リゾームからウェヴへ
――「解放環境における休みなき管理」の展開

  ジル・ドゥルーズをメディア論との関連で論じるというの
は、無謀であろうか?  ガタリであれば、それは容易である。
二〇世紀のある時期、厳密に言えば一九七六年ごろから顕在
化してきたメディアの状況を考えるとき、ガタリの文章は、
確実に、顕在化しつつあるメディアや政治・社会状況の動き
を予見し、その進行と拮抗したものであったからだ。たとえ
ば一九六四年にその第一稿が発表された「横断性」。これは、
メディアを直接論じたものではないが、このタイトルがすで
に動向の本質を概念化している。

  「横断性は、純粋な垂直性の次元と単なる水平性の次元と
いう二つの袋小路を乗り越えようとするひとつの次元である。
それは、さまざまな異なったレベルのあいだで、とりわけさ
まざまな異なった方向で最大限のコミュニケーションが実行
されるときに、具体化していく。」(「横断性」、杉村昌昭
・毬藻充訳『精神分析と横断性』、法政大学出版局)


  しかし、問題は、ドゥルーズである。もっとも、ドゥルー
ズとガタリが自ら述べている著述の基本姿勢に寄りかかれば、
別にドルーズとガタリの区別に拘泥する必要はない。『千の
プラトー』の「序――リゾーム」のなかでもこう述べられて
いた。

  「われわれは『アンチ・エディプス』を二人で書いた。二
人それぞれが数人であったから、それだけでもう多数になっ
ていたわけだ。そこでいちばん手近なものからいちばん遠く
にあるものまで、なんでも手あたりしだいに利用した。見分
けがつかなくなるように巧みな擬名をばらまいた。なぜ自分
たちの名をそのままにしておいたのか?  習慣から、ただも
う習慣からだ。今度はわれわれ二人の見分けがつかなくなる
ように」(宇野邦一他訳、河出書房新社)。


  それに、ドゥルーズ自身も、「個体化とは、かならずしも
個人にかかわるものではない・・・。自分が個人であるのか
どうか、私たちにはまったく確信がもてない」(「哲学につ
いて」、宮林寛訳『記号と事件』、河出書房新社)と言って
いた。むろん、問題は、「ドゥルーズ=ガタリ」から「ドゥル
ーズ」を「個別化」することではない。わたしはといえば、
日本では一般化しているこの簡略表記にはなぜか不快さを感
じ、せめて「ドゥルーズとガタリ」と表記したいと思うが、
これは、どこか背番号風の表記に抵抗を感じるからというだ
けでなく、「と」を強調したいからである。彼らが、「フェ
リックス・ガタリとわたしとが」とか「ジル・ドゥルーズと
が」と言うとき、これらの「と」はリゾーム状に拡がった
「と」であって、「=」によって一体化された「と」ではない。

  「リゾームには始まりも終点もない、いつも中間、ものの
あいだ、存在のあいだ、間奏曲 intermezzo[この横文字イタ
リック]なのだ。樹木は血統であるが、リゾームは同盟であ
り、もっぱら同盟に属する。樹木は動詞『である』[〈であ
る〉にルビ――エートル]を押しつけるが、リゾームは『と
・・・と・・・と・・・』を生地としている」(『千のプラ
トー』、前掲書)。


  一九八〇年に初めて来日したとき、ガタリは、刊行したば
かりの『千のプラトー』に触れながら、ドゥルーズとの仕事
の仕方を話してくれた。独特の「用語」を最初に持ち出すの
はいつもガタリのようだったが、毎回果てしのない対話を続
け、まずドゥルーズがテキストを作り、それを交互に手直し
し、最後にはどちらが書いたのかわからないくらいになるの
だと言った。が、これは決して一体化の作業ではなく、むし
ろ、さもなければ自閉するテキストに多様な他者を引き込ん
でいく作業であり、そこでは多様な他者への窓が打ち開かれ
る度合いに応じて「ドゥルーズとガタリ」の個別性は消えて
いくことにになる。この多様な他者になかには、当然、われ
われ読者も含まれており、それゆえ、彼らがもたらしたテキ
ストは、読者が自ら「使用」すべき「道具」であり、「素材」
なのだ。


