サラエヴォを生きろ

 冷戦の終了後、世界の基軸が東西関係から南北関係に移行し
たというクリシェがあるが、事実は、東西関係が、インターネ
ットから情報スーパーハイウェイに及ぶ線のなかで表象されて
いるような「情報新世界秩序」のなかに包み隠される一方で、
南北関係が、地域の内包するあらゆるフィジカルな矛盾と対立
の場と化したことである。
 これは、一面では、都市や諸集団のカオス的抗争・対立を東
西関係のレベルでの活性源として役立てていこうとするトラン
スナショナルな企業=国際組織戦略には有利である。要するに、
古くは「人工的否定性」、いまでは「カオス戦略」というやつ
である。
 しかし、この対立・抗争が、文化や政治的駆け引きのレベル
でのゲームにとどまる場合は別として(バブル経済の時代には
やったこの種の文化戦略はものの見事に破産した)、地方的な
内戦からさらには、エンツェンスベルガーの言う「分子的内戦」
にまで深化すると、その果てには、片や空にはグローバル・ヴ
ィレッジをリンクする人工衛星が飛び交い、海底には軍事・金
融の陰謀とインターネットサーファーの道楽を具現するサイバ
ーメディアが拡がる一方で、そうした世界とは全く無縁である
かのように孤立し、飢餓と不信と絶望が支配する現実があちこ
ちに増殖していく。「分子的内戦」は、集団と集団のレベルよ
りもさらに内化し、個々人の間からさらには個人の身体と意識、
表意識と無意識との対立・抗争にまでミクロ化し、深化する。
 ボスニア・ヘルツェゴビナの内戦と日本の小・中・高校で起
こっている「いじめ」はこうしたコンテイストのなかで同時代
的な、構造的にリンクした出来事となる。
 エンツェンスベルガーは、『冷戦から内戦へ』(野村修訳、
晶文社)のなかで、今日の「内戦」の性格を鋭くとらえている。
それは、「歴史的な階級闘争の図式をもってしては、とうてい
理解されるものではない」ことはいうまでもない。今日の都市
暴動や「ネオナチ」の暴力においては、イデオロギーなどはも
はやどうでもよいのだ。あるのは、「無内容な攻撃欲だけ」で
あり、「自己閉鎖的な破壊と自己破壊」である。
 一九九二年以来、数十万人の犠牲者を出しながら依然として
解決の道が開けないボスニア・ヘルツェゴビナの内戦は、これ
までフィクショナルな世界でシュミレートされたいかなる悲惨
で絶望的な世界も、決してフィクションとは思えないような「
過去未来」の世界をこの世にもたらしてしまった。この世界に
比べれば、核戦争のために人々が声帯を失い、無言でいがみあ
っているリュック・ベッソンの『最後の戦い』の世界の方がま
だのどかだし、人々がもはや隣人を信用せず、家庭のなかでも
武装して警戒しあっているポール・バンボローの『アーカディ
ア』にも、まだ救いがある。
 深刻なことは、ボスニア・ヘルツェゴビナの悲劇は、単にバ
ルカンの一地域で起こった民族的な権力闘争の結果としての悲
劇にとどまらず、これまで、そしていまなおわれわれが市民的
生活の理念的基盤にしているものが、すでに破産していること
を暴露してしまったことだ。
 というのも、ボスニア・ヘルツェゴビナは、フランス革命以
後暗黙に生き延びてきた市民的理念のある意味で実験室でもあ
ったからである。(どのみち、それは、「自由」、「平等」、
「人権」等々の「西欧的」理念である。しかし、それらを否定
した先に抹殺と死の暴力しかなく、それを越える道がまったく
見えないとしたら、それを単に「西欧的」として極地化して済
ませることはできまい)。
 ボスニア・ヘルツェゴビナの首都には、イスラム教徒とクロ
アチア人とセルビア人とがたがいに混じりあっているカップル
が何万人もいる。彼や彼女らは、民族的な同化を果たして脱エ
スニックな集団を形成しているのではなく、多様なエスニシイ
を保持したまま、多言語的・多文化的な生活を形づくってきた
