T.A.Z.---Temporary Autonomous Zone

ハキム・ベイは、これまで一度も大手の出版社から本を出 してはいない。パンフレット出版的な形態で配布されたのち、 一九九一年になって一般書店でも手に入るようになった現行 の『T.A.Z.』も、アウトノメディアという小出版社から―― しかも版権を放棄したアンチコピーライトで出版されている。 アウトノメディアは、一九七四年に、ジム・フレミングと コロンビア大学のシルヴィール・ロトランジェが、ドゥルー ズ/ガタリ思想のアメリカ支部といった形で始めた雑誌『セ ミオテクスト』に端を発する。実際、七〇年代の『セミオテ クスト』は、ほとんどガタリが主宰していた雑誌『ルシェル シュ』の英語版といった趣を呈していた。むろん、それはそ れでよいのだが、セミオテクストからアウトノメディアへの 変遷には、重要な契機がある。 セミオテクストとは、セミオティック(記号論)とテクス トとの合成語であり、どちらかというと、次第にファッショ ナブルな様相を呈してきたディコンストラクショニスト好み の響きを持つ。おそらくこれは、ロトランジェの趣味が反映 したのだと思う。しかし、『セミオテクスト』のどの一冊で ものぞいてみればすぐわかるように、セミオテクストは、ド ・マン流のディコンストラクショニズムとは無縁であり、つ ねに〈いま〉進行し、潜在する運動とレフェレンシャルな関 係を持っていた。それは、ドゥルーズとガタリの姿勢と正し くシンクロしたものであり、この時代のアメリカで発行され たラディカル・ジャーナルのなかで最も風通しのよい――つ まりグローバルな運動軸と拮抗するメディアであった。 だから、一九七九年にイタリアで〈ポストニューレフト〉 に対する不当な弾圧が始まると、『セミオテクスト』は、翌 年に早くも「介入シリーズ」第一巻として「イタリア――ア ウトノミア」を刊行した。アウトノミアというのは、六八年 のインパクトを受けつぎながら想像力に満ちた活動を展開し たイタリアの〈ポストニューレフト〉の総称であり、ドゥル ーズとガタリに「リゾーム」や「横断性」という基本概念を、 そしてハキム・ベイにまさにT.A.Z. (Temporary Autonomous Zone)すなわち「一時的な自律ゾーン」というコンセプトを 思いつかせた。 アウトノミアについては、わたしの「イタリアの熱い日々」 (『メディアの牢獄』晶文社)で詳述したので、ここではく りかえさないが、セミオテクストからアウトノメディアへの 移行の根幹には、アウトノミア運動への深い思い入れがあっ たことを忘れてはならない。実際に、アウトノメディアは、 ロトランジェのコロンビア大学哲学科研究室からジム・フレ ミングのブルックリンの巨大なロフトビルに事務所を移した が、ブルックリンには、シルヴィア・フェデリーチをはじめ として、アウトノミアにコミットする活動家や論客が幾人も 住み、しばしばアウトノメディアの編集会議に顔を出すよう になっていた。 ハキム・ベイも、こうしたブルックリン・コネクションの なかでセミオテクストに、そしてアウトノメディアの活動に 加わってきた。わたしが八〇年代の初めにジムのロフトでよ く顔を合わせたハキム・ベイは、思想家というよりも編集者 の風貌とセンスの持ち主であり、実際にアウトノメディアの 編集企画の重要なスタッフになっていった。が、ワルター・ ベンヤミンが思考をモンタージュや引用や「廃品回収」に引 き寄せたのを知っているわれわれは、むしろ、その語の本来 の意味における〈編集者〉こそが、真の思想家であることを 疑いはしない。『T.A.Z.』のなかで、彼は、こんな言い方を している。 「ブリコレール、情報の破片を集める廃品回収業者、密輸業 者、ゆすり、そしてまた、おそらくサイバーテロリストとし て、TAZ ハッカーは、闇のフラクタル・コネクションの発展 のために働く」。 有名なアナキスト書店・出版社スプンク(SPUNK)が、そのウ エブページ(http://www.cwi.nl/cwi/people/Jack.Jansen/spunk /Spunk_Home.html) のカタログにハキム・ベイの著作をリス トアップしているように、彼には、アウトノミアの流れとと もに、アナキズムの影響が少なからずある。ヨーロッパのス クウォッターやハッカーのあいだで絶大な人気があるのもこ のことと関係があり、現在、彼のまわりには、暗号ハッカー のみならず、貨幣の最終的な破棄を夢みるサイファーパンク スたちが集まっている。 ハキム・ベイのアナキズムは、しかし、「アナキスト」の 皮をかぶったアナルコキャピタリストとは異なり、権威主義 や抽象主義、象徴主義といった、現にあるものを何か〈超越 論的〉なものにすりかえようとすることを根底から拒否する 具体的なアナキズムである。彼がみずから実践しているアン チコピーライトの運動がその格好の例であるが、TAZ とはま さに「本当にいいこと」(real goods)を実現するためのもの だと、彼は言っている。 だから、国家の廃絶が問題であるとしても、何かの理念や タテマエからではなく、たとえばウマいものが食えないとい った具体的な理由から発想するのがハキム流である。たとえ ば、キューバの果物マミーは、実にウマイ食べ物だが、これ が、アメリカでは合法的に輸入できない。というのも、この 果物の種が幻覚剤になるという理由で政府が輸入を禁じてい るからである、という話をハキム・ベイは書いている。彼は、 すでに六〇の坂を越していると思うが、彼には、日本の「左 翼」の禁欲主義などこれっぽちもない。 といっても、彼は、アメリカの「左翼」がしばしば豪邸に住 んでいたりするような意味で「ブルジョワ」生活を享受して いるわけでもない。彼は、テレビも持っていないという。こ れは、少しあやしいが、少なくとも彼がコンピュータを持っ ていないことだけはたしかである。 おもしろいのは、そんな彼が、いま、コンピュータ・カル チャーの世界で強い関心を持たれ、ノルウェイ大学のモルデ カイ・ワッツのように、そのインターネット・サイトにハキ ム・ベイの専用ウェブページ (http://www.uio.no:80/~mwatz /bey/) まで作ってしまう熱烈なファンがいることだ。が、 それは、『T.A.Z.』のなかでも、もっともブリリアントは一 節と思われる「ネットとウェブ」を一読するならば、すぐ納 得できるだろう。彼にとってコンピュータは、別に新しいも のではないと同時に、メディアとしての本領をまだ発揮して いないのである。 「TAZ は、コンピュータによって、あるいはコンピュータな しに起こったし、これからも起こるだろう。しかし、TAZがそ の潜勢力をフルに出し切るためには、自然発生的な騒乱より も、『ネットのなかの島々』がより大きな問題になるだろう」。 ネットは、もはやシステムと肉化した。必要なのは、ネッ トのなかに無数の生きた――つまり固定しない――カウンタ ーネットすなわち《ウェブ》を張り続けることである。

スタジオ・ボイス、1995年10月号、p.19