  だが、しかし、わたしは、ここで、あえてドゥルーズにこ
だわってみようと思う。それは、二人によって作られたテキ
ストのなかから「ドゥルーズ」が生み出したであろう部分を
腑分けするためではない。いずれそんな試みや「研究」も行
なわれるだろうし、それはそれでおもしろいだろうが、少な
くとも彼らが意図的に行なってきたこと、つまりテキストに
とっての他者を多様に開き、それを戦略的に「道具」や「素
材」と化すことには逆行することになる。そうではなくて、
逆に、二人のテキストのなかで、ガタリの――とわれわれが
思う――やや声高な声音に消されがちな要素を顕在化するた
めに、あえてデゥルーズに焦点を当てようと思うのだ。


  ガタリのテキストを「メディア論」に分類するのは容易で
ある。実際に、彼は、七〇年代のイタリアで展開したアウト
ノミア系の自由ラジオ「アリチェ」や雑誌『ア/トラヴェル
ソ』との浅からぬ関わりのなかでその思考を展開していった
のであり、その後のメディア運動に彼が与えた影響も大きか
った。他方、ドゥルーズの方は、「メディア論」というより
も「哲学」である。ガタリは、「アクティヴィスト」と呼ば
れることを拒否しはしなかったが、ドゥルーズは、自らを
「哲学者」と規定する。

  「フェリックス・ガタリと私は、まず『アンチ・オイデプ
ス』で、そして『千のプラトー』でその哲学をこころみたわ
けです」(「哲学について」、『記号と事件』、前掲書)と
いうとき、ドゥルーズが考える「哲学」とは、「常に新たな
概念を創造しつづけること」である。だから、ドゥルーズは
言う、「私は、形而上学の超越とか哲学の死について頭を悩
ましたことがありません。哲学には、概念を創造するという、
完璧な現在性をそなえた機能があるからです」(同)。


  しかし、彼がこう規定する「哲学」は、ドイツ観念論のの
ちにも生き延びてきた、あるいはマルクスがヘーゲルの哲学
に突きつけた「哲学の終焉」を回避した哲学ではない。ドゥ
ールズとて、そのような哲学が「笑い死に」したことは認め
ている。一九六九年に発表された『意味の論理学』のなかで、
すでに彼は、「ニーチェが反時代的[ルビ点]と呼び、現代
性に帰属してはいるが、それに背くべき何かを現代性から引
き出す事、これが哲学の仕事である」としたのち、従って、
「哲学が構築されるのは、大きな森や小道においてではなく、
最も人工的[ルビ点]なものも含めて、都市や街路において
である」(「プラトンとシミュラークル」、岡田・宇波訳、
法政大学出版局)と言う。

 
  ここで彼が、「大きな森や小道」という表現で揶揄してい
るのは、明らかに、『森の小道』(Holtzwege)の著者ハイデッ
ガーである。ただし、ハイデッガーのために言っておけば、
(わたしは、彼が多くの時間を過ごしたフライブルクの街に
行ってみて気づいたのだが)ハイデッガーの思考環境も、あ
のシュヴァルツヴァルトの森ではなくて、建物の間をぬって
いる細い中世の「循環」する路地、教会、水路、市電、ブテ
ィック、海賊放送局などが混在する都市環境であった。また、
ハイデッガーが、森の山小屋に「近代の音響装置」を「隠し」
持っていたことも知られている(柿原篤弥「ハイデガー先生

をめぐる想い出」、『實存主義』、一九六六年四月号)。彼
につきまとう「農民服」や「森の哲人」というイメージに翻
弄されていては、ハイデッガーから大したものは引き出せない。


  いずれにしても、哲学が都市的なものや人工的なものから
切り離すことのできないとすれば、哲学の顔をした――その
実哲学とは無縁の――思考がわがもの顔にふるまうような時
代には、本来の哲学は、哲学とは一見似つかわしくないもの

のなかに〈亡命〉せざるをえないだろう。「ハイパーメディ
ア」や「ウェブ」を語ることが、産業界やメディア・オタク
を喜ばせる〈シリコン芸者〉の芸ではなく、「概念を創造す
るという、完璧な現在性をそなえた機能」であるとするなら
ば、メディア論とは、電子メディアが日常環境に浸透した危
機的な時代における最も「哲学的」な思考の一つの〈亡命〉
形態を現しているにすぎない。


