブカルやオールタナティヴなものを吸い上げて、商売にしていると言われてもしかたがない。しかし、現実に巨大な音楽産業があり、ハリウッドがあり、さまざまなエンターテインメント産業がコングロマリット状態で存在する現状で、その渦中にいるスターやタレントは、何を言っても、どこに献金しても意味がないとするのは、単純すぎる。ちなみに、マドンナは、エイズ基金やゲイ・コミュニティへの多額の献金をしてきた。「中傷と闘うゲイとレズビアンの会」(GLAAD)は、彼女に賞をあたえている。彼女の場合、金は出すが口は閉ざすというのではなく、金も出し、口も思いきり開くわけだ。
有名人というのは、一個の人格ではなく、有名になり、商売が大きくなればなるほど、一個の人格をこえたカンパニー、さらには企業の性格を帯びてくる。実際に、スターが一人こければ、何十人、何百人の関係者やスタッフもこける。ならば、現状を肯定し、現存の反動勢力を支持し、ひたすら金儲けに走る「企業」よりも、批判的な異物をまきちらしながら金儲けする「企業」のほうがましだろう。そして、その実、そういう「企業」は決して多くはないのである。

システムは、いま、「情報資本主義」として、資本主義の終末段階に達している。その終末を「永遠なる回帰」として引き延ばす方法がネグリの言う「帝国」という形式だが、今日の資本主義は、それが終末に達しているかぎりにおいて、その内部にいわばカプセル化された状態での無数の「特異性」が奔出の機会を待っている。それを「複数多数性」としてカプセルから溶かし出すか、それともカプセル状のまま放置するかが、いま今日の決定的な選択である。「ミクロ・ポリティクス」が関わるのは前者であるが、現在の動向は、これを抑止する方向で動いている。しかし、ミクロ・ポリティクスは、「マイナー」な部分で起動するとはかぎらない。「メイジャー」な部分においてもミクロ・ポリティクスの余地はあるはずだし、そこが「分子革命」の突破口になることもある。
マドンナがこういうことを意識しているかどうかはどうでもいい。が、そういう方向に脱構築できるものを「メイジャー」な部分から探し出し、こちら側に引き寄せること(なんて言いながら向こうに持っていかれたりして!?)が、「メイジャー」なものとのオールタナティヴなつきあいかただろう。ところで、ここで言う「オールタナティブ」は、「周辺的」という意味ではない。ラファエロ・ロンカリオが言ったように、alternative = alter + native (「変える」+「本来の」)として、この概念に対しても「メイジャー」でないアプローチをしていることを理解してほしい。

二〇〇三年に出たCD『アメリカン・ライフ』は、その意味で「オールタナティヴ」なつきあいかたの出来る要素がかなりあるソング集だった。「告白」という点では、『コンフェッションズ・オン・ア・ダンス・フロアー』よりもストレートで、アメリカ人としてのマドンナ自身への自己批判も表明されていた。マドンナにかぎらず、多くの知識人やアーティストが、ブッシュ政権の登場と九・一一以後の政権の姿勢に対して批判と反発をいだいたが、「アメリカン・ライフ」には、いかにも七〇年代ニューヨーカーらしい「告白」があらわれている。「別名を名乗らなければいけないの?」という出だしは、アメリカという国の市民権を有し、米語を話し、これまで「アメリカン・ドリームを生きてきた」マドンナ自身への問いかけでもある。「やり方をまちがえたみたいね」というわけである。「こんなモダン・ライフ、あたしに合っているの?」は、モダニズムそのものへの疑問でもある。そして、「こんなモダン・ライフ、あたしには合わない」、「こんなモダン・ライフ、代償が大きい」とそれを否定する。「あたしはアメリカン・ドリームを生きている・・・先端を行こうとした、トップを守ろうとした、そんなのクソくらえよ」。「そしてやっと気づいたの、全ては見かけ通りではないということに」。

