上智大学、早稲田大学で哲学を学ぶ。いっとき過ごしたニューヨークの影響で、自由ラジオとパフォーマンス・アートにコミットしはじめる。
現象学と文化論を 教えていた和光大学のゼミで試みたミニラジオ局のアイデアは、やがて「ミニ FM」ブームとなる。
1982年刊の『メディアの牢獄』(晶文社)は、今日のヴァーチャ ルな現実感の支配を予見。
1984年ごろから、批評活動と平行して本格的にパフォー マンス・アートの活動に入り、エレクトロニクスを用いたパフォーマンスを次々に実験し、のちの「ラジオアート」や「ラジオパーティ」のコンセプトに発展する。
1988年、和光大学で試験制度をパ ロディ化した「スターリン」抜き打ちロックコンサートを主催し、物議をかもす。この種の実験的イヴェントは、のちの武蔵野美術大学映像学科、東京経済大学コミュニケーション学科でも続けられた。
1991年、Paper Tiger Televisionでの送信機ワークショップとラジオパーティをかわきりに、以後、Walter Phillips Gallery, Banff Centre of the Arts、Western Front, Vancouver、Paper Tiger Television-West, San Francisco、Inter/Access, Toronto等で送信機を使った活動を続ける。
1995年、インターネットの実験サイト「ポリモーファス・スペイス」、また1997年には映画批評のための「シネマノート」をたちあげた。
1996年、"Hearing is Believing" (Sir Tom Cowie Lecture Theatre, University of Sunderland, UK)以後、西ヨーロッパでの活動が増える:"BXL_Mini_FM" (Lecture-Performance and Workshop, Palais des Beaux-Arts, Brussels, 1998)、Next 5 Minutes 3 (Paradiso, Amsterdam, 1999)などである。
1999年以後、Bauhaus University, Weimarの実験ラジオ学科で毎年、短期集中のワークショップとゼミを担当する。
2000年代に入って、ウィーンのKunstradioとのネット経由および直接のコラボレイションが増え、海外での活動が増える(→リスト)。
2012年まで東京経済大学で毎週続けてきた「教室を教室でなくするチャレンジ」の企画とメディアに関する講義・ゼミから解放され、ノマド生活に入る。しばらく離れていた紙メディアとも「復縁」する。
2016年、トランプ現象を機に、これまで映画を通じて考えてきたアメリカ社会について、もっと総体的に考察することに興味を抱き、映画批評から徐々に離れる。「雑日記」にその印象と考察の一部を連載する。
2017年、すべての現象を複数多数の「送信機」(neurotransmitterからradio-transmitterまで)間の「共鳴」(resonance) としてとらえなおす実験と思考に着手する。