 別にインターネットやマルチメディアがそれ自体で新しい思
考や生活を生み出すわけではない。時代=時間の先端に触れ
るという点では、現代のわれわれがコンピュータにコマンド
を打ち込むよりも一七世紀人がレンズを磨くことの方がはる
かに進んでいたということもありえる。今日のテクノロジー
の見かけの規模や複雑さに惑わされてはならない。テクノロ
ジーよりもテクネーの方が素朴だとは言えないし、また逆に、
テッド・ネルソンの「ハイパーカード」や、ティム・ベルネ=
リーに始まる「ウェブ・ブラウザ」が所詮は本の発明を越え
てはいないというのも誤っている。問題は、そのような直線
的な比較ではないのである。


  反時代的なものが、みるみるうちに世の中を制覇していく
転形期というものがある。しかし、それが続くのはたかだか
一年であり、最も活きのいい持続は(「世界を震撼させた」)
一〇日間か二〇分(「二〇分後の未来」)である。哲学はそ
のとき〈亡命地〉を「革命」のなかに見出したり、「テクノ
ロジー」のなかに見出したりする。いや、そのような場はい
たるところにある。むしろ、転形期の具体的イメージを「革
命」や「テクノロジー」のようなマクロなイメージのなかに
見るよりも、もっとミクロで瑣末なイメージのなかに見るこ
とが必要だろう。


  ドゥルーズは、ミクロな「革命」、「分子革命」に敏感で
あったし、それを発見すること自身がひとつの革命実践だと
考えていた。その最晩年の文章で、彼が、ディケンズの『わ
れらが友』のあるシーンについて次のように言うとき、この
プロセスは、ミクロからマクロなレベルにわたるあらあゆる
転形期にあてはまるだろう。
「極道人が一人、みんなが侮辱し、相手にしない悪漢が一人、
瀕死状態におちいって運ばれてくる。介抱にあたる者たちは
すべてを忘れ、瀕死者のほんのわずかな生の兆しに対して、
一種の熱意、尊敬、愛情を発揮する。みんなが命を救おうと
懸命になるので、悪漢は昏睡状態の中、なにかやさしいもの
がこんな自分の中にも差し込んでくるのを感じる。しかし、
だんだんと生に戻るにつれ、介抱に当たった人々はよそよそ
しくなり、悪漢は以前と同じ卑猥さ、意地悪さにもどってし
まう。この男の生と死の間には、死とせめぎあうひとつの[
〈ひとつの〉にルビ点]生のものでしかない瞬間がある」
(小松秋広訳「内在:ひとつの生・・・・・」、『文藝』、
一九九六年春季号)。


  こうしたつかのまの持続、内在を、ドゥルーズは、「超越
論的場」とも呼ぶ。これは、伝統的――つまりはドイツ観念
論において頂点に達した「哲学」が用いる「超越論的」なも
のを根底から変革した果てに生じる概念である。すでに、フ
ッサールにおいて、「超越論的」なものは観念論的なもので
はなく、物と身体に分かちがたく逸脱した相互主体的な意識
にその場を見出す。が、それは、依然として意識であったが、
メルロ=ポンティは「肉」[シェール――ルビ]という新たな
概念化によってフッサールの観念論的しがらみを断ち切った。
ドゥルーズが、「超越論的場を、《存在》に依存することも
《行為》に従属することもないひとつの生[〈ひとつの生〉
にルビ点]として提示したい」(同)というとき、彼は、フ
ッサールからメルロ=ポンティにいたる流れの先端にある。


  〈亡命〉の哲学と〈亡命〉を拒否する哲学とがある。革命
を語り、抑圧を批判し、メディアを論じる哲学は〈亡命〉の
哲学である。〈亡命〉者は、その先々の〈亡命〉地で、いま
はなき転形期を想起し、観念のなかでそれを持続させようと
する。メディアに〈亡命〉する哲学は、「ラディオ・アリチェ
」の、あるいは「コミュニケーション改正法」成立前のつか
のまのアナーキーな電子スペースを観念のなかで持続させざ
るをえない。少なくとも、哲学を守り抜くためには。が、ド
ゥルーズは、そのような〈亡命〉を一切拒否するだろう。彼
は、哲学の場にとどまる。が、それは、〈亡命〉をしないで
いられるからではなく、哲学がすでに〈亡命〉しているから
こそ、あたかも〈亡命〉がまだ始まっていないかのごとくに
〈亡命〉することを拒否するのだ。

