ミクロなレベルの衝突が創造性を生む
――粉川哲夫氏に聞く「ボーダーレス」化の行方――

Q1.さまざまなレベルでの国境を超えた相互交流が、今日
のように盛んになってくると、国境というボーダーの持つ意
味や機能も変質してくるのではないかと思いますが、いかが
でしょうか?

A1.たしかに、観光旅行ひとつとってみても、「国境を超
えた相互交流」は盛んになったように見えます。地理的・土
壌的な意味での「国境」の障壁は、従来にくらべて薄いもの
になっているといえるでしょう。
しかし、それは、いわゆる先進産業国の人々にとってだけで
あって、「低開発国」や「第三世界」の名で呼ばれる国々に
住む人々にとっては、決して壁が薄くなっととはいえないの
ではないでしょうか。
教科書的な言い方をすれば、たしかに、二〇世紀から二一世
紀にかけての時代は、国境から情報的差異の時代へ、ナショ
ナルな国家からトランスナショナルな国家へ移行するという
ような言い方がされます。しかし、ボスニアーヘルツェゴビ
ナやチェチェンを見ても、10年まえにくらべて民族紛争は
激しくなっており、一つの国のなかにさまざまな「国境」が
できてしまっているようなところもあります。アメリカのよ
うなところでも、ニューヨークやロサンゼルスには、街のな
かにさまざまなテリトリーが出来ていますね。そこには、あ
るエスニックしか行けないようなところもある。
情報のレベルでも、コピーライトが無意味なるような時点で、
逆にプロテクトや暗号の技術の開発にエネルギーが集中され
たりするわけですし、今回アメリカで成立した「新通信法」
のように、インターネットのもっているトランスボーダーな
性格を抑えこもうとするような動きも顕著です。
こういう風に言うと、ぼくがまるで、世界はその外見とはう
らはらに何も変わっていない、と言おうとしているように見
えるかもしれませんが、むろん、そうではありません。ボー
ダーの持つ意味や機能は変わってきています。変わったから
こそ、それを元にもどそうとする動きが出るのです。ただ、
「ボーダーレス」とかいうような言い方がされる場合、その
動向とともに生じるリアクションや摩擦の部分が問題にされ
なさすぎるように思われるので、こういう言い方をまずさせ
てもらったわけです。
それと、いま起こりつつある動き(それを「ボーダーレス化」
と言うわけですね)の先きに何があるのか、本当にそうした
動きが本格化したとき、それに対処する自信や用意があるの
かどうか、そのへんがあいまいなまま安易に、やれ「ボーダ
ーレス」だ、「トランスボーダー」だと言われているような
気がします。

Q2.文化的バックグラウンドや意識の違いをすり合わせる
のには時間が掛かるかと思います。”文明の衝突”による不
幸を乗り越えていくためには、私たちはどうすべきだと思わ
れますか?

A2.文化にしても、意識にしても、それぞれの差異や一回
性に意味があるわけで、それらがすりあわされたり、一体化
したりということはむしろ文化や意識の後退だと思います。
それらにふさわしくない状態への後退ですね。ですから、
「文明の衝突」は、今後も起こるし、もっと激しくなるかも
しれません。いまのテクノロジーは、文化や意識の差異を極
限まで強め、さらに多元化するところがありますから、「文
明の衝突」といったマクロ・レベルの衝突だけでなく、民族
や地域住民、さらには、男性女性、子供と大人といった単位
よりももっとミクロなレベルでの衝突・抗争が激しくなるで
しょう。
同時に、たとえば、脳のレベル――ここではまさに「文明の
衝突」がミクロ・レベルで起こっている場所であるわけです
が――では、こうした衝突の昂進が「思考のひらめき」や
「創造性」という形で展開するので、あるところでは、非常
に高度の「文明」が花開くということも起こるでしょう。
ですから、いまのテクノロジーの先にほの見えるのは、非常
に強度な階級社会ではないでしょうか。このまま進めば、エ
リートと非エリートとの格差が露骨になるのは目に見えてい
ます。そのとき、ぼくらは、そうした動向にちゃんと対応で
きる準備がととのっているのかということですね。先ほど言
ったこともこのことです。

Q3.ディジタル・キャッシュが本格的に使われ始めると、
国際経済はどうなるのでしょうか?

