デジタル・スペースをスクオットせよ!

  1970年代後半のイタリアではスクウォットの運動がさ
かんで、ローマ、ミラノ、パドバ、ボローニャといった都市
に多くのスクウォット・ハウスが現われた。スクウォットと
は、「しゃがむ」という意味だが、ここから転じて、「空家
などを不当の占拠する」という意味に使われる。だから「ス
クウォッター」とは、「空家占拠者」のことを指す。
  1980年代には、ベルリンやアムステルダムでもスクウ
ォットの運動が活気づき、その波は、南半球のオーストラリ
アにも波及し、シドニーには、スクウォッターたちによる組
合まで作られた。
  こうした動きのなかで、「スクウォット」の概念が拡大さ
れ、建築空間や広場のような物理的なスペースだけでなく、
電波のような不可視のスペースを占拠することに対しても
「スクウォット」という概念を当てはめることが流行した。
  電波スクウォットとは、要するに「海賊放送」のことだが、
「エアウェイヴ・スクウォッティング」という新たな概念が
登場することによって、「海賊放送」の意味が変わった。
「海賊放送」の持つ犯罪的なニュアンスに代わって、むしろ
ある電波帯を市民の当然の権利の行使として使うという意味
合いが出てきたのである。
  イタリアでは、すでに70年代に、放送波は市民の表現手
段の一つであるという認識が広まり、FMの放送波は、事実上、
誰でもが自由に使えるフリースペースと化した。自由ラジオ
である。が、実際にわたしが、ローマやミラノやパドバの街
角でラジオのダイアルを回してみて驚いたことだが、自由で
あるがゆえに無数の放送局がFMの帯域に参入し、もはやフリ
ーなスペースなどないどころか、あちこちの周波数帯で混信
を起こしているのだった。「番組がなくても、24時間放送
をしていないと、周波数を取られちゃうんだ」ローマのオン
ダ・ロッサ(赤い波)という自由ラジオ局の知り合いが言っ
た。
  ところで、コンピュータ・ネットワークに関して「ネット
・スクウォット」という言葉が使われていないのはなぜだろ
う?
  既存のディジタル・スペースに侵入するという意味では、
「ハック」がまさにある種のスクウォットだが、ハッカーは、
スクウォッターのように居すわることはない。ハッカーは、
ことをおこした後ただちにあとをくらます。真性のハッカー
が興味を持つのは、鍵を破ることであって、鍵の向こう側に
あるものをくすね取ることではない。一度ハックしてしまえ
ば、そのシステムには興味がなくなる。
 しかし、90年代の今日、スクウォッティングとハッキン
グの現状をみるとき、わたしは、スクウォッターとハッカー
は、たがいにその両コンセプトを交換しあう必要があると思
う。スクウォッターは、しばしば、快挙と思われるような侵
入とスペースの機能転換を達成しながら、それが、やがて惰
性と意固地でそのスペースを維持するだけになり、警察権力
との不毛な対立だけを生きがいにするきらいがある。ハッカ
ーもまた、実際上、既存システムのセキュリティ・チェック
を結果的に助けるだけになることが少なくない。
  スクウォッティングは、せいぜい1日でよいのではない
か? 他方、ハッキングは、システムへの侵入だけではなく、
スペースの変革という側面を持つべきだろう。そのとき、ハ
ッカがターゲットにすべきスペースは、大金を投じて作られ
ながらほとんど使われていないような公共のディジタル・ス
ペース、そう、あれである。

CAPE X、1995年9月号、p.51