「ポストマスメディア」時代のミニFM

  10年ひと昔というが、ミニFMの自由ラジオは、ブーム
になった1983年から数えてもすでに13年の歴史をもつ。
ブームは、1986年には下火になったし、この間ずっと放
送をし続けてきた局は数えるほどしかないから、「歴史」と
いうのはおおげさかもしれない。しかし、ブームが終わった
あと、ぼくが直接知っているだけでも、毎年5、6局は新し
いミニFM局が開局されてきたし、近年は、海外でミニFM
への関心が高まっている。
  先日も、ぼくは、イギリスのサンダーランドというところ
に招かれ、日本のミニFMの歴史とその可能性についてしゃ
べり、観衆を前に放送実験を披露した。その反応は実に熱い
ものであった。ぼくは、大学でメディア論の講義をやってい
るが、こんなに熱烈な反応は経験したことがないと言えるほ
ど熱い反応が返ってきた。
  海外ではミニメディアへの関心が、確実に高まっている。
また、ラジオというテレビのまえでに「時代遅れ」になって
しまったかに見えたメディアが、いま、新たな関心を呼んで
いる。これは、たぶん、いまのメディア状況と無関係ではな
いだろう。つまり、数百の通信衛星が地球の周りを飛び、イ
ンターネットが世界を結び、そして、どこへ行ってもテレビ
があるいまのメディア状況があるからこそ、こういう反応が
生まれるのだと思う。
  ぼくが、当時勤めていた和光大学の学生たちとラジオの実
験を始めたのは1981年だったが、その頃にくらべると、
情報を世界に発信できる条件は格段に進んだ。かつては、放
送局とか大金持ちとか、限られた特権的な人や組織だけしか
出来なかったことがいまでは、電話線にパソコンを接続する
だけで可能になった。アメリカでは、通信衛星の回線をレン
タルすることもさほど安い費用でできる。こうなると、世界
中に同じ情報を発信するなどということは、あまり新鮮な意
味をもたなくなるし、まして個人でそのような努力をするな
どということはナンセンスになってくる。
  考えてみると、マスメディア全盛の時代のメディアは、そ
れが非常にローカルな規模のものであっても、出来ることな
らば世界中に情報を伝達できればそれにこしたことがないと
考えていた。弱い電波より強い電波の方がよいし、ローカル
放送よりも全国放送の方が格が上だと見なされたのである。
しかし、地球を一つにするような技術的条件が整いはじめる
と、むしろ重要なのは、ローカルなエリアを、つまりは自分
の手の及ぶ「地元」を固めることである。
  そもそも、メディアが世界化したといっても、世界中に同
じ情報が流れのでは、ひとつもおもしろくはない。メディア
が世界的な規模になればなるほど、ミニな領域が重要になっ
てくる。ミニな領域にさまざまな個性的な情報があり、それ
らが世界的にリンクしていることが、これからのグローバル
なメディアの好ましい状態だ。
  ミニFMは、微弱な電波を使うから、その放送の到達エリ
アは限られている。が、いまでは、インターネットのリアル
・オーディオのような手段を用いれば、音質はまだ劣るとし
ても、このミニな放送を、とりあえず地球規模の放送にまで
拡大することができるのである。イギリスには、非常にロー
カルな放送をマイクロウェーブで遠隔地にまで中継している
ミニ局がある。ちなみにイギリスのFM放送は、88MHz
から108MHzであるが、近年、105MHzから108
MHzまでの周波数帯はこの種のミニ局の解放区になってい
る。
  1980年代の終わり頃からカナダ、アメリカ、イギリス
などの英語圏を中心に、「ラジオ・アート」という新しいア

ートが登場した。ぼくが、今回呼ばれたサンダーランドの集
まりも、このラジオ・アートのための集まりであった。ラジ
オ・アートというのは、ラジオを単に情報の伝達手段として
使うのではなくて、アートの装置として使おうというもので
ある。
  では、アートの装置とは何かということになるが、要する
に、何かいままでの感覚や考えが変わるような経験を与える
装置と考えればよいかもしれない。マインド・コントロール
は、外から与えられて感覚や考えが変わるのであるが、アー
トは、その体験者が自ら経験し、その体験のなかで自ら変わ
っていくことが決定的に違う。アートは、自分で求めなけれ
ば何も与えてくれない。
  ごく単純なラジオ・アートの例としては、音楽の1票素と
して電話の声やラジオのノイズを使うといったものがある。
これは、「ラジオ・アート」という言葉が生まれる以前から
存在したテクニックであるが、ラジオ・アートというジャン
ルの成立によって積極的に使われるようになった。イギリス
の「スキャナー」は、この種のサウンドで人気上昇のアーテ
ィストである。すでにCDが6枚あり、大きなレコード店で
も売っている。
  ラジオ・アートでは、丁度、クラブのDJがLPレコード
をある種の楽器として使うのと同じように、ラジオを楽器と
して使うと考えてもよい。ぼくは、今回も、ミニFMの送信
機が単なるミニローカル局の情報伝達装置としてだけでなく、
ラジオ・アートの有力な装置としても使えることを示そうと
思い、いくつかの実験を披露した。それに触発されたのか、
ロンドンのラジオ・アーティストのビル・フェアホールは、
ぼくがデザインしたミニFMの送信機を15台、公園に配置
し、偶発的なさまざまな音とそれらの混信を利用して、「コ
ンサート」を開こうとしている。
  このように、当初、普通のラジオのマネごとから出発した
ミニFMの自由ラジオも、ミニなローカル放送からラジオ・
アートにいたる拡がりをもつようになった。インターネット
との接続は、まだほんの実験段階だが、この方も今後おもし
ろい展開を示すにちがいない。
  ただ、残念なのは、ミニFMの発祥の地である日本では、
それがイギリスやカナダのようには、これまでのマスメディ
アを越える新たなメディアとして、テレビよりもおもしろい
メディアとして再認識されるというような事態がまだ起こっ
てはいないことである。それは、たぶん、日本のメディアが
まだマスメディア全盛の時代を終えてはいないからだろう。
が、マスメディアは、早晩、いまとは違ったものになること
はまちがいない。すでにインターネットの登場は、少しづつ
マスメディアを変え、日本のマスメディアも「ポストマスメ
ディア」の時代に入ろうとしている。
  野球は全国的だが、サッカーはローカルである。お笑いも
極度にローカルなものがウケる。つまりローカルなものが
「全国的」になるのだ。非常にミニでローカルなものに関心
が向くというこの傾向は、今後、ますます強まっていくだろ
う。だから、もう少しすると、ミニFMがふたたび活気をと
りもどすかもしれないという気もする。少なくとも、いまミ
ニFMをやっている人たちは、メディアの最も先端的な状況
に直接触れているということだけはまちがいないのである。

みずもと、 36号、1996年3月28日、pp.2-3