A3.まず、「ディジタル・キャッシュ」をどうとらえるか
を明確にしてからでないと、国際経済との関係を問題にする
ことはできないでしょう。
いま話題になっている「ディジタル・キャッシュ」は、イナ
ターネット上のキャッシュ・システムであって、それが、ク
レジット・カードなどと本質的にどこまで違うかは明確では
ないように思えます。
ぼくは、1980年に、「情報資本主義」という概念を提起
したことがあります。これは、資本主義の先を考えるための
操作的なコンセプトであって、それを当てはめれば答えが出
てくる式の概念ではありませんが、そこで言おうとしたのは、
情報が電子情報になるという事態は資本主義にとって一つの
終末を意味するということです。「一つの」といいうのは、
終末にさしかかったからといって、それですぐ終わりになっ
てしまうわけではなく、無限の終わりを更新しながら生き延
びていくこともあるからです。
「ディジタル・キャッシュ」はあくまでも「キャッシュ」で
すから、信用というものを参照の基盤にしなければなりませ
ん。目の前には電子情報しかなくても、その果てには人の信
用が現前と存在するわけです。資本主義は、まさにこうした
信用を参照の基盤とした貨幣のシステムです。
ところが、電子テクノロジーというものは、信用というよう
な人間的なものを参照しなくてもいいようなところがあるの
です。電子テクノロジーは、人間の知も肉体も最終的に代替
しようとする(しようとしてもできないとしても)ような技
術です。ですから、電子的な情報にもとづく貨幣というのは、
「金属製の木」のような矛盾したものにならざるをえません。
「ディジタル・キャッシュ」は、電子テクノロジーの都合の
よい部分だけを利用しようとしていますが、テクノロジーと
いうものは、一旦採用されると、相手を骨までしゃぶるよう
なところがあります。ですから、もし、貨幣システムが、本
格的に電子情報システムに引き渡されるならば、そのときに
は、貨幣のシステムつまりは資本主義も終わらざるをえない
でしょう。それは、現実問題として、当面、ありえないから、
「ディジタル・キャッシュ」は、中途半端なものにならざる
をえないと思います。むろん、それによって国際経済は変わ
るでしょうし、消費者のライルスタイルもかわるでしょうが、
それらの予想モデルは、いますでにある電子取り引きやクレ
ジット・カードの利用形態を極端の想像変更してみれば、予
想がつくのではないですか。

Q4.インターネットのおかげで、私たちは、地球上のどこ
かの見知らぬ人とコミュニケートすることも可能になりまし
た。このことのもつポテンシャルはどのようなものでしょう
か?

A4.たしかに、インターネットは、そういう可能性をもっ
ていますが、はたして、インターネットによって、人々が今
後、「地球上のどこかの見知らぬ人」と積極的に交流するよ
うになるかどうかは疑問です。だって、これまでの情報技術
である電話や無線でも、そういうことはできたのに、あまり
やってはこなかったでしょう。
先日も、イギリスに電話をかけたら、まちがってダイヤルし
てしまったのか、全然しらない人が出たのです。そのとき、
インターネットのもつ「地球上のどこかの見知らぬ人」との
交流という発想なら、まさにそれをする絶好のチャンスだっ
たわけだけれども、それをしないで、「失礼。まちがえまし
た」と言って、切ってしまったわけです。問題は、人は、そ
んなに見知らぬ人と話がしたいのか、するのかということで
す。ぼく自身は、本当は、そういうとき、話をしてみたい方
なんですが、しようとしても断られることが多いでしょう。
ですから、逆に、インターネットだと、身体を張らない交流
が可能だから、知るべき者同士が、ネット上の筆談(いまは
まだ大抵はEメールです)で済ませ、一過的なつきあいに終
わってしまうという傾向の方が強まるでしょう。
インターネットは、ポテンシャルとしては、いまの社会、人
間関係を根底から組み替え、利潤や操作や隠蔽や独占をくつ
がえすことができる力能をもっているとおもうのですが、そ
れが一挙に展開するのに耐えられる人も組織も稀でしょうか
ら、当面は、そうしたポテンシャルに対する畏れや反動が表
面化し、それが薄らぎ、ポテンシャルが現実化し、また反動
が起こり・・・という試行錯誤を繰り返していくことになる
のだと思います。
要するに、ファイス・トゥ・フェイスでもどんどん積極的に
見知らぬ世界の人と交流するような人は、インターネットで
も同じことをするだろうということです。

Q5.日本はサイバービジネスの育ちにくい土壌であるとも
言われていますが、今後、インターネットなどのコミュニケ
ーション技術が、日本経済に大きな転換を迫ることになるの
でしょうか?

A5.転換はすでに迫られていると思います。テクノロジー
は、つねに転換を要求するものです。その意味では、非常に
暴力的です。
日本の高度成長を支えたのは、自動車(カー)テクノロジー
ですね。カー・テクノロジーというのは、単に自動車のエン
ジン技術ではなくて、自動車に象徴されるマシーン・テクノ
ロジーという意味です。そして、自動車産業の基礎にあった
ものは、T型フォードに始まるテーラー・システム的な分業
の形態で、これが、組織や日常的な人間関係のモデルになっ
ていたわけです。会社のトップダウンな部署、役割分担のシ
ステム。こういうものが、うまく機能したことによって経済
発展が可能になったわけですが、コンピュータ・テクノロジ
ーというものは、カー・テクノロジーとはちがい、ハイパー
なリンクを特徴としているのですね。ですから、コンピュー
タ・テクノロジーが支配的になる時代には、そうしたリンク
性の豊かな組織、いや「組織」というよりも、個を具体的な
単位とする人間関係が必要になるでしょう。問題は、そうし
た関係への転換を阻んでいる要素が日本には、あまりに多す
ぎることですね。


コンセンサス、1996年4月号(このインタヴューは、
電子メールで行なわれ、上記の原文が編集されて掲載された)