マドンナ・コーポレイションは、「ラディカル」が売りだが、『アメリカン・ライフ』のプロモーション・ビデオのうち、放映が中止されたバージョンは、「企業」の製品にしては、なかなかよく出来ていた。マドンナが米軍将校の服を着て歌っている映像にかぶってファッションショウのシーンが映る。着飾った客たちのまえに登場するモデルは、銃帯をアクセサリーにしたGIとアラブ人の少年や女であり、壁面のスクリーンには、ステルスやミサイルの実戦映像が流れる。一方トイレでは、その光景に怒り心頭に達したかのようなマドンナをはじめとする女性軍団が緑のゲリラ迷彩服に身をかため、決意の身ぶりで楽屋に向う。そして、ミニ・クーペ(マドンナが当時愛用していた車)に乗り込み、ファッションショウのステージに突入する。車の屋根に仕掛けた消火栓が機関銃のごとくに会場を荒らし、画面全体が戦闘状態になる。そして、最後に手りゅう弾を投げるが、一人の男がそれを平然と受け止める。その男は、(むろんそっくりさんを使っているのだが)誰あろう、G・W・ブッシュである。彼は、受け止めた「手りゅう弾」をくわえた葉巻に持っていく。それは、手りゅう弾ではなく、手りゅう弾の形をしたライターだったのだ。

ここには、七〇年代ニューヨークの、「造反」と「批判」という二面性が実によくあらわれている。八九年のベルリンの壁の崩壊からクリントンのスキャンダルの直前まで、アメリカは、七〇年代流の「批判」を「シニシズムはもうたくさん」(日本では、アメリカのこういう動向にシンクロするかのように、八〇年代後半から「ネクラ」という言葉が否定的な意味で使われた)としてほうむり、「造反」を「ハッキング」という形でヴァーチャル化して、システムの活性化に流用した。ここで言う「ハッキング」とは、ネットのサーバーを落としたり、通信を妨害することではなく、コンピュータのプログラムに精通し、既存のプログラムの裏をかく(創造的に改編する)ことである。その具体的な成果が、インターネットであるが、インターネットが九〇年代後半から、未来主義的な脳天気なコミュニケーションと商取り引きのための高効率のツールとなったのは、偶然ではない。「ハクティヴィズム」という言葉は生まれたが、ハッキングには、もともと「自己参照的」な批判性が希薄だったから、そこから、ハクティヴィストたちが主張するような現状変革的な要素はむろんのこと、現状に距離を取る批判性が出て来ることは無理だったのである。

いま、アメリカのイラク派兵が泥沼化するなかで、アメリカでは七〇年代風のシニシズムやある種の「批判主義」がリバイバルしつつある。ハリウッド映画にもその兆候は出ている。このことは、スティーヴン・スピルバーグのような、時代の「メイジャー」路線とともに歩んできたフィルムメイカーがいま最近提出した作品(たとえば『ミュンヘン』)を見れば、一目瞭然だろう。しかし、その内部がネットで重層化され、おびただしい「ノード」でグローバルにリンクされている「帝国」のもとでは、グローバルな規模で発信される「批判」は、ノスタルジア以上の意味をもたない。もし、いまの時代に批判が復活されるのなら、その批判は、《トランスローカル》に行なわれなければならない。全体批判ではなく、個別批判だが、その批判は個別を「越えて」(トランス)たがいにリンクしあっているような批判。これは、もはや、「批判」(クリティーク)という概念にはおさまりきらない。