  「旅をするとは、何かを言うためにどこかに出かけて行き、
また何かを述べるために帰ってくることにほかならない。行
ったきり帰ってこないか、向こうに小屋でも建てて住むので
あれば話しは別ですけどね。だから、私はとても旅をしよう
という気になれない。生成変化を乱したくなければ、動きす
ぎないようにこころがけなければならないのです。トインビ
ーの一文に感銘を受けたことがあります。『放浪の民とは、
動かない人たちのことである。旅立つことを拒むからこそ、
彼らは放浪の民になるのだ』というのがそれです」(「哲学
について」、前掲書)。


  その意味では、ドゥルーズは、つねにすでに革命や政治的
反動の渦まく場のなかに〈亡命〉していたし、とりわけパラ
ノイアックに増殖するメディアのなかに〈亡命〉してもいた。
彼は、現代の新しい権力形態をメディアによる「解放環境に
おける休みなき管理の形態」と見なしていた。「君主型」の
管理はいうまでもなく、「規律型」の管理は終わろうとして
いる。インターネットのようなコミュニュケーションが制度
化されはじめたことがそのことを示唆している。だから、イ
ンターネットのなかにグローバルな民主主義やアナキズムを
見るのは脳天気なことであり、そのような面が潜在する度合
いは、君主的管理や規律的管理のなかにときとして反権力の
隙間がぶち開けられ、権力の風船から空気が拭き抜けた度合
いと変わりがないのである。
 「いま目前にせまった、解放環境における休みなき管理の形
態にくらべるなら、もっとも冷酷な監禁ですら甘美で優雅な
過去の遺産に思えてくることでしょう」(「管理と生成変化」
、前掲書)。


  イタリアのアウトノミア運動のなかで「コミュニズム」の
概念を定義しなおしたアントニオ・ネグリが、一九九〇年に
ドゥルーズにインタヴューしているが、その答えは含蓄が深い。
「管理やコミュニケーションの社会によって、『自由な個人
を横断する組織』のかたちで考えられたコミュニズムを成り
立たせる可能性を秘めた形態が生まれるのではないか、あな
たはそう質問なさった。私にはよくわかりません。もしかす
るとあなたのおっしゃるとうりになるかもしれない。しかし、
それを支えるのはマイノリティによる発言権の回復ではない
はずです。言論とかコミュニケーションとかいうものはすで
に腐敗しきっている恐れがあるからです。言論やコミュニケ
ーションは金銭に毒されている。しかもたまたまそうなった
のではなく、本性からして金銭に支配されている。だから言
論の方向転換が必要なのです。創造とコミュニケーションは
これまでも常に別々のものだったのです。そこで重要になっ
てくるのは、管理をのがれるために非=コミュニケーションの
空洞や断続器をつくりあげることだろうと思います」(同)。


  ここでドゥルーズが「管理をのがれるために非 =コミュニ
ケーションの空洞や断続器をつくりあげる」と言う際の「空
洞」とは、原文では vaculesであり、「断続器」は、
interrupteursである。vaculesは、軽石に無数に空いている
ような空孔のことであり、interrupteursは、要するにスイッ
チのことである。こうした発想は、ガタリが繰り返し語った
メディア戦略と完全に一致している。たとえば、一九七六年
から爆発的に現われたイタリアの自由ラジオの動きに呼応し
て書かれ、ラディオ・アリチェ局で放送された文章「潜在す
る無数のアリチェ」のなかでガタリは言う。
「いたるところにゲットーを――可能なら自主管理の――、
いたるところに極小収容所を――家族や夫婦のあいだまでに
も、また頭のなかにも忘れないで――つくること、そうして、
諸個人ひとり一人を昼も夜も四六時中つなぎとめておくこと」
(杉村昌昭訳『分子革命』、法政大学出版局)。


  〈亡命〉を拒否する〈亡命〉者のドゥルーズの思考の主要
な場は、まさにガタリが言っている「ゲットー」や「極小の
収容所」、つまりはドゥルーズの言った「空孔」や「スイッ
チ」をとりわけ「頭のなか」につくることであった。これは、
自由ラジオやインターネットのウェブのなかでそのような試
みを行なうよりもはるかにラディカルである。というのも、
そうした電子メディアはすでに「解放環境における休みなき
管理の形態」になろうとしており、ドゥルーズとガタリが
『千のプラトー』のなかで概念化した「平滑な空間と条里空
間」がそっくりそのまま今日のサイバースペースの現状肯定
に利用される現実が展開しつつあるからである。


