「脱国家」時代の天皇制

  明仁の時代になって、天皇制の問題にぴりぴりするような緊
張した意識で関心をもつ者は確実に少なくなった。いま、表ざ
たにはしないながらも、天皇制を何とかしなければならないと
深刻な意識をいだいているのは、むしろ財界人かもしれない。
しかし、それにもかかわらず、彼らは、天皇制のもつ反民主主
義や差別の機能がもつ管理装置としてのウマミを忘れることが
できず、それを温存させたまま人間性を欠いたひたすら経済効
率だけが高いバブル的な経済発展の再来を夢見ている。
   昨年三月、わたしは、こともあろうにあの読売の『THIS
 IS』から天皇制と日本経済・技術というテーマで長文の原
稿を依頼された。最初、耳を疑ったが、編集者の熱心な依頼に
うながされて三〇枚の原稿を書き、渡した。が、案の定、それ
はボツになった。わたしは、担当編集者の血を吐きそうな声の
釈明を聞くのがつらくなったので、あさりと原稿を引き下げて
しまったが、一年以上たったいま再読してみて、わたしの状況
認識には誤りがなかったという気持ちを強くしている。経済評
論家の予測とは裏腹に、日本の景気はひとつもよくなっていな
いばかりか、いよいよ文化や人間関係のレベルに貧しさやえげ
つなさを広げはじめている。