のである。ファン・ゴイティソーロが『サラエヴォ・ノート』
(山道佳子訳、みすず書房)で書いているように、サラエヴォ
は、「民族的部族概念に対する市民的概念の勝利を実現した」
都市であり、「三〇年余りにわたってサラエヴォは文化のるつ
ぼと化し、異文化の影響を受けてそれぞれの文化が豊かになっ
た」。それゆえ、「ここでは家を一軒一軒虱つぶしにでもしな
い限り、民族的浄化など不可能である。四つの文化の混交によ
って生まれたこの町のコスモポリタニズムは、家族のレベルか
ら現実のものとして存在する」からである。
 ファン・ゴティソーロが「るつぼ」とか「コスモポリタニズ
ム」という言葉を使っているのが気になるが、本書の目的が、
「多民族市民社会という文明の成果」が破壊されようとしてい
る現実に注意をうながそうとすることであり、「『諦め』とい
う一種の昏睡状態に陥り、反応を示さなくなってしまっている」
「世論」を喚起しようとすることだとすれば、大目に見た方が
よい。少なくとも、この本は、大セルビア主義者たちが、いか
に周到に「ボスニアのイスラム系住民の集団的記憶そのもので
ある」サラエヴォ図書館を「浄化の報復の炎の中に消失させ」
たかを活写してもいるのだから。
 しかしながら、サラエヴォ問題は、ジャーナリスティックな
勇気ある告発の一層先にあるものを見なければ、どうしてもロ
ーカルな問題にとどまってしまうだろう。サラエヴォと日本の
「いじめ」とを直結できるような視点が生まれるためには、少
なくともエンツェンスベルガーのような姿勢が必要であり、サ
ラエヴォ図書館の瓦礫のなかであえてアドルノの『ミニマ・モ
ラリア』(法制大学出版局)を読み直す必要があるだろう。そ
こでは、しばしばアドルノに張りつけられてきた「不毛なペシ
ミズム」というレッテルも、意外なオプティミズムの相貌で微
笑むだろう。
 実際、サラエヴォのプロデューサー・グループFAMAから
出された『サラエボ旅行案内』(P3 art and environment訳、
三修社)は、アドルノの「越冬の戦略」の一つの具体モデルの
趣をもっている。本書は、戦争や暴力を観光ガイドという形式
を使ってパロディ化しているだけではない。テキスト(ミロス
ラブ・プルストエビッチ)、写真(ジェリコ・プリッチ)、デ
ザイン(ネナド・ドガン)のしなやかな批判的コラボレーショ
ンが、この内戦の内実(「本書は現在の記録であり、サバイバ
ルのためのガイドであるが、同時にサラエボを戦火の犠牲地と
してではなく、機知によって恐怖を克服するための実験場とし
て伝える、未来に残す記録である」)をあらわにすると同時に、
この内戦を報道しているマスメディアの方法とは別のものを呈
示している。
 FAMAの代表者スアダ・カピッチは、「日本語版によせて」
のなかで書いている。「サラエボ市民はこうした悪夢の中で、
しかしある満足感を抱いている。叡知により、ひとりひとりが
テロにたいする勝利をおさめるからである。人びとは日々の暮
らしを、知性や都市型の文化によって『生き延びる』ことがで
きた。残存する文明のひとかけらから、なにか新しいものが作
り出された。激変のなかで、ありうべき生活の形態が生まれた。
このような状況のなかで『労働』はまったく新しい概念となる」。
 分子的内戦の先には人類の死と都市の廃墟しか見えないが、
死の臭いと廃墟の連なるサラエヴォの先に見えるのは、決して
絶滅と荒廃ではない。サラエヴォは、第一次世界大戦(近代の
終末を延命させようとする世界史のあがきのはしり)の発火点
となったが、サラエヴォの悲劇を脱近代への歴史の単なる痙攣
に転化してしまうしたたかさが『サラエボ旅行案内』のページ
からはただよってくる。さらにまた、本来は電子メディアに属
する人々が作ったこの本は、本というメディアにもまだまだ可
能性がのこされていることをを示唆してもいる。

図書新聞、1995年1月1日、p14