  その意味で、もし、サイバースペースに新しいコミュニケ
ーションと新しい概念生成の可能性があるのであれば、ます
ます必要なのは、頭のなかに「空孔」や「スイッチ」を多重
につくり上げることであり、それらをサイバースペースのな
かの空孔」や「スイッチ」と絶えずリンクし続けることである。


  ドゥルーズは、八〇年代の前半期に映画を集中的にとり上
げた。が、これは、メディアへの〈亡命〉としてなされたの
ではなくて、あくまでも〈亡命〉を拒否する〈亡命〉、つま
りは内在性への旅の試みであった。映画は、ドゥルーズにと
って、「絶対の旅」であり、「映画以外の旅はすべてテレビ
の現状を確認する旅であるにすぎない」(「哲学について」、
前掲書)。そして、その際、「映画ではスクリーンが脳にな
りうる」(同)とドゥルースは言う。


  このことは、映画の構造と脳のシステムとがアナロジカル
であるなどという意味ではない。ドゥルーズによれば、「イ
マージュは人間の頭や脳のなかにあるものではなく」、「逆
に、脳のほうが、あまたあるイマージュのうちのひとつにす
ぎない」(「『6x2』をめぐる三つの問題(ゴダール)」、
『記号と事件』、前掲書)。
  一時日本で流行した「唯脳論」的な発想は、素朴な「唯物
論」に逆転しうるものであり、解剖学的に特権化された脳に
拠点を見出した「唯幻論」にすぎなかった。映画に対するド
ルーズの関心は、あくまでも歴史的なものなのだ。
  テレビに対しては、「テレビとは、無媒介的に社会性をお
びてしまう技術」、「テレビは、美学的・ノエシス的要素が
完全に欠落した絶対の無価値姓と完璧に一致する技術面での
完全無欠にたどりつく手段を見出した」、というように、手
厳しいが、映画に対しては、「映画が助長した(いや、それ
どころか映画によって樹立された)権力はたくさんあるにも
かかわらず、映画そのものはあくまでも美学的・ノエシス的
機能をもつ」と肯定的である。しかし、映画がそうであるの
は、映画自体がもともとそうであったからではなくて、テレ
ビが圧倒的な力を持つ一方で、「映画の第三期が到来して、
映像の第三の機能と第三の関係性が浮上してきた」(以上
「セルジュ・ダネへの手紙――オプティミズム、ペシミズム、
そして旅」、『記号と事件』、前掲書)からなのである。


  他方、脳の状況の方も変わった。「脳は、統合化ー差異化
の垂直的な頂点に位置する機関であり、同時に、連合の水平
機関でもあった。脳に対するわれわれの関係は、長らくこの
ような座標軸に従ってきた」。こうした古典的な大脳モデル
は、「メタファーと換喩(類似ー近接)」、「シンタグムと
パラダイム(統合化ー差異化)」の観点にもとづく言語学か
らとられていた。が、「脳はいまや、シミュレイションと反
応とのあいだの接手、隙間であり、隙間以外の何ものでもな
い」。「脳は、われわれの支配、問題解決、決定であるより
も、むしろわれわれの問題、病気、情動になっている」、
「われわれはもはやイマージュの連合――交錯する空白です
ら――を信じない。われわれが信じるのは、絶対的な価値を
帯び、あらゆる連合を下位に置くような切断である」(「映
画、身体、脳、思想」、第2節、『映画2――映像=時間』、
Les Edition de Minuit[の上にアクセント])。


  脳とわれわれとの関係が変わるにつれて、映画の方も変わ
らざるをえない。ドゥルーズが関心を持つのは、「身体の映
画」(たとえばカサヴェテスやキューブリック)ではなくて
「脳の映画」(たとえばゴダールやルネ)であるが、とりわ
け後者と脳の関係変化とは極めて密接に作用することになる。
 「身体の映画は、その過去の重みのすべて、世界的な近代の
神経症の倦怠のすべてを身体に置くが、脳の映画は、世界の
創造性、新しい時間ー空間によって引き起こされた世界の彩
り、人工頭脳によって操作された世界の権力をあらわにする」
(同)。