  問題の原稿は、次のような文章で始まる。
  日本がいま直面している経済不況と政治の混乱を一過的なも
のと見るか、それとも、日本が未曾有の歴史的転換期にあるこ
とを示唆すると受け取るかは、意見の別れるところであろう。
しかし、政治経済のレベルで起きている個々の内実は別にして
も、その困難のパターンは、アメリカが八〇年代に経験したも
のであり、そのパターンをそのまま繰り返しているにすぎない
ような感じがわたしにはする。
  ということは、つまり、この状況は、構造的かつ歴史的なも
のであり、いま世界中の国々が不況と政治的混乱にみまわれて
いることを考えあわせれば、日本の状況が一つの世界史的な転
換現象の一環として生じていると言わざるをえないということ
である。
   テレビや新聞を見ているかぎりでは、いずれは、株価が上昇
し、景気が上向くかもしれない、あるいは、逆に、もっと深刻
な不況に見舞われるかもしれないといった投機的な目でしか現
状を把握できなくなってしまうが、マスメディアから離れて、
ちょっと街に出てみると、一朝一夕にいまの状況を抜け出すこ
とはできそうにないことが実感されるだろう。
  八〇年代の「地上げ」ブームの時代に買い占められた土地が
売れずに残り、ただでさえ活気を失った都市にすさんだ感じを
与えている。「バブル」の最終便に飛び乗って建てられたぜい
たくなマンションが、テナントの予想外の不足のために、人気
のない不気味な雰囲気をただよわせている。かつてあれほどに
ぎわいのあった週末の六本木へ行っても、路上の人影が減って
いる。新宿でも渋谷でも、駅にはタクシーが列をなして客を待
っており、しかも乗り込んだ車内は、いらいらと客を待ってい
たことを暗示するかのようにタバコの煙が充満している。
  こうした現象は、アメリカが少しまえに経験したことである。
七〇年代末から八〇年代前半期にかけて、アメリカの諸都市で
は不動産投機と都市の「華麗化」、そしてそれにともなう都市
の「主役」の交代が露骨なまでに進んだ。素人が投資目的でマ
ンションを二つも三つももったり、ヤッピーならざれば人でな
しといった雰囲気が高まり、日本で「バブル」と呼ばれた現象
は、特にニューヨークのような都市でははるかに露骨な度合い
で進行していたのである。当時ニューヨークで、そうした現象
をシラケ切った気持ちでながめていたわたしからすると、その
後の日本で起こった「バブル」現象は、八〇年代前半のニュー
ヨークのマネをしているにすぎないような気がしてならななか
った。
  従って、「バブル崩壊」後のいま日本で起こっていることも、
八〇年代後半のニューヨークで起こったことを見れば少しも驚
  くべきことではない。日本は、いま、アメリカがこの一〇年
間に直  面したのと同質の困難に直面しているわけであり、ア
メリカも依  然として決定的な出口を見出してはいないことか
ら考えれば、ア  メリカよりも長く出口なしの状況が続くこと
は確実である。
  レーガノミックスは、限られた層につかのまの「活気」を与
え  たが、そのツケは大きかった。ブッシュが湾岸戦争を行使
せざる  をえなかった事実は、経済を従来の意味で「活性化」
することだ  けを考えれば、もはや軍拡か短期の地域戦争しか
残されていない  ことを示唆している。    このままの体制を
続けるかぎり、経済が短期的に上向いたり、  悪化したりとい
うくりかえししか考えられないのであり、そのな  かで、とり
わけ文化のレベルがますます創造性を失っていくことになる。
それゆえ、アメリカは、いま、これまでの経済そのもの、 政
治そのものを根底から変えることを求められているわけである
  が、それがクリントンの新政権によっていささかでも実現さ
れる    かどうかは、まだ明確ではない。
  いずれにせよ、既存のシステムが、経済的なものも、政治的
な  ものも、すべて根本から組み替えられなければならない時
代に突  入している。この動向の最も主要なものの一つを、わ
たしは、  「脱国家化」と名づける。  「脱国家化」は、世界
のいたる国々ですでに顕在化しつつある現  象であり、それは、
近代国家の終わりとして顕在化するとともに、  それを越える
何かの始まりを示唆してもいる。早い話、八〇年代  に日本で
話題になりはじめた「規制緩和」や「国際化」も、  「脱国家
化」の流れの一つとしてとらえなおされるべきである。
  しかしながら、日本の場合、こと「国家」の問題になると、
にっちもさっちもいかなくなるのが普通である。「規制緩和」
や「国際化」が掛け声とは裏腹に十分な展開をできずにいるの
がよい例である。なぜであろうか?
  それは、日本の国家システムが、天皇制にもとづいているか
らである。明治期に天皇制国家として出発した日本は、それに
よって「世界に類を見ない」ほどの短期間に独自のやり方で
「近代化」をなしとげ、さらには、第二次大戦で受けたダメー
ジにもかかわらず、戦後、「経済大国」として世界の注目を集
めることになったが、ここにきて、その単細胞的な成長スタイ
ルがすべて裏目に出ている。
  平均化や統合、忍従と「和」をよしとする(全体の「和」の
ために誰かをのけ者や笑い者にする)組織やモラルを形成する
上で天皇制は、非常に効率の高い機能を発揮し、それが、戦前
戦後を通じて、共同して一つのことに当たる際には極めて効率
の高い集団性と組織性を作り出したわけだが、それは、文明の
動向が工業化に向かっていた時代においてのみ有効なのであっ
て、文明史的な趨勢が脱工業化へ向かいはじめると、事情は違
ってこざるをえない。
  日本は、こうした文明史的な意味での工業化の最終段階まで、
それに盲従した集団性とワークエシックとを維持し、活用する
ことが出来たために、「経済大国」としての地位を獲得するこ
とが出来た。そこには、多くの偶然が介在しているのであり、
明治期に天皇制を導入した人々が、想定していたものではない。
天皇制は、もともとは、むしろ、直面する困難を根本から解決
するためよりも、それを回避する安易な折衷的方法として導入
されたのである。
  大多数の人々にとって重要な問題が起こっても、それを決し
て根本から問題にできないという傾向、究極的な責任の所在が
不明であるという無責任な性格――これらは、明治期に天皇制
が導入されたときの時代的なモチーフと同質・同根のものであ
り、その意味では、天皇制は、こうした日本の不決断・無責任
・無反省の「文化」を一世紀以上にわたって温存させる機能を
も果たしているわけである。
  アメリカがカナダ、メキシコと「北米貿易協定」(NAFTA)
を締結したとき、カナダのアーティストやアクティヴィストた
ちが、「それなら文化NAFTAを作ろうじゃないか」と言っ
た。これは、脱国家的な体制がブッシュの言った「新世界秩序」
へ向かって自己再編をするなら、体制につねに隙間を作ろうと
する者たちは、文化的なレベルで対抗しよう、ということであ
り、具体的にはメキシコのアーティストやアクティヴィストと
の交流を深め、貿易レベルでの交流とは異質のネットワークを
生み出そうというわけである。
  天皇制は、家父長的な家族、非民主的な組織、対等でない人
間関係、統合をよしとする国家を支える文化の骨組みをなして
いる。われわれは、日常のあらゆる部分に天皇制の分子モデル
を見出し、それを打破しつづけていかなければならないし、そ
の過程こそが天皇制を越える日常的アクションにほかならない
のである。

反天皇制運動 NOISE、No.1、通巻121号、1994年6月10日発行、pp.3-5