いささか牽強付会の感もあるが、ここで思いだすのが、マドンナの「コンフェッション」という概念である。彼女が今度のCDのタイトルににどんな意味を込めたかはどうでもいい。が、「コンフェッション」を「批判」に代えることで、七〇年代ニューヨークに内包された「批判性」といったものをとりもどすことはできないものか? それは、『アメリカン・ライフ』から『コンフェッションズ・オン・ア・ダンス・フロア』への移行を能動的にとらえることでもある。
「コンフェス」や「コンフェッション」という言葉は、カソリック的な意味が強いが、マドンナが、「アメリカン・ライフ」のなかで歌っているように、「キリスト教徒」(もともとはカソリック信仰の強い家に生まれた)でも、「ユダヤ人」(イツァック・シンワニとの親交に見られるように、マドンナはネオ・カバラ主義への関心が深い)でもないとするならば、彼女が使う「コンフェッション」は、宗教と切り離して理解することができる。すなわち、「告解」や「懺悔」というよりも、「事実を認める」ということである。批判は、もうなされつくした。批判は誰でもが承知している。問題は、その批判を受け入れず、事実を認めないことだ。『コンフェッションズ・オン・ア・ダンス・フロア』のサウンドは、八〇年代サウンドのノスタルジーを帯びてもいる。音楽の専門家が分析しているはずだが、だからといって、このサウンドはただのノスタルジーではない。八〇年代は、ある意味で「批判」をかっこに入れ、事実に目をつむった時代だった。言い換えれば、八〇年代に必要だったのは「コンフェッション」(事実を認めること)だった。

ところで、マドンナ自身は、八〇年代には、七〇年代的な「批判」意識のなかにおり、そのためにレズビアンぶってみたり、人工授精のシングルマザーを気取ったり、自分に素直であることはできなかった。が、二〇〇〇年あたりを境にマドンナは変わって来る。ガイ・リッチーとの結婚もそうだが、彼女の「批判」から「コンフェッション」への移行が非常によくあらわれているのが、ゲイ監督ジョン・シュレシンジャーの映画『2番目に幸せなこと』(二〇〇〇)で彼女が演じたキャラクター「アビー」である。マドンナは、自分が肯定できないキャラクターを演じることはないから、この「アビー」はこの時期のマドンナの思いを象徴していると見てよい。
「もっと複雑でない女がよかった」と言って出て行った男ケヴィンに取り残されたアビーは、ゲイのロバート(ルパート・エベレット)と本当の友情をむすぶ。それは、セックス・レスの関係であったが、ある日、ゲイの恋人がエイズで死んで落胆したロバートはしたたか酒を飲み、アビーとたった一度だけのセックスをしてしまう。やがて彼女の妊娠がわかり、彼女は、息子を生み、普通とはちがう(しかし、ありのままに「事実を認め合う」)家庭が誕生する。母親はシングルマザーとして、「父親」はゲイをつづけたまま息子を育てる。たがいに包み隠すことは一切ない。が、アビーが新しい男と結婚することになり、問題が起きる。そして、アビーも知らなかったのだが、息子が、ケヴィンの置き土産であって、ロバートとの子ではないことも判明する。こうなるとロバートには全く親権がないから、アビーが再婚して別の家に住んだ場合、彼には「息子」と会うこともできなくなる。ロバートはゲイだが、「息子」を手放したくない。ここでは、すべての事実が包み隠さずにあらわにされている。それは耐えがたいことでもある。が、それを認めあうことの重要さをこの映画は描く。
「事実を認める」(コンフェス)ということは、カメラが被写体をとらえるようなやり方で事実に向き合うことではない。捏造された事実もあるし、たえず創造される事実もある。事実を固定しようとすれば、認識に無理が出る。結局、『コンフェッションズ・オン・ア・ダンス・ルーム』の「プッシュ」にあるように、「事実を認める」ということは、「プッシュし続ける」ことなのだ。マドンナは歌う――
You push me when it's difficult to smile, You push me, a better version of myself, 
You push me, only you and no one else,
You push me to see the other point of view, You push me when there's nothing else to do, You push me when I think I know it all, You push me when I stumble and I fall.
そしてわれわれもマドンナを「プッシュ」しよう。

*マドンナの身体性やジャンダーに関してのわたしの見解は、「マドンナのエレクトロ・パフォーマンス」(『廃墟への映像』、青土社)、マドンナの出演している映画についの評は、「シネマノート」(http://cinemanote.jp)を参照。

『ユリイカ』2006年3月号 第38巻3号 pp.62-71