  「脳の映画」においては、ドゥルーズによると、「映画が
つくりだす頭脳的回路によって映画全体が価値を獲得するわ
けですが、それは、映像が運動状態に置かれているからにほ
かなりません。ただし、頭脳的というのは知的という意味で
はありませんよ。情緒的で情動的な脳も存在するわけですか
ら」(『映像=時間』について」、『記号と事件』、前掲書)。

  重要なのは、映像の「アジャンスマン、連結、分離、回路、
閉回路の豊かさ、複雑さ、密度」である。しかし、現実には、
大半の映画が、「無根拠な暴力と白痴的なエロティシズムに
毒された小脳の欠陥であり、新しい頭脳的回路が工夫されて
いるとはとても思えない」。テレビに関しては、「ヴィデオ
・クリップの例は悲痛とすらいえる」、とドゥルーズは一蹴
する。

  映画とは、そう言いたければ、「映画的シナップス」の創
造であるが、その最もミクロで内在的なレベルがドゥルーズ
にとっての哲学である。そして、それは、「新しい頭脳的回
路」の創造であるといっても、「脳の方がさまざまなイマー
ジュ(映像)の一つにほかならない」とすれば、脳の解剖学
的所見からは何も生じはしない。映画も脳も、所詮は、ディ
ケンズのあの「悪漢」が経験したつかのまの「至福」の場、
一時滞在のみが許されている〈亡命〉地にすぎない。かくし
て、われわれは、ふたたび「内在」の問題に突き返されるこ
とになる。すでにドゥルーズは、『差異と反復』のなかで、
「思考するということ、それは創造するということであり、
それ以外の創造は存在しないのだが、ただし創造するという
ことは何よりもまず、思考のなかに『思考する』ということ
を産出することなのである 」(「第三章    思考のイマー
ジュ」、財津理訳、河出書房新社)と言っていた。

  反復。永劫なる回帰。だが、創造は、反復のなかにこそあ
る。「永遠回帰は、それ自身新しいものであり、まさに新し
さの全体である」(「第二章  それ自身へ向かう反復」、同)、
「永遠回帰は、世界とカオスとの内的な同一性、すなわち
《カオスモス》である」(「結論  差異と反復」、同)。


  わたしは、ドゥルーズを「孤独な思考者」の方に追いつめ
ようとしているわけではない。ドゥルーズとは、単独者では
なく、「解き放たれた個別性の集合」である。彼は、「ひと
りの個人が、真の固有名を獲得するのは、けわしい脱人格化
の修練を終えて、個人をつきぬけるさまざまな多様体と、個
人をくまなく横断する強度群に向けて自分を開いたときにか
ぎられる」(「口さがない批評家への手紙」、『記号と事件』、
前掲書)と言っているが、この言葉はまさしく彼にあてはまる。
  重要なことは、ドゥルーズ的な内在性の、一見「孤独」な、
目立たぬミクロな思考的実践が、いまなぜ必要なのかである。
それは、すでに述べたように、いままさにわれわれは、「解放
環境における休みなき管理の形態」のなかで生きており、その
最も統合的な形態が電子メディアであるからだ。


  脳から都市、そして宇宙空間までを統合しようとする電子
メディア。それは、決して上から、あるいは単一な中央から
抑圧的な力でコントロールしはしない。個人、個性、個体と
いった、規律型の抑圧の記憶をまだ引きついでいる近代人に
はひどく魅力的に見えるテリトリーを「解放」し、そこでは
彼や彼女らがあたかも自発的に自己の欲動を発動しているか
のような仕掛けが、いま進行しつつある新たなコントロール
である。その捕獲の網(ネットワーク)は、「個人」よりも
もっと微細な単位で「編ま」(ウィーヴ)れ、全体としては
巨大な「ウェブ」を形成している。「ワールド・ワイド・ウ
ェブ」(WWW)という別名をもつインターネットは、そうした
自発的なコントロール・ウエブのまだ初歩的な形態の一つに
すぎない。


  そして、それだからこそ、いまや、個体の孤独よりもさら
に孤独な、超ミクロなレベルでの闘いが不可欠なのである。
というのも、ますます侵入の度合いを深め、その方法を洗練
させる権力=力のメディア的増殖のもとでは、個体の孤独や
個人の孤立は、いささかも孤独でも孤立でもないからである。
だから、このような状況下では、カスパー・ハウザーよりも、
いやカフカよりも孤独であることが必要なのであり、他方、
逆にまた、人が集団のなかにあるからといって、このような
〈蛭〉的侵入に無抵抗に身をまかせているとも言えないわけ
である。その意味では、今後の問題は、そのような侵入に抵
抗できる個人が誰であるかよりも、むしろそのような侵入に
抵抗できる集団とは誰であるかを明らかにすることにかかっ
ているのだろう。


  重要なのは、「個人」でも「集団」でもない新たな領域、
「個体的でも人称的でもないが、しかし特異であり、けっし
て未分化の深淵ではなく、ひとつの特異性から別の特異性へ
と飛躍し、いつも骰子をむりながら、それぞれのひとふりの
なかにいつも断片化され改革される同じ一擲**の部分になって
いるような何か」(「特異性について」、『意味の論理学』、
前掲書)である。


  アントニオ・ネグリは、「『千のプラトー』とは、ひとつ
の集合的身体の、千の特異な身体の欲動なのだ。ここで表現
されている政治とは、スピノザ的な『multitudo 群衆ー多数
性[漢字部分にルビ点]』のもつ共産主義の政治、最近形成
された世界市場を舞台にした荒廃をもたらす諸主体の可動性
のそれであり、労働者階級の搾取の、狂人の懲罰化の、『一
般的知性』の管理の大いなる組織者である国家に対抗するひ
とつの武器として指導された最もラディカルな民主制(狂人
を含めたすべての主体)のそれである」とし、「『千のプラ
トー』はわれわれの時代にふさわしい歴史的唯物論の復興を
告げているのだ。われわれの時代は、それを立証する革命的
な出来事を待ち望んでいるのである」と結ぶ(丹生谷貴志訳
「『千のプラトー』について」、宇野邦一編『ドゥルーズ横
断』、河出書房新社)。
  しかし、ネグリの戦略的な挑発を顧慮しても、その発想の
あまりの古さはひいきの引き倒しである。前掲のインタヴュ
ーでも、ネグリは、この問題にこだわっていた。が、ドゥル
ーズの答えは、控えめながらも、否を意味していたように思
う(「・・・私にはよくわかりません。もしかするとあなた
のおっしゃるとうりになるかもしれない。しかし、それを支
えるのはマイノリティによる発言権の回復ではないはずです。」)。


  七〇年代イタリアの革命の渦中におり、それを「未完」と
感じたはずのネグリとしては、このような思いが深いかもし
れないが、アウトノミアの革命は〈起こってしまった〉ので
あり、それは、一〇年後、東ヨーロッパで制度化[〈制度化〉
にルビ点]され、最終的に死んだのだとわたしは考える。ネ
グリには、いささか、アウトノミアの最良の日々の思い出が
ありすぎるように思われる。『千のプラトー』は、七〇年代
イタリアの革命の潜勢力をミクロに結晶化したものであるが、
その結晶は、全く別の形態でたえず転調され、アレンジされ
ることなしにはふたたび生起することはない。


  ドゥルーズは、「規律にあらがう闘争、あるいは監禁環境
内部での闘争」に結びついた労働組合は、「マーケッティン
グの楽しみに立ち向かう能力をもった、来たるべき抵抗形態」
と無縁であると批判する一方で、新たな抵抗形態を身につけ
なければならない「若者」が、いま、「もっと研修や生涯教
育を受けたい」と望み、「『動機づけてもらう』ことを強く
もとめている」ことを憂慮している。
 「自分たちは何に奉仕させられているのか、それを発見す
るつとめを負っているのは、若者たち自身だ。彼らの先輩た
ちが苦労して規律の目的性をあばいたのと同じように。へび
の環節はモグラの巣穴よりもはるかに複雑にできているので
ある」(「追伸――管理社会について」、『記号と事件』、
前掲書)。


  カフカが『巣穴』を書いたとき、その穴は、管理システム
の隙間に掘られた「非=コミュニケーションの空孔とスイッ
チ」の機能をもっていた。が、それから半世紀のあいだに、
この「穴」は権力システム自身のなかに掘られ、個人に提供
されるようになった。だから、そのような「穴」をいま掘っ
ても、管理に対抗する力をいささかももちえないわけである。
そして、今日の権力は、くねくねしているとはいえ直線型の

「へび」よりも、モザイクやキルトの形態をなす蜘蛛に近い
ものとなろうとしているのである。

情況、1996年3月号、pp.23-34